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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

4月も終わり

2011年04月30日

4月も今日で終わりで通常ならバタバタの月末なのですが、連休中ということもあって月末を感じません。今日、コメリというDIY型の資材関係を取り扱うお店に行きました。ゴールデンウィークというのは兼業農家にとっては休みではなく、総出で仕事をするタイミングです。そのことがあって、日ごろがらがらのお店の駐車場にたくさんの車が朝から止まっていました。

近江湖東では機をもって嫁いだといわれるほど機織というのは、農業が夏の仕事なら機織は冬の仕事だったのです。兼業農家のみなさんが各自の田んぼを守っておられるものの、農家のみなさんが機織を続けるというのは想像もできないところだと思います。機織をされる方が少なくなった理由も難しくはなく、物流が進み、一般的なものを買うほうが安くなった時代に自分でものを作ることがどこまで意味があるのかということだと思います。

兼業農家の方も、60歳も後半から70歳以上の方が田んぼを守られていて、自分で作ったお米を自分が食べるというところの大きな意味を感じておられるから続いているのだと思います。近江牛、近江米、近江上布などが’近江’の冠を持つ近江の特産品大事扱いされてきたのですが、これらはどこの県にでもある農業のアイテムなのです。玉ガセなんて、’笠地蔵’にでてくるような農家がつくる農産物で、紡績という技術が確立されるまでは当たり前に日本中の農家の多くで内職的に行われていた作業だったと想像されます。江戸時代以前は、日本中の着物を支えるのがすべて手作業の時代だったのです。

このことは、電気という発明が世界のすべてを変えたといえます。夜に昼と同じ生活が出来るようになったのも電気のおかげです。明かりを取る蝋燭や暖をとる囲炉裏、火鉢などが貴重品として扱われていた時代に終わりを告げさせたのです。今は手間だと思うことが当たり前の作業だった時代で、日本人も火を炊いてご飯を炊いたり、お風呂を沸かしていたのです。そういうスタイルが時代遅れでかっこ悪いなあと思うのが過ぎ去って、贅沢だなあと思える時代になったのではないでしょうか。

今の時代、自然の恵みはありづつけ秋には柿などもたくさん実をつけますが、こんな田舎でもそれを採って食べる人々がいなくなりました。誰も管理していない工場の柿の木ですが、おじいさんの頃には、この柿の実も非常に重要な食料であったと思います。甘い柿だけでなく、渋柿も干し柿用に植えてあり、お茶や梅も植えてあるのです。小さな頃には、梅干をつくったり、干し柿をつくったり、夏の前に茶摘もしていたのを覚えていて、その作業というのはわが家では農業と機織とともに江戸時代以前からも何百年も続いていた作業だったのでしょうが私にとっては子供の頃のおぼろげな記憶の世界のものになりつつあります。

そういうのって、本物の味を知るためには大事だったりすると思います。梅干なんて塩漬けのようにしょっぱいので体に良いか悪いのか分かりませんが、あれは、本物の味だと思います。昔、家の蔵からその当時でも何十年前のものかもしれませんが、ムカデの大きいのを油か酒につけて薬にしたものや、たぶんマムシをお酒に浸けたものなどありました。昔の人がそれを本当に飲んだのかどうかは分からないのですが、そういう珍しいものが取れたときにはいろいろな知恵のある人に教えてもらって形にしたのだと思います。そういうのを残してもらった次の世代は処分するのにも困ったのですが、昔というのは自然との付き合いこそが人生だったんだろうなあと感じるところです。買うということよりも作るということを大事にした時代だったと思います。


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