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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2015年11月
リネン日記:25
2015年11月30日
仕事における壁にぶつかったときに、変化とか改善とか改革とか、簡単にできないと、改善できないことに無駄に悩むとか、自分自身が腐ってしまうことになるものだろう。特に悪い流れというのは大きな変化が必要で、自分だけの変化ではとどまらず、周囲のひとも同様に変化できないと意味がないことが多い。

外から見ればそれはエゴに映るのだろうが、チャンスというのはそういうところにしかなかったりする。成り立たないことを続けて成り立つようになるということもあんがいおおいものでそういう我慢というのはできるできないで作れるものも変わってくるものだろう。

普通の考え方だと普通のもの作り止まりで、いくら続けても普通
結果で、続かないという結論になろう。一回の判断というのは決して軽くなく、同様のチャンスが回ってきたとして最初の一回目でそのチャンスをいかせなかったり、失敗したりスレば、次もパスする結果になるだろう。

何かするときには失敗させない相手と組む必要がある、これが案外一番大事な事かもしれない。
2015年11月29日
機をたくさん貰い受けることができたので、それを置く場所を工場内につくらねばと、スチールラックを買いに行った。幅の広いラックが9000円であったので、それを複数購入。組み立ても簡単だが、一枚の板で100kgまで持ちこたえるとあるけど、それほど頑丈そうには思えず、機を3つも置くと棚板が反る。

棚板をたくさん入れると問題はなさそうなので、通常は5段なのだが、7段くらいにして、小分けして置けばそれほどわるくないだろう。以前、2000円くらいの特価のスチールラックも使ったことがあるけども、それはやはり、ぺこぺこして使い物にならず。見本糸を置いたりする程度にしか使えなかった。

こうやって、周りから固めていくと織機を置く壁からの位置などが適切に決まってくる。最後に工場の真ん中にスペースを残してあげるような形を考えている。今日の夜からアンカーボルトの設置を始めた。
2015年11月28日
今日は周辺のものを片付ける。急いでいる仕事がいくつもあって生産のピークの時期に織機の移設となり、本生産が遅れ始めていて挽回しないとならない。当初は移設したらすぐに織機を動かせる予定をしていたのですがシャトルがないという想定外の事態なので、とりあえずの生産は従来の織機で乗り切るれればと思う。

小ロット多品種を求められるときに、素直に、カウンター見本、着見本、本生産の流れで織機の台数が少ない状況で、3回機替えして仕事をしていたら成り立つことはほぼない。織機の調整もその度に行う必要があり、結局、織るという作業が出来ないのである。

小ロット多品種のものを生産しようとすれば、織機の台数を増やすべきで、同じタイプの織機が1台しかないような状況では、もしその織機に問題が発生したときには生産は厳しくなるので、納期のある本生産を想定するならもしものときも他の織機で織れるとか、他の織機の部品と交換して乗り越えられるようにしておく必要がある。
2015年11月27日
シャトル8号台を3号台のあった場所に移動する作業。問題は、床板の上をハンドパレットに織機を載せて移動することと、すり抜けないとならない織機の間隔が2センチほどしか余裕がないこと。5月には西側のジャガードのスペースにレピア織機を移動したので、今回のほうがシャトル織機なので重量が少なく難度は低い。

同じ形の織機なのでアンカーボルトをそのまま生かして設置したいと考え、今日は、とりあえず着地させるまでに行かなかったが、大体の位置までに持っていくことができ、工場内の通路は復活した。

モーターの位置がどうしても合わないので、モーターはベースも含めて取り外して、正しい場所に後で添え付け直す計画。SUYAMAのシャトル織機はモーターを織機とは別個に地面に設置しないとならないタイプなので、足元のスペースがモーターで取られるのと、モーターというのはVベルトで織機の軸と連結されて回っているので危なさがある。

上下運動や前後運動などよりも、回転運動というのは怖いもので体の一部でも巻き込まれると体全体が持っていかれる。林与は工場の中では、携帯はポケットにしまっておくか、工場の中に持ち込まないようにしている。携帯のストラップなどは非常に危ない。
2015年11月26日
今日は移設の2日目、残りの6台が運び込まれ14台の移設が完了する。夜、工場で移設された織機を眺めると、感無量。これから動かしていくことを考えると楽しみでしかない。が、織機が動いていたときにあったシャトルが一つも見当たらなく、シャトルの管もない状態。

業者さんを通じて間接的に移設を行ったので途中でそういう大事なものがうまく引き継がれずに、シャトルとシャトルの管を準備するところからはじめないとならないが、シャトルなんてものは作ろうと思えば作れるし、シャトルの管にしても会社にあるものを使うことができそうだ。しかし、移設してすぐに動かせないというのが非常に残念なこと。一ヶ月前にあった、何度も戻してもらうように言っていた林与の特製の小さなフリンジのついたビーム2つもどこかに紛失ということで探さなければならない。
2015年11月25日
織機の移設が朝から始まり、工場の中は今までにないほどに平坦なコンクリート面が広がる。広いなあという印象で、また織機で埋まるのが惜しい気もするほど普段見慣れない工場の中の広い空間に感動。

織機が着々と運ばれてきて、今日は8台入ったところで終了。準備というのは非常に時間のかかる作業だが、運んでもらうという作業は非常に簡単に思える。夜、シャトルの3号台の場所に、シャトルの8号台を移動する。これはほかの織機の通路をぎりぎりですり抜けて移動するので慎重を要する作業。

無事に場所までもっていけて、すでにある3号台のアンカーボルトに8号台を落ち着かせるのがまた一仕事。

今日は、東京から一人と神戸からお二人が来られて移設の作業をご覧になられた。14日の日には神戸美術館主催の近江ラミーリネンツアーで見学のお客さんが来られる。テキスタイルマルシェも9日から14日の開催ながら、今回は、テキスタイルマルシェの店頭に立てるのは3日程度になりそう。

2015年11月24日
明日からの移設に備えて織機の移動と分解。ぎりぎりになるのは、ぎりぎりまで織機を残しておかないと生産を抱えている時期なので仕方ない状況もある。今日も夜友達が手伝ってくれる。友人なので技術はないけど私のいうとおりに作業を親身に手伝ってくれる。

仕事で成功しようとすると自分がやろうと思うことを出来るか出来ないかが大事で、そのやろうとすることも月並みでは商売にはならない。普通に仕事して食べていけるのかというと、経験ある人ほど変な壁があって初めての素人の方がなり立つことも多いのが今の時代で、そうでないといけないというのが理解できないから、教え込めるような素人を集めた新興国の方が先進国を追い抜いていけるのだろう。

日本の仕事の世界が他を殺して自分が食べていくような情けないことが普通になりすぎて、騙して儲けてなんぼがサクセスストーリーの人が多すぎる。以前も地元の人で地元の廃業された機屋さんの残反を足もとを見て買い上げ何倍にもして転売出来たことを、あれは儲けものだったと誇らしげにかたっておられた70代の元職人のかたがおられたが、そういう昔でいうくすぶりが増えすぎなのだ。

それは人を食いものにして儲かる世界かもしれないが、全体としてはやせ細っていく世界で、他の人を食いつぶせばそれで終わり。自分自身で物事を育んで、仕事を高度化していけるような人が成功してほしいと思える。

極端な話、戦争なんかも、もうけたいひとが他の人をくいつぶしているから、絶えることはない。きれいなことをいいながら安全な場所で指図したい人が、自分の命を賭することなく、見方や敵の命を握ってしまっている状態が続く限りは、戦争の本質は変わらないだろう。

無人爆撃機で攻撃するというのは、昔、アメリカが奴隷制度での失敗とにている気がしてならない。
2015年11月22日
今日は、倉庫に行って織機の部品をストックする場所を準備。倉庫の一角の糸を置いてあった場所を、部品置き場にする予定で片付ける。午後から夜中までの作業。なんとか、片付いて分解したシャトル織機の部品を置くことができそう。5台分くらいの部品になろうかと思うのでそれなりには場所が必要。

今が生産の時期に入っているので織機を動かしながらの移設作業で、とりあえず、工場の中に織機が納まるようにして、あとは順番に立ち上げていくような形。工場の中の織機を完全にシャッフルするような理想的なレイアウトも考えたが、今の織機を稼動しなければならないタイミングではそれは難しい。

使うか使わないかわからない部品をスペアで取っておくということは非常に無駄なことなのだが、それができるのかできないのかで織機の寿命というものは大きく違ってくる。いろんな意味で織機の寿命がすなわち機屋の寿命であるということが多いので、織機の維持がスムーズに行くことを想定することが大事であろうと思える。

シャトル織機の部品をとっておく倉庫のスペースだけでも織機数台は置けるようなスペースであったり、でも、一つ部品が手に入らなく困ることを考えると、なるべくたくさんの部品を残しておく必要がある。そういうところから仕事というのは始まる気がするが、そういうところは今のジャストインタイム式とはまったく逆の考え方になろうかといえる。
2015年11月21日
修羅場というのは避けるべきだろうと思えるが、修羅場を乗り越えるところに経験みたいなものの重みがあるのではないのかと思えたりする。商売が安定的に動いているときには、働く人というのはそれが当たり前に思えて、いざ立ち行かなくなったときには無力であったりするものだ。

企業というのが安定すると、外からではなく中から崩れ始めることが多いものだ。よりよい待遇が当たり前になって危機感がなくなるとか、ものを生み出す力がなくなるとか。普通考えて、人は一年に一歳年をとるのだが、一般的には年を取ると、仕事は出来なくなっていくものだろう。

今はあまり聞かなくなった年功序列型賃金制度というものがあるけども、それは土地の価格は上がり続けるという土地神話に近いバブル的なものがあるが、それを日本人は信じるように誘導をされ続けてきたが、それが壊れたときにそんなのは基本でもなんでもなく、企業なんて30年も持てば立派で人の一生よりも寿命が短いことのほうが多いのである。
2015年11月18日
林与もヘンプ糸を使った大麻布を生産しているが、林与の場合には、通常の紡績の大麻布。今、よく聞く昔の大麻を再現したといわれる大麻布というのは、水溶性ビニロンを紡績時に使って、織った後に水溶性ビニロンを溶かして細い糸にして作り上げる今風の手法で生み出される。

これは、ラミーなんかもそうで、細いラミーの糸は、ラミーのステイプルと水溶性ビニロンのステイプルと混紡して、水溶性ビニロンの混紡糸をつくり織ってから、加工で水溶性ビニロンを高温で溶かして除去して、薄いラミーの織物を作り上げる。

普通だと織れないものを織れるようにするために水溶性ビニロンが活躍しているのだ。織り難いはずのものが織りやすくなると、ますます機屋の力は不要になりつつあるのだろうと思える。

水溶性ビニロンの問題は、それが残留するかしないかの問題があろうし、また、水に溶けた後、水の処理の問題もあろう。従来の植物系の糊剤などを使うメリットというのは別の意味で残り続けると思う。
2015年11月17日
仕事をする上で器用さというのは大事で、職人的な器用と言うのは経験を積んだ結果であることが多いが、今までの人生経験でいろんなことをやっているので新しいことを初めてやっても器用にできるというのが必須になっているように思える。

新しいことを教えてもらって、難しいからできないといつまでもいい続けるのか、すぐに出来るようになるのか、あるいは、何ヶ月も掛かってできるようになるのかでは、食べていけるのはすぐに出来るようになる人だけであろう。習得が遅い人というのはそこに今までの仕事経験みたいなのが凝縮されていて、そういう習得が遅いというあたりから解決をしていかないとならないと思える。

よく言われるのが、現場では教えてもらえることは稀で、自分が上手な人の作業をみて、真似するしかないということ。いわば、上手になるためには技を盗めということ。現場で教えてもらえることばかりを期待していて自分が上手にならないのを教えてくれる人のせいにしていても、そういう人というのは自分が教える立場にはなかなかなれないもので、教えるほうが一生懸命でも教えられるほうが教えてもらえるのをまってそれを仕事していると勘違いして、全体としては上手な人が下手な人に使われてしまっているような一番駄目な状態を生み出してしまうのだろう。

新しいものづくりは、問題なんかがあっても自分で解決してものにしていける人でないと成り立たないだろう。毎日、目の前にトラブルみたいなものがあって、それを現実的に解決していけないと仕事としては成り立たないのである。何十年の経験をもつ職人さんたちを抱えている工場の経営が傾く一途で、経験のない新興国の工場が立ち上がって元気に日本向けの仕事をこなしているのを考えると、日本の織物企業がどんどんと形骸化して輸入企業に変わるのも自然な流れではあろう。
2015年11月16日
仕事を自分で生み出しておられる会社というのは、仕事のないタイミングというのがほとんどなく、自分で自分のために働くことも仕事という感覚だろう。仕事というのが他の人のことではなく自分のためという心境が必要で、働くことがあって仕事が生まれるという基本のあたりが欠如すると、いつも仕事があるとかもらえる感覚に陥り、緊張感もなくなり、そうなると堕ちるのは早いものだ。

そういう仕事に関する緊張感のなさというものは働く人にみられがちだがそれが組織全体でみられがちになったときになかなか元に戻すのは難しい。バブルの崩壊とともに、仕事の価値も土地の価格が下落したことで下落したのだが、給料は何分の一にもなることがないのでそういうのには気がつかないものだ。最後には製造業は日本から出て行くという結果に繋がった。

海外も豊かになって本来は国際競争の中で一番恐れるのは、豊かになっても働き続けるような国の存在なのだが、アジアの新興国も豊かになると働かないというような普遍の原理が働いて、一国の一人勝ちが続くようなことはない。

週40時間働いたところで一生働いても仕事としてそれほど経験もつめず、温い域を抜け出ることは難しいんじゃないだろうかと思えるが、そういう現場の前線の人の生産活動というのが、製造業では管理や事務の人の分まで収益を生み出すだけでなく、その会社に関わる人の働かない階級の人の生活までも支えていかなければ、その会社が存続というのは成り立たないだろう。40時間働いて、自分以外の5人、6人の分まで生産しないとなると相当の重荷になる。
2015年11月14日
今朝は朝から雨。今日は土曜日なので比較的落ち着いている。宿題的な仕事の案件の相談事や加工工場に電話して案件を考える。9月末が決算なので、11月末の決算書に絡んで在庫調べなども進める。

今年はリネンの価格が3割ほど上昇をしたので、昨年と比べると、原材料費の比率が高まったように思える。今年は決算前から来春物の準備を始めたので糸などの仕入額が昨年の2.5倍。早くから注文をたくさんいただいてありがたい話なのだが、手持ち糸の在庫が膨らんで、キャッシュフローは良くない。

キャッシュフローをよくすれば糸の確保に不確定な要因が増えるし、納期の件でお客様にまっていただかねばならないことも多い。ほしければすぐに手に入るというものでもなく、シーズンに入ると、糸が手に入らなくなったり、染ができなくなったり、どこかでパンクすると、作りたくても作れないというような状況に陥る。

海外が強いのは、中国にしても日本の金融規模を上回ってしまっていて、バイオーダー生産というような方式はとっていない。日本は繊維業界にもバイオーダー生産の流れが続いて、生産コストで何倍も高くなってそのコスト高のしわ寄せをほかにかぶせることで商売が成り立っている状況。被るところがなくなれば企画自体が進まなくなる。

日本でもSPAが強いのは、計画生産型であること。受注生産型でないことだろう。アパレルの場合、受注生産といっても最終消費者の受注を受けてではなく、お店やバイヤーさんからの受注を受けての洋服の生産でそれが生地の発注につながるので、まだ、その後に店頭での売れる売れないの不透明な要素は残るのは受注生産型でも同じ、それなら、計画生産型を組んだほうが、生産面での効率化は図れる部分がある。

新しい生地を企画するときも、スワッチがみたいからはじまって、着分が必要となり、量産が必要。3回つくる必要があって、アパレルさんやお店のオリジナルものというのはコスト面で成り立ちにくく、テキスタイルメーカーの企画に便乗してもらう形が一番無理がないことが多いが、そういうのが理解してもらえる相手様なのか相手様でないのかで、同じ素材を提供するにしても相手様の要求に応じてコストも大きく変わってくるものだったりする。
2015年11月13日
11月も半ばで、それほど厳しい寒さにも直面せず、今年はエルニーニョの影響とかで暖冬らしいが、百貨店の店頭なども年を越すとすぐに冬物はバーゲンセールで、2月からは春物が並び始める。もうちょっとバーゲンセールを待ってもらえないものかと思うものの、一番寒い2月にコートを店頭に並べても、雨降りの日に傘を忘れて傘を買うのと同じで、お店に飛び込んでとりあえず安いものでよいという需要がほとんどになるのだろう。

洋服というものは、店頭に溢れかえっているけども、色柄形サイズそしてプライス、人の好みはそれぞれで、自分がほしいものにめぐり合える確立は低いだろうし、自分のほしいものに出会っても、自分に合うのかどうかも一つの問題となってくるので、売れ残りというものは必然的に生まれる運命にあろうといえる。食べ物にもサイズがあっても、洋服とは異なる。

今日は、東京からお客様が工場の見学に起こしくださり、現場の雰囲気というものをみていただいた。もうすぐ、織機の移設を予定しているので、ごちゃごちゃ感がマックス気味だが、現場というのはいろいろなもので溢れているほうが魅力に思え、やはり捨ててしまわなかったものが何年かに一回とか活躍することが多い。
2015年11月12日
今、日本は東京を中心に2020年に向けて好景気の様相になりつつあるが、そのバブルが崩壊した後の準備も必要で、オリンピック後の数年でその蓄積は解けてしまうだろう。海外での沈没船事故で船長が逃げ出した件の裁判があったけど、日本の年金問題というのはまさに沈みかけている船そのもので、最初の自分の老後に備える任意でスターといたものが、いわば船長のいい加減さで成り立たなくなり強制的なものに変わり、今は、その犠牲も生まれてくる世代に背負わせても成り立たないほど。

人々の善意を募る寄付なんかでも、まともな寄付がどれほどあるのかと思えるほどに、その運営というものは強欲なことが多く、運営が存続するために寄付があるみたいなところ。サッカーくじTOTOなんてのも、法律をつくっても、最初の約束を当然のごとくに破って、法律を変えてでも存続させて、そういうので食べていかないとならない、組織が存在をするわけで、スポーツ振興という名前の偽善を振りかざし、無駄な組織をつくり無駄を食べて生きているようなところがある。日本のスポーツ観が健全であればあるほど、TOTOのようなものは普及し難いものだ。TOTOを普及させようとすると賞金を上げるとかギャンブル性を高めるしかないというのが本質だろう。その利権に群がる。

年金みたいな、人々の老後の生活を約束するためのものが、運営者によって、もてあそばれて、いくら消えてしまったのかすらもわからず、これから生まれてくる世代に負担を押し付けての正当化、原発もそうだが、誰が運営するかで同じことでも正反対の結果となるだろう。

人の命にしても、原発が爆発して放射能漏れを隠匿した国なんてのは、先に逃げ出した船長と同じレベルではないのか。自分の保身で放射能漏れを隠してそれがために死に行く人もあるだろう。海水を掛けると廃炉しなければならないのでもったいないという、それこそが、原発よりも何十万人という人の命のほうが安いという判断。唯一、設計のミスというか、神の手が働いて、地下から放射能が漏れ出して海に流れ出したことで無限拡散され、そうでなければ、福島はチェルノブイリの半分クラスの後遺症に見舞われたろう。

今も、除染というような言葉がきれいに聞こえるが、除染って、放射能を消すことができるのという話になる。それは無理な話で遠洋投棄が正しかったという結論になる。私自身は福島原発の所長は典型的な体内被曝の甲状腺がんだろうとみるが、専門化たちが素人未満の判断をまたやっているというか、包み隠すしかないというのが実情だろう。原発爆発して専門化が水蒸気爆発で安心しろ、素人はメルトダウンの判断で放射能漏れを心配、どちらが結果正しかったのか、そういう重大事態のときに保身が働く愚かさが原発行政で今も変わらず他国の沈没事故を笑っていられるところではなかろう。
2015年11月11日
今日は奈良からのお客さま、ブランドの拠点を京都に引越しされるそうで、そこに落ちつかれるべく、古い家を改装中だそう。田舎というのはのどかに見えるが、精神的には都会のように自由じゃないのでややこしいことも多いだろう。本来は、田舎ほうが田舎の自由があってよいはずなのだが、変に田舎が画一化されてしまって、田舎のもののほうが束縛されてしまっている。あかんじゃないのか。

さて、工場の中、糸を結んだ結び目は最後鋏で切って処理をするのだが、縦糸用に整経するときにその結び目が長いのに気がついて延々と切る作業が続く。何十倍もの時間がかかって、しまうのだが、最後に問題のない良いものを作ろうとすれば、こういう結びそは、気がついた時点で処理しないとならない。

糸の紡績の段階というよりも、国内での作業している高齢のおじいさんの結びが大きい可能性が高く、そういう結び目の処理をするのもその糸を使う人の仕事になる。同時に、油糸のような汚れの問題が起こって、それを除去する仕事。紡績の段階での問題のようで、紡績の錐にトラブルが起こって、時折、10cmから1mくらいの一本の糸が汚れているのを、整経の作業の時点ですべて目視により取り除く。

これだけで、1時間で本来なら済む仕事が、二人で一日がかりの仕事に。どこの現場にもプロがいないというのが今日の現状で、こういうトラブルをしてきしても認めてはくれても、それを解決する手段すらがその人たちにはなく、ぴりぴりとした感覚で機屋がそういうものを片付けないとならない。

本来、材料には問題がないというのが基本だが、問題があるのを前提で技術や努力でカバーできるかできないかで、できることや、結果というものが大きく変わってくる。私には問題のあるまま、糸を作業して悪い生地をつくってしまうことはできないので、何十倍の時間を使ってそういう問題を解決するために手間を掛けていく。できない人はできない、できる人が片付けていくしかないのである。
2015年11月10日
今日は東京より和装のお客様。最近は、和装に関しては自社企画の着尺をたまに織る以外には、3社からのお仕事を受けているにとどまる。本麻ともなってくると一反一反売られる形になってくるので、そうたくさん流れるものでもないのも良くわかるのだ。

着物の世界とアパレルの世界では同じ、本麻でも異なる風合いが好まれる。着物の世界というとどちらかといえば硬い風合いが好まれ、アパレルの世界ではできるだけ柔らかい風合いが好まれるものだ。

着物というのは基本的には、できるかぎりしっかりと織るというのが基本。番手に応じた密度があって、薄いものを織りたければ細い糸を使い、厚いものを織りたければ太い糸を使う。アパレルの世界だと、薄いものを太い糸を粗く織って織ることもありえるだろうが、昔の織物にあるあの独特の手織りの厚みというのは、手織りのアイリッシュリネンなどにも共通をする要素だろう。
2015年11月09日
道を開いていくのは大変だろうと思える。すでに道が出来上がっている状況で、別の道を作っていくことも難しいことだなあと思える。多くの人が新しい道を歩き始めると新しい道を歩き始めることのほうが普通に思える。

繊維産業においても、昔ながらの道と、新しい道があるだろう。昔ながらの道というのはおじいさんおばあさんが歩いていてそれにあわせて若いものも歩いていく必要がある。新しい道というのは交通量も多くトラックや外車なんかが走っているイメージだろうか。

地場産業でよくいわれるのが新しいことをしようとしても先代世代がいるのでややこしいということ。そういう人のつながりの中での序列化とかに必死になっているのは無駄なことで、いろいろな形があって生き残れるのだろうと思うが、そういう変な制約を超えていかないと外の世界との競争なんてできないだろう。

そういうのを早く超えたところほどチャンスをつかんで次に繋がる道が広がる。先代世代も若い世代をそういう束縛から早く解放してあげるべきだろう。そうでないと次の世代が育たなく弱すぎたり、消えてしまうものだろうと、わたしも、年を取り始めて自分はどうあるべきかと考える。
2015年11月08日
今日は、長英座の2日目。お客さんの数は昨日よりもかなり多い。開幕前にロビー展示の隣で、女の子6人での踊りがあってそういうのがほのぼのとしていて和む。愛荘町のイメージキャラクター「あしょうさん」がロビーに登場して、それもお客さんたちを和ませる。

あしょうさんというのは、和尚さんをもじって名前が付いていて、和尚さんのような風貌のキャラクターで、頭は瓶手鞠、衣裳は近江上布を着ているということらしいが確認したところアクリル?かなあ、冗談でつっこんでおいた。

お隣の展示は滋賀県酒造組合が展示されていて、滋賀県の33の酒蔵のお酒を100円で試飲できる企画をされていた。酒蔵の数も減る一方のようで、最近の飲酒運転に対する罰則の強化でお酒を飲む人と機会が減ったということ。東近江八日市の酒蔵のお酒を1本お土産にいただいた。

昨日、私が近江上布を持ち出したことを知ってか、母親が勘違いしてか、帰ったらもう20反ほど近江上布の反物を奥から出してきたようだ。母親としては売り切ってしまってほしいようだが、私としては、日本の織物や近江上布の歴史の強さを語ることのできる反物なので散ってしまうと残念なので歴史的な資料としてみてもらえればと思う。
2015年11月07日
滋賀県米原の文化産業交流会館で、7日8日の両日、長英座5周年のイベントが行われます。林与は近江の産業のPRの一つとしましてロビー展示をさせていただきます。近江上布アーカイブの展示とキッチンクロス、ストール、ハンカチの展示販売をさせていただきます。以下は、文化産業交流会館のホームページより、長英座ルネサンス近江開幕のご案内内容です。

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「長栄座ルネサンス近江開幕」は11月7日(土)と8日(日)の2日間にわたり開催します!
11月7日(土)は、芸舞妓さんのあでやかで華麗な舞姿や名手・今藤美佐緒さんによる
三味線の至芸を狂言師・茂山逸平さんの軽妙な司会でお送りします。
舞妓さんとの写真撮影会もあります!!

11月8日(日)は、創作地歌「滋賀の地酒祝い唄」や県内外の実力ある日本舞踊家による
湖国ゆかりの演目を披露します。尾上菊之丞さんと若柳吉蔵さんの共演や民謡歌手の成世昌平さんの出演は見逃せません!!

♪会場♪ 滋賀県立文化産業交流会館 イベントホール内特設舞台「長栄座」
♪入場料♪ 【一般】3,000円 【青少年(25歳以下)】1,500円
♪お得な2日間セット♪【一般】6,000円→5,000円 【青少年】3,000円→2,500円

ロビーでの両日開催イベントもあります
・顔出し看板で記念撮影
・滋賀の物産展
・高校生によるお茶席(先着100名)