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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年8月
リネン日記:24
2016年08月30日
今日は、夕方から京都の料亭でミラノウニカに向けての初会合。たまたま地元の組合の皆さんと電車で合流でき林与は遅れることもなくに普通に到着。いつも準備足らずなんでちゃんと行けてよかった。会合では、浜松の鈴木晒さん以外は顔馴染みの皆さん、鈴木晒さんガッツあって海外でのヤバい事件に遭遇など、それが営業にもいきるところあるんだろうなあと思う。企業のトップが前線開拓というのがノーリミットな企業風土作りに役立ち成功されているんだろう。

帰って、出発前に教えてたインターンの整経が正しくできているのかを確認。正しくできていた。一方で、機の準備は現場の別のものが担当、4枚の機を12枚の機に変更する作業を行う。インターンのSさんは、作りたい布が二つあってこの夏のインターンでその二つを織り上げるという覚悟。私も、使い方などは指導するが作業そのものは手伝わないで、糸を整経からはじめて織り上げるところまで自分でやりなさいという流れ。インターンの終了のあとは、その布を東京で自分で服に仕上げるという。糸の状態から服になるまでを自分が考えて卒業制作に使うという。

この夏のインターンが卒業製作のための生地作りに来てもらったのではなく、織物の現場を体験してもらうためで、普段やっている他に流れている通常の作業を手伝うのが基本想定。この人ならすべてマスターして時間もありそうだから、最後に糸から布になるまでできるんじゃないかと思って、インターンの最後数日で、最初から最後までを自分でやって布を織り上げるという一人プロジェクトを提案。布の企画も自分でしなさいという部分もあるので、たまたま卒業製作の洋服に使いたい布を作るということになった。本人の希望でそれが二つの布を作ることになった、やる気のあるうれしい話である。
2016年08月28日
今日は、やや遅めの午後からのインターンスタート。今日は整経の筬通しから始まるが、私が確認すると真ん中あたりで一本糸が無い状態で筬を通してしまっていてそこからやり直し。インターンの子にとっては初めての作業なので、ここの糸が一本無いでしょうといってもその意味が分からない、そのあたりが麻の整経をさせたら世界でたぶん三本の指に入るだろう林与との違いであると説明。織物の問題に直面したときに整経の作業が分かっていると原因を見つけることができるケースもあるし、整経作業に慣れているということは織の作業でも優位に働く部分があり、私が、織りに関しても織機の調整が上手なのは整経の経験がとことんあって一瞬で糸の調子が分かるから。

今日は、しかしながら、私のほうが自治会の組長という役があたっていて、午後3時からは工場にいる時間がほとんどないので、今日のインターン作業のメインはワンピース作り。途中、どこまでできたか確認すると同じ型の素材違いで4着を並行して作っているということで、口を出さなくても過激にものづくり。

夜の8時過ぎに隣組会が終わって、工場で整経作業の続きをするために工場に入る。チーズワインダーの一番注意しないといけないと注意したことが守れていれずに、その意味を再度注意。厳守事項を守らずに、20個あるローラーの1つでも傷がつくとこれから何十年作業で苦労することになり、ローラーひとつつぶれることが、自動車どこかにぶつけてお釈迦以上に私にとってのダメージは大きい。チーズワインダーのローラーの交換もやったことがあるが大変な作業なので、部品も手に入りにくい。

2016年08月26日
インターンの9日目。今日は、朝からドビーのフィルムカードの説明。組織とは何ぞやの部分から入っていく。組織自体の理解はそれほど難しくないけども、フィルムカードをつくることは案外、熟練のコツが要る。パンチングは難しくなく、難しいのはフィルムカードの接着で、接着専用の装置もあるようだが、林与ではボンドとホッチキスが活躍している。綺麗にホッチキスで留めるのが難しいのだ。この作業も私の会社できるのは昔から私だけだったりして、毎回神経を使う作業の一つ。インターンの子にできるかなあの仕事でやってもらうとやはり無理。

今日はお昼、1時間ほど小幅織機の調整。これでは織るのが難しいだろうと思う要素がいくつかあって順番に調整を掛けていく。モンキーレンチなどの基本的な道具が足りず、途中で調整を断念。現状の判断からすると織機の部品が一箇所足りていないから調整が難しいと判断している。なぜ足りていないのかは疑問だが、それがないゆえに調整に無理が生じているように思う。たぶん、錆びていて使えないと外されてしまったからだろうか。伸度のある綿糸ならそれは無くてもほかの部分の調整でなんとかなるのかも知れないが、麻だと難しいだろう。林与にある織機とはタイプは違うが構造は似ていて、よりシンプルで大きさも小さいので普段触っている織機と比べると可愛い。

午後4時くらいからつくったカードをセットして、シャトル織機を動かす作業。ちょっと自分で織ってみてということでインターンのSさんが織る。しばらくするとハプニングで、織機に問題があったとの報告。見に行くとアンダーモーションが左右3箇所外れる。あちゃー、今日は寝不足で体力がかなり落ちてしまっていて、これを私が直す役目がまた回ってきたと思いきや。これをはめればいいのですねと自分で直してみるというので、1時間半林与は睡眠休憩を取る間に、直せるなら直してみてと任せてみる。6時に織機を見に行くとアンダーモーションの部品が曲がってしまったようでそれを直してくれていて、最後、力の必要なはめる仕事は無理そうなので私がする。

アンダーモーションが直ったあとも平織りとは違ってフランス綾のような変形組織なので、糸のテンション差が出てたて切れがいろいろと起きる。それを直してもらうこと2時間、何事もなかったかのように織機が問題なく動き始めた。直して織っても糸が切れて直して織っても糸が切れて、根気の必要な面倒な作業だけどもそれを経験してもらって、毎回こんなものだと当たり前にこなしていけるのが織物の仕事。それを今日は時間をゆっくり使って経験してもらった。
2016年08月24日
夏のインターン7日は、ワンピースの型紙の補正を行いワンピースを仕上げ、いい感じに仕上がったって喜んでいたのだが、後身頃の生地がプリント柄なのに横に向いているという大ポカがあって、作った本人は明るいもののどうなったらそうなるのかという疑問。体育会系なんでそういうこともありうるのかと思うが、お花畑系なのではないのかと不安もよぎる。体育会系的なミスであることを祈る。

夕方、出荷と関係してチーズワインダーの使い方を覚えてもらう。チーズワインダーというのはほかの機械と比べると非常に簡単なつくりになるが、使い方が正しくないとパーツが壊れやすく、使う人によって何十年も使える機械が、数回その人が触るだけで駄目になってしまうこともある。注意点を注意して必ず守るように言ってチーズワインダーで糸を巻いてもらう。

チーズワインダーで分割するという工程でも、量がたくさん流れていたときには一日中、チーズワインダーが回り続け、昔なら、どの工場でも専属の仕事として、一生の仕事というケースもありえた。小ロット多品種の今は、余計に小割作業の必要性は増しているはずなのに、専属でやってもらうほどの仕事とはならず、整経ての合間の並行作業に過ぎない。一人二役的にこなせないと手が余る。

彦根の宿泊先にインターンの子を送っていった後、今晩は小幅織物の納期を詰めるために朝まで織る必要がある。昼に織り上がり幅が計算どおりの適切な幅でない問題があってその分も織りなおしが必要な形になり徹夜での対応。ほかにもいくつか織りの問題が見えてきて加工出しが24時間織機を動かしても一日遅れてしまいそうな流れに。夏の夜は長いが夜ながらも工場の中は昼間のように暖かく体力の消耗は少な目か。
2016年08月23日
夏のインターン6日目。今日は午前中出荷、午後からはワンピースの縫製。もう一度、ワンピースの胸元の部分の型紙の修正が必要。一方でボヘミアンストールの販売開始、ストールを撮影しアップロードし販売スタート、今回販売の分は、色を手で差し替えながら一点ものとして作り上げたプロトタイプ。

私が素敵カラフルストールと名付けようとしたくらい素敵な感じなのだが、ボヘミアンなイメージのストールということで名前がボヘミアンストールとなる。





2016年08月22日
朝から状況が変わって、突然急がないといけない状況になった仕事の案件があり、お客様も協力を下さって、段取りがなんとか組めそう。そこで、キーとなるのが、今、おじいさんにかせからチーズに巻いてもらっている糸。この糸をチーズ巻くのは会社の中でもやるけど、やはり熟練したおじいさんに頼むのがよく、先週持ち込んだ糸が巻けたかどうかおじいさんの工場に伺う。

夏のインターン5日目は、昨日織り上げたランダムボーダーのストールを洗いを掛けて加工して、製品に仕上げる。作るだけでよいかと思ったがこれを販売するところもインターンの中でやろうということになり、後日ネットで販売する。シャトル織機の使い方を覚えてもらうために横糸を変えながらボーダー柄でストールを織るということで、途中から一人で織ってもらっていたが適当ではないらしく、服飾を勉強する女の子だけにちゃんと柄としてデザインされていた。与えられたことだけをするのではなく、自分のデザインもそういうところで入れ込むセンスがあり、売っていけるようなものを生み出せるのは力だろう。

一昨日につくったパターンで生地を裁断して、それのパーツをオーバーでかがる。オーバーの糸調子が悪く、調子を上げるのに少し苦戦。でも、解決できて完了。夜にはチーズ巻のおじいさんのところに行って、巻き上がった糸を整経のために割る作業をするために、チーズワインダーの使い方を覚えてもらって、2回ほど小割して今日は終了。
2016年08月21日
インターン4日目、インターンのSさんが宿泊先彦根のゲストハウスのマスターから服飾関連の情報として彦根の四番町スクエアにあるコミューンさんの情報をGETし見学に立ち寄られるということで昼に合流、コミューンさんはコットン素材が主体だが弊社の麻素材も数年前から使い始めてくださっている。そのあとギャラリーとたねやさんとあかり館に立ち寄ってから会社。今日は、シャトル織機の練習の続き、3時間くらい練習した後2時間くらいで、適当に横糸の色を変えながら、ランダムボーダーストールを1枚織り上げた。ちょっとは目を離しても大丈夫なくらいにシャトルを織る作業安定している。こういうのが食べていくために必要な地力というか自力なんだろうと思う。

シャトル織機で、横糸が切れたときに織段ができないようにギアを戻すなどの部分は、感覚的なものが大事で、それには慣れというものが必要だろうが、基本的なシャトル織機を動かすという動作は、本番さながらのランダムボーダーストールを2メートル、シャトルも挟まずに織り終えたことで修得完了。シュワイターでのシャトルの木管への管巻きなどの作業も覚える。途中、岩間6号台のハンドルの運転への入りが悪いので、何が悪いのか確認すると、横糸切れを感知するフォークの棒が引っかかって戻り難い。ホークの棒を取り出して、押しつぶされて盛り上がった部分を鑢で削ってスムーズにしてあげることで問題が解決。なんでこんなところで強くネジを締め付けて段差ができていたのだろう?かと不思議に思う。

織機というものは上手が人が使えば使うほどに調子はよくなっていくもので、下手な人が使えば使うほどに調子は悪くなる。この差というものは非常に大きく、これというのは人付き合いと似ていて、織機をどう扱うかに人間性のようなものが出てきてしまう。岩間のシャトル織機は正月に設置が終わり2月くらいから本格的に動き出したので、半年動いてくれたことになるが、設置した最初はどの織機も正しく動くような状態ではなく正しく動かすためには最初に一台一台の問題点を直してから動かし始める。動けばとか織れればよいというのではなく、正しいタイミングですべての織機の動作があるべき。

麻糸というのは、綿の糸に比べると、伸張性がないので、シャトル織機の縦の一面が同じ状態であるのかというと中央と両端では微妙に異なることが多い。真ん中はまっすぐに糸が走るが、左右というのはどうしても、織られた布の幅は通し幅よりも狭くなるので、両端は筬で角度がついて糸が緩みながら織られがちなのである。麻糸は筬で角度がついてしまうと、摩擦で毛羽が発生して切れやすくなる。特に糊をつけずに織る定番のソフト仕上げの細番手などは、その問題が起こりやすい。同じく打ち切れの問題にしても、両端で起こることが多いのである。

人というものは、短ければ1日でマスターできる作業を一生の仕事にすることが多い。最初は苦戦するがコツをつかめば考えずに仕事がこなせるようになる。体がコツをつかんだときに、織る人が考えなければならないのは、織機の構造をマスターし、自分で何が問題か考えたり、修理できるようになることや、どうやってより高度なものをつくるとか、つなぎながら何台も動かして生産性を上げるとか。それは本人がその道で食べていくためには必要だと思う。正しく作れてもそれが売れて食べていけるとも限らないのだから、正しく作れることはものづくりの基本中の基本であろうと思うが、そこが今の日本では難しくなっているところでもある。

ものづくりプロジェクトを成功させるためには、材料の問題、デザインという問題もほかにもあろうし、検査物性という問題もほかにもあろうし、プロジェクトの資金の問題、それを販売していく販路の問題もあろう、仕事して逆にお金を使うことに終わりがちな試作の問題とか。なんらかがうまくいかないと途中で話が止まってしまうとか消えてしまうものである。
2016年08月20日
今日はインターン3日目。午前、インターンのSさんが宿泊先の彦根のゲストハウスで知り合ったインドネシアの女性の方が会社見学ならびにインターンに合流。岡山で大手の自動車部品関連の仕事をされているという。今日は、本当に暑く、もしかすると最高気温を記録するのではと思うほどに、暑い。今日は地蔵盆か、字内を車で走ると、お地蔵さんに紅白幕や行灯や提灯などが飾られている。

今日は、インターンの内容は、シャトル織機を動かす練習。インターンの方は今日は始めてのシャトル織機なのだが、ほとんどミスなく1時間ほどの練習で、基本的にシャトルを右から左に動かす動作を覚える。縦糸横糸ともリネンなので、シャトルを一回でも大きくはさんでしまうと、大きな悲劇が生まれるのだが、悲劇もなく、シャトル織機の基本作業を1時間が終了。

シャトル織機を初めて使って1時間で、寸動ならびに運転作業をマスターできるというのは素質があるのを感じる。インターンの女の子は体育会系で体力と運動神経があるのが、シャトル織機を使いこなすのにも役立っている。インドネシアの女性も5分ほどシャトル織機を動かす体験、結構いい感じで、いきなりシャトル織機を触るのにびびってしまうような感じがないのがいい。会社のお盆休みで一人バックパッカーで旅行されているだけにダテじゃない。

一般にシャトル織機を使いこなすには半年から数年はかかるといわれるがそれは、基本動作だけでなく反物を問題なく織れるようになるまでの話。基本動作を覚えて、シャトルを挟まなくなるには、1週間から1ヶ月くらいかかるのが普通。シャトルを1回でも大きく挟むと切れた糸を治すのに何時間も時間がかかるので、1日に一回シャトルを挟んで糸がたくさん切れてしまうレベルだと食べていけないレベル。

シャトルを挟んで何百本も切れたときにそれを、短時間で直せるかどうかも食べていけるかどうかの判断基準に話につながる。何十本も切れてしまうと、見るからに地獄で、それに立ち向かうことができるかどうかの忍耐力も大事で、これぞ、麻をシャトル織機で織るならではの地獄の世界もあるのである。

午後からは、ワンピースを作る作業に取り掛かった。ワンピースの型紙をつくるところから。今回の夏休みのインターンでは、飲み込みが早いのでいろいろなことができそう。
2016年08月19日
夏休みインターン2日目。午前中にもろもろの出荷のあと、午後からレピア織機の基本動作の練習。基本動作とは、縦糸切れと横糸切れの対応。そのためにまずギアを一個戻すという作業が正しくできるように練習。

ギアを正しく戻すことができるようになると実際の織機を触る作業。織機を始めて触るので、一番の心配は正しく動かすよりも、怪我をすることがないかどうか。正しい作業手順を守っていると怪我をする確立は非常に低くなるが、正しい作業手順以外の動作をすると、怪我をする確立は高くなる。

正しい手順を見てもらって、それと同じ動作を繰り返してもらう。正しくついてこられない人の場合には要注意で、こういう単純な作業でも作業する人の今までの仕事経験なんかが見えてくる。うまくできるできないかはその人自身の能力というよりも、その人が今まで経験してきた環境が大きく影響する。今まで、新しい作業を覚えることに厳しい環境にいれば、初めての織物のような作業でも同じように飲み込める。

今回のレピア織機の練習は1時間で終了。1時間で基本動作をマスターできるというのは今まで教えた中では最短であるほどに早い。単に、頭で作業を理解するだけでなく、コツをつかまないといけない部分が多少時間が掛かるものである。通常、私の頭の中では一日練習すればレピア織機は基本的には動かせるようになると思う。レピア織機というのは、基本、素人でも織れるように作られているものである。

素人でも織物が織れる織機が生み出されると、それは織物の織りの現場に携わる多くの人の夢ではあっただろうが、結果、簡単に織物が量産されるようになり、織物の価値が落ちることになり、多くの人が仕事を失う結果につながった。そこで思い出すのが、近江商人の逸話のひとつ、「この山がもっと高ければよいのになあ」というあたりである。
2016年08月18日
今日から夏休みの学生インターンが始まる、琵琶湖と麻布から総合商社になった伊藤忠兵衛記念館と豊郷小学校など挨拶。今日も、伊藤忠兵衛記念館には東京から役員15人がこられたというが、いくら大きくなっても創業の精神という原点というのを忘れないということであろう。家とすれば豪華ではあるが、その成功の規模からすれば質素倹約的な精神が感じられるのは私だけだろうか。

会社で糸番手の意味と糸量の計算を覚えてもらう。1mに必要な、糸量を計算するだけでなく、原糸コスト、染コスト、糊付コスト、織コスト、加工コストなど一般的な知識を持ってもらって、生地生産のコストというものがどのように決まるのかというところを実際の数値に近い形でシュミレーション。直接的な費用以外に、固定費用としてかかる間接的な費用もコスト計算には必要。

麻番手でも、メートル番手に置き換えて計算するのが一番わかりやすいだろう。メートル番手というのは1gで何メートルあるのか。毛番手とメートル番手は同じである。NM36なら、1gで36mの長さのある糸である。


2016年08月16日
関東より北側に台風7号。8月後半になってようやくの本格的な本州上陸。水不足の関東にとっては恵みの雨となりそう。水というもののありがたさというものを実感するところである。

東京湾の河口付近の放射線濃度が驚くほど高い。福島原発から飛び散ったセシウムが川下まで流れてきて、河口付近に沈殿するからだという。遊泳できる浜辺は少ないと思うが、河口付近の砂浜で泳ぐというのは放射能汚染的にはよくないだろう。これからも何十年かは濃度は上がっていくことになるだろう。

東京の人は現実の原発の危険を見据えているので、電力の消費地でありながらもできるだけ遠いところに原発があってほしいというのが本音だろう。東京に限らず、日本全体で、全員がそう考えても不思議ではない。放射能汚染土を処分するのも、やはり、ぜんぜん原発と関係のない田舎。本来は、環境庁が守らねばならない田舎の環境が脅かされる。埋め立てに使うという計画もあるけども、東京ディズニーランドの液状化とか、地震大国日本であるという想定は当たり前に必要であろう。アメリカが直接処理をやっていて、濃度の高いまま地層に埋め込むという手法。地震大国日本でこれがどこまで通用するのかは微妙だが、薄めてばら撒くよりもまだリスクは低いのではないか。

安全というならオリンピック予定地に使えばわかりやすいが、安全だとは言っている本人たちも安全とは考えてはいないので、危険すぎるのは十分承知。国も、人命を守るために例外として遠洋投棄を国連にでも申し出ればよいと思うが、原発行政の面子がそれを許さないのだろう。愚策そのもので隠匿が伴う。一般の企業がこんなことやったら国から叩かれて犯罪企業として干されてしまうが、国が絡んでの悪事はさらなる利権を生んで国民に負担を背負わせ解決される。国が悪徳企業のような環境破壊やってはいけないと思うが、それが国の環境意識である。

諸悪の根源のように国民には処分の適正を厳しいほどに要求してきたアスベストも普通にばら撒かれるということもあれほどアスベストが危険だと喚起してきた国なら対応を考えないとならないはずだが、規模が大きすぎて逆にばら撒いてしまうしかないというのも、まことに不適切な対応であろうかと思える。アスベストは100年経とうが掘り返したら問題は再発だろう。小中学校では昔、子供が平気で扱っていた石綿、それほど危険性のないものを利権のために騒ぎ立てていたような気もするが。アスベストも100年埋めれば解決なら、何のためのアスベスト関連の法律であったのだろうと思える。

プルサーマル計画は事実上破綻したということも公にはされていないが、今も原発を動かせば、以前はプルサーマルに使うといっていた再処理核燃料だが、今は原発を動かせば使用済み核燃料はどうするのかという問題も原発の初歩的な問題だが、未解決な新たな問題と化している。日本が依頼していたイギリスでも再処理工場がストップとなり、使用済み核燃料の行き所すらない。
2016年08月15日
日本の若者というのはオリンピックを見てもすばらしい。体も小さくても世界の場で、一人の人間の力で戦う。10代から20代というのは人生では、技術的、体力的にだけでなく、精神的にもピークだろうと思う。

昔だと日本一を目指したり、日本の国内での競争もなく作れば売れたがほとんどだったが、今はスポーツにしても仕事にしても世界に通用するレベルでないと生き残れないから、今の若い世代は大変だと思う。学生にしても、日本の中に国際的な競争があって、力強くがんばる海外の学生たちと競争。

今、関西の繊維関連の若い世代の人と接させていただく機会が多いけど、田舎のおっちゃんおばちゃんのレベルじゃない強さがあって、ものづくりの苦労を背負ってまっすぐと仕事も捕らえている方が多く、そういう方と接せることはありがたいなあと思える。謙虚でハングリーな精神みたいなものがあって、仕事に正面から取り組むみたいな若者たちがいるのを応援したい。
2016年08月14日
以前、ネットで、マネーの虎というものをみて、その後が一番樹になっていたのが、トルコの青年2人がやりたいというケバブ屋さんのことだった。うまくいったのだろうか心配していたが、屋台タイプから始めて、オフィスをつくって、実店舗も作って、利益も上がって成功して、その利益をトルコの学生を支援する奨学金にした。でも、31歳でジョギング中に心臓発作でなくなられたという。マネーの虎という番組で知っただけの実際に会ったこともないトルコの方だったが亡くなられた話を聞いて泣けてくる。

マネーの虎たちも、その当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで、今はそのほとんどの虎たちが絶するほどに破綻してしまっている。けど、この人たちが経営者で虎だと思うのは、その失敗した責任を背負っているところ。自分に失敗が降りかかったときにそれを被る。ああやってテレビで、志願者たちに厳しいことをいうだけのことはあると思うのである。そういう厳しさを知っているから、夢を追い求めて独立するとかやめておいたほうがよいという、見下したように聞こえるが、志願者への親身だと思えるアドバイスも多いなあと思いえる。
2016年08月13日
柔道というのは、柔らの世界。たぶん、柔らの世界をやったら攻撃していないということで指導を受けるのだろうが、なぜか、攻撃ブンブンと逃げるばっかりで、柔らな世界がないのが、柔道らしくない。柔道は力じゃなく、柔らの世界であるべきだろうがそれが理解されることは難しいだろう。本当の達人の柔道は攻撃する意思がなく逃げているという意味で指導を受けるだろう。

剣道なんかも、勝負を超えた礼儀の世界があるが、日本のオリンピックのメダル思想とは相反するところがあり、勝つ負けるだけが勝負ではないという方向転換が戦前戦後の剣道の世界にあって、それが大きく影響をしているだろう。剣道が東京オリンピックの正式種目になることは念願かもしれないが、剣道の精神というのはそれほど浅くはない気もして、国際種目になった柔道みたいな道を歩んでは、剣道の中にある価値観みたいなものが流される気もする。

もう生存されている方は少なくなっただろうけども、敗戦で捕虜となった日本人がいたのである。捕虜となった日本人は、あまり捕虜となったときの話をしない我慢強いのである。生きて帰ってきて、それが恥ずかしい。まさに金メダルを取れなかった日本人の恥ずかしさと通じるものがある。しかし、そこから戦後の日本社会を支える土台となった。剣道を教えて下さった先生の一人もロシアで2年捕虜になってシベリア鉄道の建設で仲間を失われながらも帰還された、中学生のときに先生のお宅にお邪魔したときに、その話を一度だけきいてそんな過去を背負っておられたのをびっくりした。

その先生は、当時70歳で、高校生、大学生やほかの先生を相手にできる強さだけでなく、剣道という世界を築いてこられた部分が勝負の世界以上に意味のあるところ。強いものだけを集めて金メダルを目指せみたいのとは違う世界。オリンピックで勝った時に柔道でも、負ける相手がいて自分が勝てるということがわからないと、難しいだろう。誤審なんていうのももちろんあるけども、選手にもフェアな精神がないから誤審が起こるのである。自分で一本取られて負けたと思ったら参りましたと頭下げるくらいでないと一流選手とは呼べないだろう。

日本の卓球男子ダブルスで、審判の判定が日本だったのを日本選手がエッジボールで相手のポイントだったというのを自己申告して審判が訂正。競っているときに2点の差のマイナスが生まれるが、この選手のフェアな精神は、勝っても負けてもこの人は強いと思えた。ドーピングや審判の買収工作なんてしてるくらいだと判定に対する、そんなフェア精神はまったくないだろうが、そういう選手だけでなくコーチまでもが溢れているのは自浄努力がないと成り立たない部分。

クウェートという国が国家が選手の選抜に際し、クウェートのオリンピック委員会に干渉したということで、クウェートは選手が表彰台に立ってもクウェート国旗と国歌が流れなかったという。政治家や企業による裏工作でフェアな選手の選抜が認められないなら、それほどオリンピックの精神に反することはないということだろう。注意しておかないとならないのは、東京オリンピックのエンブレム問題でもオープンを嫌って政治にありがちな不透明な部分だらけで力で押し切ろうとしていたところ。誘致にしても裏では金で解決できるかもしれないが、フェアな精神でやって負けても多くの人は文句はいわないどころか、負けてもフェアであったことを賞賛するだろう。裏では大きなお金が動いているのだろうけど、政治とは違うのだから騙しては駄目。
2016年08月11日
今日もなんかおかしいと思ったら、昼過ぎに、初めて今日が山の日の祝日だと知った。まったくノーマークの祝日で、電話掛けても休みのところが多くお盆休みにしてはおかしいのでネットで調べて「山の日」ができていたことにびっくりした。

逆に外は休日で丁度よく、今日は、携帯電話の電話帳を新しい携帯電話に手動で入力して移すのに5時間くらい掛かって、古いほうの携帯電話をポスト投函して返却。仕事をしようと思ったが、終わった後も首の辺りが詰まってしまって、どうしようもない。

弊店間際のK’S電気に駆け込んで、肩と首のマッサージできるハンティタイプの大きな山芋のようなタイプのマッサージ器で一番強そうなのを買う。頭に血が行くように肩と首を1時間くらいたたくと、首も自由に回るようになって、スポーツをした後のような爽快な気分になった。

ふだん仕事で考え事が多く、体を動かしていても歩くこともそれほど多くない、体中が凝っているのを感じる。頭に血が回っていないだけでなく、リンパの流れも悪かったのだろう。首を一周きれいに回すのが上手にできない、もう、おっさんだなあと実感。
2016年08月10日
昨日、小幅織物が上がってきて物性検査など行う。非常に安定しているが、これから幅を目標値に合わせていくとか、白度の調整など、もう一度細かな詰めが必要。昨日は発送できなかったので、今日はそれを京都に持込み。高速道路ももうお盆モードに入りかけていて、普通の2倍くらい時間が掛かる。京都市内も賑やかに思う。商いの街ならこんなくらいが丁度よいのかもしれない。

ほかにしないといけないのが、携帯電話のデータの移行。液晶が割れている今の携帯電話を携帯補償サービスで交換なのだが、中のデータは自分で移行する。これが結構時間が掛かる。今もまだ携帯電話の機能をはっきりと把握していないので、バックアップとかは携帯のアプリをインストールしないとならないのだが、携帯電話メーカーというものは一方的な契約が多いので必要ないアプリはなるべくインストールしないようにしているので、手作業でデータを移し変える。

携帯電話、機能が複雑になりすぎて、何をするのもパソコンのほうが簡単じゃないのかと思えるほど。一番好きじゃないのは、日本語入力。キーボードが小さくてもよいので本物のタッチキーがついているスマートフォンがほしいが、小型でそういうのには、出会いにくくなってきていて、マイナーなメーカーものとなって、余計に使い方がややこしくなりそうで。私的には昔のポケコンっぽい携帯電話が一番なのだ。ノートパソコンのように画面が折りたためれば一番よいが都合よくそんなものはない。極論、携帯電話は電話とデザリングできればそれでよい。

そろそろ使っているパナソニックのノートパソコンも寿命に来ている感じだ。同じタイプが中古で手に入らないだろうが探している。新しいのに変わるのは私の中の問題があって、多少早くなっただけの新しいモデルのために、また微妙な使い方などの違いを覚えるのは疲れるので、買い換えるにしてもまったく同じモデルがよいのだ。プリンタも同じで、気に入ったプリンタを使い続けている。壊れても同じタイプをまた買って。5年とかして大きな違いが出てきたり、逆に消耗品などが手に入らなくなったら新しい機種に移行することを考える。今も私のノートパソコンのオフィスは2003で止まっていて、ちょっと不便なのだがそのままだったり。

大事なのはハードの性能よりも、パソコンを何かの目的のために使いこなすことだろうと思う。WINDOWS7は安定して動いていてくれる。WINDOWS10に移行するのはまだ先。今のパソコンは面白くない。メーカーが違ってもどれもが同じで…。車も同じかもしれない。だから買い換える必要なんてないと思えるのだろう。昔はメーカーごとにプログラミング言語の仕様も異なっていたりして手作り感があったのだ。どのメーカーもオリジナルで切磋琢磨しないと生きてゆけなかったが、基本どこもが同じで看板が違うだけ。APPLEは結局オリジナル性を貫いたから強いんだろう。繊維の世界でも同じじゃないのかと思う。
2016年08月09日
今日はお客様が3歳の子供をお連れで来てくださる。3歳のお子様は、いろいろと興味を示してくれてフレンドリーなのであるので、有望株なのだが、仕事してもらうと一気にその興味も冷めて大人しくなってしまうのだろうかと試したい気分になる。悪い大人である。

ものごとというのは興味をもった時には、とことんまで極めておく必要があろうと思える。そういう情熱みたいなものは、ものごとなんてどうでもよくなるものだから、物事に興味が沸くうちに飽きるまでやればよい。高校、大学のときの友達の一人は、高校のときにはアニメオタクと思えるほどうるせいやつらのラムちゃんファン、森高千里ファンで、大学になったらミスターマリックの手品に興味で、やはり普通とは違うほどの感覚があって、人としての魅力があった。

普通に勉強しているだけの学生時代では、カチカチの優秀なだけの大人になってしまうだろう。そういうのは弱くて脆い、守られた中にいれば食べていけるだろうけど、自分でやらないとならないときには難しいものである。学校の勉強というのは与えられたもので、どの分野でも与える側になれるほど強くならないと駄目だろう。

強くなるためには自己責任で自分でものごとをやっていけるような自由な環境を作る必要があるだろう。案外、成熟した産業ではそれが難しいもので、これをしてはいけないとかあれをしてはいけないとかいう人が多いものである。情けもあるので敷居というものは守りたいけども、敷居ばかりを盾にされるような昔ながらの業者さんというものも多く、プロのプロが素人に負けることが多いというのも、ウサギとカメの童話の世界。

日本政府もウサギを理想として働く気すらも感じられなくて、よい大人がこれから生まれてくる子供たちの負担増やして駄目なんじゃないのか、という、ほかの国では当たり前に心配することを今の日本では気にしなくなっている。総理大臣の失敗の片づけをするのが今から生まれてくる子供たち、力で、どこまでも食いつぶすというのは厳しすぎるんじゃないのか、と思える。ほんとうに重荷を背負って働いている人を、我慢してまで耐えている人たちを悪いことのように食い潰して、食う側の人間ばかりになっては終わりに思える。
2016年08月08日
テイラードなものづくりというのは、ひとつひとつものを作っていく世界で、その世界というのは今の日本のものづくりにあっていると思える。昔から変わらないままに今の時代にも対応ができる。林与という会社もそれに近いものづくりなのでなんとかやっていけているのだろうと思うところがある。

織物だと、昔は整経1人、経繋ぎ1人、織一人、企画染加工指図出荷一人、営業一人、経理一人の5~6人くらいの作業を、今は、無理すれば一人の仕事としてこなせる力があれば、仕事なんていくらでもあるといえばある。逆に昔ながらの分業だとほかの人が準備してくれるまで自分の仕事はないことになる。

何かひとつの仕事を毎日続けていると、自分には常に仕事があって自分がいないと会社が回らないというような錯覚に陥ることがあるかもしれないが、人の力や、会社の力に合わせて仕事の内容が調整されているだけのことも多く。できないならできないなりに仕事はほかに置き換えられていく。これは、厳しい話、人の力、会社の力というだけでなく、日本でできないなら海外でという形になってしまうのだ。海外でもできるような仕事の内容だと、コスト面で国規模で切り捨てられてしまう時代なので、先進国では違ったスタイルでの仕事が必要だろう。

日本の大手の自動車メーカーだと大まかに30兆円売って、5%から10%の利益。これを考えると数兆の利益をあげる勝ち組といわれる自動車メーカーでも、国の為替介入、購入補助金、国の雇用補助無しには、殿様商売といわれる大手でもまったく生き残れていないという現実もある。自動車だけでなく、電器関連でも同じだが、自動車の場合には登録や車検制度という法律の縛りがあるが、電器関連では携帯電話以外ではそういう縛りもなく、一般商品である、テレビ、パソコン、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどは、ほぼ海外生産となり、海外生産というのは海外での雇用や生産基盤を守り、日本企業が海外生産で利益を上げる10倍から20倍、外国経済を支える結果に繋がってしまう要素を秘める。

繊維でいうとそれが日本の繊維業界のものづくりを食いつぶしてしまった感がある。日本でつくると高くつくものを海外で安くつくって、国内市場をコスト競争で成り立たせるという商売が当たり前になりすぎ、海外の物価が国内にも浸透しすぎてしまった。安いのが当たり前で安いものでも売るのが難しくなったときに、見直されるのは日本の良い物というあたりなのだが、それが一点物に通じる概念で生き残りのひとつなのだろうと思える。
2016年08月07日
今日は大阪のりそな銀行本店の地下の講演会場で、西日本のテイラーが一年に一度集うイベントがあり、会場の中で生地を展示させていただきながら、今回のイベントの発表や映像をじっくりと眺めることもでき、高級スーツの世界が必要としている生地とはどんなもの一番なのであるのかを考える参考になった。

夕方6時からは懇親会、展示の撤去作業などやってて遅れての会場入り。こういう会も年配の方が役職に当たられていて、次の若い世代を育てようと若手デザイナーの作品発表などに力を入れられているのを感じ、繊維産業のものづくりの担い手というのは、一世代違うと10分の一の規模になっているような気がする。

今回の弊社の出展は大阪府さんが声を掛けてくださって、松尾捺染さんや細川さんとも時間が空くとお話を聞かせていただく、ものづくりの部分で深いのは当たり前なのだがどうやって自分のやっている自分の世界を提案していくのかというような部分がやはりポイントなのだろう。

テキスタイルマルシェの企業経営者のみなさんは、職人以上に仕事の内容にも詳しく、職人というよりも仕事の内容を熟知し、新しい取り組みも常にされている私が思うところの理想的な経営者像を持っておられる方が多い。で、経営者でものづくりされて経験が豊富で、作っておられるものに対してのセンスみたいなものも商品からだけでなく、人からも感じられる。なにかやろうとするときにはゼロから立ち上げて、自分で自分の目標目指して動けるノンリミットみたいなタイプの方が多いので、経験も豊富で自分の経験をもとに話をされるので笑い話のように話されている言葉にも精神的な強さを感じ重みがある。

テイラードな洋服の世界も、価値観はどこどこの誰につくってもらったとかいうのが、ものだけに終わらない、話が広がるところなんであろうなあと思える。林与の生地を自分でお使いいただくハンドメイドのお客様のほかにも、テイラーで仕立ててもらうといわれるお客様も多い。テイラーの皆さんというのはお客様を大事にされて、お客様もテイラーのことを大事に思って、高級な価値観というのはそういうところから生まれるのだろうと思える。
2016年08月06日
今日からブラジル・リオデジャネイロでのオリンピックが開幕。ジカ熱、現地の治安の悪さに加えて、ロシアのドーピング問題などで、いつものオリンピックのお祭りモードとは行かない様子。林与のある愛荘町でも多くのブラジル人の方が仕事に就かれている。平成20年ごろのピークは過ぎたようだが、ブラジル人というのは外国人の中では一番多いようだ、でもその存在があまり目立たないのは、普通の日本人と同じような生活をしておられるからだろう。

オリンピックに関して思うのは、選手が一番楽しめればいいじゃないのかと思うところで、その範疇で力を出し切って勝ち負けをすればよいと思うが、オリンピックもスポンサーがついてビジネスになってしまって、カネがあるかないかでオリンピックに出られるかでられないかが決まる。オリンピックというのはアマチュアリズムが基本なのに一般のものが出られるケースは少ない。本当のプロか、企業に所属するプロでないと出られないということは、選手の人生にも大きく影響する。

普通に仕事している人がオリンピックに出ていれば、選手としてピークを過ぎても企業の中で仕事をすることができるが、大体が、スポーツ選手として活躍できなくなれば一般人として働く力もなく、第一線を外れたときには悲惨な生活である。普通の人のように働くというのがあって、それでスポーツがあればよいと思う。スポーツでは体力使うが、一般の力仕事はできないとか。良い体しているんだから、運送会社なんかででも働けばよいと思うが、そういう普通が受け入れられないのがオリンピック寵児たち。暑い夏が繰り返されるように、次の人に栄光というものを譲ってゆくのも大事だと思う。そうすれば全体的にはドーピングに頼るような腐敗も少ないだろう。

スポーツなんて血統的な要素も左右する。競技が強いだけでなく、人間性において存在の大きな選手がいてほしいものだと思う。引退して普通の一般人よりも、普通に働く能力がなく、食べていけないというのも大きな問題で、日本のスポーツ界ではそういう人を増産しすぎているのではないだろうか。

ひとつの分野での専門的な限界の厳しさもわかるが、人生というのはピークもあれば次がピークを迎えるように譲る必要もあろうから、それにあわせて広い範囲での応用力が必要に思える。これは人の力というものの差の大きい繊維の仕事も同じじゃないのかと。そういうところに産業も衰退から逃れるヒントがあると思える。