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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

福井

2016年11月17日

今日は午前中、現場にお客様。午後から福井で、ミラノウニカのトレンドカラーの打ち合わせ。ミラノウニカのトレンドの理解は難しい、カラーは理解できても柄の説明がイメージしにくく、近江上布のアーカイブ柄の中の候補を、ミラノウニカのトレンドカラーのどのカテゴリーに当てはめてるのが適切なのかが難しいので、柄をそれぞれ当てはめてもらう。それが終わって、私が一番最後の会社だったのでちょっと雑談。そのあと、しらさぎに乗り遅れて、普通と新快速で能登川に戻って夜10時半に出荷を3件終えた。敦賀から新快速一本で能登川まで帰れてそんなに不便ではない。

福井駅周辺は初めて訪れたが、繊維の街という印象。特にシルクが有名。めがねも有名。福井というと滋賀県よりも田舎かと思いきや滋賀県のどの町よりも駅周辺に関しては都会的で滋賀県の田舎さを実感する。滋賀県は本当に田園に囲まれた農業県で商業の町ではないということを実感する。

近江商人は、次男三男が、外に出てビルを建てて商いをした。滋賀県には他の県の商社などの拠点がきわめて少ないということに気が付く。今は工場は多いが販売の拠点とはなりえないということであろう。滋賀県でお店などの商売が難しいのもそれに起因しているからかもしれない。近江商人が出身の地で作られたものを全国で売り歩いたということで、地元で名を成すためには、質素に薄利多売という商いでの中抜きを減らし、生産者に利をもたらしていたというところが近江の地が生産が強かった背景にもなるだろう。

昔の話をしても仕方ないかもしれないが鎖国という状況は、今で言う中国が日本の中にあったようなイメージ。滋賀県は日本の中で新興国的な位置づけだったのだろうと思える。しかも近江の大国荘というのは日本でも一番くらいに豊かだったといわれている。豊国村という名前もその名残りだったろう。たぶん、今はいろんな年配の方と話をしていても勤勉さも感じられず逆転もしてしまったと思うが、昔はこの地域の人はとりわけ勤勉だったのだろうと感じるのは、近江上布のようなものが小さな村から生まれていたということ。それが果たして悪いことだったのだろうかとおもうと、この村の農家の家の女性の誰もが、機を織らせたら今の伝統工芸士以上に腕も上で生産力があったりもした。自分を犠牲にして家族の将来ために自分の時間をとことん使うところが今の価値観と違うところだろう。それでどこにも負けないくらいの裕福な暮らしが村にはあった。それが普通になって過疎化に苦しむ村の現在。外の世界の下に敷かれ、他から助けてもらうのを考えていては過疎化も進む一方で駄目だろうと思う。

今で言う昔の価値観というのは、戦後の昭和の経済成長の団塊の世代的、サラリーマン的な価値観。それは世界共通で弱い。世界の先端の先進国でありたいなら人々が個の力が強く、他の人のために働けるような力がないと駄目で昔の本能的に生きてゆく当たり前の力を持った価値観が必要だろうと思える。


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