リネン日記
子供たちかわいそうで
2025年11月16日
昔、ある小学校に縫製教室みたいなことでミシンをつかう授業をサポートする役割、男の子が遊んでいる版があって、そこが問題ありすぎて誘導が必要だと思って、遊んでる子たちに話に行く、「自分ら遊んでてどうするの?」「やりたくない」という返事。将来も遊んで暮らすから別に同でもよいという。そうかそれなら仕方ないなあと思って見放す。
一方で、ミシンの準備を一人分かってしている女の子がいて、教頭先生がすごい高い評価をしておられるが、準備ができたとたん、遊んでた男の子たちがミシンを、「おいどけ」といって1番に使い始め、準備してた女の子がそのミシンを使い始める前に、チャイムがなってお昼。
こんな理不尽なことは子供が子供時代に経験するというのは気の毒すぎて、チャイムがなって他のみんなが給食の準備だと動き始めるも、林与は少しでも縫えるように付き添う、女の子も焦っていて、それも分かるから「大丈夫、大丈夫」と応援しながら付き添う。ある程度まで縫って、後は家で縫うから、「あなたはほんとうにすごい」よと能力有りながらすべての苦悩を背負ってるのを感じる。
校長室にいくと、校長先生が、「困るんですよね、時間くらい守ってもらわないと、府警から文句があったらどうするんですか」と、言い訳もしたくないが、気の毒な女の子に共感できるような校長先生でもないから、「事情も説明せずに、本当にすみませんでした」と謝って終わる。
翌年別の小学校に行くと、学年主任の年配の先生が母親の実家の向かいの方で、ほんとこの学校の子供はやんちゃでご迷惑おかけしますと、でも、すごくいい雰囲気のクラスが多く、でも、最後に校長室に呼ばれると、この前の校長先生が転勤されていて、えっ、これって何なのと思ったが、転勤されて、新しい小学校にということらしい。なぜか、今回は私に対して非常に丁寧な対応。小学校のトップじゃなく、現場の年配のまともな先生のほうが力を持っていてまともな感覚があったということ。
でも、その学校でも新任の一人の若い先生が、子供たちに一言の自由な感情もださせずに、校長先生の影響だろうと思う。年配のまともな先生は校長先生でも押しつぶせないが、新任の先生が校長先生にいちびられいうこと聞くように仕向けられている感があった。犠牲になるのは生徒たちで、4クラスの内、一番メンタルが弱そうな担任の先生だけが、ひとことの自由な発言もゆるさないみたいな戸塚ヨットスクール状態。
校長先生が仕切ることができないので、弱い新任の先生をターゲットにいうことを聞かせてる結果なんだろうと思えた。よくある大人の事情で、責任老いたくないできないトップ程弱い連中をいちびって手下にしてその犠牲が生徒、1年とか2年地獄が続く。担任の問題化もしれないが、校長の問題だろうと思えた。
好きに自由にさせて無責任な校長ほどまともにやろうとするのを縛ろうとして自分個人の評価を気にして、子供たちのことを考えてもいない、村社会のなかで有力者に媚びて生きる人生観なのだろうけども、子供たちが犠牲になって、まともな教育が教育委員会や校長レベルからして小学校にないのを感じた。
校長が親から自分の立場を脅されているのは分かるけどもそのしわ寄せを小学生に解決させるというのはあまりにも理不尽過ぎて、教育って上層部ほど保身で腐ってるなあと本当に思え、小学生の手本にもならない。
たぶん、そのミシンを準備した女の子が自殺などせず生き残れれば、小学校の校長でも逃げて解決できない現場の問題を一人被って解決しているんだから、狭い大人社会のどうしようもないのもはねのけて、大人になるまで生き延びて外の世界の自由で活躍できるを味わってほしいなあと思った。田舎によくありがちな村社会的な陰湿な構造だったりするが、そういうのを幼少期から経験させる年配者たちというのも存在自体が日本の将来のためにならない。
一方で、ミシンの準備を一人分かってしている女の子がいて、教頭先生がすごい高い評価をしておられるが、準備ができたとたん、遊んでた男の子たちがミシンを、「おいどけ」といって1番に使い始め、準備してた女の子がそのミシンを使い始める前に、チャイムがなってお昼。
こんな理不尽なことは子供が子供時代に経験するというのは気の毒すぎて、チャイムがなって他のみんなが給食の準備だと動き始めるも、林与は少しでも縫えるように付き添う、女の子も焦っていて、それも分かるから「大丈夫、大丈夫」と応援しながら付き添う。ある程度まで縫って、後は家で縫うから、「あなたはほんとうにすごい」よと能力有りながらすべての苦悩を背負ってるのを感じる。
校長室にいくと、校長先生が、「困るんですよね、時間くらい守ってもらわないと、府警から文句があったらどうするんですか」と、言い訳もしたくないが、気の毒な女の子に共感できるような校長先生でもないから、「事情も説明せずに、本当にすみませんでした」と謝って終わる。
翌年別の小学校に行くと、学年主任の年配の先生が母親の実家の向かいの方で、ほんとこの学校の子供はやんちゃでご迷惑おかけしますと、でも、すごくいい雰囲気のクラスが多く、でも、最後に校長室に呼ばれると、この前の校長先生が転勤されていて、えっ、これって何なのと思ったが、転勤されて、新しい小学校にということらしい。なぜか、今回は私に対して非常に丁寧な対応。小学校のトップじゃなく、現場の年配のまともな先生のほうが力を持っていてまともな感覚があったということ。
でも、その学校でも新任の一人の若い先生が、子供たちに一言の自由な感情もださせずに、校長先生の影響だろうと思う。年配のまともな先生は校長先生でも押しつぶせないが、新任の先生が校長先生にいちびられいうこと聞くように仕向けられている感があった。犠牲になるのは生徒たちで、4クラスの内、一番メンタルが弱そうな担任の先生だけが、ひとことの自由な発言もゆるさないみたいな戸塚ヨットスクール状態。
校長先生が仕切ることができないので、弱い新任の先生をターゲットにいうことを聞かせてる結果なんだろうと思えた。よくある大人の事情で、責任老いたくないできないトップ程弱い連中をいちびって手下にしてその犠牲が生徒、1年とか2年地獄が続く。担任の問題化もしれないが、校長の問題だろうと思えた。
好きに自由にさせて無責任な校長ほどまともにやろうとするのを縛ろうとして自分個人の評価を気にして、子供たちのことを考えてもいない、村社会のなかで有力者に媚びて生きる人生観なのだろうけども、子供たちが犠牲になって、まともな教育が教育委員会や校長レベルからして小学校にないのを感じた。
校長が親から自分の立場を脅されているのは分かるけどもそのしわ寄せを小学生に解決させるというのはあまりにも理不尽過ぎて、教育って上層部ほど保身で腐ってるなあと本当に思え、小学生の手本にもならない。
たぶん、そのミシンを準備した女の子が自殺などせず生き残れれば、小学校の校長でも逃げて解決できない現場の問題を一人被って解決しているんだから、狭い大人社会のどうしようもないのもはねのけて、大人になるまで生き延びて外の世界の自由で活躍できるを味わってほしいなあと思った。田舎によくありがちな村社会的な陰湿な構造だったりするが、そういうのを幼少期から経験させる年配者たちというのも存在自体が日本の将来のためにならない。