for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2020年9月
2020年9月
リネン日記:29
2020年09月30日
エコの流れの中で、ノートパソコンも携帯電話も、電池すらも交換できない仕様となってしまう流れ。基本的な精神の部分で、業界そのものがなにをやってるんだか。

充電式バッテリーほどエコなものはないだろうし、そのバッテリーが悪くなったときに簡単に交換できることが大事なのに、そういうのを交換しにくくしてしまっては、エコとは逆の流れそのもの。

最新のノートパソコンや携帯電話が好きじゃないのもそのあたりで、完成度の高さから言うと交換できるバッテリーの仕様のディバイスのほうがメンテナンス性も上。消耗品であるバッテリーの交換が難しいなんてエコでもないし面倒なだけだと思うが、メーカーというか、キャリアにとってはそれが都合の良いことなんだろう。

バッテリーの劣化や問題というよりも、携帯の問題としてしまったほうが、修理をメーカーに任せてしまって楽チンということだろう。今の消費者への透明性が求められる世の中で、携帯電話ほど不透明な分かりにくい契約というのもないだろう。意図的に、宣伝で安く見せて、実際は高いとかがほとんど。虚偽で利益を生もうとする精神が1社だけでなく、どこもそんな感じ。説明する代理店や社員ですらも分からない契約内容、そんなものをお客にサインさせることで成り立つ携帯契約。

結局は、電波利権といわれるような本来は公共でみんなのものを独占して利益を上げるような感覚が、そういう契約の随所にも取るばかりの姿勢がうかがえる。成り立たないだろうなあと思えることでお客を集めて、集めて成り立たなくなったらまともに考えたら無理ですのでお客様もご理解くださいみたいな話でサービス停止で破綻するキャリアもある。これって、消費者が途中で契約内容をまったく無視して代金払わないのと同じレベルの話。キャリアそのものが悪意のある消費者みたいな状態。キャリア制度というのは、本当に怪しい制度なのである。

その諸悪の根源みたいなものが電波を管理する国の絡んだ利権構造にあったりもする。今のNTTをドコモが子会社化する話も、逆じゃないのか?なぜ、固定電話の維持費を携帯電話代に上乗せするようなユニバーサルサービスまでやった経緯があるのに、古い体質のほうに吸収をする。親方日の丸殿様商売の復活への活路だろうか。
2020年09月29日
今日はインターンの学生は整経の作業。初めてながら簡単な説明のあと整経の作業を1日やってもらう。10バンド以上整経をこなしてもらったが、その辺りで夕方6時で今日は終了。今日はホテルではなく先輩の家に泊まってもらう。

林与は昨日今日と、試算表の作成ための入力作業などに追われており、慣れない会計ソフトの使い方を入力された仕訳の意味を考えながら、また、会計ソフトを作った人の考え方を想像しながら、会社の会計を入力してゆく。

手書きで試算表を作るよりも、仕訳を入れるだけであとはソフトが試算表を作り上げてくれる。ただ、コンピュータに入力するのが苦手な人にとっては非常に苦痛な作業だろうと思う。タイピングが全く苦痛じゃない林与でも、カーソルをいろんな場所に動かしながらミスをせずに入力をしていくことは苦痛に思えた。

画面が小さいと頭の中でデータがどこにあるのかを想像しながら確認のための画面の切り替えも多くなるので、コンピュータも2画面使って作業すると作業がかなりはかどる感じ。50過ぎても新しいことを学んで実践していくことは大事だと思う。

2020年09月28日
今日はインターンの学生は、チーズワインダーで糸を割る作業と、割った糸を整経機にセットして、整経の準備作業。指導の目が行き届かないタイミングができてしまい、チーズワインダーの2錘が撃沈。

たぶん、昔の繊維の世界のものづくりというのは、慣れた人だけが機械を扱うのであまり機械というのは壊れないものだけども、林与の考え方はそれとは反対で一人の人がすべての工程をできる力を持つという考え方。慣れるまでに機械などを壊してしまうことがあるので、普通の工場というのはそういうことはやらないものである。

また、本生産の仕事なども、慣れていない状態で実践していかないとならないので、大きなダメージとなることもあるけども、それを恐れていては、人は育たないと考える。やる気のある人には経験して習得するチャンスを与えるのが大事なこと。

機械は壊れても修理もできるだろう、そういうのを乗り越えていかないと人というのは育たないものだと、私の経験からしても思う。周りが新しい人が失敗するのを恐れて、その新しい人が失敗する経験を持っていなければ、失敗の実際の意味も分からないプロ?ではダメだろう。失敗したときにその失敗をリカバーするとか、その分働いて取り返すとかが出来ないと本物じゃあないと思う。
2020年09月25日
今日から学生の方のインターン、順調に行けば1週間で糸から織物に出来上がるまでを自分で体験してもらえる。ひとつ心配なのは勉強ばかりしていると立って一日中仕事するというのがなかなか難しいこと。

いろんなことに追われて仕事していると時間のたち方も早いものだけども、時間が来るのをまっているような作業だと逆に苦痛に終わるだろう。

今日、糸を巻いてくれる82歳のおじいさんのところに電話したら、腰が痛いということでそろそろ仕事も無理そうだというお話。チーズアップの機械も分解して林与の倉庫に運ぶことになりそう。それなりの場所をつくらないといけない話だが、なんとかなるだろう。

こういう機械を捨ててしまうことはもったいないし、チーズアップをできる場所も少なくなっているので自分の中でチーズアップできるような環境を持っているのは悪いことではない。できるところまで、無理のない範囲でおじいさんには仕事してもらえたらと思っている。
2020年09月24日
仕事というものは仕事始めてからの経験よりも人生観みたいなものが仕事には出るもので、その辺りが仕事をできるできないの違いや伸びしろがあるかないかにつながってくるものだろうと思う。

経験者でも仕事をちゃんと教える人と、仕事を取られないように教えない人がいる。どちらのタイプの人が仕事ができる人かと言うと、他の人の面倒まで見られる前者なのだが、そういう人というのは本当に少ない。

たとえば、解決できない問題があってそれに私がかかわったときに何が問題だったのかを聞いても隠すタイプの人がほとんど。経験者としての能力が低いままなだけでなく、そういう問題の解決を共有もしない姿勢、そういう人が本当に多く、機械なんかのことも分からないまま仕事している人は多いのである。

ある大手商社のある国法人の社長をしていた人でも、部下に仕事は教えないといっていたが、理由が仕事を取られるからという自分のことしか考えられない社長なのに大手企業だと社長でも逆にサラリーマン状態、貿易の実務のことを聞いてもちんぷんかんぷんのようで、会社に養われていたのだろうなあと思えたり。繊維では大手企業の役員クラスというのは自分の損得勘定が先に立って、零細企業のサラリーマンの世界と似ているなあと思う。
2020年09月23日
布を企画したい人が布をつくる現場を知れば分かることが多いだろうと思うが、実際に布を作る現場を経験することのない人がほとんどで、布の価値がどこで生まれるのか分からないだろうと思う。実際に布をつくることになると本当に子供なのである。

あるテキスタイルデザイナーの方が、林与に来られて現場をみられたときに、糸のつなぎ方を教えたことがあって、普通はそういうのも知らないままに先生が多く、そういうのを教えられたときに、先生というのは逆にそういう基本を教えられるのを嫌がるだろうけども、その方は自分ができるようになるまで素直に尋ねて努力され、優秀な生徒そのものの姿勢でもちろんできるようになられた。そのときに思ったのはこの人は評判だけでなく本当に素直に布の世界を知りたい人だなあと。著名なテキスタイルデザイナーでもあり、大学の先生もされていても、学生のように素直に糸の結び方を学ぼうとされる。

たぶん林与くらいだろうと思う、そういう有名なテキスタイルデザイナーの人にあっても、そういう織物や繊維の基本を教えようとするのは、そういうのが布を作る基本で、そこから布の価値が始まる。

立場が違えば糸の結び方なんてどうでもよいことだろうけども、そういう基本を知ろうとする姿勢が大事で、基本の中に本質が詰まっていたりするものである。この機結び、縦繋ぎなどできなければ布を修理したりもできないだろう。布の世界にいながらも布に手間や時間を使う気持ちを忘れたり、それを軽んじては、布に本質的な価値を詰めるは難しいだろう。

布を自分でつくることもできないというのはありえないと思うのだが、そういうのが今は普通になってしまって、海外生産や海外人材なのだろう。布を自分で作るところに価値観もあるのだが、それを自分でできる人というのは日本では本当に少なくなっている。

基本の糸の結び方などを教えようとしても覚える気もない人というのは糸編の仕事には向いていないだろうと思う。でも、そういう人が日本の糸編の世界ではあふれていたりするので、どんどんと日本の繊維産業も衰退していくんだろうと思える。
2020年09月22日
この連休はアメリカ人の友人と10年ぶりくらいだろうか会うことができた。観光とかじゃなく、世間話がほとんどだったけども、学生時代以来からの友人。次に会えるのは10年後とかだろう。

存分に3日間、京都、大阪で、お酒をのみながら、昔の思い出を話したり、お互いが元気にやっているのを分かって、学生時代の昔の友達というのは良いものだなあと実感をした。

その友人には翼が付いているように思えるくらいに自由に世界中旅行もできる境遇で境遇は違うけど、私自身がいろんなことに縛られていることが多いのも別に悪いことではなかろうと思えたりもした。流れは逆であろうとも、逆流的な流れをできるような流れに自分自身で変えてゆくだけのことだろうと思う。

流れに乗るだけで流れが止まったら終わりというものが理想だとしたら、それは別の世界だろうと思う。多くの人がその流れに巻き込まれて結局自分の力ではどうしようもない。自分で立って自分の環境をつくってやっていくというのは今の時代には難しいことになってしまっているけど、そういうのって生きていくことの基本の部分ではないのかと思う。
2020年09月21日
電気自動車というのは基本使い捨てという考え方が適切で決してエコノミーではあっても、エコではないと思えたりする。10万キロで電池を交換しないといけないタイミングとなって、ガソリン代にすると120万円浮かせられる、10年乗った自動車に70万円とか使って、電池を交換する人がどれだけいるだろうか。実質10万kmが寿命なのである。中古としても10年落ちの車が、70万円の電池交換を必要とすれば流通はなかなか難しい話。新しい車に10万kmの寿命しかないというのはもったいのない話。

でも、10年落ちの中古の電気自動車を10万円くらいで買えるなら、バッテリーを70万円で載せ替えて乗るのは良い方法なのかもしれない。10万km乗ればガソリン代が120万円浮くから、実質、5回の車検代もいれてプラスマイナスゼロの維持費。また、10年落ちの中古の自動車が、2度目の人生を持つことができる、だが、他の部品などの供給が難しくなるのかもしれない。

10年落ちの車に乗ることさえ抵抗がなければ、このあたりが地球環境を考えたうえでも一番エコなあたりではないのかと思えたりする。

2020年09月20日
インターネットが始まった1990年代に、インターネットを使わない人がファックスで生き残るみたいなビジネスを展開していたグループが存在した、1600万台が日本で普及するという話で、50万円のファックス端末を購入する話。

そんなことはありえないとそれをやってる近所の方を否定するのは酷な話だけども、実際にそのファックスは普及もせずに今はだれも使っていないんじゃあないのか?会社も消えているだろうと思う。

儲け話みたいなものが後ろにはついているけども、そういうのに自分が欲で引っかかるのは仕方ないけども、他の人を引っかけてしまうのは気が引ける話である。今でもインターネットが使えない人がいて、ファックスで注文をしたりする場合もあるけども、ファックスのほうがちゃんと送れたか送れなかったかも小さな画面でごちゃごちゃと設定を探さないと見えないブラックボックスだったりする。

無料でいろんな情報を発信でき、無料でいろんな情報を得ることができるインターネットの普及を知らない人にとっては、そういう会員制のファックスが近未来を感じさせたのだろうけども、普通のファックスすら知らない人が逆にそういうのを信じて買ってしまうんだろう。

勧誘はしつこくもなく、信じないならそれでよいですと言われていたが、ある意味、今の投資詐欺事件と似ているので、20代の若い私が、40くらいの人にインターネットは普及してもそんな時代遅れの50万もするファックスサービスが1600万台も普及するなんてことはないですよと言ってることがやばいですよと釘を差す話。40過ぎてる人がこんなのにはまってしまってるんだろうと思えた。
2020年09月19日
クマなどの大型で人命をも奪う可能性のあるものは殺されてしまうのだが、シカにしても大型でも害獣として駆逐が必要となる。人命も熊や鹿などその他の動物も守りながらが難しいのは、人という存在があるからなんだろうなあと思う。

クマや鹿でも本来は仕留められても食べ物になるべきだろうけども、なかなかそうもいくまい。イノシシなんかでも、野生の動物を食べたりすると寄生虫の問題でアレルギーを起こしてしまう可能性も高い。

そういう動物たちがのびのびと暮らせるような自然の中での場所があってもよいだろうけども、それはそれで人のいない自然状態を作らないといけない話になってしまう。山にしても自然木であればそういう動物たちも生きられる可能性はあるが、杉林では食べ物をみつけることも難しいだろう。

日本でも動物たちのために、人間が踏み入らない自然を残すというような試みが必要な時期にきているのではないだろうか。個人がそれをしようとしてもフェンスを張るなどするだけでも、非常なお金が掛かってしまう。川などもある無人島などに動物を送るようなことが理想ではないだろうかと思う。

人間の都合で駆逐されてしまうのはかわいそうすぎる話である。
2020年09月18日
物事というのは成り立つように考えていかないと成り立たないものだなあと思うことが多い。なんにも問題のないレストランなんかでもこのコロナで多く廃業となってゆく、本部が決めれば終わりみたいな話で、実際は働いている人が自分たちの意志でレストランをやっているわけではないのであるからだろう。

コロナが終わればなんとかなるという覚悟で、働いている人たちが本部を説得してでも、あるいはオーナーとコック一人ででも自主経営で成り立たせていく形にすれば残せる道もあるだろうけども、そういう考えにはほとんどの場合ならないものなのだろうと思う。

個人経営のレストランなんかは自分がやるかやらないかだけ、そんな感じが基本で長続きするんだけども、100人のお客さんが入ることができるようなフランチャイズのファミリーレストランというのは、食材なんかもレトルト化されて暖めるだけのものも多くなっているし、食材の原価率も20%台だろうけども、それでも成り立たせることが難しいのが広告宣伝費や人件費とテナント代、巨大な設備の維持問題なんだろうといえる。効率化が進みすぎたがゆえに、効率化が働かない場合にはなすすべがない。

数年前のある大雨の日に、近くのそこそこ人気のラーメン屋が看板の照明も消して店の中の電気はついている、やっているのかやってないのか分からない状況。ワンオペの状態で、店を一人で店員が回しているお客さんは私一人、アルバイト店員が一人で何かの事情でお店を任されたのだろう。自暴自棄でその店員さんは愚痴をこぼしながら腐ってしまっている。私一人がお客さんなので一人を相手にすればよいのだが、それでも一人もお客さんが来ないように照明も消していたのだろう。従業員として一人いても、お客さん一人分のラーメンをつくるのも嫌そうな感じ気の毒に思った。情熱のラーメンの店が謳いなのではあるが、一人一人にそういうのがあるのではないなあと思える。多くの従業員がいないと成り立たない量産型の店舗経営。

また、別の時に、別の牛丼とカレーがメインのファーストフード店、7時半くらいに朝行って食べ始めると、急にあと15分でお店を閉めますという話、次のシフトの人が来ないということで、そのワンオペしていた人は家に帰らないといけない事情があって店を閉めるということ。そのとき思ったのがそれでよいんじゃないかと思う。その女の人にしても、単なるアルバイトで、早朝の1時間、2時間を任されているだけなんだろうから、次の人が来ないなら、店を閉めるというのもありだろう。本来はそういう場合には、本部の社員が来て対応をするべきだろうけども、本部の社員でもアルバイト一人がこなす仕事を背負うような覚悟もないだろう。スーパーバイザーみたいのは指導だけで自分が代わりに業務全般を知ってはいても実際の緊急時に一人で覚悟決めてこなせるようなタイプではないだろう。それで成り立つのがファーストフードの人気のお店。

東京で夜に入った、さっきと同じファーストフードのチェーン店では一人が20人以上のお客さんの相手、外国人のアルバイト女性店員。料理をつくる、片付けるから会計まで、多分、働いてそれほど長くもないのだろうけども、それを嫌な顔せずに次々とこなしているすごいなあと思った。この女の子なら何をやっても成功するだろうなあと思える。おっさん店員が一人いたとしても3分の1のお客さんをあいてするのも無理だろう。普段は3人でやっているみたいだけど、たまたま、その日は他の人の都合が悪くって一人だという。そういうピンチを支えられる力というのがあるのが、20歳くらいのアルバイトの女性の女の子、世界中どこでも働けるタイプで、将来は企業経営して成功する器だろうと思う。

フランチャイズの本部というのは本来はピンチのときには社員を派遣しないといけないのだがそういうのもできずに搾取状態にあることがほとんどで店任せ。店も能力のある人と力のない人の差があって、店にたくさん人がいたとしても、能力のある人が能力のない人を支えているような状況なんだろうと思う。休みなんかも社員なんかが優先されてその穴埋めがアルバイトだから、大事な時ほどアルバイトが成り立たせているようなもの。

能力のない人がかわいそうに見えるかもしれないけども、能力のある人が自分のことだけでなく他の力のない人の分の仕事も2倍3倍仕事して支えてで成り立っているもので、能力や他の人を思いやる気持ちのある人というのはかわいそうに思える側面がある。
2020年09月16日
涼しくなって仕事がしやすい。今日は、リネンデニム用のかなり重いビームを巻き終わって一階に下してつなぐ作業。ちょっと失敗があって、後で手で繋がないといけない話に、難しい織物だけにうまく織れると良いが・・・。

織物を知るということで作業を手伝ってもらっている方には、夕方から繋ぐ作業を眺めてもらう。やればやるだけ作業は進んでは行くけども、まだまだ織出しは先の事。明日一日くらいは掛かりそう。

並行してキッチンクロスのサンプルを織っている台が繋ぎ始めてから数えるとで1週間くらいでようやく終わりそう。途中カード作って洗って仕上がり寸法を測ったりしながらサイズなども希望サイズに程度に収まっている。

他に2件サンプルを作る話、本生産用の糸なども順番に上がってくるので、順番にやっていかないとならない作業は多いけど、余力ができれば3月までに久しぶりに林与プロジェクト的なこと動こうと思っている。

2020年09月15日
日本の政治をみているとどうしようもない泥臭さがあって、死ぬまでわしが、わしが、いうこと聞かんと干すぞみたいなのに縛られているような気がする。世代交代をせんと、そういうのに巻かれないと生きてゆけない若い世代はつぶされてゆくだろう。

昔、中国に秦の始皇帝がいたけども、後世からみれば偉大な事業をしたようにみえるけども、多くの人たちが奴隷状態で国のためじゃなく秦の始皇帝のために奉仕ばかりの人生。真の始皇帝は自分が不老長寿の薬で永遠に皇帝であろうとした。日本の典型的な政治家の人生観みたいなものはそれに近いのではないだろうか。国家統一とかは人の欲程度の愚かなものでしかない。支配欲にまみれた政治家と関わらない、影響を受けない人生があっても良いだろう。

織物の世界にいても、わしがわしがの人は多い、自分がやっていれば別に構わないけども、仕事する側で人を使いたいばかりの輩はどうしても他の人を働いた分を食う側にしか回れない。アメリカファーストのようなトランプ的な政治だけは目指さないでほしいと思うが、政治家がトランプみたいなのに憧れていると、それを実際に支える底辺的な階級がどうしても必要になってしまう。逆に自分で働いでてもないものがトランプの相手をしているのも、虚構にしか思えない。なぜ、働いて支えているものを悪いことをしているように見下すのだろう。古着を着るとかリメイクするとか簡単なことじゃなく、コットンを育てて、紡いで服を作るとかのレベルまで行ってほしいなあと思う、きっと見えてくるものがあるだろうと思うが、そういう作業を見下しているようではいつまでも他の困っている人を支えられるような人間性は生まれないだろうと思う。

なんか、エシカルナ賞で1000万とかが副賞とか、どれだけ金満で救える人も救わない世の中なんだと思う。それで何百人もの食べるものもない命が救えたりするけども賞や式典や審査委員の権威が大事なのかと思えたりする。ノーベル平和賞も同じことで、実際食べるものもない人間に1憶をばらまいたほうが現実的には命を救えるが、賞というものに権威主義的になって、上から目線になってしまうと存在自体が主催者たちの権威ためという愚かなところになってしまう。

ノミネートに力を使うくらいなら、貧しい人々の命を救う活動にその労力をと思うが、手を汚したくない人間が運用していると、それは絶対に無理な話。

私が滋賀県の行政がボランティアしてますか、みたいな上から目線の基準。公務員というのは搾取的な部分が多く、責任もないボランティアなんてものは簡単なこと。ボランティアじゃなく、人を雇用して成り立たせていくという本質を大事にしてゆかないか。それを支えている人たちを叩いてもしかたない、支えているものは支えられる側よりも覚悟を決めて働いているのに、それを見るものがその覚悟もなく、為政したいレベルだと傲慢な搾取的な考え方を理想に思うレベルでしかないんだろうと思う。それはボランティアとは逆の反ボランティアの行動そのもの。

国際的なリーダーを養うという大学を中心とした団体がある。主旨には賛同をするけども、結局が、企業がすべて負担して面倒を見なさいというようなレベルだと、感覚自体が学生のアルバイトレベルでしかなく、逆に、求めるばかりで搾取的なリーダーが増えるだけではないのかと思う。取るばかりのリーダーを育ててどうするのと思うが、リーダー養成機関ですらもそれがビジネススタイルでアカンだろう。学生自体のインターンシップが現金すぎて成り立たないのだろうけど、本当のリーダー経営者を育てていくには難しいだろう。日雇いのアルバイトのほうが覚悟があったりして、本職というのは本質的にはそういう日雇いのアルバイトの人以上の覚悟で他の人を育てて面倒も見ていくくらいでないとサステイナブルでもないだろう。リーダーがまず自分の待遇を求めるところから始まるという、養う側のリーダーが養われる側の世界。大学の先生たちの軽い感覚あるとそれは学生にも影響を及ぼして、結局、自分自身が食べてもいけない学生をリーダーとして育てている学校教育に終わってしまう。それなら、学校で勉強しなくても、コンビニでバイトして現実社会を味わったほうが大学以上のリーダー教育の価値がある。

人を支えていくということは、自分がじゃなくの世界で、昔の家族が食べていけないから自分が頑張って働いて家族を支えていくの世界。国民が食べていくのが難しいから自分が働いて国民を食べさせていくみたいな覚悟が政治家にも必要だろうけど、与党にも野党にもそういう覚悟はまったくないだろう。カネがすべてで、政治はカネの取り合いだけに終始。政治がそれじゃあ一番駄目な政治だが、それが普通の政治になってしまっているのが末期状態で、政治家の政治の仕事のほとんどが自分たちが責任から逃れ待遇を享受するというのが普通の政党のスタイルでそれが国民からの搾取で成り立っている。政治家はせめて、日雇いの底辺以上に現実的に働く覚悟もなければ、人々の面倒を見る政治家も目指すべきではないだろうと思う。

トランプでもアメリカファーストといいながら、政権が交代すれば、まったく、国政には協力しないだろう。私が本当に残念に思うのは、滋賀県知事をやった知事の人が、自分が立ち上げた事業に、知事が終わったら個人として、費用負担して見に来ることもないこと。それが政治家の現実で、最初に開催された時には、自分があいさつに来て、そのあと引き継いで行われているイベントでも、あいさつにきて大事なイベントといっている元知事ですらも顔を見ることがない。知事の政治的な食い扶持に人々の本気が社会を支えていく気持ちが使われては本当に困る話。自分が数千円の観覧費用も負担できず、見に来る覚悟もないイベントをバックアップして立ち上げて政治とは、地元行政が本当に情けないのである。
2020年09月14日
環境負荷という問題を考えるときに、シャトル織機は環境負荷がすごく低いだろう。例えばモーターは1馬力とか1馬力以下とかが普通で、レピア織機のモーターが3馬力くらいなのと比べても、消費電力の違いの差は3倍くらいの差で大きい。なぜ、そんなに馬力がいるのかというと、レピア織機の場合、ブレーキを掛けるのも電気の力だからだろう。シャトル織機は、止まるときもブレーキをかけていてもやんわりと止まるし、框を手で動かすことができる。あと捨て耳もでないから、糸の使用量もレピアより5%くらい少ない。水溶性の糸道油を塗る必要もない。だが、生産性は低いし、耳切が必要だったり、シャトルの交換が必要だったり、人が機械の面倒を見てあげる必要がある。

シャトル織機のほかの問題は、シャトルとかが消耗品であることで、今は日本では1つのメーカーしか残っていない。高品位なシャトルなのだが、1つが1万円くらいはして、普通のものを織るには壊れることも少ないが、高密度などの高度なものを織ろうとするとシャトルを挟んで、はさんだ場所が悪ければ、シャトルも壊れるし、織機の部品も壊れたりする。織機の調子が悪い時には、調整で立て続けに新しいシャトルが2個3個壊れることもある、ほんとうに稀なことだが本当に落ち込む話である。シャトル織機の金属製の部品というのは使い方にもよるけど、10年、20年、長持ちものが多い。その分、油を毎日少し差してあげないといけないけども、油の使用量も、1滴に2滴で微々たるものである。一方レピア織機では、油はかなり消耗してしまう。

今は鋳物を溶接することが難しくなってしまって、シャトル織機の鋳物が欠けてしまったときにそれを直すことも難しくなってしまった。溶接にしても、溶接面を面取りしたりと、人の力を必要とする作業で、機械に任せれればくっつくというものでもない。ましてや、鋳物の種類すらも不明で勘で一発勝負で溶接となる。匠の技みたいなものが必要である。

日本での織物の織機メーカーは、シャトル織機に関してはすでになくなっているし、レピア織機も1社あっても特注らしい。国内アパレル向けの織物生産規模がどんどんと小さくなっているので、その織機のメンテなども難しい話が多くなって、スペアでパーツを持っていないといつの間にか手に入らなくなるみたいなことが普通。今の最先端のものづくりだと、最新の織機を入れて7年くらいで償却してまた新しい織機を入れるとか、そのためにはよほど大量生産をしないといけないし、織機もまだ使えても部品が手に入らなくなるので入れ替えすることになる話で、環境負荷は大きいのではないかと思う、というより、そういう大規模な工場そのものが採算が合わなくなって消えてゆく。すなわち、小さな工場よりもサステイナブルではないのである。

日本なんかでも、大手のアパレルが廃業となっても、ブランド名は売買されるが、従業員たちは雇用を守るということが重視されて、逆に、人がお荷物みたいな存在で、リストラもできず、全員解雇で廃業を選ばざる負えないのである。一つの会社の存在よりも一人の人生のほうが長い状況で、人の雇用の面倒をみるというのが成り立たなくなっていて、一般的に脚光を浴びるのが何千億もの利益を上げて消えてゆくようなスタイル、それを理想としてどうするのと思うが行政にしてもそんなもの。長く続くようなスタイルを目指さないとその場の風見鶏的な判断していては、地道な経営ほど評価が低い。林与のような地道な考え方は、今はそんな時代じゃないという人も多いし、よくわかるが、そういうのに仕事の意味とか人生の意味があってよいんじゃないだろうかと思う。自分が働いて自分だけでなくほかの人も支えるとか、サステイナブルの理想そのものじゃないかと思える。

シャトル織機が酷だなあと思うのは、なかなかベテランの職人さんでも、シャトル織機で麻織物の特殊な織物を織るのは難しいという問題。レピア織機は調整箇所が少ないので、織れるものも限られているけども、シャトル織機の場合には、織機が壊れるような調整も可能、だから、特殊な織物を織る調整にも持っていきやすい。調整がはぐれたシャトル織機というのは、元の状態に戻すことが難しいので、なにか一つ大事なことに気が付かないと何か月かけてもまともに織れないということもある。人には酷だけど環境には優しい。でも、体を動かして働くということになるので、シャトル織機を動かしている人というのは頭も使うし健康で長生きできると想像。
2020年09月13日
昨日あたりから涼しくなって、たぶん普通の人だと肌寒いくらいなのかも、気温が下がるとコロナの活性化が増すだろうから要注意なのである。寒い中での体温38度と、暑い中での体温38度とでは、体力の消耗度合いも異なるだろうから、とくに冬のコロナは要注意。コロナも体内で活性化しなければ問題ないのだが、冬場は風邪などの症状と相まって活性化しやすい。また、吐息すらも白く漂うのが冬で普通に息をするだけでクラスター状況に陥りやすいだろう。夏場と冬場では、対応を使い分ける必要があるように思う。

イギリスのワクチンも治験で副作用がみられたというが、その詳細すらも発表されないようなお粗末な話。商売に悪影響がでるからだろうけど、コロナウィルスのワクチンに関しても契約だけが先行して、すなわち、株価を高騰させるとかそこがワクチンビジネスの一番の目的になってしまわないように注意が必要である。製薬会社の人間が自分たちじゃなく、ボランティアで治験というのもさすがだなあと思う。決して自分たちが手を出さないものを商売として他人に提供しようとする。ラットでは成果が出て副作用も見られなかったのだろうが人間だと副作用がみられるという問題。

紫外線の消毒の問題も要注意である。ラットで目に問題がなくても、人の目には影響が及ぶ可能性は否定できない。メーカーの社員や大学の教授が、その装置を直視して1日やって、失明しないから大丈夫とかなら信用もできるが、そういう馬鹿なことはやらないだろう。短期的な影響と長期的な影響では健康に対する安全性の概念は異なる。除草剤を2L飲んでも大丈夫という科学者が、差し出されたときにそれを飲むのかというと絶対に飲まない話だが、科学者というのはそういうものを2L飲んでも安全と謳ってしまう下衆なところがあるものである。結局アメリカではその会社の農薬も巨額訴訟問題になって、そのメーカーは消えたが、遺伝子組み換えとか、安全性や社会に与える影響よりも金儲けが先に立つと、社会に大きな渦を残して最後の大きな責任からは逃げるだけというだけの人たち。

除草剤を掛けても枯れない遺伝子組み換え植物。食べて本当に大丈夫なのかという問題。大丈夫と言ってる会社の食堂では遺伝子組み換え植物は材料としては使われないとか、自分たちが安全というなら率先して食べてゆくべきだろう。カネミ油の問題でも、結局、国もメーカーを調べもしない方向にもっていくという問題が被害を広げた。輸出産業というのは国益になるので、国内では禁止しているものでも海外輸出向けには製造と販売を許可するというのが世界中である農薬ビジネス。メーカーの人たちは自分たちの油の危険性を知っていたんだなあと思う、メーカーの家族の人たちがカネミ油症になってないから、自分たちは自分たちの製品を使ってなかったということ。先進国では危険だと禁止されているものが農業が盛んな途上国では安価で即効性があるから大量に使われているのが普通。本来は先進国内の問題なんだけども、そういうビジネスは王道的なまま同じ感覚でエコなビジネスも行われることも多い。
2020年09月12日
朝から、昨日繋いだ新しい織機を立ち上げようとスタッフの女の子と一緒に作業。それを織るのには一番調子の良い織機につないだのにシャトルの通りがよくない。杼箱にシャトルが入るときの音が違和感がある。開口の調整、杼箱の押さえの強さの調整、右側のピッカーの軌道修正、畦棒を入れたり、開口の高さの調整をしたり、シャトルを上下交換したり、消極送りの重りを加減したり、でもちょっとやそっとのダメじゃない、ダメな感じ。このダメ感は、長い冬の到来を予感させる。下手するとこの一つの仕事でほかの仕事ができなくなる可能性が高い。織っても織ってもシャトルを挟んで傷になり、せっかくきれいに準備した縦も使ってしまって予定通り織れなくなるので、根本的な原因を見つけ出す必要がある。朝から元気に織る予定が、途中で脱力感と焦燥感に襲われる。

私にとっては順調に動いている普段の仕事というのは何ともないのだけども、こういう一番調子よく調整してあって絶対にうまく織れるはずと思ている織機が、まったくの調整不能に陥ってしまうというのは、一つの普通の仕事がうまくできないようでは機屋を辞めないといけないレベルの話。こういうときに一人ではなく二人で作業を進めることで、作業自体じゃなく原因の究明に頭を使えるというのはありがたい話で、夕方、6時前にとうとう原因が分かった。片側のプーリーのねじが緩んで空回りしていたようである。ほんの小さな出来事が命取りでセッティングした私のミス。機械は正直なのである。

作業した二人の1日が傷を織るマイナスだけで消えてしまったが、原因が究明できたことはうれしい。糸から布までに何十もの工程があるとして、その一つが問題であるだけで、織物が正しく織れなくなるという怖さ。そしてそれが見つけられなければ、織機を持っていてもその織機はスクラップやジャンクと同じ。使えば使うほどマイナスが増える。一生懸命に頑張っていてもうまくいかないことも多いもので、まだ、今回、私自身が立ち上げしているので絶対に何か問題があるというのを思っているので、最後まで成し遂げられるけども、例えば織るのを外注に任せた場合に同じことが起こったら、糸や整経の問題となる可能性もあるだろう。その織機でほかの織物を織ったらちゃんと織れるということになり、もうその織物を織ることは断念してしまう可能性もある。

いろんな原因を探る作業、無駄に思えるけども、織れないときにそれを面倒がらずにするのかしないのか、やったとしても元に戻せるようにコントロールしながら作業を試せるのかなどが、ポイント。織機をやみくもに調整するのはすごく簡単だけど、適切な状態をキープしながら、いろんな場所の調整を確認していくというのは、やっては戻ってやっては戻っての繰り返しで、何倍も疲れるが、それができないと、動かすために織機に調整を加えるだけでやってしまうと、本来あるべき調子のよい状態からそれぞれの個所の調整がどんどんと離れて行ってしまう。組み合わせ的には10の個所の3段階の調整で済む話が、何千とか調整から最適な一つの調整の組み合わせに戻す話になる。それだけは本当に避けないとならない。半年や1年、時には何十年も1台の織機が動かないというようなケースはそのたぐい。織機の問題ではなく、人の問題であるのだが、なかなか何十工程を一つも間違えずに正しくできるということは少ないものである。

これは織物工場での出来事だが、工程の多い工場では同じような感じだろう、一つ間違えば結果が違う風に出てきてしまう。すると違ったものに上がってくる。織物工場ではないが、何十年問題なくつかっていた機械が人が変わるととつぜん調子が悪くなって入れ替えしたみたいな話も聞く。私自身、糸から布まで、10回仕事して9回正しいくらいかと思う。10回に1回くらいの失敗だからなんとか成り立っている。それが、10回仕事して7回とか8回正しいだと食べてゆくのが極端に難しくなるだろう。スピードの問題でもなく、上手な人というのはスピードも速く経験も何倍もしているので、ゆっくりな人ほど経験も少なく失敗も多いというのが普通。

今日は最近では珍しいくらいの原因不明の織れない問題から始まった。仕事というのは結果できなければダメという厳しい世界、これができなくなった時には引退だろうなあと思う。初心者も経験者もおんなじ土俵に立っているのだと思うのはここ。できて結果を正しい結果をだせれば仕事だけど、そこまでやれないと残ってはいけないという厳しさがあったりする。織機というのは買ったときというのは一番調子が良いだろうけども、だんだんと使っているうちに部品も消耗して調子がずれてくるもので壊れたりもしてくる。

今、人員を削減し生産効率を上げるために新しい設備を入れ替えるみたいな方向性があるけども、そんな機械というのは機械メーカーの保守ができなくなったら終わりというだけのこと。一番の問題は、現場の人の力を必要としないので、作業している人の能力が低下してしまうようなあたりだろう。私も仕事をし始めた時に、糸を結ぶのを自動化できないかとばかり考えていたものだけども、糸を結ぶことは今も人間が一番上手にできる。糸が切れるごとに、一本の糸を結ぶのに機械を使ってたらそのセッティングだけで手間が増えるだけだろう。海外の紡績工場じゃあ、結ぶのが面倒くさくって、揃えてぐちゃぐちゃとして結んだことにしている紡績工場もあったりで、はさみも使っていないの30cmから50cmほどの結び苧がついている。機械化された紡績工場では機結びができない現場の人間が糸を作っているような状況が、紡績会社の仕事で支給された糸から伝わってきたこともある。

基本的にあの糸は駄目ですよという話をするが、実際の問題を知らないで糸の会社が糸を扱っているということもあって、フィードバックもされないだろう。織っているときに糸のぐちゃぐちゃとやったところが緩んできて傷になる。1反織るのにその問題で10か所傷ができるような糸。後ろに回って、糸のぐちゃぐちゃ結びの問題を解決しながら織るような話。別の糸の会社の支給の糸を織った時も、最初のロットの糸の毛羽がひどくて傷もよくできるし織るのも苦戦。結局ショートしてしまって、こちらが弁済しながらの追加として70ほど織る話になったのだが、今度送られてきたいとは色もきれいで毛羽も少なくきれいな糸で、問題もなく、きれいに織りあがる。ぼこぼこしておらずフラットな糸なので、糸の織縮みも少ない。糸の問題も吸収しながら織るけども上がった分が足りないよとか平気で言われることが多いので困る話。糸支給の仕事というのは基本受けないほうがよいだろうなあと思うのは、そのあたり、50点、60点の糸が回ってくることがある。

海外の紡績工場などに糸の問題を伝えるとちゃんと改善されるケースが多いが、国内の糸商さんでは本質的な問題を自分が被らないので海外の紡績工場にまでちゃんと問題を伝えるような人というのはいないことはないが数少ないものである。糸商さんにとっても海外から糸を買うということはギャンブルみたいなところがあるだろう。仕入れてみて使ってもらって使えれば商売になるし、使ってもらって問題が多ければ売るのも難しく損ということになるだろう。林与もオーガニックなどでは織るのすら苦戦することが多い。オーガニックはどうしても原料の強度が年々弱くなる傾向にある。正直なのだろうけども、オーガニックゆえの問題だろうと思う。織れない問題も多いが高いオーガニックの糸、別枠で支えてゆかないと難しいだろう。
2020年09月11日
若い人がたくさんいる工場で、新しい人がたくさん入ったのかと思ってすごいなあと思っていたが派遣の人のようでなかなか定着も難しいということ。逆に、判断や技術を要する仕事では人によって同じ作業をしても全く違う結果になるので大変だろうなあと思う。

ものづくりというのは、作家的なものづくりなら名前つけて一個、一個がばらばらでよいのだろうけど、お客さんの仕事を受けて決まったものをつくらないといけないような仕事では、目の前の言われた業務を言われたからやっているというようなくらいでは、結果は、人が変われば出来上がってくるものが安定しないバラバラなものになりがちだろう。

また、派遣の人にしても派遣で数か月でやめる仕事だから言われるままに作業するが仕事だと思っている人も多いだろうし、その感覚だと何が正しいのかを覚えないまま、毎日が過ぎてゆくだろう。経験したことのない仕事を始めてやるときには何が正しいか分からないのも仕方ないが、再度同じ仕事をするときに同じ仕事の結果を出すようにしないと、大量に流れるものを一定の品質に保つことも無理で、出たとこ勝負の仕事になってしまいがち。派遣の人に仕事の責任を問うのはむりだろうし、結局それがその工場の品質のばらつきとなってしまいがちである。

時間が経てば経験を積んでということに期待ができるのかというと、また、新しい人に変わって状況の改善も難しいだろう。昔は任せておけば同じものが上がってきたけど、今は、任せてしまうと同じものがなかなか上がってくることが難しいのも現場の人がころころと変わるからだろう。

昔、プリント工場に仕事を頼んだときにも、最初の年は、版が良い感じにできて、次の年には全然違う、あとで聞くと人が変わったからだという話。同じ仕事でもやる人によって個性が出てしまうのでどうしてもプリントなんかだと最終の商品を良い感じになるような技術も必要で、コンピュータの操作で版をつくるという作業では終わらない。最後の仕上がりがどうなのか見て分かる人がいないから難しいんだろうなあと思った。

何十年、プリント工場をされている技術肌の社長に、赤味が差しているのをなくしてほしいといっても、その意味が理解してもらえない。スキャンしてこれがそのデータそのものだの一点張り、スキャンの仕方次第でスキャンデータもなんとでもなるのだろうけど、新しい機械のことは現場の人に任せてしまって、その任せた人が変わると社長も何をどうやったら赤味を消せるのかも簡単にはできない話。デジタル化されたものづくりになって、コンピュータの設定やソフトをうまく操れないと、何十年の経験の社長でも話も通じにくいとか、プリントの版を作るコンピュータソフト使わせてもらえたら私がなんとかできるかなあと思う問題、そういう問題がなかなか解決が難しい。新しい人にしても、そのシステム使い始めて数か月の人だろうし、赤味をなくすが難しいもよくわかる話。また、人が変わるとプリントデータつくるのもそこからの話。
2020年09月10日
損か得かで物事を考えていると行動できないことが多いだろうなあと思う。お金を使っても意味のあると思うことはやっておくべきだと思っている。自分が働いてお金を払うみたいな世界なので、一般的には受け入れられにくい概念だけども、そういうこと受け入れられる人というのやはり残れるんだろうと思う。

お金のために物事をするとかじゃなくて、物事をするためにお金を使うというスタンス。うまく行けばお金も返ってくるし、うまく行かなければマイナスも当たり前。そういうのを割り切って前に進んでいける人というのは自分で立っていけるタイプの人だろうと思う。

サラリーマンしてられた方が独立されて同じ業をされたときに、もう亡くなられた方で当時70近い方だったけど、サラリーマンの時の感覚が抜けないのか、自分は会社じゃない個人だからと、お客さん側に以前いた会社の機能を求められている感じで、なかなか商売は難しいだろうなあと。過去のサラリーマン経験が自分で商売をされるときにはマイナスに働いているような印象。
2020年09月09日
一生懸命やってても駄目だなあと思うことも多い、今回はいつもよりもテキスタイルマルシェの準備に時間を使ったつもりではいたけども、間際になって結局洗いを掛けたものが乾かないとか追われてしまって、準備日、一番最後くらいに会場入りで準備。担当の方には優しくしていただいて夜10時の一番最後まで付き合っていただき申し訳ない話。

コロナでお客さんは少ないだろうから、売るということよりもいろいろとちょっと変わった試みをしたいなあと思ってミシンを持ち込んで実演したり、テキスタイルマルシェなので反物もたくさん持ち込もうと思ったりして、逆に買ってもらいやすいキッチンクロスとか、マスクの準備が手薄になってしまって。

9月で生産時期に入って、生産時期の11月初めくらいまでの仕事の予定がかなり埋まって糸の準備などをしたりとか。珍しく綿麻の織物を織るんで、その綿の糸の手配もなんとかうまくできてよかった感じ。それでも3週間ほど待つ話。糸商さんにも晒してある綿糸の在庫がないような状況で、綿の生成の糸を晒すのに3週間。ちょうど今日は染色工場に行って話を聞いているとそろそろ仕事が入り始めてきたという話でかせ上げが詰まり始めているということ。早めにいろいろと動いておいてよかった感じである。

簡単なことがその場で動ければ簡単に済むが、後回しにしないといけない事情があったりすることが多く、頭の中でいくつもの案件がこれもあれもとなってくる。なにか一つ揃わないと、後回しにしないといけないことがいろいろとややこしくなる原因の一つ。優先順位を決めて順番にやっていくしかない。今日も朝から百貨店からの荷物の返送の手配を地元の運送会社から電話があって、ファックス1枚を送るだけのことなのだが、送り状番号や集荷先、日程、などなど検討して書いていると1時間ほど時間使ってしまう。運送会社の人が私のことを良く知ってる人で電話貰えて、ファックスに書ききることのできない集荷の細かい段取りを理解してくれて助かった。

その後に、運送屋さんがリネンデニムに使う25番のオフ白の糸、ドライバーが年配のおっちゃんだったので荷下ろしを手伝う、そして、午後からは別の運送屋がリネン40番のオフ白の糸、ドライバーが女性の方だったので荷下ろしを手伝う、雨が降り出して、ちょっと箱が濡れ始め、急いで自分の車に積んで、再度、在庫糸の量を調べなおして足りない分を染めるため染の指図と納品書を書いて染工場に持っていく、1か月ほどで納品予定の仕事。糸の箱一つ24kg入なのだが、今はそれを持って運べる人というのがなかなかいないもので、私の仕事になりがち。糸商さんの部長から電話があって久しぶりの電話だったので近況報告などしたり、8時くらいに出荷、夜は巻き取りと整経の作業。中国向けの在庫案件を調べないといけないのも夜に行う。この前に送った中国向けのEMSが1週間ほどかかってしまっているので、まだまだEMSも完全には復活していないようだ。

生地をつくるのは洋服をつくるのよりも時間が掛かる。今の空いている時期でも糸を染めるのに2週間とか、300mとか織るとなると1日15m織れるとして1か月仕事。
2020年09月09日
決断力みたいなものは本当に大事な力の一つだろうと思う。強い決断力を持っている人というのは迷ったり躊躇ったりしている人よりも前に進みやすいと思う。そして新しいいろんな経験もできるだろう。周りの人間や環境に合わせているよりは自分の目標とするところ、正しいと思うところに全力で向かうのが意味のあることだろうと思う。