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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年5月
リネン日記:20
2020年05月29日
私がものづくりをするときに自分でどうやったら自分がほしいものが作れるのかを考え、形にしてゆく。たとえば、「マスク専用ゴム通し」を作ること。自分がマスクを製作していてマスクゴムを通すのに毎回面倒な作業だなあと思っていて、専用のゴム通しも品切れなので、シャトル織機のヘルドを使ってみたところ非常に便利。自分が使うだけならそれでもよいのだけども、多くの人に提案するときには、完成度が高くないといけない。

まずは、材質、シャトル織機のヘドルは鉄製、鉄製は錆びるので新品を使ったとしても、水洗いなども適さないので良くない。シャトルのヘルドよりも、レピアのヘルドのほうが丈夫でしっくりくる。ただ、そのままカットしただけでは、実用性はあるが商品としては安定感が足りない。持つ部分に紐を巻いたり、ビニールテープを巻いたり、実用性はあるけども、洗えないなあ。マスク専用ゴム通しなのだから、衛生的な材質が大事、煮沸も可能なステンレスで、持ち手は、いろいろと検討をしたが衛生的な医療機器にも使われる耐熱シリコンが良いだろう。それで出来上がったのが、林与の「マスク専用ゴム通し」の2タイプ。たまたま、未使用のステンレスのヘドルが数千本残っていたのも幸運だった。もちろん専門の業者さんに頼んでステンレス一体型で持ち手の部分を太くしたものを作ってもらうほうほうがあるだろうけども、そこに何十万掛けて企画として成り立つのか意味があるのかの問題があるだろう。また、私は機屋なので、織物の道具を活用したあたりがオリジナリティあってよいと思っている。

一般的に企画の人というのは、ステンレス加工業者さんにそのイメージを伝えて試作をつくってもらうところから始まるだろう。それが実際に形になるまでも素材の選定から試作の見積もり、量産の見積もりで、スゴク遠い話になる。頼まれたほうも、ステンレスを扱うことには慣れておられても、マスクなんて作ったこともないし、マスクにゴムを通したこともないだろう。何が最適なのか分からない状態で試作するところから始まる。

そういうのを成り立たせるためには、自分がどれだけとりあえず形にしてみるかが大事だろうと思う。思い通りのものができるのかどうか、そして出来上がったものがものとして実用性があるのか、デザイン的にどうなのか。一番大事なのはデザインなのか実用性なのか、あとコストの問題。コストはものづくりだけでなく、販売手法も含めて最後消費者の方に渡るときの値段。値段が2倍になれば売れ行きは10分の1だろう。需要があるのかどうか、需要なんてものもその物ズバリだけが要素ではなく、同じものでも販売する時代や場所などが異なれば売れ行きは異なる。それを自分がどうクリアしていくのかというあたり。自分がとりあえず自分の手でつくって売れるのが分かれば量産は本職の人に任せればより完成度の高く量がまとまれば値段も合いやすくなるだろう。

そういうやり方で市場自体も自分で作り上げていくのが良いんじゃないのかと自分がモノづくりをするときにそういう考えでいて、私の会社に仕事を頼まれる方がおられても、そういう風にされるのが一番成り立ちやすいのではないですかと、適していると思われる生地を在庫の中から提案して一度まずこの生地をご購入いただいて試作されてはどうですかをお勧めする。近い生地でつくってみてもある程度良い感じのものができなければ、生地つくりの根本から考えないといけない話になる。
2020年05月27日
なんと政府がGOTOキャンペーンで国内旅行を推奨するようだ。営業自粛を自粛できないパチンコ屋さん以上に、コロナを考えず自分の都合で蔓延させてしまうばかりと思う。まだ、状況が新型コロナのどうなるか分からないのに、どうして新型コロナが蔓延するほうに持っていくんだろうか。これってオリンピックのスポンサー割当抽選チケット枠と同じで、配ってしまったら後戻りができないような問題を持っている。STAYHOMEから一気にGOTOキャンペーンという大馬鹿が国民にSTAYHOMEしてください、なんて言ってたのか?みんなが感染を広げないために我慢して自粛していたのはなんだったの?

営業まで自粛してたのに、ブラジル以上の大ハッスルで、STAYHOMEの正反対のまき散らし政策、どこまで能天気なんだろう。国民の判断に任せて適切な状況判断ができるようにしていないとオリンピック延期問題の二の舞で、予約が入ったホテルがまた緊急事態宣言がでればまたキャンセルの嵐の大パニックに陥る。一人の感染者から緊急事態宣言に至ったのはたった数か月のこと。本気でコロナ対策しておかないと、だが、ソーシャルデイスタンスとりながらの旅行なんて可能な話なのか?

リモートワーク率が低いとか人の移動を制限するとかつい一か月前まで国民に努力させながら、国民の協力をといってた人間たちがお祭りモードは駄目だよ。世界中の医療従事者たちの苦労をあざ笑うかのような行為でしかない。自分たちが働いて頑張るから皆さんも我慢して家にいてね、と心打つ。個のレベルでの発信、一方で日本政府はなにをやってるんだ、コロナの危険性すら理解していない連中ばかりで、後手後手。そしてまた自ら悪手を差して国民の税金を意に反してギャンブルに掛けて笑ってる連中ばかり。負けるまで掛けさせる。老後の資金の年金もそうで、公務員の入る共済年金は株式には投入されず、別枠で安全着実な運用。貧乏くじを国民に背負わせて自分たちは貧乏くじは引かないように法律で守る。

私自身も贅沢品的な麻織物の世界なので、世の中の景気の流れに左右される部分は多いが、それはそれで自分が置いている身だろうと思っている。でも、もっと地道な後染め専用の量産型の機屋さんとかが日本で成り立つのかというと量のまとまる多いものというのは糸値ほどに近い海外生機で代用されやすい。大手のSPAとかからは生地だけでなく海外でつくられた麻製品が日本国内で溢れるが、農林水産省のある農業関係とは違って、経済産業省が国内の織物業者を保護するというよりは繊維は輸入を促進して95%にもなっている。輸入症例の逆風政策も人々が自由に安いものを手に入れるそれが自然の流れと受け入れながら本場の高級麻織物に特化するというよりそのジャンルをつくる立場として野に咲く一凛の花みたいな状態で親方日の丸じゃなく自分の努力で立って、同じ志の業者の皆さんや、最終の消費者の皆さんに認められて立ってゆくべきだろうと考えている。お客さんが国産の商品を認めて買ってもらうべきであり、税金を使って国産お洋服券みたいなものを配るのには反対なのである。繊維は長い間、国の政策として輸入を推奨し逆風を吹かされ続け、一般の消費者の皆さんの国産を支える気持ちに支えられてきた、繊維業界の意地なのかもしれない。
2020年05月24日
ノーベル賞の中山教授もなぜ日本では死亡率が低いのか分からないと言っておられるけども、それは科学者には分からないかもしれない人間の面子の問題だろうと思う。教授たちが数字を見ても無理な世界で、人のエゴが新型コロナを蔓延させるのである。本来は人を救うべき人たちが無責任な法律で守られるような保身に回ると原発を爆発させてその片付けも国民に強いるとかの世界。

科学とかじゃなく、あきらかな問題が新型コロナにもある、それは医療関係者の感染の問題で、医療関係者を天上人と見ている欧米の先進国では新型コロナが蔓延しているという事実。マスクに対して反感を持っていた国や新型コロナに対して軽く考えていた国ほど蔓延して、蔓延率と死亡率は高い。当たり前というだけのことだが、それがなぜ不思議という話になるのか。日本でも、隠匿した病院は院内感染で100人以上の規模の感染者と何十人の死亡者をを出している。隠匿体質や経済やスポーツを優先して、マスクをつけることを嫌がった国ほど実質の死者は多いという普遍的な病気のコロナの実情。日本でもイタリアと同じサッカーのリーグを続けてたら何倍ものクラスターだっただろう。

日本だとまだ、院内感染があれば問題になるが、イタリアやアメリカで院内感染が問題になるのかというと、欧米の医療システムは、個人対病院ではなく、掛かりつけ医が担当するという契約システム。掛かりつけ医が感染していたら、普通の患者が感染する可能性が高い。日本だと医療関係者は感染していないという前提があるけど、欧米では10%くらい感染していても普通だというのが欧米の医療システム。医者や看護婦が感染していてもそれは普通なのである。だから蔓延してしまう。医者自身が自分が感染して患者に移してしまうというリスクを考えない体勢だし、ニューヨークの医療関係者の12%が抗体をもっていたとかは、感染源が医療関係者だったというような話に繋がる。イタリアも20%とか言われている。スウェーデンも、日本やアジアではありえない感覚が、欧米や南米では普通だから、感染の広まりと死亡率は高くなる。そういう国では、患者から医療関係者が感染するリスクは論じられても、医療感染者が患者を感染させる責任は論じられていないあたりがあるからだろうと思える。取るものと取られるもの、感染させるものと感染させられるもの。医療関係者が自分が患者を感染させるという緊張感があって責任に問題になるという状況だと感染は広がらないということになるだろう。

マスクしているアジアの人々を叩いていた欧米が蔓延するのは当たり前といえば当たり前、今、2m離れないと移るとか、トイレを共有をできないとか、それでいて、マスクも偉そうに叩いて、笑っていた欧米で蔓延してしまっているのは考えてみれば普通なこと、飛沫はくしゃみ一つで部屋中に飛ぶ。白い吐息がコロナのエアゾール。冬場寒いと気を付けないとマスクしないで呼吸しているだけで漂う要素。医者がマスクを過小評価して、院内感染を広げているけどそれが原因としては表にでていないだけのこと。イタリアやイギリスの2割3割の医療従事者が感染しているとかの事実は、病院で感染するというリスクがある。日本は院内感染を引き起こした病院は全国ニュースになるくらい。その差が、日本と欧米の差である。スウェーデンは人々がマスクもしないから、院内感染しているのも普通で、科学的な問題よりも、人々の考え方の問題が蔓延と関係している。

WHOのマスク不要論に従わなかったアジア諸国のほうがインフルエンザでも同じだが、インフルエンザで何万人死のうが平気な欧米の感覚と、インフルエンザ予防のためにマスク着用を促すアジアの文化の違い。黙って強制的な健康保険を払えるかも欧米とアジアの文化では違う。窮屈なアジアの文化のほうが新型コロナに対しては対策が取りやすいという文化的な要素の違い。イタリアやフランスでマスクつけ他の人に感染をさせないように大衆予防につとめていたアジア人が攻撃されたりしていた。そういうことやってる国は、蔓延しやすいのは当たり前のこと。逆にマスクして与没に努めている国では広がるスピードは納まりやるいという、人々の行動の違い。日本でもマスクをつけるなマスクは害だみたいなことを厚生労働省が言ってた時があったが、それに従わない日本人の国民文化が上、オリンピックにしても政府は通常開催にこだわっていたが、国民からすればオリンピックよりもコロナ問題のほう重視。

日本のオリンピック・パラリンピック委員会の会長も、最後までマスクをしないで頑張るとか他人事のように言ってて、副会長がヨーロッパ行って感染。日本柔道協会もマスクもせずに頑張ってたみたいだが、感染者増えた。日本でも感染が目立つのが、ジャンジャンバリバリ派、医療関係者に感染者が出ても隠してると数日で大量の院内感染というだけのこと。日本だと国民がまだそういうのが起こると厳しい目で見るが、欧米だとジャンジャンバリバリ派が主流だから。WHOもジャンジャンバリバリ派パンデミックで手遅れは当たり前だと思う。WHOの言うこと聞いていないアジアでは広がるスピードは遅い、WHO的な対応していたヨーロッパは壊滅的な状態。医学的な原因よりも、国民の予防意識の違いそのもの。国民性の違いが、日本じゃあ、政府を頼らずマスクが手に入らなければ自分でマスクをつくって予防しようとするような世界じゃあありえない日本文化の特徴的。たとえそれが効果がないと予防の手段を用意もできない連中にバカにされても、それが自分たちのできる予防手段の一つとして自力本願で予防に努める。日本人でもアメリカやヨーロッパに住んで向こうの普通の暮らししていれば普通に感染するだろう。ニューヨークの日本人医師とその家族の感染記事なんか読むと、日本人もアメリカ人も違いはなく、どれだけコロナを軽くみる文化があるかどうかで、蔓延度合が異なる。日本が学校閉鎖した3月5日にニューヨークの医者でも新型コロナは悪い風邪くらいの認識の人が多かったみたいだ。そして、その数週間後にはニューヨークは大パニックで、ニューヨークの都市封鎖。医者でも新型コロナ感染に対して無防備な状態の人が多かったということ。医者だから検査してもらえたが、検査もしてもらえない状況があった。一般人だと解熱剤買って家で寝ててね。家族に100%感染が広まる。そして、その人が勤務していた病院すら閉鎖されていない。そうやってニューヨークでコロナは広まっていったようだ。別の感染した日本人医師も例外ではなく、普通のアメリカ人の医者と同じく感染してしまう。感染すれば無症状でも他のものに感染させてしまうという認識が大事とも言っておられる。無症状だと他の人には移らないというよりも無症状で数例でも感染が疑われるケースがあったなら、無症状なら他の人を感染させることはないなんて言わないほうが予防意識は高いことになるが、日本の場合無症状だったら感染者の家族でも感染者としてカウントしてもいない。ニューヨークだったら家族は100%陽性だからとなる。

同じ新型コロナでもウィルスの型が違う話がよくあるが気を付けないといけないのが、それが国から国に移動するのは各国が国際空港を開くだけで人と人が混じり、ウィルスが他の国にもたらされることになる。また、実験用のラットなどが海外から持ち込まれていたりするとラットでは無症状でも、コロナ感染している可能性ももちろんあるだろう。それが実験室経由で、人に感染しないとは限らない。空港や動物の従来があれば、ウイルスの型の違いだから安心しろといえる問題ではないのである。猫や犬も感染するということ。鳥インフルだと鳥をすべて殺してしまうけども、ペットの犬や猫だとそういうことは難しい。結論は、新型コロナウイルスに対してのワクチンや治療薬が開発されないことには解決は難しいだろうということ。そして常に新型コロナウィルスは進化というかいろんな型が増えている。
2020年05月24日
アメリカのビジネススクールで商売というのは場所だという話があった。それはまだインターネットが普及し始めたころの話で、私が卒業するときには三井物産の人事部長が言っていたのは、土地というものはインターネットの普及で必要なくなるということ。両方が正解だろうと思う。歩く人の流れが多い場所というのは自然と飲食の商売というものは成功しやすい。歩行者の人口密度の高い地域というのは飲食は成功しやすいのである。消費期限のない商品というものは品ぞろえの面から逆にネットで探されることになる。今までだと自分が買い物に行ける範囲でしかものを探せなかったのが、世界中で販売されているものを検討することができるようになる。国内だと通販という形でネットで販売されている限りは国内配送が可能で手に入れることができるということになる。よく言われるのが、現物はお店で見て買うのは値段の安いものをネットで探してという話。家電製品などは店頭在庫がないことも多くネットで購入するという形で十分になってしまう。

これは一部お店のアフターフォローの対応なんかもどこも似たり寄ったりなところがあるだろう。お店のサービスの差というものがあまり感じられないのが家電製品だったりするのである。故障してもメーカーでないと分からないというような対応がほとんど。逆に生鮮野菜なんかは、お店によって仕入れ先が異なり生産農家が異なることで、このお店で野菜は買いたいなあというのはあったりもするだろう。どこどこの何というような要素が消費者にとっては大事な要素で、それがいろんなところで買えるとなってくると値段やそれに付随するサービスの差の話になってくるのだろう。

日本の大学の経済学部の時に、値段は需要と供給で決まるというような話だが、それはまさに今回のマスク騒動みたいなものだろう。需要が少ない時には不織布マスクは1枚5円から10円だったといわれている。それが新型コロナでマスク需要が増えると、需要が供給を上回り、ものが手に入らない状態で、手に入れるためには高い値段を出さないと成らない。マスクだけでなく、その材料も同じで、材料が消えてしまうのである。すぐにほしければ探して高くても買わないと手に入らないのである。メーカーにしても同じであろう。中国なんかでも以前よりも大量に作るのにコストが1枚35円とかになってしまっているという状態。マスクバブルなのである。コストが5倍になろうが、それが今までの5倍で売れるならそれはつくれば売れる商売ということになる。

価格は需要と供給で決まるというようなことが本当なのかというと、一定の需要があるものに対しての買占めがあればものがなくなり価格は上がるのである。供給が無限にできるのであればよいが、原材料から渇枯するようなケースでは需要に応じた無限の供給は無理なのである。今のコロナの布マスクブームで生地を常時もっていた問屋さんの在庫などもなくなってしまったという話。それが次にすぐ手に入るのかというと、海外生地だったりすると航空便の現象で物流も不安定で次に手に入るのは未定というような状態。

トイレットペーパーがすぐに値段が落ち着いたのは、トイレットペーパーが国産だったからといわれる。原料の供給が足りたということがあったからよかったが、原料が足りなくなっていればマスクと同じだっただろう。しかし、マスクにしもコロナ前は1枚が5円から10円というのは、安すぎないかと感じる値段。それほどに需要も小さく地道な商売だったのである。それが急に命に関わる問題となってきて、マスクマスクとなったときに、地道にやってたところは普通の注文を何倍も受けてパンク状態だろう。通常の仕事が2倍入ってもうこれ以上はつくれないみたいな状態ではないだろうか。そして落ち着くと次はマスクが過剰になって売れない流れになって、市場に供給されている量が需要を上回った状態が続く、作っても売れない流れに入る。
2020年05月23日
仕事のことなら時間を使うことが多いが、自分の事となると後回しになることがほとんど。例えば、どこかに旅行するとかはほとんど無理な話。自由な時間があるならできていないことをやったり、寝る時間に充てたいとか。成り立たせないとすると簡単だけども、成り立たせようとすると難しいことは多い。

たとえば、仕事のお客さんというのは打診してくるけども自分は何の約束もない状態でのこちらに約束を求めるような状態。そいう人の話は流れる話が8割以上、そのために自分だけでなく自分の関係する業者さんに同じような打診を、流れるかもしれない話だけどもという前提で打診して、どのくらいの納期になる仕事なのかまた入ったときにやってもらえる状況なのかの打診。糸商さんに糸の打診をするのもそんな感じで、糸商さんからしても糸を押さえないといけないので、単なる漠然とした話で私が糸商さんに糸の確保を頼むと、糸商さん自身が本来自由に動かせるものを他の人のために確保するという状態になる。今は、結局はアパレルさんでも受注が入っただけの受注生産を考えておられるので、本当のお客様は最終消費者の方だったりする。企画していても企画した人がその企画で大きなリスクを背負うことがないあたりが一番企画が弱いところで生産計画には結びつけにくい。手持ちであるもので検討して注文がはいったなら生産するような対応が相手と同じような対応なのかなあと。

私自身は自分で仕事している立場なんでそういうのよくわかるが、たくさんの仕事を流している人ほど打診から本決まりまでの期間が長く、また、確定的でない要素が多い。仕事にしても、サンプルと本生産の両方のキャパを、最初に話があった時点で考えないといけないのだが、それが仕事を発注するお客さん側にないことも多く、本生産の話で進めていて、やはり見本が見たいとかなら、最初から断っておかないといけない話だったという判断も多い。企画として具体性がない話というのは、こんなことがやってみたいなあというだけの状態だろうと思う。私もそういうレベルの状態の企画というかとっかかりで留まる話は常にいくつも持っているが実際にものにしてそのものがどのくらい売れるのかは未知数だし、自分がどのくらい在庫を抱えられるのかが現実的な企画を進める前提となる。企画するときに自分がそれを実行する余力を持たないと他力本願的な企画になって、多くを巻き込んでかき回すだけのことになる。

自分が一つ一つの本腰を入れてやっておられる方なら良いけど、横に広げられていろんな企画を動かして、その一つ一つの面倒を外に投げておられる方とやるとその人が身軽な分、こちらが用意周到に準備する必要が出てくる。地元でテキスタイル企画をされている方がおられてその方は生地設計までやってその通り生機をつくればよいだけまでもってこられ、糸を用意し、生機を加工される。織られない部分以外は林与の仕事と被るところが多く、同じ苦労があるだろうなあと思う。その方も自分で営業というよりも他の問屋的な方の仕事を受けられている感じ。そういうのができる人というのは非常に柔軟で能力が高くないと難しいだろうと思う。最後、傷を治したりも自分でやっておられるし問題を騒ぐタイプではなく、自分で解決してゆく力を持っておられる。繊維業界にはそういう人の存在が大事で、そういう人がいなければ企画してやればやるほど問題だらけとなってゆく。生地の営業の人とかでも、お客さんとの待ち時間に生地のキズの一つでも直す努力もすれば、生地に対しても違う目で営業ができ、問題も解決するのだろうけどそういうのできる人は珍しい。他にも、営業の人が生地の問題を指摘するときの検査機関の検査とかも、自分が簡易検査くらいすれば生地のこともよくわかり企画もうまくできるようになるだろうけど、なかなか深く理解しようとはしないから企画そのものが問題が見えない浅いところから始まるとか。

林与の時間を使うのも企画とか織る部分ではなく、その企画全体にわたる問題を実際の作業で解決する部分が多い。私が思うのがそれができるのとできないのとでは力の差というのは、プラスとマイナスくらいの差。そういうのをできる人が繊維の業界に増えていかないとダメなんだけども、日本の繊維業界の経験者でもそれをできる人というのはほとんどいない。繊維人口はまだまだ多くても問題の片付け的なことを実際に作業で解決してゆける能力のある人がいないのである。日本人は器用だといわれていたけどもそれは戦前の人の話でもう手はそれほど器用ではなくなってるなあと思うことは多い。そういう人が一人二人いるだけで、ほか繊維業界の人が騒ぐだけで投げ出している多くの問題が解決する。

クチで生きているタイプの人達というのは仕事が面倒なのだが、そういう人たちが多いと簡単な仕事でも駆け引きが多く仕事をするのが難しくなる。考えてばかりじゃなくいろいろと体動かして作業すればぜんぜん問題でもないのに、考えて自分が動かないほうにもっていこうとするから成り立たないだけのことは多い。生地の話なんかでも、たとえば、30種類くらいのいろんな生地が目の前にあっても、どれか一つ使ってつくりたい製品のサンプルくらいができないと、今、目の前にない理想の生地を作るとかの話は本当に難しい相手さんだったりする。生地の問題ではなくて、その方の商品開発の手法の問題があって、それを解決するのを生地にじゃなく織物の会社に求めれているんだなあと思う。
2020年05月22日
ブラジルでは、大統領が新型コロナを軽く考えて無対応の策。それも一つの方法なのではあるのだが、もう手も付けられない悲惨な状況。下手すると国民のほとんどが感染し、その1割が死亡するだろうというようなことになる。スウェーデンも同じ路線で、運命を受け入れよみたいなあたりで、感染したものが自主隔離という程度で、大衆免疫策で、感染者の1割は死亡。死亡するというだけでなく、回復しても重症者は後遺症を引きずることになる。感染を押さえなければ腎不全や呼吸不全とかの人が増えるとかになるだろう。

新型コロナに対する温度差があるということは、結局、国境閉鎖を選ぶ道しか残されていないような気がする。コロナに警戒する国の検疫基準と、ブラジルやスウェーデンの検疫基準が合うはずがない、ブラジル人やスウェーデン人は他国への移動は難しいだろう。また、世界中の国々が新型コロナが蔓延しているブラジルやスウェーデンへの渡航を解除しないだろう、感染して自国に持ち込む可能性があるから。ブラジル人やスウェーデン人が死亡するものが死んで、重症化するものが重症化、回復するものが回復して全員免疫を獲得したとして、免疫システムがうまく働くとしても、その国への渡航が安全なのかというと、その国に入る免疫を持っていない外国人同士が感染しあう可能性はあるだろう。

ブラジルやスウェーデンを異常に思っているかもしれないけど、WHOにしても当初は感染してもただの風邪程度として、正しく恐れよといってたくらいだから、ブラジルやスウェーデンの基準で世界が大衆免疫を目指していたようなものなのである。ダイヤモンドプリンス号にしても、閉じ込めておくのは人権侵害で、検査なしで全員を早く下船させろと国際的な圧力を日本も受けた。世界中がまだ新型コロナを笑っていたような頃である。
2020年05月20日
まだ、動く車なのだけど乗り潰すつもりでいろんな傷もたくさんで10マンキロになったのでそろそろ引退。今日は車をカーディーラーに持ち込みで、その車とのお別れ。荷物卸して思ったのが、まだまだ走るから勿体なあというあたり。アメリカで中古の車買っていろんなトラブル経験したんで車は基本ちゃんと走って訳のわからない故障トラブルがないならそれが一番というあたり。織物の織機も同じで、ちゃんと動くのが一番。コピー機なんかも高機能よりも、ちゃんと基本機能が動くのが大事。

それでいても、私は中古を選ぶことが多い。中古でも使えるなら使ったほうが良いと思っているから、まだ、動く車をなぜ手放したのか、それは、夜のライトが下向きすぎて怖いなあと思うのを車を買ったときから所有している間ずっと思っていた。あとカーナビのデータが古くなりすぎて、データ更新もいまさらするべきかまよっていた。逆に、更新のいらない理想的なものは無料?で手に入るみたいなGOOGLE EARTHのナビとか。電波届かないトンネルだとどうなるかは分からんけど。

不思議な時代だ、一番理想的なものが無料で手に入るのが情報化社会の行く末なのだろうか。カーナビの最新データにしても情報だろうけど、それがデーター更新料で、それを払って便利でなくなったものを便利に戻す。もともと更新もする必要のないというか最新の情報が手に入るカーナビとか、GOOGLE EARTHのナビとかは、更新する手間も必要なく無料。気の毒なのは、紙の地図を販売していた会社商売あがったりだろう。本屋も消えてゆくのが分かる。今までは、コピー機でコピーしたら著作権違反云々だったが、電子書籍なんて、数十万冊の図書館を超えるレベルへのアクセスが月額1000円とかで無料に近いようなもの。何百年も価値の代名詞だった本というものの価値がなくなる。CDとかDVDとかの媒体がなくなるだけでなく、その中のデータの価値も無料化されていくのである。データを人間が作っていたらカネがかかるので、自動化して作るのである。

これの最終のゴールはなんだろう。消費者の生活を豊かにするだけの部分しかみえないけども、人々が働いて生み出してきた価値というものを打ち消すような側面もあるだろう。人工知能を活用した自動アンサーシステムは、行政の対応のようなものだがそういうものばかりが増えていくだろう。人工知能の医者だと、8割の人は救えても2割の人は救えないが全体から見れば、生身の医者でもその程度だとすると、人工知能の医者で十分だろうということになる。その時点では同じかもしれないが、生身の医者の仕事がなくなると人工知能の端末に医者が問い合わせすることが医者の仕事になる、生身の医者が人工知能がおかしい答えを出してきてもそれが一般に安心の答えだとすればわざわざ自分が失敗するリスクを冒してまでそれ以外の答えで患者に処方はしないだろう。

人工知能が法律のようになって、問題が起こったときになぜそれに従わなかったのだというような判断が下される。従っていれば結果が悪くて人が死んでも罪は問われない。医者からすればはっきりと断定できないことを人工知能の答えに任せることができるから、仕事は自分に責任も掛かってこないから楽になるだろう。それがその医者の一生の仕事となったとき素人でもよいことになる。

マニュアルは当たり前のことを文字にしただけで、そのマニュアルに当てはまらないケースに対応して、マニュアル通りにやった場合に起こってしまう問題や、マニュアルどおりにやってもダメな時に解決方法を見つけ出すのがプロの本当の仕事だろうと私は思う。

ものづくりで、10工程あってそれぞれの専門職がいて、順番に工程を経てものが出来上がってきたときに正しくモノが出来上がればそれでよいけど、正しくモノが出来上がらないときに、専門職が簡単な問題でも解決もできないときがある。自分のやったことは正しいといって最後できあがった商品がよくなくても自分は正しいと言い切る。その人がちょっと加減すれば問題は解決することでも解決したがらないとか、分業の世界ではよくある話。それが1回のことでなく毎回起こりやすいが、そのまま放置とかだと仕事としてやっても問題のほうが多くでて、やらないほうがマシだろうとなる。昔、海外の生地が問題が多かったのがそういう分業をやってたから。今、日本もどんどんとその方向にむかっているような気がする。ボーイング737MAXが2回落ちたのも開発を分業で解決しようとしているから、優秀な人が分業でやったときに優秀なものができあがるとは限らない。

今、機体を開発できる人がいないだろうと思う。実績のあるよい機体に、優秀な最新の燃費の良い大きなエンジンを付けた。バランスが悪いので、それをバランスを調整するメカニズムで解決。頭で考えると成り立つのだが、根本的な問題を解決せずに問題を残したままその問題を解決する方法で解決している。飛行機が2回落ちて安全を最優先するといっても、まだ根本的な問題を解決しないまま、一番カネの掛からないプログラムの変更で解決できたとか。テスト飛行しているのは飛行機メーカーの機種の機能を熟知したテストパイロット、危険にも遭遇するだろうが、危険があっても回避できる方法も知っているから、実際のところはテスト飛行にもならない。自動運転がどれだけ安全かを実証するための自動運転の路上テスト走行なんかも、事故があって分かった話が、自動運転にすると自動運転がオンだとセンサーが働いて動かないから、自動運転を切って走行させていたから事故が起こったとか、だから自動運転の安全性の問題ではないとか裁判でメーカーの主張。おいおい、何十万メーター無事故で走って安全を証明しても、自動運転をオフにして走らせていたらテストにもならないだろうが、そんなごまかしで自動運転の無事故距離は作られている。車をつくって売って儲けるのが目的でもなく、もはや、出資でカネを集めるのが目的なところがあるだろう。

それぞれの部品はアウトソーシングされてそれなりに良い部品なんだろうけども、それを組み合わせた時に全体としてうまく働くとは限らない。うまく働かないときにそれぞれの部品をつくりなおすよりも、また新たに部品を付けて対処しようとするのが、問題の上塗りのモノづくり。もう一つ、飛行機と省エネの関係。省エネの飛行機はエコロジーでエコノミーで航空会社も儲かるんだけど、自動車でいうとパワーがなく坂道を登れない車みたいな方向性。

ボーイングもお客に安全性の面でキャンセルを頼めば、航空会社も納得して発注キャンセルに応じるだろうけども、ボーインクの中の問題としてボーイングが部品会社としている契約の問題があるだろう、それが自分の会社の責任での部品を発注キャンセルできない状況だろう。機体を根本からつくりなおすとかもできないのももう今後世界で何十年も飛ぶ数千台の部品を発注してしまっているからだろう。日本のオリンピック委員会がコロナの問題で延期や中止できない状況と似ているだろう。

規模は違うけど織物なんかでも、納期のある発注で一通りの糸を染めて、経糸を整経してしまったときに企画の軌道修正が非常に難しくなる。同じ規格の織物でも先染織物の場合は色が違えば収縮率が違うなどの問題が出てくるけども、それにより濃色はスリップするとか、色ごとの収縮率が異なり横幅が濃色では安定せずサッカー調になるとか、そういうのがサンプルを作った後の検査で見えてきたときに、どう軌道修正をするのかという問題が起こってくる。今、日本で麻の先染めの企画がどんとん難しくなっている原因の一つはそこ。バブリングとよばれる、薄い色の糸と濃い色の糸の収縮差の問題。他の色は大丈夫でも濃色の経糸が織れない問題も多くなってきている。先染めの場合、白い織物と濃色の織物では、織る難度が5倍くらい異なる場合がある。現在、林与は、糸支給の仕事は基本受けないことにしている。

バブリングや幅が安定しない問題が起きた時に、糸に手を加えることでできる限りの何通りかのテストをやってみる。間然には解決できなくても程度がマシになる組み合わせがあったりする。他に、横糸の密度や、織組織などを替えて、物性面での色の違いによるスリップなどの問題を解決しようとする。それでも難しいようだと、加工で樹脂でスリップしにくくするとか、だが、風合いが損ねられてしまうので、最悪の選択支の一つとしてとりあえず見てもらうため。織物の規格が色柄だけでは済まないのはその辺りで、デザイナーさんが色柄風合いという見た目の部分を求められてもそれはテキスタイルデザインとしては表面的な部分中心、織物を織るだけでも難しい時もあるけど、ディープなテキスタイルデザインの部分を解決しないといけない。それは後で解決するよりも、最初から安全な方法を選んでおかないといけないことが多い。問屋さんとかは、品質、価格、納期みたいなところに一生懸命だけども、一番大事なのは最後に洋服となったときに問題がないような生地を最初から目指してつくるということが一番大事。織れないときには無理矢理キズばっかりで織らないも大事で、そういう時に業者さんからのいつになりますかが逆に時間のロスを産むだけだったり、最善を試せなかったり。

生地企画の方が海外の生地メーカーから生地を購入されてすごい生地だと思っても、見た目と雰囲気で値段があってみたいなところで服にしたときに問題だらけとかでも、諦められるで終わるが、日本で生地を開発した場合には日本の生地メーカーの場合には、サンプルで企画に問題が見つかったときには、ドロップできればそれが一番ありがたいのだけど、大体が、その問題を本生産に向けて解決するような方向になる。やってみないと分からないことなのに約束を前提となってしまうあたり。色柄を変えるだけでその問題が起こりうるから、起こったときには、その仕事だけで他の仕事が何もできなくなるくらいに時間もお金も解決に掛かるのがよくあること。企画するのは簡単でもその企画を形にするのはまったく別の話でそこらあたりがちゃんと受け止められる人が企画されていると大丈夫だろうけど、普通はサンプル作って、本生産までの納期が長くて半年とか。生産時期に入って、糸からまた手を加え、染色し、いろんな加工をシミュレーションして、検査結果までいくつも取って、は最初の見本をつくった何倍もの仕事となる。そして、解決法が見つかったとして、もう一度本生産用に糸を染める話、糸染めで1か月から2か月掛かることもあるし、特殊な糊付けだと糊付けに1か月とか、加工も忙しい年には年末年始挟むと1か月では難しいこともある。それぞれの工程でトラブルがあって、作り直すと成ったときも想定すると、日本の機屋が麻の先染めのオリジナル生地企画を受けて限られた時間と費用でできる確率は低いだろうなあと思う。
2020年05月19日
コロナ対策をしないといけないのに、その対策ませずに、また、9月入学を検討するとか、どこまで馬鹿なことばかりやってるんだと思う。どんどんと問題を自分で広げて小さな問題も解決できずにパフォーマンスばかり、どんどんと議論だけを広げて実際にやってることはほとんどなし。サマータイム議論と同じ気分だろう。本当に準備しないといけないことを準備しないでまた議論だけを広げてゆく。やればできることもあるのに、また専門家とか身内みたいな連中集めて無駄な議論だけやって、今のままのほうがましなのに無理やり変な方向に持っていく。今回は、どこの連中が2回目3回目のお代わりするんだろう。

重機システムなんかもあれだけカネも時間も使って大失敗に終わったけど、また同じ連中がマイナンバー、マイナンバーも長続きすると困るのは、マイナンバーやってる連中だろう。次にまた新しい案件がないと食いつないでいけない。もうすぐ、マイナンバー2に移行するだろうな。それがそもそもの目的だろう。正しく成り立つものをつくったら正しく運用しないといけない責任が生じてくる。自分たちはどうでもよい程度のものを国民には強いて、成り立たない程度で形だけやったというのが一番偉そうにできて気が楽というもの。消えた年金なんてものは最たる例。年金情報が消えるなんてありえない話なのだが、ある銀行の顧客情報が全部消えたみたいなこともあったのと同じで、悪い奴が一人いればすべて悪用されてしまうだけの流れに持って行って作ってしまっているだけ。悪い奴が一人でもいればマイナンバーに紐付けられた全情報が流れ出るということもありうるから。一生懸命にシール貼ってマイナンバー隠してても安心しろということほど破綻する国のやることどこまで信頼ができるのか。

議員ナンバー制度というのを作ってはどうだろうか。番号を割り当てて、政治資金のお金が出入りしたら、それを国民がウェブで監視できるシステム。国会議員にお金の出し入れは渡すときにはすべて議員ナンバーを介さないといけないシステム、クレジットカード化してもよいだろう、フェアーじゃないのか。そういうのだと国会議員や官僚は反対するけど、国民は大賛成だろう。森友事件の100万円みたいな問題も起こらないから安心だろうけど、反対するんだろうなあ。

2020年05月18日
有名芸能人が何人も感染して死んでしまったり、死にかけたりしているのに、一般の死や不幸な問題は相手にもされずとりあげられていないだけで、新型コロナに対しては保健所という組織が崩壊してしまって、検査もされず新型コロナでの死亡となってないだけのこと、先進国なのに、検査も受けられないとかの状況が見えている何十倍の悲劇を招いていても、それは人間の命軽さで、原因を究明するとかも考えられていないだけの事。受け入れ態勢が全く十分じゃなく、感染者数や死者数を減らそうとする意図がありすぎるから、神戸なんかでは過去に採取した血液検査から感染者数は単純計算数十万人規模だと推測もある。

これがまだ、弱い毒性のコロナだからよいけど、強い毒性のコロナが持ち込まれたら、同じ危機意識ではスウェーデンのような他国に比べて死亡率が10倍とかの話になるだろう。日本の医療関係者がコロナに感染していても医療関係者はコロナに感染しないという前提で検査もされていないから、厚生労働省の基準自体が新型コロナ隠匿のための基準みたいなもの、放射能汚染の基準を20倍ゆるくして安全だというのと同じレベルのことをまたやってしまっている。それはチェルノブイリ以下の基準で、8000ベクレルなんてチェルノブイリだと避難が勧告されるレベルだが、日本人だとそれは安全だとばら撒かれる話。世界的にも、100ベクレルが基本なんだけど、その80倍の8000ベクレルまで大丈夫と、やってしまうのが日本政府。

日本に環境庁なんてなくてもよいレベルの話なのだ。環境庁自体が世界の環境を日本発で破壊してしまう存在になる。温暖化加速の原因が海に熱量を流す原子力発電の可能性が高いのである。太陽からの熱量の、10万分の1だから無視できるとかいってるけど、太陽の熱量の10万分の1の熱量というのは、莫大な熱量で、無視すること自体が問題なのである。熱量が還元しない原子力発電で、30年1万日たてば熱量は太陽の10分の1の熱量が蓄積されている、どうなるの問題。あったかくなって当たり前だわなあ。CO2はまだ、植物の光合成によって酸素にかわり緑化が進むことでサステイナビリティが保てるけど、原発の熱量は何万年経たないと解決できない問題だろう。地球表面の熱量として蓄積され続ける。

こういう問題にしても利権が絡んでいるから、素直には考えられないのが利権母体。CO2問題も原子力発電を推進するための口実であるという要素が大きく、それは地球温暖化を加速してしまう結果になるかもしれない。代替フロンにしても、代替フロンがオゾン層破壊させてしまったりと、世界中の人々が善意で行動してもそれが逆に利権主義者の利益誘導の結果、地球環境を破壊してしまうとういう結果も多い。日本政府なんて言うのはまさに利権のための環境誘導ばかりで、偽善が多過ぎてそこまで善良な人々を食い物にして逆に地球環境を破壊しながら生きていきたいのかと思うことも多い。
2020年05月17日
WHOという組織も、意味がプラスなのかマイナスなのかは考えないといけない。素人以下のWHOの言うこと聞いてたらパンデミックは当たり前。利権主義になりすぎてカネを集め責任逃れ一生懸命なWHO。正しく普通に新型コロナの脅威を全世界に伝えるべきがWHOなのに、マスクもするなで、WHOのテドロスは未だマスクもしていない。ウィルス拡散ビジネスの手本じゃないのか、原発が爆発して放射能レーダーが的確に3。11の放射能漏れをとらえていても、保身ばかりが大事に、多くの人が放射能にさらされるのも平気に水蒸気爆発と偽った当時の政権だが、今の政権も単に会社が違うだけで同じ方向性。保身と隠匿で国民から巻き上げるだけの構造、途上国のような国民騙し、自分でマスクをつくって自分の家族を守ろうとする国民たち、政府なんて危機な状況でも単なる搾取母体というだけで、厚生労働省の大臣が言うことが国民の健康や命を損ねるようなレベル。

最後までマスクを付けずに頑張るといったJOCの委員長、副委員長が感染してたら、そんな利権にまみれたJOCレベルが感染拡大の元となる。自分たちの言動がコロナ拡散にどれだけ寄与していたか、オリンピックが延期になったとたん、パチンコ店は言うことを聞かないとかいってるけど、お前らが一番パチンコ店以上にやってしまってた張本人。利権などにまみれてしまうと人の命すらも軽んじて推し進めてしまう輩たち、津波が来ている状況で、祭りを計画しているようなもの。アホそのもの、多くの人が死んでもいうことは仕方なかった自分たちに責任はないだろう。

国民は自分で自分の命を守らないといけないような状況、WHOに従いマスク不要論をばらまいた厚生労働省だが、今はマスク配布しその配布の仕方も利権まみれで不透明、人の命よりも利権を優先してしまう輩たちだから、マスク不要論なんてのをばらまく、そして利権は随意契約の業者でなぜか国外生産のマスクばかりが日本中に最優先に配られるようなありえない政府の行為。1枚何十円でできる海外の布マスクが、1枚100円とか100円を超える値段で何十万枚なんて、日本の業者でも億単位の仕事なら品質を守っても普通にこなせる仕事。日本政府のマスクチームこそが元凶ではないのかと思うような、考えを根本的に改めよのレベル。検品も自分でしたくないものが、やってるから駄目で、自分が配るなら覚悟決めて自分たちで検品すればよいのに、自分たちが配るものもしらないままに、給料を責任も感じることなくもらってるからそれ自体が便乗商法で、随意契約でその仲間たちが広がるだけの事。
2020年05月16日
先週、京都の問屋さんが自己破産された、もう京都のアパレル生地問屋業というのは難しいのかなあとも思えたりするのは、先代のころにお取引のあった京都の多くの生地問屋さんが廃業され、林与がお取引してたなかでは唯一くらいに残ってられたその会社さんも閉じられた。私がこの業界にいる20年ちょっとでも、林与の取引先の8割以上が京都の問屋さんだったのが先代のころにお取引のあった有力どころの京都のアパレル問屋さんはすべて繊維業から撤退された感じになってしまった。林与のお取引の経験の限りの話だが、メッカであった京都においても高級アパレル向けの問屋業が成り立たつことは難しいというあたり。

同じく、アパレルさんも昨日、上場アパレルが更生法申請。ブランドとは何なのかを考えさせられることになる。ブランドの服に価値があるのかラベルに価値があるのかという問題。アパレルがブランドを買収とか売るとか、ブランドというのは権利ビジネスなのかというあたり、安い物にブランドタグをつけて高級なイメージのものを安く売るというのが一番回しやすい話になる。逆に言えばブランドイメージの安売りになりブランドのイメージは消耗してゆくだけの話になる。現金主義だと、利益が大きいと成功しているように思うが、繊維業界に関していえば手段を択ばなければ化かす方法は一杯あるから。ブランドさんがそういうバカしたものに飛びついて水心魚心が多く、麻業界でのアイリッシュリネン幻想などは、私でもアイリッシュリネンの糸をあらゆる手段を講じても手に入らなくなったのが2000年以降。それなのに、アイリッシュリネンが大量に出回った2000年以降というのは、なんだったんだろうかという素朴な鬼門で、2007年から始めた林与のアイリッシュリネンプロジェクトがそれを解き明かすことになった。

アイリッシュリネン協会の四つ葉のクローバーのマーク、一体どこで紡績されたリネン糸なのか、そろそろ認定機関の偽装自体やめないと、消費者を罪悪感もなく裏切るだけのことになる。私なんて言うのは田舎の小さな機屋のおっさん、そのおっさんくらいの覚悟もないのが、大きな謳いで本物かどうかもわからないものを化かしているだけのこと、多くの消費者はなぜ昔のアイリッシュリネンと今のアイリッシュリネンが全く異なるのかを感じているけど、今、アイリッシュリネンを謳う業者さんがアイリッシュリネンに触られたこともないケースが多い。ある展示会でのできごと日本のアイリッシュリネン糸を作られている業者さんが林与のブースに来て、アイリッシュリネンなんてないよと言われ、アイリッシュリネンについての正しい説明を私がその当時中国で一番元気だったリネン紡績工場の方に説明する。それが、2000年以降も、その中国の紡績工場の日本に大量に流れていたアイリッシュリネン糸は終焉のきっかけとなった。

日本で一番大きなアパレルさんのフレンチリネンのタグの問題をリネン日記が書くと、そのタグが変わる。それまでは、フレンチリネン100%が、いわゆるフレンチリネンという表現に変わって、フランスベルギー産となる。田舎の小さな林与の正直な認識以上のものはなかなか難しいのである。それを超えてやると儲かる世界なのかもしれないが、超えないことが大事だと思うから分かっているだけに中国紡績の糸をアイリッシュリネンと謳って売るようなことはしない。
2020年05月15日
今の情勢では、来年のオリンピック開催は無理な状況そのもの。早めの判断をしておけば、いろいろと対策を練ることもできるのだが、決断できないまま、結局、中止とかなると被害は何倍にも広がる。長野でのオリンピックも当時見ることができた私は、東京オリンピックも楽しいものだと思っているが、今のコロナの状況が1年で収まるようなものではないのも誰もの予測だと思う。選手も競技場だけでなく練習もあるから、それがコロナ感染の危険そのもの。ドーピングどころじゃない悲劇につながる。新型コロナに感染となれば、治療で薬を使うと選手生命は絶たれてしまうから。選手村なんてのも共同の部屋だろうし受け入れ体勢すらも見直さないといけない。

国とかは責任取る考えがないからダメージをなんとかなると考えるだろうけども、国がダメージを引き入れると国民がそれを背負って解決してゆかないとならない。一般の国民もいろんな制約があるなかで、世界中から選手や関係者や観客が集まる一番新型コロナが蔓延しそうなオリンピックのイベントが1年後に開催できることはないだろう。これはコロナの危険性を早くから指摘していた予想の延長みたいなもので当たるだろうと思う。早めにアナウンスして無駄に人が動いたりしないほうがコロナ対策そのもの、雨が降ったら中止になる祭りにしても、雨のことも予想して準備をするものだが、中止も想定してオリンピックを準備ができるのかというと利害関係が絡み過ぎて、中止ができないという問題が起こってくる。損得のために新型コロナ被害を拡大してしまっては、新型コロナで自粛できないパチンコ屋が叩かれるのと変わらない。

選手たちにとっても早い決断こそが一番ありがたいのである。今年のように、新型コロナが蔓延しているのに、大丈夫だと言って、予定通りの開催を目指すとか、反対意見も言えないような村社会体勢で、世界中から批判が出てきて、オリンピックの延期に至った。普通の感覚をもって、損得や利害よりも、新型コロナのリスクを素直に判断するべきだろう。選手の健康や命を優先するべきだろうと思う。国民の理解も普通に得られるだろう。中止しないほうがあとで問題が起こったときに日本の政治家たちは逃げるばかりだから、政治家や官僚の言っていることはあてすらにしないほうがよい。問題を被るのは結局国民なんだから、国民の世論を一番大事にすべきだろう。

津波が来ているときに、津波が来ているのを知っていても大丈夫だと避難もさせないのと同じで、来てから逃げろでは多くの命が失われる。救える命をすくう対策を練るのがトップの役割なのである。経済的な問題でも、我慢するときに我慢しないと、ほんとうに大きなものを失って食べるものにも困るような事態は避けないとならないだろう。1000人集まれば、一人は感染者がいるだろう。10万人も世界中からあつまればどころじゃないどころのクラスター騒ぎになるのは目にみえている。集団免疫を目指す国ももちろん参加するなとは言えないし、想定しないといけないのは対戦拒否問題もでてくるだろう。時間があっても医療体制も十分にしようとせず、そういうところにはお金は使いたくはないのが日本の政治体質で、感染経路の特定とかどうでもよいことばかりに時間と労力を使ってしまって感染の拡大を黙認してしまっている。問題はそういう体質。実際、何十万人どころか何百万人の日本人は新型コロナに感染済みというのは、神戸の一般人の採取された血液を調査して分かっている。ほんとたくさんの人が新型コロナでなくなっているが、新型コロナの検査も受けられないから新型コロナの死者に上がっていないだけのことである。

問題の一つはマスメディアも利権が絡み過ぎているので、オリンピック中止論をテレビ局や新聞が議論することさえできない状態。テレワークじゃないけど、テレオリンピック開催にするとかだとまだリスクは少ないだろう。1年あればなんとかなるんじゃないか。STAY HOME という言葉が美徳的に大事にされる言葉になっているのに、オリンピックの延期さえもなんとかなるだろうみたいないい加減さで結論を先送りにして、予定通りの開催以外は口にしてはならないみたいな、中国の新型コロナの初動ミスとうり二つのことをやってしまってる。組織作ったり会議やってても実際は集まっているだけで最初から答えが決まっている実質ワンマン経営、言論統制は日本も醜いものがある。
2020年05月14日
市場に不織布マスクも十分に供給されるようになり始め、どのお店に入ってもほとんどの人がマスクを着用しているような状態。馬鹿な専門家は使い捨てマスクは一回で再利用すると害になるとかそういうことばかりで、無策の無能論を展開して、マスクが手にも入らない状況でマスクするなで、人々の感染のリスクを高めてしまうような方向にもっていこうとする。早くに布マスクを国内で準備していればこういうことにもならなかっただろうに、布マスクは意味がないとか、古い情報で頭が働いてもいない権威主義の専門家たち、基本食べ物の匂いがするとかだとウィルスの感染リスクはあるので、布マスクをしていて匂いがしないなんてことはないからウィルスに感染するリスクはもちろんある。だが、布マスクでもしているだけで、匂いが弱くなるので、無意味ではないのである。また、感染者が咳をしたさいに飛沫を飛ばさないということもあるし、感染者が鼻や口から息をしているだけで空気に交じって水分の微粒子とともにウィルスは排出されることになる。それが、マスクの内部で留まりやすいのである。布は水分を吸収するから。社会的ディスタンスを取れと言いながら、マスクは無意味だと言っている意味が分からない。いろんな人が自己防衛のため、また、他の人に感染を仮定したときに感染の拡大を防ぐために、マスクをつけるのがこの新型コロナ対策では一番効果が出やすい対策だと思う。

不織布マスクが多くの人が手軽に買えるとよいなあと思うし、また、布マスク2枚もあれば、何度も洗って使えるのでそれほどの金銭負担にはならない。布マスクに関しても煮沸消毒ができるような布マスクが一番良いだろうと思う。衛生的だし煮沸により汚れも落としやすいだろう。マスクを煮沸するときの注意は、マスクゴム。煮沸に耐えるポリエステル+スパンデックスタイプならそのまま煮沸が可能だが、ナイロン+スパンデックスタイプは、ナイロンが熱収縮しやすく硬化しやすい。ポリエステルは染まりにくい要素があって白などが普通。ナイロンは染めやすいのでカラーバージョンが可能。まあ、マスクゴムはときどき交換して使えばよいだろうとは思う。

マスクゴム通しを以前から自作して使っている。ゴム通しが手に入ればそれでよいし、ヘアピンなどの代用も可能だけど、マスクゴムに便利なゴム通しがあればよいなあと思って作ってみた「林与式マスクゴム通し」。べつに買わなくても、針金使って同じようなものを作られることも可能だと思う。参考にしていただきたい。普通のゴム通しは針のように穴に通すけども、先に穴にゴム通しを通してから、ゴム通しのなかにゴムを通して引き抜くとゴムが簡単に素早く通せる。今までのマスクゴムを通す苦労はなんだったんだろうと感じる道具である。私自身が布マスクをつくるにあたり、マスクゴムを手に入れたりから始まって、マスクゴムを通すのに便利な道具もあったらよいなあと思って作ってみた。

布マスクに関しても政府のマスクチームは無能すぎるのは、国内の縫製業者に頼めば、布マスクなんて数億枚くらいは簡単に供給ができるのに国内の縫製業者との契約は手続きの煩雑な入札形式で時間を取る形。海外のマスク以上にはちゃんとしたものが早く国民に持続性もあり供給ができるのに、裏で随意契約で大手とやっちゃうから逆に海外の繊維の素人がつくっているというのが現実の話になってしまう。良い方法をわざと避けるような国のマスクチーム、無能で、大手にマスクの知識もなく、投げやってるだけのかと思えてしまう。マスクチームに自分で布マスク作れるような人はいないのが一番の問題だろう、素人が指揮してどうするのというあたり。現地で作っている人に罪はない、それ相応の契約でそれなりのものを業者も仕入れているだけのこと。大手が投げやって作る形式が一番問題なんかも起こりやすいというだけの話。そして、その問題を解決するのが問題と関係のない日本の業者だったりする。大手の間に入るだけの繊維の商売ではよくありがちな話。
2020年05月13日
京都の問屋さんというのは、バブルのころの高校生の頃には一番元気だった業界の一つだったと思う。繊維の製造関係も昔からやっている地域の代表する家が多かったので、そういう家というのは土地などをたくさん持っていることもあって、戦後の土地神話とともに、借金してでも土地や株式を買えば寝てるだけで資産が増えていく時代で、国民が何十倍も裕福で製造業もつくれば売れた時代だったのである。経営者たちも勘違いした人が多く、繊維関係も成金的な考えに傾いてしまったのがその時代。繊維関係というのはブランド志向が強い業種なので、特にバブル向きの業種であったりする。ブランドがブランドラベルを付けるだけで何倍にも化けたのである。働くよりも借金して土地や株に投資すれば儲かった時代だったのである。

日本のものづくりではそういうことはありえなかったのだが、戦後の高度成長を伴ったひと世代というのはそういう時代を過ごしたがために、そのあとの厳しい時代には国際競争のなか働くことの現実を受け入れることも難しい。考え方が変われなければ続けていくことすらも難しいが、失敗に気づかなかった成金タイプほど深い痛手を背負うことになる。高度成長というのは投機的な成長の部分が大きく、その時代に偉そうにしていた人ほど働けるタイプの経営者は少ないのである。伝統的な繊維業界というのはそういう経営者たちを背負ってしまっていることが多い。それゆえに、そういう本質がみえない経営に陥った繊維産業が、経験も浅いファストブランドに足元をさらわれていったのである。

成り上がってしまって働けなくなった日本の人々を相手にするのではなく、生活するのも苦しく働きたい仕事が欲しい海外の素人のものづくりのほうが、ヨーイドンのスタートしたときに、目の前の一つのものごとでも簡単にできたりするものである。経験者というのはなり上がってしまっているんで高度成長期の村社会的モデルから抜け出せない人が多い。そういう人は目の前に仕事があってできることでもなかなか素直には動けないのである。結局、簡単なこともやらない経験が長くなり新しいものもつくることが難しくなってくる。作れば売れる時代が終わったときに創意工夫でできないことをできるようになる自力みたいなものが必要なのだが、そういうタイプの人は村社会的な構造では少ない。

問屋さん商売が難しいのは、簡単にできることでも簡単にやろうとせずにこねくり回してしまうこと。別の言い方をすれば仕事に覚悟がないからみたいな状態。おんぶにだっこしてもらうというよりは、おんぶにだっこしないといけないことが多くなってしまう。旧来の問屋型モデルではやると成り立たなくなるのは、「そうは問屋が卸さない」とかバカなこといってる連中がいたりするがその感覚が蔓延し過ぎて、観光気分で飛び歩いているばっかで、もうちょっと働けよと思うような問屋が増えすぎた。出来上がった荷物くらい自分の会社で受けたらどうなのとか思うのもそのあたりで、楽に仕事しようとする問屋はその存在自体が無駄だったりする。

取引に関しても、信用を調査しないといけないのは取引先としての問屋であることも多い。支払いがちゃんとできるのかとか、問屋業務をちゃんとできるのかとか、注文したものを正しく買えるのかとか。マイルールばっかりで、無理はさせるが自分が無理できない問屋が多いものである。年商何百億円のところほど、発注して作ったものを買わないとかやってしまうから、日本の問屋業界というのはもう無茶苦茶な状態で、それがへっちゃらなあたりがもう日本の繊維業界になってしまっている。問屋の間に商社がもう一つ必要な状態になってしまっている。繊維の業界でしか生きてゆけない人が問屋をやるとかいうのも無理な話で、もっと広い世界をしらないと人と人の間に入るのも難しい話なんじゃないのかと思うほど、新しいモノづくりとマイルールに縛られるのは相反する概念が多い。新しいモノづくりなんてやってみないとうまく行くかどうかも分からないのに会議に時間取っていてもそもそも無駄でそれに合わせているとうまくできる確率がどんどんと低くなる。実際の行動がどれだけ重要かというところに気が付いていないと、完成度の高いものができるのが偶然でしかなくなる。
2020年05月12日
新型コロナで職業によってダメージの差はあるだろう。観光業やホテル業などは、完全に詰んでしまったような状態だろう。自分自身でなんとか解決できるような問題でもない。小売業も同じことで、一般の顧客と接するような業種はウィルスの拡散の可能性が高いので、その経営主体が問題なくてもお客さんに感染者がいればお客さん同士やお客さんから従業員、従業員からお客さんに広まるから、自粛という結論になるんだろう。

こういうの考えると、検査くらい早めに準備して体制を整えておかないといけなかったことがよくわかる。怪しいなあとおもっても検査さえ受けられないような状態が長く続いた、怪しい本人だけじゃなくその家族はたぶん感染してしまうし、その家族が自覚症状がなければ外で感染を増やす、そういうの当たり前のことで、検査体制を整えることが本当に大事なのだが、それが後回し後回しになった。陽性患者がでると病院が面倒を見ないといけなくなるから医療崩壊が起こるから検査ができなかったんだろうが、結局は市中での消化ということになって死者の増産とう結果。著名人は死んだらコロナ検査されるけども、一般人は、死んでもコロナ検査されていないのが普通で、本当にどれだけ被害が広がっているのかも把握すらできないどころか、胡散臭いことやってた行政は数字を小さく見せようとするところがある。

林与の仕事というのはダメージが少ないほうで、現場も一人でする作業がほとんどである。外のお客さんとの接触も少ない。まあ、恵まれているように思うけども、それはそもそも華がない仕事的な部分でコロナでなくても、田舎商売なんてものは、観光客の来ない観光業みたいなものなんだろうなあと思う。繊維関係でも会社によっては、小売りなんかに重点を置いて観光業化されているところもあるから、どちらかというと林与は逆のものづくりのほうの路線に重点を置いているので地味な作業路線、だから影響も少ないんだろうと思う。

ウェブで53歳の人を見た。年寄りに見えた。私も他の人がみれば十分に年寄りだろうなあ、今の年配者が面倒くさがるばかりで子供のように見えてしまう、若い子たちのほうがしっかりと真面目に物事を考えて生きている。若い人たちがほんと気の毒に思う。普通に地道に働くというあたりを残していきたい。





2020年05月10日
このコロナで一番日本人の特徴が出たのが大臣や官僚たちの愚かさの一方で、日本人の手作りマスクの世界だと思う。プリーツマスクや立体マスクなんて結構難しいのに、お母さん方が家族のためにミシンを使って手作り。私がそういうのを見て、日本の考え方ってやっぱり違うなあと思う。自分がなんとか解決しようと一般の人が作ったこともないマスクを作ろうとする。これは、マスク商社が海外からマスク仕入る以上に何倍も意味がある。

自分の命や家族の命を自分で守るとか、他のものに感染を広げないようにマスクするとか、日本らしい部分だろうと思う。大臣や官僚からすれば日本国民の命は10万円ももったいない話から始まる。国の金は大臣や官僚のものではなく、国民のものという意識すらないから、消えた年金なんてのも当たり前に起こって、GPIFで今も年金は解けてゆく。今のGPIFは売買手数料で何兆円が消えちゃうような想定もできる。

売買手数料で4割消えたとか、無能な連中が委託して資産運用させてたら、日本の年金資金が普通に消える。これが本当は国民の老後のお金であって、国民の健康を守るためのお金が、業者たちの好き放題がやろうとおもえばできる不透明な状況。国民の老後を失う前に早くやめるべきだろう。まさか、年金のカネまで取り出せないように溶かしてしまうとはさすが、結局は、財政を破綻させて消費税の値上げ路線だろう。

IMFが新型コロナがまだそれほど広まっていない2月に、日本は新型コロナの不況から脱出するためには消費税を15%にするしか方法はないとか発表。蔓延させて消費税を上げるとうシナリオが政府の裏では進行していたということだろう。IMFもなぜ日本の消費税問題をいうのかとういうと、財務官僚の天下り先がIMFだから、国際組織を装って日本国内を胡散臭い方向に誘導、消費税を上げたい官僚にとってはコロナは蔓延したほうがよいという話。日本が新型コロナに対して無策だったのもそのあたりのことばかりが頭のなかにあったんだろうと思う。不謹慎なIMFの消費税増税論、闇は深い。

国民がマスクが手に入らないからマスクを自作して家族を守ろうとしているのに、日本政府はお門違いなことばかりやって、蔓延させる気満々だったとしかいいようがない。マスクは害だとか不要論まで出た、あれはなんだったのか。血液製剤の薬害エイズと同じで、厚生労働省が人の命を一番軽んじる立場では駄目だろう。
2020年05月10日
自分が働いてじゃなく指図するだけで人を働かせてみたいな構図こそがまさにブラックな構造で日本の国の権威主義がその典型。階級社会を一生懸命につくろうとして、自分のやっていることを逆の立場になったときに受け入れられるのかというとまったく無理なタイプが国民性の良さを食い物にしているだけのこと。

児童労働なんかでもかわいそうにおもうなら大人が代わりに自分がしてあげるのが一番の解決方法なのだが、現地の大人も、かわいそうという先進国の大人も、結局、自分がその必要な労働をする気持ちなく、かわいそうというだけのことで、そういう階級社会を受け入れて子供を育てている現地の大人たちを叩いていたりするばかりで、他の人に解決方法を求めるばかりで正義感まんまん、それがそもそもブラックすぎて。

日本の受験勉強や部活なんていうのは、大人の労働よりも、ましてや、途上国の児童労働よりも厳しいのが普通。途上国の子供でも日本社会の子供の大変さには耐えられないだろう。役人根性みたいなものが、まさにブラックを生み出していて、私自身はブラックという言葉も本当は使いたくないのだけど、無神経にブラックという、黒いが悪いというのを平気でホワイトな人たちがブラックといって差別しているだけ、ホワイトという言葉の意味を非道と置き換えるべきじゃないのかとも思うのはそのあたり。

すべて楽しているものを正当化するために、楽しているものがさらに自分がそれを受け入れて解決する出なく叩くだけで正義感たっぷりだけのことが多い。自分自身が体動かして解決できる問題を解決していくのが本当の大人の仕事、逆に言うと頭が良いとか、金持ってるとかで人を当たり前に地位が上だみたいに仕切ろうとするのは非道な精神でしかない。

お金出さないと優秀な人は集まらないみたいな考えもあるけど、日本の役人よりも児童労働の子供のほうが優秀な労働者で、人間としても上かもしれないが、それをかわいそうだというのが本質がみえないところで、せめて自分たちがそういうのを救うために法律の厳しさを味わったらどうかと思うが、王のような身分で偉そうに頓珍漢な保身を説教する。WHOのテドロスも本当にバカなのは、権限はないとか言って、渡航禁止勧告すらも覚悟決めて出さないで、カネだけ集めて立場にすがっているだけのこと。金や立場に欲がですぎて、思い切って責任を被る覚悟もないものがこの新型コロナの世界のトップ。マスク不要論を出したのもWHOで、WHOが引用のCDCがマスクの有効性を認めているのは、普通誰が考えても人々を新型コロナから守る最低限のレベル。

基本的に、WHOもCDCも初期の段階で、自分たちにできることがないから、スウェーデン的な方向を持って、コモンウィルスになって当たり前で、なんら対策をとらなかったのが一番の問題で、恐れるなとかみたいな馬鹿もの発送。CDCというのは新型インフルでアメリカ人が10万人死のうがそれが普通の感覚の研究所で、感染から一人でも多くの人間を救おうという組織でもない。死のうが他人事なのである。そういうのを過信して世界が動いていては駄目なのだが、福島と同じで責任逃ればかりの権威主義というのは無くなったほうがよい。
2020年05月09日
37.5度が4日続いたら保健所に相談してみたいなのを国が流して、それは国民の勘違いだという発言を大臣がやったようで、どれだけの人がこの大臣のせいで死んでしまったかという問題。これだけ時間があって受診させようともしないでいてそれを国民の単なる勘違いでは済まず、反省の気持ちすらないから、厚生労働省が、死者を増産してしまうような、国害レベルなのである。日本人は悪政でも我慢して受け入れる体質があるが、本人たちはどこまでも命の危機すらも我慢しろといって我慢させるのは、戦争で自分たちが戦地に行かず国民を戦地に行かせて、戦後に自分たちは命を捨てろなんて言ってないというのと同じレベル。逃げて死にたくない軍部の人間たちが一般のものを死に直面させるような構造は今の日本でもあるんだなあと思う。

私自身仕方ないことは仕方ないだけど、できる努力もせずにそれを国民の勘違いのせいにするのは、戦前の軍部が戦後にやった人間として一番恥じるべきところで、自分が一番に死ぬ覚悟でいないといけないのに、死んだ人もいるのに、それはお前らが馬鹿というレベルで、オレオレ詐欺以上に悪質。どうしてここまで、責任感すらもなく上に立ちたい人間が多いのかという問題。ニューヨーク州知事が評価が高く、WHOのテロドスが酷評されるが、まさに金だけあつめて自分は権限がないとかで逃げてるWHOレベルなのである。

問題はCDCだろう、新型コロナを検査もせずに2月半ばまで放っておいた、4月末時点でニューヨークの2割の人が感染者済みレベル。そのあとダイヤモンドプリンセス号の乗客がアメリカ本国の軍事基地で隔離される。そこまではほとんど感染者がいないかのように検査もせずで、検査し始めると多くが感染していたということ。新型インフルで多く死んでいたのが新型コロナであっただろうと思われる。CDCは知っていたんじゃないかと思うし、CDCのような感染研究所が国内の新型コロナ検査を2月半ばまでしていないのが異常すぎる。それでいて12月には、新型コロナはコモンウィルスになるだろうとか、良く知っているような説明。アメリカ国内で一番最初に被害が広がっていたように思われる。

アメリカという国は、医療保険が義務化されていないので、病気で死ぬのも自己責任という国。その考え方がコモンウィルス的な自己責任の世界で、研究はするが、人の命を救うために研究するとかいう感覚が感じられないのが、優秀とされるCDC的な研究機関。いくらお金をそういうのにつぎ込んでも、人の命は救われないだろう。感染経路を調べたりとか感染者を避けるのが精一杯な話で終わる。

もちろん、武漢もアメリカの新型インフルは研究していただろうから、武漢のウィルス研究所からアメリカのインフルが漏れた可能性は高い。それが新型コロナだとしたら研究者たちは感染しているだろう。それが武漢で広まるのも分かる。アメリカが生物兵器ではないと判断しているのもアメリカがなにか知っている可能性は高い。アメリカの新型インフルとはいったいなんなのかなあと思う。アメリカで年寄りがたくさん新型インフルで免疫不全で死んでたらそれは新型コロナだったという可能性が高い。

本当の真実が大きく隠されてるまま、問題が巨大化したということじゃないかと思える。CDCはマスクをつけるなという姿勢で、新型コロナに関しては意図的に蔓延させようとしていたようなあたりがあって、どちらかというとスウェーデン型を目指していたが、大失敗でみたいなで、今更表舞台に出るもできないような状況。新型コロナに関しては隠れてしまっているような存在がCDC、感染症の世界的研究機関として動かないといけないのだが、発表することは2週間とか1か月の中国の発表。その間、正反対のことを正しいとして蔓延を助長してしまっている。気を付けておくべきことを対策させないような動きが目立つのがCDCとWHO,そしてそれを受け売りする日本の厚生労働省。
2020年05月05日
昨日の夜、郵便局がしまっているのでコンビニで切手を買った。120円切手5枚というと店員がレジで120円5枚を打つ。

実際に調べると在庫は4枚しかない、それなら4枚で良いよ、と返事する。120円が返ってくる。レシートは5枚のまま渡される。私がお店のこと心配して、これ大丈夫かと他の店員のアドバイスを受けるように誘導するが、直しますとボールペンで2本線引いて、5枚600円を、4枚480円に。

それなりに私も努力した、高校生か大学生かの研修中なので、一回それでどうなるか経験して次に生かしてもらえばいいだろう。私も小さな金額は自腹で解決することもおおいから、研修中のアルバイトも失敗を積み重ねて失敗したときにどうなるかを経験するも大事なこと。

高校生や大学生でレシートの意味を理解しろと言うのがそもそも無理な話だが、普通、田舎のおっちゃんおばちゃんでも同じくらいだし、誤差や間違いは出るのが当たり前。

それをどうやって吸収するのかが、大事な部分。レシートをボールペンで訂正、初めての問題にも精一杯やってくれて、それに訂正印を押すのがどうこうまでは、自分の会社の社員だったら教えるけども、コンビニのアルバイトと言うのは正社員以上に複雑な業務で大変だなあと思う。レジが合わなくなる問題も起きてくるだろう。

プリントアウトされたものを信じて手書きで訂正されたものを信じないと言うのも、エシカルトかサステイナブルを考えると、正直に訂正しただけのことで形式にこだわって、一番エコで、子供でも対応できるユニバーサルなあたり。

順番に成長して行けば良いんだろうと思う。最初からすべて正しいはなかなか難しい話。完璧じゃなかったけど、何でも店長に確認している者よりは、大物になりそうな気がする。だから、細かいことは正さずに放っておいた。
2020年05月03日
10万円の給付の話で思うのが、田舎の一人暮らしの収入のないお年寄り。そういうお年寄りは贅沢もしていないけども生活すらもが新型コロナがというのではなく、それ以前に厳しいところで生きておられる。そういう方にお金が回るようになればその10万円はひと月のことじゃなく、半年ほどの支えになろう、いざというときの蓄えになろう。

消費拡大のために給付するとかの下衆な考えだと、なぜ給付が必要なのかという本質も見えていないだろう。人々に配られた金が自分の懐に入ってくるようなメカニズムを狙ってては本当に救うべき人を救うこともできない。自由に一番必要なものに使えるように給付しないと給付する意味すらも給付されたありがたさもなくなってしまう。消費させようという発想がそもそも見下している感がある。自分が他のひとの何十倍、何百倍も消費すれば十分経済効果になるだろう。無理やり消費させてなんの意味があるんだろうという話。

このコロナの状況下に置かれても、普通の人々は自分で自分の生活を支えてゆかないと成らない部分がある。今までは人手不足人手不足といわれていたのが、それも状況が変わってきた。1年2年では改善しないくらいのどこもが人を余す仕事不足の状況になるだろう。そういう中でもできる人は求められているのでそういう力をもっているべきだろう。

こういう不況下に置かれても繊維の世界だと今はマスク需要があったりして、アパレル不況だと何もしないよりは、マスク作りの経験がなくてもマスクの需要があるなら普段の仕事の延長と考えて、自分がマスク作りの経験を一通りしてみるのもよいだろうと思う。2008年頃にデフレ不況そのものの時に、まったく逆の最高級を目指したアイリッシュリネンのプロジェクトをやってみたり。その時々に、なにやっても無駄だといってるよりも、自分で自分のやってることを信じて精一杯動いてみるという姿勢が一番大事だろうと思う。