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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年10月
2021年10月
リネン日記:28
2021年10月31日
今日は朝10時35分の便で札幌を出発。国内旅行で飛行機は使ったことがなかったけども、飛行機ってゆったりと時間を組めて案外良いもんだなあと。飛行機で飛んで片道が1万円とか、他のルートの何分の1かの値段。スピードも速いのにおかしな話である。

今度はいつになるのか分からないけども、同じように飛行機で札幌に行ってレンタカーして北海道一周をしてみたいなあと思う。トータル5日くらいで回れるだろうか。

飛行機は簡単でも、セントレアについたのが1時前で、須ヶ口の駐車場から地元に戻ったのが夜の7時半。途中、疲れてて休憩を取った。夜7時半に、高野山から帰って来たスタッフを能登川駅でピックアップして、家に戻ったら夜8時。久々の長旅、週末の3日間がすごく長く思えた。
2021年10月30日
札幌2日目、今日は目的の手織り機引き取り。工具がお昼前までホテルに届かなく、工具が届いてからレンタカーを借りて出発。ワゴンRだったので、使い勝手が会社のワゴンRとにていて、引き取り場所まで無事に到着で、ワゴンRの後ろに積み込んで、運送会社の正面の駐車場で梱包をする。

プチプチで梱包してみたものの、運送会社の人に駄目だろうといわれて、再度梱包をやり直すことに。分解できるところは分解をして、120cmX120cmX30cmくらいにまとめた。結局夕方5時半ころまで掛かってしまった。

早く終わると思ってたので、札幌近郊の小野田さんのやっておられる亜麻音工房を訪れさせてもらう予定が駄目になって残念。お天気も良かって大丈夫ですといってられてので楽しみにしていたのに。

8時にレンタカーを返却する前に時間があったので、トリトンに行って食べられるかと思ったけど80分待ちで残念、札幌のにぎやかなところを車で走って眺める感じで30分ほど観光。その後、レンタカーを返して昨日と同じザンギのお店。特別に提供されているっぽい、ビールと北海道の生ガキ2を3つ注文して、札幌で海鮮を食べたかったので、人生でもあまり食べた経験のない生ガキに挑戦。生ガキがクリーミーだとは初めて知った。

今日は、運送会社でうちは航空便なので送れませんと言われて焦ったけど、なんとか送るのに協力もいただけて、送ることができて本来の目的を達成。送れなかったら小野田さんにあずかって使ってもらってたかもである。

ホテルでじっくりと1時間ほど湯船にお湯を貯めて使って体を休める。北海道はビールが安いなあという印象。その店は、1杯190円なのだけど。他の店も1杯200円とか。なぜか、焼酎やカクテルのほうが280円とか380円で高い。札幌というとやっぱりサッポロビールのイメージで、ビール文化もあって安いんだろうか。

普段は、居酒屋なんかでビール飲んで晩酌的な過ごし方はしないけど、旅先なので地場っぽいものをつまみながら満足感に浸る。今日は本当に疲れたが、なんとか目的を果たせてよかった。
2021年10月30日
昨日は、朝、セントレアに向かって出発して、途中で手織り機をあま市で1台手に入れて車に積み込み近くの駅の駐車場に車に停めて電車でセントレアに向かう、このパターンは初めて、いつもよりも入念な準備をして早めに出発できたのが幸いで、あま市に向かう途中で8件も電話が掛かって来て、そのたびに車止めて電話対応で、結局、セントレア到着は予定よりもかなり遅れになってしまった。でも、空港に着くと飛行機が30分遅れで、余裕ができて良かった。セキュリティでにぎりバサミを一つ没収になって、工具などを別便でホテルに送ったのは正解であった。ドライバーなどの工具も全部駄目なようである。ホテルに付いたけど、工具が届いていないって?あれ?明日の午前中につくのをまとう。

札幌についたらラーメンを食べるぞと思って、ホテルにチェックインし終わってからホテル近辺をうろうろ、ラーメンじゃないけど札幌海鮮とかいてあるの看板のお店に入ったらまちがいで、1Fは札幌ザンギのお店だった。生のグラスビールも安いしよいか。牡蛎もあるし。と席に座って思った。辛中華そばというのがあったので、札幌ラーメンを食べる代りにそれを頼んだ。結局、そのお店の名物ザンギ4種類セットとその辛中華そば大がボリュームありすぎて、牡蛎を注文するに至らず。北海道に来て脂っこいから揚げを大量に食べるとは思わなかったけど、味も4種類楽しめておいしく、鶏肉も新鮮で正解そのもの。

おいしく食べて、から揚げ食べて胸やけしてるのを、店を出た後の札幌の涼しさが癒してくれ、中和された心地よい無敵モード感でホテルに戻る道のりもずーっと歩いていたいくらいで5分ほどでは歩き足りないくらい、ここ1年2年は足の違和感と疲れが激しくて歩くのが心地よいというのも久しぶりの感覚で、このまま夜中の札幌を疲れるまで歩き続けてみようかと思ったけども、まだ、明日からが作業だからゆっくりとお風呂に入ってとりあえず休む。

泊ったホテルはアパホテル札幌北口AKP、私が興味を示したのは、ホテル名で気になってたAKPってなんなのか?部屋の中に本が置いてあったので、その本を読んだらよくわかった。私が繊維の仕事が続いているのも、AKPというマザーズ上場の代表取締役の河野さんと似たような考え方をもっているからだなあと思う。私自身がいつも社員の子に話をしているのと同じことが本の中に書いてあった。林与の場合は小さいままというよりも、先代のときに良い時代があって、その時の問題が結局、時代が変わればというか流れが変わって成り立たなくなれば切り替えができないといけないのに切り替えができない体質だったこと。

会議よりも実践でやってみて失敗して生み出して行くことが大事で、ビジネスプランよりも情熱が大事とか、考え方はすごく似ているような気がする。ホテル業界は不況のまっただなか、今回のアパホテルも宿泊者がいて空室が埋まっても、札幌駅から歩いて10分ほどで、広いダブルルームが一人1室3800円ほどではマイナスだろうと思う、今の苦境を乗り越えて、あきらめずに成り立たせようと試行錯誤されている。朝食のサービスもなしで2Fのレストランも閉鎖、大浴場も廃止、徹底的に簡素化してお客さんの数が減ったのに応じてスタッフも減らしておられるのだろう。これってカプセルホテルやホステルの値段に近く、コロナ禍の流れに応じての柔軟な変形で、便利で安全に泊まれるという基本の部分、原点に戻ってラグジュアリーな部分は割愛して、お客さんががっかりすることもあるだろうけども、本質の部分が一番大事で柔軟な対応ができるのかできないのかは存続していく上で本当に大事だと思う。

繊維の世界でもコロナ禍の影響で、高級アパレルさんや高級生地問屋さんが苦戦。私としては同じように今の時代の流れに柔軟に対応して乗り切ってほしいと思うけども、高級なものを扱っているというプライドが、柔軟な対応よりも廃業を選ばれるケースもある。贅沢な旅や食べ歩きにお金を使って仕事しているみたいな感覚というのをまず捨てないと、それはバブルのころの宴会やゴルフ三昧の経営者と似ている。仕事のたしなみとしてやってた人たちは残ってるけども、本気でそういうのが好きではまってた人は抜けられなくて。同世代の人たちでも、飲み歩き食べ歩きの贅沢三昧にはまってしまった人たちは自分が働いて稼げず、他の人を食いつぶしにかかってしまって、先輩が後輩を食うとか気持ち悪い中学生レベルの先輩後輩感覚。

それだけでなく、70代、80代の爺さんが、まともな若い世代を食いつぶそうとしてくる感ありありとか、世紀末そのもので、本来なら人生経験の長い70代や80代の人に、人間として、あんた、言ってること人としてまともか?みたいな説教する話は本当に情けない。田舎だとそういうのは一番駄目なことというような認識できていたけど、都市部よりもありえない無礼が人生経験の長いものほどやってしまっている。

今は田舎でも、70代や80代の人が、人間誰でも自分が一番かわいいからと口に出していってしまって恥ずかしさもなく責任逃れで、自分の欲ばかりの世界。何のために若いころからいろんな田舎の行事も引き受けて来たのかとそういう爺さん婆さんに対しては、本当にあほらしくなってきて、それでは人として一番駄目じゃないのか、田舎で他に説教してる人間なら生きてゆく覚悟きめて死ぬまで背負っていかないと利用される次の世代がかわいそうで、ひと世代前の人々に対して本当に厳しいことをいうも多い。

人生経験の長い人たちが人間いうものは誰でも自分が一番かわいいとか、今の学生でも社会性があってそんな恥ずかしいこと言わないことが多いし、それいってしまうと引かれるのは当たり前でも正直で自分本位で生きてるから行ってしまうんだろう。田舎で人間関係が大事といってるいわゆる高齢者の方が、そういう自分の欲が大事なのを口にだして責任逃れでいってると次の世代が困るだけの話。自分たち可愛さに他を犠牲があたりまえでは社会性すらないのではないか。全員が全員というわけではなく、そういうのいうのは本当の一部、田舎社会を背負う覚悟で背負っている人はそんなことは絶対といってよいほど口にしないのだが、案外そういうことを軽く言ってしまう人が増えて来て、人間関係のない都会よりも怖いほどで、それなら田舎であっても自分がかわいい人に他の人が利用されるなら人間関係のないほうがましな話。

田舎背負っていくなら、自分が持ち出しばかりが普通ではないのか。田舎も他の人の面倒見てまで背負っていけない人が多いから、そういうのを背負う覚悟ないと田舎なんて背負ってはいけまい。繊維業界も同じようなところがあって、自分が面倒見てまで背負っていく覚悟持っていなかったら、利用するだけのこと。田舎にしても繊維業界にしても、そういうのが悪いことじゃなく、他の世界にない良さだと思うんだけど、そういうのを食い物にし始めたら終わりだろうと思う。
2021年10月29日
シャトル織機というのは、シャトル織機があればよいというのではなくて、スペアのパーツや消耗品的なものが本当に大事。昨年は何十万か掛けて、シャトルとかの備品を手に入れてある。この半年でシャトルはいくつ壊れただろうか?4本から5本くらいか。

シャトルの管も新規のシャトルには若干の変更を加えて、昔の長いタイプの管が使えるようにしたので、管はたぶん1000本以上使いまわせるようになった感じ。管も自分で木工旋盤を買って作ろうかとも考えたけども、管の木材自体が重要だったりする。形だけではなく、実使用に耐えうるかどうか。それは強度の問題ではなく、シュワイターという管に糸を巻く機械で、機械が管をキャッチミスなどをしたときに、高速で管が変に機械に挟まって回転することが稀にあったりする。そういう時に、怖いのは火災の問題で、昔からの管というのはそういうときにも摩擦で削れたりはしても燃えない素材である。少人数で工場を回すときには、自動で糸を巻く形なので、そういう想定は必要。基本、私自身はシュワイターが動作中かどうかは常に注意している。音やにおい的なものも本当に大事である。
2021年10月28日
今日は、月末予定の出荷も無事に終わって、本当に一旦肩の荷が下りる話。明日から仕事からみで旅立つ3日間。スタッフも和歌山に3日行くとのこと。

北海道、本当は時間かけてでも車で行きたかったんだけど、高速代とフェリーが高いなあとびっくり。逆に飛行機で名古屋から飛んで、札幌でレンタカーするほうがガソリン代も考えると、旅費が多分5分の1くらいですむので、飛行機を選択。

北海道にいく理由は中型くらいの手織りの織機を分解して運送便で送るため。それはたぶん3時間くらいの仕事だろう。時間に余裕をみて日帰り計画はやめた、自由行動する時間がかなりある。1日レンタカーするので、札幌周辺をぶらぶらしてみるのもよいだろう。

今、織っている織物は、織りにくいタイプのものが多くて、一番調子のよい織機をそれぞれに割り当てているので、その一台が調子悪くなると他の織機で織ることはいくら調整を掛けても難しい。また、1台の織機で織ることによって、織機の違いでのロット差はなくなりワンロットとして綺麗に出来上がる。

この1か月、織機が途中で大きな故障もなく動いてくれて、無事に北海道、いつもなんらかの問題が起こってしまうことも多いだけに、今回は本当にうまくいって、旅に出る前に睡眠も十分にとり、旅の準備することも出来る。準備といっても、工具は飛行機に持ち込むと引っかかるといけないのでクロネコで送ったし、梱包資材は現地で手配する予定。財布、スマフォ、パソコン以外にもっていくものはほとんどない。今回、工場の中の作業のことを気にせずに出発できるのがありがたい。
2021年10月27日
ようやく待っていた糸が糸商さんに入荷したとのこと。織機を開けて3か月ほど待っていただけに、使いたい糸を手に入れることすらも難しいというのを久々に実感。他にも注文の打診をもらっても、良い糸が手に入らないから今はつくるのが難しいという返事をさせていただいたり、また、別のお客さんからは、4つのグレードの高い糸をテストしてその中でも一番問題のない糸を使ったけど、それでも、前回のよりも毛羽感があるという話、

正直につくると正直ゆえの問題が起こってくることもあったりするけども、それを問題があるからといって問題のないほうにもっていくのが良いことかどうか。問題のない方に持って行こうとするとキナリの色ムラなんかを避けるためには白い糸を生成りっぽいベージュに染めると問題は解決するが、それは生成の味をなくしてしまうことにつながる。

問題があるといっても、一部的な問題だとそこをうまくよけて使うという方法も取れるだろう。でもそういう小さな努力というのは量産の工程のなかではなかなか難しかったりするのが、糸一本一本を繋いで織ってる側からすると簡単なことじゃないのかと思うけど、妥協点というのはどこかに置かないと、大きな欠点を直すと次から次と小さな欠点が気になってくる。それは布を縫って修理したりすることもあるけど、どんどんと深みにはまってゆくことが多い。問題を避けたければ高度なものは控えたほうが良い気もする。

オフ白なんかでも、肌色っぽい晒されない筋が残ったりすることがある。それは天然の要素なのだから許容範囲にするべきなのだろうけども、全体に白いものにうっすらとベージュの筋がみえたりするとそれが服の一部になることを考えると日本の量産の世界では難しいだろうなあと、そうなってくると素材自体が無理をしない安全そうな方にどんどんと行く話になる。

林与のモノづくりなんて問題だらけでその問題を一つ一つ解決してゆくのが仕事で、解決能力の高いチームワークみたいなものが特別な世界を残して行けるんだろうと思ってたりする。そういうのが日本に残るのか海外が日本らしいものづくりを奪ってゆくのか、どこまで自分が犠牲を覚悟できるかが本当の日本らしい仕事の世界なんだろうなあと思ったりする。
2021年10月26日
仕事というのは、みんな同じ土俵に立っているような気がする。ある商社の社長も経験された方が、仕事は部下に教えない、取られるからといっておられた。大きな商社なので、部下に教えると取られてしまうほど、若い部下が意欲があって優秀なんだろうけども。次の人たちを教えることで次の人たちもいろんな経験をして成長してゆくきっかけになるもので、仕事を取られることを怖れているというのも、大きな組織の方らしいなあと思う。社長やってても自分と会社が一体じゃないみたいなあたりが違和感がありすぎる。

その方というのも、商社という環境の中で、いろいろと競争を経験され、自分が組織の中で生き残る手段の一つとして部下に仕事を教えないというような形が一番自分を守るためにはよい方法だと見出されたのであろう。

競争社会というのはそんなもので、経験の長い人も、新人の人も同じ土俵に立ってる感がある。教えてもらうのに慣れた人というのは教えてもらうのが当り前だったりして、仕事というのはできて当たり前みたいなところからの感覚がなく、他の人がやっている仕事を見て覚えていくような姿勢が無かったりする。自分が問題に遭遇したときに、その原因が何なのかを求めないとそういうのを他の人が一生懸命に教えてくれるということは稀だろうと思う。

仕事をしていて、仕事の仕方を教えてくれる人のほうが稀で、普通は、やめとき、さわらんといてとか囲い込もうとする人が多く、現場の経験者の多くはそんなものである。経験が長いと逆に新しいことを覚えてやってもらうことが新人の人よりも難しいとかが普通。私は自分の親でそういうのを本当に多く経験してきたので、何十年の経験者に簡単な仕事してもらうのも、1日の学生のアルバイト人にやってもらうよりも簡単な我慢もできず難しいのは普通だと思っている。

仕事を経験してきた経験者よりも、仕事経験のない若い人を雇いたいとなるのも、新しいことを覚えてやってもらおうとしても、経験者だと従来の経験に固執したり、やったことないから自分はできませんやりませんが多く、仕事経験のない人だと素直に仕事として受け止めて教えたとおりにやろうとしてくれるものである。経験者の場合はそれができなくても業界で長かったりすると自分は仕事できると思っているあたりが難しいんだろうと思う。

なぜ、こういうことをグダグダと書いているのかというと、自戒の念として自分自身が仕事をしているときに、仕事を仕事として素直に考え、前向きに常に取り組んで行くという姿勢が本当に大事だと思う。そのときには自分自身の損得を捨てて働くことが大事で、他の人のために働いてこそ仕事として成り立つのであるという基本を忘れてしまうと駄目なんだろうなあと思う。
2021年10月25日
スタッフの女の子が、大阪土産に生食パンと阪急のピータンを買ってきてくれた。生食パンはおいしくいただいたのだが、ピータンは卵1個の殻付きの個別梱包で、ピータンと書いていなかったら塩味の味卵だと思っていただろう。ピータンのラベルが付いていたので、ちょっと美食家っぽいイメージで、ノーマルを超えたそういうのは苦手だったりで様子見。

朝、あのパンおいしかったよとお礼をいうと、女の子が卵食べましたかと、いきなり。卵の話。これはチャレンジを求められているんだと感じて、あれはピータンだろうとその罠にははまらないよ、というが、それは大丈夫なピータンだというので、食べてみた。女の子が自分自身も食べるつもりで自分用にも買ったから大丈夫ですよと言われて、おっさんがせっかくの機会を逃げるわけにもいかい話で、白いゆで卵のような殻を割ると緑な世界、やっぱり。

その辺りで、食べると全身が中に見えて入っていても食べる覚悟はしているけど、殻を割って行っても透明な茶緑の卵型の球体。普通のゆで卵とかならなんの違和感もなく食べるのだけど、ピータンのイメージが頭の中にあるので、心配しながらいただいた、透明な卵白が緑な部分はちょっと不思議だったが下の卵黄の溶けたような部分はそれほど問題が無かった感じ。

人生というのは不思議で、林与のようなおっさんが逆に若い女の子にピータンを食べさせてみたいなのが普通かもしれないけど、それはネタじゃなく自分たちも同じで一緒に経験したく、自分のお金で他の人に振舞うようなところで、自腹切って仲間意識は連帯意識。みんな自分から新しい経験はなかなかできないもので誰かが旗振りやらないと。

郷に入らば郷に従え的な林与なんで、他の人にいろんなことに壁を越えてやってみたらと発破かけるも多く、刺激が欲しいくらいを他の人にも求めていたりするので、逆にそういうのを受けて、なかなか挑戦的でやるなあと思うし、そういうの分かる人が増えて行けば一番良いことだなあと思う。実は商売の本質がそこで、一緒にやるからには自分を捨てて外や中の他の人を支えるつもりで自分自身がオールインできるかできないかが仕事の本質。

自分がそういうのをやってきたけに、そういうのを覚悟してやろうとする人たちがいるのが人生観の共有みたいな部分。そういうのが和の精神だとは思うけど、和の精神やボランティアや、協調性を利用するばかりが、政治や行政やオーガニック、また、エシカルを謳う世界では多くなりすぎて、他の人に負担を求めている人ばかりでは難しい。自分自身が最底辺を担う覚悟していないと駄目じゃないのかと思う。

他の人を自分の労力や時間をとことん使って、成り立たせるように支える力って大事だと思うし、それがその人の実力何だろうと思う。今の時代には、若い人ほどそういう意識がある様な感がある。逆に偉そうに仕切ってる人たちが実際の最底辺を覚悟もせずに存在してもらっているとそういうところの改善の余地が一番大であろう。
2021年10月23日
シャトル織機のモーターが劣化してスピードが遅くなってしまっていると思っていた原因が、インバーターにあったことが判明した。インバーターのファンが回っておらず、インバーターが高温になって、インバーターの出力が落ちることでモーターの回転数が落ちてしまっていた。

インバーターを交換するのは簡単だけども、インバーターのファンだけが駄目になっただけなので、インバーターのファンを残しておいた不良インバーターのファンと取り換えて、インバーター自体はまた使えるようにした。不良インバーターを捨てずに残しておいたことが役に立った。

昔は、織機の回転数を変更するためにモーターのプーリーを交換したりしていたのを記憶しているけども、それは本当に手まで微調整などもできない。シャトル織機に付けてあるインバーターのおかげで、すごく低速でおったり、調子よく織れる場合にはスピードを上げたりと、織りにくいものがあったときもスピード調整することで織ることが出来たりする。

織機メーカーのインバーターというのは専用にできていたりして、7年ほどで寿命が来てしまう。織機メーカーの杼替えボックスなんかも7年ほどで寿命が来る。コンデンサーが7年しか持たないんだろうと思う。メーカーの専用のオプションというのは作る数もしれているのでテストなどが入念になされていないということがあるだろう。市販のインバーターのほうが入手も交換も容易で信頼性が高いといえる。インバーターが高価だったのは昔の話で今は非常に安く出回っていて、そういうのを活用するのも大事な話。
2021年10月22日
林与も産地で麻織物を織っていても織物の仕事も続いているのは、偶然的な要素が大きいと思う。がんばっているからといって仕事はうまく行くとは限らないし、かといって、がんばってもいないとチャンスに巡り合うこともできずまた、チャンスすらも生かせないということはあると思う。いろんな物事が惑星直列のようにつながって、お客さまにも支えていただきながら、麻布が生産できているようなあたり。

まずは、外に技術を求めるではなくて、自分の周辺にあるものを組み合わせて何ができるのを考えて、自分発みたいなものづくりを考えてゆくのが良いんだろうと思う。本業としてやっているので、基本の生産設備にプラスアルファの設備要素や技術要素と、一番独自性を出しやすいのが人的要素だと思う。アイデアという要素だけじゃなくて、そこに他を超えた極限みたいな要素とか、独自の味っぽい要素とか。

他である売れ筋の技術にあこがれるのは、愚の類なんじゃないかとおもったりもする。売れているからそれを求めているみたいな、ものづくりの環境をしっかりと把握してその中でどんなものが生み出せるのかみたいなアイデアが大事で、そういうところからオリジナリティは生まれてくるものだと思う。オリジナリティのためには、売れているものばかりじゃなく売れていないものでも自分だけが継続していくというのは大事なことで、それが一つの世界をつくりあげてゆく基本的な要素。

産地でも麻ブームの後は、高級とされた麻織物を売るのはどんどんと難しくなって、それでも麻織物にこだわってみたのが林与で、どんどんと規模は小さくなっていったけども、産地の特色であるとされる、細番手の先染麻織物の世界を残せてそれでよかったんじゃないかと思う。実際、今、細番手の先染麻織物を織ろうとすると林与自身が織ってもそこそこ我慢が必要なことがあるので今の糸の弱さなどからもするともう織るのは本当に難しいと思う。

10年ほど前に手掛けた150番手リネンを先染で織る超細番手プロジェクトは、やっぱりやっておいて正解だったと思っている。それまでは100番手以上のリネンというのは普通は織れないといわれていたのに産地の糊付けの技術で110番手、125番手、150番手の現行リネンをシャトル織機とレピア織機で服地幅で織った。今、やろうと思っても、糸の吟味から、それなりの力は必要である。昔のアイリッシュリネン糸を織るプロジェクトも糸だけでなく、他の環境が揃わないとなかなか難しい話なので、その時に手掛けておいて本当によかった。あのタイミングを逃していたら今もそういうことを実行したいと思っても実行はできていないだろう。あの時はデフレ不況でかつてないほど高級なものが売れないとされた時期でそのときに超高級路線を提案でき、昔からの麻を知っておられる方やリネンフェティッシュな方にはご評価をいただけた。

2000年以降は業界ではアイリッシュリネン糸がもうまったく手に入らなくなっているのに、2000年以降も日本の市場には北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネン糸を使っていると謳うものが大量に出回っていたが、そのような問題も消え、業界のリネンの糸の産地に関する正しい情報という面で貢献できたのではなかろうか。近年のリネンに疑問を感じられていた、昔からのアイリッシュリネン愛好家の一般の方々からは疑問が解けたというメールをいくつもいただいたりもした。

2000年から2008年あたりまで、天然繊維では、カシミヤ偽装問題、オーガニックコットン偽装問題、アイリッシュリネン偽装問題など。デフレのなか多くの高級素材が技巧されてしまっているケースが頻発していた。高級を謳う一番の謳いが嘘であることも疑わないといけないくらい日本の百貨店店頭も含むアパレル業界で産地偽装、品質偽装が多くみられた時期である。
2021年10月22日
学生時代に天下一品のラーメンをよく食べていたせいで、ああいう濃さが普通になってしまっていてというのがある。ネットで見たが竜王戦で京都に来る藤井聡太三冠が濃いラーメンを食べたいということで天一のラーメンなのだろうけど、たぶん、名古屋にも天一のチェーン店はあるだろうから、本店で食べるという意味なんだろう。本店は店で仕込むスープで特別なまま今もやっているんだろうか。

実際に天一のこってりスープのラーメンを食べるとコラーゲンがたっぷり含まれていて元気になる気がする、が、辛子味噌をたっぷりいれたりするので、次の日にお腹の調子が悪くなったりすることもある。私にすると今は数か月に1回くらいの楽しみで、地元の天一のチェーン店の味も悪くない。コロナ前の人件費高騰の影響なのか、コロナの影響なのか、ねぎ大やスープ大が別料金になったのが、飲食業界の今の経営の厳しさを感じさせる。

スタッフが仕事の納期を心配して、社長が今日夜織るの無理だったら電話してくださいねと言ってくれる。仕事というのは結局、外との兼ね合いなので外が見えて仕事をしてくれているのは心強い。今日と明日の夜と日曜日は私が織りを担当する予定。

ここ数日、急に寒さを感じるようになって、おとといまでは、Tシャツと短パンスタイルだったが、昨日から上はフリース、下は防寒作業ズボンを履いてみた。暑すぎるくらいなんで、夜も十分行けるだろう。今年は雪が降るんだろうか? 去年の冬も1月2月は、現場のストーブで、コーンポタージュスープを温めて飲んで暖を取っていたので寒かった印象は強く残っている。
2021年10月21日
今は、インターネットで世界中の情報が入ってくる。いろんな新しい知識を身に着けるには学校に行くよりもインターネットのほうが自主的でしかも偏らないものだったりする。それが単に知識の範囲で終わってしまうのが学校で、実社会ではインターネットで知識を得ながらそれを自分が実践してゆくというのが、実践的なやり方。

仕事なんかでもあやふやな知識や新しい分野の調べものがあるとインターネットで調べたりすることが多い、昔だったら図書館で本を探して調べるとかだったろうけども、その何百倍のスピードでいろんな情報にたどり着けるのがインターネット。

情報に関しても誰が発信しているのかなどを加味してそのバイアスを取り除きながら、情報の信ぴょう性を自分自身が判断してゆかないといけないけども、それはメディアの置かれている立場上の都合でのバイアスと同じ話。個人が情報を発信しているほうが生の情報で、そういうのがメディアを介することによってメディアによる編集や改変などが起きる。

日本はテレビチャンネルが8チャンネルくらいだけども、そのような制限をすることでコマーシャルなどで莫大な利益が上がる利益誘導的な構造。そういういびつな構造もインターネットの普及で浄化され始めてはいる。私はテレビは時間の無駄に思い、この25年ほどは、ほとんど見ないことにしている。

日本も子供のころは、なんか怪しいものが多かった。電化製品なども高かったから、怪しいメーカーが似たようなものを出してきたものである。NECのPC98なんかの互換機を出したセイコーエプソンなんかはNECから違法行為だと叩かれたが、当時2流メーカーだったセイコーエプソンはそんなことをやった。しかしながら、日本の市場はIBMPC互換機に移行し、NECもPC98路線をやめて、IBMPC互換機への移行。セイコーエプソンもプリンタに強い企業で、今は、プリンタインクに関しては互換インクを販売するメーカーを特許侵害だと訴えたりしているが、昔のことを思うと、自分たちが同じようなことやってその正当性を主張していたのになあと思う。日本の一流企業も主張に一貫性のないことは多いもので、APPLEなんかはIBMPCコンパチに移行せずに潔い姿勢で生き残った。結局、OSを牛耳れるかどうかが生き残りの肝なんだろう。マイクロソフトOSとAPPLEOSが、パソコンOSシェアのほとんどを占める。OSを独占することで、ルールメイカーなのがアメリカ企業なのである。アプリにしてもOSに対応ができなければ不具合だらけなので、OSメーカーから仕様やOSの不具合情報が得られなければとか、OSを改善してもらえなければ存在することもできない。

あと、カセットでっきなんかにしても、ダビングマシーンとして二つカセットのついているタイプは違法かどうかの論争などあったり、コンピュータのソフトウェアにはコピープロテクトがされていたり、そのコピープロテクトを解くソフトが売られていたりとか、いろいろとグレーなエリアがあったものである。小さなところがやると違法がが大きなところがやると問題ないみたいな風潮がある。

今は日本企業が優位な自動車や電気機械産業も、1960年から70年代には、アメリカの自動車を分解したり、コピー機を分解して模倣することで似たようなものを作って販売するのが日本企業の特色ではあったので、アメリカから特許違反などで叩かれていたのが当時の日本の一流企業。今は、最先端のものでも世界で一番安く作って大量生産して儲けるというのが、一流企業的な生産戦略だったりするものでちょっと状況は変わって来たように思う。国同士の対立は少なくなった。

私も田舎に住んでいるもののそれほど情報に困らないのはインターネットのおかげで、インターネットがなければ、仕事をしてゆく上でもいろんなことをやってゆくのは状況だったろうと思う。出張なんかも同じだけど、北海道に行く計画も、チケット、ホテル、レンタカーをネットで一番自分の計画にあったものを探す。それぞれ3つくらいのサイトの値段や条件などを比較して自分にあった計画を練る。旅行会社に行って組んでもらうよりもたぶん理想的なプランに仕上がる。

あと案外、繊維関係の仕事で織物の規格を決定するときとか原価計算をするときにはエクセルが役立つ。いわゆるホワットイフアナラシスというやつで、一か所の数値を変更するとその変更に合わせて他の数値もすべて再計算されるという機能。小学生のころに会社の事務所に初めて緑の液晶の計算機が入ったのだけども、あの世界にいるままなのか、エクセルの世界で計算するのかでは、シミュレーションできることが大幅に異なる。仕事で、計算をしない人がほとんどなのは、自分のする仕事を用意してもらっている部分が大きくなるのと、やっているときにも正しいかどうかすら確認しないで与えられたからやっているという形になってしまう。
2021年10月20日
将棋の世界は実力の世界、19歳の藤井聡太三冠が将棋界を支える。世界将棋フェスティバル優勝者との角落ちの対戦で当たり前に勝てるのが藤井聡太三冠で、プロのトップそのもの。

繊維の世界でもそういうのがないと日本の技とか価値観とかは存在しないと思う。損得に流れてしまって、大手と同じ様なものづくりに落ちたら駄目で、藤井聡太三冠が高校を中退したのも人生観がとことんだから。

中卒の学歴なんかにこだわらずに、実力の将棋世界のトップを目指す。そこが人間として力が超えていて価値観も超えているところ。中卒のほうが東大卒よりも実力では上も普通なんだよという価値観。レッテルにしがみついてとか人生観を失いすぎて、成金趣味と同じで、自分の実力じゃなく、守られて生きるに精一杯。

覚悟決めて物事やっていかないか、その時の力で邪魔するものがいたとしても、本気で刺しあう必要も大事な人生観。ひと世代前がだらしないことばかり言い出したときに、厳しく次の世代が正しい方向にもっていくも大事で、それをやらなければ落ちてゆくばかり。

藤井聡太三冠には私自身も励ましてもらっている。若い人ほどまともな感覚持って損得なしに情熱でものごとにぶつかれる。年を取るごとに損得や保身になびいて利己的なことばかりに走って社会をボロボロにしてしまう。戦前の特攻でも、なぜ10代が特攻なのか、それは本当に自分の子供すらも自分の保身そのもので親の特攻するでなく自分の子供に特攻させるような悲劇。

村社会的な年功序列のいびつな構造の社会そのもので。人間として褒められたものでもない。戦争を煽っても自分を犠牲にするのでもなく、犠牲にするのは次の世代というのも笑えるようなレベルの話。日本もそういうのからやめないか、自分が前線で戦うつもりもないのに戦争煽って自分以外の人間を先に、自国民を犠牲にするのはまさに中に自国民の敵がいるような状態。日本もここまで落ちつづけて、自分がかわいく、自分の命令する立場で罪悪感すらなく他の人間を戦場に送り込む。日本政府にしても、一番待遇のよい防衛大臣が前線で戦うもせずに末端が前線で死んでゆくが当り前では、主人と奴隷の関係そのもので、奴隷社会を批判すらもできないよ。末端の前線で戦わないといけないものに首相や防衛大臣並みの待遇を与えるべきでないと搾取社会そのもの。逆構造で一番安全な場所にいて逃げているものが一番の良い待遇が当り前とかあかんよ。

戦艦大和の話を、子供のころに読んだ、最後に艦長が他の者を退避させて大和と一緒に沈んでゆく覚悟。それが大事だと思うけど、日本の政治や官僚社会には偉そうにしても保身ばかりで、人々からの搾取の典型で、立法や法律も巻き込んで今の行政が成り立ってしまっている。民主主義というよりも独裁国家に近くなりすぎて民主主義的じゃない独裁者になびこうとするものが政治の世界でも増えすぎて怖いなあと思う。

本当にまともに考えているものが選ばれないような裏の構造、今回の首相選びでもよくわかる話で、政権を握っている自民党の中も裏は自分の意見も通せない、通したら干されるような民主主義的じゃない構造そのもの。国民の代表である国会議員ですらも自分の意見や主張すらも通せないようでは、民主主義すらも無理だろう。人々が不平等な奴隷社会問題そのもの。
2021年10月20日
月末に手織り織機を取りに行く、行く途中もう一軒、名古屋で別の織機を手に入れ車に積み込んで近くの駅の駐車場に車を止めてセントレアに向かう。セントレアからは札幌に行く。最初は車で取りに行こうと思ったけども、飛行機で行くほうが安いので、飛行機で札幌に飛んで、レンタカー借りて、織機を分解して運送会社に持ち込んで発送する作戦。行く途中もう一軒、名古屋で別の織機を手に入れ車に積み込んで近くの駅の駐車場に車を止めてセントレアに向かう。今週末は、京都でも1台手織り織機を譲り受ける。

林与の昔の手織り織機は何十台も分解して倉庫に眠っているけどもいかついので、洋織機タイプの方が軽くて便利なので、手織りの洋織機も4台くらいはもっているけども、手織り織機がたくさんあれば、本業のシャトル織機のように、たくさん織機があれば、いろんな織物の縦を使え、いろいろ織れるから面白いだろうなあという構想。

それまでに10月の仕事を終えておかないと。

2021年10月20日
こぎん布が上がって来て、出荷の準備。織るのはできても問題は糊付けの想定、糊をつけるとどう縮むのかを想定しないといけない。普通の生地なら縦横の縮みはあまり気にせずに洗いを掛けた時の収縮率などの物性を気にするのだけども。こぎん布というのは、刺すときの縦横の目の数などを気にしないといけない。また、糊付けというのは普通の加工と違って、縦横の縮みというのは少ないもので引っ張った感じで糊を付けるので、目が開き気味になり、こぎんも刺しやすくなる、そんな想定。初めての糊付けなので、やってみないと分からないところがあって、想定をしながら、とりあえずやってみるしかない。生機のときよりはハリも出てぺたんと上がっていい感じではある。

必要なリネン糸がなかなか入ってこずに待っているんのだが、コロナで海外のリネン糸も手に入りにくくなっているのだろう。糸もどの銘柄でもよいのなら国内にある糸を使えばよいのだけども、一つの企画に使う糸というのはどの銘柄のどの番手の糸と決めているので、最初に決めた糸を使い続ける。

唯一、この前のキッチンクロス規格では、使おうと思っていた銘柄のその番手が他の仕事で少し毛羽感があったので違う銘柄に変更をした。たぶんそれが正解だったろうと思う。その糸が用途に適切なのかどうかとか、仕上がったときにどうかで、使う糸の銘柄を使い分けるというのは自分としては大事だと思う。

お客さんがそういうのを想定してくれないことが普通で、品質を安定してつくるという部分でしんどいことも多い、糸を先に将来使う分まである程度確保したり押さえておかないといけないのだけども、そういう想定はお客さんにはないものであって、そう都合よく使いたい糸の在庫が国内にあるとは限らないのである。

作ろうと思っても作れない状況というのは、糸、人、織機の3つの要素。糸が手に入らないとか、小さな会社なので手が足りないとか、その織物を織るのに一番適した織機が空いていないとか。他にも、特殊なモノづくりは、染の染料が廃版になったとか、特殊な染めをやめたとか。加工も同じで特殊な加工をやめたとか。

10年くらい前につくった見本などで、お客さんが特殊なものに興味を惹かれると、そういうのはだいたいもう今は作れなくなっている。撚糸を使ったものなども、小ロットでの撚糸が難しかったり、また、小ロットでやるとコストが非常に高くなったりで、今は企画が難しいのである。

特殊な染の案件があったけどもやるならやるで最善の方法でやらないと後から問題が出てきて薬品から変更とかはすべての問題のない工程もやり直しで致命的。新しい企画というのは50mくらいは作ってみないと問題が見えてこないことも多くて、後で問題が見えてきた時には致命的。

他にも、サンプルを手軽な手織りでつくって本生産をシャトル織機で織るというのもほんと本生産が難しいことが多く、その幅のシャトル織機でサンプルを作って本生産ができることを確認したものでないと、いろいろな問題は見えてこないのである。手織りでのものづくりは手軽だけども、量産には向かないのはそのあたりで、量産の前にシャトル織機で一度サンプルを作っておくのがあとあとの問題を避けるための方法。海外のブランドの方がハンドウィーブで10cm角のサンプルを作って見せてくれないかと頼まれたりするけども、そのほうが簡単は簡単だけども、実際に動力織機で量産する時にはいろいろと問題がみえてくることがあるから、イメージというだけですと伝える。

10cm角のサンプルは生機なので単なるイメージですというが、実際本生産では加工もすると縦横の色からして経糸は引っ張られて加工があがり横糸はアップアンドダウンするので強めに色が出る。それで結局色味がイメージと違うとなったりする。手間が2度というだけでなく、手を抜いて無理やりやったものに近づけるというのは至難の業で、それを1回で解決できる保証もなく、2回やったりしたら、その仕事も成り立たなくなるし納期も危なくなる、そして当たり前に他の仕事もできなくなったり。

手軽にやろうとする感覚というのは、手軽にやったものは単なるイメージだが本生産と同じだと思ったりだとの想定だと、あとで問題を片付けるのは大変だったりする。アパレルさんの事情などで手を抜いてコストを抑える開発というのは後で問題が起きた時に本生産が中止になったときには手を抜いたアパレルさんの方が費用などを面倒見てくれたらよいけど、最初からコストを抑えようとする企画の人が、あと本生産での失敗などの大きな費用を負担できるようなことはないのである。

プリントなんかでも技術の人と話すと問題も起こりにくいが、営業の人と話をするとプリント工場の人なのに話していることがまったく理解できていなかったりで、あとあと大きな問題に発展することが多い。色なんかでもあとで何とでも調整できますと簡単にいわれても、いざ本番になると出たとこ勝負も多かったりするもので、そういうときには私が現場で色の調整をさせてもらうことも多かったりする。現場の方が色の再現ができないといわれても、案外、色が濃いとか薄いとかの問題がなぜなのかの原因が分かるのが私だったりして、近いところまで1時間とかあれば持っていける。今までも協力工場が解決が難しい時には、現場で解決に立ち会わせてもらって指示して乗り越えてきた。
2021年10月18日
新しいインディゴ染めのビームが巻き上がってそれを今日は下に下した。だいぶ体力なんかもなくなってきて、いつまでこういう作業ができるのかは心配だったりするけども、普通の人だと無理な作業をまだまだやっているのでやれているうちにやっておかないとと思う。

年を取るごとに仕事というのはできなくなってくるもので、そういうケースを多く見てきたが、中には仕事を真面目にやっている人もいてそういう人というのは年を取っても器用でさぼることもないし若い人には劣らない。そういう人が私の手本だったりして、社会というのはそういう人が支えているんだと思う。私に仕事を教えてくれた方もそういう人だったし、小幅の仕事をやっておられた地元の社長もそういう人だった。自分の親ではない人に、働いて成り立たせるまともな生き方を教えてもらった気がする。

林与の先代夫婦というのはどうしても地道な仕事が嫌いで他の人にやってもらうタイプだったので、そういうのの軌道修正というのは、自分の親に真面目に働く気持ちを持つべきだとか、指図ばっかりしていないで自分がやっていくそれが仕事だとか、自分の親に対して本当に厳しい話である。そういう基本的な仕事観の問題から消して行かないと、地道な繊維の仕事を続けてゆくことは本当に難しい話。指揮しているものがずぼらだと危機感すらもなくどんどんと傾くのも当たり前。いつでも、ゼロとかマイナスからでもやって成り立たせてゆく意志と行動力、そして答えとなるものを生み出して成り立たせてゆく、それ以外のフロック的なことで成功をしたとしても、毎年そんなうまく行くことはないのである。前の世代が次の世代を立てているような家や産地は機屋も世代交代もスムーズでうまく行っているように思う。

織機の問題一つをとっても、ちゃんと正しい原因を見つけて解決してゆかないとならないのだけども、それを短時間で辿り着けるかどうかで来まる。いくら時間があっても原因が分からず解決できないなら次からその仕事は受けることが出来なくなるし、その織機もその時点で問題が残ったまま、織物のプロとしては仕事する力がないという結論になる。織物をつくるときにはいくつものチェックポイントを自分は儲けて誰に言われなくても確認してやってるから成り立っているけど、普通はそういうのを心掛けている人というのはおらず、やった仕事にしても再現すら難しいのが普通。

糸のコンディションの違いを感じたり、その感じた違いに応じてテンションを適切に調整したりすると解決につながるけども、大体の人というのは同じ問題で何度も引っかかって織れないから抜け出せないことが多い。真面目に8時間働くとかそういうのがそもそも難しいとなってくると、そもそもそういう問題の解決すらも無理で織機が新しい時はとりあえず怪しい部品を交換してなんとかなったりするけども、交換する部品なども限られてくると部品のわずかな問題や違いに応じて調整を掛けるとかが大事になってくる。、

織物は企画したらすごいみたいな感覚だともう無理で、最後量産が安定してできる所まで、技術だけでなく織機を扱う人の仕事に対する姿勢までも正しく持って行かないと、他を超えたようなものはできにくく、自分自身が落とし穴があるのに気が付いて落とし穴に落ちないように組み立ててゆかないといけない。頭で理解している技術よりも、地道に計算したり地道に作業したりの部分が大事で仕事に取り組む素直さみたいなものが一番大事だろうと思う。機械というのは正直だったりするもので、問題があるときに機械よりも作業している人の問題であることが多かったりする。

そういうのを指摘したときに素直に対応してよりよい方法を採用できると仕事の問題も減って仕事としても成り立ちやすいのだけど、中だけの世界で生きている人というのは指摘されて素直に改めるではなく、逆に気分悪く邪魔してつぶしにくることが多いから、仕事の本質を分かっている人でないと仕事を正しくこなしてゆくのは難しいだろうなあと思う。外の世界で、いろんな環境の中で新しいことをいろいろと毎回正しくこなして行く経験を持っておくことは大事だろうと思う。
2021年10月17日
自動車産業もエンジンやガソリンから、モーターやバッテリーの時代に移り変わろうとしていて、自動車産業も日本から中国へとシフトしてゆくような流れになるだろう。日本車の優位性という面では、電気部品や電子部品の信頼性の高さというあたりだろう。

コンピュータ部品なんかが、海外で出回るバルクの安い物を使っているパソコンメーカーのパソコンは、一つ一つの部品の性能の品質検査では引っかからない問題で、立ち上がらないなどのトラブルが続出する。織物の織機の電子部品なんかも昔のものは長持ちするけど今の物は1年で故障するとかで、昔のものほど日本製のパーツだったりして10年くらいは持ったりする。携帯電話なんかも同じだと思う。1年2年で不具合がでても持ち込んで交換や買い替えするのが当たり前になって、長く使おうとすれば延長保証などが必須になってくる。

自動車なんかも、EV化が進むと、3年保証が付いてバッテリーが劣化するだろう3年くらいで車検前にリサイクルするような電気製品扱いになってくるのではないかと思う。車検制度を見直す機会になるかもしれない。

ドコモで通信障害があったけども、意図的に誰かがやったわけでもなく、ドコモのシステム障害、5Gで自動運転とかどう考えても怖い話なんだけど、そういうのは想定せずに、事故が起こると想定外だったという責任逃れ。せめて想定して危険性も謳いながら事故を未然に防ぐ対策は練っておくべきだろう、死亡事故の時には裁判沙汰で、今回のような通信障害すら弁護士が立って不利な証言はしないのが普通の法的な対応で、責任逃れ一辺倒になり原因の究明すら難しく、本来の正しい対応すら難しい問題になるだろう。非を認めなければ5Gの自動運転も安全と続けられるけど、非を認めてしまえば安全でないから続けられないというような話になる。日本の政治や行政や大企業的体質なら前者の対応で、技術の問題じゃなくて、技術を公正に正しく運用し、原因の究明ができるフェアな感覚が必要だが日本の法的な枠組みではなかなか難しそう。たとえばアメリカだと、ボーイング社の対応みたいな大きな誤りが起こるのが普通で、被害者側が徹底的に戦わないと国家や大企業体質というのは責任逃れが普通で、墜落の原因をバードストライクにしたいボーイング社。
2021年10月17日
コロナ禍で、展示会受注ベースでの生地の生産というものは成り立たなくなって、コロナを機に今後は消えて行く可能性がある。高級路線というのは展示会受注形式だったところが多く、それがコロナでまったく成り立たなくなって商売を閉じられたところが多い。

展示会受注形式というのは、新しいものを企画してそれを受注の入っただけ生産しようとする方式。コロナ禍だと、展示会そのものが流れてとか、展示会にバイヤーさんがお越しいただけずに、発注をいただけないも普通にある話で、サンプルの時にサプライヤーには負担をしてもらって、本生産が流れてしまったり、小ロット生産でサプライヤーがさらに負担か、本生産を辞退したりとかもありうる。

展示会やって入っただけは必要だから、それに応じて生地を作ってというのは、値段を度外視ならできるけどもそんな約束は本当に難しいので、そんな約束を前提に話をしたら後でややこしくなるだけ。受注が不透明な場合には、在庫の範囲でなら対応できるからその範囲でつくられませんかというような提案をすることは多い。

高級アパレル路線は展示会受注形式が多かったから、その路線で企画に応じて発注を受けていた機屋さんは、このコロナ禍では企画も流れて発注もなくなすすべがなく、閉じられてゆくところが多い。正社員的な雇用形態と、委託的な展示会発注形式が相容れないところもあって、コロナ禍で、高級アパレルでのオリジナル生地に関しては、繊維業界の展示会受注形式という慣習が淘汰されるタイミングとなったのではないかと思う。(プリント生地や後染め生地などは生機があれば対応しやすいので、展示会受注形式が続くとすればプリントか後染め生地という形で残っていくだろう。)
2021年10月16日
ちょっとの贅沢感なのだけども、トロピカーナの丸ごと果実感という粒の入った100%ジュースがある。半年に1回くらいだけども、飲みたいなあと思うことがあって、久しぶりにグレープフルーツを買って飲んだんだけど、今までのような粒粒感がまったくなくなって、普通のジュースに変わってしまった。えっ。10数年、ほんとたまにしか飲まないけどいい感じの特別感が今までいつもあったのに。

このコロナでグレープフルーツの入手もなかなか難しくなってしまったんだろうか。逆に、消費が落ち込んでしまって、野菜や果物は余剰気味のような気もするけども、ああいう特別な感じを出すためにはそれなりに手間が必要だろう。
2021年10月13日
今日、ある工場の社長さんとお話していると仕事がほとんどなくというような状況であるそう。今の生産シーズンに入っているのに仕事がないというのは現場や人員を抱える工場としては本当に厳しい話。コロナの影響もあって高級な百貨店ブランドものを扱っている工場ほどその傾向があったりもする。また、伝統的な産業もイベントなどがなくなって着物需要が極端に落ちてしまっているのでその影響は免れない。

需要が落ちている一方で、ラミーを使った良い時代の昔ながらのものづくりは非常に高くついてしまうので、作る側としても使う材料からして織る前に同じ番手だとリネンの2倍以上だったりして生地としては値段も付けにくい。需要が減る一方で値段が高くなるというパラドックスだが、これは産業の存続としては非常に危険な状態ではある。需要が小さくなったものだけで食べていこうとすると、現場や人を支えることがどうしても難しくなる。

一方で、自転車の前タイヤの空気がないということで空気入れを探して使ったが、その空気入れが古すぎるからかうまく働かず、空気入れを買うことに。空気入れが100円で100円ショップで売っている。どうすればこれを100円で作って売ることができるのだろうか。林与にはそんな力はない。