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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2022年06月07日
江州というのは琵琶湖を指し遠州というのは浜名湖を指し、それぞれ「ちかつあわうみ」「とおつあわうみ」で、滋賀県は近江国と浜松周辺は遠江国と呼ばれた。都、すなわち京都から近い湖か遠い湖かというのがネーミングになっていて由来のあるネーミング。

子供のころ、江州(ゴウシュウ)と大人たちが話しているのを聞いて、オーストラリアの豪州(ゴウシュウ)とこんがらがって、自分の地域の人というのはオーストラリアに移民してたのかという不安に似たような不透明なものが渦巻いた時があったけども、今は、林与のある場所は麻織物の産地となっているけども、昔はまあ全国が麻織物の産地だったみたいなもので、戦後に手織りから、シャトル織機に移行して、さらにレピア織機への移行が上手にできたことが、他の産地とは違ったところだったんだろうと思う。

繊維関係は関西では滋賀県にゆかりのある繊維関係の生地商社がいまも活躍している。田舎だから地道な仕事をする人手が多かったということだろう。昔だから、近江商人は近江で作られたものを京都や大阪のお店で売るみたいなのが企業理念のようなところがあって、今は県境なんてものは、意味すらもなく、そういうのもなくなってはいるけども、江戸時代においては、滋賀県のものを京都や大阪に持っていくだけで商いができた流れがある。

まあ、日本と中国の貿易のようなもので、大きな価格差みたいなものがあっただろうと思う。コメなんかと同じで布にしても販売すらもが管理されていたものだったし、業としては自由につくることが許されてはいなかったということがある。東円堂という村では林与の家とその親戚の家が一軒織元となって出機さんに織ってもらっていた。機屋同士は、他の村の機屋にとついだりして親戚同士になることが多かったりもした。同業者同士が親戚つながりで合併しているようなところもあって連帯意識も高かったから無理もしあえたんだろうと思う。
2022年06月06日
今日は、雨の中、静岡県に行ったので、掛川の福田織物さんに始めて訪れた。現場も織機がたくさんあって動いていた。本物の織物工場らしい風景。巻がどれも当たり前にやっぱり大きいので福田さんの量産は規模が大きいんだなあと、林与の量産は300mから多くて500mくらいのひと巻がほとんど。あんまり大きいと運べないから。

どの織機も調子よく動いていてほとんど切れることはないけども、インチ100本を超えるような高密度織物だけに織れるスピードは、縦横密度それぞれ密度は半分くらいの林与の麻織物とあまり変わらないのかもしれない。経糸が切れる分とシャトルで織っている横糸交換の作業の分が手が掛かるあたり。

浜松では染色工場が少なく先染めがほとんどないということをいわれていた、福田さんも後染めが主体で組織や加工方法などで工夫されている。綿織物というのは糸が細く高密度なので総本数が1万本とか超えているんだろうなあと思う。それでも縦白ばっかではなく、色のついた縦のものをいくつも織っておられたので無地ライクな先染も得意とはされている。福田さんも麻織物にも力を入れておられるので麻世界の話をしても興味深く聞いてくださる。

福田さんは今アパレルの織物に集中されようとしているような感じで、林与はアパレルの織物のウェイトを減らしているような方向性に違いがあったりする。麻織物というのは織れないとか収縮物性とか堅牢度トラブルが多いので、一般的な1か月で着分、2か月で量産のような生産イメージには落とし込みにくい、しかも今のコロナ禍ではどこも現場が弱っていたりとか、糸の入手からして決まった銘柄指定で使っていたりすると入手が不確実な要素が高くなって、糸が1か月2か月先しか手に入らないとかだと仕事を受けるともうすでにタイムリミット超えているとか。特に昨年度の作柄が悪いので今年の生産は林与は大警戒中なのである。

林与は、数年に一度は150番手とかも織っているし、100番手ものりを付けずに織っていることもある、でも糊を付けた60番手クラスの織物が織れないことや、糸質がねちっこくて縦切れが止まらずに引いてしまうとか、作柄の悪い年には糸値も上がって逆に問題は多くなる。ラミーなんかも、1本の経糸切れを直そうと綜絖を開いて糸をさばくだけで周辺の糸がぽろぽろと切れてしまうような糸にあたるとか、織るのが無理で縦を何度も作り直す時もあったりする。麻織物は糊のついた経糸の準備が非常にリスクが高いのである。そのような状況下で、麻の細番手の先染めは、アパレル向けの50mでキズ5か所以内とか、本当に難しいレベルだったりする。あと色ごとの収縮率の違いなども麻の先染め織物をつくる際には注意が必要なあたり、麻では無地ライクなものが増えてくるのもよく分かる。
2022年06月06日
織物の経糸が緩んでいるときにバックレストを強めるのか弱めるのかの判断、バックレストの動きを少なくすれば送り出し量は減って全体的にテンションは強まる。一方で、バックレストを動きを大きくすれば閉じた時にテンションが緩んでしまうのを吸収して筬が打ち込む瞬間の織前のテンションは上がる。緩くしても強くしても経糸の緩みは改善されるって???頭の中でおかしな疑問。

バックレストの動きを少なくする方に掛けてみた、全体的にテンションが張って耳そばの浮き織の度合いが改善された。あとシャトル織機の織る速度、織る速度が遅いのと早いのでは、耳そばというのは影響を受けやすく、速いと内側に引っ張られやすいから一番端と少し端とではテンション差が生まれて、少し端の糸が緩み始め、織幅も狭くなる。速度を落として織ってあげると織幅というのは横糸のテンションが下がるので広く織れることになる。

ほんとなら、回転数を落としたときには、ステッキを叩く強さを速くしてあげないといけないのだけども、まあ、ちょうど織れるくらいのスピードで飛んでいるのでそれほど悪くは思えないからそのまま。回転数を速くした時には逆にステッキを叩く強さを弱くしてあげないときつくたたかれすぎる感がある。一か所の調整が他のところの調整を呼び込むパターンって結構あって、スピードを上げるとビームの送り出しが多くなるとかの現象もあったりで、スピードを落として織るとビームの送り出しが少な目になってこれもまた幅が広く織れることになってくる。幅が広く織れるというのは悪いことではなく良いことで、耳そばの糸が無理をしていないということ。

綿の糸だとそれほど影響は少ないのだろうけども麻糸の場合には伸度が少ないのでこのあたりの調整がほんと難しく、ビンテージのリネンなんかでも耳そばは食い込んだりボロボロのものが多いけどもせっかく織るんだし布は綺麗に織りたいと思う。ビンテージのリネンは耳があんなに食い込んでいてなぜ織れていたんだろうかと思う。普通は食い込むと織れなくなったりするのだけども。なぜ耳までリネンが良いのかは縫製面で角に9重の場所が出来ないことなどあるけども、他にもメリットがあって、綿よりもリネンのほうが雑菌が繁殖しにくくカビが生じにくいとかもあるので、キッチンクロスの耳までリネンはフチに綿糸つかうよりよいんじゃないかなあ。和布巾はほとんどが綿100%ですごく普及していて問題視されたこともないですから、そこまで気にするのは意味ない世界ですが。

キッチンクロスはなぜ白が多いのかというと、白は汚れやすいのだけども汚れやすいから汚れが落ちたかどうかとか見分けやすい。リネンの場合は汚れを吸収しやすく、水で洗うと吐き出しやすいという性質があるのと、本当に汚れてしまって汚れが落ちにくい時には煮洗いしたり、重曹の量には気を付けてほしいけども、リネンを白く戻すには重曹を少しだけ入れて煮洗いすると真っ白に戻る。重曹で洗った後はアルカリ性なのでお湯でよく濯いでくださいね。(重要:入れる重曹の量にはよく注意して煮洗いしてください。)
2022年06月03日
今日はまとめて染めた糸をおじいさんのところに取りに行った。400kg分あったので大変だったろうと思う。今年でおじいさんも引退されるということで、もう90歳近いのでそれはもう十分に最後までできるだけしっかりとした仕事をしていただいて感謝でしかない。今、どうやってワインダーを移動するのかを考えているところ。分解もそれほどは難しくなさそうで一人で運べそう。2台あるので倉庫にでも置こうかと考えている。ほんとうは工場の2Fに置きたいけどそこにある糸を動かすことは大変すぎるだろうから。だれか力持ちの人いたら手伝ってほしいなあと思ってはいて、日程はある程度広く検討できるので声を掛けてください。

6月16日からはテキスタイルマルシェが久しぶりに阪急うめだ9Fで開催されます。林与のほか、松尾捺染さん、IPテキスタイルさん、大江さんの4社での出店の予定です。2年ぶりのテキスタイルマルシェで、リネン生地や本麻生地のほか、キッチンクロスやキッチンクロスのハギレなども販売予定です。その場で縫ってもらえるような企画も初日の15日、2日目の16日、日曜日の19日には考えておりますので、小物つくりに挑戦したい方や久しぶりにミシンに再挑戦したいかたなど様子を見に来てくださいね。

林与自身は、初日の15日、17日、18日、最終日20日に売り場に立つ予定ですが、現場の仕事の納期などの関係で、突然の予定変更がいつもあったりしますので、売り場に立てていなかったらすみません。
2022年06月02日
火力発電所の石炭灰を人工ゼオライト化して農業で使うようなことが考えられているようだけども、石炭灰には水銀とかカドミウムなどふくまれているものを、わざわざ汚染されていない土壌に巻いて土壌改良になるんだろうかという素朴な問題の部分は無視して、産業廃棄物をどう処理するか、の活用方法が農業分野での活用だったりする。石炭じゃなくて、木炭なんかでも活性炭などに使われたりするけど、それが重金属などを吸着したものは結局、産業廃棄物である。健全な土に石炭灰を巻いて重金属を吸着したとしても産業廃棄物を撒いたような土壌のまま。

石炭灰自身に、水銀やカドミウムとか含まれているのだから、石炭灰を農業をするような土壌にだけはまかないことが大事じゃないかと思うのである。生物実験では貝とかの体内から検出されたりしているから溶け出し生物の体内に残るような効果がある。原子力とか火力発電とかの産業廃棄物は逆に一番ヤバいクラスの者だけども、そういう廃棄物を汚染されていない土壌に撒いてしまうような動きは多い。人体実験的なことになるので、石炭灰の農業活用だけはやめていただきたい。

そういうのを産業廃棄物の有効活用でエコだとか思っているオーガニックの人がいたりするのが本質が見えておらず怖いのである。自然じゃないことをやってどこがエコなんだろうと思う、しかも産業廃棄物を汚染されていない土壌に重金属の含まれている可能性の高い産業廃棄物を撒くようなレベル。土壌が水銀やカドミウム汚染されている場合、植物の中には水銀とか含有されるから、ほんと気を付けたほうが良い。それが口に入る危険性は考えないのだろうか。農地に石炭灰を撒くようなことは、農業をしている人の労働環境に対してもよくないのである。そして、その水銀やカドミウムが地下水に溶けだしたりして水を汚染する。なぜそのようなリスクのあることをしてエコとか土壌改良とかいうんだろうね?最近オーガニック関係の一部の人って、逆に不自然農法推進しすぎでずれすぎてないか?リサイクルポリエステル使ってオーガニックを謳うとか、昔ながらの天然繊維のまともな感覚もなくなってしまってるような人たちがオーガニックは難しいんじゃないか。リサイクル繊維はリサイクル繊維でオーガニックとは別概念なのに、オーガニックを謳いたいとか消費者騙しやってアウトの世界なんだけどそれがアウトとか分からないのが、オーガニックやってる人がビジネスライクなだけに成り下がって偉そうにオーガニックは一番駄目だよ。アサリの産地偽装に近く、正直なこと離せばよいのに理想だけが再生ポリエステル混ぜてオーガニック謳いたいもなんだろ、どこまでが本当なのか。エシカルなことが面倒だという人が10年以上もオーガニックやってきたとか笑えるねえ。一番駄目なオーガニックの意識もない自分のやってることも分かってないおっさんやん。ミイラ取りがミイラではあかんよ。化学肥料どころか、産業廃棄物撒くようなオーガニックじゃあ地球環境汚染が広がるよ。

石炭灰なんて産業廃棄物を農地に撒いてエコとか言い出したら、もう遺伝子組み換えコットンどころの騒ぎじゃないと思うんだけど、ダブルスタンダードすぎないか?自分たちが重金属を含んだりする産業廃棄物を農地にまくことは土壌改良でエコだと言い、水消費が少ない、農薬も少ない、収穫高の増えるBTコットンは巨悪という、両方とも非自然的すぎて自然破壊的でどっちもどっちでオーガニックじゃなく駄目だよ。オーガニックが変な進化を考えるときにモサントっぽい流れと被る。

2011年のオーガニックコットンの生産量はもちろん半減とか3分の1とかになるほどに下がっていなければならないけど、来年あたりに出てくる2010/2011年のオーガニックコットンの世界生産量また増えているんじゃないかい?そうだとすると国産謳って認証して消費者騙しで生産量の100倍流通させてた熊本のアサリと同じ体質ということになる。どうなるやら。
2022年05月31日
昨日、繊維関係の工場に夕方の納品にお邪魔して納品で2回目で初めてどうですかみたいなお話するくらいなのだけど、経営者の方が「私疲れた」と言われ、いろいろ背負ってやっておられるんだなあと感じた。けども、仕事を投げ出すような雰囲気の方でも全然ないし、きっと何から何までやってられて逃げられない立場で、自分の仕事観と周囲との温度さみたいなものを感じておられるんだろうと意味じゃないかと思った。

コロナで昔と違うのはサンプルなどをつくられる企業が少なくなったというのを言っておられた。業界全体として、お客さんが新しい企画自体を起こされることが少なくなって、量産なども減ってきているという意味だろう。大阪のパターンナーの方もパターンの依頼がコロナになってからは激減したということで、生地の業界から見ても国内の従来の展示会受注方式が消えつつあるというイメージと被る。

大手アパレルもブランド数を半減とか、それはブランド名が消えるだけでなく、全国にあるそのブランドの店舗自体が何十店舗も消える話で、そこで働いている人も仕事を失う。ブランドが残っても、店舗数半減となれば、必要な生産量は単純に半分で、今まで採算ラインだったあたりが、量が半分になればコスト上昇で売れ行きが悪いのに、値上げしないと従来の採算ラインには届かないとかで、もはや従来のものづくりのシステムそのものが通用しなくなった。

展示会受注形式のアパレルブランドのものづくりが消えた時にどういう形に移行するのか。毎年ごとのコレクションじゃなく、定番商品型のものづくり部分がアパレルも増えてくるだろうと思う。それは売れ残りを大量処分することを防ぐことにもつながるし、モノの普遍的な価値を育むことにもつながる。流行に左右されず、何年も使えるような良いものをつくるという流れにも当てはまる。

売り場が半減することで、毎回の品質検査なども新しい素材をオリジナル的に作ってという流れは少なくなるだろう。サンプルの時に色ごとに物性検査、また量産で色ごとに物性検査という、一つのサンプル時や量産時にそれぞれ1回2万円くらいは掛かる基本物性検査なども、省けるようなモノづくりになっていくのではないだろうか。すなわち新しい素材をつくるよりも、実績のある素材をベースに色で変化を付けて、乾湿摩擦堅牢度程度の検査で済ませるような形とか。
2022年05月27日
整経機の巻き取りのスイッチボックスの中のヒューズが私が会社で仕事し始めてから25年ぶりに初めてくらいに切れた。電源を入れてもモーターが回らないので大事なのかと心配をしたのだけども、ヒューズが切れただけというオチで、夕方だったので、工具店は閉まってしまっているので、コメリにヒューズを探しに行ったらそれらしきものが売っていて、モーターの容量の少し上くらいのアンペアのヒューズを選んで購入して取り替えたら問題なく回り始めた。工具店にいけば適切なものを相談出来き、業務用の質の良い安心なものを買えたりするのだけど、コメリではやっぱり普通のJIS規格程度の品質のものなんだろうなあと思いつつも急いでいるので仕方ない。

3線のうち2つのヒューズが切れたので、スイッチ内部で切れていないヒューズの1線の接続箇所が外れたかなんかの時に、残った2線では三相モーターは回らず負荷が掛かって、ヒューズ切れの感じだろうか。

巻き取り時にはすごいテンションが掛かるのでモーターにはかなりの負荷が掛かるので、ヒューズが切れてしまうというのも考えてみればしかたないことだけど、25年以上ぶりくらいのできごと。昭和のころにつくられた織物の機械類は本当に一生ものだなあと思う。その整経機は昭和50年あたりに中古で手に入れたもののようである。昭和40年ころ製造の服部の整経機である。

巾違いで同じようなタイプが2台あるけども、小さいほうの整経機が小回りが利くのでいつも使っている。昭和につくられたモーターとか無茶苦茶長寿命で、100年くらいは使えるんじゃないかと思うくらいに織機のモーターなんかも故障はほとんどない。買い替えを促すような政策が多かったりするけども、100年使えるようなものというのは、10年しか使えないものの10倍環境にも良いことになる。

100年も持つような機械は、一人の人では使い切ることができないので、引き継がれて次の人がそれを使うような形。理想的じゃないかと思う。日本で整経機を作る会社ももうないと聞いていて、整経機というのは、場所も取ってしまうので整経やってた方がやめてしまうと移設して整経作業を自社内でやろうと考える織物工場というのは少ない。

整経という作業は単純にみえ、海外だと10歳くらいの女の子が整経を遊びみたいにやっているのを見たことがある。日本の伝統工芸系の整経というのは整経機に山が無かったりしてドラムに等間隔で巻いていく形。伸縮性のある糸の場合にはそのほうほうでうまくいくんだろうけど、麻糸のような伸度がなく、切れやすいとか、伸びたとしても元に戻らないような繊維の場合には、整経の山の高さや送りというものが大事になってくる。

2022年05月26日
みちのくあかね会さんの現場をみせていただいて感じたのが女性ばかりの現場であるということで手の世界から生み出されていくのだけども、仕事の厳しさというかものごとにたいしての覚悟みたいなものをもっておられるのを設備などをみても感じる。手紡の糸から生みされる世界なので仕事が面倒だとかそういう今時の感覚がなく、仕事というのは大変で当たり前でそれを乗り越えてやっていけるから存在感が強くあると思う。

染色の設備、手紡の設備、カーダー、綛上げ機、整経機、織機や織機周辺の道具なども当たり前にいろいろ、使っておられるものだけでなく、使っておられないようなものまでも持っておられて、仕事をつくるための環境作りからで、まさに自分たちがゼロから仕事を生み出して行くための準備から。それも大きな設備じゃなくって自分たちが成り立たせられるような範囲での努力みたいなものがすごくあって、そういうのが作られるものにも生きているような気がする。

一人一人の覚悟みたいなものが今どきのサラリーマン的な職人というようなレベルを超えていたりもするのが、私も業としてやっていながらも痛切に感じる日本の職人の世界というのが損得勘定とかサラリーマン感覚とどれほど違いがあるのかで、どの方とお話をしても作業を見ても覚悟があって正しくできて当たり前が普通な堅気な世界。織るための糸から生み出す地道な手仕事の世界を感じ共感するところがあって、繊維の世界にあこがれをもつ誰もがそういうのを支えたい気持ちにもなるのが普通に当り前。

林与が自分が撚糸機を移設して動くようにできたなら、もし譲っていただいてお困りのことがあっていままでやっておられたことが難しくなるとかなら自分ができることなら今までやっておられたことが難しいというなら私が動いて撚糸して数年の間でもうまく移行ができるように支えられたらなあと思っていたりもする。移設というのは費用も掛かるし、今までやってきたことができなくなったりもするから本当に大変なことだろうと私自身がいろいろと織機の入れ替えなども経験して思う。

日本の宝みたいな注目を浴びるような存在であったとしてもその存続というのは日々の地道な作業の継続で俗化しない感覚で存続をみたいな、昭和とかじゃなく昭和の人たちが引き継いだような自分たちが食べていくため自分の労力を仕事に注ぎ込む覚悟を感じるのが、みちのくあかね会さんの存在であり活動なんだろうと思う。自分たちが働いて成り立たせてゆく覚悟みたいなものが今時的に俗化しないで残っておられて日本の繊維産業を支える内職や手仕事そのものの世界。林与の布を買うよりも、みちのくあかね会さんは移設のためにクラウドファンディングなどにも動かれておられかおられたそうで、日本の繊維業界に思いを下さるみなさまのご支援ご援助をお願いしたい。
2022年05月25日
今日は盛岡のみちのくあかね会さんにお伺いし機械の動くところを拝見させていただいただいた。移設の段取りを考えているのだが林与の工場の中の設置のこともあるので分解して運べると一番よいのだがと考えている。ウールを手紡されているところなども拝見をしたり、織っておられるところも拝見をした。坦々と作業が進んで手の世界のものづくりが進んでゆく。手織りの本格的な年代物の織機も10数台は置いてあっていろんな縦を掛けておられるそう。

岩手はやはり寒い場所なので昔からウールの織物が地場産業としてあったということで、その流れが地場産業的に残っていて、みちのくあかね会さんも女性ばかりが集まって雰囲気のある病院跡の建物で、原料を染める、カーディング、手紡、織までを手作業で行われていて、建物もよい感じの場所なので引っ越しされるのが惜しいくらいなのだけど、耐震とかの問題で泣く泣く移転されるそう。

ちょうど今日は移転に関しての取材の方などもこられていて、みちのくあかね会さんの移転がうまく行くように願っておられる方は多いのを感じた。やっておられることも歴史を感じるのはおいてあるいろいろな資料や機材など、移設は本当に大変だろうなあと思う。できれば全部うまくもっていってほしいと願うくらい、というかこのままの場所で今のまま続けられないのかと思うが、もうあと一か月で引っ越しされるということが決定されている。

作業しておられる方々の作業をみていると淡々とミツバチのように本能的なもので動いておられるんじゃないかと思えるくらい。会社で仕事としてやっておられるような雰囲気がせず、使命感をもってものづくりをされているような感じがする。いろいろなものを作られながらも再現性も大事にされて記録みたいなものは丁寧に取っておられ、手で糸を紡ぎながらもいろいろな糸の太さもコントロールすることが出来るという。

一つの建物のなかで原料を染める所から始まり織りあげた布を加工するところまでやっておられるような一貫生産で、それぞれの方が担当を分けてされている。企業間の分業でなりたつような形ではないので独自性高いものが出来上がる。林与でいうところの昔近江上布を家の中で染からやってたみたいなことが時が止まって今も成り立たせながらやっておられるような話なのである。そういうことが昔ながらに大事にできるのは人の価値観みたいなものが残っている岩手という場所柄ももちろんあるんだろうと思う。

機場にはストーブが置いてあったので、やっぱり寒い場所なんだろうと思うし、一方で年々夏は暑くなっているそうで働く人のために夏にはエアコンも必要な感じのようで、訪れた今日もびっくりするくらい何もしなくても汗がにじむくらい暖かくて夏だと滋賀県や京都並みに暑いのだろう。でも、遠くの山の山頂近くの谷の部分には白く雪が残っているのは滋賀県では見慣れない光景ではある。

織機も分解して運び出せると良いが一つだけ歯車が外せるのかどうかが微妙なところがあり検討課題ではある。引っ越しが終わった段階で分解作業など一度一人でやってみるのもよいかもしれない。昭和のつくりのかわいい撚糸機なので残したい気持ちがある。ちょうどシャトル織機1台分くらいの大きさだろうか。工場の1Fの奥のほうに設置出来たらなあと思う。

糸をまくおじいさんも今年で引退されるということでそこのチーズアップ機もばらして林与の倉庫にでも設置しようと思う。それか工場の上かなのだけども、工場の上も糸がたくさんあるので触ると大変ではある。
2022年05月24日
昨日の夜滋賀を出発して東京仙台経由で岩手に入る予定。出発ギリギリまで織ってはいたけども、バスの中で休憩と睡眠がとれるので一石二鳥的なところがある。岩手の用事は織物の仕事に使う機械の下見。うまくバラせて運べる仕組みかどうかを確認。1泊2日予定。帰りもバス。

朝着いたバスタ新宿は乗り場にも人の数がバスの数と同じくらい少ない。東京というのはやっぱり全国を移動するには簡単な場所だなあと思う。どこにでも夜中出発して次の日の朝には到着できる。日本中のいろんな場所の利点を利用しやすいということである。いまはコロナでテレワークが増えているので、そういう利点もそれほどじゃないだろうけども気軽に週末2日あれば全国身軽に旅行できるというのがうらやましいなあと思う。出不精な林与は東京に住んでいたとしても実際は旅なんてほとんどしないだろうけど。

今日は天気がよいので、サービスエリアで織りて外の空気を吸うだけでも晴れ晴れとした気分で、自然の中を走るバスの先頭の席だったこともあって、流れる緑の景色を眺めながら仙台に到着。なんでだろうか、自然のままの圃場整備されていないいろんな形の田んぼや田舎の曲がりくねった川とか見るのが楽しい。仙台は初めて来た。

仙台でレンタカーを借りて岩手に向かう国道4号は国道8号線と非常に似ている感じがして、商業地が道沿いにあったりするけど、まわりが田んぼなどがたくさん。とりあえず、盛岡駅近くのホテルに到着、部屋でゆっくりと休息をとって、朝はホテルの朝食をとった後に、北上川の3分ほどの堤防を20分ほど散策。

2022年05月23日
繊維の世界というのは戦後は産業化や工業化がすすめられ大型の設備などが増えたために男社会的なところがあって、女性というのは現場の織り子さんや縫子さん的な存在であったが、それは昭和っぽい話で、平成の時代にはそういう大量生産型のモデルは日本では成り立ちにくくなって、一方で、地域に残っていたようないわば内職的とか手仕事的な生産体系がクローズアップされるようになって、サラリーマンを集めた企業というよりも、趣味の人が集まったようなグループのほうが魅力的な存在感を増してきたように思う。

おっさん連中が集まるとどうしても人に頼んで作って儲け話みたいな泥臭さがあったりすることが多いけども、女性があつまると自分たちで作る手づくり布マスクみたいな世界から始まったりする。女性のほうが料理などもできたりするので器用だったりして、繊維の世界でも草木染なんかは料理をつくるのと似ているところがあったりもする。性別にかかわらず器用さが大事ということなんだけど、自分ができないから他の人に頼んでやってもらおうとする人が多いのだけども、それだとなかなか成り立たないことが多く、自分でやってみてできることを他の人に頼むとかがバランスが取れていてよいのじゃないかと思ったりもする。

ときどき、業界経験の浅い人ほどすごいアイデアがあるみたいに言う人もいたりするけども、それがなぜないのかというとやってる人なら誰でも思いつくけどもやっても成り立たないからとかいうのが一番の理由だったりする。実際に、一つでも作ってみたらその意味も分かるのだけど、一つも自分で作ってみようとしないでものを生み出そうとするから、業界と関わろうとされたりされていたりしても、そのあたりをグルグルしておられたりするとか。

また、アイデア的なことというのはそれが仮にうまく行ったとしても自分が高い値段をつけて売り始めると何分の1の値段で似たような安い物が大量に出回るまでに半年もかからないから、量産を考え真似のできにくいような要素を含んでいないと難しかったりするものである。小さなところが特許がとってあっても大手は無料で使うのが当り前のような話も日本の力関係社会の典型であったりもして、特許すらも小さなところが大きなところに対して主張すれば逆に大手の弁護士に苦しめられるとかそれがアンエシカルな社会の現実なのである。
2022年05月22日
今日はお天気も良かったので外で手織り織機のレストアをした、2台をレストアしてアンティーク調ダークブラウンの美人さん2台ともなった。小傷などもたくさんあったけど釉を塗り直したりして目立たないようにして釉も天然ベースのナチュラルなものなので安心なタイプ。手で織る機なので、そういうあたりも気にはなる。

コロナ禍だと一人が使った後に次の人が使うには、手で持つ框の部分と、手前の巻き取り部分のなどは毎回ふき取りして使ってもらうことになるだろう。そういうのも想定して思いっきりエタノール消毒などしてもらっても仕方ない覚悟で、色どうなるかわからんけど剥げたりすればまたなんとかすれば良いと思っている。とりあえず今日1台はファブリカ村に置きに行ってあとから私が時間のできた時に整経して動くように調整をする予定で、その場で10分で織って持って帰ってもらえるくらいのリネンのコースターから始めようかなあと。もう一台はグリモクラと一緒に、丹波篠山の篠山タータン工房に6月に持って行ければ、多くの方に興味持ってもらって使ってもらう機会も多いのではないかと思えたり。篠山タータンの縦を掛けられたら良いなあと思って予定中。場所づくりされている方の場所に置いて、子供たちを含む多くの方に織ってもらえるようなプロジェクト。

本格的に手織りしている人から見ると手整経も大事な作業だとは思うのだけども、気軽にいろんなものを手織りの世界で織りたいと考える時には、織機をたくさん持つか、あるいは、一つの織機でいろんなものを織れるように、整経を交換できるような形がいいんじゃないかと思う。もちろんそれを手整経でいろいろ整経して、取り外しのできるようなビームに巻いて、いろんな整経されたビームを持っていて、必要な縦を建て繋ぎするか、ビームも機も一緒に交換するかすれば、いろんなものを1台の織機で織ることが出来る。普段林与が会社でシャトル織機でやっているのと似たようなことを手織り織機でもできれば、1台の織機でもいろいろな織物を織れるんじゃないかと思う。

もう一台のほう、外の工場のドアの前に置いといたら、小雨が降りだしてせっかく釉を塗ったのにまた明日乾かして塗り直し、残念。手織りは林与の本業じゃないけども、まあ、いろんな方に手織り機に接してもらって織物を手で織ることもそれほど敷居は高くないというアプローチを私の知人を通じて。本格的に伝統工芸的な手織りを目指すなら、麻組合さんの手織り体験3日コースなどあるのでお薦め、手整経から教えてもらえ、自分で3日掛けて織った織物がお土産になる。

林与のシャトル織機はおじいさんみたいな感じだけども、手織り織機というのはオブジェとしてもかわいいなあと思う。ピアノバーというのがあるけども、喫茶店などにも置いておいたら絵になるんじゃないかなあ。今、コロナ禍で、ミシンも手織り機も人気が高まって手に入りにくくなっているのも事実で、見直されて使われなかった古い手織り織機なんかが使われ始めている。
2022年05月21日
今日は1週間ほど耳そばの糸切れに苦戦していた織物がまた順調に織れ始めた、織機の設定はまったく同じなのに、ギリギリの微妙なバランスで成り立っている織物なので、織出しの仕方次第で織れたり織れなかったりするのである。もう、ここまでくると魔境で、織れないからといって、織機の設定をいろいろといじってしまうと織れるバランスに合っている設定がズレていく。

良い糸を使うこと、あおりの大きさや、ビームのテンション、開口のタイミング、ドロッパーの高さ、ソウコウ枠の高さ、シャトルのスピード、杼箱のテンション、シャトルの重さ、シャトルのゴムの強さ、筬の左右の位置、織るスピード、耳のコマのテンション、耳際の糸の通し方、テンプルの噛み具合など、バランスを保ってなんとか織れていて、一つどれかが駄目だと耳際が切れて切れて織れなくなる。本来だとシャトル織機というのはある程度スピードを付けて織ってあげるくらいがシャトルの通りもよくって良いのだけども、耳までリネンという規格だとあまりスピードを上げると極端に食い込んだりすることもあって1分90回転くらいの低速で織る。

耳が切れるのが織機の設定の問題じゃなくって整経の問題だったりすることもあって、整経というのはビームに糸が巻けていればよいというのではなくって、均等に均一に巻けていないと糸のテンションが変わったりしてくる。織物を織っているのだけども、織物を織っているというよりも、耳までリネンにして自分を追い込んでいるようなところもあったりする。耳なんて使わないんだからどうでもよいんじゃないのという考えもあるかもしれないけども、耳がそのまま使えることで、今の時代の資源を無駄にしないというところも達成できるし、また、昔、織物を使ったときのような世界のモノづくりに近いモノづくりが出来る。たとえば昔のハンカチやキッチンクロスは四辺でなく上下だけ三巻だったとか。だから、林与のシャトル織キッチンクロスは上下打鍵縫製。

なぜシャトル織機の織物が上等に見えるのかは開口が広いということがいわれ、それも一つの要素だが、私が思うのは、横糸がノーテンションでゆったりと角度を持って織り込まれることがあるというのがレピア織機とは異なるところ。まあ、加工してしまうと縦方向に引っ張るので、その差は縮まるのだが生機をみているとレピアで織ったものとシャトル織機で織ったものの違いはある。シャトル織機で織りあげたものは耳の渡がぐちゃぐちゃなのをはさみでひとつづつカットしてきれいな反物に仕上がる。耳を切る作業を一つ一つやって、ぐちゃぐちゃな反物が綺麗に仕上がるので、だから余計にいとおしく見えるのかもしれない。小さな1cmくらいの耳までリネンのギンガムチック柄で、耳までリネン時はほんと耳のカットの処理だけで織る以上に手間が掛かることがある。

耳糸はリネン100%の織物でもなぜ綿糸を使うのが普通なのかというあたりも耳までリネン100%の織物というのは難しいという問題があるから、綿糸も単糸ではなく双糸を使うのが普通。双糸を使うことで伸度をもたせることが大事なところ。


2022年05月20日
田舎のじいさんばあさんが自分可愛さに次の世代を詰まして食い物にしようとしてるから過疎化みたいなケースもある、そういうのが田舎的な繊維業界でもよくあったりして、70とか80の人のどうしようもなさを繊維業界では感じることも多い。中にはもちろんできる人もおられるが自分でものごとを前に進めて行ける人というのは本当に少ない。楽しく普通に生きてゆきたいみたいないわゆる戦後の団塊の世代思想、それは戦前の人たちが命を自分の命や人生をなげうって他の人を守ろうとしたのとはまったく逆の世界で、結局は、ロシアの若い兵士たちが死んでゆくのと死んでゆくのと同じような話があったりして、今もプーチンは70過ぎてもロシアの戦線の20代の兵士の覚悟もなく健康問題で癌治療とか。焼かれて死んでゆく20代のロシア人の命とプーチンの命とどちらが大切かといえば、20代の若い兵士たちの命のほうが大事だと人生経験があるものなら思うだろうが、政治の世界では逆だったりして犠牲になるのは次の世代。

けども、政治というのはそういうもので次の世代を食いつぶしてなんぼ、他の国を苦いつぶしてなんぼの世界。堕落した人間が政治に集りまともな人間を食いつぶしてまさにテロそのものなのだけど、多くの人の命が犠牲になりながらも、SDGsを謳っている国連組織すらもが機能をしていないのが、国連の利権主義的なSDGsの闇そのもの。人の命というのは自分が殺されるとなるといくらでも払うからそれに便乗するのが政治社会で国連のSDGs体質。国連のSDGsにしても弱者をまもるというよりも、いままでやっている別に悪いことでもないことを難しくして弱者をさらに追いやるというようなトータルなソリューションではないところがある。たとえば綿栽培を否定しながら再生ペットを綿に混ぜるのをエコだといいはじめたりしているが、混紡ってまさにマイクロファイバー天国そのもので、再生ペット混になっちゃうとあとの処分すら産業廃棄物でも困るような問題をスルー。なんかクリーンディーゼルみたいなことやって強制的により良くない新しいものに移行させて経済的な金儲けを回すようなフシがある。

田舎社会の年よりの無責任などうしようもないのと同じのが、政治体質の国連のSDGs体質そのもので自分可愛さの上から目線の損得勘定のSDGsだから悪いものを加速するような方向にしか向かわない。オーガニックと謳っているものがどこまでエコなのかというと、営利主義で、虫も住めない場所での栽培を無理やりするから水不足や地盤沈下とか。従来の栽培を否定して、余計に問題をもたらしているのが、従来のものを否定するようなオーガニック思想で、アホだと思うのが再生ペットや再生ポリエステル繊維を混ぜてオーガニックとか、オーガニックじゃないやんそもそもリサイクルという概念、あるいはサステイナブルという概念だったら通るかも、でも明らかにオーガニックではない要素。どこまで現代社会の毒の後片付けを問題のない素材に入れ込んでも儲けたいオーガニックなのかということ。利益主義的に大掛かりにやってる人たちがやばくなりすぎて、繊維の地道な本質すらもを食いつぶしてしまうような、大量消費大量生産型のオーガニックは普通の製品よりも実体はブラックボックスでやばいのが普通。国連もウクライナ問題で無茶苦茶なロシアを放置でウクライナ人だけでなく戦いたくない殺したくない若いロシア兵も含め多くの人が死んでしまっている。ロシアの年配者たちの多くはプーチン寄りで、かつての力のあったソ連に思いを馳せている感がある。気の毒なのはロシアの若者たち。ロシアはネット遮断などしてロシア国内の情報統制なども行い始めているし、デモなども集まってはできないなどやれば投獄されるなど独裁国家そのもの。

オーガニックコットンにしても本来は、ハンドピックしている人たちを大事にしようという概念があったのに、オーガニックコットンの無農薬とかにだけ固執して、資本力と機械技術で、大量生産型のオーガニックコットンをあふれさせハンドピックしている人たちを消し去ったフシがある。また、ハンドピックするのが過酷労働みたいなことで悪く駄目な話に今はなってしまっている。農家の基本的なことすらも悪となって、どこがオーガニックコットンなのだろうと、やはり巨大資本が絡むと本質すらもがなくなって薄っぺらいものになってしまう。本来はハンドピックしている人たちの生活を作業を評価して高く買って救おうというのがオーガニックコットンの目的だったのに、オーガニックコットンが高いから安く売る方法を考えるばかりの日本的の大手資本主義思想のオーガニックコットンにどこまで意味があるんだろうというか、オーガニックコットンの価値があるとされるハンドピックとの世界をつぶしてしまった。もとの良いイメージの世界が広がるのではなく、広がるのは別物の世界で、新たな場所での新たな産業ということ。逆に従来の場所でやっている昔ながらのオーガニック綿栽培を価格競争で淘汰してしまって、そういう人たちの生活はどうなるんだろう?長く続いて人々を支えてきた場所の産業をつぶして新しい場所に導入してどこがサステイナブルなのか?
2022年05月19日
ストールの企画で元気にされている道明さんという会社がある、林与の遠い親戚筋でもあって久しぶりにお電話すると先代が88歳でお亡くなりになられていたというお話。道明さんの先代も近江出身の繊維の人なので、一宮のゴールドの野邑さんとか、林与の先代とか、八幡商業高校出身の繊維繋がり。道明さんの先代も、戦後韓国から戻られ、親戚の家に学生のころにいそうろうされながら、大阪で丁稚奉公を経て東京に出張の時にストールと出会って、ストールでやっていくと覚悟を決めて独立されて一代をまっとうされて次につながれた。

私がすごいなあとおもうのは無一文から成し遂げられてしかも周りにも人並みならぬ甲斐性をもっておられたところ。なんだろうあのすごさはと思うほどに人生観すらもが超えたような方であった。困っている人を助けようという思いが強すぎて甲斐性の考え方が苦労を当たり前に超えてこられた方の感覚。地道に働いてやっていこうとされる人に対しては大きな甲斐性を持っておられた。丁稚奉公とかそういうのを経験されているだけに、そういうゼロから成り立たせていくような考え方を理想とされているのだろうと思う。

久しぶりに電話でお話して先代がお亡くなりになられたことはびっくりしたことだけどもお仕事のほうはコロナ禍でも順調に行われていて安心した。このコロナで何十年もお付き合いのあった問屋さんなどが廃業されたりも多く、コロナ禍においても出来ることをマキシマイズしながら、自分自身がどんな状況でも立っていけるようなことを常に模索してやっておられるみたいなところだろう。

戦後の話を聞くと今の時代にはそういう経験は想定外なのだけども、ものごとをやっていくときにはゼロからというあたりは、昔も今も同じで、すでにベテランの競争相手がいるような繊維業界においては、深く長けたものがなければ残っていけないというのが現実で、働きたいどんどん仕事したい人の多い海外との競争なのである。

そういう海外勢の勢いにも負けずに日々、新しいものを生み出して行くような力があってその蓄積が大事で、日々新しいものを生み出す意欲すらもがなくなれば普通にあるものを守るだけの世界でどんどんと苦しくなっていってしまう。シャトル織機のシャトルをつくる技術なんかも秀でたものなんだから応用をすればいろんなことが出来るのにと思うけどもそういう応用はご法度何だろうと思えたりもする。

自動車業界で世界を飛び回って成功して引退された方が、米原の展示でものづくりに興味があるとじっとミシンでの縫製をみておられたり、これだけの力があって昔ながらの繊維の世界におられるというのに不思議な感覚だとおっしゃってくださるも、私自身、田舎にいながらもモノ作りする時には技術だけじゃなく、人の器用さみたいなものが一番大事な要素だとおもっていたりして、技術とかじゃなく、他の人がやったら失敗するようなことをやって成り立たせるみたいなあたりが大事で、そういうことが出来ないと大手と同じで零細な企業にしても大手以上に残りえない気もする。

職人というのはものさしを使って計算して確認するのも苦手なのが普通で1cm感覚。私の場合はコンマミリまで気にするタイプだから、普通の職人の100倍くらいのこだわりがあったりもする。麻という世界では揺らぎは普通にあるのだけども、その揺らぎを抑えるためにはコンマミリの世界が大事だったりもして、それでいてセンチに収まることもあるし、センチに収まることもない世界で、昔ながら職人感覚でセンチの範囲で仕事をせめてミリ単位にやれば人の揺らぎも少なくなりよいのにと思う。多分、繊維以外の産業だとせめて1mmの世界を無理は分かっていても追い求めているから日本でやっても海外との差別化もできて残っていけるのだろう。
2022年05月18日
上海という場所は国際商業都市であり国際観光都市であったが、上海の観光都市や商業都市としての魅力を捨ててまでロックダウンを1か月近く行ったのは、国家としても相当の覚悟が必要でありそこまでの徹底したことを行うから中国というのはすごいなあと思えるところがある。なまはんかなことではコロナは抑え込めないという現実はあって、自制を求めるだけではコロナの蔓延を止めることはできないだろう。

中国というのは世界的に見てコロナからの復活が早かったとされて内需の回復も早かったと聞いていただけに、そういうのをすべて捨てての今回のロックダウンで、まったく逆の事態に陥ってしまった。上海のロックダウンの影響というのは世界にも及んで、上海港といえば中国で最大といってもよいほどの輸出輸入港、港の機能も働かなくなる。日本にも影響は及んできて中国製の部品などが手に入らないとか。

あんまり上海のロックダウンのことが日本には情報が入ってこないので、現地では食べるものを入手するのも難しい大変な状況だったりとか、2か月に渡る家からほとんど外にでることが許されないロックダウンで現地の人々は疲れ切っている。徹底をしておかないと蔓延してしまえば、大規模なコロナ隔離など
中国の過去の経験からすると、経済を捨てても徹底してコロナを封じることに意味はあるのだと思う。

コロナ前に上海の一等地でお店をやっておられた方も、移転されたりして仕事を続けておられるが、結果的には正解だった形である。言っておられたことに売り上げの20何日分かが、お店の家賃に消えていくといわれていた。ものごとが成り立ちにくいと判断したときには、商売スタイルを変えて続けていくということも方法の一つだろう。
2022年05月18日
なかなか時代が変わるとひと世代前のやっていたことがもう日本では難しくなってしまっていることが多く、逆になんの設備も必要ないに近いようなことで簡単に次の世代が大きく商売をしているということもあったりして、それでよいのかと思うところもあるけども、繊維の大手SPA企業にしてもそのスタイルがほとんど。繊維業界でもどちらかというと身軽いところのほうが時代の流れに乗って産業の壁を越えた進化をしているということはあるだろう。

例えば日本の繊維業界を言うときに、織物なのかというと東レのような企業の航空機に使われるような炭素繊維とかが産業用の繊維の世界だったりするし、トヨタにしてももともとはトヨタ自動織機から始まっているから、織機を作るのが自動車に替わっただけということ。私が思うに、自動車よりも織機のほうが構造が複雑で、自動車は走ればよいのだけども、織機というのは織物を作らないといけないのでより高度に思う。シャトル織機に関しては大きな負荷がかかりながら、耐久性にしても毎日10数時間何十年も動くとか車の比ではない。

日本のシャトル織機やレピア織機なんかも品質が良すぎて何十年も使えるので、それが逆に織機メーカーの行き詰まりにつながった面すらもある。安かろう悪かろう程度が買い替え需要も生み出して経済が循環しやすい構造だったりする。日本の自動車業界も車検制度が無ければ、日本の大手自動車メーカーにしてももう日本では成り立っていなかっただろう。モノに関しては自由競争では海外に技術移転が行われてしまうと価格差に置いて太刀打ちは出来ないのである。

自動車メーカーにしても家電メーカーにしてももう素材からして海外に移行しているので、日本独自のクオリティを生み出すことが難しくなってきている。繊維業界も同じことで、戦後の一大産業は繊維産業で、日本のシルクなんかも高品質で世界中に輸出されていたのに国産シルクの素材の世界は価格面で成り立たず、雲の上の存在である。やっておられる方がないではないけども本当にごくごく小さなピンの世界。

さて本業という概念、私は大事だと思うので本業に徹しているところがあって、子供の時からの友人も会社経営をされていて、サイドビジネス的なことは嫌いだといっておられてそのあたりまったく同感。なぜ、若者たちが身軽く生きて行けるのに、背負っている人たちはなかなか商売を成り立たせてゆくことが難しいのかという問題。繊維業界でも、織物を織っているような工場というのは人も設備も抱えて本当に経営の難しさに直面していたりする。

やるならやるで本気でやればなんとかなるんだけども、とことんやればやるほど外の世界との温度差みたいなものが広がってゆくばかりで、商売が成り立ちにくい面もあって、若い人たちがやって身を成り立たせているくらいのことはまあできるよという器量がないと駄目なのかなあと思うところもあって、儲け話に舞い上がるのではなくて、地道にそういう世界も経験しておくのもよいだろうとおもうところで、儲け話でやっている人たちが消えたタイミングが、地道にそういう物事もやっていくのには良いタイミングではないのかと思ったりもする。
2022年05月17日
今日は金融機関の方が午後から来られるので、お昼前に軽トラに積み直してあった手織り機を会社の寮に運び込む。手織り機の左右のパーツだけがばらすことができない大きなパーツで、それだけがなかなか一人では運び入れにくかったが、時間もなく足早に運び込む。あと、去年の10月に北海道に取りに行った手機も最終的には寮に設置することに決めた。

ハイエースに積んであるグリモクラは丹波篠山に持っていく予定なのだけどもビームが外れないタイプなので整経をどうするかの案件。あと、ファブリカ村に設置を考えている2台のさおり式の手織り機や、大阪の方に貸し出す小型の手織り機、津軽の方に使ってもらおうと用意している卓上織機、イベント実演用の東京手織織機のスーパーミニとか、私一人ではどうにもならないほどなのだけども、京都の方も手織り織を用意してほしい話など、本業とは別の部分で手織りに興味のある方が周りには多く、繊維業界というのはそうでなくっちゃと思うところもあったりする。仕事だから織るとかじゃなくって興味あるからとかやりたいから織るみたいな本能的なものがある人というのは仕事全般にも向いている。私自身が手織り機を持ってそれを出来き周囲にも織物文化を広げてもらえそうな立場の方々にそれをお貸ししたりするようなことをするのも私も向いているということじゃないのだろうか。

この2年くらいで10台以上の手織り織機を集めた、イベントくらいでしか時間がなく織ってはいないのだけども、手織り機というのは楽しいものだと思う。私の場合はいろんなものを織りたいので、たくさん織機があっていろんな縦を建てて織れたほうが良いと思うので、手織り機の数もたくさんのほうが良い。今回手に入れた手織り機は120cmタイプということだけども多分もっと広くても大丈夫そうなので、ソウコウ枠なんかもシャトル織機のを流用して、広幅絣織物のプロジェクトに使えるだろうと考えている。

私が小学校の時に、小学校の放送室に林与の手織り織機が置かれて、女の子たちが手織りクラブをやっていたんだけども、ちょっとあれば高度すぎるんじゃないのかと子供ながらに思っていた。洋織機ならそれほどいかつくないので、子供でも扱いやすいし、もっと気軽にいろんな織物を織れるようなのが楽しいんじゃないのかと思ったりする。昔の高機も倉庫には30台分くらいはばらして眠っているだろうと思う。

もこモジオリーナというトミーの1500円で手に入るおもちゃの織機もあなどるなかれ、カードを使えば、ジャガードのようなアルファベット文字が織れるのである。あれは手織り織機よりも難度が高く、本職の人たちでも躊躇するくらいの高度なおもちゃ。だが不思議なのは子供たちだと理解できる子も多いということ。
2022年05月16日
群馬県にグリモクラの手織り織機を取りに行って、織機を運び出した後に1時間ほどリビングでお茶休憩をさせていただいて、個人の方の力というのは、普通のサラリーマン的な仕事のレベルじゃなく、私と似たように道具から集めて自分で最後まで作ってお客さんに販売してやっと回る世界で、やっていることは私と同じというより、地道さでは手織りで回しておられるのだからもっと覚悟がいるんだろうなあと。

繊維のものづくりの世界では、個の力というのも大事で覚悟した人がやっていないと、覚悟に関しては上には上が常にいるもので私自身も覚悟の面ではそれなりに一番くらいの覚悟のつもりだったりもして、現場経験が何十年の人でもほとんどの人がいつまでもできないし、なかなか1回でもやれないことでも、当たり前に説明しながら当たり前にできるのを見せてしまうとかあったりしてそれが普通だから次のステップへ行けるんだろうなあと思ったりもする。

自分自身が人柱的なことも平気だから、人柱タイプになるのを避けていたら、人に頼っての便乗タイプとか集りタイプになって私的には気持ち悪いから嫌なタイプ。利益に集るタイプの人が多いけども、まさに繊維の世界そのもので、種を蒔いて自分で育てて収穫するみたいなものを織物業界の人々も持たないといけないのではないかと思う。新しいことは問題ばかりが多いけどもそれを乗り越えてあたりまえに普通の仕事としてこなし行かないと次の新しい仕事にもつながらない。

仕事しているときにはやはり個人の力とか考え方の違いみたいなものが大事で、普通じゃない考え方をもっていないと特別な世界というのは成り立ちにくいもの。仏壇関係の方とお話をしたときに、自然とお仏壇の世界におられるのがナチュラルすぎて、仕事と人生観との整合って大事で仕事は仕事みたいな人よりは、仕事も人生観も整合している人のほうが他の人からの憧れも得やすいのは当たり前で、やっぱりそういう人というのは人生と仕事との割り切りみたいなものすらもないのが業界を献身的に支えられているあたりなんだろうと思える。

2022年05月15日
今日は織機の件でレンタカーを借りて群馬県。朝に予定よりも早く到着しそうだったので、諏訪湖みて「君の名は」を思い出した。2時間くらいなら余裕あるかと美ヶ原を見ておこうと思って、美ヶ原の天空の牧場の20分ほど散策。旅をしてまだ訪れてたこともない場所みてみるのもよいものだなあと思った。

レンタカーは、2トンアルミが空いてなく、パワーゲート付のロングを借りることになり思ったよりもでっかくて、後ろが1mほどロングなので左側の巻込には要注意というのを出発前にレンタカーのお店の方が注意くださって乗ってみるとほんと要注意だなあと思った。注意を受けていなかったら注意せずにガリっとガードレールなんかを引っかけてしまってたかもしれない。

夜中に無事に滋賀に戻って、愛用の軽自動車に乗ると、やっぱ軽自動車が燃費も悪くないし動きも軽いから良い。この手機は会社のシャトル織機の筬も使えるし、ソウコウやソウコウ枠もたぶん使えると思っている。織幅も120cmくらいの筬が入っても余裕があるので120cm以上は行けそうで、広幅絣織のプロジェクトに使えそう。この織機の問題は、整経の巻き取り棒が取れないこと。なんだけど、うまく改造していろんな整経が使えるようにしてみようと思う。

24時間で往復+アルファで1000km以上の旅だった、とりあえず、新しい週に備えてゆっくりと今日は眠る。
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