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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

勘一ちゃん

2010年07月21日

日本の麻織物の歴史というのも紐解いていけば数軒の家の歴史に過ぎません。誰がそれを守るのか守らないのかで日本の麻織物の伝統が左右されてしまうのです。私が家業に入ったときに、伝統工芸士の勘一じいさんが、工場の中で働いていてくれました。

いつも、お昼前になると、腹へったねえ、昼にしようと言われます。勘一じいさんは、数年前に亡くなられたのですが、胃がんで胃を切っておられ、胃に食べ物がたまらないので、おなかがすぐに空くのです。それでも、時間いっぱい働いておられたのは堅気な気質そのものです。

毎日仕事ができることを喜びのように感じておられ職人さんだなあと思ったしだいです。そんな伝統工芸士のおじいさんでも、織物に入ったばかりの私の言うことには絶対的に動いてくださっていたことをありがたく感じておりました。勘一じいさんは信心深く、戦争にも行かれ戦後アジアで抑留され他国での捕虜体験ももたれています。日本に帰って来られたことに感謝の念をもたれており、死なずして、年をとっても働けることや仕事のありがたみを常に語っておられました。75歳まで織物の仕事に携わってくださいました。引退後も、農作業や畑に精を出しておられ昔ならのお年寄りの手本そのものでした。

勘一ちゃんが亡くなられる一月ほど前に、懐かしそうに工場の裏口から機場を覗いておられたのを思い出します。勘一ちゃんのお兄さんは勘平さんで、兄弟して伝統工芸士でした。今も、お二人の作られた近江上布の反物を眺めると今の時代には不可能な良い仕事をしてくださったことを思います。そんな方が身内にいてくださることが不思議といえば不思議で、初代の与次右衛門じいさんや、与一じいさんが、近江上布の時代を華やかに繰り広げられることができたのも、中で職人を生み出すことができた時代なのだと思います。ものづくりというのは人間関係であり、人そのものなのだと感じる次第です。

よく物つくりはどこでもできるといわれる方がおられますが、そういう方というのは、人という要素に対しての評価が少ないかと思いますし、また、自分がものを作っているという意味自体の否定でないかとは思います。他を真似てひとつ、二つはできても、時代を超えて人々に評価されるものを作り出していくということは非常に難しいことだと思います。


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