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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

野麦峠と現代の野麦峠

2023年12月29日

日本の繊維業界で丁稚奉公や野麦峠というのは搾取のようにいわれるけども、親が働いても食べ物も満足に食べられない貧農の子供や娘さんに、食事や生活以外に仕事や教育の機会を与えられたのは、国や親以上に、面倒を見る覚悟があった苦労して成功を収めた業者の人たち。今、日本中にあるコンビニというのは、365日24時間の責任、それは独立事業者だからと問題ないが、それは野麦峠を超えている話なのだ。最初に1000万を超えるロイヤリティーを取って24時間365日で、もしものときには寝る時間もない約束をさせられる。

林与の場合は、親がそんな感じで、親は地道な作業も嫌って、すきに自由な人生でそのしわ寄せを子供が解決するのが当たり前に思ってるようなところがあって、子供のころから、あなたを生んだのはお父さんを助けるためとか、一人じゃたりないから弟も生んだとか。親にしてもそんなもので、外の世界の人のほうが、人間味もあって理解もあったりはする。自分たちが働きたくない親がいて、自分たちが生きてゆくのを支えさせるために、田舎だとそういう感覚が蔓延してしまっていて、そういう思想というのは田舎の中で働いても食べていくのも難しいという問題にもつながる。

そういうことを言っている親というのは、嫌なことは全部子供にさせて自分が指図していることが親の役目みたいに思っているが、自分が自分でやらないといけないということを分かっていない。戦争なんかでも、年配者が行けば良いのだけども犠牲になるのは若いものばかりで、戦争を指示している年配者たちというのは安全なところで。国家にしてもそんなもので、地域社会でもそういうことが平気で行われていて、若い世代をそういうものから解放することは大事だろうと思える。昔的な体質というのは本当に駄目で、そういうのに縛って正しく生きているというような感覚だと、自由に好きに生きたいものが指図してアンバランスを生み出してしまう。

女工さんたちはたぶん、田舎の農村で働いても食べるものを満足に食べることも出来ない貧しい暮らしよりも、普通に起きている時間、重労働でもなく単純作業で働けば3年で家が建てられるような待遇というのは憧れだっただろうと思う。でも国とかは、そういう貧しい食べても行けない状況に追い込みながら救いの手も出さずに、救われようとするものが自分たちよりも待遇がよいとかをうらやみ、貧農の娘が公務員である自分たちよりも収入があるのはおかしいという身分社会的な感覚はあっただろうと思う。今もそういうのが続いていて、早くそういう官僚社会的な身分社会制度意識を改めないと駄目だろう。なぜ公務員は支配階級で国民じゃないのかという身分制度問題も大きな問題である。法の下というのをしきりに強調する公務員たち。差別的な法を意図的に作って自分たちが支配階級的にいたいというのがあって、同じ公務員でも国家公務員が一番上で、県職員、町みたいなヒエラルキーを作ってしまって、その下に国民を置こうとしているが、それは江戸時代の身分制度的な感覚。

差別問題に関しても行政がなぜか悪いのは国民の意識であるかのようにいうが、身分制度や差別的な法律を作って強いるのは国民ではなく、そういうヒエラルキー構造で、そういう駄目な意識を行政の中から正して行かないと難しいのだろうが、どの政党を見ても、そういう構造が蔓延していて、まともな若い人たちの考えというのが通らず、分かち合うという精神すらもがなく、一生国会議員でいたいような人の集まりでしかない。能力の高い若い者たちに譲っていくということは大事なことだろうと思う。今は、年金問題にしても、生まれてくる赤ちゃんたちが問題解決する立場かわいそうすぎる。歪んだ法律を生まれた時から正しいことみたいに生きてゆかないといけないこれから生まれてくる世代。少子化問題をなげているくらいなら、自分たちが問題を解決するべきだろう。現代の野麦峠の一部で本当に駄目すぎる話。


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