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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

保身構造

2019年04月10日

ボーイング社の問題で、今回は本社内の開発の問題だったから保身的な構造が働いたように思う。もしもこれが外注部品だったら、ボーイングは失われた命に対する損害や営業上の損害などすべてを外注先の企業に責任を負わせていただろう。本社が問題の根源であるときには、社会的責任は逃れるような対応となってしまうのである。外注部品の問題なら徹底的に外注先に責任を追及する形になったであろう。同じ事故でも本社か外注先かでボーイング社の対応も変わってくるのである。

外から見ればおかしな話だが、責任を逃れたい気持ちは分かる。JR西の福知山の事故でも、JRの人間が130kmで脱線するはずが無いから置石だと、脱線直後から早々に置石説を広めた。100kmを越えるスピードでカーブに突入した運転手個人の過失みたいな話になったが、130kmで脱線するはずが無いというJR技術者たちも含め大きな問題で、重大事故ほどとりあえず問題から逃げようとする構造がある。一番安全な、本部の人間ほど責任逃れの傾向があるのである。

一回目の事故でもボーイング社の中には、MCASの問題であるとう認識はあったであろうが、自分でそれを公表することはしない。人の命を奪った事故ですら、自分の責任を認識できない体質が存在し、2度目の事故で言い逃れができず、事故の責任がMCASにあることを認めた形。安全意識とはほど遠い責任逃れの体質。もちろん、飛行機開発には問題はつきものなのだが、隠匿的な部分がみえ対応を怠ったから2度目の墜落事故が起こった。

MCASの度重なる問題を公表もせずに、1度目の事故が起こり、1度目の事故後も隠匿し、2度目の事故で、ようやくMCASの問題を認める。タカタがあれほどまでにアメリカで叩かれたが、ボーイング社はアメリカの国がらみなので、ここまでむちゃくちゃな対応していてもアメリカの政治に潰されることは無いだろうし、逆で、国家的な保身で守られる。

飛行機のメーカーとしてはボーイング社が世界で一番だろうと思うけども、いざ事故が起こるとこんなものなんだなあという印象。ボーイング社的には自分の問題で落ちてもそんな程度の話なのかと。人が多く働いていると自分の責任だとは感じないというのは仕方ないことなのだろうけど、ボーイング社自身が責任を取らないといけない問題なのであるが、また、上から目線でサポートするとか、注意喚起とか、本来ならリコール、返品の話が普通だろう。ソフトウェアアップデートの話もお粗末で、3度目の墜落が起こっても仕方ないと思う。離着陸という一番のパイロットにとっては緊急時に、頻発するMCASの問題をパイロットが解決しないとならない問題。そんな緊張時に、パイロットの意図と反して逆に動こうとする自動制御に何の意味があるのか。違和感ばかりの操縦になってしまう。MCASは間違っていないという主張なのだろう。たまたま意図しない要因が重なって事故が起こっただけにもっていきたいのだろうけども、MCASはパイロットの正しい判断を損なわせる効果があって、致命的な欠陥であって人の命を奪う原因になってしまう可能性の高いものである。AoAのメンテナンスの問題にすり変えたいようだけども、なぜ左右のAoAの値がタクシーイングの際にずれていることがそもそも想定に入っているのかも不思議すぎ、左右のずれ1度でも駄目じゃないかとおもうが5度も許容範囲とか。人間の感覚のほうが5度のずれを的確に捉えることができるだろうに。人間の感覚よりも鈍いセンサーが飛行機制御のデータを送り飛行機が動かされてしまう。

実際に乗って飛行機が2度落ちて人が死んでやっと改善されるプロセスでしかないのも体制としてはおかしな話。マニュアルの不備の問題よりも、人間が手間取らないように自動化しているのにそれを余計にマニュアルで人間が理解して無効化するとかの話は、自動化の意味すらも不明。離着陸の一番事故が起こりやすい状況で、パイロットが自動操縦の問題も解決しないといけないとなると何十秒かの負担が増えている。自動操縦が人命を脅かす操縦動作を頻繁にしてそれを人間が正しく補正しないといけないなんて、最初からないほうがましそのものだろう。プログラム開発の人間は、ゲーム機のようなコックピットシミュレーターで飛行機が落ちる緊張感もなくシミュレーターを操縦し開発しているんだろうなあと思う。実際に時速500kmで海に突っ込むときに、機械に逆らいながら自動操縦を解除する、解除してもそのあとに復帰しないといけない問題が、誤動作しがちな装置なんて最初から付いていなければよいだけのことなのに、規制というものはそういうものを付けたがるもので、人が死んでも規制のほうが大事となるようなことも実社会ではありがちで、保身構造というものはそういう根本的な危険をはらみ、人が死んでも痛みすらも感じないものたちが存在する。パイロットやグランドオペレーションに改善を求めるよりも、ボーイングに問題の責任と改善をさせるのが筋だろうとFAAのあり方にも問題を感じる。


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