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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

普通

2018年12月06日

この前、丸亀うどんを半年振りくらいに食べた。丸亀うどんも地元に登場したときは衝撃的だったけど、今は誰もがいうのが普通みたいな話。ぜんぜん悪くないと思うけど、そこまでしていても普通に思われてしまうのは厳しいくらいの話。かけうどん大を食べてかわら版もらえた。中に100円割引とか、半額とかの券が付いている。経営努力がすごく見える。つゆかけご飯が載っている。だしは無料だから、130円のご飯を頼めば楽しめるということ。

同じく幸楽苑というラーメン屋さんもあったけど、290円のラーメンで、1000店舗を目指して今は縮小気味で、彦根も閉店した。コンビニもそうだけど閉店するところが増えている。広がるときというのは簡単なんだけど、縮小するときが難しいんだろうと思う。フランチャイズは雇用じゃないから広がるんだろう、だがフランチャイズ加盟店の経営の現実は厳しい。裏と表の世界が逆というだけで、表が業績好調なときでも裏は成り立っていないのである。やれば儲かるという言葉にのせられた投機的な側面が大きい。

見える側面と見えない側面、日産の件でも、日本人の経営者が雇用を守ろうとして業績が上がらないケースがある。当たり前といえば当たり前で、日本の経営者だと雇用を守ることが一番であるかのように行政が存在する。結局、外国企業に身売りする以外に方法がなく、外国人経営者が何千人のリストラやコストダウンを強いて当たり前に業績の回復で、行政もニコニコでマスコミ的にも美談なのが、なんか一貫性もなく経営の難しさだろう。自由な競争ができれば日本企業も生き残れるだろうけど、行政の内弁慶な体質がつぎつぎと経営努力をつぶしているところがあるだろう。見方さえ変えれば日本人的な経営というのは雇用も守ろうとし一人が何十億も取らないでそれをみんなに分配して分かち合う要素は大きい。

特許がどうとか商標がどうとか、人がつくりあげた実質のないものだけが法律で守られて企業価値みたいな形で、売買されてそれで終わりみたいな。今、中小や零細企業の後継者の問題があるけども、そういう企業M&Aの売りが、儲かっているのに廃業だからもったいないみたいな感覚。その感覚で後継者を見つけると難しいだろうなあと思う。

そういう企業がオンリーワンで生き残っているのはその経営者の人の部分であろう。私の同級生の親父さんがされていた10人ほどの従業員がおられて福利厚生もしっかりと自慢だった経営者の織物の工場が、経営者がなくなられると廃業というのも良く分かるのである。面倒を見る側と面倒をみられる側、面倒を見るものがいなくなれば終わりというだけのこと。本当は、中で面倒を見る側に育っていかないといけないのだろうけども。育てるということあきらかに難しいのが日本の国の行政的な考え方。面倒を見る側の人がどんどんと減っている。

行政が、企業後継者を探そうとしても、面倒を見るというところできる人を見つけないといけないのだろうけど。そういう重い部分に目は行かないだろう。私自身、ある織物工場から頼まれてお客さんが困るから織機を譲るので続けてもらいたいという話があったけども、みんなが同じ感覚だとものごとは運びやすいが、感覚が異なると物事はうまく行かないものである。私が動こうとしたのも儲からない仕事でも失われた50年前の世界が残せるだろうから引き受ける価値があると感じたからだけのことで、引き受けること自体が一肌脱がないと駄目な誰もが逃げる重荷なのである。

マイナスで働ける人しか引き受けられないような面倒を見る側の世界。そういうのが普通だったんだろうと思うが、面倒を見られる側が面倒を見る側に回ることがなくなるとそういう社会は続かないわなあ。サステイナブルな社会を目指すというのもそういうあたりが本質なんだろうと思う。エコでよく言われるのが、育むということだけど、育くものと育まれるものの壁が出来てしまうと、終わりなんだろうと思う。育まれたものが育む側に回るようになってこそサステイナブルな流れにつながるのだろうと思う。


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