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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

子供の日

2015年05月05日

子供の日なのに、今日も仕事しながら車で外を何度か走ったが、子供の姿あまりみかけない。田舎では高齢化が進み過ぎて子供は引っ張りダコで、忙しすぎて、こどもの日に道端で遊ぶなんてことも少なくなっているのだろう。

今日は、織機の移設に際して、工場の中にどのように配置するのかとか、工場だけでは手狭なので近くの空き工場を借りてそこにも設置を考えているため、高さなど大丈夫か調べた。

私としては人が少なくなっている分、織機の台数というのは余計に必要になる。できる限り多くの台数を移設したいと思うなか、限られたスペースにどこまでうまく詰め込むことができるのか。今、元気に動いている織機もできるかぎり残して、作業する人が少なくなる中、多様なものを作れるように環境を残したいと思う。

今の時点では自分が将来、織機を片付けたりすることを想定もせずにできる限り動かし続けることを考えたいと思っている。アウトソーシングとか、リスクヘッジとか、のまったく逆の考えで、自分でやって自分で重荷を背負ってみたいのが、なくなりつつあるのでよいんじゃあないかと思う。

今まで織機をまもってこられた工場の経営者たちはまさにそういうものを正面から受け止めて、ものをつくる環境を自分の体を使って働くことで守ってこられた。機械を譲り受けるだけでなく、そういう立場の人というのが消えていく流れの中で、機械もさることながら人という要素が強くなければ残りえないだろう。

今日も織機を8台ほど動かしているなか、そのうち6台の調整が必要となり、中途半端な気持ちではその一台も調整することはできないだろう。誰かが直してくれるの期待していたり教えてくれること期待しているようでは仕事なんてやめたほうがよいだろう。できる限り自分の力で取り組んでみることが、最終的に意味のあることなんじゃあないかと思える。

とことんまで追い詰められて救う神にであえることもあろう。最初、シャトル織機を入れ戻したときも、10台のうち9台がまったく織れないというような状況で、何十縦もの見本を受けて本生産の予定が先にあった。そこで、見本をなんとか乗り越えた後で、答えがほんと偶然見つかって、織れなかった9台が順調に織れるようになった。紙一重のところで、神の気まぐれに助けられることもある。

機械を動かせるようになるのは最初のところで、食べていくためには感性を形に変えるようなところがないとならず、また、織物の設計というのは将棋とかの世界と似ているなあと思える。また、単にデザインだけでなく、商売としての勝算をもって見本をつくる。勝負師的な要素が必要な気がする。自分が張らないと他人任せだと商売が始まらないことも多い。


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