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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年6月
リネン日記:29
2013年06月30日
昨日、京都三条の事務所で作業が終わった後、夜の河原町界隈を三条から四条へぶらぶらと2時間ほど散策してみた。お茶1リットルと途中で買って、ただ、見て歩いているだけでも祭のような雰囲気。日本的な色柄などがいたるところに溢れているのも、和のイメージを大事にし続ける京都や奈良の特色。

何かを買うというのではなく、京都の夏の雰囲気に浸るために、歩いて回るというのもいいもの。何十年たっても、お店の名前は変わったとしてもそれほど売り場に並んでいるものが変わるということもない。

河原町を下がって途中で新京極に入って四条で東に、木屋町を上がって三条の川辺で、大道芸人がパフォーマンス。川で涼を取るというスタイルは悪くないもの。田舎の川がダムができて水が流れていないのに、京都の川というのはしっかりと水が流れていてうらやましい。

京都というのは高層化反対の運動があったがために、高層化しなかったことが、逆に、歩いて回ることのできる町を作り上げたのかもしれないなあとおもったり、また、着物の人が歩いているのを眺めるのも京都観光の一つ。夏の京都の着物といえば近江上布で、林与の近江上布絣も浴衣向けの生地。

夜は、RINCROSSINGの募集締め切りで書類の提出、日本のこだわりのモノづくりが集う集まりに参加させていただければ、一人で方向性を決めて突き進む形のものづくりも横への広がりもできるのではないだろうか、やりたいことは一杯あってそれをどのように実現していくかの糸口になるとありがたいなあと思う。最終的には自分がどこまでやるかという当たり前のことに尽きるとはおもう。
2013年06月29日
今日は朝から京都三条の事務所の準備、雲はあるものの久しぶりの爽快さが漂う天気で、界隈を歩いていてもすがすがしいです。今日は、ディスプレイラックの組み立てを行いました。

組み立て始めて思ったのが、ウォールナット材というのは、組み立てるときに自分で色加減を調節しながらベストに組み上げないと、一枚だけ白っぽく目立つように組み上げてしまうような結果になってしまうということです。色や仕上がりのムラが大きすぎて、これは素人には向かないものだなあと思いました。

3セット買ったうちの1セットに塗装などの問題があり、それを交換してもらいました。それ以外にも、最初から小キズなどが多いですが、作り自体がかなりしっかりとしたものなので、それを大事に思い、小さな問題は無視して組み立てはじめました。

色のまばらさから何回も板を組み替えなおしてそれなりに完成しました。織物でいうとロット違いの糸が交じった状態で織物を作り上げたようなものかなあと思います。私が思うのに、使う人以上に、販売される方がこの色の問題や製造欠陥には返品なども多く困られているのではなかろうかと思います。上手に組み立て上げるとよい感じなのですが、たぶん、この商品はもうすぐ廃盤になってしまう気がするのです。そして安全な、逆に味の無いものに置き換えられてしまうような。

置き換わらないでこのままの形であってほしいなあと、自分自身も試行錯誤して1日掛かりで組み立て上げて納得のできる形に仕上げたので思います。
2013年06月28日
今日は朝、出荷を行って、そのあと、昨晩織った見本を確認してもらうために打ち合わせ、最初の設定が終わって大きな山を超えた感じ。これからが本生産のはじまりだけど、無事に織機が動き出すと映画のエンディングテーマが流れるよな錯覚。

織物を織るという仕事は織るだけじゃあなく企画を織物という形にするということ、確認作業が非常に多く、サンプルとして織り上がった布に関しても、再現するために織機の設定などをデータ化して保管しないとならないので、似たようなバリエーションを、たくさん試すとどれがどれか分からなくなってしまう。

こういうデータを管理できる人というのも少ないもので、これが出来ない人というのは何が正しいのか分からずに織物をつくることになるので、確実に見本とは違うものが本番で出来上がってくる。そういうのを心配せずにものづくりするのは行き当たりばったりで、時間も神経も使わずに楽しいのだが、実際の仕事というのはすべてを覚えてというか記録して再現しないといけないという事務的な部分。

自分が一回作った見本があれば同じものがつくれるのかというとそれは単なる確認用で、実際は作業工程をデータ化したものが一番のよりどころ。
2013年06月27日
毎日ほど出荷がありますが、先日、地元のクロネコで時間間際に慌てていくと、百貨店向けにたくさんの出荷を出しておられるお店の方、順番待ちしていると、声が掛かる、地元の老舗のお菓子屋さんの同級生の娘さん。商店街のお店が閉められて行く流れの中で、販路の開拓にしても、なかなか難しそうにみえることを形にされて動いておられる。

いつもは、クロネコでお店の若大将である弟さんが出荷されているのを見かけ、商売は違っても、どのものづくりの商売も同じだなあと実感。よく考えてみると同級生などにも商売の家の息子さんたちが多いというのも、昔ながらの宿場町愛知川の特色。

そういう商店街の老舗のお菓子屋さんが続いている続いていないということも、社会のイメージにとってはすごく大事なことだろうと思える。下手すると八方塞りなもので続けていくことが難しいから、続けているところというのはそれ自体が大きな魅力だったりもする。

普通、人間というのは少しでも良い仕事を探したりするもの、私も世界的にも認められたコンピュータ製造工場の中で働いたけど、そういうよい環境のところで働くと他で働くことが出来なくなる。そしてそういうところというのは競争力がなくなっても、後戻りできず、消えていくものだったりで、大きな企業の歩むことの多い末路。会社の名前だけが自分のプライドみたいな、中でやっていることはほんと誰でもできる分担されたマニュアル化された単純作業。

最先端の分野であろうが、職人の技を養うようなことをすれば日本でも工場の存続が可能だったろうに、職人気質が消えた職場でノルマはあっても働いている人が素人になると職人気質は邪魔で、マニュアル化に進むもの。

現場では適切な判断できるかどうかが一番大事。原発事故もマニュアルの見直しではなく爆発する危険性も覚悟し、福島の事故でもチェルノブイリと同じ放射能汚染に悩む可能性もあったリスクを認識しているプロが今後は対応する必要。たまたま、地下から大量に漏れ出し無限希薄されただけで一つの県が救われた。絶対に壊れないといわれた炉心容器が壊れて地下から流れて人のすることの不完全さに救われた奇跡で、人の作業が完璧で、格納容器が壊れなかったらチェルノブイリと同じく石棺化。

地球環境には良くないが、原発事故に対して人の力というものは無力なら、もしもの時には海に沈めるようなことも選択としては必要だろう。今回の事故も大事に至らなかったのは結局はそういうこと。ほとんど垂れ流してから汚染を防いで、汚染された土壌が埋め立てに使われるというような形だけの環境保護。今回の事故はチェルノブイリと違うといって推進するなら、現実的には、そういう事態や選択も覚悟して推進する必要があろうかと思うし、原発が基本的に地球環境を破壊するという当たり前のリスクを受け入れてこその原発推進には意味があろうかと思う。最近の偽善的なすり替え、欲にまみれた大人は騙せても、純粋な子供は騙せない、裸の原発。メルトダウンして裸というのがわかっても裸じゃないと言い切ろうとして、何十万人もの命なんてどうでもよいというのが、日本の原子力行政40年積み重ねた本質であり賜物じゃあないでしょうか。
2013年06月26日
お待たせしております。キッチンクロスが新しく織り上がり始めています。心配していたのが、今年の糸の問題。この一昨年、昨年とフラックスの作柄が良くなく、リネンの糸がいろいろなトラブルを抱えておりました。しかしながらも、今織っている、このキッチンクロスはよい感じに出来上がっております。

林与のキッチンクロス、しっかり感があるところが魅力で、かばんをつくったりしてくださる作家さんなども多いです。何十年も使えるような丈夫なものをと考えましたので、林与のシャトル織機が目一杯がんばった感じです。

夕方には、染色の専門家の方が来てくださり、依頼していたストールの染の試作を持ってきてくださった。一つの美しさに驚くほど。色も深く、この上ない感じ。よいなあ。多くの方にぜひ見てもらいたい。もうすぐ海外向けの展示会があるので海外の方にみていただこう。宇宙を感じるような和のイメージに引き込まれるに違いない。風合いに関しては、量産では特別に柔らかい風合いに仕上げる方向に持っていく。とりあえず、この美しさを見ていただくことが大事。

夜は、ウールの整経の巻き取りもしてみて、麻とくらべるとテンションなどの管理、やっぱり簡単。ほとんど注意しないでも綺麗に一様に巻ける。これが麻だとぷっつんぷっつんと糸が切れるので、注意。糸を繋ぐときも同じで、綿と麻では手で繋いでも機械で繋いでも、何倍も難しさが違うもの。織るときも同じ。糸の種類が違うと同じ織物で同じようにはいかないもの。麻は手織りが向いているのだろう。
2013年06月25日
昨日の来られたお客様が、ふっくらと織り上げることに関して糸の地撚数についてお話されておりました。昔のリネンのように麻をふっくらと織り上げようとするといろんな要素があります。シャトル織機で織ることもひとつですし、糸なんかに関してもチョイスは重要だったりするものです。

展示会なんかでも、日本のファッション業界の大御所の方が、私がこだわった自分がとても好きないい感じの素材に反応を下さっておりさすがだなあと思いました。実は私が説明もせずに、置いておくだけのその布に興味を示されたのはそのお方くらいだったのです。一般にはつくることが難しい布です。

そういう大御所の方であっても普通の世界じゃない、感覚が生きていることが生命線だろうと思うのです。見抜けず他に流されると終わりかも。ヨーロッパのテックスワールドでも、リネンの本場ベルーのデザイナーさんが弊社ブースに一番最初のお客様として来てくださり。何も語らずしてアイリッシュリネンに興味しめしてくださり、それは名前がどうとではなく、私のものづくりや私の良いと思うものに共感があるかないかだけの分け隔ての無い世界。

共感下さる方というのは自分自身が、アトリエを立ち上げておられるような方が多い、有名じゃあなくてもいいし、そういう方を応援したいし、そういう方の目も同じベクトルをもっていて、普通は見捨てられてしまうようなところしっかり救えるような目が共通している気がする。

一方で、定番の商品などは、自分自身が一つの極めた形として他から出てこようが、また、他が飽きてしまわれようが、作り上げてきたこだわりから、自分自身は続く限りは続けて行きたい。私自身も同、同じものをつくり続けようとするので、材料からして一つにこだわると同じものをずっと使い続けます。糸のロットによる僅かなロット差などももちろん感じることができますし、リネン100%に織りあがれば同じということもなく、途中の工程なども大事で、できる限り同じ織機で織るなども大事です。ここまで同じにしようとするとスケジュール的に難しくなることも多いですが、糸の微妙なロットの違いに気がつくのも他の要素をすべて一定にしようとつとめるからです。織る人もできれば同じ人が織るのが一番。

同じ織機でも調整が異なれば、糸が同じでも織れないことは当たり前、ましてや織機が違えば同じタイプの織機であっても織れないこともあるものです。同じ材料と同じ織機があれば同じ品質のものが出来上がるかというと、人という要素が一番大きかったりするものです。自分がつくったキズを織る以上に家に持ち帰って手間を掛けて直している人の布というものには将来性はあり、そういう人は伸びていくもの。
2013年06月24日
今日は麻から整経で、2本目のリネンキッチンクロスの経糸を荒巻したものをビームに巻き取り、2時間ほども糸を均等に巻くために手で糸の感触を確かめながら巻き上げるのはマラソンに似ている。途中で休憩しようかと思うような誘惑にも駆られるが、実際にマラソンを走るわけでもなし、これくらいの仕事、2時間続けてできなければどうする。

巻く作業にしても綺麗に巻き取ることが問題なく織るためには大事で、いい加減に巻くなら簡単なこと。麻織物というのは難しいといわれるが、その難しいことのひとつが、整経ての作業。今日の糸は25番手。非常に簡単な太い糸。そのあと、機を探して2台目のキッチンクロスの織りを始める準備。
2013年06月23日
今朝は、月曜日で、リネンを加工出し、加工工場でお若い息子さんが仕事されているのを見て、うごき自体がきびきびとされているので、すがすがしい気分になります。

年を取るごとに出来る仕事というのも急激に落ちていくのが職人さんなどを見ていても普通で、簡単なことも難しく思える前にものづくりを成し遂げておかないと、たぶん、10年後には、自分のものをつくる能力というものは半分、20年後には、何分の一以下に落ちているだろうと思います。

午後からはストール用の糸が届きました。現在かなりキャパオーバー気味になりかけているので、自分のできることなんて限られているので次から次に受けてしまうと絶対に仕事の収拾がつかなくなるものです。また、今のことに追われすぎるとその次のことが準備できておらず、突然、立ち行かなくなることが多いもの。

調子の良いときに調子に乗りすぎると、調子の良いことがずっと続くことは稀で、組織にしても拡大路線から収束路線に移行したときに、組織が歯車で動いていると、歯車が一つかけると全体が動かなくなるというものです。大きくなると薄まることが多いもので、薄まらないように常に気をつけておくことも大事。
2013年06月22日
家具のことを調べていると、シックハウスの要因になるホルムアルデヒドの問題が日本ではブームのようです。通気性の良い家だとそれほどカビやダニは発生しないので、ホルマリン漬けにする必要もなかろうかと思いますが、今の機密性の高い家ではそうとうエアコンを駆使し続けないと、残留ホルマリンの値が下がると、カビやダニの温床となろうかと思います。

今は、輸入の木材が多いので外国のカビやダニなどの問題に悩まされることになりそうです。実はリネンの糸なんかも同じで、糸自体は大丈夫でもダンボール箱のほうが劣化しやすいので、得体の知れないメーカーの糸というのは心配なのです。実績のあるメーカーの糸を使い続けることで少しでも買われるお客様の安心の要因になればと思います。

同じく、染色や加工なども薬剤が今はころころと変わる時代、新しいものをつくろうとしてお客様が人柱になってしまうよりも、何十年も同じ商品を守り続けることで安全性の高い商品を提供したい気持ち。似たような商品は溢れているのでどこにでもあるといわれますが、そんな売れ難いどこにでもあるものを見えない部分でしっかりと作り守り続けていく、それが産地で織られる良質な麻織物のイメージの一つであればよかろうかと。
2013年06月21日
今日は織物というものを考える出会いがありました。仕事というのはお金儲けのためにするものというのが普通の概念もしれませんが、仕事を自分で考えてしようとするときには損することが仕事であることも多いもの。

仕事で損を自分からできる人は少ないものですが、新しいことをやろうとするときに、ノーリスクでやろうとする道をとるのか、リスクをとる側に回るのか。例え新しいものが出来たとしても売れると分かるとすぐに似たようなものは出てくるものです。

新しく真似で出てくるものというのは次に新しい真似のものに動かれるので長続きしないものです。自分でコストをかけたものというのは、自分で育てた思い入れがあるので、売れなくても続けていけるものだったりします。そういうのがオリジナリティに繋がっていくもの。

大阪のRINCROSSINGの展示会でも綿のガラ紡の世界が興味深いなあとおもいました、そういうのも品質の面からすると廃れた技術でありながらも、手を抜いてよいものがつくれる時代には、そちらのほうが手の掛かった良い世界に見えるのです。良い悪いの判断だけでなく、一つの道を守り続けていること自体が大きな脚光を浴びることに繋がるものです。他の人がやろうとしても逃げ出すようなことをずっと続ける、大事だと思います。
2013年06月20日
今日は、お昼に、京都三条の事務所に置くウォールナット材のオープンラックが届きました。小さな事務所なので大きすぎたり重すぎたりを心配していたのですが、組み立て式で、二人もいれば運んだりできそうな感じの大きさだって安心です。他に小さな引き出しの付いたオープンラック用の収納ケースも別便で届いてこちらもうまく活用すれば、狭い事務所もすっきりな予定。林与のアンテナショップ的なお店というのは、壁一面で完結いたします。これも一つのビジネスモデルなんじゃあないかと思うのです。

展示会などで、林与のブースに来ていただくお客様が、よく言われるのが、麻のものを探しているのだけど、なかなかイメージに合うような良いものがなくてと、ものを探しておられるお客様が多いのを感じます。ご相談を持ちかけてくださっても、林与の麻生地にしてもそのお客さんのニーズに合っているのかどうかということは分かりませんが、いろいろ探して見歩かれている方が、麻の良いものがなかなかないというのは事実なのかもしれません。

林与の独特な麻織物の世界というのは、新しいものが溢れすぎる今時に、変わらない世界が求められることもあるのではないでしょうか。同じことを続けていくのは、売れるときもあれば売れないときもあって難しいことで、売れないときほど続けていくことは難しいもので、仕事のないときにほどしっかりと自分自身が仕事を生み出して仕事をして力をつけておかないとならんものだろうなあと感じます。
2013年06月19日
今日は一日雨が降ります。雨が降って、丁度過ごしやすいくらいに、数度低く抑えられる。私自身はやらないといけないことに追われすぎていて、雨の風情に浸ることが出来ず悔やまれますが、じっくりと軒先で雨が降るのを眺めるのも暑さに疲れた体が欲しているのを感じます。

今日は、朝から、海外向けのストールのサンプルを送りました。今回はFEDEXエンベロープ、3500円ほどで、0.5kgまでの荷物が送れるのですが、無事に届いてほしいものです。海外から日本に来る荷物というのは比較的安定的に入ってきますが、他国に送る荷物というのは、運送業者の選択が大事になってくるものです。

夜は、三条の事務所の準備、小さな部屋なのでどのようにスペースを有効利用するかがポイント。収納スペースも無いことと、ものを見てもらうために引っ張り出したりする必要がないように、オープンラックを組み立て商品を陳列することに決めました。
2013年06月18日
今、100番手のストールの横糸、パッション系の色を織っている。蛍光のような色味で、ポリエステルなどの合成繊維によくある色。麻でこういう色のものが少ないのは、出来ないからではなくて、あんまり売れないから。画像の世界ではこういう目を引く色というのが強いのも事実。実物を見ずに購入を考える流れができてくると流れる色味というものも変わり始める。

見栄えするような色というのを求めてくださるお客様というものも多いもの。自動車の宣伝で、パステルな車を走らせるのもその類で、それと同じ色の車というのは宣伝にも使われるイメージカラーながらもめったに見ない。パッショングリンの車や、真っ赤な車。人目を引くことが大事で、実際に流れやすいものとは別の世界というのを分かっているかどうかで、失敗は少なくなる。

いろいろなカラー講座あるいは哲学があろうが、日本人の色彩感覚というのは独特。海外のような、目立つ色が売りにくいのも事実で、学校で学んだ多くのデザイナーが服を売るのに苦しむのもそこだろうと思う。日本人の場合には、ベーシックでよいものを欲しいというのが、モノがあふれてしまっている中での価値基準の一つ。

麻に関してはどうしても紺などの落ち着いた色を求められるケースが多い、紺は紺でも、売れる色と売れない色の差は微妙なのだが大きい。染料の原色の紺を使ってよく売れるということはないのも、染というものも技術だけではなく感性が大事ということ。

今日は、夜中、先日染めたストールを夜中、房を作るためにどこからどこまでで一枚を取るのか検討をした。どこを取るかでストール1枚のイメージが変わってくる。綺麗じゃない味の世界。なんとなく日本的で自然な気がして力強い。

これは技法的なものとして片付けるでなく、ものづくりというものの基本的かつ大事な部分を含んでいるといえる。問題がないように安全にものをつくるとどこでも誰でもつくれるものになりがちで、自分自身の感性を入れ込んだものというのはそれが伝わるものだ。

さびしいなあと思うのは、ヨーロッパの人が崇拝するようなデザインの世界が日本にもあるのだから、そういうものは特別な世界として我慢も含め残していかないとならないと思うが、新しい好きな先生級の人たちが儲かるからやっているだけ的なものづくりを絶賛され成功例として持ち上げられてしまうことも多い。
2013年06月17日
ボックスギャラリーのほうから商品が少なくなってきたということで、ストール関連の新しい生機生地をディスプレイしに行きました。かなり大量に袋詰めしすぎて、棚上の林与のスペースに置いたのが多すぎて崩れそう。

今回は、単に補充するだけでなく、ハンドメイドストールの作り方の一例を書いた紙をPPバックの中から見えるように添えました。林与の会社案内も印刷しようとして途中で断念、いつものごとく莫大な時間が掛ってしまって結局朝から夕方まで作業をしっぱなしで、タイムアップで出発です。

ボックスギャラリーは、普通の商業アイテムが並ぶお店とは違って、手作りの人たちが作品を並べるような場所なので、買って貰うこと以上に、見て楽しんでもらえればよいのではという思いの常設展示スペースです。欲しい方が居られたときには、販売して下さる店員さんもいてくださるので助かります。

2013年06月16日
今日は京都から朝帰って、途中、車を運転していて喉が渇いて大津のサービスエリアで給水休憩。駐車場が満杯になるほどに観光の人が溢れる。こういうところから眺めても、大津を通っても市内には流れていかないという性格なので、高速道路の無料化というのは本質的な経済発展のためには必須ではなかろうかといえる。これは、GNPが下がってもその下がった以上の効果が何倍もある。産業の国際経済競争力も確実に増すのだが、無料化するでなくETC化という逆かなあ。

ボタンを掛け違えたスタートでノンストップ触れ込んだがために、死亡事故など起こってもなかなか、人の命に関わるのに安全意識の基本も危ういなあと思えるのは原発も同じ。年に何度も使わない人手すらもが利用するし、また、新しく利用する人もいる。料金所というのは常に危ないところなので、そういう人のためにも安全意識に基づいた運用が人の命を救うと思う。今のシステムだと慣れない人との組み合わせで死亡事故があっても当たり前なんじゃあないかなあ。掛け違えたボタンは早めに掛けなおす。何千万人が使うシステム、人の運転能力や経験の差はそれぞれ、大きな死亡事故発生の後の安全対策では遅い。

会社にもどって、暑いので、Tシャツから久々のリネンシャツへの衣替え、5年ほど前に試作したあるプロジェクトで作った布を使って社内でシャツを作ったものだが、5年経って、年季も入って特別のいい感じ。最初はごわごわしているが体の湿気を吸うと、柔らかくなって落ち着く。ニットとシャツという形状の違いもこの爽快感には影響をしている。実は浴衣も同じく夏を乗り切るためには大事なポイントを抑えた構造。

私の中では完成して良い味を出しているが、そういう味、自分自身が味わうだけでも良いんじゃあないだろうかと。この色味、風合い、独特で、芸術的で、3年ほど掛けて形にしたもの。今再び作ろうと思っても手を出し難いものづくり。残念なのは、社内で簡易的に作ったがためにボタンホール。永く着るには家庭用ミシンのボタンフォールで代用したのが大きな失敗。
2013年06月15日
今日は、午前中、三条のテナントの件を済ませて、午後から染色工場を借りて染めの試験。今回の目標は味のある染め、染色のプロの方の知識を駆りながら、完璧な工程で、染めてみると完璧に染まりすぎて、味が足りない。

朝から夕方近くまで掛けてやって貰った仕事が不発気味、そこから、奇跡。まったく違う方法を試そうと、また、そこから半日仕事で夜に、5色の味のサンプルが染め上がった。これこそ職人の仕事という感じ、新しいタイプのものも最初に良いなあと感じたものが、2色目をつくると、あんまりよくなく見え、どんどんと目が肥えているのを感じます。最初失敗したのは本当に大事。そういう失敗こそが経験でやってみないと正しい方法が良いのかどうかすらも分からない。実は土曜日、仕事だけど仕事じゃないようなモードで協力をいただいて出来上がった染。そこにもこれからの可能性を感じることができました。

終わった後、ビールで乾杯でほんといい感じ。一日のことですが、自分の手で新しい世界を体験しこれこそ充実感のあるものづくり。夜に干して朝乾いて持って帰れるということで今晩は京都に滞在し染色関係の皆さんと交流。ハーモニーやバランスというものは、モノづくりの世界では非常に大事。
2013年06月14日
私自身は福島原発事故は地震大国日本で原発というものの安全性をテストしているよいうなモノの結果だといえると考えています。原発が環境に良いというほどに、エコじゃなく、偽善の正当化の世界に人類が脚を踏み入れた途端の出来事でした。

チェルノブイリは石棺化が必要で放射能汚染が続く状況で苦しんでいますが、福島にしても紙一重で同じような状況に陥るところでした。実は福島原発の場合、設計上の大きなミスが、チェルノブイリ化の数分の1の放射能被害ですんでいるという、不幸中の幸いで、原発関係者がそのことに気がついていないの大丈夫かなあと思います。

それは、原発は事故が起きたときに、放射能を海に垂れ流す構造にしないと、石棺化が必須になってきます。厳しい話ですが、原子炉が壊れて地下水から放射能を垂れ流すことが、国土被害を最小限に抑える必須の方法で、今回の福島原発では設計上のミスで、原子炉に亀裂が入ったという最悪の事態ながら、それが地下水から漏れ出して海で無限拡散されたことが、原発事故を最小限に抑える方法でした。

愚かな日本の原発行政を、大きな原発行政の設計ミスが重なったことで結果、神が味方してくれたような状況、福島県がまだ人が住めるような状況で残り、チェルノブイリとは違う道をたどることが出来たのです。福島原発事故が世界規模の大きな環境破壊に繋がったのは事実ですが、日本への集中的な環境被害は抑えることができました。原発を推進する場合には、設計としてどちらを取るかの選択でしかないと思うのです。

起こりうる事故から逃げないで、人命を救うためには、原子炉は原発事故の際に、海に放射能性物質を垂れ流す構造がベストだろうとは思います。偽善に終わらないリスク正直なところだといえます。人為的に原発を攻撃するような戦争という自体も、人類というものの愚かさを考えれは、十分起こりうる国際紛争解決手段プロセスですので、原子力発電所の設計の際には、きれいごとでなく、人命重視なら放射能性物質を積極的に海に垂れ流すのが良い方法で、今回の福島の事故では国や原発行政推進で、人命すらもが大きく軽んじられた経緯が見受けられました。

きれいごとがいつまでも続くのではなく、今回もたまたま、人為的なミスが逆に幸いし、数万人の命が救われただけにすぎません、今回の原発事故を教訓にして、きれいごとできれいじゃないこと推進しないようにしないと。原発を推進するからには、チェルノブイリのようなことも常に起こりえます。正直で当たり前な話、国土を使い捨てるほどの覚悟ももって、原発行政にはあたっていくべきです。

もし、地下からもれだしていなかったら石棺化は必須で、第二のチェルノブイリ。地球環境を守ると謳われ推進されたものが地球環境を大きく破壊したものの、まだ、人類の浅はかさがあって、福島は救われました。次にまだ人間の愚かさで逆に救われるような偶然が起こるのかというと、今回の事故でもありましたが、2次被害を人為的に大きくしてしまうような放射能漏れの数値を隠匿したりごまかす以外にしか手段はないでしょう。そういう原発を運営する人の心理なども含めて原発推進を考えていくことが自然な日本の原発行政だと思うのです。そういう何万人の人の命よりも、電力会社や保安院の一人の保身のほうが大事であるという人間心理は想定を超えたところで当たり前に動きます。

自然破壊というのは雑草を嫌い、人工的な緑を自然と喜ぶところにもありえ、本来はどれだけ本質的な自然を残しているかが、最後人類の存続を長引かせる要因になるのだろうと思います。人というものは寝て一畳起きて半畳の世界で生きているうちには、それほど環境を破壊しないものです。強制的なリサイクルなども、結果、修理などして使うこともなくなり環境破壊を加速度的に推進する結果になります。人々の小さな地球環境保全の気持ちとは裏腹に、力をもった一人の人の欲というものがすべてを台無しにすることも良くあること。
2013年06月13日
今日は、午前中、林与のリネンリュックが5個出来上がったということで日野にあるバッグメーカーのロットさんに取りに行きました。今までは紺のタイプしかなかったのですが、一つ試作いただいて私自身が非常に気に入ったので、今回、黒のタイプそのうち2つも作ってもらいました。

ものづくりしているもの同士ですので、お金を払うからといって決してお客さんということもないのです。実際には新しいものを作るとなると、小ロットの場合は、持ち出しやリスクを抱えてモノづくりをささえているのが作り手さんのほうであること多いもので、そういう気持ちに感謝をしながら、大量生産じゃあないものが出来上がることが当たり前に思ってしまうと、そういう何倍もの持ち出し部分みえてこないもの。一度に百個とか千個単位で動く世界とは違って、世界に数個から数十個のものづくり、普通だと出来ないことだから面白いんじゃあないかと思うのです。これはハンドメイドの方の気持ちと似たようなところがあろうかと。

大きなチャックがリュックを開け閉めしていても満足感があって、たぶん、普通の人だとかばんとしての機能に満足するのでしょうが、気持ちは半分以上、生地に向いています。どうやったらもっとバッグに向いた生地になるのだろうかとか。バッグ自体を普段持ち歩かないので、そんな人間がバッグの生地を開発するというのもどうかと思われるかもしれませんが、案外、それって既成概念を打ち破ってよいものです。

普段使っている糸よりも太いんで、他ではどうかわかりませんが、林与の中では織機の問題などで織る所から壁があったりするので、そういうのを自分なりに乗り越えて、生地が生まれてきます。この生地を後染で染めようとしたときに、この厚さと言うのは、今までその染工場で染める一番厚い麻生地だということを言われて、一様に綺麗に染まらないかも知れないということもおっしゃられたのですが、考えてもらうベストな技術で染めてもらえばそれ以上のものというのはもともと無理なのでそれはそれでよいのです。

実は、このバッグ生地を作る過程で織物加工に関することも加工工場の社長さんと相談をさせていただいて、いろいろなことも見えてきたので、そのことが限界というものを超えていく一つの方法だろうなあと感じました。

コストとか考えているとこういう生地の開発というものはできないものです。余った糸で開発するのではなく、自分がまだ使ったことも無い糸を使いこなしてみようと、一箱買って、テストして、本生産が可能かどうか調べるために二箱買って織ってみて。織るために機も作りますし、機を載せて試織するのも生地が厚すぎて問題がいろいろと想定されているので自分で自分の首を絞めるようなものです。

太い糸の力って強いものです。無理をさせると織機を壊すこともありえ、織機がしんどがっているのを見極めて、どの辺りまでがんばらせるかというところ分かってでないと危ないものです。でも、こういう経験を積めるという贅沢は本当に少ないもの。

ものづくりしていると、製造環境なんて自分の体のようなもので、自分自身の能力のようなものですので、自分の体でどこまでのことができるのかということが、まず大事に思います。自分に無いものを求めるのは自分にできることをやってから。面白いのが近江上布なんかも平織であると限定をされていたことで、いわゆるタペットでドビーまで進化してはいけないのです。織機の制約があってそこが近江上布の大絣織物という特色が明治以降に再び花開いた理由だと思います。

世界を捜せば、いろんなものがあるとは思うのですが、自分自身が何ができるのか、どこでもできるとか、どこにでもあるといわれても、自分自身が作った人というのは特別の価値観をもってその商品を眺めているはず、本当、違う世界のモノづくりというのはそんなもので、そういうのを求めてくださる消費者のかたも多いのではないかと。

いろんな価値観でのものづくりがあってよいはずで、そういういろんな価値観を守るためにブランドというものにしても存在意義の一つもあるのではなかろうかと思う。名は体を成すというように良い悪いどちらにしても違いはあってよいはずだろうと思います。
2013年06月11日
ノウハウというものは差別化の要で、積み重ねたものですので、得意に外に教えたりすることは自分の首を絞めるだけでなく、それに協力している全員の苦労を台無しにしてしまいます。

手品の種を明かしてしまっては、次の手品を考えないとならないのですが、案外、ノウハウというものは、軽んじられがちで、どこでも出来るといわれるのは、多くの犠牲を払って積み重ねたノウハウを漏らす人がいたりするからで、後からほうの人のほうがノウハウの大事さを知っているのでノウハウなど漏らさず手広くいろいろなことを広げておられるものです。
2013年06月10日
今日は月曜日、月曜日だと気がつくのは電話が週末よりも多いこと。8月までにしないといけない仕事が手一杯になって来てしまいました。複雑な仕事も多く自分自身のできる範囲で前に進めていくしかないのです。

仕事があってもそれをできるかどうかはまた別の問題で、こんなものがあれば売れるのにと思うのと実際に作るのとがまったく別であるのと同じなのだろうと思います。何らかの理由があってそういうものが出ていないというケースが多いもので、新商品としてクローズアップされるのも、そういう問題を無視して商品化するからということも多いものです。

私の使っているのはレッツノートSX2という機種。10万円ほどのパソコンですが、バッテリーが実使用で8時間ほどはもち、夜に充電しておけば一日中使える感じで、理想的なモバイル環境があります。こんなものがあれば売れるのにというものが形になって売れているのかというと、そこまでパソコンにこだわる人も少ないもので、普通の電気屋さんでは並んでおらず手に入らないものなのです。流通させるのが難しいほどに付加価値を高めてしまった結果だろうといえます。

SX1が年末に壊れてしまって電気屋さんを駆け巡りましたが、大手の電気屋さんではどこも現物を取り扱っておらず取り寄せは可能ということ。これって、お客さんの本当に欲しいものが電気屋さんに置いていないというパラドックス。電気屋さんに行っても、どうでもよいものがたくさん並んでいるようにしか見えないのも悲しい話です。

マーケティングを無視した手法なので、レッツノートのような機種が存続しているのかとも思えます。お買い得すぎて気の毒になるほどの付加価値の詰まったもの。一応、私も精一杯、良いよと、いろんな方に勧めることで、パナソニックさんには同じ路線を貫いてもらいたいものです。