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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2015年4月
2015年4月
リネン日記:27
2015年04月30日
穏やかなお天気が続き、すこぶる気持ちがよい。外にいるだけで幸せな気分になれるのだが、工場の中での仕事、休み中になんとかこなせば休み明けには形になるような仕事がいくつかある。できていないことも多すぎて数え切れないほど、仕事をすればするほど、できていないことが増えていく感じもする。

田植えの時期でゴールデンウィークで帰省された方たちが田植えを手伝うという光景がみられる。林与のうちも昔は村では一番田んぼもたくさんもっていたが、私が子供の時以来、田んぼを手伝った経験がない。ほかの農家の方にやってもらっていた形だ。それは先代があまり作業が好きじゃなかったということがあろうといえ、人に頼んでの仕事になっていた。

私が、現場の仕事をできるのもアメリカでの経験が大きく影響をしている思う。車が壊れて自分で修理するというようなことをホストファーザーと一緒にやったことなどから、問題が起きたときに基本は自分が考えてやってみるということが普通なんだなあと思えた。触ると壊れたらどうしようとかだと今の仕事でも何も始まらないだろう。

年代物のボルボもそうだったが、ジャガーXJSもなかなか手ごわかった。ジャガーXJSなんて、V12のエンジンがボンネットを開けるとドカーンとあるので美しいのだが、ほかのものを修理しようとするとエンジンが邪魔をするし、ラジエーター液のバルブのゴムが劣化しただけで、車体の横の訳の分からない場所からラジエーター水が洪水のように漏れだしたりした。燃費がよくて問題が起こりにくくメンテナンスが簡単な日本車のありがたみもわかった気がする。そういうのを経験すると自動車をつくっている人ですらもそれほど長けているわけではないのも感じる。お利口さんばっかりでも駄目で、そういう面倒な経験を自分で乗り越える経験がないと、いわゆる普通のお客様目線でのものづくりにしかならず、ものづくりが落ちてゆく部分もあろう。

ものをつくるだけでなくつくった後に問題を想定していないものづくりをしては駄目ということ。つくるものに集中するのではなく、つくられる工程に集中する。同じように物ができても、たまたまなのか正しい手順でつくられて正しく出来たのか、その違いは大きい。手順が違うのに正しく出来て手順が間違っているのをしてきされて腹を立てるタイプの人もいるけども、そういう人というのはまさに環境や文化の産物であり、そういう人を変えることは難しいものである。その場しのぎのものづくりじゃ後の問題も大きく駄目で、何をおいても無理をしてでもやはり正しく物はつくったほうがよい。

日本のモノづくり産業が滅びかけているのも日本のものづくり哲学が成り立たなくなってきていることにある。それには文化的な背景があろう。たとえば、日産という会社があるけども、日産は倒産の危機に陥りフィアットのゴーン氏が関与したことで再生したというのが市場の評価なのだが。それほど簡単なことではないのは、日本の国内の経営判断がそれほどに腰が軽いというところだろう。多くの優良なものづくりが経営の波があるだけで、駄目だと判断をされてしまう。判断する側に大きな問題があることが多いものであるというのが一番の問題だろう。こんな判断されていては世界には国営の企業ですらあるのだからそんな競争の中で、日本企業が長続きできるはずないのである。

面白いのが、国内が見放しても海外からすると日本企業ほど堅実なものづくりはないだろうといえ、国内以上に海外の人のほうが国内のものづくりを評価しているというところだったりもする。昔、トキという鳥が日本中の空を飛んでいたけどもそれが絶滅してしまったのも、同じようなことなんだろうと思えるのだ。絶滅しかけて初めて保護に入るけど、生きていけない環境にどんどんと追いやっている人の存在にも気がつかないとならないだろう。今の日本で地場産業を考えるときにも、トキに経営努力が足りんから絶滅してしまうんやでみたいな説教が多い気もする。
2015年04月29日
一世を風靡した経営でも数年後には立ち直れないほどになっていることが多いのは気のせいではないだろう。特に大きな企業というのは、自分自身が競争に勝ち残った後に、自分自身の戦いがあるのだろう。

マクドナルドなんかもお店が多すぎるという当たり前のことに気がつかないと、経営のどこに問題があるのかということを考える以前の問題だろう。マクドナルドのお店を通って、祝日の夕飯時にほとんど駐車場に車もなく、店舗内にもお客さんがいない。

このマクドナルドの現象は、スキーブームの終焉と似ている気がする。自分でブームをつくって、そのブームが去ったときに、ひと世代の間、ブームが再来することは少ないものだ。その間耐えることができるかどうかというあたりが本当の仕事なのかもと思える。

これは産業や企業に対していえるだけのことでなく、個人に対してもいえることだろうと思う。同じことをやっていてもうまくいくときといかないときがあるだろうが、それを続けるか続けないかが、一番大事なポイントだろうと思う。成り立たないものでも続けていくうちに成り立っていくものもあるのも私の経験のうちで、最初から成り立った仕事なんて逆にほとんどない。なりたたないものでも形にできるところまでやる力があると、それはほかの成り立ちやすいことをやるときにその力は生きてくるんじゃあないだろうか。逆境で努力する人と逆境で投げ出す人とでは、人生観、仕事観というものはまったく違うだろう。
2015年04月28日
ある工場の社長が電話下さり、仕事がないかとお問い合わせ。今は生産期が終わる時期なので仕事が少なくなっておられるのだろう。人を抱える会社にとっては仕事は生命線、仕事しないとゼロではなくて大きなマイナスなのだ。自分で仕事を生み出そうとすると逆に仕事してお金が必要になるもので、自分でお金を使っても自分で仕事を生み出すことをお勧めするのがその会社の仕事のスタイルと合うのかどうかもある。

経営というのは判断の積み重ねで、一回の判断が一回で終わらずに固定的になってしまうことが多い。今できないと思ったことは、いつかできることはないだろう。これは経営に関してだけでなく働く人も同じ。周りが正しいと考えることを積み重ねていても、うまくいくとは限らないので、正しくないくらいに正しいことをしないとならないこともあったり、逆に正しく判断ではないと思えることをやってよい結果になることも多い。普通ぐらいで仕事が流れているのを理想にすると一番危険信号なのである。

結論としては、何が正しいのか正しくないのか考えて何もしないのは何もしないのと同じで、自分が仕事がないときに何をするのかが大事だろうと思える。新しいものをひとつ生み出すためには、新しいものを生み出す強い気持ちをもっていないと途中で挫折してしまうことが多いだろうと思える。また、仕事というのは取り組む相手というのは大事で同じような価値観を共有していないとうまくいくことは少ないといえる。

業界にいると、経験を持っている人がやはり強いなあと思える反面、経験にしがみついている人というのは過去形に近い。あと、仕事がほしくても、やりたいことはあってもリスクを被るのを必死で避けようとする人が多いので、仕事はほしくてお金儲けしたいのはわかるけど、業でやっているひとが個人の人以上に布にお金を使わず、入ることしか考えていない人が多いのは気になるところ。
2015年04月27日
仕事というのはどこもが似ている。突き詰めていけば、遊んでいると思われている仕事の前の学生のほうが試験など自分の実力を鑑みさせられ地獄をみることが多い。昔は大学が遊園地といわれたが、今は職場が遊園地化している気もすることもある。

私も繊維の仕事をしていて、学生以上に楽だなあと思うのは紙に書いておけば覚えなくてもよいこと。学生の場合、試験会場に教科書やノートを持ち込むことはできないが、一般的な仕事ではそれが許されるのだ。

しかしながら、優劣というのはハッキリとしていて、生地をみて、そのつくり方がすべてわかる人というのはやはり強い。結局、学生の勉強と同じようなことができる必要があるのだろうと思う。織機の問題なんかも同じで、経験が生きる人と生きない人の差は大きい。最初の一回で覚えて、次には自分でできる人でないと厳しい。最初の一回で覚えない人はいつまで経っても仕事を覚えられないものだ。

すべての仕事というのは共通した要素が7割8割あると思えることが多い。その7割、8割の部分というのは地道なところじゃないかと思える。そのほかの2割3割が飛びつき的、あるいは冒険的な要素。私自身、仕事でいろいろな物事に挑戦するということはとびつき的な要素や博打的な要素が大きいが、そのほかの部分でそれを補える仕事を当たり前にしているから成り立つのだろうと思う。

また、なかなか、地道な要素を積み重ねても日の目をみないというのも世の中の性であろう。林与の特徴はと聞かれて、産地で自分自身が織物を織り続けているというところなのだが、それには深い意味があって、そこが一番大事なことであると理解してもらえることは少ないのだ。自分で仕事を生み出すとか、つくるものに対してのリスクを被って仕事をしているという部分に繋がろうと思う。

やっていることは同じでも、2割くらいの力で飛びつき的な要素を交えることで、飛びつき的な部分にあこがれられることの多いお客さんとの出会いは増える。最終的なお客さんがというよりも、業として生地を扱われるお客さんが飛びつき的な要素重視だったりするものだ。売るためには、ものがというよりも謳いが重視されるのだろうが、それ以上に産地で麻を織り続けている機屋なのだから本質的な部分を大事にする部分が7割8割なところ。
2015年04月26日
東京に来て土地というものの意味みたいなものを考える。土地というのは日本においても結局国のものではないのかというところ。中国で土地は国のものとされるが、同じようなものだなあと思える。

固定資産税のようなものの負担があって、結局一生もつと同じだけの税金を払うことになるのだ。多くの商売が成り立たなくなるのも国による固定資産税の影響が大きいだろうし、また、借地にしても地主がその固定資産税の負担をするので、結局は地代として計上され、大家にとっては固定資産税の額が貸し出したときのミニマム的な費用となろう。

何もしなければゼロではなく、マイナスなところから始まる。地価が高いとその場所に存在すること自体ハードルが高いことになる。固定資産税というのは、土地にかかるだけでなく、建物や設備にまで掛かってしまう。建物を持つことがマイナス、設備を持つことがマイナスで、そのマイナス分を賄えないと駄目。日本の企業の規模が本当に小さいのは、固定資産税を賄うのが難しいということもあるだろう。

土地を所有したからといって区分があるので、基本自由に使えるわけでもないので、やはり、国有的な存在だろうと思える。土地なんてお金払って国から預かっているだけということもよく言われるが、土地には費用負担した分、値段が上がっていかなければその価値は商品としては実質マイナスなのだ。

実質マイナス的な要素を持っていれば、地価はどんどんと下がっていく。固定資産税に見合うような水準まで下がっていくだろうが、滋賀県なんかでもこれだけ空工場や空店舗が増えてもそのままで、東京では空き店舗が少ないことを考えると、東京の固定資産税は適切な辺りにあるのだろうと思える。

東京の都心に織物の工場がほとんどないのは、固定資産税が高いからだろうし、京都なんかの繊維関係の工場でもかなり詰め込んで成り立っているところがほとんどである。本来繊維産業も消費地である東京なんかで生産をすべきだろうと思えるのだが、田舎のほうがモノづくりが成り立ちやすいというのも税制や雇用に関する法制度の問題と絡んでいるだろう。

繊維業界でも、一宮市で、固定資産税以外に、事業所税なるものが課せられることになったときに、33000平米を持っているとされた加工工場が廃業をされた。1平米600円という課税金額は単純に年間2000万円増なのだ。百年以上続かれた名門の企業が、さらに吸い上げを余儀なくされ、廃業を選ばれた形である。

多くの繊維企業が繊維をやめて、不動産業に移り変わる状況がある。業として守られてきた独自の技術が失われていく、すごくもったいない気がするが、行政のすべての負担を重くしていく姿勢だと、成り立っているものも成り立たなくなるのは当たり前で、自立しているヒトや企業が国から消えてしまう。日本でも有数のよい仕事をされていた企業の幕が閉じられ、120人の雇用が失われるような結果を行政が生み出すことになる。
2015年04月25日
仕事をするために人が集まると人を管理しないといけないという問題がいつも起こる。すべての人の目的が一つなら簡単なのだが、組織の中で違う目的をもった人が集まるとうまくいかないことが多いものだ。

近江商人が成功をなした理由の一つに、天秤棒を担いでの姿があるけども、それとは別に、近江商人が都に持つ家に奉公に行くという形がある。長男は家を守り、(家というのはすなわち先祖代々の仏壇であり、先祖から引き継ぐ屋敷と田畑のことであろうと思う)、次男、三男は、奉公に出て家を守るみたいな風潮があった。次男、三男が奉公の末に店を持つことを許され成功を納め、その成功は母屋を支えるためにあったといえる。

これは、日本で一番神仏信仰が強いといわれるほどであるところから来ている部分もあろうといえる。小さな村にも大きなお寺がいくつもあって、律令制度や藩の搾取から逃れ、お寺に守られていた部分があったろうと思える。母屋にはそれなりに大きな資本が集まり、親戚一同から支えられながら逆に親戚を助ける機能をもっていた。

盆と正月が大事だったのも、奉公という日頃は自由が許されない時代に、唯一実家に帰ることがゆるされたのが盆と正月だったからである。戦後にも奉公が盛んに行われた、終戦を迎えて外地から引き上げてきたものたちは居場所がなく、住む所と食事を与えられて仕事にいそしんだ。

外で無欲に働ける人が自分の商売を考えたときに、立派に商売を残されたり、立派な家をもたれたりしているのは当たり間のことだろうといえる。日本の商売というものが損得勘定では成り立たず、人のつながりで成り立つといわれる。日本の教育がほかと違ったのは自己犠牲の精神(奉公の精神)があったからといえるが、それが日本の成功に大きく繋がっていた。

奉公的な出世においては質素倹約の精神というものが、すべてにおいて流れているので、成功というのはその積み重ねでしかなく、実際の仕事も商いのすべてを教育されていて、人が人として一人で立つことが理想とされた。今の時代でもその精神で仕事をすれば最終的には成功を納めることは難しくはないであろうが、商売を成り立たせるためには欲を捨てることの積み重ねという逆の道が必要というあたり、日本の国の制度からしても今の時代には難しいものであり、成功したいなら制度の逆をいかんと駄目なのだが、普通はどうこうという講釈が先に立つ人がいくらアイデアを持っていてもそれが実現することは少ないだろうと思える。

仕事というのはお金を稼ぐことが目的と思われるが、その範疇では商売の考え方が普通すぎて、チャンスを逃すことが多いだろうなと思え、商売のチャンスのためには自分がお金を使うという逆の発想ができないと商売の基本すらも持ちえていないというあたりに止まる。失敗なんかは若いうちにやったほうが良いだろうし、若いときに経験の少ない人というのは末路は厳しいものだ。失敗や責任を自分で被る力のある人ってそうは少ないもので、そういう人が結局実力を持っていて仕事を動かしているということだろう。
2015年04月24日
今日から東京、朝、東京について、1件目のお客さん、午後から2件目、夕方に3件目でお客様と食事して、新幹線の時間を過ぎて夜行バスに乗る予定が夜行バスも空きがなく、明日の展示会を予定されているお客様もおられるので、それをみて帰ることに。

今回の東京出発も出発ぎりぎりまで出荷の準備に追われて、寝ていない状態での出発、東京についてあまりにお天気が良すぎて、よく知らない町を歩いているだけでもよい感じなのだが、靴が新しく、足の裏が靴擦れしたみたいだ。

新幹線に乗ったが、中国の新幹線と比べると、日本のノゾミの座席ほうが座り心地が悪いように思えたのは不思議だ。ノゾミの席は硬めに作ってあるのだろう。社内のコンフォートさが逆転し始めているのは気になるところ。

こういう数値にできないところに充実要素を盛り込んでいるところが、本当の豊かさなのだろうと思える。テキスタイルにしてもそうで、中国がこういう微妙な贅沢をできるようになり、日本がそういう微妙な贅沢が消えていってしまっているのかと思うと、そういう微妙な贅沢があったから、戦後、アメリカを追い抜いていけたのだと思う。
2015年04月23日
昨日、弟子をお持ちの作家さんとお電話でお話しているときに、教える側が本気になれないという話。本気になると厳しく教えていかないとならないのだが、そうするとやめてしまうので手加減するという、駄目駄目な話。

これでは、育つはずのものも育たないし、本当にそれで食べていくなら最初から正しく教育していかないと難しい。これは若い人に限った話ではないのも悲しいところで、先生世代までもがという話はよく聞く。

小学校へミシンの指導に行ったときに、班の中でひとり女の子がミシンの準備をしていて準備ができたらそれを男の子が取り上げる。そんなで、女の子が最後まで出来ず、女の子ができるようにチャイムがなってからも作業していると、校長室で、校長先生に時間は守ってくれないと親から不満が来ると叱られる。この国の縮図をみているように思えた。が、次の年にほかの学校にいってどこもがそうではないのに救いを覚え、大人社会もやはり後者を見習わないとと思った。

昔、幼稚園のころ、牛乳が飲めない女の子がいて、給食時にその子が飲みおわるまで、毎日、昼休み遊ぶのを我慢してまったというのが、なんか、私の中ではやっぱりいい話。先生もその子の好き嫌いを許すとほかに波及するというのを感じてだろうから悪い先生ではない。先生もその子を励ましながらもその子が悪い立場にならないように、みんなが我慢するのが当たり前という心配りがあったのを子供心にも思った。その子の好き嫌いを直そうと努力していたよい先生なのだ。先生の判断の正しい正しくないは別にして、気持ちは正しいことだろうと思える。

そういう判断や結果よりも気持ちを重んじることのほうが大事な気がするのは、村行事でも思う。長く続いている行事でも心温まるような部分で動いているなら存続賛成なのだが、義務化みたいにしてやって無理やりは結局、本来の気持ちすらなくなってしまうだろう。

建前じゃなくって本音の部分で理想みたいなものがあって、みんなが我慢ができる環境って悪くないものだと思うのだが、我慢できない環境をどんどんと作り出そうとしているように思える。船が沈没するときに一番に逃げ出す船長や原発が爆発して現地で解決に向かわない経営陣や保安院とか、沈没したり爆発するのも判断ミスで起こりやすくなる。上のものから上のものらしい手本を見せないとならないのだろう。
2015年04月22日
最近、携帯電話、コピー機、LED蛍光灯、ゴルフ会員権などの代理店からよく電話が掛かってくる。毎回断るが、競争が激化しているのだろうが、その軽さというのが気になるほど。電話で相手が応対するのが当たり前とおもっていたり、相手が自分のために時間をつくるのが当たり前と思っていたり。そして出てくるのは自分の一方的な契約書のパターンだろう。

コピー機も飽和している感があって、メーカーが販売するのではなく、代理店が販売している。あの商法が結局失敗して、メーカーも危機に瀕しているのではないだろうかと思える。結局、そういう商法に依存しての販売では中身が劣る結果になってしまう。

国道8号線沿いの和食とラーメンのお店が閉じられたようだ。ときどき、使っていて悪くないと思うのだが、中に3人働いている人がおられて、みているだけで10人お客さんがいてもなかなか厳しいだろうと思っていた。そこがやめられたのは非常に残念に思える。残るのは全国展開のファストフード的なチェーン店ばかり。お店の中が見えないお店というのは入りづらいのだろうと思える。前に駐車場がなく、後ろに駐車場があったのも駄目な要因のひとつだったろう。駐車場は、横でもよくなく、お店の前にあるのが一番なのだ。

その周辺は続いて8件が廃業とか空き地とかで、商売のデッドスポットになっていて、シャッター通りの商店街と同じイメージで、そこの場所自体に商売を構えるのがマイナスのイメージ。たぶん、国道沿いということで固定資産税が高く、賃料が高くなり商売がなりたたない場所なのだろう。固定資産税をゼロにするくらいで活性化しないと広がっていくだろう。商店街なんかでも集客要素はマイナスになりつつあっても固定資産税は高止まりして時間が経つごとにお店を保てなくなっているのだろう。

助成金などでも商売を活性化しようというような計画があるけども、活性化というのはなかなか難しい話で、小さくても商売を存続できるような政策が必要だろうと思える。政治、宗教は非課税、農業も固定資産税が押えられているから存続できる。土地なんて持っていても結局は固定資産税を払うということは国のものだというのと同じ意味。固定資産税を払った分、地価が上がっていくなら成り立つだろうが、基本マイナスというのは厳しいだろう。

携帯電話のセールスとかコピー機のセールスとか、押し売りじみた商売だけが成り立つというのもわびしい話に思う。それも、構えない商売が増えすぎている影響だろうと思ったりもする。
2015年04月21日
今日は、朝から加工出しの準備。

三代のお付き合いをいただいた大阪の糸商さんが、社長が高齢で後継者もおられないことから4月末を目処に閉じられるご挨拶に来て下さいました。糸を右から左だけでなく、作る仕事をされていた分が、大変だったというお話でした。それは、自分でつくるとお金を寝かせることになるのでという意味で、テキスタイルを自分でつくるのと同じ苦労だなあと思います。

そういう重荷の部分を減らそうとみんな海外生産に移行をするのです。海外で作れば同じようなことが何分の一ででき、利幅が確保できる。でも、同じじゃないのはつくる苦労をしなくなったこと、経営者が重荷を減らす味を覚えてしまうことで、これは働く人が同じことを考えて仕事するとものづくりの会社って続かなくなる要素じゃないのかなあと思えます。

仕事なのに負担を減らすばかりを考えがちになっているのは、どういうことなのかと思うところがありますが、織物の小さな会社をしていても仕事の半分以上が織るという作業に集中ができないという部分があろうかと思います。織るという作業に集中している会社というのは単能工的でやはり逆境に弱いものです。自分で企画して売る力をもってものづくりしていないと、作っている立場がやはり企画力でも謳いの部分でも一番強いのにその強みを生かせないということがあろうかといえます。

三代お取引が続いたということはやはり苦労を分かち合えたというところだと思えるのです。商売を閉じられるのは残念な気もしますが最後も綺麗に閉じられてしっかりとした経営なのが目立たないながらも理想の局地です。その方が最初、会社に営業に来られたときに、私のおじいさんが首を縦に振らなかったという話が出てきました。

昔というのは仕事させてもらうにも大きなハードルがあった。働く人にしてもできなければダメというのが当たり前。それがものの価値を生むのに繋がったと思うところがあります。家族以上に仕事のお付き合いを大切にしたから、家が守れた幸せな生活を手にできたという部分があったのだろうなあと、林与的な自分勝手な解釈ばかり。
2015年04月20日
学生だったときに大学に商社の人事部長が来られて、縁故採用に関して学生から質問があったときに、「仕事はご縁ですから」という答え。大きな会社ほど縁でものを動かすというのは当たり前だったりするものだ。相手に外れを引かさないという商売スタイルが一番効率的なのだ。ある行政の方はやはり殿様商売で商売は競争ですからということばを軽々しく発せられるが、10社あって9社が落ちるような話をする相手は相手にしないほうが商売のためだろう。林与は大きな商社でも行政でもないし、逆に自分のリスクでものごとを進められる。余裕があれば小さな規模のことでも協力したい気持ちではいるのだが、そういうときに持ち出してでも動く覚悟がある人が集まると話は簡単。特に新しいことは成り立たないことが多いのだから、本業を別の時間にしながら新しいことを仕事以外としてやってみる。

私自身、新しいお客さんが来られるときに、既存で麻のものをやっておられるのだったら、よほどの事情がないかぎり、既存の先さんと取り組まれてやられるのが全体としてはよいのではないかと思うのだ。農耕的ななく遊牧民的な商売スタイルというのは、ものづくりする人とは合わないこと多いだろう。

ブランドというのは看板だけのことなのかと思うのは、ヨーロッパのブランド、デザイナーが移り変わり、デザインに普遍性がないというか、流れる哲学に普遍性がないのだ。デザインというものは変わってもよいだろうが、流れる哲学が変われば、見た目は同じ商品を作っていても、どんどんとものづくりが普通になっていったりする。

経営者とデザイナーや企画者が一体でないと駄目じゃないかと思うのが、日々、商売の人と話をしていて感じるところ。デザイナーさんでも、自分はデザインだけと割り切っているタイプの会社というのは、デザイナーというのは社運を左右するポジションなのに、サラリーマンデザイナーでどうするのかと思える。経営者がデザインをほかに任せるというのも、デザイナーがやめたらそのブランドはどうするのという怖さを秘める。極端な話、華やかに

林与にはデザイナーはいない。モノづくりする中からテキスタイルが生まれていくような形もありかと思う。目の前に環境があって、材料があって、人がいて、そこで何をつくるかを考えてつくっていくほうが、ものづくりに一貫性が生まれるのだ。逆に、一貫性というのは、良し悪しなのはよくわかるのだ、新しいものをつくろうとするときに一貫性というものが邪魔をするのだ。

デザイナーさんがお客様目線の人というのは良いようで一番困ったりする。自分の好き嫌い的に、一つの理想の形しか見えずのコメントだと弱い。まずは、それを形にするのがあなたなのだみたいな話、一つの形もつくれずに議論の繰り返しも厳しい、自分がものづくりする人なら、いくつものパターンが想定して出来上がってこないと駄目なのだ。また、自分の置かれた環境の中でなにがどうできるのかということもないと。ものづくりを準備するときに、それを買うお客さんまでを想定する必要がある。物を売るにしても、売れる形に崩して売って行くのは簡単なのだが、崩さないで売って行くところがやはりセールスの人の力だろうと思える。
2015年04月19日
今日は岐阜からお客様、近江八幡の火祭をみにこられたとかで、近江八幡の「火祭」が有名と聞いてそんなのあるのかとびっくりしたが、よくよく考えると、私の村でも若連中のときには、春と秋に神社で夜中まで鐘を叩きながら、春祭、秋祭を継承するのが続いている。

火を分けて、うどんを炊いて食べるというほうが印象に残っていて、火祭という印象はあんまり持っていなかった。集落の神社でも、祭りの前に神社の木を刈って、また、正月の飾りを燃やすとか、というのが100年近くは続いていただろうが、火というものを扱わなくなってきた流れで、火を扱える人が少なくなってきているように思える。

本来は人の生活の中で、日、月、火、水、木、金、土から直接の恵みを受けるような形が残っていてよかろうと思うが、そういうものを国や企業が支配して、そこと契約する形に今はなってしまっている。織物にしても昔はどこの家でもおられていたというほどの作業なので、ほかの趣味の人でも織られる人が残っていてほしいと思うのだ。仕事でするだけが、織物ではなく、基本、自分の着るものを織る、着たいものを自分でつくるというのがほぼ消えかかってしまっている。それの得意な人が業として営むというスタイルが大事だろう。
2015年04月18日
今日は小幅の織物の話があって、弊社の織機で出来るのかどうかというあたりが微妙で、加工工場にも相談にいって、1cmとか2cmほどの加工縮みで収まるようなお話なので、出来そうな気もする。

今は閉鎖した林与の小幅の工場の中には10数台の小幅のシャトル織機がある。タペットタイプなのだが、昔から常々幅の問題が付きまとっていて、最近は、キングサイズでないと使いにくいということで、織機自体が眠ったままの状態で、逆に言うと古い織機だが状態よく保管していたことになる。

ストールなどだと、130cm幅の織機を使って、狭く織ることで対応できるが、着物向けとなると、やはり耳の綺麗さが重要となってくる。そのときに、やはり狭い小幅の織機で織り上げてあげるのが一番綺麗に織れるのだ。
2015年04月17日
日本でも学校で勉強して繊維の道に入るというケースが増えているけども、中国でも同じように学校でデザインを勉強して、繊維の道に入るという形になってきているようだ。私としては違和感が多いのは、会社のプロフィールを書く時に、デザイナーがいるのかということを聞かれる。私の感覚からすれば趣味の人でもデザインするのに織物の会社でデザインできない人がいるというのはよろしくないということ。

デザインの担当の人にデザインを任せるのは弱いと思えることが多いと感じるのは、色柄に長けていても何十年選手のすべてのデザインを担っていた人でもリストラの対象となるということ。有名ブランドでも、デザイナーを取り替えてイメチェンみたいなのも、ブランドの普遍性の面では正しくない手法だと思える。

美観のあるなしというのは生命線だと思えることが多い。仕事を頼んでも美観のない人にやってもらうと、どうでもよいものにあがってしまうことが多く、すべてが台無しになるのだ。美観だけで生きている人というのも怖い話で、好き嫌いの激しい王様みたいなもので、口で言うだけで仕事の役に立つことは少ない。やはり、全部をこなせる人でないと無駄が多いのだろうと思える。

哲学が流れていれば、変な損得勘定がたつことは少なく、変な損得勘定が先に立つような商売というのは安っぽいという結論になる。包容力のある方ほど1回2回のテストを乗り越える気持ちで大舞台を私の試行錯誤にゆだねて下さることが多く、自分が被ってでもベストを尽くしたいと思える。仕事でも失敗は失敗でわからないほどの馬鹿でもないが、ベストをつくすときに、ものづくりで一番大事なのは品質だろうと思える。

最後に落とし穴となるのが品質なのだ。納期を急ぐことよりも、価格を落とすことよりも、品質を安全なところに落とし込むことが一番大事で、そのために織機を1週間止めて調整に使うこともあるし、時には1ヶ月織機を止めて問題の解決を考えるときもある。本来は、それも広義のデザインのうちなのだ。そういうのがわからないと何が価値があるのかわかっていないことに繋がり、デザインを企画するたびに問題を作り出すだろう。

デザインは、インスピレーションで1時間、長くても1日から数日だろうが、ものづくりはその10倍20倍の時間を使うことがほとんど。デザインだけで売れるものがあればありがたいが、売れる形に落とし込む、問題のない形に落とし込むという現実的なデザインの要素が、ものづくりする人にないと、まったく売れない顔になることが多く、怖い結果になりがちだろう。ものづくりサイドでの試行錯誤があるから成り立つ話で、試行錯誤のないものづくりならまともなものは出来ずに失敗に終わるケースが多いだろうと思える。
2015年04月16日
仕事に失敗は付き物で、その失敗をどうリカバーできるかが大事だったりする。私の場合、仕事を教えるときに失敗したら、あの手この手を教えるよりも、最初からやり直すことをまず覚えさせる。失敗したら最初からやり直さないと本当に正しいものはできないのだ。下手な手抜きを覚えて出来たつもりになっている人というのは常に失敗ばかりでほかの人が手直しする仕事が増える。

基本を確実にできるようになった段階で、途中からどうやったら正しく手直しできるのかを教えたりするのだが、まず、自分で自分の失敗を手直しする気のない人には教えてもなかなか難しい。ものごとを正しくするよりも、失敗したものを直すことのほうが難しいので、正しく出来ない人というのは失敗を直すことも出来ないものだったりする。

新しいことをするときには失敗は付き物なのだが、一回失敗して同じ失敗を繰り返す人というのは仕事では残ることは難しい。一回で失敗の意味に気がつく人というのは失敗がまさに成功のもとなのである。

テストなんかでも70点でもよいのだが、同じテストを次回やったら100点が取れるかどうかが大事。仕事も同じことでできないから教えてもらって、次回もできないでいては仕事とは呼べないだろう。



2015年04月15日
中国の何千人の従業員を抱える企業を訪問したときに、謙遜とお世辞も入っているとは思うが、なぜ長く続いている理由は何なのかと尋ねられ、「我慢」ですとお答えした。私が経験から、外資系の長優良企業であるコンピュータ製造工場などは理想の究極であったが、そのコンピュータ工場で働いていてこの工場は長続きするはずがないと感じたのが正直なところ。

理想的なサクセスモデルほど追い求めているものが理想なので方向転換しようがなく、結局、その程度のことは日本でやらなくても、安定したインフラ、すなわち、安定した電気供給、綺麗な水、物流などがある国なら、日本でなくてもできるのだ。アップサイジング基調では商いと言うのは無理なく広がる。スケールが大きくなるので仕事の内容もより簡単になる。ダウンサイジング基調では、スケールが小さくなるので同じ仕事内容を維持しようとすると、人も減らさないとならないので難しくなる。日本でも大きく成長していった企業が最後に破綻するケースは多い。結局、自分自身の中で競争を生み出してしまうほどに大きくなりすぎ、ほかを潰した勢いがこんどは自分に降りかかってくるという感じだろう。

コンビになんかでも、同じ店舗同士が近すぎて競争になってしまってて、それはまずいだろうと言うことにすら経営サイドが気が付かなくなっている。売れている店舗があって、もう一店近くにできれば、トータルの売り上げが伸びるだろうと経営が考えるのだろうが、1店舗がうまく成り立つのと、2店舗が両方厳しい状態の経営で存在する違いというのが見えないのだ。これを大手メーカーや百貨店規模でもやってしまうから、数百人が働く、百貨店や工場ですらもが消耗品のように閉じられていく。急成長した大手のアメリカン子供服メーカーが破綻したのも規模が大きくなって飽和すると、1店舗でうまくいっていたものが、2店舗にして2店舗とも悪いということになりかねない。

なぜなのだろうか、広がる局面を経済紙などは成功のように書き立てるが、行き着く先というのが破綻であるという風船が大きくなっていつしか破裂するかの状態でしかないのに気がつかないものというか、気がついていてもじっと我慢するというのがなかなかできないものなのだ。

日本の資本で動いていると国が潰してしまうので、国が手の出ない外資に身売りして存続するケースも増えている。それがよいことなのか?普通よりも努力して自立している会社や商店街でもたくさんつぶれて行ったのをみるに、国ももうちょっと我慢してものごとの現実をみないと、多様性が消え、日本文化が行政チックというかサラリーマンチックになりすぎて魅力あるものではない。チェーンの居酒屋なんていたるところに増えたけど看板が違うだけで、どこも同じに思えて仕方ないが、個人経営の居酒屋ってお店一つにしても味がある。
2015年04月14日
先日ある日本の工場の社長さんと話していたのと、中国の織物工場を見学したのとが頭の中で重なるところがある。日本の工場でも生産量が多いと中国の織物工場のように分業化で作業を専門化し単純化してしまうのが理想系である。

私も昔、最先端の半導体工場で働いたことがあるが、一日中というよりも、一年中、あるいは会社が続いて仕事が続く限り一生、同じ一つの仕事で終えるというのが、大量生産の現場では理想なのだ。実は、昔、地場産業系のものづくりは、この大量生産のシステムが成り立っていたので強かったといえる。

しかし、大量生産のシステムの中の人というのは、全体がどうとか考える必要がないので、問題が起こったり新しいものをつくろうとするとき、また厳しい時代には大きな壁だったりする。中国の工場でも、できるレベルのものに特化するというのが一番安全で流れ作業を止めない理想形のように思える。

麻のもので色の濃いものをすると、色の薄いものと比べると、普通は摩擦堅牢度の問題で苦戦するものだ。やはり表現力豊かに見せるためには、色は大事で、安全なところの色でとまっていると、大量生産向けの色帯から抜け出すことができない。風合いなんかも面白いと思える風合いのものというのは、物性が安定していないので、量産には向かない。

量産しようとすると何度も何度もテストが必要で、そうやっていてもテストと本生産では、規模が違うので、見えない問題が起こったりするのでリスクが高い。日本国内で生地に求められる品質というのは厳しく、それゆえに今は日本では普通の布しか作れなくなってきている。海外の量産と同じ安全なものしか作れないという状況なのだ。

つくるものが似通ってくるとそれをつくっている人の考え方というのも似通ってくるもので、結果として文化も似通ってくるだろう。織物は文化だといわれていた方があったが、国によって異なる織物、地域によって異なる織物というのは、文化の違いの象徴だろう。

上海に日本の商社におられた社長がやっておられるテキスタイル会社があるけど、考え方が今の日本人以上に日本のものづくりみたいなものを大事に思って下さってて、数年前の上海の展示会で何百社もある中国のブースを一通りざっとみたときに、一番面白いなあと思って、このアイデアがどこから出てきたのだと不思議に思った。

数年後の展示会で、その会社の社長が弊社のブースに来て下さり私と近い考え方だった。どこからか私の会社のことを聞いて挨拶に来てくださった。ものづくりに包容力があって損得勘定じゃないブランド的な方向性がある。やはり、布の世界も突き詰めていくと哲学の道にたどり着くものだ。せっかく生き残っている機屋なので、生きている限りは研ぎ澄まされた精神を持てるよう、自我を捨てて物を見つめて物に精神が宿るようなところからはじまらないと、本質的な差別化も難しいであろうと感じる。

霞を食べて生きる仙人みたいなのもほんと理想馬鹿なのだろうが、2日納期に追われて飲まず食わずで織機を動かして2日で5kg体重が減るとか、たぶん、普通は一生に一度もない経験を積み重ねて普通とは違う世界が見えてくるものもあったりする。そういう経験が普通だと日ごろからしてつくるものにも思い入れもこもるものだ。

昔、商売というものを深く考え直した一件に、3日寝ないで現場の立仕事、4日目に朝から昼間で睡眠、それを1ヶ月繰り返し納期を乗り越えたこともある。それは比叡山の修行僧以上の世界だが、それでいてそれが幸せな結果なのかというとそういう苦労は報われないもので、安く買って高く売るのが問屋の技術みたいなことをいわれて、まったく商売の方向性が違うのを感じた。それが普通なのかもしれない。

そこまでいかなくても、基本としてほかと違う、そういうものづくりが哲学的な要素を必要とする部分では求められていたりするのは当たり前なこと。デザイナーさんを含む人々と接していて思ったりする。織物をつくっていても、デザインがとか品質がとかいう前に、人生観みたいなものがそのモノづくりしていくのかどうかを決めると思う。
2015年04月13日
今日は週があけて助成金のまとめの提出を予定していて、日曜の夜も書類作成に時間を使って、昼間で位にできるかと思いきや、別件が3件ほどと途中お電話を数件いただいて、夕方には出せるかと思っていたけど、結局7時頃に大津に持込で提出。

そのあと、会社に戻って留守の間にいただいたインターネットの注文を出荷の担当のものと出荷準備。多くの出荷が遅れておりますが、明日には、ほとんどの出荷が完了の予定です。よろしくお願いいたします。
2015年04月12日
夜中1時半に会社に戻って、今日は午後からお客様なので、寝ておかないとと思いつつも、上海ではメールを送ることができない状態だったので、メールの返答を明け方までして、朝から助成金の提出のための資料作成。

ご依頼をいただいていた作家さん向けの布の織り出しを送らないといけないと、上海の展示会に行く前から思っていて展示会から帰って、上海にまたいっても、まだ、織り出しが完了できていない状況で、3時間ほど掛けて織り出しを行って、発送の荷造り。

正午過ぎにお客様を駅にお迎えに行こうとすると、電話が掛かってきて、来客があって、急いでいるときには別の用事が増えるいつものパターン。5分遅れくらいで、収拾がついて駅で東京からのお二人のお客様と合流し、食事のあと会社で近江湖東織物の歴史や近況など、ちょうど、お客様がバルク注文下さっているストール生地を織っているタイミングだったので、その織機を中心に眺めて、シャトル織機の解説など。

あっという間に時間は過ぎて、一人のお客様を新幹線の駅にお送りのあと、もう一方とお食事しながら、半年振りくらいにじっくりとお話しするので、今後一年くらいの林与のビジョンなどをお話しする。林与のつくる布を大事に思って下さるお客様がいてくださるということは本当にありがたいことで、一つ一つの仕事大事にしているのだけども、やりはじめるとどうしても自分でも納得できるような布をつくりたいと時間を使ってしまうので遅れていることが多い。

今の日本で織物の作業をこなせる人ってもう本当に少ないと思うのだ。私は織物の作業というのは時間さえあればそれほど難しくない何でもない仕事だと思うのだが、普通の人にとっては、30分が集中力がもたないことがほとんどで、集中して生産性が上がるモードになる前に、休憩というパターン。ほかのことに興味が一杯の人にはこの仕事は難しいだろうなあと思う。
2015年04月11日
昨日の夜は、蘇州の電気屋さんで携帯電話を中国で使えるようにできないか聞いたり、ホテルに戻ってから昨日現地出荷した荷物の送り状の番号などメールが送れず、電話で通訳に説明してもらったり。

今回、蘇州に来て思ったのが非常に健康的な感じがする。会社のトップの方も、水筒にお茶を入れてそれを飲んでおられ、お土産にもお茶をいただいた。急須などでお茶を漉すこともなく、そのまま飲むタイプのお茶で、初めてで、お茶の葉が口に入るのだがそういう飲み方が贅沢な飲み方に思える。水分好きの林与、ほかの人の5倍くらいは飲んだろうと思う。

今度は6月ころに双方の日程も調整の上で、社長と大学の先生が、一緒に日本に来て下さることになり、日本の織物の世界というもの実態を感じてもらって、今後の会社運営の参考にしてもらえる部分もあるかと思う。小さい会社のほうがパワフルな部分もあるのみてもらえるだろう。

帰国の前に上海の南京路で、私はほとんどショッピングしない派なので、付き添いみたいな感じで、お天気がよいので日向ぼっこ、ゆっくりと冷たい飲み物片手に悪くない。体から水分が蒸発していく。ショッピングエリアに来て、買いたいものみたいものがないというもの味気ないが、日焼けして帰りそう。