for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

オーガニックと矛盾

2019年03月15日

児童労働というと悪いことのように思われるかもしれないけれども、インドのオーガニックにしても子供の頃から作業をすることで、世界で一番注目を浴びるインドのオーガニックの世界が出来上がっている。子供の頃から作業することをしなくなれば、大人になって作業しろとかいっても、ミミズや牛の糞を触ることすら拒絶反応が出てくるだろう。日本でも学校教育が普及すると農業や労働集約型の産業は廃れ、どちらかとうとハイテクとかサービス、特許とか認証とかの世界に移って、実際の現場の作業を低く見てしまう傾向になるだろうけど、大学で勉強する以上に高度な農法に子供のころから接しているだけのことで、生きて行くための力を子供のころから身に付けるつと言うのは教育以上のものであることも多い。たとえば、学校で勉強しなくても家で服を作れるようになるのと、学校で勉強した子が大きな工場で本縫いミシンだけしか縫えない単能工に育つのとの差があるだろう。親が子供を育てるという基本部分は一つのオーガニックではないのかとも思う。

オーガニックを持ち上げていても日本でも自分がミミズや牛糞を扱うような農作業を避ける人がほとんどだろう。遺伝子組み換えの必要性が生まれてしまうのだと思う。オーガニックと遺伝子組み換えは相反する概念だけど表裏一体的な存在でもあると思う。学校教育を受けたとしても誰かが一般的には底辺に見られがちな汚れる作業を行ってオーガニックが成り立つのである。学校教育を受けたからといって国によっては職業選択の自由が認められていない部分も大きく、そういう国では農業に携わる人々は残り続けることになる。そういうのに支えられている部分があるのもオーガニックの一面で、オーガニックで普通の理想を求めるとオーガニックの自己矛盾に陥ることにもなる。テキサスの人造的に思える大型機械を使ったオーガニックですら、これなら学校教育を受けたものでも引き継げそうな形に見えても、継ぎ手はなかなか見つけ難くくサステイナブル性は低いのも、日本でも大学教育を受けて田舎の行事や考え方が難しいのと似ているだろう。

ベトナムに行ったときに子供が織物の作業をしていて、大人は井戸端会議。一番駄目な社会構造だけど、国や役人や認証機関にも共通するところがあって自分たちがクーラーの効いたところで認証しながらは現場は自然との戦いで過酷では駄目で、オーガニックを支える体制が偽善で終わり支えられないだろう。自分自身が問題と向き合って解決する姿勢が必要。児童労働を批判するものが子供が労働していることを担えるのかというと、批判はできても自分自身が代わりにするということは難しいもので、日本でも今の年金制度なんてのは児童労働みたいなもの。生まれてくる子供たちに自分たちの面倒をみさせようとする大人は多いのである。

大人よりも子供のほうが仕事が真面目に上手にできたりする。日本という国も高校大学の教育が普通になったけども、そういう新興国の教育を受けていない子供に負けてしまう日本の大人は多いだろうと思う。新興国でも学校教育が始まると子供の力は落ちる。教育というのはできることを制限する部分も大きいから、新興国の中卒の子と大卒の子では、大卒の子のほうが仕事すると子供の能力だったりする。日本でも大人は普通の人はミシンできない人が多いけど、子供は初めて触って教育を受けていなくてもミシンを使いこなせるのである。言語と同じで、後からではなかなか難しいのが器用さの習得。

GOTSには有機栽培の規定がないのに、GLOBAL ORGANIC TEXTILE STANDARDというのも、オーガニックを有機栽培と捉えるときに、大きな矛盾を感じ、スタンダードとはいえないのを感じながらも、オーガニックは標準化すること自体が駄目で、みんなが信じている3年間化学肥料、殺虫剤、枯葉剤無使用も、現実的には不可能なことも多く、今は移行段階での原料を使うこともGOTSは内部的に認可しているのが、最終消費者が得る3年間化学肥料、殺虫剤、枯葉剤無使用の情報とは食い違い、エコやエシカルなことをとるのが基準を取るのかで判談は分かれる。消費者が最終的なオーガニックかどうかの判断者であればよいと思う。オーガニックかどうかよりも生産者を思う気持ち的なエシックスが先にあるべきで、生産者が正直にベストな気持ちで作ったものをものづくりを受け入れられなければ、謳いや基準そのものが偽装につながるケースも多いだろう。

オーガニックで苦戦するは織物の現場も同じで、正直にオーガニックの糸なら織るのにも問題は多くなる。リネンにせよラミーにせよ、糸がまともに織れないに遭遇してしまうのである。一般的な概念ならこんな糸は駄目ということになるのだろうけど、糸を捨てることは私にはできないから、その糸をどうやって料理するかをその都度考えるのであって、工程はその度に変わるのである。オーガニックな糸を使うために、非常に柔軟に使い手が対応して問題も多い本当のオーガニックが守られるんじゃないかと思える。オーガニックの原料をつくるというところも、本当の自然との闘いなら通常の農業でも不作もありで、オーガニック栽培ならなおさらなので、機屋にしろ使うものは農家以上の苦労があってしかるべきなんじゃないかと思えるのである。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内