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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

あんたちゃんとしなさいの人たち

2021年05月10日

今日も母親にいうのが、私が2歳3歳のときにちゃんとしないさといって今も少しの仕事も面倒で嫌な親の世代。田舎社会だと自分の子供が自分のもの感覚で自分たちの面倒を見させる役。自分の子供だけでなくほかの家の子供が自分の面倒をみるとおもってたりが普通の感覚で、逆にその辺りはわきまえるべきなのになあと思うことも多い。

戦争なんかも田舎ほど、地域の子供を自分たち可愛さに差し出した親が多いのも田舎のどうしようもない人たちで、人間味が足りないというか自分可愛さが立ちすぎて、自分の子供を犠牲に差し出して生きるどころか、ほかの家の子供までもが自分の道具。

それが地域社会的な和の精神。90や80の人がほかの社会から見ればどうしようもない腐ったような奢った感覚で自分が地道にものごとするじゃなく、ほかのものにやらせるというのがよいことのように、子供未満だったり。

私が20代の時にマルチは駄目だよと教えてあげたひとでも60過ぎてまだ人としては周りを考えていて、その上の世代で学校の先生もやっていたような人が世間知らずでほかの人を利用して自分ために子供たちが自分の考えた通りに動くとの想定で、それ以外だとその子供や親を批判する。

学校の先生でもない一般が引いてしまうような世の中。普通に仕事持った人が無理してそれを支えているのに、そういう人の代わりにはならずに、新しいことを立ち上げてほかの人を指揮しようとする。自由な時間があってうらやましいなあと思う。

ほかの人は自分よりも下で自分のために動くという感覚の公務員や先生たち、きれいすぎて恵まれすぎて浅すぎるような人生で、自分がほかの人のために働くとか底辺を経験するとかの覚悟すらもなく、上から目線。

母親にしても、自分自身が働く覚悟もなく、自分たちは大変だから子供を4人産んだとか、アホなこと一生言ってないで自分ら1日でも働けばよいのにと思うが、やらないひとというのはどうしようもない。

30代の時に、3日寝ないで立ち仕事で、4日目の朝7時に交代で昼12時まで寝るを1か月やったこともあるが、朝10時になると母親が、あんたいつまで寝てるのおじさん来ているわよ、の世界。家の中でも理解しあえない世界があってどこまで吸収しようとしても追い込んでくる。あんたちゃんとしなさいの人たち。


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