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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2019年8月
2019年8月
リネン日記:17
2019年08月31日
私くらいの50代の世代というのは大学のときにもコンパとかでイッキ飲みとかが流行ったような時で、戦後の高度成長期が終わった後のバブル時代の最後のあたりを経験していて、みんなが集まって食べたり飲んだりというのが社会の義務的な部分であるみたいな経験をもっているので、義理ででも出席するというのあったりする。楽しむために参加するというよりも

半分が行事で半分が飲んで食べてみたいな、仕事なんかでも先代の世代は半分が仕事で半分が付き合いみたいな形。組合なんかに所属しても食べて飲んでが好きな人というのは、毎日、毎週ほど食べたり飲んだり集まってしていることなんかも多い。食べたり飲んだりを求心力として組織をまとめようとするやり方みたいなものが、義務的な要素では成り立たなくなってきている。本当にそういうのが好きなだけの人もいて、もてなすというよりも自分の趣味の飲んだり食べたりに付き合わさせるような人もある。

好き寄りでそういうのをやってるうちというのは良いのだが、組織が集まって何をするのかというとそれが主体になってしまうともう難しい話になるもので、パーティーみたいなものは企画したとしても、最初集まってあとは自由解散的にしておかないと、その次、その次まで考えている人たちに付き合っていると普通の物事すら成り立ちにくくなるものである。

田舎組織でよくあるのが、年上の者が年下の者に強制して酒を飲ませたりとか、酒なんてものはもてなす気持ちを失っては駄目で、俺の酒が飲めないというのかみたいな偉そうな奴は、結局、組織そのものの人間関係を駄目なものにしえつぃまうような力をもっている。結局、自分の言うことを聞けみたいな上下関係つくりたいような組織は自然崩壊に向かってしまう。そういうのなくても組織はちゃんと回らないようにしておかないといけない。打ち上げとかは本質的な行事やったあとの余力的なものでよいのである。

林与の先代も、村一番のアル中みたいなところがあったのでそれで勢いを持っていた時代には通用したが酒が仕事と関係ない時代になると考え方からして一番やっかいな人ということになってしまう。そういう人が中心でいた組織というのは次の時代には運営に苦労するものなのであって、そういうので組織をまとめるみたいなことは早めに脱却しないと、次の世代というのはピュアな部分だけ淡々とこなせるのが普通で、偉そうにしたい人間なんて必要はないのである。

この繊維の仕事にはじめ入ったときにも、一番厄介だったのは経験持った偉そうにしたい人たち仕事なのにもったいぶってできることもやらない。そういう人というのは仕事のできない素人以上にやっかいだから、素直に仕事する若い者にすぐに追い抜かれてゆく。そしてそういう厄介な人たちというのは自分たちの権利みたいなものに必死で、仕事のノウハウを次の世代に教えず隠すから存在自体が大きな問題だったりする。私からすると仕事でやってるなら共有しないといけないことなのに一生懸命隠して自分だけがその仕事を知っているみたいに持っていこうとする。そういう人というのは自分がいないと仕事ができないかのような感覚でいるから、仕事の問題点などでも指摘して気に入らないと仕事の邪魔し始めるから、早めに仕事から身を引いてもらうほうがよいだろう。

田舎組織だけでなく大きな日本を代表するような商社のような組織でも、イタリアの法人の社長した人が結局自分の立場を守るために、部下には仕事を教えないとか笑えるような話を言っていた。そんな人が10年やってたら会社潰れてしまうだろうと思うが、別にその人にとってはその人が社長でいることが大事なんだからほかの人に譲るくらいならつぶれたほうがよいんだろう。人間が小さすぎてその人自体の能力も大したこともなく、実際の貿易の実務的なことを聞いても知らないことが多すぎて、一方で、別の生地商社の人はまったく何もない地域で一人市場開拓してほんとうに力があって、アドバイザーとしても問題解決能力をもっておられて人もできている。仕事も人としても敵わない力をもっておられるのが分かる。繊維業界でも、次の世代は今の世代以上に強くないと残れないだろうが、現役世代でも仕事の邪魔したり次の世代を邪魔するような構造があることが多い、そういう人が古い体質でそもそも問題要素。
2019年08月30日
以前、仕事関係のお客さんが、別の人は外注で整経してるけど、林与さんは整経を自分の会社でやるんだから安くできるでしょう見たいな逆な話。内部でやったほうが確実に人件費も掛かり設備維持費用も高いけど時間も節約できて自由度があるから内部で整経作業をするので外に頼んだほうが安いのは普通。複雑な整経だと時間も読めないし、外の整経屋が理解できず整経を間違えてしまうことももちろんある。また、支給の糸が1kgとかなので、それを割るだけで1日、2日掛かるような話だと誰も受けたくない話。

よほど量がまとまらないと見本から仕事していて成り立つはずがないのである。見本をやると時間だけ計算しても何十時間と織りあげるには掛かり、内部の人件費だけでも費用は縦1本、5万くらいは掛かってしまう。それでも、見本は無料でとか、1、2万でできるだろうとおもっている人も多かったりする。本生産で何百メートルも入れば成り立つだろうが、本生産で100mとかだと本生産も人件費も出ずにマイナス。他の仕事でマイナス分を穴埋めしないといけない。

小ロット生産というのは基本費用がむちゃくちゃ掛かるので、今の日本のアパレルのほとんどが小ロット生産の見本代というものを払うことができない。一つ1万とかのバルク料金で見本を作って協力もしていた生地商社の転職された新しい人が、そういうのもわからないで、見本作ると実際の費用は7万8万掛かるの当たり前ですよというと、その20年繊維業界にいる人が、初めて知ったといわれてた。1円でももらったら仕事は仕事ちゃんとしないさいみたいなどうしようもないこと偉そうにいってる人だったけど、本当に20年の素人もいたりする。生地の企画で覚悟もなく企画では困る。

結局、その新しい担当になってからは仕事は小さくなり流れる話ばかりしかも二股三股の話で最初から相手にしないほうが良いレベル。個人のサラリーマンが自分のもうけを考える程度のことではサンプル生地一つもできない。自分の給料の金を使って、本生産で売れてやっとつかった給料分が返ってくるという普通の商売の感覚がないとオリジナル生地の企画は無理なのである。結局、その商社向けにはサンプルを一切作らない流れになった。

オリジナル生地というのは費用が高くつく、お金を用意して注文もいれる覚悟があればできないことはないのだが、1点に使う費用だけでも通常は人件費4万から5万、材料費4万から5万、加工代1万から2万、出てゆくだけで10万円程度掛かってしまうのが普通。会社の間接費用とかも含めると利益ゼロでも15万円くらいはかんがえておかないとオリジナルサンプルなんて受けられない。そういうの用意できる会社があるのかというとなかなか日本の繊維企業では難しいのである。

昔、25mづつ先染めで1500円とかの請求で4色つくって、本当だといくらで売らないといけない生地ですかという質問があったので、1m4000円くらいでは売ってもらわないと成り立たないだろうというと、私がぼったくっているかのような話に思われた方があった。実際、払った分で、1m3000円は掛かってしまっているものを、掛かった費用以下の1500円で成功してほしいと思って販売した、それほど費用が掛かっているとは思っておられないのだろう。その人にも最初から言ったのは、高級な生地というのは日本では売るのは難しいという話からしていて、海外で1000円で仕入れたものを3000円で売る商売のほうが成り立ちやすいのである。

1反50mとかの小ロット生産だと、糸からしても染代が2倍かかったりするし、ロスも通常のロス計算からさらに2割3割できてしまう。加工も見本料金。普通の生地でも50mで生産すれば500m生産する費用の2倍が掛かるものである。林与では普通に、自腹でそういうの覚悟して見本をつくることあるけど、50m作って1m3000円くらい外に払っているのが当たり前。5m、10mだけの試作とかだと普通の生地でも1mあたり1万円以上かかっているものも多い。

高級という意味ではそれなりに高いコストを掛けてものづくりしているので理想的ではあるのだろうけど、なかなか、サンプルに10万とか15万使えるアパレルさんというのはすくないので、サンプルつくるだけじゃなく、量産も一緒に一気にやらないと費用面で成り立ちにくいという話になる。アパレルさんによっては、オリジナル生地でもサンプルが必須だったりするところが多いのだが、あと検査なんかもいれると検査代が2万とかも普通。求められるものは多いけども費用をどんどん高くしてしまうようなものづくり、確認確認でものをつくらず、思い切って一気に作って浮いたお金で、もう一つ仕事をするほうが良いのではと思う。

また、見本費用が払えないだけでなく、仕事で発注書も出していても売れ行きが悪ければつくっても買わないお客さんもいるから、そういうところは相手にしないくらいが丁度の対応。日本の繊維業界の企画するものにプロがいなくなっているのを思う。サンプル見なくてもこんな感じになるというのが分かるのがプロのものづくり。また、多少の違いというものは料理の仕方でプロならカバーできるとかがないと、作る量も少ないだけに成功は難しいのではないだろうか。

一番困るのが掛かる費用を案分して企画しようみたいなタイプで、そういう人の企画には乗らないほうが良い。企画するものが費用の面倒をみて企画を進めてゆくのが普通だから。成り立たない企画とか倒れる企画も多く普通なんだから、そういうの自分がしっかりと覚悟して企画しないとダメだろうと思う。費用をみんなで負担して売れたらみんなで分けましょうみたいな企画だったらやらないほうがまし。売るものがしっかりと責任をもって自分が買い取って売らないとダメなんだろうけど、そのあたり当たり前に買取できない人がほとんど、製造業だってぜんぶ糸も買って染代も加工代も人件費も払ってやっているが、売る立場の人間が自分が買取ができないとかの論外がまかり通って、全員でただ働きして売れたら全員で分けましょうみたいなどうしようもない話になる。自分が売れないものにも払う覚悟がない気軽な身分がいて企画しているのが問題だろうと思うところ。

生地を売るのが難しいと思うことは多いけど、高い生地でも評価してくださる個人のお客様というのは多い。生地問屋の方でもいやなら自分で売ったらよいといわれて変な義理が解けて助かる話、それでいてその人のやってる先に私が売るのはやめてほしいとか頼まれて、なんじゃそりゃ。その先ですら私と同じ年の社長が覚悟ももたずなのが分かってどうでもよい話で、仕事をゼロにした。その会社から林与のものづくりへのこだわりが消えたのは、そのアパレルのものづくりへのこだわりが何分の一になったということ。その会社がつぶれたら何千万の損をする覚悟していて、間の人が逃げて、私がその資金繰りの面倒見る話で、その会社の社長も同年代で覚悟もないのが分かって、だれもが普通の覚悟もできなくなれば覚悟してる人間が一人だけで終わるしかない話で、それはそれで覚悟もない形で回ればよい。
その会社の親会社のひとも覚悟なく、専務取締役が約束しても見本作った段階で、コストも下げさせて売る自信がないから発注を4分の1にしてほしいとか、私が60万くらい外に払う分で使って年商800億円の会社が、その60万円もかぶらず逃げる話だから、年商800億円というのが成り立つ話。年商800億円の会社駄目なのわかってて、私に近い人の頼みだったからここは支払いなど怪しいからといいつつ義理で受けて、自分も1か月ほど動いて、結局外に支払った60万をかぶる話。日本の旧体質の繊維商社はその程度で、立場の弱いものを食い物にして値段約束させて買う量を4分の1にするのが普通のやり口。そんなの受けたら見本で60万つかって、本生産でも大きな赤字。それでいて800億円企業はなんの痛みもなく、値段をさげさえ少量にかき集めて商い。60万を惜しむより、60万円を自分がかぶって、腐った企業と縁が切れるなら縁を切ったほうがましな話。母体が腐っててはその子会社のアパレルもどうしようもない。日本の繊維業界というのは大きくやってても一つの仕事にでもその程度の覚悟のない話だから儲かっているというあたり、大手SPAのほうが覚悟決めて動いていることが多いので負けちゃうのも当たり前。
2019年08月26日
アイデアを種とするなら種を持っている人や花を探している人というのは繊維業界にはたくさんいる。繊維業界に足りないのは、種を芽に育んだり、芽を花まで育てたりする人。また、種が花になるまでの自然環境みたいなもの。サルがカニに種を与えてカニが育てたカキを横取りみたいなことが多かったりもする。繊維業界を根本的に育めるような人が増えてゆくことが大事だろうと思う。でも、ブランドさんにも余力がないし、問屋さんにも余力がないことがほとんど。余力をつけるように働かないとならないのだろうけども、働く時間の限られた状態で自分が食べてゆくだけでなく家族も養ってゆかないとなると、どうしても他から取るような構造に陥りがち。悪徳企業でなくてもそうなってしまうのが日本社会の構造的なもの。途上国にいっても食生活が豊かで生活もゆったりしていて、先進国である日本よりも豊だったりする。

サンプル作ったりが種を芽に育むことだろうし、また、コンスタントに作業して布を作り上げることが花まで育てることに似ているだろう。技法だけにこだわっている人も窮屈で、技法を知っていればすべて解決ではなく、ものを作る環境が大事だということわかってない人も多い。過去にもよい生地というのはあったけどもその加工方法は需要が足りないとかで消えていったものも多い。

ものづくりには人という要素は非常に大事で、つくる人が異なれば、同じ材料、設備があっても、花が咲くのか、すべてゴミになるのかの2つの結果。その差には作業手順の違いというよりも、作業する人の仕事に対する大きな意識の違いがあったりする。必ず正しい結果を当たり前に思っている人は大きく外れることはないが、正しい結果が当たり前でない人が作業すると正しい結果が得られるのは奇跡に近い。人をつくる必要があるのだけど、今の働く時間が短い中では人をつくるということは不可能に近く、人生観で正しいものをつくろうと努力する人を探すしかなくなってきているように思う。働く時間が短い流れの中で、働く人の人生観を変えることというのは本当に難しいところ。

みんな仕事をする前には教えてもらえれば自分がすごいものを作れるようなイメージがあるけども、現実的には、作り方をマスターしてもその本人の意欲がなければ、なかなか普通のものでも普通には生まれてこない。みんなこのあたりで挫折してしまう、よくありがちな繊維業界に入ってもすぐに成長が止まるパターン。他の人に要求するは上手だが、自分が動いて要求される側になって、その要求に応えられる側になっていないとなかなか食べてはいけないのだろうが、要求しつづけるところで終わったしまうケースが多い。

繊維の業界に入ってやめる理由で多いのが、自分が好きなことをやりたくてこの会社に入ったのに好きなことをやらせてもらえないということ。好きにやりたいなら仕事終わってから好きにやってみればよく、それで食べてゆけるなら一人前だろうと思う。その人が嫌な仕事は誰がするのかとなると自分の嫌な仕事を他の人がやってくれるのが当たり前みたいだと手が付けられないタイプで、自分より仕事できる先輩が自分の言うとおりに働いてくれるのが当たり前みたいな難しいタイプ。そういう謙虚さもなく全体的なことに頭が回らないとものづくりは難しい部分がある。それはその本人だけでなくその人を取り巻く環境によることも多い。周辺環境が本人を甘やかしているのに、企業だけが厳しく親心で接しても、アクセルとブレーキでもめる話、その本人を取り巻く周辺環境が甘いなら非難されるような役をその子のために覚悟してもうまくは行かない。人を育てるには本人とその周辺環境までもが変わらないと難しい話で、ぶつかる人はぶつかるだけで、一番悩むのはその状況の最終解決を抱えている立場の人で一番全体の包容力もあって悪くないその人が壊されるしか手段がないとかもよくありがちな話。好き勝手、文句言っている人たちよりも抱えて追い込まれる人たちが本当に気の毒。
2019年08月25日
今日は隣組会で宿が当たっててうちで6軒が集まって案件の議論とあとの幕の内での食事。今日の隣組会でもこの隣組は将来さらに小さくなりそうであるというのが見えてしまっているが、まだまだ人の多い世代というのはそういう危機感すらなくそのままの感覚で生涯を終えることができる、みんなが集まればできるみたいな感覚が多い。

私も決して若くはないが、そういう多い世代の次の世代の人が非常に少ない世代。各学年に強い人が実質一人とか二人いるかいないかの学年、今の30歳下の若連中は、上の学年が一人、下の学年が3人。その子たちが集落に残る可能性も加味すると、各学年に一人いるかいないかが将来の集落の像。村の昔からの行事を引き継いでいける人がどれほどいるのかというといないに等しいと考えたほうが良い。新しく新しい区画に住む人たちは増えてくるが古い集落の考え方というのは外の世界の考え方と乖離が大きくなってしまって逆転するときがくるだろう。

私自身は、30年前の若連中の時でも古いことをやっているなあと思っていたので、今の時代にそういう古いものが一般的に評価されべきだとすることは難しいと思う。慣れてしまうとそれも違和感はなくなるのだが、初めの先入観というのは大事でそれが自然の感覚であるのが分かり、そういう先入観を持ちながらもそれをクリアするとかも大事には考えてやってきたが、それは誰もが乗り越えられるものではないし、積極的に努力しないとそういう違和感を乗り越えるのは難しいのもよくわかる。

私も古い繊維の業界にいて織物をしているので、私のやってる織物にしても手織りにしても、全体の世界から見るとごく一部の人間のやっている世界で、そういう世界を良いと思う人がいて成り立つ世界で、強制して続けていくようなものでもないだろう。20年、30年前の業界の人にしても今の時代では業界でも通用しないほどに、昔の分業の大量生産の時代とは異なり、人が少なく一つの仕事が小さくなり総合的な高い能力が求められる。

時間のあまりかからない部分を任せてくれという人は多いけど、時間のかかる手間な部分を引き受けられる人がいないのが、繊維業界の問題。一番多いのは、売るのを任せてくれみたいなエージェントの人たちだが、その人たちに売るのも私の仕事だったりする。作ったものすべてを売れるような人は自分以外にはいない。人に任せるとどうしてもそのあたり難しくなる。

織物の世界にいても、コンピュータが得意なことや英語が得意なことが有利に働いていてなんとか大手テキスタイルメーカーと同じ要素を持てて成り立っている部分もあって、それを抜きにしたら田舎の小さな機屋のオヤジだけで終わってしまって難しいだろう。バイタリティというのは販売にも役立つし、狭い世界を強いてくる人には、狭い世界じゃ駄目なんじゃないかとできることをマキシマイズするような方向にはっぱを掛ける。他の誰かに期待するより、自分がやればできることは自分でやって試してみるというのが私のやり方。
2019年08月24日
昨日は大雨、暑さを冷ます雨で工場の中での作業がしやすくなった。ミナミヌマエビの水も自然に減少してかなり減ってしまったので、水を足さなければ、でも下手に足すとエビが死んじゃうのでと思っていたので、自然の雨水で水位が上昇、うまくできている。心配なのは子猫たち、親猫はどこかへ行っている様子で、子猫は多分母猫の母乳もないままに数日か。ここ3日ほど見かけないし鳴き声も聞かないので、無事どこかに移り住んでいてくれるか、もしまだ隠れているなら外に出てきて飯をねだるかしなさい。
2019年08月22日
今日、工場の中で、電話の電波が悪いので外に出て電話を受けていると、目の前に子猫3匹。一匹の猫が会社に住み着いていたが、子猫が3匹会社で生まれた。とてもかわいい3匹なのだが餌付けなどしてしまうことがよいことなのか悪いことなのか考えると、自分が責任を持つつもりならよいことで責任を持てないのなら悪いこととなると思う。私の信条からすれば、野良猫くらいが自由に生きていけるくらいが自然な社会だと思うところがあるが、住んでいる社会はそういうものを認めにくくなっている構造。集落でも犬や猫の糞が害だという判断が定着してしまっている。

母猫は、人に懐かないタイプの地域猫。3匹の子猫も母親の行動を真似して人を見ると逃げるタイプ。避妊や去勢手術を受ければ地域猫として生きやすくなるだろうけども耳がカットされてしまうことで家猫として里親を見つけにくくなる可能性もある。小さなうちに里親探しをするか猫を保護するシェルターハウスに里親探しをしてもらうかになるだろう。

母猫も子猫のことはすごく大事だろうから子猫と離れることは嫌がるだろう。猫を家猫として買うことはよほど時間的に余裕がなければできないことで、面倒をみることができない人間が興味本位で猫を飼うと愛情なども足りずに部屋に閉じ込めた猫がかわいそうということになる。私も昔犬を何度か買っていたが、母犬が5匹子犬を生んで、3匹貰い手がついて、2匹貰い手がなく、その2匹を、母犬と一緒に3匹飼ったことがあるが世話することは犬用の大きな柵に入れて飼っていたけどあんまり犬としては幸せではなかったんじゃないだろうか。

今は犬や猫は家の中で飼うご時世。家族のように面倒をみられる人のところで育つのが、外では自分で餌すら見つけるのが難しいのだから。10年ほど前にも10月の村の運動会の日に一度子猫が2匹生まれたことがあって見つけたのが朝だったけど、その夕方にはどこかに消えてしまった。母猫がどこかに連れて行ったのだろう。私に見つかったということで、この3匹もいつのまにかどこかに消えてしまう可能性はある。

今まで見つからなかったのは巣立つ前だったからだろう、1度見つけてからは頻繁に目に入るようになった。燕の巣立ちの日と同じで、一人前の猫として外に巣立ってゆくタイミングなのかもしれない。目線があうと逃げるタイプの猫たちなので自然に様子を見守るのがよいだろう。長くいるようなら里親探しを考えてみよう。

母猫の母性本能を感じるのは子猫たちを守ろうと私が近寄ると威嚇する。母猫にとっては自分よりも子猫のほうが大事という本能的なところ。こういう基本がないと社会は作りにくいだろう。イースター島がほろんだ原因は、バードマンコンテストで、競争に負けた青年は、長老たちに食われるとか。滅んで当たり前の社会性。そんな愚かな風習に若者が逃げ出したことが原因だろう。若者たちを奴隷化してモアイもつくられたのであろう。
2019年08月21日
自分ができないことを人に要求する人って多くて、ジジいおまえはいい加減にしろみたいな話。自分が親類だから関係を崩したくないので私に都合の悪いことをやらせるような気弱な年配。そういうどうしようもないのが多いのが現実で、情けなさすぎないか。そういうジイさんの一番どうしようもない身内を干したのも私で、どうしようもない爺が情けを掛けているものまでを食い物にしようとする行為を親せきの多くが黙認しても私はいいかげんにしろとその駄目な爺さんを潰す。人間関係が壊れようが駄目なものは駄目でよい、駄目なものを肯定して駄目なものになびいていては駄目。自分が問題のある人に指摘すると攻撃されるのが嫌なのだろうけど、そんな状態がいつまでも続くようなら関わらないほうがよい。

若い者より年取ったものほど、理性にかけて他人を思いやる気持ちもなくなり自分本位なのが普通が今の時代。自分の家の者にはものもいえずに、ほかの家の者に指図とかどうなっているのかというレベル。しっかりしないとダメで、自分可愛さに駄目な人間を持ち上げたり仲良くしながら、いやな役割を他のものに頼んで、それが普通なのかもしれないが、ごくありがちな八方美人なややこしい田舎の年寄り。身内にいうこといえないなら自分がかぶればよいだけのこと。あたりまえだが身内を代表する力もなく、身内のどうしようもないを増やし、ほかの人に身内の問題解決を頼むとはもうほんと駄目。
2019年08月20日
みんなが分担してやればよいというのは昔のスタイルで、今も分業的なものづくりに縛られている人が多い。今の時代は意思のある強い人が実際に作業していかないと繊維業界では成り立たない。

トラブルなんかも織物だけのことだけでなく、縫製のことも含めるとあまり高度な生地はやらないほうがよいのではないかと思う。海外縫製のほうが日本の縫製よりも上手になっているのを感じたのは10年ほど前のこと、日本だと縫製工場は延反して、上からがっちゃんの縫製がほとんど。海外では、一反をすべて検反してすべての小さな糸のムラもマーキングで、裁断個所を決める。海外の縫製技術の高さには驚いた。

また、インドの縫製でも、日本よりも上じゃないかと思うのは、プリント生地などでも、30枚重ねて裁断したらそのレイヤーごとのパーツに、番号を打って、プリント生地に起こりがちな色ムラの問題を、量産においてもサンプルと同じ2mとか3mの中で、1着の服が出来上がることになる。日本の縫製工場でそれを当たり前にやっているところはないだろう。やれば縫製段階での品質の向上は見込める。

品質を上げる方法としてはそれほど難しくないことなのだが、一着いくらの縫製でやっている縫製工場の仕事ではそれは難しい話になる。リネン糸なんかもイタリアの糸でも問題が多くなりすぎて、織れない糸に出会うこともあり、林与では低速のシャトル織機が活躍をしている。支給される糸での企画の場合、織れないときには本当に困る。問題は支給された糸にあるのだが、その問題の解決は織る側に要求され、一回切れ、糸の切れ方が縦切れを感知しにくいタイプの問題だと、ときには30分、1時間かけて一つの傷を治しながら織る。そういう仕事だけで他の仕事がすべて止まってしまい。1時間やってもまったく織れない話も普通にある。糸ムラの問題を織傷だとして修正する話もあったりするが、実際、糸ムラでも、支給された糸なら織る側の責任ではないのに、手を加えていることも多いが、糸を支給してもらって問題もなく正しく織りあがるということはないのである。

そういう問題を問題の根本で解決すればよいのだろうけども、今は最高級の糸を使っても糸も問題が起こって当たり前くらいの状況にはある。典型的な例が、20年前のロイヤルラミーよりも、今のグレード的にはロイヤルラミーより上とされるスーパーロイヤルラミーのほうが、強度などは2割くらい落ちるとか、10年前はリネンの100番手でも糊をつけずに織っていたが、今は糊をつけても織りにくいとか。50年前のアイリッシュリネンの細番手は今も織れるしっかりと強い糸だが、今の150番手は織るのが非常に難しい糸であったりとか。こんにゃく糊をつけるとラミーの細番手の先染とかだとカシミヤクラスの糸値になる。そういうものは織るのも難しく、カシミヤ以上に希少だがなかなか流通しにくい。

日本に限らず先進国でやるよりも新興国のほうが紡績の世界でも仕事が上手になってしまっている。今、アメリカなんかがメイドインアメリカを目指しているけど、途上国で作る以上に品質の問題は出てくるだろうと思う。その極めつけは原発事故で、チェルノブイリを笑ってられる話ではない。日本も一部の利権者が進めていた原発輸出を断念したが、そのほうが将来の他国での原発事故を未然に防ぐという意味ではよいことであろう。原発が爆発したの放射能漏れの隠匿とか、人の命すら自分の利権が優先して、6か月後に放射能レーダーが放射能漏れを感知していたのに、水蒸気爆発と国民に偽ってやるのが日本の原発行政の本質で、安全対策の問題でもなく原発行政の人の命より自分の立場を優先する人間性の問題。また、死んだバッテリーの代わりのバッテリーを買うのに予算申請を本社をテレビ電話でやってるようなおちゃらけ、百万人の命や健康の危険すら認識なく、一企業の利益が優先される体質、早めにやめたほうが良い。

原発がエコだとかもどこまでが本当なのか、原発が熱量を発し続ける温暖化加速の原因ではないのかという部分もある。太陽から降り注ぐ熱量と原発の熱量をくらべると10万分の1くらいだから無視できるというが、ミランコビッチサイクルのように、地球の温度は微妙なバランスで成り立っているのに、10万分の1だから無視できるとかは科学者できではないだろう。石油燃料を使ったことで、CO2の問題でもなく、放出される熱量の問題で地球の温度が上がるという説も普通に考えられる。太陽のエネルギーを介して光合成で炭水化物に変換し熱量を吸収するのが石油燃料。原子力の場合にはそのメカニズムが働かないエネルギー放出。エコじゃないけど金儲けのために推進でPRしてゆけばよいだけのこと、モラルを絡めないでほしい。

貯めに貯めまくった日本のプルトニウムの問題、遠洋投棄もできず、また、馬鹿な連中がやることは、日本中の土に薄めて日本中をプルトニウムの大地にするくらいしか処理方法はないだろう。本来、日本の無人島などの本土から離れた地中深くに埋めるとかのほうが安全ではあるが、それだと利権は少ないからそういう答えにはたどり着かないのが日本の利権構造。
2019年08月20日
今は商社や問屋さん向けの卸は少なくなっているが、根本的に仕事をしてくれる商社や問屋さんだとよいが、先方の無理ばかりを安請け合いして機屋に解決を求めるタイプのところだと、大手SPAや海外企業のほうがしっかりとした全体のビジョンがあって、言ってることとやっていることが整合していることは多い。

多い問題の一つが、自分が発注の約束もしないのにこちらにはいろんなことを約束させるようなタイプのところとは早めに手を切ったほうが、他力本願的な要素を消すことができるので成り立ちやすいのである。一般的には、自分が相手には約束させて自分が約束しないタイプのところが多いので、話は半分くらいで相手の覚悟に合わせてこちらも動いていくというのがバランスの取れた対応だろうといえる。

久しぶりに問屋さんとの話があっても、どうして最初からそういう無理な流れに無理としてしまうのかと思うことが多い、問屋さん自体が食べてゆくのが難しい部分が大きいのだろうけども、リスク回避ばかりしているから、仕事が2度手間、3度手間で、1回で思い切ってやればよいことでも、2回3回の時間と手間をかけてやってしまうほど、最初からその問屋さんの仕事は成り立たないスタイル。注文が入っても50m、100mのものを最初からサンプルまで作ってやるというのは、発注した人がちゃんと費用を負担できればよいけども、実際に作業にかかる費用負担も考えていないことが多く、最初から働いてやればマイナスの企画。そういう企画をもってくる問屋さんというのが多いのが今の繊維業界の実情。また、織る前の糸代にもならない値段の生地を探しているという業者さんも多いが、そういうところがこだわりのものづくりを謳っておられるケースも見受けられるが、日本の繊維業界が疲弊する要因の一つだったりする。

問屋さんに、いやなら自分で売ればよいといわれたことがあって、義理人情でその人を通していたところがあったのから解放されて、やはりそういうことをいう人に対しては筋立ては必要なく、一般のお客さんも含めて大勢のうちの一人という特別意識は早めになくして普通の対応で対応する流れにもっていったほうが良いだろう。

作業をすればしっかりとそれに見合った費用を考えているところと仕事をしてゆかないとやればやるほどそういう業者さんと仕事すれば負担だけが大きくなる。ダメもとでの企画を立ててもよいとは思うが、企画した人がしっかりと駄目なときの費用負担できないと無理だろう。自分がリスクを背負えば本当の企画を立てる意味も分かるかと思う。
2019年08月14日
今日は夏祭りの会計の処理と、集合写真の焼き増し。商店街にある写真屋さんでデジカメのデータを焼き増ししてもらう。480GのSDカードを持っていたので、最初全部のデータを読み込むタイプの機械だったので途中で挫折して、SDの中のデータを全部ノートパソコンに移して、SDの中は集合写真だけにする作業に1時間ほどかかった。その面倒さに写真屋さんに来て失敗かなあ、コンビニで自分で写真プリントしようかと思ったが、せっかく来たのだからやってもらおうと、やってもらった。1枚38円で7枚で、300円弱ほどのことだが、明るさが夕方の撮影で暗いのも明るくしてほしいというリクエストに応えてもらって、ばっちりいい感じにプリントが出来上がる。まさに写真屋さんに来た甲斐があるというものだ。いい感じの写真だったので早速写っている人たちの家に配った。

祭りの会議のときに写真撮影はカメラはどうするかの話になって、私が携帯ででもできるといったら笑われたけど、結局、当日は携帯電話で撮影で、今の時代はそんなもの。昔の写真よりも携帯電話の写真のほうが自動でよい写真が取れたりするから。若連中の4名の方にとっては準備も含めてたった2日のことだけど、若いころの夏の日の思い出として記念に残る1枚。自分の写真なんてものはそのときに見ると変に見えるものだけど10年後でみたら良く見えることがほとんど、まあ、写真というのは取っておいて残しておいて損はないだろう。3年ほど前のやぐら組み立ての様子を200枚近く写真で残しておいてもらったのを、無駄かとおもったけど今年A4サイズでカラーレーザープリンタで全部プリントアウトしたら、今年のやぐら組み立てで役立ったそうで、それを来年に引き継いでもらえる形。

祭りのことでバタバタしていると会社の工場の中がほったらかしになっているのだが、この間は織機触って4か月の女性スタッフが一人織機を動かしていてくれている。強くがんばっててくれてありがとう。私自身余裕もできすごく励まされるのである。
2019年08月12日
天然の柿渋だという謳いだった巨匠の柿渋染めが私が本当に天然染めなのかという問題提起して、その表現が柿渋と特殊染料を使用ということに改まっていた。柿渋染ではカラフルな色の展開は絶対に無理なのである。柿渋糊を顔料系の染料にバインダーとして使うならカラフルなアートが可能で、堅牢度が高いなら、特殊染料というのはアクリル染料か化学染料であろうと思われる。

繊維の世界というのは素人だましが多いので、謳われることがまったく逆であることが多い。特殊染料がアクリル染料や化学染料なら水に流したらもちろん水が汚染されるので、水に流して安全というわけではなく基本的には害なのであって、少量なら大きな影響はないがどれだけでもとなると大きな問題となる。どういう染料を使っているのか言えないあたり草木染だとは信じないほうが良い。

草木染で堅牢度が良いならノーベル賞ものなのであって、草木染ならとくに耐光抗堅牢度が悪いのが当たり前。柿渋という言葉に騙されやすい素人を相手に草木染という謳いが一番やばかったりする。罪悪感もなく、有毒そのものが琵琶湖に流れてしまっているようで心配そのものである。草木染で感動するような色が出ているというのを売りにしていたが今はそういう謳いも難しいだろう。プロの繊維関係のものが相手にしないのもそのあたりというか、基本的な質問に逃げる。だまされた人は気の毒そのもの。
2019年08月12日
夏祭りの料理関係つくってくださった2件とフォークリフトを借りたお礼に回る。お盆の時期で忙しいのに字のことということで金額も大したことはないが作る側も一生懸命にやってくださったのだろうと感じるのが、支払いにいって、ありがとうなあといって下さること。また、フォークリフトを借りたお家にも少しばかりのお礼でビールを持っていくのが普通だけど、おっちゃんももう80近いだろうからお酒もあんまり飲まれないんだろうと思って農業の作業場に行くと、おっちゃんはやっぱり仕事されている。

80過ぎても一人ででも体も弱りかけていても体動かして仕事、こういう人こそがすごい人そのもの。ビールはもうやめているといわれたので、小さな缶コーヒーをお礼に20缶ほど渡した。集落のなかでも本当にすごいおじいさんの一人。80近くなって昔よりは力もでなくなっておられるだろうが衰えたなりにも気丈にいろいろと作業場のことを動かれている。次の世代を支える側まわって、昔の田舎のおじいさんそのものの世界が残っている。口調にも若いころのおっちゃんの勢いはなくなったけど、人の理想像のようにを実践して見せてくださる。祭りの仕事して普段あまりしらないこういうことにも出会える。
2019年08月10日
今日は、夏祭りの本日、朝から音頭棚などの準備。昨日買い物を終えることができて今日は比較的全体の足りないところを補足するような動きで動けたのでちょっとのトラブルがあっても動けば解決の状態。10分、15分の動ける余裕があることが多く、なんとか動けばうまく回る。

バザーも盛況で、7時から8時30分の予定で、8時くらいにはすべて完売。子供会のスイカも好評で、クーも喜んでもらえ、空になったペットボトルも子供たちにとっては水を詰めて投げて落として遊ぶ。天気が良いとみんな準備と期待で参加してもらえるので、これといって大きな失敗もなく終了。ほんと気持ちよいくらいにすべてがめずらしいくらいにうまく回ったと思える。

もちろん、小さなトラブルはいっぱいあるが対応すれば解決するトラブル。例えば、バザー用のテントが予定では二つだったが一つしかなかったとか、袋がないとかすぐに買いに行けばよいとか、みんなの夕食が遅れるとか時間的に余裕があるので待てば済む話、氷の引き取りのタイミングとかも時間に余裕があって30分遅れくらい。幼児用のチケットの用意忘れも、プリントアウトすれば済む話。電池のチェッカーとか会社にある電圧計で対応。配る予定のうちわが会場にないとかも柔軟に対応してもらって問題なく解決。上水道のホースとかたわしとか直線的に迷わずなんでも瞬時に用意で解決。一応許可をもらう案件も多いが、ほとんどの場合柔軟な対応で解決。

終了間際は、総踊りのようにほとんどの人が踊って最高潮のフィナーレ。田舎の小さな村の夏祭りではあるけども、大きな祭りを見に行くのと同じくらいの楽しみはあるだろう。特に子供たちにとっては。大体夏祭りのときも仕事していることが多かったので、私自身、久しぶりの夏祭りの参加になったが、若連中の高校を卒業した翌年と翌々年の若者たちも大人に混じって積極的に動いてくれて、普段まったくといってよいほどしゃべったこともないが、結果を出せそうな若者たちで、私が倉庫にテントを取りに行くのについてきてくれて同じように作業してくれる。たぶん、その子たちにとってはまったく初めての倉庫で、何をしてよいのかもわからないんだろうけど手伝ってくれる。手伝う中で何をするのか分かることも多いだろう。そしてやってみた結果、自分たちが思い通りにイベントを作り上げることができるということもわかるだろう。自分のためにするイベントじゃなくてほかの人のためにするイベントっていうのが案外意味のあることだったりする。人のためにイベントをするというのがなかなかできない価値のあるところ。
2019年08月09日
今日は、朝からグランドで音頭棚やテントの位置決め、ならびに、夏祭りの買い出しこの暑さだけに明日の朝からの準備の水分補給も含め、盆踊り本番に向け相当量のドリンク関連を買い込む。お天気がはっきりとしていて雨の心配がいらないのでありがたい。買い物のほとんどはすべて終わった。会社に4時ころに戻って、緑のポリエステルの布を三巻縫製して、音頭棚の紅白の上に巻けるように考える。

例年は、音頭師さんの足元を隠すために、竹やススキ、ヒノキで垣をつくるのだが、そういうのがだんだんと難しくなってきていて、今年は緑の布で代用しようということで最初の試み。麻布よりも、手入れが簡単なポリエステルの丈夫目な布がよいのではないかと、また夜で地味にならないように映える緑らしいグリンのほうがよいのではないかと彦根の手芸店で見つけた布を使うことに。今年良い感じなら来年も使うことができてよいだろう。

区のテントを取りに行く予定はやっぱり変更になって当日に全体準備が終わってから取りに行くことに、今日もみんなで一つテントをつくったが、右肩に激痛が走るのなんとかならないものか。今日は天気が良かったので本来明日する予定のことの多くを今日できたので、明日の祭り開始までの準備作業はほかの人に落ち着いて分担を頼んだりできるのがありがたい。

こういう昔ながらの行事も子供たちにとっては楽しみな行事であってほしい。子供たちに配るオレンジジュースは、炭酸を避けてかわいいデザインのクーにした。人気アイドルの写真もクーのペットボトルには印刷してあるが、それが誰か私にはわからない。
2019年08月08日
今日は、午前中の来客が済んでから、午後から冷凍倉庫のある運送会社に伺って、製氷の容器に水を足す作業。1回目の水は10cmほどの深さの氷になっていたが、水道の水は30度近くだろう氷は割れて解け始める。20cmほどの深さになるくらいまで水を足して、再度、祭り当日の夕方まで冷凍してもらう。

とにかく、今日も暑い。梅雨が明けて非常に暑い日が続く、今年も夏物アパレルというのは、あまりよくなかっただろうと思う。7月に入ればバーゲンで、バーゲンが早すぎるのだが、早くバーゲンした百貨店ほど業績はよいという傾向にある。他と比べて同じものがその百貨店では安く買えるのだから、売り上げが上がるのは当然だけど、その傾向が強まり、ほとんどの百貨店がバーゲンを前倒ししたときには、百貨店が立地のよいディスカウントストアーという位置づけになり、百貨店業界以外との価格競争を百貨店業界自らが持ち込んでしまうことになる。

思うのが、季節商品には売れるタイミングというものがあるだろうけど、洋服なんかでも特に麻製品はほとんど劣化することがないので、定番的な洋服なら在庫になっても、翌年にも同じ価値で販売できると考えるが、繊維業界でそう考える人というのは少ない。私なんかは特殊で今手に入れておかないと将来手に入らなくなると思う糸とか、作って何年も売らないままにある布とか、糸や布に対する評価は高いつもりで、良い糸を使うんだから、良い染、良い加工でないともったいない気がして、一般には売れない値段の物を作ってしまうことも多い。

売れなかったら意味がないという人も多いけど、ものづくりには多様性があってよいだろうと思う。私が存在している意味があるのも、ほかの人とは違う考え方で違うスタイルでものづくりをしている部分。そういう部分が生命線であるような気がしてならない。
2019年08月04日
今日は、盆踊りで使う飲み物を冷やす大型の容器に水を入れて凍らせるのを近くの冷凍倉庫をもっておられる企業さんでやってもらうため朝に11個たらい容器を持ち込む。運送業というのはひっ迫した状況が続いているが、冷凍での運送となるとまたさらに特殊な用途で、夏の暑い時期は一番忙しいということ。そんななか地元の行事ということで、一肌脱いでくださっている。

そのあと、景品とライン引きの粉を買って、午後からは、事務所で何件かの出荷と工場の中で作業と検反作業。夏らしい暑さ。右肩の調子が完璧でないのが、今ひとつ仕事で力を出し切れない。運動会も役が当たっているのでいくつかの種目に参加しないとならないが、それまでに直してないとちょっと問題。脱臼してから、脱臼は元の場所に戻っているが、腕が水平以上に上げると激痛がもう1か月くらいになるだろうか。何かのタイミングでコキンと筋がうまく戻ればよいのだろうとはそのタイミングを待っている。
2019年08月02日
絡み織の問題で困っておられるという話を聞いて、私の経験で何が原因なのかを考えた。開口がもっと広く開けばカラミがうまく織れるのかというと、糸カラミの場合は、開口が広くなると絡むのが難しくなるだろうと思う。おそらく織りにくくなってきたのは、縦糸のテンションの問題であろうということ、縦糸のビームの巻きの直径が小さくなってくると消極送りの場合には縦糸のテンションがきつくなる。経糸がきつく張ると絡みにくくなる。たぶんそれが原因だろう。

京都の若い方が、岡山からカラミ織機を入れて挑戦されている。中古の織機というのはちゃんと動かなければ粗大ごみ、正しく動いてようやく仕事になる。マニュアルもないので、自分自身が織機を動かして問題を解決してゆくのが仕事という、一か八かの世界。正しい理論で調整を掛けないと、せっかく、正しく動いていた織機もボロボロのバランスになって仕事すらも傾く話になる。

私自身、麻のカラミを復活しようとして動いたこともあるけども、織機の調整の問題だけでは解決できないレベルの問題がほかにもある。本麻の織物など、普通の平織りが織るのが難しくなってきている問題。10回に1回織れないとかでも、その仕事がほかの仕事を止めてしまう、すなわち会社を止めてしまう話になる。仕事に先生はいないということがよく言われるが、自分自身で解決して答えを見つけてゆく世界なんだろうと思う。

日本ではカラミが難しくなっているが、中国では麻の総ガラミなんかが広い幅で織られていたりする。また、中国では電子ジャガードなんかが当たり前に量産の世界で動いていたりする。日本ではそういうのが難しい話なのがやってもそれに見合う生地の市場すらがほんとうにわずかしかないという問題があったりする。京都で織られるカラミ織も海外向けという話。