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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

ヒフミン

2017年07月02日

加藤一二三プロというのは、77歳で将棋人生63年を引退された。晩節というのは、プロとしてなかなか勝つことが難しい状況で、九段という段位というのは過去の記録に過ぎない厳しさがある。一方で、藤井四段は、中学2年生で、プロとなってからは公式戦無敗の29連勝を達成した。この意味は、将棋という世界がまさに実力主義の世界であるということを表している。大人が子供に負ける、アマチュアトップの東大生が中学生プロに負ける。

一方で、気になることがこれは超人的な世界であって常人の世界ではなくて、異常な世界であるということ。努力とかそんなのではなくて、見たものをすべて記憶し、想像したことをすべて頭の中で展開が進めてゆくことができる脳の異常的な部分が関係をしていて、マイナスに出なくてプラスに出たということである。普通に優秀な学生として社会にでてサラリーマンとなると逆に優秀すぎて社会に適応できなく落伍者となる可能性が高い。

オリンピック選手なんかでも、常人ではなく脳の異常が運動能力と関係していることが多く、一般的な精神力が高いというのではなく、運動に関して疲れないという特性をもっていたりするだけで、実際の1日の運送会社の責任感を伴うような仕事となると責任感なんてまったく見えず通用しない人がオリンピック選手でも多いものである。政治家なんかもそうで、普通の人のこころの優しさをもっていればできないような、違法じゃないからとモラルすらもない輩が多い。一般人は人としてのモラルややさしさがあるのに、そういうのが見えない人が国会にも集まっていて、小学校の学級会議のほうが人としてまともだったりする。アメリカの議会なんて裏ではロビー活動があったりするが、議会の議論自体はまともなところ多く、日本の議会は裁判所で犯罪者がいうような覚えていないで逃げるが多すぎて、脳の異常を感じたりもする。

富岡製糸場が、理想でありがなら現実的にはうまくいかなかったのも、官製にありがちな人としてのゆがみがあって、良家の娘さんたち限定で楽に働いて良いイメージでというのがあったからだと思う。結局、出来上がったものの品質面でも劣ったのではないかと思う。家族を支えるために必死に働く貧しい農家の娘さんたちが働くほかの工場に負けるのも当たり前で、今度は、そうやってがんばっているところを潰すことが富岡製糸場を正当化するために必要となってくる。そもそも、貧しいものを見下して面倒も見ないのに貧しいものにチャンスを与えることすらも潰してくる。国も吸い上げるばかりで飢え死にするくらいなら、野麦峠を超えるは天国だったであろう。当時の日本の農家の一部はまさに今の難民状態であったのであって、そういう人々に対して、吸い上げるばかりの国とは反対に、5年働けば家が買えるとかのチャンスを与えたのが民間であった部分も理解しないと、当時の人々の苦労の本質は分からないだろう。

農家だと野麦峠以上に働いて食べて行くのも難しい、野麦峠越えれば同じ働けば豊かな生活。国というのが良家の娘さんたちにしか良い条件の作業場を与えずにそれを世界にPRして、実際には貧しいものから吸い上げたお金でそういう贅沢な官製の工場が成果もなくなりたっている。富岡製糸場は、世界遺産にもなったが、人生の痛みを知らない人々の贅沢な理想のものづくりの象徴ではないのかと思える。富岡製糸場も払い下げられて建て直し、結局、行政が投げ出したものを、民間が責任を被って保存してきた部分がある。


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