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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年2月
リネン日記:21
2013年02月28日
今日は、午後から彦根の四番町スクエアのボックスギャラリーに向かいました。自分自身のボックスの管理など出来ていないので心配をしておったのですが、お店の方が見てくださっているようでありがたいです。もう半年振りくらいになるのですが空ボックスが急に増えてしまったように思います。ちょっとさびしい話です。

試行錯誤をされてものづくりをされている食品関連の機械メーカーさんから、生地の試作を依頼いただき動いております。生地の機能性的なものに着目をされて、弱点的なところを克服したものを作られたいということで林与にたどり着いていただいたのですが、いろいろと経験を積まれているので、私が予測するあたりの生地の問題などもすでに経験をされているので説明が早く、林与もベストな選択で進めそうな気がするので動いています。

夜は、ジャガード織機の上にあるジャガードの心臓ともいえる針の部分を組み立てしなおして試運転。今までの問題が嘘のように解決して、織機メーカーさんですらもがこのことは予期ができないジャガードの大きな問題ではなかったのかと思います。
2013年02月27日
今日は午後から滋賀県のファンドの交流会がありました。過去にしが応援ファンドの認定を受けた50社ほどが集まられた交流の場だったのですが、野菜なんかもそうですが、布というのは案外地域ウケが良いのかなあと思ったりもします。

織物と似たような伝統的な業種に、滋賀県ですと信楽の焼き物があります。他にも木桶などもありました。面白かったのが、自分の趣味が高じて、金魚鉢の金魚のフンの掃除の問題を陶器で解決するという特許申請中の事例を発表されていたもので、冷静になってお金儲けを考えた案件よりも、自分が直面している問題を自分の力で解決するような事例のほうが面白いなあと思いました。

事例発表のあとの懇親会ではビールが出るなど、交流の場としては大盛況の感じでした。朝から何も食べずにバタバタと駆けつけて、お疲れの林与も一杯いただきたかったのですが、ビールが出るとは知らずに車で行ってしまったので、ノンアルコールビールをいただきました。

交流会の場では光触媒という消臭効果を持つ技術を売りにされている社長さんとお話をさせていただきました。素材のベースがポリエステルということで、麻100%とは行かないのですが、技術屋であられる社長さんから1時間ほどお話で聞いたことは光触媒のことに関してだけでなくいろいろと役立つヒントが一杯でした。

あと、絆創膏も進化しているのを絆創膏メーカーさんからいただいた、セロハンテープのような絆創膏を実際に使ってみて思いました。普段、工場の中の仕事をしていて手を傷つけてしまうことがあるので、ガムテープで応急処置をしたりするのですが、それもあながち間違っていないのかもと思いました。ガーゼの入ったタイプよりもテープ式のほうがかさぶたが出来ず傷口も跡に残らないということでよいとのことです。
2013年02月26日
今日も朝からかなり冷え込んでいながらも、雪ではなく雨が振っていました。午前中には糸量の計算、午後からは27日午後にあるしが新事業ファンド交流会のためのパワーポイント資料の作成でいつもながら夕方5時過ぎのぎりぎりの提出。

夜は近江上布プリント柄の反物の写真を撮って新しい生地としてアップをいたしました。近江上布プリント柄をアップする際に気が付いたことが、あれ?、同じ版を使ってもプリントの仕上がり幅が微妙に違う。その部分に関してもどの工程が一番良いのだろうかと迷う要因のひとつです。

プリントや後染というのは外部に依存する部分が大きいのですが、普通の機屋というものは織るだけのところも多いので、プリントや後染のほうが、一般的な織物の世界なんだろうと思います。

先染ばかりではなく、プリントや後染の工程にも慣れていくことも必要なのかもしれないと思うことも多いのですが、リネン100%の場合、織ということだけで後染に差別化を図ることは難しいので後加工なども重要な要素になってくるのかと、今回の幅の違いの問題なども発見して、リネンにあるプラスの現象がもたらされた原因もそれに尽きるのではないのかと思ったりしました。
2013年02月25日
ジャガードを分解してセットしなおしたら、余計にキズが増えてしまって、以前もそんなことが有ったなあと思い出しました。綺麗に掃除をしたなら本来は、少しでも良くなっていないといけないのですが、なぜ、余計に悪くなるのか?

さらに分解して、その原因が分かりました。ジャガードの針が門紙に落ちるときに、16X80のたこ焼器のようなへこんだ中央の穴を通るのですが、その窪みの部分に糸の埃がジャガード織機の油で固まって埃の塊の中央を針が貫通しているような状態になっていたのです。そのため、少しでも戻したときの位置がずれていると、針が落ちないということになり、キズが増えることになるのだと思いついたのはよいのですが、これを直すとなると、徹底的に小さな穴の中のゴミを掃除してあげるしかないのです。

5時間以上掛けて、一枚の鉄板に空いていた小さな穴のすべてを綺麗に掃除してセットしようとしたら、縦針が2箇所、他とは違う感じでさらに原因の究明が必要です。だから、今日直してからキズがいろんなところで増えたのもうなずけます。最初半分くらいを私が直して残りを、新しい人に教えてやってもらったのですが、やっぱり失敗していたようです。

ジャガードの掃除も丸3日あれば、一人ででも、1台を綺麗に全部分解して掃除できるだろうと思いますが、そこまでやる時間がないので、今回も、縦針の部分だけの分解と掃除です。今回の掃除で、ジャガードに目飛びが出てなかなか直らないのは、縦針や横針などの消耗品が悪くなっているというよりも針の落ちる穴にゴミが溜まっているということが問題の可能性が高いことが浮上してきて、今度、夏の暇なときに一台づつ徹底的に分解掃除をしようと思います。
2013年02月24日
今日は、レピアの横糸が切れていないのに横糸切れのランプが付いて止まる問題で、こういうのって、調子が良かった台なはずで、調子まで出して置いていたのに、使う人によって、糸の通す場所を変えたりしてしまうので人為的な問題です。

織機の部品にしても、どれも同じと考えては駄目で、ちょっとした個体差で、調子はずいぶんと変わるものです。経験的なものである程度までは調節が出来るようになるのですが、経験が長いからといって調節が上手とも限らないのが、現実の世界、調節が上手な人と下手な人では、仕事のスピードの差ですまず、綺麗な仕事ができるか出来ないか、または、仕事というものができるか出来ないかくらいの差につながってきます。

ネジひとつにしても、外しても、元のネジ穴に戻すのが当たり前ですが、それが出来ない人がいると、織機は長持ちしません。大型のバキュームも使おうとするとホースが詰まっています。大きな木の棒が折れているのを吸い込んで無理やり押し込んでどうしようもありません。壊す人というのは修理できない人であることが多いので、修理の仕事も増えてしまいます。人が増えると助かることもありますが、余計に仕事が回らなくなることもありがちです。

今の時代、仕事はたくさんあるのですがそれを出来る人がいないといわれます。人というのは楽な仕事についてしまうと厳しい仕事に戻ることは難しいもので、本来、仕事を長く続けていると経験が増し仕事ももっとできるはずでしょうが、人というのは10代の後半から20代くらいがピークで、歳をとるごとに働けなくなるというより働かなくなるもので、一旦働かなくなると、それが元に戻ることはなかなかないもの。

日本国内ではそういう責任とか仕事の重荷を逃げる傾向にあり海外の人がものづくりの責任を担うようになり、日本人以上に仕事が上手になって来ているケースも増えています。
2013年02月24日
今日は、レピアの横糸が切れていないのに横糸切れのランプが付いて止まる問題で、こういうのって、調子が良かった台なはずで、調子まで出して置いていたのに、使う人によって、糸の通す場所を変えたりしてしまうので人為的な問題です。

織機の部品にしても、どれも同じと考えては駄目で、ちょっとした個体差で、調子はずいぶんと変わるものです。経験的なものである程度までは調節が出来るようになるのですが、経験が長いからといって調節が上手とも限らないのが、現実の世界、調節が上手な人と下手な人では、仕事のスピードの差ですまず、綺麗な仕事ができるか出来ないか、または、仕事というものができるか出来ないかくらいの差につながってきます。

ネジひとつにしても、外しても、元のネジ穴に戻すのが当たり前ですが、それが出来ない人がいると、織機は長持ちしません。大型のバキュームも使おうとするとホースが詰まっています。大きな木の棒が折れているのを吸い込んで無理やり押し込んでどうしようもありません。壊す人というのは修理できない人であることが多いので、修理の仕事も増えてしまいます。人が増えると助かることもありますが、余計に仕事が回らなくなることもありがちです。

今の時代、仕事はたくさんあるのですがそれを出来る人がいないといわれます。人というのは一度でも楽な仕事についてしまうと厳しい仕事に戻ることは難しいもので、本来、仕事を長く続けていると経験が増し仕事ももっとできるはずでしょうが、人というのは10代の後半から20代くらいがピークで、歳をとるごとに働けなくなるというより働かなくなるもので、一旦働かなくなるとそれが元に戻ることはなかなかないもの。

最近も国道など道路工事が多いのですが、寒い夜に一晩中、冷たい風に晒されながら道路の警備などの仕事のほうが、何倍もつらい仕事ではないのかと思います。よくある話が、自分はこの仕事が好きだからやっていると語られるかたが居られますが、それは幸せなことで仕事を仕事とすらも感じないものです。
2013年02月23日
ジャガード織機の針というのは、紋紙を無理やり戻そうとすると曲がってしまうことがあるのです。今日はその問題を解決すべく、針の交換を行いました。構造が理解できているとそれほど難しいことはないのですが、針を交換した後に針を押すカバーの位置などの微調整がうまく出来ないと、交換する前よりもジャガードの状態が悪くなります。

織機などをみていると機械工学の賜物で、エンジンという部分を除けば自動車と変わらんなあと思ったりします。原理は非常に簡単であとはどれだけ正しく動かすかと、設計による部品の耐久性のクリアと部品そのものの耐久性の問題だろうと思うのです。また、操作する人の技術というのも大事ですし、それを修理調整する人の微調整できる能力も大事です。織物が織れる織れないだけでなく、織機そのものを壊してしまうのです。

ひとつの織物だけをひとつの機械で織り続ける場合にはそれほど問題はないですが、いろいろな織物を織ろうとするといろいろな織機の問題が見えてきます。最近はリネンの細番手織物などを中心に織っていますが、同じ形の織機でも織れる織機と織れない織機があるのです。それは調整を限界まで同じに掛けてもたどり着けない個体差に近いものなのです。

小さなローラーのプラスチックの消耗をカバーするために調整をずらしている箇所があるとすると、本来はローラーのプラスチックを交換するべきなのですが、そのプラスチック部品が入手できないとなるとセカンドベストの方法で補わないとなりません。その辺りの妥協点と自分で解決する力こそが現実的な仕事なのですが、それを理解してもらうことが難しいのも事実です。部品は消耗するもので、交換するではなく、消耗する度合いに応じて調整も必要なのです。

ジャガードに掛かっているチェーンベルトなどもそうで、鋼鉄のベルトですが、使っているとだんだんと伸びてきます。それを、一駒ぶん、短くするなどして伸びた分をカバーしてあげるのです。新しいのを買い換えてする交換方法もありますが、それをやっていると厳密には、ひとつか二つの大きな仕事をしただけで交換作業が必要になります。

先日も、機料屋さんと話をしていると、昔の織機のほうが長持ちするということに尽きます。今の織機は一つ一つの部品からして消耗品の塊で、何十年も使うことを想定していないのです。このことは自分自身のものづくりにも注意しておかねばならないところだろうと思っています。
2013年02月22日
日本語の成り立ちをみていますと大らかさを感じます。ハタという言葉もバタバタと音がするところから、ハタという日本語が、秦の文字に当てられたのではないかと思います。機、旗、幡、波多、羽田など同じ言葉にいろいろな漢字を当てたり派生して使われていたあたりも、今とは違う、口で伝える言葉の文化があったのだろうといえます。

ものを書く文化ではなかったので、口頭での言い伝えで、本来の言葉も濁りながら意味も曖昧になりながら伝えられたものと思います。たとえば、私の身の回りの例ですが、倉庫のひとつがあるのがウワチ屋敷と呼ばれる場所なのですが、私自身、その場所にウハチという人が住んでいたからウワチ屋敷だとは思っていませんでした。ウワチというのは、ヤマタの大蛇みたいなもので、それが住んでいるイメージでウワチ屋敷だと思っていたので、歴史をたどったりすることがなければ、名称は引き継がれても本来の意味すらも分からないものです。今も、ウメ、お茶、柿の木が植えてあり、倉庫が建つ前は、それらがもっとたくさん植わっていて、動物の潜む小さな雑草林みたいな場所だと勘違いしていました。

遠い親戚にあたるウハチさんが誰なのかもしらない状態でも、ウワチ屋敷という言葉だけは、建物の場所を指すのに頻繁に使う言葉です。また、ウハチでなく、ウワチと変わったのも面白いところです。昔というのは、人々が家に篭ることも少なく、集落が丸ごと運命共同体のような存在であったであろうから、そういう口頭での伝承も数代に渡り語り継がれていったものと思います。

ここからは大らかさとは別の話ですが、ヤマタノオロチの神話に関しても、ある地域で稲作が始まって稲作の技術を縄文人に提供した弥生人である渡来8人が1年に一回年貢を納めさせるために山から降りてきたという感じではなかろうかと思います。なまはげと似ている伝説と似ている管理形態ではなかったかと思うのです。技術をもつ渡来人が自ら水田をつくることはなく、作らせた形こそが自然な考え方ではなかったろうかと思います。ヤマタのオロチの尻尾から刀が出てきたというのも、一人が実は日本の出雲の刀をもっていたということじゃないでしょうか。出雲の国、人里離れた場所である山に住むということからも渡来人の徐福一行の末裔の鉄工職人の影がちらつきます。
2013年02月21日
生成というのはもともとの色味を残してはいますが、リネンの生成ですら生ではないことは余り知られていのです。生の糸というのは天然の匂いがします。リネンの場合だと、秋の田刈りをしているときの藁のような匂いです。生成の糸なのになぜ匂いがしないのかというと、精錬という工程が施されているのです。精錬をされている糸を見ると同じ生成でも荒さがないもので、少しマーブルな感じの色味になります。

リネンの糸の生成の晒度合いも紡績メーカーによっていろいろです。メーカーによっては生成といってもかなりきつい晒を掛けた相当メローな色の生成もあるのです。どこまで晒を掛けるかで生成の色味というものは変わるものです。

生の状態に近い生成の糸も存在しないことはないのですが、湿った藁のような匂いがします。それが自然なのですが、それが良いかというと、それを織り上げ生地に洋服向けにそのままつかうと電車に乗った場合など周囲の人がどこから匂いがするのかと思われるでしょう。シルクなんかでも未精錬のシルクの糸というのは、ムッとした匂いがするのと同じで、そういう糸を使って織物を作る際には、どこかの工程で、その匂いを低減させることを考えていないとならないものです。

今日は、エジプトのリネン糸を使っていて久しぶりに藁のような匂いがしました。この糸も精錬工程を経ていないのでしょう。普段は匂いの問題のない糸ばかりをつかっているので、今日は、糸の品質には匂いという要素もあることを久しぶりに思い出しました。
2013年02月20日
米原にある伝統産業文化会館から長栄座ウィークに関してお知らせをいただきました。今回もロービーでの展示の形で出展をさせていただこうとおります。林与が地元で、PRするチャンスというのは逆に少ないもので、海外に対しては特にPRに力をいれて、日本の織物は、機屋それぞれが独創的なものであるというイメージを大事にしています。

本来、産地でも機屋ごとにデザインが異なり、機の規格も糸の規格も異なったものです。それは、自分自身で周りにある材料で織機から手作りしたり近くの大工や鍛冶屋さんに頼んで部品をあつらえていたのです。

たたら製鉄という世界的に古来からあるふいごを使ったたたら製鉄方法があります。日本の場合には、日本刀の製造の工程で使われる製鉄方法ですが、純度の高い砂鉄を使い、作業工程で不純物を取り除き純度を上げていくという手法で、古代の原始的に思われる人々が今のものづくりよりも良い製法をもっていたことには驚くべきなのです。

今の時代の製鉄よりも優れているというのはものづくりの本質に迫るほどのことが昔には行われていたということだといえます。人が働くということが良い物をつくる基本であるというところ大事だなあと思います。本来は麻に関しても、繊維をそのまま使用する形のほうが良い物になるはずなのです。紡績という手法は、高度に見えますが、簡単にものを作るための手法のひとつであるのです。

植物から長い繊維を取り出すことは、機械には難しく、人の力を必要とします。面白いことですが、養殖的に栽培された麻原料を使うのはセカンドベストで、自生している苧を使うことが本来の苧績の世界で、栽培ものよりも自生もののほうが価値があるのも人の手がより必要で事実なところ。
2013年02月19日
今の時代というのは両極だといわれています。忙しくして仕事をするのか、あるいは、仕事をしないのかのどちらか、出来る人と出来ない人との差というのも埋められないどうしようもない問題で、出来ない人がかわいそうなのかというと、できる人が常に出来ない人を支えて、2倍、3倍の仕事をしなければならないので、できる人ほどかわいそうに思えることが多いものです。

出来ない人を出来るようにするためには本人の意思が一番大事なのですが、何度も大きな同じ失敗が続いてもへっちゃらなタイプの人であることが多いので、いつまでたっても出来るようにはならないものなのです。これは、初心者も同じですが経験者でも同じことで、長年やっていると勘違いしてしまうことも多いもので、初心者が出来て、何十年もやっている人のほうができないという話もよく聞きます。
2013年02月18日
今日は朝から雪が吹雪いた感じで、2月らしいといえば2月らしいものです。一年のうちで雪が収まり掛ける2月が一番冷え込むというのは不思議といえば不思議ですが、地表温度というのは冬至から1ヶ月半くらいのギャップを持っている。太陽の光で、地球表面が心底冷えたり暖まるのに1ヶ月以上掛かるというのも面白いものです。

冷えることも必要なのは、生物が生きるということを考えてみると大事です。一年を超えて生きる生物というのがそれほど多くなく、昆虫なんかは一年でこの世を去っていくのです。スズメやツバメなども季節と連動して巣立ちます。逆のタイミングで生まれたとしたら食べるものもなく、生まれても消えていくしかないのです。

スズメにしてもツバメにしても、ひとつの巣から巣立つ日もほとんど同じというのは、自然の生物の規則正しさを感じます。一匹が動き始めると他のものも同じようについていくというのは、先日琵琶湖の湖畔でカイツブリの群れをみていて、わざわざついていかなくても良いだろうにと思うのは人間だけなのでしょう。そうしなければ、えさをうまく見つけることも出来ず、生きていくことすらもできないのが自然の世界なのだろうと思えます。

魚なんかが人影をみて逃げるのも当たり前に思いますが、南国では魚は人影をみても逃げないのです。人と接することのない魚ですらもが人を感じて逃げるのはDNAに刻まれているものと思うのです。飼われた犬なども、何代にも渡っておとなしいのもそれは、環境的な要因ではなく遺伝的な部分も大きく作用しているものと思います。

進化遺伝というものは加速傾向にあり、20万年前のアフリカの祖先から今の人類が進化しているとするなら、たった、20万年の間にこれほど文化を発展させることが出来うるなら、しかもこの1万年の進化というのはめまぐるしく、逆に人類の破滅につながることが予想されます。
2013年02月14日
私自身は、紀元前220年過ぎに日本に来た徐福が、弥生文化を持ち込んだというよりも弥生人で考えておるところです。

織物にしても親切に教えに来たのかというと、弥生人は言葉や技術を縄文人には教えなかったと考えるべきだと想像します。五穀百工の世界を日本で独占し続けながら、日本中を隈なく渡り歩き、国を拠点を作り上げ支配していったというのが、その拠点というのが神社だったのではなかろうかと思います。

同じ場所に大きな経済格差があると、生きていくことすらも難しくなるのは、たとえば、水利ひとつにしても裕福なものが自分のために作り上げ支配したときに貧しいものに分け与えられるのかというところです。国と呼ばれるものが形成始めると貨幣や納税義務が生じ、そこには法による身分制度が存在するものです。

徐福は、富士山に行き着いて、富士さんも古来は、福地山(福の子孫たちの住む場所)とか福慈山と表記されていました。3000人くらいで来たと伝説にはありますが、それを思うに邪馬台国を想像させます。志賀島では金印が見つかりましたが、倭奴国王ということで、徐福の子孫が王として君臨していた国ではなかったろうかと思われます。

なまはげ伝説なども徐福の一団であろうと思われるのも頷けるところで、また、神武天皇に関しても徐福像と被るところは多く、弥生時代を築き上げたのが弥生人としての徐福の一団であり日本人の祖となっている可能性は高いであろうと考えられます。技術なども伝来したというよりも異民族による支配が広がったというのが正しいところではないのかと思うのです。

人類がサルと枝分かれして進化したという進化論は宗教界から干され、天動説にしても宗教界から干されがちの歴史を持っておりますが、日本人の期限にしても徐福一団自身が新地である日本国内では隠そうとしても中国の文献に残り、始皇帝自身が実在したとなれば、徐福も実在であり、徐阜村も発見されましたが、徐福の一団が由来すらも隠し通さねばならない理由があり、広原広沢を得、王となり帰らなかったとされるのも、使者を中国に送りながらも場所を明かさず伝えたからだといえると思えます。

徐福は方士だったといわれ、技術に長けていたとされています。一方で、治世のためには、自身が国を作ったとするような神がかった過去を作り上げる必要を感じていたのではなかろうかと思います。また、武勇的な神話が残る必要があるのも、内部のつわものと戦うだけでなく、外部とのつわものと戦う危機と常に直面しており、神がその国を作り上げ守っているようなイメージで他国からの侵略をも防いだのではなかろうかと思うのです。それは強国の拡大欲におぼれた為政者の一番恐れるのは死することであり、神に刃向い呪いが掛かることを恐れるのとにています。日本でも悪いことをすると死後地獄に落ちるというような表現も同じような意味合いをもって人の欲というものに一定の節度を与える力をもっているものと思います。

インドに行ったときに感じたのは、国を作るためには人々の考え方を固定させることで、そのためには宗教というのは非常に大きな役割を果たすものと思いました。宗教が単に思想で終わらず、それに刃向うものは罰する要素まで持つことで、宗教がいつのまにか国を支える法となり強制力を持ち不可侵な身分社会の形成には、その宗教を信じる信じないは別にしても法にまでしてしまうと役立つのです。

インドでガンジーが崇拝されるのも、分かる気がします。多くの宗教家が俗化してしまうなかで、自分の命を捧げる覚悟で理想的な宗教像を追い求め、俗的な宗教家や為政者の真似のできない世界なのです。禁欲ならぬ金欲こそが宗教となってしまった現代宗教は手の付け所がなく、人の殺し合いにつながる大きな戦争までに発展します。

金欲に己惚れる現代的な宗教の原型が古代の宗教にあったのも事実で、宗教が人を救うというよりも多くの人に強いる性格を持つものであるのは、宗教が本来理想とすべき加味の存在を否定するもので、神の名にすがり、人々を苦しめ楽するところの世界で、国を制するものが権力に己惚れ、手に技術すらないものであればどうしようもないところなのです。

政治を目指すなら、法を整備するよりも、政治するべき神と思われるほどの能力の必要性がなければならないのです。
2013年02月10日
近江の名前の由来は、淡海であるということで近淡海だといわれていますが、近江は江州と呼ばれていました。江戸時代から中山道での物流以外に、海運による京都、大阪との取引が盛んでした。今の琵琶湖も実は干拓が行われ今の姿ではあります。

京都や大阪よりもものづくりに優れているのは、川上にあるからで水が綺麗だからという部分が大きいといえます。もちろん、京都や大阪にも清流はありますが、たくさんの都市の人口で分かつほどの量の水ではありません。冬の鈴鹿山麓には雪が積もり雪解けの水が4月くらいまで残り、上流であればあるほど天然の水というのはきれいなものです。
2013年02月08日
昨日の繊研新聞さんに、AQAブランドの小林社長のことが載っており、生地をつくらせいただいた林与のことも掲載していただきました。大きな記事でびっくりしましたが、小林氏の活動を業界メディアも大きく評価されてのことだろうと思います。林与のシャトル織機の写真も載っていました。

小林氏の最初の訪問のときに、私自身は、「大手生地商さんのもたれているストック生地を使われたほうが、1着づつ作る場合には、安く手に入るし、メーター単位で買われることが可能で動き易いからそうされたほうが良いです」、という親身なアドバイスをさせていただくところから始まりました。

それでも、林与の生地を使いたいといってくださったので、夢を持っておられるところに私も惹かれて動きたいなあと、1反ベースで新しい生地を作らせていただきました。私以上に、その熱い思いに共感をされて長浜の布工房DENの北山さんが動かれてリネンシャツは出来上がりました。

逃げ腰な方よりも、覚悟を決めて動かれている方というのは出来る限り応援したい気持ちになるもの。
2013年02月07日
今年の11月のジャパンクリエーションおよびPTJに伺ったときに、J FACTORYブースに出ておられた及川デニムさんとのお出会いがありました。林与が考えていたのは、林与のリネンデニムをいかに製品にするかのところでたまたまのお出会いでしたが、同じ年代であろう常務さんとお話してこの方にジーンズの縫製は任せたい思いました。

一点もののサンプルとして林与のリネンデニムジーンズが出来上がってまいりました。2日間履いてみると、思っていたとおりの効果で満足です。もうちょっと形を改良をすれば完璧になると思いますし、作り方を工夫すればよりその効果も増しそうです。

今年から春夏秋冬と林与のリネンデニム動き始めます。この素材は、実はインターテキスタイル上海と併設されて行われましたインターナショナルファブリックデザインコンテストで3位に入賞した作品で見た目も通常の綿デニムとは違う新鮮な感じがすると思います。林与の考えるリネンデニムの形ができあがりつつあります。セルビッジで登場させることを考えております。

麻機屋のつくるリネンデニムというのも、綿デニムのプロがつくるものと違ってまたよろしいんじゃあないでしょうか。
2013年02月06日
織物を作るときに値段を安くしたい場合に制約を取り除くことがひとつの方法です。1000mの注文だったら、少なくても良いのならものづくりが簡単になります。というのは、1000m分の糸を準備すれば良いからです。

通常は、1000mを作るときに1100m分とか織れるように糸を用意するのが普通で、大体理論値の20%から25%くらい多めに糸を用意します。最終1000mを確保できるように作ります。通常1割くらい余分につくることは見ておかないといけないのは麻織物のものづくりで、1000mが必要な場合、これを忘れると大きな問題を招きます。

たとえば、1000m注文を受けても、1000mぎりぎり織れるくらいの糸を用意して、最終、900mだったとかでOKだと、ものづくりが簡単になり費用も落とすことが出来ます。というのは、用意した糸を使い切ることができ、また、足りない分をもう一度つくる必要がないからです。もし、そこで、100mを作るとなると、1000mを作るのと同じくらいの時間が必要なことになります。ロットが小さくなるので、100mつくるのは1000mつくるのより難しいことも多いのです。

今日は、1000mの注文で900mでも良いですか、という方法での若干の値下げの提案をいたしました。ものづくりというのは、読めない要素を含んでいるということで、ものづくりじゃない人の考えというのは、当たり前に100のものが100つくれるという考え方なのです。数量に制約を設けると小さな特殊な仕事の場合、用意しないといけない余分の糸が3割とかときには5割膨れ上がります。
2013年02月04日
タペット織機は、織物の織機の中では高速化しやすく生産性の高い織機です。シャトルにしてもタペットのものは多いですが、エアジェットなどもタペットなのです。なぜ高速化できるかというと、ドビーやジャガードなどは、羽根の力で下方向にソウコウ枠を引き下げますが、タペットの場合には強制的にソウコウ枠を上下させる形になっています。

タペットも平織限定ではなく、ソウコウ枠を4枚から6枚取り付けたタイプのものは、綾組織のものなどを織ることが可能です。タペットの場合には、強制的に上下させるので、ひとつのソウコウ枠にたくさんの糸を通しても大丈夫ですが、ドビーの場合には枚数が少ないと一枚のソウコウ枠にたくさんの糸が通っているので、それをアンダーモーションと呼ばれる羽根で引き下げる必要がありますが、糸が多すぎると苦しくなってしまうので、平織物などでもソウコウ枚数を4枚とか8枚とかに通して、アンダーモーションへの負荷を減らします。

糸一本一本を扱えるジャガードは実は万能に思えるかも知れませんが万能ではないのです。平や単純な綾のものを居るときにはジャガードよりもドビーやタペットのほうが目飛びなども起こらずに良いのです。
2013年02月03日
今日は穏やかな一日春モードを感じます。日曜日ながらもサンプルを徹夜気味にクリア、平日できなかった出荷を頭を整理しながら10件ほど終えて、まだ、それでも10件ほど残っていて。サンプルというのは、織るだけでなく、データをすべて確認し管理しないといけないので、それにも非常に時間が掛かります。特に、急いでいるときには、自分の控えを織る時間がないので、手元から現物がなくなっても再現できるように、データを記録するのは、データの記入漏れがないか心配です。

ふと思い出して、林与というのは、5年ほど前までは林与織物という名前でした。先代がなくなり、私が会社を引き継いだときに、社名を「林与」に変更したのです。微妙な変更ながらも、印鑑を変えたり、封筒を変えたり、以外に登記上の書類の名前などをすべて変更するために、かなりのお金と時間も費やしました。いろいろと代替わりで仕事の面でもばたばたしていたことが多い中で社名変更というのは余計にややっこしいことに手を出しましたが、思い切って社名を変更したことは良かったなあと思うのです。

ばたばたとした中も、社名変更をした理由はいくつかあります。自分の時代には、業界だけでなく、一般の皆さんに名前を知ってもらおうと思っていましたので、そのときに、「林与織物」としってもらうのか、「林与」と知ってもらうのかでは大きな違いとなるだろうと考え、今しかないだろうと思ったのです。また、近江上布をやっていた頃にお祖父さんが作った「林与」ロゴを復活させようと思っていたので、社名も「林与織物」より「林与」のほうが良いだろうと思ったり。

他にも、急いでいるときに「林与織物」が言いにくかったり、書くのに時間が掛かったりと理由はいくつかありますが、会社の名前も変えるというのを自分でやってみて、仕事のことも自分自身が決めればよいだけのこと、誰の判断でもなく自分の判断なのだと思うのです。どうせ変えるならもっと目新しい名前に変えるべきだとのご意見もいただきましたが、あまり気づいてもらえないほどの変更です。外から見ると織物屋なので、「林与織物」のほうが分かりやすくて良いのかもしれません。
2013年02月02日
今日は、午後から加工工場の社長さんが加工に関する件で来てくださいました。いつも今の時期というのは仕事も残って忙しくされているものですが、今年は、アパレルの仕事はもう終わったようで、これからは、現物的な対応となる浴衣地や座布団を手がけられる時期になるのでしょう。