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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

小さな枠

2021年02月09日

親からは田舎のしきたりみたいなことや業界の古いことは親が教えられても、外のルールは外の人が教えてくれたみたいなところがあって、狭い世界に縛られていると外で通用するような人間はできにくいだろう。そういう田舎のしきたりみたいなことや業界の古いルールはいつの間にか消えてゆくようなものでそれに次の世代を一生懸命にさせるよりも、自分自身が新しいものごとに挑戦して仕切り屋のいないところで、ものごとをやっていかないと立ってゆくのも難しいであろうと思う。

業界でもなんか前向きにやろうとしたらこれは駄目あれは駄目とか他人が口を出してくることが多い。嘘とか偽装は駄目だろうけど、ほんと前向きな期待されるような新しいことをやろうとしてもやらない人からこれは駄目あれは駄目が多い。人間関係を勝手に作ってしまっていて、お前はワシよりも下だぞ見たいな感覚がそういう人には充満しているんだろうけど、そんな程度の人のいうことを聞いていたらその程度に終わってしまって、自分自身がその程度のことをいって次の世代をつぶすことになる。

糸を自分が輸入することにしても、糸商から自分を通して買ってくれの話があったけど、糸商の話を聞くと小回りが利かない話ばかりか、私が覚悟して仕入れる話なのに便乗して他にも売るみたいな話だったので私自身が覚悟決めて動く意味がない。世話になっている糸商さんでも従来の糸はそのままのルートで特別な糸は自分のルートで仕入れることに。残念ながらその糸商さんもその後に廃業されてしまったが、やはり自分の思ったことが自由にできないと今の時代には通用しにくいものである。

京都の問屋さん関係ももう20年前に取引していたそこそこの規模のところはすべて業を終えられた。そういう時代が見えないと、お世話になっていたのに残念な話ではある。先代でも問屋さんにいって修行してこいみたいな感覚だったが、そういうのに違和感がないと次の時代には残れないのである。売り先がなくなったから売れないで終わるとかじゃなく、普通に、自分で作って自分で売るという当たり前の商売の基本の部分に戻ってやっていけばよいだけのこと。そのためにはそれができる力のある人が必要になってくる。

一つは田舎という立地で消費者の方とは遠いけども、時代の流れはネット社会で世界中の誰とでも家にいながらコンタクトを取れるような話で、そういうのについていかないと田舎の繊維の仕事すらも難しい。小さい枠のなかの序列に縛られていては小さい枠すらも消えゆく運命。小さい枠を意識せずに外と自由に交流してやってゆけないといろんなことは難しいものだと思う。


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