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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2010年11月
リネン日記:29
2010年11月30日
先日、繊維ニュースという新聞に岡山のタケヤリさんが載っていました。1年前のジャパンクリエーションの時には、タケヤリさんの方が、私がブースに不在の時にお越しくださりお名刺を残してくださったのですが、そのときはリネンの超細番手のストールを織っているところの動画をご覧になられ関心くださったようです。お話したかったですね。

リネンの超細番手のストールを織るときには、シャトル織機でどこまでゆっくり織るかみたいな世界に挑戦している感じです。あんまり遅いと、シャトルのステッキを叩く力が生まれないので、シャトルの動きが遅くなり、反対側にシャトルが到達する前に糸に挟まれてしまうのです。ストールのようなものなら織機の中央で織物を織るので、シャトルが飛び出すことがあります。

シャトルというのは早く動いているときに飛び出したりすると本当に危険です。巨大な弾のようなイメージです。リネンの高密度のものを織るときにも糸切れが起こるとシャトルは飛び出しやすく、レピア織機に慣れてしまわれた方は怖くてシャトルに戻ることができないと思います。

シャトルというのは織機に挟まれたりすると壊れてしまうのです。また、シャトルチェンジするヒガエの織機というのは希少ではあるのも、シャトル織機の動きにシャトルボックスの上下運動が加わると何倍もシャトルを挟みやすくなり、シャトルが壊れるだけでなく、筬やシャトル織機が壊れてしまうこともあります。

特に、一番上のシャトルから一番下のシャトルに移る時などは見ていても危ないです。織っているときにも心配しながら見ていますがうまく動くもので感心します。シャトル織機には、シャトルを挟んだときに筬が逃げるような仕組みや、テンプルバーにも弾力を持たせて、シャトルが壊れないように随所に工夫があります。

手織りではないので、織機自身が万が一のときに壊れてしまわないような機構までも必要としているので、織機というのがさらに複雑になるだけでなく、その調整というのがさらに複雑になっているのです。力織機を使える職人さんというのは希少だとは思いますが、今の量産の時代に、そういう方の技術というものが評価されることは少ないのです。
2010年11月29日
今日はリネン25番手を織っています。リネン25番手くらいで、ロングファイバーとショートファイバーが分かれるのですが、そのあたりを区別されてリネンを購入されている方というのは少ないと思います。

ロングファイバーは、ライン、1亜、とも呼ばれ、ショートファイバーは、トウ、2亜とも呼ばれます。ショートファイバーは落ち綿なので、繊維長が短く毛羽っぽいリネンですが、糸の状態で見てもほとんど違いは分かりません。織りあがると繊維長が短いだけにダルな感じなので違いがみえてきます。

リネン紡績工場の方とお話したこともあるのですが、案外、糸を作られている方でも、ロングファイバーだと材料が高い、ショートファイバーだと材料が安いという区別くらいしか思われていないようで、仕上がりの差というものをあまり意識されていないようです。今のリネンがダルなものが多くなっているのは、ショートファイバーを使用したものがほとんどだからです。

アパレル向けのリネンと雑貨向けのリネンの違いは、原材料の産地や紡績水準の違いだけでなく、ロングファイバー、ショートファイバーの違いが大きいと思います。そのほか、ウェットスパン、ハーフウェットスパンの違いなどもあって、同じリネンでも用途や価格に応じてかなり違います。
2010年11月28日
今日は、朝7時過ぎから、自治会の「ゴミ拾い+川堀り+環境」という3つの環境美化がありました。最終的に集まったゴミはあまりなく、ゴミの仕分けも簡単に済みました。一方、田んぼの脇の水路には崩れた土が溜まりきっていたために川堀りと呼ぶ作業は大変でした。これは、60歳、70歳を超えた人が多い自治会にとっては過酷過ぎる感じで、お天気がよかったのが幸いです。

仕事のほうも生産期に入っていますので、午後からは仕事をしたのですが、撚糸のほうもかなりピークのようで思ったように糸が上がって来ず、生産の計画がずれています。カジュアル向けのリネンのほうは染まりあがってきました。こちらも、来春に向けて大急ぎの納期なのですがシャトルなのでじっくりです。撚糸屋さんのほうはいっぱいいっぱいのような状況らしいです。

レピア織機のほうもフラットなものよりも、少し変わった織物が動いているのですが調整が非常に微妙です。通常の順通しと呼ばれるものではなく機から作る織物が増えてきています。機から作って織る織物というのは織の載せ替えなどが伴います。一つの織物を織るために全てを作り上げるという世界なので贅沢なだけでなく、糸などの物理的な長さ違いの問題などをクリアしないといけないので、織れるか織れないかのリスクも発生します。見本で無理して織れても、本番で問題なく綺麗に織れないと駄目なのです。そこが一つしか作れない世界を大事にする芸術作品と規格があってどれもが同じでないといけない工業製品との違いと思います。
2010年11月27日
今日は、朝起きて、リネンちゃん、らみちゃん、へんぷくんの絵を描きました。3人とも「幸せのリネン」のお話に出てくる天使なのですが、地球に下りてきたときにはこんな感じの姿です。

リネンちゃんは、フランス人の女の子で、髪の毛はリネンの花の形をしています。いつもリネンワンピースを着ています。性格は大人しいです。らみちゃんは、日本人の女の子で、本麻の着物を着ています。髪型はカラムシ(チョマ)の葉っぱの形をしています。性格はやさしいです。ヘンプくんは、遊ぶのが大好きなかっこいい男の子です。髪型はヘンプの葉っぱの形です。

将来は、ゆるキャラのお祭りなどに参加できれば楽しいですね。
2010年11月26日
今日はゲストティチャーの最終日です。授業で家庭科教室に入ってこられたときに、先生のお顔を拝見して、見覚えがあります。ゲストティチャーの打ち合わせに行ったときに、私たちが運動場を横切って駐車場に向かう途中で、「今回はお世話になります」と元気に声を掛けてくださった方で社員のものたちと、この学校はすごいなあと感心していた先生なのです。

3時間目がマラソン大会ということで、2時間目を少し早めに切り上げるというお話だったのですが、できるだけ時間を使って、社員たちがものをつくるところを子供たちに見せてあげてくださいといってくださり、今日は、スカートとパジャマのズボンの縫製の実演をいたしました。授業では返し縫いの練習が主な内容で、子供たちもミシンに親しみを感じてくれたものと思います。つぎは、古いタオルで雑巾を作るそうです。最後に、校長室で校長先生にお礼のご挨拶をいたしまして3日間のゲストティチャーも終了しました。

午後からバタバタと、仕事のほうの資料のまとめ、DHLへの持込、ラベルつくり、出荷など済ませて、待っていたリネンの加工糸が上がってきたり、糸など染まりあがってきたりで、社内でも、ようやく、春に向けてのリネンものの本生産が始まります。

リピートにはなりますが特別なクラスのストールなどのお話も入ってきました。実際にはストールというよりもリネンを楽しむための素材です。展示会などで、アメリカのニューヨークのブランドさんが興味を示してくださったのも特別なクラスのストールで、生成のリネンがアメリカで評価いただけるというのは不思議です。
2010年11月25日
今日も同じ小学校でのゲストティチャー2日目です。小学校5年生を教えているのですが、5クラスあって、2時間づつ違うクラスで生徒も先生も初対面です。子供たち、1時間30分ほどで授業が終わるのですが、一旦、休み時間に入り教室をでるときに、バイバイとさよならしますが、どのクラスも5分ほどしてまた10人くらいが戻ってきて話をしに来てくれる子が多いです。

子供たちにミシンを教えただけでなく、私の会社の社員たちも子供たちとのふれあいを楽しませていただきました。素直で元気な子供たちだなあと実感です。授業中も、子供たち同士も仲がよく、誰かが困っていると同じ班のほかの子が、男の子なら「おまえ、なんでできひんねん」といいながら助けてあげるというのが印象的でした。

子供同士が、ゲームをする感覚に似ていて、分からないところを教えあうようにミシンに慣れ親しんでもらう、これはミシンの操作ではなく人間関係なのです。仕上がったミシンの縫い目というのは、初めて縫ったので、真っ直ぐであったり、曲がっていたり、ミシンが布を自動的に送ってくれるということを理解できていないと手で送ってしまうのでゆがんでしまいます。

今日は、練習布を忘れた男の子がいて、すごく明るい子で、先生に雑巾を見つけてもらって、雑巾で練習をしていました。忘れたから今日は駄目ではなく、その雑巾を楽しそうに縫っているのをみて、本物を感じます。練習布というものは学習用のキットで、半分、作られた世界なのです。分厚い雑巾で練習した子のほうが当たり前に苦労していました。

片隅で、壊れているミシンを直しました。中の部品が壊れているようなケースが多くて、部品数も少なく修理は非常に簡単なのです。たくさんミシンのある状態でないと、一人一人の待ち時間が増えます。家庭にミシンがない家も増えているかと思います。ミシンに使う糸は、家からそれぞれが持ってきたようですが、手縫用の糸があるなど、ミシン用の糸ではない子も多かったです。糸によって難しさが違います。

会社に戻ってから、イタリアの生地メーカー向けのスワッチ発送の手配を行いました。スワッチ生地点数が50点近くになります。今回はDHLで送る予定です。本格的に通関の書類を作るとなると案外悩むことも多いのです。そのほとんどがリネンであっても、一部、綿麻、シルク麻などの素材が含まれていると、その作業というのがむちゃくちゃ煩雑になります。
2010年11月24日
今日からゲストティチャーにお招きいただき、彦根市内の小学校のミシンの授業をお手伝いします。自己紹介をさせていただいたあと、10分ほどお時間をいただきまして、ものを作るところを見ていただきたいなあとおもい、家庭用ミシンではスピードが遅いのでなかなか難しいのですが、パジャマのズボンやブラウス、スカートなどを、裁断した布の状態から縫製して形になるところを見ていただきました。

子供たちがこのミシンの授業をきっかけに、将来、自分で洋服を作ってみようと思われたら素敵だなあと思います。私自身、子供の頃、家庭科や図工の授業というのが小学校にあるのは不思議でした。普通の頭でする授業よりも何倍も濃いのです。手を使うというのは頭を使うよりも何倍も慣れが必要で、頭で考えても実際にはなかなか形にするのが難しいというのがあります。

一方で、仕事で縫製をしている人たちにしても何を作るかということを自分自身で生み出せるデザイやパタンの部分をできる人というのは少ないのです。もっと言えば、縫製の仕事の部分に限っても、一つの服を自分で仕上げることの出来る人は、今の時代、縫製の現場では少ないといえます。一人一人が分業の時代で、襟だけ、裾だけ、ポケットだけなど海外では流れ作業で仕事が進むのが当たり前な時代なのです。海外の縫製は、自動車や電化製品を作るのと非常に似ています。

子供たちは、ミシンの上糸を通して下糸を通して丁寧に真っ直ぐ縫う作業です。ミシンと触れ合う一番最初のところです。自分自身が理解してやることが大事で、一人一人の作業を見守りながら、ボビンを反対につけたり、糸の通し方を間違えたりしたのを見つけられないときにどこが間違っているのか考えてもらい、分からないときには教えてあげるのが私たちの役目でした。

子供たちというのは、鉛筆と消しゴム、のり、はさみ、身の回りのものといえば、洋服、靴、など、遊ぶ道具といえば、ボール、グローブ、あと、楽器程度です。そこにミシンという本格的なブラックボックスが登場で、使うのに準備が必要な道具で、どう教えれば慣れ親しんでいただけるか、ゲストティチャーの役目かと思いました。
2010年11月23日
今日は祭日でした。プリント工場の社長さんがお越しくださいました。プリントに関してはいろいろと新しいものを研究されていて、経験も深くあられますので、お話をお聞きしていても単に仕事のことだけでなく、仕事をするときや人付き合いに対しての姿勢をさりげなくアドバイスくださっているような気がします。

私が、今やろうとしている、日本の夏の代表的な和柄である近江上布柄の復興プロジェクトなどご協力いただけるのではないかとお話をいたしました。実はアイリッシュリネンハンカチに色柄を載せたいと考えているのですが、その色柄というのもプリントのバリエーションも考えており、ヨーロッパの柄以上に、深みと味のあるものを載せてみるのがよいのではないかと考えているのです。

それは特殊な世界であるにしましても、普通のプリントにおいてもいろいろな提案をくださっており、技術的な面でもたくさんアドバイスをいただけました。最終的にお客さんに満足していただくためには、実際に流せるようなレベルものを作っていくということも大事で、そのようなものを念頭に順番にスタートしていこうと思います。

前前から、プリントの試作をするのに、生地巾のインクジェットプリンターが欲しいなあと思っていたのですがその工場にはあって、しかも、それを捺染に置き換え本番につなげることが可能ということで、人のつながりで技術的にもトップクラスのものが生み出せるということを感じます。
2010年11月21日
今日は、朝から自治会の収穫感謝祭ということで餅つきがありました。お天気が非常によく出足が好調で、公民館前の小さな広場はごったがえした状態でした。収穫感謝祭ということですが、1kg500円のもち米は、開始予定時間の10時前には、もう半分以上が売れてしまい。皆さん4升ほど買われていきます。開始20分ほどで完売状態です。驚くほどの売れ行きにびっくりです。

他にも村づくり委員会のほうが準備しました、無料の豚汁などもお昼にはもうなくなってしまいました。無料のポップコーンも、ジュースも綿菓子もなくなってしまい。お昼すぎには食べ物などがなくなり、餅つきしたお餅も全てなくなりました。好調すぎるほどの感謝祭で、みなさん、喜んでいただけたことと思います。

60歳から70歳くらいのおばあさんたちがたくさん来て下さってたのですが、餅つきに関しても、その世代の方でも、臼で餅をつかれていたという経験を持たれている方が少ないのを感じます。林与の親戚の勘一じいさんの奥さんであるおはるさんが、返し手をできる本物として抜擢されました。80歳を超えておられるのに、あのすばやい手の動き、小さな頃から当たり前に臼で餅をつかれていた世代の方であるというのが一目瞭然です。

草の根ハウスでは、文化祭が行われていました。人々のハンドメイドなものがたくさん並んでいます。愛荘町には、びんてまり細工というものが伝統文化の一つとしてあるのですが、地元の方が作られた作品が並んでいました。地元の人がつくられたものなので、物がどうというよりも、その方々の顔が浮かんでくるところが一番意味のあるところです。私自身、つくり手の見えるものづくりというものが大切だと感じるのもそのあたりです。
2010年11月20日
今日は、シンポジウムの当日で9時に彦根の会場に集合ということになります。9時に着くとやはり昨日のリハーサルで発表内容を考え直されるというケースがどのチームでも起こっており、パワーポイントの切り替えをするポイントも変わることになり、その変更に対応するだけで精一杯で、シンポジウム会場準備のほうの責任者としても役があるのですが、そちらはもうほとんどできません。

午前中、全体のリハーサルも行われました。リハーサル途中にも、遅れて来られた一つのチームが大きな変更をされてそれに対応するため、私自身、全体のリハーサルで、切り替えのタイミングなども練習しないといけないのですが、私自身のリハーサルが出来ずに本番の時間も迫ってきました。

講演会のほうは、武田尚子さんの基調講演で始まり、第二部のパネルディスカッションも非常に内容濃く、よいシンポジウムにまとまったと思っています。お天気にも恵まれたことも幸いしました。片づけが終わったあと、参加くださったみなさんが労いの言葉を掛け合って帰路に着きました。
2010年11月19日
今日はシンポジウムの画像編集を早朝から続けて行っていました。送ってもらった画像も画素数が多いものが多いので画素数を落としたりしますが、環境が違うとどうしてもうまく表示できない画像など含まれていたりして、そういうのをカバーです。

準備日なのですが、午後から簡単なリハーサルが行われました。組合企業の発表に関しましては、各チームに構成をお任せする形だったのですが、パワーポイントの画像と発表内容とが合っていないとなども実際のリハーサルをされると気がつかれるのです。リハーサル後打ち合わせなどを行い、そこからもう一度、私のほうの準備が始まります。

時間的には非常に遅い段階での調整なのですが、リハーサルが終わってから、自分が明日パワーポイントのスライドの切り替えのタイミングなどを再度チェックし、資料を全て打ちだし、おかしいなあと思うところを明日朝から確認するためのメモなど作りました。作業を終えて帰ると朝の5時半で寝る間もなく、もうシンポジウム当日です。
2010年11月18日
今日は、東京からTextile-Tree編集長の成田さんが弊社にお越しになられました。朝から来ていただいたのですが、素材の話を話しているうちにあっという間に3時になってしまって、午後は長浜にご予定があられまして、また今度来て下さった時にごゆっくりしていただこうかと思います。

成田さんを駅までお送りした後、別のお客様との約束が4時からあって6時くらいまでおられ、夕方7時には出荷で、そのあと国産のトップの麻糸を倉庫に取りに行きました。明日は、シンポジウムの準備で昼からいないので、夜中ながらも糸を出しておかないと仕事が出来ないからです。

真っ暗な倉庫に懐中電灯を持って入って、糸を出していると、周りから見れば、何をやっているんだろうと、泥棒みたいなみえるのかなあと思います。ついでに、シルク麻120番手と書かれたニッセンのラミー加工糸を持って帰ってきました。50年くらい前のものではないでしょうかね。日付なども明るいときに確認しようと思います。昔、白絣などを織るのに使っていた糸ではないかと思います。

当時の糸というのは、高価なものなので、糊のついた一つ一つのチーズが紙に丁寧に包まれているのです。チーズ一つにしても、一つ200g程度しかないのにひとつひとつが紙に包まれているのです。ものが希少であった時代にこそあった価値観の世界を感じます。これは日本のバブリーな価値観とは違い、ものづくりの精神が当たり前に日本に生きていたころの価値観ではないかと思います。
2010年11月17日
朝には、職人さんがリネンの太番手の糸があったということで持って来てくれたのですが、コーン1個で、どこの銘柄のものか分からず毛羽などがかなりあります。手に持って、これは良い糸なのか悪い糸なのか。太い糸なので織れないことはありません。厚いリネン生地をためしに作るのにはよいかもしれません。

レピアのほうとシャトルのほうで、職人さん2人が織機の調整をしていてくれています。今日は夕方にお客さんが来られる予定でしたが、その予定が流れましたので、シンポジウム資料の作成のための資料のファイルを開いて、どういう風に構成するのか考えてみました。

明日以降は、仕事が出来にくい状態になるので、工場の中の仕事が流れるように、明日以降の仕事の段取りを整えております。どこも同じでしょうが、12月中ごろの納期のものが多く、今がピークではないでしょうか。

そろそろ、キッチンタオルHDなども織りあがってきました。20年ほど前から、リネンウールなどは、組合の展示会などでも、秋冬の提案として行ってきたのですが、リネンウールなども新しいリネンの形として受け入れられるようになってきたのを感じます。当時から、シルクリネンやリネンウールなど、かなり良い感じの仕上がりだったのですが、珍しすぎたのかもしれません。

洗えるリネンや麻なども、昔からあったのですが、今の時代になってようやく日の目が出てきたように思います。クリーニングに出す家が少なくなり、家庭で洗うことがほとんどになりましたので…
2010年11月16日
今日は、午前中に加工工場に反物を確認に行きました。最初上げてもらったときには問題なくみえた反物でしたが、風合い直しのために2回目に上げてもらうと反物の半分くらいから厚さが違うように思えるということで、実際に見せてもらいに上がります。

これは、糸の太さが違うとしか思えなく、会社に戻って、全ての工程でどこの糸を使ったのかということを調査いたします。糸を使いきる以上に、在庫の糸を持つということは、ロットが分かれることが多くなりますので、同じ色糸でもロットの違いで段が見えたりすることなどよくあります。

午後からは糸商さんが来られまして、夕方までいろいろとお話をしました。リネン糸の供給が需要をまかなえないというのは、さまざまな方面から言われているのですが、今日もその話が上がっていました。不作の時と同じで、こういうときは非常に注意しないといけないなあと実感いたします。糸を扱えば良し悪しは分かります。
2010年11月15日
今日は、午前中に加工出しを行いまして、午後からはお客様、4時前に組合事務局でラベルつくり、夕方は彦根の小学校にゲストティチャーの打ち合わせで、その後、シンポジウムの打ち合わせ、夜の8時くらいにシンポジウムのチラシとポスターを長浜にある滋賀県東北部工業技術センターにお届けしました。

帰ってから事務的な仕事を済ませて、工場の中を確認しますとジャガードの反物が解かれていて確認作業中です。先日、チェーンベルトなども交換して非常に調子よく動いていたジャガード織機なのですが、ジャガードの縦針の動作に問題があって、微妙な目飛びが連続して起こっています。これはジャガード織機にはよく起こりがちな問題で明日の朝一番にジャガードの入念なチェックを行わないといけません。

ジャガードの縦針の加減というのは非常に微妙で、その全てがうまく動くということのほうが奇跡に思えるのですが、それが動いて柄が正しく織れるのですから、奇跡に思えることが当たり前なのはすごいことです。このジャガードというシステムをみていると昔のコンピュータシステムに近いものを感じます。パンチカードにプログラミングすると、機械がガチャガチャと動いて結果がはじき出されるのです。

ジャガード織機を動かすということは、織るという作業よりも、機械を修理する部分に力が注がれると思います。私自身思うのですが、普通の織機でもトラブルにおいては、仕組みを理解するだけでなく、部品を自分の手で取ったり外したり、また微調整のため加工するなど機械工のような作業が含まれます。

織機を持つということは、会社の中に、それを動かすだけでなく、動かすときに発生する小さな問題を常にメンテナンスする人間を持たねばならないということになってきます。昔の北アイルランドの織物がジャガード織機であったというのは非常に職人的だといえますし、平織りの織機というのは手織りの時代も含めて何千年も昔からあったことでしょうが、ジャガード織機というのは多種多様な織物が多いので、全ての機械がジャガード織機に置き換えられても不思議ではないと思ったりはしませんか?でも、それが起きないのは、導入コストが高いだけでなく、複雑な機械というのは維持コストが非常に掛かります。

逆にジャガード織機は万能ではありません。平の織物が織れるかというと、回転数が遅いので生産性が低いからというだけでなく、発生しがちな目とびの問題があるので、ジャガード織機で平の織物を織ることはなるべく避けています。林与では織ってませんが、日本で、ジャガード織機が活躍しているのは仏壇の装飾品に使われる金襴織物などの分野です。金襴織物の世界で手の込んだ世界が続いている背景には、宗派ごとにオリジナルの様式や文様があって、その文様を守り続けているからだといえます。
2010年11月14日
今日は朝、火災警報器を近所の家に配りました。自治会で共同購入した方に配ったのですが、どうやって取り付けるのかを尋ねられるケースも多く、そのあたり、応えられないと厳しいかなあと思って事前にネットで取り付け方法などを調べてから配りに回りました。

今年は、海外で生産されていたところの仕事が国内に戻ってきたといわれており、そのことで、通常、国内で生産しているところの生産が非常に難しくなっています。国内においても納期の関係もあって簡単なものしか作れない時代にはなってきています。

中国で生産されているところの話を聞くと、中国では、賃金が上昇してきておりキャパがないといわれ、中国企業が低コストを求めてベトナムなどで生産を行う動きがあると聞いています。日本企業も大手は、低コストを求めてベトナム、バングラディッシュなどでの生産を模索しているようです。

今、中国の若い人たちが縫製などの仕事に従事することは非常に少なくなってきており、もともと、繊維などの産業しかなかった国で、日本と同じ逆ピラミッド型の人口構造をした状態で他産業が活性化して来ると、何千人もいた縫製工場に割り振れる若い人口というのは年々極端に減少し、数年で、巨大な織物工場や縫製工場が成り立たなくなってきたのです。

中国では、旧正月が終わると、働き手が工場に戻ってこないといわれています。それが、企業と労働者の関係で、実際に日本では考えられないことですがそれが起こりえるのが中国の企業です。
2010年11月13日
今日は工場の中で生産に向けての調整を行いました。工場の中にいるとすごく時間の流れが速いのを感じます。いくつかの問題に取り組むときに、2時間3時間という時間が簡単に流れてしまいます。機械の調整はもちろん、糸を調べるのにしても糸の在庫を確認するだけでもかなりの数時間は掛かり、それを使える状態にするには時間が掛かるのです。

それでも染めているのに比べると時間の節約になるだけでなく、品質の安定の面では、一番です。見本で使う糸と本番で使う糸の染ロットが変わったりすると、微妙な色の違いが出てきます。原糸や加工ロットが違うだけでも色の違いが出るだけでなく、織る織機が違うと風合いの違いが出てきますし、織機の設定の違いで風合いはまた変わってきます。

生成やオフ白の糸でも、ロットごとに違いますので、ロット管理するだけでなく使える糸、使えない糸を再度チェックいたします。糸のメーカーによっては織れてアパレル向けの糸であっても、案外糸商さんが定番で持たれている糸であっても、水洗いを想定するアパレル向けには使ってはいけないメーカーの糸というのもあるのです。その糸を使われて服をつくられると、買われた方が大変なことになっていると思います。

糸の段階で数値的な検査はクリアしているとは思うのですが、実際の織物での実績や検査が本当は必要なのです。たとえば、和紙の糸というのが出ており、検査数値などでも強度は十分というようなことでしたが、織って実際に布としてどうなのかをみないと本当の問題は見えてこないのです。展示会や新聞などでは和紙の素材ということで話題にはなるのですが、販売している人たちは、実際の布が破れるとか水に弱いとかいうところを知らないまま販売されていることも多いのです。そんな弱点は後から見えて来るので、最終的には和紙の糸などは、スリット使いにするなどの使い方が主流になっているようです。

夜7時過ぎから夜自治会の会議がありました。毎週末行事がありそのための会議が伴います。田舎の人ほど忙しく大変だというのは事実だと思います。
2010年11月12日
今日は金曜日、午前中に電話が入ってきて、バタバタと4時くらいまで連絡を回して段取りを整えます。とりあえず、今日にしておかないと間に合わなくなることは済ませて、加工の段取りや糸在庫のチェックなどを行います。

今、染工場のほうが非常に忙しい状況で詰まっておられ、一方、年内納期を希望されるものがほとんどになっています。このことは、簡単に量産できるものしか作るのが難しいというような話に繋がってきますので、海外にシェアを奪われていく要因の一つかもしれません。

先日も、加工工場さんにお願いした反物がありましたが、なかなか、他のものとは流しにくいということで、本番での納期などの問題を考えると別の方法を検討しなければならない話になりました。加工工場さんにもよい仕事をしていただきたいので、時間を十分取って加工を検討してもらうようにしないといけないのですが、通常の工程から外れたものづくりというのは、工業的なラインに乗せると何倍も手間が掛かるので、手作業的な作業を選択せねばならないのかとも思います。

手作りのほうが案外、スムーズにものづくりが流れることが多いのは実感します。味のあるものを求めると、その方向も一つではあると思うのですが、アパレル向けの正しい仕上げというのは再現性が非常に高く、経験や実績も高いので後で想定される生地の問題をプロの目でクリアしてあり、生地としての信頼性は高いといえます。
2010年11月11日
お取引のある東京のリネンショップさんが、もうすぐ大阪にもショップをオープンされるというご案内をいただきました。生地ショップさんのオープンかと思うのですが、洋服なども自社ブランドとしてご提案されていますので、新しいお店が生地ショップさんなのか洋服ショップさんなのか、オープンにお邪魔してどういうアイテムを取り扱われているのか拝見させていただきたいと思います。

実店舗をもたれるということは大変なことだと思いますが、実店舗の魅力というのは、インターネットや通販の世界と違って布や生地を本当に触れて良し悪しを判断できることではないかと思うのですが、それ以外にも、布がずらっと並んだ雰囲気を見て何を作ろうかと思ったり、欲しいなあと思っていた布にめぐり合ったりと、実店舗がある利点というのは大きいかと思います。

今日は、工場の中でトラブルでダウンしている3台の織機を順番に調整して、稼働させるようにいたしました。織機というのは、ある織物が織れるための正しい状態というのは一つしかないと思います。その状態にどうやって近づけるかが大事で、見本などでいろいろな織物を織ると、織機の設定がバラバラになるので、それをその織物に合うように調整をあわせてあげないといけないのです。

今の小ロット多品種の時代に、勘は大事なのですが勘だけで作業をしてしまうと、その一回一回の調整で、一つ調整が悪いと織れないという自体に陥り、一つの状態を求めて、1週間も2週間も調整しないといけないことになります。一番困るのは見本は作れたけど、本番ができないということで、見本をつくるときに、依頼される方というのは数メートルでよいという場合が多いのですが、実際に問題なく織れるのかどうかを試すためには15Mから20M、調子が出てから織ってみないと本番で大きな問題に遭遇し、結局、織れないという判断をしないといけないこともあります。加工なども再現性を求めるためには、数十メートルを加工して本番で再現性があるのかを見ておかないと駄目だったりで、そのあたりが小ロット多品種に置けるものづくりの難しいところです。見本つくりには本番以上に時間と手間とコストが掛かっていることが多いのです。
2010年11月10日
インターテキスタイル上海のファイナルレポートが届きました。全体の入場者数は4日間で5万7000人弱で、出展者のほうは、20カ国から2500の出展者ということで、今までの中では一番大きなインターテキスタイルになってきたようです。6月に同会場で行われました繊維関連の機械の総合展が前年20%ダウンとかの結果だったので、インターテキスタイルも今年はどうなんだろうと思っておりましたが、全体的にも大盛況に終わったようです。

VIPラウンジの無料チケットを日本のフランクメッセの主催の方からいただいてたので、3日目の開いた時間にコーヒーを飲みに立ち寄りました。この巨大なインターテキスタイル上海の全体をコーディネイトされているフランクメッセ香港のキャリーさんが、私が休憩していると後から休憩所に入ってこられたようで、休憩所を見渡して私を見つけてくださり顔を覚えてくださってて声を掛けに来てくださりました。

こんな世界規模の大きな展示会を主催されている主役中の主役の方が、この展示会に参加している2500社のなかでも企業の規模としては小さな出展者である「林与」を見つけて声を掛けに来てくださるというのは、彼女は本当に記憶力が良いだけでなく優しいすぎます。私が逆の立場で何千人も相手にしないといけないとなると、自分にそんなことできる能力があるだろうか・・・。お若いファッションモデルのような彼女がそれを当たり前にこなされているのをみると清清しさを感じます。

ファイナルレポートなどにも名前が出ておりました渡辺さんも、会期中を通じて、きめ細かに応援くださってました。準備の日に、私がハンガーバーの高さを高くする特殊な道具を探しているのを察知され、即座に日本ブースを作っておられる業者の方に要望を伝え、「林与」のブースのハンガーの高さをちょっと高く調整したいというのを叶えてくださったのも彼女なのです。後で分かったのですが、実はハンガーバーの高さを調節するのは、道具を借りるだけでは出来ず、業者の人でないとコツのいる難しい作業なのでした。

私自身、主催のみなさんお忙しいのはわかってますので無理は頼みたく、海外での展示会のことですので多少の調整など諦めないといけないことは諦める覚悟なのですが、それをできるできる、がんばれがんばれみたいに応援してくださるサポートの姿勢を感じます。主催側の個々の方は何倍もの責任と能力をお持ちであられながらも、出展するものを心地よく迎えてくださる影の主役に徹しておられるのが今回の成功の裏にはあるのだと思います。