for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

自動運転と退化

2018年01月04日

自動運転になると人々の運転能力は退化すると思う。手織りとかだと自分の責任だけど。力織機になると織機の責任にしてしまうから。たとえば、今も能登川駅近くのレール下は、車同士がすれ違えるかすれ違えないかの状況、電動ミラーをたたむ必要すらある。普通自動運転の状況だと、前から車がくれば通れないという判断をすることになるだろう。実際、大きなトラックが前からくれば完全に通れない。

これと似た状況が、工事現場。カーナビにも登録されていないし、人が旗を振っているだけの状況。人が旗をふって行きなさいとか止まりなさいを人がどこにいるのかなんてのもAIが判断するのだろうけども、判断ミスはもちろんあるだろう。片側通行で正面衝突事故につながる。危険な状況か危険でない状況なのかを切り分ける必要性。

面倒くさい者が勝ってしまうような状況をつくれば駄目だろう。たとえば、1車線の道で、自動運転の車と人が運転する車。自動運転の車は止まるだろうけど、バックして譲ることが可能かどうか。自動運転の車に乗っている人はややこしいことにちゃんと対応できるかというと対応しにくくなってて、相手がバックして譲ってくれるのを待つだろう。なんとなく織機を修理するのと似ていて、普段調子よく動いていて動かなくなったときにそれが何が原因なのかまず分からないのが普通で、自動化すると織機を修理する力が必要となってくる。

手機のときには単純な機構で人が織っていたから織機の問題は少ないが、自動化すると複雑なメカニズムを持つことになり、その面倒をみるのが織機を扱う人の仕事となる。素人でも織れるレピア織機というのは、調子よく織れているときには簡単なのだが、なかが電気でセンサーがたくさんついていて動かなくなったときに電気的な働きが見えないのでなにが原因なのかわからない問題がある。今まではなにかおかしいときに自分のなかの原因を探すのに機械が悪いという結論に達してしまうことも多いだろう。

自動運転の車の行動を読むメカニズムが必要で、今はいろんなメーカーが自由に自動運転車を開発できるが、自動運転のシェアが大きくなったときには、今のコンピュータのように、中の制御プログラムは、ウィンドウズのOSとかアップルOSかみたいに1社2社に収束してゆくだろう。自動運転車同士のプログラミングが見え、協調性をとっていないと、交通システムが動かない状況に陥る。数台が協調して動き解決しないといけない必要のある交通事情もあるから。人が自動運転の車の行動を理解しないといけないというのは厳しい話である。自動運転車は人が運転する車に道を譲らないといけないルールか、人が運転する車は自動運転車に道を譲らないといけないルールが存在しないといけないような、何が正しいのかを定義するルールの必要性がでてくるであろう。あと緊急自動車への対応もできるのかとか。

テスラの死亡事故問題でドライバーが警告があったのに手をハンドルから離したままだったからドライバーの責任だとテスラはしているが、結局、車が安全に自動運転で走ってくれていればいるほどそういう人は増えてくるだろう、織機でも自動で動いている織機を人が問題が起こったらいつでも止められるようにストップボタンに手を掛けていろ、みたいな状態は逆に苦痛だから。自動車を自分で運転するのも苦痛になるようだと運転しないほうがましなのではないかと思うのは私だけだろうか。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内