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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2018年1月
2018年1月
リネン日記:17
2018年01月30日
広幅絣織物の試織ために機材を考え、改良中。昔の近江上布のときの機材一式はほぼ残っているものの、広幅にするためと、また、自分ひとりでも全工程の作業をこなせるようにと、林与のシャトル織機を活用するということとの組み合わせを考えると、昔の機材では難しい。捺染台、捺染枠、蒸し器、型紙など、広幅に対応させるために独自に新しく作り上げる。

魅せるだけの作品つくりなら途中のことにこだわらなくても良いのだが、生地となったときに品質面でも、今の手捺染と同じ程度の堅牢度や再現性を持ちたいので一定レベルの品質はクリアできる工程を構築しないといけない。展示会などで魅せるだけの色がついていればよいだけのレベルと実際に長い間使ってもらうことを想定した商品レベルとでは、まったく完成度が異なる。

林与は、50年以上前は織物工場というだけでなく捺染工場、染色工場という側面も持っていたが、私自身は、昨年からまだ、1ヶ月ほどの捺染経験でしかない。
2018年01月29日
雪が解けて、近くの家の水道管が破裂。雪が降ると水道管が凍って水が出なくなって、ライフラインが止まることを経験する。手を洗うこともできないとか、お風呂に入れないとか、トイレが水が流れないとか、何年ぶりかの経験で、水が流れ出したときに水の大切さを思う。1日の辛抱なのだが、確実性がないときには焦りが生まれ、その待つ1日が苦痛そのものなのだが、また水が流れ出す。

思い出すのは、子供の頃の家の中の寒さ、雪に包まれた前栽には、鳥が食べ物を探しに来る。部屋の中の温もりは火鉢。大おじいさん大おばあさんの子供の時代からの厳しさを感じる。時間がたつのが遅く、遅く感じられる、厳しい冬。
2018年01月27日
私が、日本のものづくりを考えながらも、徐福を信じるのもものづくりが分かっているから、日本には世界で一番のものづくりが紀元前からあったのも、中国の秦の始皇帝の時代の世界でも最先端のものづくりが日本の2200年前のものづくりの基礎となっているから。日本の皇族が稲作と機織を宮中行事として継承されるのも整合してならないのだ。

日本の着物のことを呉服というけど、なぜ呉服なの。徐福が呉の国の出身で、それが日本に伝わったから。私が素直なのは、自分がとことん仕事していて一人でできる限界も感じているから、秦の始皇帝の時代の何千万人、何億人?が一生ものづくりした2200年前の世界最先端の技術が、今の日本のものづくりの基礎として2200年前に入ってきているから縄文時代の苧を縫う布から、織物に進化した。

日本の古代史にあがる卑弥呼ですら、シャーマニズムという先祖崇拝で、日本の神道と整合し、徐福の子孫であろうと思われる。卑弥呼が、中国からシャーマニズムとして嫌われたのも、中国からすらべ裏切り者である徐福の子孫を嫌ったあたりだろう。卑弥呼にしても大和王朝につながる皇族の流れのひとつであろうと織物という観点から見て思う。

平安時代の織物がまさに中国の織物で、遣唐使、遣隋使とかじゃなくて、縄文人は中国の南のほうから、弥生人が稲の分析からも徐福が皇族であろう可能性は高い。私自身、日本の織物の歴史に関しても素直に自分が織物やってるからわかるところあるし、認めることは認めないとと思う。日本の織物の歴史を考えたときに、結局、徐福にたどり着いてしまい、日本の神道や皇族の由来もそれと整合してしまう。人類はたどれば猿の異常種が濃くなって人類へと進化。近親相姦で猿と交わらなくなったことが人類への進化そのものだろう。人類へ進化する過程にも口うるさい一人の輩がいてそれを守ったから人類に進化したに過ぎないと思う。日本が日本として特色持っているのもそれと同じで、その今の日本文化の祖が徐福だったと思う。

国による人々の特異性の偏りというものはあって、日本人が従順で手先が器用というのは徐福の時代からはじまっているものと思われる。徐福というのは中国の複数の文献では秦の始皇帝の存在と同じレベルの史実として書かれているが、日本でまったくといってよいほど歴史にもあがらないのは、徐福自身が選んで、子孫たちに徐姓を名乗るなとしたことにある。これは秦の始皇帝また、末裔たちからの追跡を逃れるためで、秦の始皇帝と同じような文字を残さない方針を打ち立てたことにあろう。那の倭の国とか、邪馬台国や卑弥呼なんて呼称すら、中国の文献を元にしているから多くの支配されるような意味が含まれている。

古代日本は中国と交流がありつづけていた。本居解説による麻の語源となったヌサにしても奴佐(奴隷の国の貢物)から来ていて、古代日本が中国に使いを送って、その何倍ものものを貰った経緯があって、それに甘んじることが外交なのだ。世界を牛耳るのはどの時代も一人の人間で、今の時代ならトランプだろうというか、それをピエロのごとく牛耳るものたちだろう。イスラエルの問題などはトランプのようなビジネスマンの思想ではなく、トランプすらも裏の力に支配されているのを感じる。アメリカ国民の総意ですらもないところで、日本も支配しているアメリカが動いていて危機感を感じる。

アメリカが国連でも主張しているが、アメリカがナンバーワン、世界の警察国家みたいのは、奴隷制度を思わせる力での支配でしかないだろう。ISすらも話も聞かなくなったけど、世界を騒がせたISの本性や首謀者すらも明らかにならないで放置でアメリカが済ませてしまっているのが不思議すぎてならない。イスラム社会で、イスラムも認めないような資本主義的な傭兵を思わせるISが突然生まれ、急に何事もなかったかのように撤収したで住むのだろう。フセインが不在になって、より残虐なISのような不透明なものが湧きでてフセインの代わりにアメリカがそれに対応しているのかもしらないが、裏ではアメリカの好景気が警察国家や戦争で支えられている事実からしても歯止めが効かない怖さがある。戦争ビジネスがないと成り立たない平和というのも人の命と金儲けを天秤に掛ける悪徳な連中が支配する世界に過ぎない。
2018年01月24日
織物の仕事で食べて行くためには生産性が必要で、良いものを生み出そうとすると、良いものだけつくろうとしていればよいのではなくて、良いものをつくるための余力を生み出す必要があると思う。時間にしてもお金にしても技術にしても。

良いものを生み出すためには、簡単な普通の織物の仕事くらいテキパキとこなせないと、無理だろうと思う。ある伝統工芸の学生さんとお話したことがあって、織物じゃないがひとつのものを6ヶ月掛けて作るという。共感はする部分あるけど、趣味の世界で、仕事の厳しさが感じられないのが伝統工芸としては失格じゃないのかと。

私からすると、同じことを2日、3日でそれをやってみないか、そしてそれを繰り返して、半年で、50倍、60倍やってみたら、食べてゆける本物じゃないのかと。食べてゆくためには、6ヶ月掛けてこれをつくりましたじゃなくて、普通に仕事しながら、そういうものを追い求めないと食べて行くのも難しいのが当たり前。

年末年始手伝いに来てくれた手織り経験者の方が、林与の量産の世界が手織りよりも大変だという素直な印象。私も近江上布絣を広幅で再現するプロジェクトやってるけども、量産の仕事のほうが何倍もプレッシャーかかるし実は作業も高度。だからプロ向けというか、業者向けの仕事というのはみんな背負いきれずでできなくなって日本の麻織物の本場である近江湖東産地から麻織りが消えるのも当たり前。

先月も、先生とされる方にとことん覚悟決めてやりましょうよというと、その先生はスポンサーがいなくなればやめるとかで、私の知らない世界で先生でも、私からすれば子供なんだとおもうのがそこなんだわ。私も本気でやるなら付き合うけど、先生とされる方でもそこまでの覚悟がないのが残念で先生で終わってしまっているのだけど、業界や産地を支えてゆくのは自分がどこまで覚悟して仕事するかだけのこと。

海外の展示会に行くと、どこもが何千人規模の会社、その会社の方々が、日本のどこどこの仕事を請けてやっている話。でも、その方々が林与のこと別に思って商売を別にして素直に覚悟の面で白旗上げて応援くださる。日本だと知識で張り合うばかりで、自分が仕事もしないのに偉そうでつまらない人が多いのだ。今の日本のものづくりの一番駄目なところ。
2018年01月23日
今日は、機を載せ替え。載せ替えて織り出してみると筬割れが気になる。良い筬と交換するべきか、それとも修理するべきなのか、レピアの筬なら精密なので確実に交換するだろうけど、シャトルの筬なので修理しやすいので修理することにする。修理といってもドライヤーともうひとつ道具を使って、ドライヤーで鉄の筬の悪いところの上部を熱して樹脂を溶かして冷ますだけのこと。これで、開いたりしてしまった筬が、鉄が伸びて樹脂が溶けて、冷ますことで樹脂が固まり鉄も縮まりまっすぐになる。1時間半ほどの修理で、ほぼ完璧に元に戻った。こういう作業というのは特別難しいわけでもないけども、私自身時間がないのでなかなかじっくりとはできない。

仕事というのは、どうやるのかが分かっているだけだと何の意味もない。実際にやってそれが普通に続けられないと仕事としては成り立たない。現場では知識を持ってえらそうにしてもしかたないのだ、正しい織物が正しくできるように動けないとなんの意味もないという割りきりが大事で、誰かが自分のために準備してくれるのをまっていても仕方ない。

整経や織なんていうのも、1週間勉強すればあとは実践しかないだろう。最初の1週間に覚えたことを一生の仕事としているのが繊維の現場にありがち。どれだけ、実践したかが成果で、知識をつむのは遊びの部分。広い知識なんて必要はないので、目の前にあるひとつの仕事を確実にこなしてゆくことの繰り返し。問題にぶつかればそれを解決してゆくのが仕事、もちろん、よい先生?に出会えればよいだろうけど、大人がいつまでも子供のように教えてもらえるとは限らない。自分で失敗してでも正しい答えを見つけて行くのが問題解決の正しい方法で、それをすることで失敗を乗り越える力がつく。
2018年01月21日
今日は土曜日、一日工場に缶詰状態。リネンの細番手を織っている織機の調子をできるかぎりあげる。送り、開口と筬打ちのタイミング、あぜ棒、フレームの高さ調整、耳糸の調整、レピアを磨いたり、10箇所くらいの調整を掛ける。経切れで5cmも織れない状態がうまく織れる様になった。丸一日の調整、並行して糸を割ったり、他の台を織りながら。最後にインバーターを取り付けてスピードを落とすようにし、1割ほどスピードを落とすことで安定して織れる。

麻を広幅の織機で織ろうとすると問題なく織れるようにまでもっていくのは、手織りよりも大変だったりする。70点くらいまでは簡単なのだが、100点に近づけようとすると、70点までもっていく3倍くらいの集中力が必要で、絶対に動くと信じて調整を掛けてゆく。私自身の時間は限られているので、常に想定される問題の解決方法を短時間でやってみる。作業している途中で本当の原因が見つかることも多い。

織れるようになるためには織機をみるでなく、糸を見ることが必要で、糸を見ながら織機を調整してゆく。金曜の夜から始まって日曜日の朝まで、仕事する時間がなく、いつもじっくりと仕事できる時間がほしいと考えているので、時間がたっぷり使えることはありがたい。
2018年01月20日
はさみは使いようという言葉があるけど、私自身はほとんどどんなはさみでも糸を切ることができたりするのだが、林与の会社に来て、はさみを渡しても糸を切ることができないところから始まることが多い。何年も使い込んだはさみはシャープではなくて丸くて安全で、そういうはさみを使えるというのもコツのひとつ。

私自身も、普段の作業とは異なる何百倍の精度の修正作業をするときには、よく切れるはさみを使ったりする。そういうはさみはそれように良いはさみとしてとっておく。よく切れるがすべて良いとは限らず、角の丸いよく切れないはさみも、普段持ち歩いてつかうのには安全で便利なのである。あとは使う人次第だったりする。はさみだけでなく織機も同じで、使い込まれた織機というのはすべてが丸い。その丸い織機を使いこなせるのか使いこなせないのか。新しい部品なんかは角がある、新しいはさみと同じなのである。
2018年01月19日
今日は助成金の締め切りで、広幅絣織物で3年目の申請。この助成金では林与が最多回数もらっている2社のうち1社であるそうで、同じお金でできることが3倍になるので、活用させてもらって自分のやりたいなあと思っていたことができありがたいことである。平成30年度はこの助成金の最終年度で、活動できる期間が8ヶ月と限られていて、材料など準備するだけで3ヶ月くらいたってしまうので、実質5ヶ月ほどで答えとなる成果を出さないとならない。

通常の仕事でひとつの新しい企画は2年、3年掛けて構想を練って試作を繰り返し形にして、売れるところまで持ってゆく。林与の場合には、商品というよりも生地という素材の部分なので、検証できる期間が必要であったりするのである。素材というのは変化するので、何年かたったときに問題が見えてくることある。その予兆を感じることができないと試作ができたからすぐに販売に向けて動くと危うい。染色や加工が絡んでくると安全性の面なども検証が必要でそれを考えるのも素材開発の重要なところで、通常の物性検査では見えないことも多いので、実際に使ってみて問題がないのかなど判断をすることが多い。

ブランドの商品開発の方で、「○○つくりたいのだけど、どうやって作ったらよいの?」とかから商品開発を教えてほしいと頼まれることが多くそういう商品開発が一番困る形だったりするものである。正直な話、アパレルの方が麻のものをやりたいのだが麻のことは初めてなのでとかの場合、弊社の生地でなくてもよいので、最初、麻生地を数メートルでもどこかで何点か買って服をつくられてみてを勧めるが、それもされないと、後々問題だらけだろうなあと思う。

繊維の世界が怖いのは作っている会社自体が何十億円の問題でもへっちゃらだったりするところで、年商十億のビジネスが成り立っていたりする。年商100億の急成長のブランドでも数年後には倒産とか。展示会のときに、そんな会社の社長と数人の部下がブースにこられたけども、社長が電話されるならまだしも、部下の方が社長が頼んだサンプルまだですかいやならいいですよみたいなのとか、別の会社でも上の人が林与に挨拶にいってこいみたいな感じで展示会のブースにこられた下の方が、うちとは口座開くの難しいかもとか言い出されて、会社でも力のない社員様だったり。その方が窓口な以上は、もう上の方が頼まれても取引しませんがその時点で決定。

その会社からは別の担当の方から電話で、こちらが客側の立場で100万ほどの材料を買う電話での話だったけど、注文確定書は違う商品。気がつかなければ、弊社の御発注となる怖さ。担当したその会社の社員も自分が手元にないものをあるといって違うものを受注確定書で発送すると送ろうとするミス。いつも買ってほしいという上のものには後日笑い話で伝えたが、私がその社員のファックスを見逃がして原材料を加工工場で加工してしまったら何百万円の実損で、私の受注した仕事はアパレルにとっては1千万円とかの機会損失。斡旋したのが生地商社だったからよかったけど、私自身がそんなミスをして、生産できますと受注を受けたら、そこでその商社からもアパレルからも受注したじゃないの絶対に生産する義務がある話になるだろう。私がファックス1枚確認して気がついて何百万、何千万円の失敗を防いだケース。田舎だと家一軒買えるレベルの怖さ、素人だと本当に怖い世界。

在庫がないのに間違った話をしたその会社の担当も自分が間違っていたことを悪びれる様子もないのが怖いレベルで、年商何百億の会社でもそんなものというの腹がたつ。数年前に、原材料の海外メーカーとその会社の取引の前に、その海外の原材料メーカーから林与にリファレンス依頼があって私が日本の繊維業界でも優良企業だからとその日本の会社をアプルーバルしたのが私だったから余計に腹が立ち、自分の責任だと感じるところがある。その営業マンが他に同じようなことをしていないかが案じられる。上のかたも、その会社も、うちからも買ってほしいといわれるけど買ってみると一番簡単なところでどうしようもないことにつながる危なさ。請けていない仕事だったので笑い話ですんだが、請けてしまって原材料を加工し届いてはじめて気がつくのが数ヶ月あとなら大問題。分かってて間違ったもの押し込んでくるタイプは一番困る。
2018年01月15日
ムーミンがセンター試験に登場したという話だが、クイズ番組かよと思える内容。センター試験というからには、高校の教科書にムーミンが載っていないと不公平が起こる。誰もが日本人だとテレビを観ているという想定があるのだろうけども、親がムーミンを子供に見せない家庭だってあるだろう。ムーミンを授業で教える高校があるのかというあたりに尽きる。

問題作成者は、たぶん私くらいの世代で、昔、アニメを見ていて常識のひとつで、面白い問題だと思っているのだろうけど。これが答えられない受験生にとっては、なんでこんなのが大学受験に必要なのかというあたりだろう。適切不適切の判断力がない人間が問題を作成している。大先生タイプの人にはこういう人が多い。

昔、大学の数学の一般教養の問題で、私は100点とったことがあるけど、それがむちゃくちゃな問題で、計算じゃなく、雑学程度の問題2問を、完結に書けで、1行づつ20文字程度でそれぞれ答え書いた。私は100点とれたがあれでは駄目。0点の子がかわいそう。京都大学の先生だった人らしく、人気講義で1000人近くが受講者となったが、他大学の学生のことなんてどうでも良い先生だったと思う。

しかしながら、これが社会の縮図なのかもしれないと思うことも多い。ファッション関係でもその場限りのブームが多く、正しく仕事をしていてもお金にならないことが多い。正しい答えがその場の状況で変わることが多いし、計画どおりの結果になることはほとんどないだろう。採点する相手次第で、100点にもなれば、0点にもなる。ムーミンの問題の正誤より、ムーミンの出すのはどうなんかなあという感覚が実社会的な問題。
2018年01月13日
整経機が止まらなかった原因の可能性で、3つくらいの原因が考えられ、そのうちのひとつの問題ではないかと想定し、整経機に調整を掛ける。微妙なことなのだが、これが機械、問題がなかったかのように普通に止まる。

機屋さんからの相談に整経をしてくれるところがないという相談が年に何件かあるが、場所があるなら整経機を自分で入れて整経も自分でされるほうが、小回りが利いて将来性もあってよいだろうと思う。それをやられるところが少ないのが不思議なくらいだが、整経機を入れたら入れたでこのような問題があったときに、誰が解決できるのかというと、部品は手に入るかもしれないが、微調整などは自分でやらないと駄目な部分がある。

機屋にしても、織るという一番簡単な作業はできても、織機の簡単な調整ができなくて、みんなこの部分ができなくて、廃業に追い込まれるのだ。工場長をしてもらってた何十年の経験のあるおじさんでも60半ば過ぎると最後は、1分でできるレピアオープナーの位置の調整もできなくなり、私にどうやってやるのとたずねる。そういう傾向は、だれも働いている人なら、慣れて自分がやっている気持ちになった30過ぎからあるだろう。そこからは作業も落ちて行くばかりになる。

ひとつの要因なら簡単だが、2つ3つの要因が重なると調整は、3倍から10数倍難しくなる。これを乗り越えることが何十年の経験者でも難しく、織機がまともに動かない問題があると仕事も受けると危うくなる。日本では織機メーカーが消えて、だれも織機の動きを保障できるものはいなくなり、自己責任で機屋が動かしている。日本ではレピアヘッドひとつが7万、8万でバンドもいれると10万するけど、中国だと2000円から3000円でバンドも含めて新品が手に入る。

この考え方は機械だけにとどまらず、日本の繊維業界というのは人を育てたり生かそうと努力をする。海外は欧米にせよ、中国などにせよ、人も交換して対応のことが多い。日本だとそういう修理や調整ができないと働く人としては難しい問題がある。日本のレピア織機など、鉄の価格が下がって中古だと自動車と同じでマイナスの評価しかない。シャトル織機も重要な交換パーツが手に入りにくくなり、もうすぐそれに近い状態になるのではないかと思われる。

ある場所に入ったシャトル織機も動かせるようにするために、自社の入れただけでは問題が多すぎてまったく雨後かないシャトル織機と同じように、的確な調整を必要とする。ある場所から買っていれたシャトル織機は、その工場では入れて一度も動かなかったという、よく分かる話で、林与に来て経験のある職人さんにさわってもらっても動かず10cmもまともに織れない。つかんだら会社が潰れる話から始まる。

過去に10台入れた織機も9台がまともに動かないとか。そういう原因を究明する力がなければ仕事を受けていたとしたらその時点で廃業になる話。そういうのを乗り越える力がないと難しい。昔と違うのはそこで昔の人以上に今の人というのは総合的な能力を必要とされる。

2018年01月09日
今日は午後から京都、染料店で買い物したあと、卒業展示を観に四条河原町へ、そのあと藤井大丸、錦市場へ寄って、夕方会社に戻る。京都は学生時代に住んでいたのでなじみがあるのだが、学生時代に立ち寄るところとは今は別の場所が京都の目的となる。京都というのはやはり昔からの都で場所が限られている。

人の集まる限られた空間を選ぶのか、人の少ない広い空間を選ぶのか、どちらを選んだほうが自分にとってよいのかという選択になろう。その選択がライフスタイルの選択となる。価値観も変わるだろう、移り行くものを追うことになるのか、同じものを見つめることになるのか。

いろんなものがあるのが魅力だったり、何にもないのが魅力だったり。自分に一番あった場所を見つけることがよいのだろうと思う。それは場所なのか人なのか、ものごとなのか。自分に合った場所を見つけることができなければ作り出すとかも大事だろう。自分で自分のいる場所を作り出せる人というのは幸せなんだろうと思う。

外を探し求めることが大事じゃなくて、自分で生み出してゆくことが意味のあることと気がつくと、自分の価値観でものごとをやっている人というのはそれだけで大きな意味のあることというよりも、それがすべての価値観を生み出す大きな要因なんだろうと思う。

人々は完璧なものを求めるのに、オーガニックのような不完全なものを求めようとする。オーガニックが完璧かといえば、完璧なオーガニックというのは、その考え方自体がオーガニックじゃない。ありのままを受け入れるを基本にして人の努力の積み重ねで完璧に近づけようとすることを評価する。完璧なものを追い求めれば、ラベルだけで中身は別物ということになりがちなのがオーガニックの世界。リネンをやっていると生成やオフ白が、原料のロットによって色ブレがある。それを否定する考えもあるけども、それを許容する考えが消えてしまえば、オーガニックと反対の化学的なものづくり。

生成の色がぶれるのが嫌ならベージュに染めて、オフ白が嫌なら塩素系の本晒にすれば解決だが、オーガニックの良いところは揺らぎで、自然要因に左右されるあたり。林与のナチュラル仕上げも洗い加減、干し加減などに左右されお客さんが困られるれるけど、それがオーガニックな加工の結果。機械で矯正じゃない天然の要素と人の要素で裁断や縫製にはご迷惑かけますが、同じように人の力でなんとか最終形にもっていってもらいたい気持ち。オーガニックは、仕事だけの気持ちでやったらまともなものを出来上がらないのも、人の覚悟と人への優しさ、お客様への正直さが必要なオーガニックな世界。
2018年01月06日
今日は午前中に1週間寒い中現場に入って仕事を覚えてもらった方をお送りして、午後から仕事。仕事よりも寒さが厳しかった今時の仕事。そんな時期にきてもらって仕事手伝いながら仕事覚えてもらって林与も助かりました。

今日の午後、今年初めての大問題が発生、整経機の最後の1バンドをまわして買い物に出かけて、その織機がカウンターが来ても止まらず、最後の1バンドがいままで整経した全体の上に覆いかぶさって巻かれてしまう形。3000回転以上してしまって、それを復旧しないといけない。何十キロも糸を使ってしまっているので、全滅だけは避けたい。とりあえず、端のほうから反対回転にして解いてゆく、整経の1バンドの終わりは必ず、結んであるので、その結んであるのを目印にその結び目の上に載っている糸は基本全部とりのぞいてよい糸。

3000回転ともなると、解きながらまわすのには、1日は掛かるだろう作業。整経機に建てた糸もほとんどなくなってしまって、それも復活しないといけない。これも半日掛かる作業。まだ、連休中のできごとでよかった。平日だと他のことに追われて落ち着いて直すことも考えられないだろう。

整経機が止まらないのはソレノイドか、リレーに問題があるのだろう。その現象は過去にも起きているので、再調整が必要で、止まらないといけないものがたまに止まらないということは、注意しておかないとそれが原因で何日も時間が消えてしまうことになる。
2018年01月05日
昨日は、体験5日目でシャトル織機は安定的に一人でほぼ並行して3台4台動かせるようになって、飲み込みの速さを感じる。あと手の空いたときに掃除してくれたり、シャトルの管巻きをできるようになって、昨日は経て繋ぎの残りもシャトル織機を動かしながら。手織りをされていたということで経て繋ぎをされていたと思っていたのだが、毎回、へ通しして筬と通しして織りはじめておられたということで、経て繋ぎは今回がはじめての経験ということ。

コツをつかまれるまでが時間が掛かるのだといわれ、ちょっと心配をしたが、600本くらいだろうか完走されてへとへとにもなっておられないので、シャトル織機も動かしながらなのではじめて経て繋ぎをされた方としてはすごく向いておられる。一本も間違いもなく作業も進めておられるので立派。

最後に、夜は2時間ほど整経の作業。建てた整経の糸を前まで綺麗にもってきて、整経の筬通しまで。筬通しも完走。手織りでカイコを育てるところから手織りで織物を織るところまでを経験されていたのと、洋服をつくられる方なので、総合力があるのだろう。コツをつかまれるまでが時間が掛かることがあるけども、私の一番早いと思うやり方を教えるとそのまま覚えてくれるのでコツさえつかんでもらえると私の3分の1から半分くらいの作業スピードには到達で、最適な無駄の少ない手順を忠実にマスターなので結構綺麗で早い。今までの手を動かされていた経験がはじめてのことにも生きている。

贅沢ばかり言うと伝統工芸とか丁寧な仕事の世界の方にありがちなペースの遅さを感じ、それを発破かけてスピードアップしてもらうのが私の仕事、正しいままにマキシマイズすることで今できていることの生産性があがり余力が生まれて同じ時間でもより高度なことをできるようになり、特別の高度なものづくりの世界に到達できるのだという、私のものづくり哲学。単純作業がすばやくできないで高度な作業は難しく、単純作業に慣れてしまって伸白のない職人というのは何十年の経験があっても、簡単な仕事も面倒だとか苦手だとかで後回しになることが多く、目の前の必要なことが仕事にならないという仕事に対する甘さが出て仕事として成り立たなくなる。やればよいだけのことなのにやらないという職人にありがちな体質。それこそが食べてゆけない本質で、仕事があっても前に進まないとか仕事が完結しない原因で、頭の中で分かっているとか知っているだけで手や体が動かずうぬぼれてしまって終わり。

私が先代に対して厳しいのも、体や手が正しく動かせず、経営者感覚で人に頼んでこの仕事は無理というところ。職人たちが単純作業に満足してしまってそれを自分が食べさせているというようなばかげた錯覚が、できることもやらない素人未満のものづくりにつながる。知っているだけで満足するのは先生や専門家、学生の世界、実際に形にして成り立たせてゆくのが一番難しいところで、商売で常に悩むのが技術じゃなくて、人の問題なのである。だから機械化するとか単純化するとかの方向に向かうのだろうけど、先進国なら人が高度なことを当たり前にできないといけないのだと思うが、単純なことも面倒がって働くことも嫌がるレベルでは、一般的に見下してしまう新興国の正しく早いものづくりに追い越されて当たり前。

中国の何千人企業の現場を見せていただいたことがある。設備は日本よりも劣っているか同等程度だが、何千人企業の一人一人の仕事の動きが日本人以上の正確さと速さがあり、自分がした仕事に対しての責任感を持っている。ほんと能力があってホワイトなのであるが、それが中国でも成り立たなくなってきている。日本だとその世界はブラックだとされる感覚。甘い汁を吸って搾取している人からすれば自分を正当化するために、満足もせずに吸い上げて、労使間での対立を生む。中国のその企業にしても繊維のなかでは一番くらいの優良な企業だろうけど優良な企業になればなるほどに限界までの優良な待遇をされていて、限界を感じられている。

中国の何千人、何十億円企業の社長が、朝、6時起きとかして朝食も食べず8時にホテルに迎えにきてくれたが、7時ころに朝食を外に食べに出て私の一行が不在で、その社長はホテルの15元日本円にすると250円の朝食が普通で従業員たちを支えられている。だからまだその企業は回っているのを感じる。帰り駅まで送ってもらったその会社でもドライバーをしていた身内だろうか、古参のものというのは待遇も恵まれているのに態度も悪く、そういう社長に対して、自分が上であるかのような社長を見下すような失礼きわまる振るまい、頭がいたいのも分かる。外のお客さんにしても失礼きわまる面倒な対応で自分が会社を仕切っているかのような態度。中国でも悩みは一緒なのだなあと苦労を感じた。本当の敵が中にいるかのような状態では、お客さん下さったより仕事すらもうまく回らないだろう。

私自身もタイミングもチャンスもめぐってよい仕事があったときに、前もって約束ももらっていたのだが、実際に具体的な仕事になると仕事をもったいぶられてしまったことがあって、「勝手にさわるな、いやなら自分で織れ」といわれ、結局、シャトル織機を自分の会社に入れることになった。何十年の経験の人が仕事があって仕事を邪魔することでえらそうにしても、仕事というのは毎日当たり前にこなしていかないと無理なのである。その年は、半年でご夫婦に工賃として1千万円支払えるような仕事だったのだが、そういう仕事というのはその分責任も重く、最初の見本ひとつが2ヶ月こちらが織れる前まで準備もしても織ってくれないような状況では、仕事をやってもらうのは無理だと判断、急遽、林与の会社にシャトル織機を探して入れることになった。何十年の方々が食べて行けなくなっているのに、そういう方々の言うことを聞いてやっていても成り立たないのは当たり前で、成り立たないには成り立たない理由がある。初心に戻ってちゃんと仕事をするところからはじめないといけないのである。
2018年01月04日
自動運転になると人々の運転能力は退化すると思う。手織りとかだと自分の責任だけど。力織機になると織機の責任にしてしまうから。たとえば、今も能登川駅近くのレール下は、車同士がすれ違えるかすれ違えないかの状況、電動ミラーをたたむ必要すらある。普通自動運転の状況だと、前から車がくれば通れないという判断をすることになるだろう。実際、大きなトラックが前からくれば完全に通れない。

これと似た状況が、工事現場。カーナビにも登録されていないし、人が旗を振っているだけの状況。人が旗をふって行きなさいとか止まりなさいを人がどこにいるのかなんてのもAIが判断するのだろうけども、判断ミスはもちろんあるだろう。片側通行で正面衝突事故につながる。危険な状況か危険でない状況なのかを切り分ける必要性。

面倒くさい者が勝ってしまうような状況をつくれば駄目だろう。たとえば、1車線の道で、自動運転の車と人が運転する車。自動運転の車は止まるだろうけど、バックして譲ることが可能かどうか。自動運転の車に乗っている人はややこしいことにちゃんと対応できるかというと対応しにくくなってて、相手がバックして譲ってくれるのを待つだろう。なんとなく織機を修理するのと似ていて、普段調子よく動いていて動かなくなったときにそれが何が原因なのかまず分からないのが普通で、自動化すると織機を修理する力が必要となってくる。

手機のときには単純な機構で人が織っていたから織機の問題は少ないが、自動化すると複雑なメカニズムを持つことになり、その面倒をみるのが織機を扱う人の仕事となる。素人でも織れるレピア織機というのは、調子よく織れているときには簡単なのだが、なかが電気でセンサーがたくさんついていて動かなくなったときに電気的な働きが見えないのでなにが原因なのかわからない問題がある。今まではなにかおかしいときに自分のなかの原因を探すのに機械が悪いという結論に達してしまうことも多いだろう。

自動運転の車の行動を読むメカニズムが必要で、今はいろんなメーカーが自由に自動運転車を開発できるが、自動運転のシェアが大きくなったときには、今のコンピュータのように、中の制御プログラムは、ウィンドウズのOSとかアップルOSかみたいに1社2社に収束してゆくだろう。自動運転車同士のプログラミングが見え、協調性をとっていないと、交通システムが動かない状況に陥る。数台が協調して動き解決しないといけない必要のある交通事情もあるから。人が自動運転の車の行動を理解しないといけないというのは厳しい話である。自動運転車は人が運転する車に道を譲らないといけないルールか、人が運転する車は自動運転車に道を譲らないといけないルールが存在しないといけないような、何が正しいのかを定義するルールの必要性がでてくるであろう。あと緊急自動車への対応もできるのかとか。

テスラの死亡事故問題でドライバーが警告があったのに手をハンドルから離したままだったからドライバーの責任だとテスラはしているが、結局、車が安全に自動運転で走ってくれていればいるほどそういう人は増えてくるだろう、織機でも自動で動いている織機を人が問題が起こったらいつでも止められるようにストップボタンに手を掛けていろ、みたいな状態は逆に苦痛だから。自動車を自分で運転するのも苦痛になるようだと運転しないほうがましなのではないかと思うのは私だけだろうか。
2018年01月03日
大津の分譲マンションで手抜き工事でディベロッパーが施工会社と裁判している件を知った。他にも家を改築するときなど手抜き工事で住むことも難しくなるケースもあるようだ。建物の場合、見えないところが多く、寄せ集めの外注業者が携わるため、最終が何千万とか、何億円のことでもそれを分業して受ける業者からすると日当をどう浮かすかとか、どうコストを落として利幅を増やすかが仕事となっているようで、話し合いなどでも、1年とか10年で崩壊するということは今までないからというような言葉が返ってくる。

働き方の問題で、普通の人間が週に40時間働くらいで、本当のプロになれるのかというと、10年たっても20年たっても素人なのかもしれない。人が何十年も住むようなものをつくろうとすれば、よほど仕事に力を注げるプロが集まって作る必要がある。手抜き建築では、家の柱が5cm足りないときにどうするかというと、新しい柱を用意するではなく、その隙間に5cmほど木の下駄を履かせることで解決。土台が地盤沈下して土台と柱が離れても、そこの隙間に何か噛ますだけとか。日曜大工レベル以下の工事を一級建築士たちがやってしまって、ばれてもどう逃げるか。ビス釘のほとんどが斜めにえがんでまともにまっすぐ奥まで打てないような耐震工事とか、現場は厳しくしないといけないのに厳しくもできずに素人の日曜大工未満。

大手の業者に頼んで下請け業者が来て仕事するときには手抜き工事になりやすく、地元の大工さんの仕事のほうがプロの仕事を期待できる。衣食住に関して、現場はなにか問題があっても十分働くこともできない状況で素人以下の仕事になりつつある。建築だと分解しないと見えない部分だからばれにくいので横行する。食品でも偽装がうたい文句になることが多い。神戸牛偽装も、こともあろうか農業のプロでないといけないはずの全農兵庫JAの直営レストランがやってしまった。神戸に来たから神戸牛を食べようと思った人が多いだろう。但馬牛の中のよりすぐりの最高峰が神戸牛ということだから最高峰のイメージで顧客の心をつかみながらランクが下とされる一般的な但馬牛を出してしまった。面白いことだが、但馬牛に最初からしておいたらよいものの神戸牛と冠を打って神戸に来た人々の心をひきつける。

今回の偽造とは関係ないけど、但馬より神戸のほうが上なのか、産地である但馬の名前ほうが産地でない神戸より上だろうとおもうけど、基本そこから変な流れだと思う。神戸で育てていないのに神戸牛だと、神戸で育てたみたいなネーミングで、消費者は神戸産じゃないの?の気分だろう。でも、神戸の本店を閉店の選択で、今回の事態を真摯に受けてとめておられるのは再開してほしい気になる。

林与が、本麻織物やリネン100%織物にこだわるのも、日本の麻織物の産地で織られる麻織物を作り続けておきたいから、最近は結構苦戦を強いられることが多いですが、1時間1mとか2mのペースで地道に織りを進めています。
2018年01月02日
今日は夜に整経の巻取の作業。荒巻ドラムに巻いた糸をビームに巻くのだが、シャトル織機が右ハンドルでヒガエが左側にあるので、シャトルの糸がシャトルから出てくるのが中心よりも右寄りになる。具体的には織機の中心よりも糸の中心は13cmほど右にずれることになる。これが曲者で、織物の幅が狭く、整経の回数が多いと巻き取り位置がどうしても左側になってしまうので、この糸のセンターラインを切って織物の端が左側に割り込むと理論的に片四と呼ばれるシャトル織機では織れないことになる。

これをクリアするためにできることはいくつかはあるのだが、ひとつは、反対用のシャトルを使うこと。ヒガエのない織物だとこれで解決できることが多い。でも、今回は巻き取りを反対回転で巻いて、ビームをひっくり返すということで、ビームの巻き取り位置を右側にずらすことにした。

このときに、なぜ座布団の会社では巻取りの回転が逆なのかに気がついた。整経機は幅が広く、織物は座布団なので幅が狭い。たくさん巻くと同じ問題が起こって、右と左のシャトル織機を使っている機場では、逆回転でないと巻取りが難しいことになるからではないのかと推測した。逆回転の場合には、便利なこともあるが、一番怖いのは髪の毛の長い人やエプロンの裾などが巻き取る糸に吸い込まれる危険性があることで、昔、ある座布団工場では巻き取り作業で女性が3人亡くなっているという怖い話。

現場というのは厳しくするとついて来てくれないかもしれないが、厳しく言って常に言うことを聞いてもらっていないと、失敗が多いだけでなく、不注意な状態では怪我をしたりすることも多くなる。厳しくするなみたいな仕事スタイルがどれほど働いているものの危険認識を低下させるか、ゆるい気持ちで仕事をして大怪我をしてからでは遅いのである。織物の仕事は危険といってもスポーツと同じ程度だろう。シャトルが飛び出すのはゴルフのボールが飛んでくるのと同じことであり、ゴルフのスイングは周囲の安全を確認してからするとかそういうレベルの話なのである。水泳とかのほうが溺れ死ぬこともあるので危険ではある。

織機を扱うときにも、最初多いのが、動作ボタンの上に手を置いたり乗せたまま、他の人が作業をしているのを見ているとか。そういうのが気がつかないと体重が掛かっただけで急に機械が動き出すから危ないのだということを説明しないと、初めて織機を使う人や見学の人がやってしまうことの多い危険。シャトル織機に関しても動いているシャトル織機からシャトルが飛び出す可能性を常に考えて立ち位置なども大事である。こういう心配性なことを現場の人に注意するとうるさそうにする人もいるけどそういう人は現場には向かない。なにごとも注意していれば安全なのだが、軽く考えていると一回の事故が大きなこととなる可能性がある。また、一台の織機を二人で分業でするのが、楽しく仕事ができるので、はじめての人に多いのだがこれも本当に危険で、織機はできるかぎり一人が動いて一人で作業するように注意することが多い。例外的に二人でする作業もあるけどもそのときには完全に織機を動かさない想定での作業のときだけ。

今日の巻き取りはなんとか最後のほうまで巻き取り、初めてのことだったがモーターの回転を反対にしてうまく巻き取ることができた。そのほか、今日はチーズワインダーの場所の蛍光灯をLEDに交換、グロータイプなので、グロー球をはずすだけでそのままLED蛍光灯が使える。センサーLEDにしたので使っていないときは消灯の節電タイプ。前よりもかなり明るくなってかせをチーズアップする。
2018年01月01日
あけましておめでとうございます。昨晩、横浜に住んでいる弟が帰省して久しぶりにあう。昨晩は早く寝て万全の体調で新年、毎年よりも好調なスタート。朝8時から今年の仕事が始まる。1月5日が仕事はじめのところが多いので、1月5日の加工出しを目標にいろいろな仕事を織り進める。

昨日は、シャトルの管や木管を裸にする機械(名前ありません)のVベルトが切れていたので、それを補修するためにVベルトをコメリに買いにいった。Vベルトは農業用の機械にも使われているので汎用部品としてコメリのような日曜大工センターにも売っている。コメリで買うものは値段は手ごろであるけどもやはり強度が低いなあと思うことが多く、工業機械専門のお店で買うほうがミツビシとかのしっかりしたものが手に入る。ミツビシのVベルトも以前は国産だったのだが、今は海外さんになって安くなったが残念に思う。

日本というのは品質重視だったので、日本製よりも海外製がよければ海外製のものを高くても使っていたのだが、日本のものづくりが消えてしまった感がある。部品の材料にしても神戸製鋼の問題なんかも大いに絡んでいて特注に謳っていようが実質はJIS規格程度のものしか手に入らなくなってきた。日曜大工につかえても何十年も使う産業用部品としては耐久性がまったく足りないのである。日本のものづくりが部品から海外さんに移行してゆくと機械からして海外の水準と並んでしまう。部品からして一番よいものが海外産ということになりつつあるのだ。

海外の人のほうが働く意欲をもって正しく働いていることが増えもはや追い越されてゆくのは仕方のないことだろうと思う。アメリカナイズドされてしまうと、日本も政治力で押し売りや戦争で取り返すしかない体質になってしまう。もし、タカタのエアバックがメキシコ製でなくてアメリカ製だったなら、タカタも批判されることはなかっただろう。アメリカナイズドされるためにはアメリカと同じように政治的には自由貿易ではなく保護貿易を主張しないと難しいだろう。ほかのメーカーのエアバックでも死者は絶対に出ているはずだろうが一切封印されている。他社製はロケットに使う爆薬が使われているのだから。ロケットの発射よりは低いが失敗はつきもの。

現実の認識が大事で、日本人は狂牛病のときも全頭検査で1頭も許さない姿勢で農家を責めるほどの安全性が基本。一方でアメリカの狂牛病の牛は確率的に安全と危険ゼロでないものを輸入するようなダブルスタンダードで日本とアメリカの関係はなりたっている。アメリカの牛肉は危険と政府もいうべきなのだが、日本の政治自体があってないようなものなのでそこに期待してもしかたないだろう。繊維でも同じで、日本製には厳しい基準があり責任を求められるが、海外製品には甘い基準と責任を求めない形で流通してしまう。日本の政治の場合、海外に対しての捜査権などないので輸入品に関しては何が事実なのかを調べることすら不可能なのである。

ヨーロッパでのアゾ染料規制に引っかかった事例としては、中国製品、インド製品が多く、フランスやドイツ原産も見受けられ、日本はない。輸入品を調べれば、世界ではよく使われている染料だけに、たくさん引っかかっているだろうと思う。アゾ染料の代表であるナフトール染料というのはオレンジ系の赤い色などがきれいに染まる特徴がある。今も、アジア諸国の工房レベルでは使っているところも多いだろうと想像できる。

ナフトール染料も日本でも過去には何十年も使われてきた染料で、今更、危険性を煽るほどのものなのかと思うところもあるのだが、世界的な染料メーカーの力関係なども影響しているのかもしれない。ある世界的に有名な家庭製品を販売するアメリカメーカーの開発などの目的でも、手軽さや安さが重視されて市場シェアを狙いにいくような開発を追い求めているので新しく出てきた技術には常に同じような危険性は伴う。規制がないだけでシェアを伸ばしたときに安全性が疑問視されて、規制ができてひかかるまでが儲けるちゃんすみたいな。日本のシロアリ駆除のPCB規制でも同じようなこと。家にPCBを1980年くらいまでは巻いていたのに、今はPCBを諸悪の根源のように一切許さないみたいなオールオアナッシングのような無知なる啓蒙は人々の健康を守るためにも駄目だろう。