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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2018年8月
2018年8月
リネン日記:21
2018年08月31日
今日は朝からキッチンクロスの件で、2色目のキッチンクロスのサンプルを織り出ししたのを縫製して加工まで仕上げる。耳が食い込み気味で切れて切れてうまく織りにくい。こういうのはすごく不吉な予感である。厚織りしているものは色によって織れないことも多いから。シャトルの糸の強さの調整などをして問題なく織れるようになってほっとする。

織れない織物というのはどうしても織れない。糸使いや規格は同じでも、配色が違うだけで、この色は織れないとかある。過去2年は、リネンの原料のフラックスが不作気味だったといわれていてそれが細番手の場合の織りにくい問題の基本的な原因。今織っているのは25番手なので、糸は太めで強いのだが、それでも耳付近は糸切れをする。というのは耳までリネンの厚織のキッチンクロスなのでキッチンクロスの中でも難度は高い。

シャトルとレピアでは、耳付近の調整が逆になる。シャトルの場合は糸が左右に往復して、耳は内側に引っ張られるので耳付近は高密度になりがちである。一方、レピアは、耳がオープンで片側がないので、耳付近の密度は低くなるので耳を混ませて密度を上げてあげる必要がある。

織物の規格が、横の密度はギアで決まるのだが、縦糸のテンションがきついと反物を下ろしたときに横糸密度は高くなり幅は狭くなる。今日のシャトルの耳が内側に食い込むのは、色の問題もある。縦糸のテンションを上げることで解決した。

急ぎのギンガムの件も、これから数日で3経、織り上げないといけない。まだ2色は、染め上がってチーズアップのおじいさんのところ。
2018年08月30日
野麦峠にしても悪くいわれるが、農村の集落に残って生きることのほうが、食べるものさえも十分に食べられない地獄で、製糸工場で働くことは天国のようなものであるというのを忘れてはいけないと思う。それを否定してしまって人権云々は行政的な支配階級の考え方だろうと思える。また、丁稚奉公なんかにしても、本来は受け入れている側は今のボランティアをはるかに越えたものがある。そんなのを叩いているのだから、他人事で幸せな身分なのである。

昔は貧しくても子供が5人、6人が当たり前。農家だと食べて行くのも難しい状況。甲斐性のある親戚を頼って親がお願いしたのが丁稚奉公なのである。批判だけして、食べ物を得ることもできず飢え死にして行くのを助けもせず、飢え死にする子達に生きるチャンスを与えるのを否定するとか、どうしようもないだろう。豊かな時代の考え方というのはそういう貧しい人を自分が救うこともなく、救っているものを批判するだけで残酷でもある。

途上国の縫製工場が叩かれることがある。大手メディアの記者が、バングラディッシュで、一日12時間働く男性をかわいそうということで書いているけど、その人は、農業で食べて行くもできず田舎から出てきて仕事について家族を食べさせて行くことができる仕事でそれなりに幸せだと思っているのに。その背景にある食べて行けず飢え死にしてゆく貧困とかには目を向けずに、飢え死にから人を救っている企業を叩いている。

命の危機に脅かされている人を自分が雇って救わない人が、命の危機に脅かされている人たちを救う人を駄目だと叩く。大手メディアでもその男の人を現地で縫製工場の給料を出して1日8時間で記者としてでも新聞配達としてでも雇ってあげればよいのである。それができないなら大手メディアが縫製工場以下なのである。新聞奨学生という制度もあるが、睡眠時間4時間とか5時間で、バングラディシュの男性以下が、今の日本の大手新聞メディアが成り立っている。現代でも野麦峠よりも厳しいのを乗り越える新聞奨学生たち3年間で別に家が買えるわけでもない。

冒頭に戻るが、官製で良家の娘さんたちをあつめ、最新の設備、高待遇の、富岡製糸工場が潰れたのはまともな糸ができなかったから。すべてが美しいのだが食べて行ける役人や富裕層がきれいごとでやって、またその片付けは関係のない民間がやるとか、貧しいものがチャンスをつかもうとしても学歴がないと難しいとかにして、貧しく学歴の無いものがチャンスを得ると富裕層からすると富裕層を優遇する社会構造が脅かされることになる。食べて行けない貧しい農家のものでも頑張れば豊かな暮らしができるというのが、否定されがちな野麦峠や丁稚奉公の世界。それを許さなければ、貧困で死すら当たり前に待ち受けているのに、それを許さない感覚というのも役人や富裕層の他人事に思えてしかたがない。

バングラディッシュの男性でも本当に人がまともなのである。逆に、大手メディアの記者のような感覚になったらバングラディッシュでは食べても行けないだろう。なぜバングラディッシュに繊維産業が殺到するかも、大手メディアの記者のような考え方からなのである。大手メディアの記者が矛盾しているのであろうと思える。アメリカファーストというような、トランプの思想はファシズムそのもの。1国が常に一番みたいな国家主義は、自分が常に一番だと考えている人間と同じで他を見下しているだけの類。人の欲望の中、トランプは踊らされているピエロ役に過ぎないだろうけど。
2018年08月29日
分業というのはピンポイントな仕事で、慣れると無意識で仕事をこなせるので生産性が上がる。伝統工芸系では、分業というのが基本で、それぞれの工程の職人ということになる。工業的な生産でも分業が基本となっている。たとえば、大まかには、紡績、染色、織、加工など。そして、それぞれの工場の中で、1工程、2工程を専門に、初めの日に覚えた知識を蓄積していき、現場の職人となるスタイル。

私自身がそのスタイルが好きじゃないのは、壁を乗り越えるのが難しいこと。生地にしても単なる素材で洋服の材料となるものなのに制約ばかりになる。これは外の問題だけでなく、中でも同じで、自分の仕事はこれだけでほかは関係ないみたいな人が集まると人が成長することすらないのである。その人の専門の分野でもできないが増えて、プロがやってうまく行かないことに素人が頭を使って問題を解決するということが増えてしまう。

昔あった話で、出機さんで、白い布が油汚れの問題の連発で、仕事してもらっても注文に応えることもできず、材料、工賃で、4回立て続けで、何百万円の損失。見に行って確認すると、シャトルの出口に10円玉大の真っ黒な油の塊がある状況で織ってしまっている。私がそれを拭こうとするとあとで拭くからと拭かれる事を嫌がる。そして、結局、原因まで他の人が見つけても、それ拭かずに織ってまだ油汚れとか、現場の何十年のプロがその程度の仕事意識なので、海外の経験1年のものづくりにも負ける、仕事があっても問題のある反物ばかりでは地場産業が衰退して当然に思えることも多い。

分業でやっているとその分野でのプロ意識が勝ってしまって、自分しかできないと勘違いしてしまう。職人のやっている仕事にしても、基本は数時間で覚えられる仕事、それを正しくやれるかどうかが大事なところ。大事なのは、技術じゃなく、責任感とか人柄という要素なのである。仕事の分業という形態が、どんどん仕事の本質を分からない人を増やして行くこともある。
2018年08月28日
交通事情というのはアメリカと日本では違うだろうし、事故に関する感覚も違う。自動運転で人が死んでもノープロブレムで、エアバックが破裂して人が死んだら大きな賠償問題というのもなあ。基準が、アメリカの自動車メーカーと日本の自動車メーカーでは立場が違うということ。軍事問題と似ている。

自動車運転免許の更新で、厳しくいろんなことを言っているのに、自動運転みたいなものが認められるとかは、矛盾した話である。米軍の駐在兵たちが、日本で交通事故や犯罪を起こしてもつかまらないのが当たり前みたいな感覚。愛媛丸の事故も、潜水艦でショーボートして、まだ、ぶつかったは仕方ないとしても救助もしなかったとか。

自動運転のビジネスの問題は、投資というより投機的な部分。儲かるという話で、お金を集めて破綻することすらありうるビジネスモデル。不老長寿の薬が無理なのと同じで交通事故を起こさない自動車というのは無理な話で、原発のように絶対に安全だからといっていても事故は起こるし、起きると分かったときに、保身が働き、人が死んでもやっぱり自動運転はやめておこうとは裁判で判決がでないかぎり出来ないだろう。

高齢者の安全運転の問題があるので自動運転がそれを解決するのかというと、自動運転は無防備で無責任な一番危ない状態を作り上げてしまう。自動運転がうまく働かないときに自分が問題を把握し運転できるのかというと普通の車より運転が難しいのである。人が運転するようにつくられた車と自動に運転する車では、問題が起こったときに、問題解決するのは自動運転車のほうが難しいのである。

携帯電話はペースメーカーに影響があるとか、飛行機の機器に影響があるとか、厳しく言っているのに、自動運転車の中では携帯電話のスイッチを切らなくてもよいとかも矛盾だらけ。無線で障害物を把握したりして飛びまくっているのに、利益の前には安全意識も働かない。自動ブレーキにしても試乗で販売員がぶつかりそうになってもブレーキを踏まないでといって、実際にぶつかって衝突事故とか。運転車の運転意識そのものを狂わせてしまう。

ETCにしてもノンストップがゆえに人が死んでいる。しかも、ありえないと思われるが仕事で業務に携わっているものが轢かれて死んでしまっているのだ。自動化すると人間の安全意識は確実に落ちる。失敗しても自分は悪くない機械が悪いという感覚まで起こる。人間の安全確認が無駄なことになってしまってどうするんだろう。飛び出す猫、人間の能力を超えて、それに急ブレーキを自動運転車が掛けて止まれても、追走している車があったら後ろからぶつかられることになる。猫を轢くことと後ろの車にぶつかられることとの判断のどちらを選ぶかの状況もあるだろう。人なら後ろに車が付いているの分かっていたなら猫なら急ブレーキをかけるより仕方なく猫を轢いてしまう判断となるだろうけど。考えすぎだといわれるかもしれないけど、こういうの当たり前にあることで、原発が爆発しても誰の手にも負えないのと同じこと。想定していなかったではお粗末過ぎる。
2018年08月27日
東円堂にもう一軒織元があったのは、ヨジヨモンじいさんの妹が嫁いだ先がヨジヨモンじいさんが妹の家のために嫁いだ先に織物業を教えてさせたことが始まりだったような話。業としては新屋分かれみたいなものとして、もう一軒の織物の仕事が始まった。なぜ同じ集落に2軒同じ織物業者が存在するのかというところを不思議に思ってはいたがなるほどな話である。昔は集落というのは基本親戚関係が強かったので一つの親族集団のようなものだった。一つの織元が普通であろうから。昔の時代にはありがちな、隣同士で結婚して新屋を気づいたということらしい。

ヨジヨモンじいさんの父親のカンベイじいさんは、酒飲みでカンベイじいさんは、酒の飲み代のため代々の敷地を担保にいれてお金を借りた。その借用書が今も残っている。カンベイじいさんが、ヨジヨモンを襲名できなかったのもどうしようもなさすぎたからのようだ。その反動として、若い頃から貧しく苦労して育ったヨジヨモンじいさんが、農村だった東円堂に産業としての織物業を生んだ。当時、織物というのは流通を規制されていて、誰もが商売として立ち上げることができるものではなく、米とか酒のように許可制みたいなところがあって、東円堂という村で許可されたのが、ヨジヨモンじいさんだった。代々続く母屋だったが、カンベイじいさんで潰れかかった東円堂中の母屋、東円堂中の親戚の期待を背負って応援も受けたこともあっただろう。

ヨジヨモンじいさんは、成功したので逆に恵まれない親類の親を亡くした子供がいたら家で自分の家族と同様に育てた。だから、私が3歳とかの子供のころでも、親戚の90歳を越えるおばあさんたちが私のことをすごく大事にしたというより、敬意をもって接していてくれたのを子供の頃感じていた。貧しい農村で、戦争で親を失うこと苧あり、食べて行くことも難しいということもあったろう。戦後、引き上げてきた親戚に住むところと仕事を与えてみたいなのも、それなりに良い話だけど。丁稚奉公が奴隷のようにいわれるが、農家で食べて行けないはまさに命すらなくしてしまう状況で、丁稚奉公というのは自分の子供を自分が育てられない状況だから他の人に育ててもらうことを頼んだ背景がある。普通、他の家の子供を預かって育てるなんていうのは甲斐性がなければできないこと。

私が大学生を卒業したときに、親友の一人が大手に就職を希望して、父親のコネクションでその大手の会社に本社採用で入社できたが、地方に送られて6ヶ月は研修という形で給料が無い状態で、そのことに不満を漏らしていた。待遇としては、良家の息子さんのコネ入社と同じで、給料なんてものを期待などしていなくて経験を積ませてもらうVIP待遇の一種だったとは思う。でもミスマッチだろう、預かって育てようとしても育たない。
2018年08月26日
今日は年に2回の隣組の寄り。午後3時に集まって事務的な案件と午後6時からの食事会。世帯主6人が集まる。

興味深い話は、今、手広く仕事をやられているガス、ガソリン関係の方は、肥料を売っていたのが売れなくなって、運送業に進出してうまく行かず、ツテで、ガスの卸販売をはじめて事業を広げられた。なかなか田舎で経営が難しい流れの中で、事業を拡大されているのは、いろんなチャンスを探しておられ地道な部分を持っておられるからだろう。一方で大きくなると難しくなることも多い。誰もできないくらいのことをやらないと誰でもできてしまうのでという話もうなずける部分だったりする。

今日は、耳の部分がうまく織れなくなってしまったシャトル織機を、根本的に問題解決。調子よく織れていたものが織れなくなるにはそれなりに理由があるのだが、正しい状態に戻さないといけない。糸の通し方などいつのまにか変わってしまったものを元に戻す作業。もう一台も、耳の端のほうが浮き織りになる。この問題は、開口のタイミングの問題か、シャトルを叩くタイミングの問題だろうと考えていたが、違和感があった原因が分かって、一つねじが外れてしまっていて、それがシャトルを叩くステッキを叩くのを邪魔して、シャトルにスピードが付かず、端のほうが閉じた状態でシャトルが走るから浮き織りになってたこと。

その違和感を感じたのは、織機が動くときの音。数日前、音の変化に気がついて、正しくない音が聞こえてくる。その原因が分からなかったが、ねじが外れてステッキを叩く音が変わったということが今日分かった。織機を扱う上では音というのは非常に大事で、織機がしんどがっているとか、織機の調子が良い悪いは織機が動くときの音で判断することが多い。
2018年08月25日
密度の薄い生地を織るときには普通程度の調整で織れても、密度が暑いとなると打ち込みを入れないといけないので、それように調整を加える必要がある。織機のギアを変えるだけでは厚く折れないのである。織機の調整が同じで、糸の番手や織物の企画が同じでも、糸の伸度や強度の問題で、打ち切れなどが起こってうまく織れないこともある。糸の色によって、糸質が変わり、織り易い織りにくいがあったりするのである。麻はそんなものである。

だから、色によって、染料を変えたりすることもある。同じ反応染料でも濃色はどうしても、糸と染料が化学結合の度合いが高いので、糸がコーティングされたようになるので、糸が硬くなることになる。そうすると、糸の物性が変わってくる。同じリネンでも、無染色の糸と黒に染めた糸では物性に大きな違いが出てくる。

たとえば、ボーダー柄を作ったときに、白の部分は水を吸いやすく、黒の部分は水を吸いにくい、という問題があって、白の部分は縮み易いが、黒の部分は縮み難い。ピッチの小さなボーダーならそれほど大きな問題は起こらないけど、10cmのボーダーとかだと、生地幅が、変わってくることがある。それが100cmで5cm違うとかなると、黒の部分がサッカー調になってしまうなども起こる。

テキスタイルデザインというのは、それをコントロールするのもテキスタイルデザインのうちで、そのためには、染料を変えて黒も収縮するように持って行かないと、濃い色の配色はドロップすることになってしまうとか。そういう色による物性の違いの問題は頻繁に起こってしまう状態が良くある。それをどうコントロールするかもテキスタイルデザインの要素。量産型の海外メーカーに多い、問題の少ない薄い色だけに絞って生地提案をするとそういう問題は避けられるのかもしれないが、それがそのメーカーの生地の全体的な特色となってしまう。
2018年08月24日
先週、イメージサンプルとしてつくったキッチンクロスを加工と縫製を含め最後まで仕上げるということで、本格的に風合いの調整で、やわらかくすることに。キッチンクロスなのでなるべく薬剤の残留がないようにしたいので柔軟剤を使わずにやわらかい仕上げを目指す。

朝から作業スタート、昨日の夜から朝に掛けてやわらかく仕上げる手順を検討して、処理する生地に適切な、処理温度、処理時間、薬剤の濃度の組み合わせを決めた。そしてそれを実行して、どこまで柔らかくなるかテスト。最初の1回目で十分やわらかいところまで持って行けたので、これで確定。サンプルとして3枚作った。さらにやわらかくといわれるなら、全体の処理時間を長くするか、同じ工程をもう一度繰り返えすで対応可能だろう。

こういう自分自身の作業が、新しいものを生み出すには役立つことが多い。今は普通になったやわらかいリネンストールだが、それを生み出そうと思って10年以上前に、細番手のリネンをベースに、安全性の高いいろんな薬剤をメーカーに問い合わせ手に入れて、何百メートルの生地をテストに使い、生み出した。それが、世界的にやわらかいリネンストールが広がるきっかけとなった。自分がつくろうと思うものは自分が第一人者としてとことんやってみることが大事。
2018年08月23日
今日は、風が強い。台風20号の風と雨。台風は昔、日本では大風と書いた。でも、中国では台湾からくる風なので台風と書いた。それが日本に入ってきて台風となったということらしい。日本的には大風が正しいと思う。

家の近くにアンコ川という幅4mほどの川がある、この川も昔は集落の人は、大川と呼んでいた。集落の中にもっと小さな川が流れているので、それと区別して大川なんだろう。村から出ることのなかった昔の人にとっては大川という表現で十分なのだろうと思う。コンクリートで川は固められ、3mくらい下を流れているので、近くてもあまり親近感がないのである。小学生の5年か6年くらいのときには、毎日川に下りて遊んだものだが、当時下りて上がってこられたので、子供のころは遊び場として身近に感じていた。

昭和50年ころだろうか、圃場整備が行われて、田んぼが3反田と呼ばれる、100m×30mの田んぼに統一されて川も改修された。東円堂の村は、どの家も石垣などで囲われ50cmほど道よりは高い場所に入り口がある。私がまだ生まれていない頃、大川はよく氾濫して村の道が川になってしまう感じで、テレビで見る床下浸水のような水との戦いがあったのだろう。

京都の鴨川なんかは観光客向けに整備されて素敵な川にみえるが、素敵じゃない川でも大事な役目をしているというところ。これを歩けるように浅くしたりしたら大失敗のもとなのである。いろんな過去の苦労があって現在の形というものも多い。東日本大震災での津波、何百年かに一回地震による津波で飲み込まれる。富士山も今は活動があまりみえないが、活火山で、何百年かに一回は大爆発する。人の力の無力さを感じるほどに自然の力は大きい。

勘一じいさんの家の道のそばに高さ1mを越えるゆりが10本ほど咲いていたが道のほうにこんにちはしてしまって全部ほど折れてしまった。自然というものは無情ではあるが、それがすべてを解決するほどの力をもっていることも多い。
2018年08月22日
織物に加工が必要であるということは繊維業界の方にもあまり知られていない。大手の生地商社の方でも織るだけで織物が出来上がると思っておられる方が多い。林与のリネンガーゼストール生機は、織っただけの状態で加工はしていないので、ハリがあって、横糸がまっすぐ走っている状態である。水に通すことで、横糸がアップアンドダウンして、生地幅が入る。通常、整理工場さんに加工に出すと縦を引っ張って加工になるので、幅は15%くらい縮む。フリーテンションで加工すると縦も縮むので、縦横ともに10%くらいが縮む想定である。

天然繊維の織物というのは、基本的には使い込んで行くと詰まって行く。長さや幅が縮んで行く傾向にある。樹脂なんかを使わないと糸が水を吸って膨張し縮む、それを干してプレスして伸ばすが、だんだんと縮んで行く傾向はある。綿のシャツなども、何回も洗うとクビ周りなど2cmから3cm縮むもので、最後は首周りが苦しくなってくる。特に襟周りは縫製が折れたりして密度が高いので縮みやすい。リネンだと首周りはゆったり目につくったほうが安心ではある。

今日は加工工場では新しい担当の方、加工内容の詳細を問い合わせると的確に返答もらえ加工を出すものとしては加工指図で迷いがない。問題が起こったときに加工内容などが分からないとどうしようもないことがある。用途によって薬剤など使用できないものがあったりもする。指図するときにそういうことを考えて指図しないと一般的な加工では通らないこともある。的確に情報が分かる加工内容のほうが織物を企画する上で大事だったりする。
2018年08月21日
今日は、織機のビームに使うウェイトを2個手に入れた。一つ15kgほどで、本来はトラクタ用のウェイト。織物用のウェイトが、4kgとか、7kgなので、テンションをあげる必要のある織物には、ビームに50kgくらいの重さを掛けるのに使う。 近くの農業関係の方がネットに出しておられで見つけた。車で5分のところの方だったので取りに行った。その後、くら寿司で晩ごはん、ハマチがとても美味しかった。ワサビ通なので、回転寿司の中では、くら寿司のワサビが一番良いと思うが、数年前のほうがワサビが美味しかったように感じる。時代の流れか。 びっくらぽんが当たったが、この景品が本当にどうでもよいもの。化け物のふち子さん。当たりなのかハズレなのか分からない。この景品でもプラスチックのパーツが8個ほど使って組み立ててある。中国製とあるが、これを組み立てる仕事は相当苦痛ではないかと思う。
2018年08月20日
仮想通貨というのはすごく話題になるけども実際に取引されて相場を決定している量というのはそれほどでもない。希少性が高いから高値で取引されているということだろう。昔、テレホンカードが出た頃に希少価値から高値で取引されたりしたのと似ている。いつの時代にもそういう流行のものはある。本当に通貨として価値があるなら、流動性が高くないといけないのだが、たとえば、自分がいくらの値段で売りたいと思っても、それに応じる相手がいないと、現在相場がいくらだといわれても実際には、自分の仮想通貨は使えないのである。

これは、日本で円が通貨としての流動性がありものの値段も円建てで一定だが。日本でドルは通貨としては流動性が低い、また為替の影響でドル建だとものの値段は変わってしまう。日本でもこの商品は100仮想通貨で買えますとかなら、仮想通貨が通貨としての流動性は高いだろう。けど、仮想通貨というのはゲームセンターのメダルのようなものをゲームセンター外で取引するようなものだ。ゲームをする人にとってはそれでゲームができるので価値があるけども、ゲームをしない人にとっては価値がないものである。

まあ、布の世界で言うと、何もきていない裸の王様が、見える人には見える布だと高い価値を感じるのに似ているだろう。価値をあると感じるのか感じないのかは、実態のないもので、人の考えが価値があるないを決定する。
2018年08月17日
何年ぶりかに地元の繊維関連の社長さんにお会いした。10年ほど前は、頻繁にお仕事をお願いしていたのだが、海外にありがちなもろもろの事情で流れが変わり、好評であったのだが生産が縮小することになったため、もう5年ほどお会いできていなかったと思う。

他の方のお話ではここ数年お忙しくされていたようで、手間のかかる仕事を地道にされてきたことが、他でどこもできなくなったことを吸収して始められたりとか、仕事を模索してこられたことが結果として、仕事がなく困っておられる会社がおおいなか、忙しい状況を作り上げられて来たのだろうと思える。

仕事があるといっても地道な仕事なので、冬の生産期にたくさん注文が入ればお正月も抜きになってしまうだろうし、普通とは違うから仕事があるのだろうと思う。仕事の基本姿勢が常にあられるのは、働くから仕事があるを実践されているからだろう。

一方で、別の織物会社さんが廃業された話。色々と特色を持ったものをされていて、織機は出され織りはやめられていたが、外注でいろんなことをされていた会社さん。外注を使って織物を作られていた。ブランドの別注の生地などを受けて作られていたが、社長もお年になられたこともあり良いタイミングで終わりを迎えられた形だろう。産地から特色のあるもの作りが消えて行くのは寂しいことである。
2018年08月16日
織る人が上手かどうかは、織った布を織機から下ろして検反するのを、当たり前にできるかどうかで大体分かる。下手な人は問題だらけで織ってほったらかしで、反物を下ろして検反しない。反物を下ろして検反すればどれだけ問題が多いかも分かるのに、反物を織機から下ろすことすら面倒なタイプは、織物を織ることは問題だらけで難しい。
2018年08月14日
阿波おどりがもめているけど。祭りというのは自主的な行事で、気持ちもない人間が絡むと、主役が変わったりする。

町のソフトボール大会。町の説明会で、参加者から決勝まで行くと1ヶ月の間、日曜日すべてチームが参加できる予定でないと参加できないのかという質問に、町の担当は、決勝まで参加できないチームは参加しないでくださいと答えた。

質問者は子供会行事等も入っている日曜日があったりしてと説明しているのに、町のソフトボールの担当者は、めんどうなのか、運営力がないのか、上から目線で勘違いしてしまっているのか、決勝まで参加できる予定のないチームは参加しないでくださいと。

主役は主催じゃなく、参加する各チームなんじゃないのか。町がソフトボールするからといって、メンバー集めるのも大変なんだよ。小さな町の行政の人間でもそんなこともわからない。自由参加をイメージしているにだろうけど、田舎でそれはない。村ごとに1チーム人を集めるのは至難の技、ましてや、1ヶ月のすべての日曜日チームを結成できるなんて考えるのは不可能だろう。

阿波おどりの件も、なぜ、何億もの赤字が生まれるのかで、参加者が給料もらってるわけでもなく。善意で参加して地域を盛り上げようとしているのに、それを食い物にしているにはだれかという問題。
2018年08月13日
土曜日の晩に仕事していると、盆踊りの音が聞こえてきた。盆踊りというのも、子供たちの地蔵盆と同じ感覚で良いと思う。行政的な無味乾燥な行事になるより、自分達が準備して仕切ってやる行事で良いと思う。

盆踊りの思い出に大学生になった年とその次の年が、運営の年。大学の頃、京都の祇園祭や大阪の天神祭りには憧れても、小さな頃に楽しんだ地元の行事からは気持ちが薄れているものである。

あんまり乗り気でなく参加した盆踊りの準備。一才上のやんちゃ系に憧れているオサム君が会長で、いったときにすごく準備に来たみんなをウェルカムで、自分が一番面倒な役目を背負って、自分の都合で適当に参加している他のものに強制することもなく、協力を求める姿勢でものごとをこなして行く。

見てて人間がはるかに大人なんだわ。車に乗りたくって仕方ない年頃で中古のセリカを20万で手にいれて、ガソリン代がないので他の家の車から抜いてやってるとか。といっても、専業農家を引き継いで10代で憧れじゃないだろう現実を受け止めた人生観。学生なんかよりもはるかに人ができている。

セリカの横に乗っけてくれて、私が楽しめるような田舎の話をしてくれる。学生のようなツンとしたものがなく、自分が他の人に場を用意できるような同世代がいるのに驚いた。暑いなか、作業した後、皆でファミレスいってみんなで1000円ちょっとのセットメニューで、ちょっと贅沢を祭りのお金で食べて、分け隔てなく振る舞う。祭り使うお金だったが、そういう楽しみにも使われ、私的につかいこまれることもなく、節度もあった。

強制もみせずに楽しく参加できるように場を作っておられた。そんなオサム君だったが、私が確か大学の4回生にとき、居眠り運転のトラックに赤信号で止まっているところにを追突されて20代前半でなくなってしまわれた。

やんちゃしてた子が、家業の農業をついで不平も言わないとか不思議だったが、頭じゃない人間関係の世界は、やんちゃだった子のほうが仲間も多いんだろうなあと思った。
2018年08月10日
私の中には割り切りみたいなものがあって、仕事とはどんな職業でも同じようなものだろうと。織物の仕事が日本に残るためには、しょうもない話だけどつくる人の価値観が変わらないと難しいと思う。儲からないからやめるとからなら早めにやめておいたほうがよいと思うし、自分がこれで成り立たせて行くという覚悟みたいなものがないと、成熟して下降期に入っている織物業界では機を動かして行くことは難しいだろう。最後正しい布をつくれて、売れてナンボの世界でしかなく、農家が自分で種を植えて育ててそれを売ってお金をもらうのと同じことというのが、織物の仕事の基本だと思う。

繊維の世界ではみんながやめて行くのは、国内の需要が海外でつくられた生地や繊維製品で補われてしまっているから。日本の需要の5%程度しか、国内の生地に対しての需要はない、かつては20社あったのが、1社になってしまうのが普通で、数社のこるとしたら、生産規模はそれぞれの会社が何分の1となるのが普通。需要がそれだけしかなくなってしまっているのだから。繊維の業界も何十年のプロばかりだろうけど、何十年の経験のあるものでも食べて行けない世界。同じ道を目指しても食べても無理で最低限同じ程度の力は備えてスタート地点に立って、新しいものづくりを考えて行くしかないのである。

伝統工芸士でも食べて行けないといわれるのも分かるし、食べて行けないといわれる職人ほどの力もなければ食べて行けない。先進国で繊維の世界にいるなら単能工的な職人を越えていないと食べて行くことも難しいだろうと思う。といっても、できる人の真似をしてできるようになるだけのことなのだが、それが先進国では職域みたいなものがあってなかなか難しい。インドなどではカースト制度のようなものがあって宗教的に職域が区切られているが、先進国でもなぜか似通ったところがあって職域にこだわる人が多い、行政の縦割りみたいな感覚だろうけど、そんなのは内だけの世界で外では通用しない。SPAのような別に考え方からすると特殊でもない形態が、日本国内の繊維業界のしがらみの壁を全部越え、新しい繊維業界を構築してしまう。

割り切って地道に目の前のことをやっていればそれほど悪くないのに、やっても無駄と何もしないでいては落ちて行くのも仕方が無いし救いようが無いのであると、自分に言い聞かせる。自分でいろいろやっていると他の人に見えないいろんなことが見えてくるし、情報なんかもいろいろと集まってくるものである。

2018年08月09日
家具屋の父親はあっさりと娘に経営を譲ったがボクシングの会長は地位にすがった。自分自身が常に成り立たせることに苦労していればそれを他のものに譲り外から見守るはできた人間のすることだろう。あるスポーツの指導者が、ボランティアで教えていて、指導が厳しいからと親から文句をいわれてもう指導はしないことにしたという話もある。本気で考えている人というのはそんなものだろう。自分を犠牲にして他の人の子を厳しく指導して、厳しく出来ない親の代わりに育てているのに、それにまだ文句がでると、それは子供を指導する出なく、親を指導できなければ難しい問題で、子供の指導自体を諦める話になる。子供のためのスポーツなのに親が楽しむイベントみたいなところもあって、ボクシング界の縮図だよ。

指導して文句がでるようなら諦め、自分でやってみなさいでよいじゃないかと思う。それを年をとった連中が組織にはびこり自分たちが主役だ考え、自分たちの立場を優先して考えるようになると、終わりだろう。それは外から文句をいう子供の親と似ている。指導される側がいい加減ならいい加減な指導で丁度。指導される側が本気なら本気で指導でよいじゃないか。

昔、ある小学校にミシンを教えにいったときも、班に分かれてやったが、その班は女の子がミシンを準備して、準備が終わったとたん、遊んでいた男の子がそのミシンを取りあげる。本当なら、厳しく叱らないとならないけど、その学校の雰囲気が授業中遊んでいる子供を叱らない駄目なので、そこで叱ってもその学校の先生を叱らないといけない問題。その女の子は、チャイムが鳴ってからミシンで縫い始め、なんとか出来上がるように5分ほど私も必死になってやったけど。校長室に呼ばれて言われたのが、「ちゃんと時間は守ってもらわないと、子供たちがお腹を空かせて、父兄から苦情がくる」という指導を校長から受けた。

校長先生が、すべてを耐えてミシンを準備して文句もいわない女の子未満なのだ。学校といえども、そういう女の子がいないと授業もうまく回らない状況。校長じゃなく教頭先生が、女の子が準備しているときに来て、この子のお家は立派に教育をされていてという話があって、女性の教頭は分かっている人だなあと思ったが、この小学校がというよりも、社会も実際には、この小学校を縮図にしたようなところが多いので、せめて、子供たちが育つときにだけでもまともな環境を提供するのが大事ではないのかと思う。それを文句言いの親たちが台無しにしてしまう。

私も校長に文句をいうことはしない。真意を伝えてもこの校長にとっては自分の立場のほうが大事な人だろうから、反論もしない。校長室で何度も、「すいませんでした」と謝罪するだけ。私にとっては、校長に頭を下げても、その女の子を応援するほうが大事だし、私自身、まったくの善意で行っているので台無しにするのも駄目なことだろう。

最初に戻るが、家具屋の父親は新しい会社を立ち上げて娘に譲った会社を辞めた人を雇用しているとか。娘は金融とかコンサルティングに強いのだが、選んだのが身売り、自分じゃなく他の人に立ち直らせてもらうという話?娘に会社譲って、リストラされた社員まで雇って娘の片付け、立派な父親だと思うが、これもよい親の教育の一つだろう。同じようなことが京都の頒布カバン屋さんでもあったけど、その名前に奢って本質を忘れ儲けを考えると、それを買ってくれるお客様というのは本気な方が多いので看板商法は見捨てられてしまう。喧嘩売るのが看板商法側ということが多い。本来、ものづくり企業は、ものづくりに専念するべきなのだが、ものづくりばかりで情報発信しないと外の世界には伝わらないことも多く、私自身もこんな独りよがりな発信をしている。
2018年08月08日
今日はリネンのキッチンクロスの巻き取りで一苦労。糊の加減と重りの加減で、ゆるく荒巻されてしまったために巻取りで食い込む現象。半分の量をボツにして半分を救う。総先染のキッチンクロスは、染の少ないキッチンクロスとは違って糊付が必須となるので、想定していないこととして起きた。初め一バンド巻いたときに、ゆるく巻けていると不吉な予感がしていたが、巻き取れないほどに大きな問題となるとは悲しい話である。

巻取りで半分をボツにせずに突っ走っていたら巻き取り幅がどんどんと狭くなって全部ボツになってしまっていただろう。ベストが駄目なときにはセカンドベストで、半分を後でやり直す形で納期など少しでも詰める。こういう風に糸が通常と違うときには織でも苦労をする可能性がある。感覚的には糸が糊が付いて少しぱさぱさしてしなやかさがない状態で高密度に織れるのか試してみるしかない。世間はもうすぐお盆、お盆の間に問題を解決して遅れている仕事、また、自分のやろうとしている染の案件など、普段バタバタしすぎているのでじっくりとできればと思う。

少し変わったものをつくろうとすると奥が深すぎていろんな壁にぶつかるものである。そういうときには時間を使って、あーでもない、こーでもないを超えて形にしてゆく。今までの経験でも、麻でアパレル向けのものをつくるときに、一番困るのが最後の物性検査が通らないこと。定番の企画でなければ、滑脱や収縮など試作のときに検討しておかないと、普通の生地でもサンプル時と本生産では数値がまったく異なることも多い。同じ生地を投入してもサンプルと本生産で物性が異なる。加工の問題なのだろうが、その加工工場の問題がなるべく起きにくい様に、また、起きた場合でも問題が解決するように生地規格を収束させておかないと難しい。

学生のアートな世界はファンシーなものがテキスタイルデザインとして好まれるが、プロの世界は地味なものがテキスタイルデザインとして好まれ、物性面など見えない部分をしっかりとコントロールしておかないとまったく使えない生地で終わってしまう。地元で経験をもって独自の作風でテキスタイルをデザインされていた方でもその物性面で問題があって良いブランドさんだからお金はもらえたものの使われることなくアパレル向けのテキスタイルの仕事はやめようと思われやめられたと話しておられた。相手が違えば、自分が何ヶ月も仕事して何も悪いことしていなくても何百万円の損害の話になる。

黒ひとつでも、本当に濃く黒を染めると色落ちはしやすい、ちょっとグレーかなあくらいの黒だと色落ちはしにくい。どっちを選ぶか、林与はどうしても、色を大事にしたいので堅牢度は悪くても本当に濃い黒を選ぶ。まあ、それがトラブルの種になることも多いけど、分かってやっている部分もある。
2018年08月07日
今日は、京都に納品で、北山の三谷さんの会社に。そのあと、久しぶりに高校時代に住んでいた京都の岩倉を訪れた。変わったといってもそれなりに昔の面影で、みどろが池もまだ不気味なままあったし。修学院のあたりは叡電の踏切など、高校時代に何で街中を電車が走っているのみたいな風景に驚いたことが蘇ってくる。京都はやっぱりすべてが小ぶりで、一人の人が占有できるスペースも限られていて織物の生産なんかは街中ではもう無理な話だろう。その点、林与は田舎に住んでいながら、仕事では自由度も高いので恵まれているなあと思う。京都は学生時代に京都に7年住んでいたので懐かしさはあっても憧れはない。

京都で使われていた麻織物というのは近江上布だったといわれている。日本の金看板の京都の夏の着物が近江の織物であったという一面、一方で、日本の麻織物の本場、近江湖東地域で織られる麻織物というのは本当に限られてしまっていて、林与にしても小さな会社なのでつくれる量も限られている。日本の麻織物の歴史をつくってきた本場でやっているのだから、自分的には、日本の麻織物業界の中で、経験面などでは林与は一番恵まれている立場だろうと思うし、自分自身の力で新しいものを生み出してゆける環境も持っている。

帰りは、途中越えのルートで滋賀に戻る。琵琶湖大橋手前で眠くなりすぎて駐車場で3時間ほど仮眠、あったかな一日で、平日なのに行楽気分。外に出て太陽に当たることが少ないから。そのあと琵琶湖の湖岸を走って、戻るともう夜。一仕事終わった状況で、今日はゆっくりと休み、明日からの仕事に備える。