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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

セコリ荘

2022年12月07日

糸編の宮浦さんから便りが届いて、創業から10年おられた築100年の古民家から事務所を移転されたそう。セコリ荘、コロナ前の5年ほど前に行っといてよかった、ほんと。なんか、行ったときに、山形のえりさんが個展されていて、セコリ荘の名物のおでんと一緒に、えりさんの手製の味噌汁みたいなものをごちそうになった。岩手のみちのくあかね会さんもそうなのだが、たたずまいからして味のあるところでやっておられたのが移転とかいうのは、残念な話であったりもする。

林与にしても、35年ほど前に、昭和の時代の工場を建て替えたりして、それはそれで便利になったこともあるけども、案外、失ったものも多いと思う。それまでの歴史が詰まったものを生きたままにしておけるとやってること自体が歴史のさらなる積み重ねなのだけど、場所が変わるだけで、建物が変わるだけで、守るのが前に進むのかの選択みたいなあたりが... つづけて守るために前に進まないといけない選択なんだろうけど、どこもが前に進むと小ぶりになるのが日本の繊維業界の特徴だったりする。

日本中の織物工場なども広い場所を必要としているので、生産量が減少する流れの中では維持管理というのは続けていけるようなものではなかなかなくなってきている。人の考えも硬直化してしまう傾向があるので、難しいまま硬直してしまってそれを乗り越えられたら難しいから抜け出せるのだけども、どんどんと昔よりも難しくなることが増えるばかり。

田舎の鍛冶屋さんとか大工さんとか、ほとんど消えてしまったけども。織物もその流れに向かっているんだろうと思えたりもする。今、インボイス制度なんかも、下請けでやって免税業者だったところが、課税対象になってより経理も複雑化して納税も義務になり経営は難しくなる。林与は株式会社でやっているので、経理なんかは会計士さんがみてくださっているけども、一番日本らしい産業の支え役である小さくても気持ちでやっているような方々への重荷は増してしまうだろう。

日本の繊維業界にしても、思い入れのようなものがあるからこそ、海外の量産品にありがちなビジネスライクとは違う価値観でつくられたあたりも評価の部分だったんだろうけども、そういうあたりも画一化されてしまうと、結局、業務的なモノづくりになってしまって、人の心とかそういうものはなくなっていくだろう。結果、日本のものづくりも海外のものづくりも同じようなあたりに落ち着いてゆく。

月島のあたりの下町情緒というのは、すべてが画一化されていく流れのなかでは、特別に見えたりする。タイムスリップしたような感覚。そういうのって、守ってゆくのは本当に難しいことで海外だとどんどんと壊されてゆく。日本はつい最近までそういうものをたくさん残してきたけども、一気に、壊し始めたのがつい最近のこと。築100年のものに住もうとか使おうとかおもう価値観が大事だったりはするんだろうけども、そういう価値観は尊重されずに、そういう建物が消えゆく流れにあるのは残念なこと。

地元の商店街なんかもその景観だけでなく、その中でまだ商いしている人がいるというのは、昭和という時代の演劇をみているようなもの。林与の現場にしても、もう40年、50年前のことを今もやっていて、昭和の時代のドラマのなかの光景みたいなもので、そういうのがまだ生きているってのは、不思議じゃないのかと思う。昭和初期の織物工場が丹後にのこっていたけども、それには私も驚いた、文化財的な価値そのもので、作っておられたのが風呂敷だけども、それを残してこられたということ自体がほんとうにすごいことだと思う。歴史的な資料ではなく、企業活動として生きて残っているのが本当にすごいこと。


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