for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

無理なこととか

2015年05月04日

たとえば、土地神話、年金、終身雇用制度、財政赤字、年功序列型賃金制、しいては、高速道路、原発、全頭検査、地球温暖化問題とか、共通するのは無理な考え方で、どうしても成り立たたないのだが、その場の勢いで行ってしまい、無意味な領域まで発展してしまう。

土地神話の成り立った背景には、信用創造の仕組みが機能していて、年金を当てにしたり、年功序列型賃金制、終身雇用制度などの相乗効果がある。金融商品など適切な説明が大事だとされるが、国とかの制度は正しい説明がなされないことが多い。後で問題が起こるのを承知でその場しのぎで逃げるスタイル、そろそろやめにしないか。次の世代がいびつな構造の中で生きないとならず可哀想。

原発なんかでも爆発することを想定して推進するべきだが、爆発する想定だと国が認可できないということがそもそもの矛盾なのだ。爆発する想定こそがまさに安全意識というものだろう。危険の存在を否定することのどこが安全意識なのかと思えるところで、危険は危険でそれに注意をすることが大事ということ、危険そのものを無くそうとするから矛盾が生じることも多い。

爆発した後も放射能の拡散データを隠匿するなど国民の人命や健康被害よりも、推進してきた国や電力会社の保身が優先されたというのも恐ろしい話なのだが、自らの保身のためには何十万人の健康や命すらもどうでもよいという姿勢が感じられる。情報の開示という面ではチェルノブイリのほうがまともだったろう。

石棺化で多くの犠牲を伴ったチェルノブイリを馬鹿にする風潮が日本にはあるが、福島も似たような運命を辿る可能性は高かった、紙一重に、人が完璧でなく地下から大量の放射能物質が海に漏れ出したことがチェルノブイリ化を偶然に防げたというだけのこと。今、放射能が海に漏れ出すのを防ごうとするなんて、本質に気がついていないのではと思うが、放射能を留めてどうやって収束するつもりなのか?内外の非難は浴びるだろうが、母なる海に助けを請うべきだろう。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内