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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

仕事の奥の深さ

2015年12月18日

仕事の奥の深さというのは、技法とかではなくて、やはり哲学的な部分だろうと思える。芸術にしても見た目の驚きや美しさというのは一元的なもので、その作家に哲学があるからそういうものが出来上がる傾向にあるのだろうと思える。

日本のものづくりとかいうときに、日本らしい仕事のスタイルってなんだろうかと考えると、本来、ものさしや計算機を使わない世界が職人の世界なのである。教えるとかがないのが職人の世界で、目で仕事をみて、あとは体が覚えるまで仕事するという形。職人を育成するのには学校教育とかは逆に邪魔な世界だろう。

一方で今の織物の仕事というのは、正確な再現性が要求されるので、数値管理が非常に大事である。織機の構造が理解できないと難しいことができなかったり、糸量の計算ができないと準備すらもできない。今は、中学生の数学のテスト問題でもこれよりも複雑なことをやっているような気がする。

アナログとデジタルという表現に落ち着くのかもしれないが、冒頭の美しいとかはアナログの世界、哲学はデジタルの世界に近いと思う。その両方がプラスとマイナスをなして成り立つ世界なんだろうと思える。仕事って根底にはお客さんがいくつもある選択の中から選ぶのだから、一番合うつくり手から物を買うというのが一つの形で、買われない作り手というのは、自然に淘汰されていくもので、それを駄目なことだといってしまうと、おかしな世の中になっていく。

機屋が廃業していく流れの中で、地元でも金襴を織っておられた機屋の社長は私の同級生の親父さんで、毎年新しい設備を入れられ、働く人の環境も整備されていたけども、社長がなくなられると誰もその社長の役割を果たせるような人が中におられなかったのだろう、社長が亡くなられ廃業された。

私がシャトル織機を入れ戻して織っているというと、そんな後ろ向きのことしてたらアカンでと親身に意見をくださっていた。結局は設備の問題ではなくて、人の問題に尽きると思える。人を養っていく覚悟のある人がいるのかいないのかというところ。人を養っていけないなら一人でも仕事をできる覚悟のある人がいるのかいないのかあたりが、ほかの機屋さんが最後綺麗に片付けられ廃業されたのをみても機屋の続く続かないのあたりだろう。

浜松のシャトル織機の120台を有している織物工場が綺麗に終わられる形でその会社の社長の言われるとおり、それはなかなか出来ないすばらしいことだと思える。誰かほかの人が引き継いでも、技術とか設備じゃなく、覚悟的なものが伴わないと経営の波を乗り越えていくことは不可能だろう。


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