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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年8月
リネン日記:28
2012年08月31日
普通は8月というと忙しい月ではないのですが、今年の8月は人が足りない側面もあって、仕事に追われている1ヶ月でした。今日は朝、県内の高校生が滋賀県の麻織物について知りたいということでお越しいただきお話しました。

私が学生のときを振り返ると、仕事をするということが良くわかっておらず、なんでそんなに忙しいのだろうと考えていました。上手にすればよいだけのことだと考えていましたが、現実の仕事というのは効率よく方法はあるのですが、受注型の小ロット多品種なもの作りでは効率よくできることはないものです。

午後からもお客様で、夕方から月末ということで会計事務所に書類を取りに行きました。往復1時間半ほどのことですが、もうちょっとで会社というところで、疲れきってしまい。車を止めて休憩しました。夜は、京都中央郵便局に行ってサンプルをEMSで発送しました。ものをつくる部分だけではなく、仕入れや販売などものを動かす部分でも非常に大きな力を使います。
2012年08月30日
昨日から急ぎの糸が染まってきて夜中に巻き上げて、整経が始まりました。早くできる仕事は早くこなしていくことが大事で、ジャストインタイム的な考え方というのは無駄が多すぎるものです。余裕の時間を生み出してそこで仕事を生まないと…。

今日は、午前中は京都のプリント工場さんが起こしになられ、午後からは大阪の和装関連の方がおみえくださいました。8月のお盆すぎから電話での問い合わせが何件かあって、これから来年の企画を進めようとされるところも多いようです。今年は企画の進行がどこも早いように思います。

大阪のお客さんは繊維関連で生地の調達というのが難しくなってきたことを心配されておりました。大阪でも和装関連の織をされているのは70代の方で次の世代がないということ。今は、まだ機を動かしているところがあってもこれから先のことを考えて生地を織れるところを探しておられるということだそうです。

今日も夜の工場の中は30度を越えていて機の乗せ換えをやっている途中で、疲れきってしまって、近くの食べ放題で食べ放題してから再度乗せ換えにチャレンジ。食べ物というのも点滴と同じで血液の中にエネルギーを送り込みます。
2012年08月29日
今日は金襴織物の工場の社長さんから電話を頂きました。同級生の親父さんなのですが、麻織物というのは簡単だといっておられました。言われることも分かる気もするのです。金襴織物のように、多色の金の糸を使ってジャガード織りをするためには、かなりの意匠をこなせる職人が必要で、また、密度が高いので織るのも非常に時間の掛かる仕事です。

金襴織物というのは、仏壇やお寺用の織物の場合がほとんどですので、値段なんかも非常に高いということです。ファッションアイテム以上に、堅い需要のある商売なのでしょうが、仏壇自体が売ることが難しくなっている時代ですので、織物の生産ロットが非常に小さくなっているそうです。

2012年08月28日
今日は、午後にヘムズロイド村で30分ほど休憩をしました。森の中に5軒ほどの工房があって、良い感じなのですが、完全に陸の孤島という感じで、良い感じの場所なのに観光客はゼロで仕事に打ち込むだけの場所のようです。

森の木陰に包まれて、そこを風が流れるだけで、外の暑い日ざしの下とは別世界で、トンボなんかが木漏れ日の中を舞っています。本来、こういう山の中のような感じの緑に包まれた場所というのがあれば、地球の表面温度を下げるのに貢献をするのでしょう。

木工細工を作る工房のようなものがあって、薪が山積みになっています。大きなPLガスのボンベがどの工房にも付いていますが、本来なら薪を燃やした火を使うべきなのでしょうが、それも許されない時代になってしまっているのでしょうか。サステイナブルな社会を考えるときに昔は許された自然なことすらも許されないという壁が多すぎるように思うものです。

今日ショッピングモールでは、2Lのペットボトルに入った水が67円、6個400円ほどで販売されていました。水を飲むためにペットボトルが作られてそれがゴミとなり再利用される流れを考えると、昔のコカコーラのビンのように容器を使い捨てずにメーカーが回収して洗って再利用していたことは今の時代以上に生きたシステムですごいことだったなあと思います。

ペットボトル一つにしてもそれに自分で水を入れて持ちまわれば何十回も使える立派な水筒であり、それがリサイクルされてしまうもったいなさを感じます。日常の生活で、使えるものがリサイクルされてしまう文化というものは、昔のように洋服でも着ることができなくなるまで誰かの手に渡っていた頃というのは、作られたものがすべて有効に生かされていた時代だったんだなあと思います。

ヘムズロイド村の存在を知ったのも実は、プレミアムテキスタイルジャパンにこられたお客様からです。ひっそりとした中にあるだけに、しっかりとしたものを生んでいく力が生まれるのではないかと思うのです。観光地化すると売れれば勝ちみたいになって俗っぽく薄くなりがちですので、ものづくりの場所というのは観光地化して欲しくないような気もします。
2012年08月26日
今日は、夕方隣組の会があってそのあと食事会がありました。食事会は毎回牛肉のすきやき鍋ということで決まっておるようです。私以外は60代、70代、80代の方ばかり、それを考えると私の家というのは世代交代が早かったということになります。

村の中に住んでいても仕事ばかり状態ですので、ご近所の情報というのは入ってきません。村の人の名前を聞いても顔が浮かんで来ないケースが多いのでやばいなあと思いながらも、あと20年ほどしたら村の形も相当変わるだろうなあと想像しています。

何十年も昔から続いている感覚で引き継ぐというのは、商売も同じですが、大きな決断ということがしにくいものです。引き継ぐばかりでいるとやり続けたとしても中身は薄くなっていくばかりで続けていくことすらもが難しくなっていきます。

続けていくことが難しい時代ですので続けていること自体に対する評価は高いのですが、村の行事や組織にしても、止めよう続けようという180度反対の考えのぶつかり合いで、一つとしてまとまって行事などを運営していくことの難しさを感じます。

商売なんかでは、次々と消えていく新しいものを生み出すスタイルというのは商売自体が同じ形では長続きしないスタイルで、産業の高次元化や業種転換につながっていきます。しかしながらも、本質的なもののイメージを守るがためにも新しいものも手がけておくのは大事だろうと思います。
2012年08月25日
リネンを藍で染めたものというのは染め方にもよるとは思いますが、深く染めると綺麗な輝く色に染まります。本藍染めできつい色止めをしないので色落ちが心配なのですが、色が少しづつ落ちて変わっていくのを楽しむのもよいのかと思います。

今回、染めたロットは私が好きな光沢感のある紺色に染まりあがりました。藍が生きているというのは染まってからも本当だと思います。生きているかのように光沢を放ち存在感を魅せつけます。天然染料から化学染料に置き換わった背景というのは、さまざまな要素があると思いますが、どんな色でも出せることより、これしか出ないというのは天然染料の強みだと思います。

リネンとうものは染まり易いのですが、色落ちもし易いというのは、洗っていると色が流れ出ていきます。リネンが汚れを吸収し易く、水で落としやすいというのの裏返しだろうと思います。リネンのスラブのところがどうしても染料が入りにくいのか、薄くムラ感をもって染まってしまうのです。染めた瞬間はソリッドな感じに染まっていますが、水洗いなどをするとスラブの太いところほど薄く見えてしまいます。
2012年08月24日
レピアというのは、糸の端っこを左から右へと運ぶための部品なのですが、一分間に150回から180回くらい糸の引渡しをします。板バネなどで微妙にテンション調整をして、金属部品が糸を掴んで受け渡しをするので、掴む部位の形状を調整したり、掴む強さを調整したり、掴むタイミングを調整したりで、うまく、織物が織れる様にします。

非常に、高速で動いているので調子が悪いときにそれが、何の原因なのかを考えることになります。基本的には、機械というのは非常に正直ですので、調子が悪いときには調子が悪い理由があり、それを頭で考えて見つけ出さないと、下手な調節をすると、ちょうど良い調節になっているところを悪く調節することになり、織機がぼろぼろの状態になってしまいます。

織機の調節にしても、順番に考えていけばよいのでそれほど難しいことは少ないのですが、織機を調節するために手が動くかどうか、自分の手の感覚というものが非常に大事です。産地で織物を織ることができなくなった背景には、織機を上手に調節することができる人が少なくなったということも大きな原因です。

織物工場というのは織るのが仕事のように思われるかもしれませんが、織るのが仕事というよりも機械の調節こそが仕事みたいなところがあります。今の時代は、自動車や電気産業でも修理や調節が出来る人というのは本当に少なくなっています。部品を交換することはできても調節ができないのです。

2012年08月23日
今日は朝のうちに輸出の契約書などを準備して送りました。ちょうど、滋賀県産業支援プラザの経営・国際ビジネス支援グループから9月28日にコラボしが21で行われます英文契約書講座のご案内が届きました。私自身、見よう見まねで契約書を書いているので、一度すっきりと契約書の書き方などを学べればと参加できればと思っています。

机に座って勉強するのはそれほど役に立たないことも多いもので、実際に仕事としてこなして一つ一つ身に付けていくうちに全体が見えてくるほうが、本当に仕事のできる人間になります。こうやったらどうなるんだろうと思うことを一つ自分の力でやってみて、無駄な結果をみて感覚的にこれはこうという定石みたいなものが出来上がってくるもの。

座って勉強をしていると体を動かすことが苦手になることが多いものです。体を動かすことになれることこそが仕事の上達につながるのです。ハローワークの人と話をしていても、普通科と工業科の高校生では、工業科のほうが当たり外れがないといわれているそうです。工場の中での実際の仕事というのは机に座ってするのではなく手や体を動かすことが仕事なので一般的な作業に慣れているのか慣れていないのかが大事です。

他の会社に仕事を任せると用意された糸からして、撚糸一つにしても自分で用意する糸とはまったく違って大変なことも多いものです。指図どおりにやったといわれても、まったく違う答えで、こういうところどこでも出来るものではないのを感じます。通常は積み重ねで撚糸なども徹底的に織れる状態のものにコントロールをするのが当たり前なのですが、それすらも簡単に考えておられるとフォローするだけで何倍もの時間を使ってしまいます。

簡単じゃあないものを作ろうとされて簡単に考えられているあたりが、準備が出来ていないのでゴタゴタになり、長い目でみると簡単なものばかりが流れてしまう結果につながっています。
2012年08月21日
今日は午前中、加工工場さんがお見えくださり久しぶりにゆっくりとお話させていただきました。毎年ですが、夏場というものは加工工場は比較的暇な時期にあたり、秋からの本生産に備えて準備の時期の状況のようです。

織物工場の場合は、一人が何台かの織機を動かすことで仕事が成り立ちますが、加工工場さんの場合は、一つの工程を何人もが一緒に行われるような形で、丁寧な仕事をされようとすると何人もの人が一つの布を見守られるような形になります。

定番的な流れを汲むものというのは、加工に関しても一夜漬けで出来るようなものではなく、一つの織りあがった布を仕上げるためにいろいろな処理工程を経て表情をもった布になるものです。先染織物というのは小ロットでの生産が基本的には難しい製品になり、加工工場さんにしましても小ロットでの生産というものが成り立ちにくく悩まれているのは同じようです。

人の力をたくさん使ってものをつくるのか、機械の力をたくさん使ってものをつくるのかで、ものづくりのスタイルというのはまったく違う方向に変わってきます。機械に依存した布というのは素人でも作れないことはありません。でも、人の力に依存した布というのは機械と同様に早く正確な仕事ができないとなかなか難しいものです。
2012年08月20日
急ぎで動いていた仕事で生地商社の担当の方から連絡がお盆を明けてもないので、電話で連絡を入れてみると怪我をされてここしばらくお休みされているとのこと、常に仕事を優先しながらも仕事というものが一番でないことを感じる瞬間です。私の案件は私の意向で数ヶ月早めに動いていてくださったので対応は柔軟にできると思うのですが、切羽詰った案件も抱えておられるだろうで本当に気の毒です。

これは東日本大震災で被災された企業さんにもいえることだと思うのですが、1年の仕事がないとその仕事というのは他に振り分けられてしまうので、その翌年にまた仕事があるかというとそう簡単なものではありません。以前、同業者の方で突然入院をされて、一年の受けていた仕事ができない状態になって回復されてからも仕事を元に戻すことも難しく、廃業されたケースなどもありました。元気であれば、目の前にある仕事に全力で取り組めるという幸せはものづくりの健全な考え方ではないのかと思います。いやいや作られた布よりも仕事に幸せを感じて作られた布のほうが着られる方も幸せになるのではと思うところです。現場の仕事は厳しいものでそれにどう前向きに取り組むかだと思います。

昨日は菱沼良樹氏からパリでのオートクチュール展を開催されたご連絡をいただきました。著名な日本人デザイナーの皆さんの海外での活躍というのは、日本国内の繊維業界が明るい話題というものが少ない中で、日本のものづくりのイメージを牽引されていく原動力となるといえます。今月の初めに上海のトップデザイナーZiggyChen氏も弊社にお越しくださりお話していると一つのブランドというよりも国のイメージを背負われて国際的な舞台で発表をされているような感じを受けます。

デザイナーがデザイナーとしての真直ぐな姿勢に見える活動をされているのは今の時代では失われた聖域であるかのように思えますが、見た人が惹きつけられるようなイメージというのは、華やかに見える裏に貫いたようなコンセプトがあってからこそ特別に見えるのだろうと思います。
2012年08月19日
昨日は時々雨みたいなお天気の中、夕方からは地蔵盆が行われました。近江湖東地域というのは、実は宗教に信仰心の面では昔から強い地域だといわれていました。今も山の神様の風習が残っていたり、宗教に絡んだ講と呼ばれるものが本来は何なのかも分からないまま残っていたりします。仏教の強い信仰があり、また、神道への強い信仰もあって、それが地域社会というものを纏めているひとつの要素になっているのが伺えます。

200軒ほどの村に4つのお寺があったり地蔵盆も6箇所で行われます。地蔵盆というのが子供の自治で行われていると案外良い感じなのですが、親の力が入ると俗っぽいものになってしまって、手作り感というものが消えてしまいます。子供たちの力をどれだけ引き出すかが大事なところで、子供たちの力を引き出せないなら逆にそれがマイナスのイベントになる可能性もあります。

今の時代というのは、子供が犠牲になる大きな事件が起こってからは、親が包含集めについて回るようになりました。地蔵盆の協賛費を村の中の家を回って集めるような感じですが、子供が行ったこともない家にお金をもらいに行き、お金がもらえるというのもすごいなあと小学1年生のときから思っていました。村の中の家や人を知るチャンスだったりいたします。近所や親戚の家には行きやすかったのを覚えています。また、企業にも小学生が行ってお金をもらうので、昔というのは子供でも大人と同様に字で行事をするときには字のみんなからお金を集めるというような風習の練習になっていたといえます。各家が渡す金額も50円から500円くらいで任意なところが気持ちそのものだったりします。金額に関しても何十年も昔からエスカレートしていないのも良いところです。

人々の気持ちに支えられているのが地蔵盆で、上の学年の子供は下の学年の子に教えたり面倒を見るという小さな頃からの上下関係に関する躾も、比較的自由な裁量を与えられた地蔵盆という活動の中で身についていきます。
2012年08月18日
今日は雨の降る一日で、朝に雨が降っていないときに開けた窓が昼過ぎのきつい雨のときにしまっていなくて工場の中が水浸しな感じで、何年かに一度こういうことが起こってます。工場の開閉式の窓は、上が開く方式の窓なので、太陽の光などが入って来やすくよいのですが雨に弱いのです。

織物をしておられる方は、筬などを2本通しにされることが多いことでしょう。なぜ、2本通しなのか、考えられたことがありますか?私は織物を始めた最初の日になぜ昔から筬に2本づつ通すのだろうかと思いました。なぜ、1本通しにしないのか?もちろん、1本通しにする織物は織物であります。

2本通しにするのは、織密度を上げて織物にボリュームを持たせることができるのです。普通の織物はガーゼっぽくないので、ガーゼっぽいものなら1本通しのほうが、生機の状態から一本一本が綺麗に並ぶので、1本通しのほうがよいかもしれません。

普通は織物というのは、ある程度の厚さが必要ですので、ある程度の厚さを持たせたときには2本通しくらいが一番スムーズに織りやすいのです。

3本通しというのも3枚ギシャなんかを織るときにはやりますが、2本通しでやっても3枚ギシャに見えるものですが、正しく3本通しにしてあげるほうが、より、はっきりと3本がまとまって綺麗な織物になります。ギシャなんかは薄手ですので通し方が重要です。

普通の織物というのはそれなりに普通の厚さがあり、シースルーなものではありませんので、そういうものを織るには2本通しにしてあげるのが織物を織りやすいのです。普通の厚さの場合、2本と押しというのは筬目が織物に見えてきませんが、3本通し、4本通しにしてしまうと普通の厚さの織物では筬目が残ってしまい、そうやって織ったことが分かってしまいます。
2012年08月17日
昼間は、工場というのは窓も開けておくことができるので涼しくてよい感じです。今日は、夜に窓から涼しい風が入るようにリネンガーゼを窓の外から窓枠に貼り付けました。これで工場の中も快適に仕事ができそうです。

ブームというのは、30年に一度めぐってくるものですというのが林与の持論です。一過性のブームを作り上げるとその後、30年は飽きられてしまって下火続きになってしまうものなのです。この30年というのは、一代を意味します。昔、自分が熱くなったことに同じように熱くなれるのかというと、それは一生に一度のことで、世間というのも同じ、ある世代で強烈なブームになったものはその記憶が消える次の世代までブームになることはないのです。

観光地やイベントなんかは別かもしれません。訪れたことでよい思い出ができれば、毎年行くような場所になるのかもと思います。価値観というものは自分の中で生まれる場合と、周囲の影響を受けてそれが自分の価値観となる場合があります。自分の中で生まれる価値観等のは実は非常に大事なもので、周囲の価値観は大きく移り変わりますのでそれに流されてしまうと自分を失うことになり、存在自体が薄まることになります。

販売の立場の人ですとブームを渡り歩くというのが王道ですが、地場的なものづくりでは作れる量というのも限られていますのでブームというのは緩やかで、リピートいただけるような形につながっていくことを考えていかねばならないと思います。サステイナビリティとうのは素材だけにでなく、ものづくりの環境に対しても求めていかなければならないコンセプトなんじゃあないかと思うところで、ものづくりの環境のサステイナビリティが壊れているのが海外よりも国内なのかもしれないと思います。
2012年08月16日
夜、仕事を工場の中でして、夜なのに暑いなあと思いながら温度計があったので見ると31度、外は涼しいので、窓を開けたいですが、羽虫が入ってくると後が大変なのと音が漏れないように開けないことにしています。

昔は工場にも水冷式の冷房設備までも作って工場内の夏場の暑さを軽減しようとしたのですが、水冷式では水分が使っていないときにもエアダフトの中に溜まったりするので、生地をつくる環境としてはよくないということで15年ほど前に使わないことにしました。水冷式というのは本来麻織物を織るのには悪くない方法です。今の業務用のエアコンプレッサー式の大型エアコンというのは麻織物を織るのには逆に良くないのです。エアコンを使ったのは数年の夏の暑い日のことで設備自体もったいないものになってしまいました。

日本においては、林与は、レピアで麻を織る時代を作り上げた先駆者でもありました。レピアで高品位な麻織物が織れるのが分かると、日本でも麻をレピアで織る時代が到来をしたのです。レピアで麻を織り始めることができたことが、それが1970年代の空前の麻ブームを引き起こすきっかけの一つでもあったのです。

麻ブームというものは面白いものでオイルショック後のものが売れない時代に重なり、歴史的にみれば、その後の売れない時代の前触れでしかないのかなあと思います。その後は麻織物というものは湖東産地で織られる量というのは激減を続け、他産地や海外で織られるものにほとんどが置き換えられる時代になってきました。林与の場合は、自社規格の先染生地を展開していたので、他の量産の白や生成麻生地ではなかったがために逆に機を動かし続けることが出来たといえます。
2012年08月15日
今年のお盆休みは長く取られるところが多く、11日から19日までというところも多いようです。また一方で、お盆に関してはカレンダーどおりのところもあるようで、ギャップが大きいのかもしれません。8月15日というのは公式的には終戦記念日は休日ではないのは、国民の祝日という名称が妥当でないことからかもでしょうか。

外の世界が静かな間というのは、内部の貯まった宿題をするのには、ちょうど良いタイミングです。いつも追われて企画をしてそれを次々に吸収をしているので、自分がやるべきな企画などをじっくりと検討できるのもこの時期です。一つのことに一日をじっくりと費やすことも可能です。

昨日は、肌で味わうと書きましたが、昔というのはラミーにしてもリネンにしても、太い糸を使ったものというのはゴワゴワとしていたもので、細い糸を使って密度を上げることにより、同じ感じでもよりスムースなものが出来あがっていたのです。

今の時代というのは、仕上加工でその風合いというものを変化させることが可能です。硬くもできれば柔らかくもできます。林与の定番ソフト仕上げ(L25,L43,L66)はリネンのナチュラルさを残した仕上げで滑り感が出ないように仕上げてあります。30年以上続くシリーズですので、実績は高く、アレルギー体質の方や化学物質過敏症の方にも、「一度お試しください」、とお勧めをしやすい定番です。また、サイズが非常に安定していますので、そのまま水通しせずにそのまま裁断、縫製いただけます。
2012年08月14日
栄養素を凝縮した健康補助食品が本当に体に良いのか?というと、普通の食品のほうが長い目で見ると本質的には体に良いと思います。体というのは食べ物を体の仕組みを使って吸収することも大事な部分です。健康補助食品を摂ってばかりいると普通の食品を吸収できない体になってしまうんじゃあないかと思うのです。

飲食店で、その飲食店のクオリティを見るのに一番良いのは「ご飯」がどんな状態で出てくるかだと思います。一番ごまかしにくいものが白いご飯なのです。アメリカに居たときに、これは画期的だと思ったものにミニッツライスというものがありました。お湯をいれて1分でご飯が出来上がる。、食べてみるとお粥っぽくそれなりのものですが、日本では食管法の絡みで入って来ないのでしょう。アメリカのようにご飯も恋しくなるような状況だとミニッツライスでもご飯を食べた気分になったものです。アメリカの人からするとあれがご飯のイメージでご飯というのはおいしいものではないというのもうなずける話です。アメリカでもカリフォルニア米など普通にご飯を炊けば普通においしいですし、値段も相当安いです。

リネンに関しても、フラックスの産地というだけの問題ではなく、紡績やまた、織り、染め、加工も、リネンの品質には影響をしてきます。染めてあればフラックス原料の組成も染料と化学変化を起こして性質も変化するものです。麻織物というのは元来農作物の延長ですので、肌で味わう食べ物というところでしょうか。
2012年08月13日
先日あるところで、琵琶湖に関する冊子を読みました。安土城というお城の跡があるのですが、その安土山というのは、もともと琵琶湖にある島のような存在だったということです。湖東平野というのは琵琶湖岸から水面とほぼ同じ高さで山の麓近くまで続いていますが、もともとは、沼のような状態で、いまの琵琶湖の湖岸の形というのは戦後の食糧難を乗り越えるために田んぼを干拓で生み出し開発されたものであるということ。

私自身の滋賀県の地形に関する謎が解けました。本当なら周囲を山で囲まれていて、山か湖かのような状況だったのが、山から水が流れることで、山の土砂が平地や沼地を作っていったという感じで、沼地や内湖と呼ばれるものが多数存在してよいはずが、それらは干拓され農地に変わっていったのです。それをまた沼地に戻そうとする動きがあるようですが、私は、ころころと変えず長く続くことを行い長く続けることが大事だと思います。少しづつ自然を回復していくことが大事だろうと思うのです。

一度失われたものを取り戻すことは大変でその本質的なものを失いがちです。日本の着物の文化がその一つで、強制的に洋装文化に移行をさせられましたが、それをまた強制的に取り戻そうとすると、摘み取る行為と本質的なところで同じだろうなあと感じるのです。自然に育まれたものでなければ本当の価値は宿らず、一度、摘み取られてしまったものは取り戻したように見えても本当の価値を持っていないことも多いものです。
2012年08月12日
現在、アイリッシュリネンハンカチプロジェクトのほかにアパレル向けのリネンを先染で展開するプロジェクトも進行中です。アパレル向けにはオフ白の150番手の糸を手に入れ、それを先染にすることが可能なのかに挑戦したいと思っております。

今の時代の織機と糸の関係では細い糸を薄く織るのは比較的簡単で厚く織るのは難しいものです。昔はなぜあれほどまでに細い糸が出回っていたかというと手織りの時代というのは細い糸に需要があったからです。手織りするとしっかりとした厚い織物が出来上がるのが普通です。それは手機には巻き取りのギアがついていないので、織れるだけしっかりと織って織った分を巻き取るという織りかたをするからです。

今の時代の織機にはギアがついていますので、厚さの調整は非常に簡単です。一般的には程よい厚さに織ることを選ぶのですが、技術的には昔の手織の時代もののように細い糸を使ったしっかりとしたものを織るのは難しいものです。

25番手の織物、100番手の織物、この糸の細さの差が4倍あるということは、同じ規格で織物を織り上げたときに4倍の重さの差なのです。たとえば、1mに1500本X1500本の生機織物なら、25番手の織物は理論的に200g/平米で、実質的には、織り縮みや加工での縮みがありますので、230g/平米くらいになります。100番手なら、理論的には50g/平米で、実質的には55g程度でしょうか。

織筬の厚さなんかも影響をしてくるので一概には言えませんが、25番手と100番手では重さの差で4倍、これは見た目の糸の太さで2倍程度になります。縦横の密度を2倍上げてあげれば、25番手の織物を2倍に縮小した織物が出来上がることになるのです。110g程度の織物が織り上がることになります。生産性は切れない糸の場合だと横糸が増えた分2倍落ちることになり、切れやすい糸だと単純に縦糸も2倍、実際には、100番手となると糸の切れやすさが本数以上に増してしまいますのでそれ以上に生産性は落ちます。実質的な生産性は掛け算になりますので、生産性は6倍から10倍落ちることになります。

これを高密度化して2割密度を上げたり、極限に挑めば挑むほど、生産性が20倍、30倍低いような織物を作ることは可能です。本来、織物の価値というのはそういう織るのに掛かる時間にあったはずで、そこから良い糸を求めるような話になって、最終的にはトータルで高品位なものが出来上がっていました。今の時代は簡単に織れる織物が増えてしまっていますので打ち込みだけの本数の差ほどしか、生産性の低下はなくなってしまっています。

私自身は、織機の織るスピードというものも糸に掛かる負荷の観点から、大事ではないかと思っております。高速の織機というのは糸を乱暴に扱う織機ですので、糸の表面がどうしても荒れてしまいます。実際にはスピードの問題よりも織機の調整の問題のほうが大事です。織れているからといって、織機や麻糸の悲鳴が聞こえないと出来上がるものというのは、とりあえず織ったみたいなものになってしまいます。

アパレル向けの150番手に着手しますが、100番手のさらに2倍から5倍以上の生産性の低下だろうか、普通の織物を作るのの何十倍の時間を掛ける世界ですので、織ることに手間を掛けるという織物の本質に迫った生地が出来上がると思います。普通だとそこまで手間がかかるとドンキホーテー。

けど、それを馬鹿だなあと思うとに取り組んでいるうちに、他の人には出来ないものも一つ二つ生まれてくるのだと思います。私自身は技術依存というのは好きではないのです、布というのが単に技術だけでできる世界ではないと思います。数値的なものを書きましたが実際は人の感性というものが大事で布を作るときの布に対する思い入れのようなものが大事だろうなあと思っています。

ものづくりに対するコンセプチュアルな方向性があやふやだとそれがものに出てしまいます。これも私自身の持論で反論は多いと思いますが、自分自身が作る布なので自分が満足するものを作り上げる部分を残しておくことが一番大事なんだろうと思います。これは理想論をいっているのではありませんので、現実的には高度な仕事ができる環境を持って実際に取り組んで答えを出していくということだと思います。
2012年08月11日
皆さんがお盆休みに入りがちな今日は東円堂の盆踊り。昼過ぎには夏特有の雷を伴う雨、蒸し暑さもあまりない涼しげな雨上がりの夕方、準備をされる自治会の役の当たっている年配の皆さんの姿がみえました。田舎というのは過疎化が進行しながらも外からの請負行事や仕事というのが増えていきがちで、昔ながらの自主な行事の重みというものが減ってきてしまいました。

盆踊りにしても、30年以上昔の私が小学生のときでも、大学生くらいの人が、浴衣を着て踊っているのをみて、若い人が古風なことを守られているのは大変だろうなあと感じたものです。私が大学生になった年に、やんちゃ者だった一つ上の人が長をやられたのですが、その気配りというのは立派で、来て手伝ってくれる人というのを本当に大事にしておられました。

その方も、何年か後に夜中トラックに追突されなくなられたのですが、夏祭りのときになるといつもその人が優しくみんなをもてなしておられたのを思い出します。やんちゃ者で面倒見の良いそういう人ほど自分で一番面倒な部分を動いておられました。頭でっかちじゃあ駄目なあ、立場でえらそうにしていたら駄目だなあと思うのは、そういう良い人の思い出を思い出すとき。

いろいろなことを熱い気持ちをもって自分自身でやっていくことに意味があるのを思うのもそういう良い思い出から。動いて経験を自分で積んでいる人というのは徳があると感じるのも自分自身が理想にしたいところです。今日、ようやくチーズワインダーのローラー部分の修理が完了、ハンドル側の部分の交換修理を引き続き行う予定です。
2012年08月10日
今日は、チーズワインダーの修理を行いました。倉庫に20錘のチーズワインダーの同じタイプがあったので、そのローラー部分を取り外して工場まで持ってきて交換しようとしましたが、右と左が反対のタイプです。軸とローラーは共通の部品ですが、すべてのパーツの位置を調整しないとならないので、結局、両方のローラーを全部ばらして、一つの20錘綺麗なローラーを作ってそれをセットします。1台がゴミになってしまうのは残念なこと。

本来、チーズワインダーも何十年も大事に使うものなのですが、木管を付けないでスイッチを押したりすると1回で、ローラーに大きな傷がついてしまいまって終わりです。今回はそんな失敗で出来たキズのついたローラーを交換する作業で、この交換作業も非常に時間と手間は掛かるだけでなく、交換してもまた同じ結果になるのを恐れ、ようやく時期が来たと判断をして交換作業をしました。細い糸をチーズに小分けするときには、わずかなローラーのキズが命取りになるので、部分整経のための糸の小割は一番簡単な作業の一つではありますが、軽い気持ちで作業をすると30年大事に使ってきた機械が一回の作業で使えなくなってしまいます。

チーズワインダーのローラーの一つ一つが制度の高い鋳物で、取り外してその一つ一つを眺めると機械部品の完成度の高さには感心します。一個のローラーですらもが30年以上昔でも5万円ほどはする部品で、何十年経っても光っているあたり、一つ一つのローラーが高級なお皿以上に芸術品です。今は、このチーズワインダーを作っていたメーカーも、整経機のメーカーも、織機のメーカーも、ドビーのメーカーも事実上なくなっています。30年、40年と使える機械をつくることは、一度しか売れないことにつながり、メーカーというものは存続していくことは難しいものだなあと思います。

日本で織物を続けることが難しい背景には、機械設備の保守部品ですらもが手に入れることが非常に難しく、古いタイプにしがみつくのかあるいは新しいものに常に買い換えていくのかで、新しいものに買い換えたところほど今の機械の本質というものが安っぽくなってしまっていますので長持ちすることはありません。今の時代というのは機械を大事に使える人というのは希少な存在で、そういう人でないとこの仕事というのは続かないものなのです。