for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2013年1月
2013年1月
リネン日記:21
2013年01月28日
綿やスフ織物などを麻っぽく腰を持たせる方法のひとつが擬麻加工と呼ばれるビス加工です。擬麻加工すると糸は縦糸にも使え、光沢感もあるので、こんにゃく糊加工と同じように思えるのですが、擬麻加工というのは夏の座布団など薄い目の色のものにはよいのですが、濃い色のものでは問題が起こることが有ります。

着尺などの用途にビス加工を施したものをテスト的に生産をしましたが、やはり品質面でこんにゃく糊加工や従来の糊加工を施したもののほうが問題は少なそうであるという結論に達しています。普通だとあまり気が付かない事ですが、私は気になってしまうところです。

林与は、麻のものを織っているので大概の服地の場合風合い出しはやわらかくする方向に動きますが、綿やスフのものを織っておられるところは麻っぽくするために硬くしようとされるのです。座布団と言うのは麻のうちでも大麻が使われていたのではなかろうかと思いますので、そうとう硬くしても綿やスフベースだと麻の座布団っぽいイメージに仕上がります。
2013年01月27日
ヒガエの鉄板カードを組んでいます。朝から昼過ぎまで掛かりそうで、何百枚もの蝶番を組み合わせるような形で、くみ上げていきます。今の織機ならフィルムカードにパンチしたり、コンピュータのデータ入力で済むのですが、それのカードをくみ上げるために何時間もの作業。それほど難しいことではありませんが、部品が限られているので他のカードを分解して使わないとならないので、何時間も掛けてやってあるひとつの仕事がこの仕事のために駄目になると言うのはもったいない気がします。

こういった手間の部分、本物に手間が掛かっているのでものづくりとしてはいいんじゃあないでしょうか。出来上がったもの以外の部分で、半世紀以上昔のものづくりの手法で織り上げると言うのも、織物の技術の伝承の部分での意味合いあろうかと思います。

手織りの織機と業務用の力織機もシャトルを使いますが、一番の違いは、手織りの着物生地の場合には、糸の番手が非常に織物に影響を及ぼすと言うことです。薄い織物をつくりたければ細い糸を使うべきで、太い糸を使えばしっかりとしたものが織り上がります。

戦前は、湖東産地でも内地で織られるものと浜で織られるものは違いがあって、浜で織ったものは蚊帳とか座布団地とかで、琵琶湖に近いところで織ったものは比較的太い糸を荒く織ったものが多かったために、安いものが多いとされていました。着物用途というよりも資材用とだったからだと思います。資材系の麻の手織りのイメージは、アジアの手織りの織物と非常に似ています。品質が悪いと言うよりもそれも用途に応じた味わいを持っているものなので、繊細さよりも、丈夫さが必要だったりするものです。

昔からそうですが、座布団地などは価格が厳しいので本麻のものが少ないのです。スフや綿にギマ加工を施したものとか一般に使われます。時折、麻の暖簾ようの生地の話も有ったりしますが、アパレルブランド向けのラミー糸にしてもリネン糸にしても綺麗過ぎて向かないと思うとお答えします。綺麗な糸を使うと、仕上がりが綺麗過ぎて味わいを求める資材系には向きにくいのです。ソバカスの入ったリネンなんかも味わいを求めるハンドメイド向け素材としては適していると思いますが、アパレルブランド向けにはいろいろなトラブルが予想されますので使えないと判断します。

現実的にも、中国の内地でつくられる斑感のある麻糸とか、ちょっと段やキズがあってあまり上手に見えない織りのもののほうがお土産屋さんなどは味があって見栄えがするものです。日本の職人が手織りで織ったものにキズなどはほとんどないものですが、海外では、麻の手織りのものと言うのは子供が作ったりしていることも多く、キズや段があっても小学生くらいの子供が家のお手伝いとして織っていると思えば目くじらを立てるのは可愛そうです。
2013年01月26日
今日は午後から底冷え、夕方、業務スーパーに食料の買出しに行って帰り反対車線で歩道にぶつかった車の横を通り過ぎたあと、反対車線の車が歩道にぶつかった車に追突。今の自動車のアンチロックブレーキシステムは、特に雪のような道路の状況によっては全然ほどブレーキが利かない状態になるので、この事故もそのためだろうか。ブレーキを踏まれているのだろうが、滑っているわけでもないのにスピードがほとんど落ちないままの追突で非常に不自然な感じがした。

夜は、シャトル織機が2台調子が悪くなってそれを直さないといけないのだが工場の中が冷え込んでいるので明日にしよう。リネン150番もぼちぼちだが本生産に入っている。なかなか織れないものだ。私の考えでは、こうやって雪が積もると言うのは麻織物が織り易いはず、越後などの麻織物も雪深い産地でつくられる。

あとオーガニックリネンも少し高密度なバージョンを織り進めている。こちらは調子よく織れる。キッチンクロスHDの在庫も少なくなってきて織りを進めたいと考えているが、織機は空いているのだが手が足りない状況、今から織っても全色そろうのは4月くらいになってしまいそう。
2013年01月25日
まだ、だいぶ先のことになりますが、5月8日~9日に行われます。プレミアムテキスタイルジャパン2014の申し込みが始まりました。この11月に覗いた秋のジャパンクリエーションならびにプレミアムテキスタイルジャパンは会場内熱い感じでした。出展できればと考えています。

5月というのはアパレルさんは生地の企画が終了間際であることも多いもので、スワッチを送って7月の展示会などに間に合うのかと言うと、6月末に生地を投入することを考えるとそんなにたくさんは作れない。

会場も東京駅に近いこともあり、新幹線でいけるので林与としてもありがたいのです。また、来場される方にとっても一番くらいに便利な場所ではないでしょうか。昨年は当日の朝に入って30分で準備。たくさんの方とお会いしてお話できたのはありがたかったです。

林与自身、ものづくりに関してはいっぱいな状態が続いており、現在は3月末くらいまでの予定が埋まり始めています。3月の中頃からは空いている時間に新しい柄物などをつくりたいと考えています。また、大変好評だった、チェック柄のカラフルなストールも再度生産してみようと考えております。もう3年前になりますか、何百メートルと作りましたが1年ほどで完売しました。
2013年01月24日
先日、散らかってますね、というタイトルで書きました。今時のスタイルじゃあないですが、出来上がったものだけの部分ではなく、そのつくる過程もしっかりと手元の布と言うのが持ちえております。これって、自分で作っていることの証じゃあないかと思うのです。

着物の時代にはそれぞれの機屋がデザイナーだっただけでなく、製造する織機なども自前で作ったもので、普通の人から見ればかけ離れた世界をつくりあげていたものと思うのです。日本の伝統的な地場産業というのは技術的な高度さが売りで、それをしっかりと謳ったものづくりで差別化できないと、デザインだけだと海外でのものづくりのほうが簡単ですので、他と同じ感覚でのものづくりでは他に価格面ですぐに淘汰されてしまいます。

私自身が他と同じ感覚を嫌うのは、その当たりがデザイナーとしての基本的な意味合いだと思うからで、それを機屋もしっかりと持っていないと織物もつくることが出来なくなってくるんじゃあないかと思うのです。織物と言うのは変わったことをしようとすると複雑で、デザイナー的な要素もカバーできるくらいでないと、最終的な商品になるための素材提供も難しいと思うのです。洋服のデザインに関してはアパレルデザイナーさんに任せるとしても、生地のデザイナーが目指すものは、布として素敵にみえるもので、また、シンプルな形のものをつくっても素材の良さが伝わり売れるような素材というのが地場産業から生み出される生地の理想じゃあないかと思います。
2013年01月23日
今日は職人さんが来られる日で朝から段取りを組んで機を乗せ変えようと思いましたが、一台落ちている機があったのでそこに書けることにして、鉄板のヒガエカードを作ってもらうことにしました。お昼前に急ぎの分の加工出しに参りました。

やらないといけない仕事はたくさんあるのですが、仕事を正しく理解し正しく行うことの出来る人というのは少ないもので、大概失敗につながるものです。今朝は、ストールの長さを織り出しで確認したところ3cmほど長いので、長いと言うことまでは確認を出来てもなにが問題なのかを確認できる人というのはいないもので、簡単なことなのですが、サンプルと同じ長さに織れている台のヒガエカードの本数を確認して、3cmほど長い台のヒガエカードの本数も確認して、30本ほど長いということを確認して原因が分かり、32本減らしました。

簡単なことですが、体を動かして作業しないといけないので、頭だけで面倒くさがっていると、なんでだろう、なんでだろうというだけで、仕事が前に進みません。出来る人と出来ない人の差は大きく、出来る人というのは毎回仕事が正しくできますが、出来ない人というのは、正しく仕事をしないので毎回仕事で失敗やトラブルばかりです。
2013年01月22日
麻という文字の中にある林はもともと、ホが2つの「ホホ」のような形で麻とか草を意味していました。病垂ではなく、建物の下で麻を扱う様を表したのが、今の麻という文字です。「ホホ」のも「林」という形に変化して行ったものということです。

林与の林というのも、今は木が二つですが、もともと、麻をあらわす「ホホ」から、林という苗字を名乗るようになったのではないのかと思っております。集落には林姓は林与の別れとしての林姓だけです。

集落にもう一軒織物屋さんがありますが、そこも、林与の別れとして3代ほど前に織物を始められた経緯があるということを隣組の会合で聞いて、集落でも麻織物を本業として立ち上げて親戚筋にノウハウを分け与えた形のようです。
2013年01月21日
林与の会社にくると、布が溢れています。お客様が来られると毎回10点とか20点のものを引っ張り出すだけで、収集が付かなくなるのです。パターンやハンガーで見せるのが主流の時代ですが、枡見本や現物に近い形で見てもらうというのが織りの現場のものづくりに近いんじゃあないかと思います。

林与は布を捨てたり処分することがほとんどなく、過去に作ったものが残っている機屋なので珍しいのです。建物と設備だけで実際に作ったものが残っていないところというのは、外にヒントを求めがちでデザインの世界では一番危ない真似屋さんになってしまいます。自分が作ったものと言うのは物と言うだけでなく、しっかりと自分でお金を使って布を作っていてその価値が分かっていますし、それを作ったときの苦労した思い出が詰まっているもので捨て去ることができないのです。

事務所に来るだけで布が溢れているように見えますが、倉庫には糸や昔の反物、別の倉庫は手織りの時代のものが詰まっています。つくれば残ったとしても、それが日本の麻織物の一ページとして残っていくのを感じています。売るためだけに作るのではなく、日本の麻織文化や近江湖東の麻織文化を残していくために作ると言うのも良いんじゃあないかと思います。
2013年01月20日
近江上布に興味をもたれて午後からお客様がお越しくださいました。近江上布というのはそれぞれの家ごとの違う素材使いであったりと家ごとに似て非なるもので、林与の近江上布は一般に知られているオーソドックスな古典柄の近江上布とはちょっと違うところがあり、欧米のデザイナーの皆様からもモダンだとよく言われます。

過去には近江湖東の産地に世界の他が真似をできないほどの手織り絣のものづくりが流れていることを大事に、少しづつ形にしていきたいと考えております。私が50歳になるまでの6年ほどを準備期間として使おうと計画をしております。近江という狭い世界ではなく、日本のワビサビの世界のものづくりというのは、デザイナーの皆さんが最終的というか哲学的にたどり着くところではないかと思います。

日本のテキスタイルメーカーが海外に行っても、ハイテク素材や複合素材、新技術が注目をされるばかりですが、日本の昔の織物の世界と言うのは手間隙の究極とオリジナルなデザインの世界だった部分も情報発信していくことが大事ではなかろうかと日本の織物文化を考えたときに思うのです。

近江上布のハギレにしても、それに驚愕の念を感じるのか、ゴミと感じるのかは人さまざま、世界中のテキスタイルを探され見慣れた方々が、林与の近江上布のシリーズをご覧になられ、今まで見たもののなかでも一番くらい驚いたといっていただけることも多いのは、林与がそれを半世紀以上封印しておいたことにあろうかと思うのです。

そこまで達していながらも、作ることも難しく一般の人が手がとどかなく、消えざる終えなかった手間隙の世界と言うのは、やるだけ無駄そのもので黙って消し去るべき世界なのかもしれないと思うことすらあるので、私のおじいさんである林與一が、箱に「外に出すべからず」と書いたのも分かる気がするのです。

ワビサビの世界と言うのは、色柄だけの問題ではなく、その作り手の生き様をあらわしているように思います。日本からワビサビに通じる感性がなくなってしまえば、デザインをつくったとしてもそれは本質を欠いたものではなかろうかと思うのです。
2013年01月19日
今、リネン100番手の織物を織り進んでおりますが、仕上がってきた織物を触るととろけるような風合いです。今年の糸が弱いのに頭を悩ませているものの、その分糸質というものがソフトになっている、苦労して織った甲斐があるものです。

柔軟も無しでナチュラルソフトに仕上げた反物が柔らかくてとろける感じなのは、うれしいことですが、一人が2台に付きっ切りで、1時間に1台の織機で1mしか織れない織物なので、たくさん作れるかと言うと生産できる量も本当に限られております。

150番手の織物も少しづつですがバルク的な織りを進めております。1時間に数十センチの世界ですが、従来の方法で少しづつ織ってプライスレスな世界です。アイリッシュリネン140番手と現行の150番手の違いなども比較するといろんな違いが見えてきます。

アパレル向けというのは一般に小物向け以上に品質基準が厳しく、それを度外視すれば、布と言うのは自由度が増しつくることが簡単になります。芸術的な要素を重視というのは、ヨーロッパのテキスタイルのもつ危なさに近づいてしまいますが、それを必要とする特別なランナウェイな世界もあるもの事実です。

世界のトップモデルがランナウェイで着こなす世界とうのは、自由なものづくりの世界で、品質基準すらもがヤボで、布を羽織り美しく見えればそれ以上の説明は必要ない世界あったりします。既製品は既製品で品質基準を求める必要があるので、ブランドのデザイナーさんがそのあたりどこまで理解いただいているかで自由度は変わってきてしまいます。
2013年01月18日
今日は東京より3年間しが応援ファンドの認定を受けまして取り組みましたアイリッシュリネンハンカチプロジェクトの取材にお越しいただきました。3年は掛かりましたが、今まで日本でリネンの100番以上は織るのが難しいと言われ続けていたのを、従来の方法で、ビンテージアイリッシュリネン140番手を総先染で織り上げるところまで行きました。

難しいと言われているものでも本腰を据えてやれば、何か幸運的な流れに導かれて、今回のように、3年で業界で難しいと思われていることでも、覚悟を決めて、やれば、やり遂げることが出来るものなのだなあと思いました。

昔のものづくりに迫りたかったので、従来の基本に忠実な方法を採用していますが、それは職人的な技の積み重ねなので、伝統産業の流れを汲む産地らしいものづくりではないのかとも思うのです。出来上がったハンカチも、本質的なものづくりがしっかりと流れています。織る難しさという普遍的な価値観が詰まっています。

今回のプロジェクトは40歳と言うときで私のピークのときに動けました。次にやったとしても同じような大変さが伴うでしょうが、一度経験を積むとその大変さというのも当たり前に乗り越えやすいものです。高いものは売れないと言われたときに、高いものに挑戦するドンキホーテー的なところもありますが、ものづくりというのは、プライスレスな世界と言うものがあってもよいんじゃあないかと思っております。
2013年01月17日
織物の納期調整で難しいのが、するという約束をもらっていてもその場になってできないといわれることが多いことです。もうすぐ、投入されるので投入されたらすぐに取り掛かってもらう約束をしていたものが、いざ投入の段階になっていっぱいだからできないといわれる。

引き受けようとされるときは一肌脱いでやってくださろうとするのでしょうが、実際の現実問題になると、手一杯で動けないような状況であるために断られる。急ぎの仕事で急遽他でできるところを探すなど。

生産期に入るとどこもが手一杯な状況になりますが、問題は、どこもが厳しい状況であるということです。特に閑散期と言うのは持ち出し状態が続くので、人を減らされるものですが、忙しい時期が何ヶ月続くのか続かないのかも読めないものです。

手の込んだ良いものをつくれば売れるというのは分かりますが、それは素人の専門家的な発想なのです。手の込んだ良いものを作ろうとすれば時間だけでなく普通のものをつくる何倍もの神経を使うもので、振ったら出てくるという手品の世界を要求される今の時代では難しいものです。

良いものを作っていたところほど廃業されていくと言うのが現状で、天然繊維の世界では日本らしい高度な技術を出しておられたところほど廃業されていくものです。とくに、織物と言うのは一番手間の掛かるところですので、自分のほしいものがすぐに出てくるというのはすごく怪しかったりですが、そういうのも業者さんによっては、海外の安価なストックものが国産のものに化けてしまったりも良くあること。

高いものを扱われている百貨店さんの扱われているものですら本物か偽物か分からない時代で、ブランドは本物であっても、その語られるものづくりが本当なのかというところは分からなくなり、大手のSPAさんが逆に産地を公表しなかったりも正直じゃあないかと思うのです。産地を叩けばまがい物が産地から出てきて半分分かっていながらバイヤーさんも謳って消費者に売ってしまうような暗黙の了解の悪循環を辞めないことには。

京都の何百年の老舗呉服屋さんも、国内の産地の手織りだと信じて買って海外での素人の手織物をつかまされて高く売ってしまうと言うのは、本当に高く買われて使われる方にとっては厳しいところです。手織りの良いものというのは、一ヶ月に一人の人間が数十メートルしか作れません。一反作るのもそれなりに時間が掛かります。

生産には何百メートル必要といわれて海外生産に気がつかないとならないですが、素で私に言われたのにびっくりしました。その業者さんが産地を語られながらも実際には海外生産の業者さんだと言うことも知っておられないと、ものを扱う老舗を語られる呉服屋さんですらもが、赤子同然では本物すらも淘汰されてしまうのは当たり前なのかもしれません。

もう20年ほどまえでも業者のあつまりでも麻を織っているのは林与さんくらいだといわれたもので、産地産の麻織物というのは本当に限られていると言うのは事実で、それを守ることも納期の短縮化かつ職人さんの高齢化での生産性の低下などに伴い、織物が織れなくなってしまっている産地が直面している現状です。
2013年01月16日
の昨年買った、パナソニックのノートパソコンとキャノンのプリンタとブラザーのプリンタが買ってから半年くらいで、壊れてしまうと言うのも林与が普通のたぶん3倍くらいは使っていると思いますが、ほとんど使われないことを想定してものづくりが行われているのだろうと思います。日本ブランドが付いていても、家電製品に関しては海外製品未満になりつつあるのを感じます。

たとえば実際に韓国でものづくりを続けているサムソンなどのほうが家電メーカーとしてそれらしくなりつつある気がするのです。シャープがサムソンに負けてしまったのも日本で良い物をつくっても、それを買える人がもう少ないというのが日本の現状。大人が昔でいうところの学生のようなファストフードの500円の世界で、携帯電話でテレビも見れば十分じゃあないかという価値観が根付きます。

家電メーカーの失敗は家電リサイクル法や地デジ化、ソーラーで特需を生み出してその後の不況に苦しまれるというのは見えていたといわれながらも、自分の生み出した不況の結果で、それまでやっていたまともなものづくりも放棄していかざる終えないと言うのなら、家電リサイクル法や地デジで需要を政治的に生み出すというのは悪い結果にしかつながらない気がします。

結局、使えるものが捨てられてしまうというようなエコに根本的に反する概念がエコのように語られるというのも、コミカルを超えてシニカルだったりいたしますが、エコと言うような本来、エコノミーとは別のエコロジーの世界も、結局エコノミーでしか考えないがため、反エコロジー結果に終わるのでしょう。
2013年01月15日
クリエイティブなものづくりというのは目立つもので話題性があるのですが、見本までで終わらせておくほうが無難なことも多いのです。本生産となると技術的にぎりぎりのものというのは大きな問題を伴うことが多いものです。

クリエイティビティにこだわりすぎるとベーシックな技術すらも欠いてしまうことも多いもの。クリエイティブなものづくりに偏向すると安直なものづくりになりがちで、基本のものづくりを忘れてしまうことになり、本業としてスタイルを持った形では長続きしないものです。

織物も本来規格があるわけじゃあないのです。自分自身が横糸など、どの程度の打ち込みにするとよいのか決めるのですが、それを自分で決められるようになって、さじ加減ができるようになったら、自分で布をつくることができる人ということです。ギアが10本、20本異なっても織物は織りあがりますが、風合いは当然異なります。基本の企画をしっかりと頭の中にもって、織ってみて触って、薄いとか厚いとか分かるようになれば機場での一人前です。

布の美しさの基本と言うのは透明感がひとつにあります。布というのは、厚く織るほどやぼったくなるもので、薄く織るほどエレガントなものに見え、軽くなり夏物としてはよい感じになります。でも、薄すぎて透けすぎて実用性が乏しかったり、スリップしたりと、そのあたりも考えながら、打ち込みを決め、それが実際に良い感じの布に仕上がるという結果が一番大事です。

ものをつくるときに、徹底的に規格を数値で固めてものをつくる場合と、お任せ的にさじ加減で作る場合がありますが、新しいものを作るときには打ち込みなんかは現場で判断をしたほうが最終の仕上がりが良いことが多いのです。
2013年01月14日
リネン100%のものでも、耳糸は綿の双糸を使うことが多いのです。耳というのは片側がないので、粗になりやすく、ある程度しっかりと密にしてあげる必要があるのです。そのため、リネンの糸では張力がないので切れてしまいます。綿の双糸を使うことでこの問題が解決するのです。

耳というのは普通裁断時には使いませんので、洋服はリネン100%となります。縫製の糸というのも、通常は綿の60番くらいを使うのが一般的ではないかと思います。縫製のミシン糸というのは、Z撚の3子です。

リネンでできないこともないですが、40番手くらいの糸をS撚双糸にして手で縫ってあげるなどすれば、洋服も可能かとは思いますが、仕上がり感も既製服のようなものとは変わってきます。
2013年01月13日
林与の最近のシリーズは、平織を多用しています。昔はドビーのものが多かったのですが、青の時代ならぬ、平の時代を乗り越えないとなあと40になって思ったのです。平のものというのは一般に流れすぎているので織物で差を出すことが難しいのですが、それを織でどう魅せるかというところ大事に思うのです。

アパレル向けのリネン糸というのも、60,40,25あたりが基本で、それで今までにないリネンのシリーズを生み出すと言うのは、その用途から考えていかねばならない課題でした。HDシリーズに代表される高密度の世界が昔の良い織物に通ずるひとつの展開でした。

実は、HDシリーズの開発に今まで取り組まなかったのにも理由が有ったりします。それはコンセプト的には駄目な部分も見えているのです。どこまでも厚いものを織るとか、どこまでも薄いものを織るとかいうのは、周りがみえないのと同じものづくりなのです。織物づくりには、打ち込みなんかもこんなくらいが風合いがよいとか生機を触って、規格に頼らず打ち込みを加減できることが料理人ならぬ、さじ加減できるプロの味の出し方ではないかと言えるのです。

料理人がどこまでも塩辛いラーメンを自慢げにしたところで、品がなさ過ぎるのですが、織物と言うのはどこまでも塩辛くできない要素があったので救われているのではないかと思います。また、あるひとつの基準を設けたがためにそれ以上はやっては駄目という厚さに限度も見えているのです。それはそれでひとつのバランスポイントが見えてきたのです。

音楽で無音の音楽がありますが、織物の世界では薄さに関しては、「裸の王様」の布の世界が、一番軽い布ということになりましょう。展示会で、まったく透明な布を作ったと言って、それをやっては駄目というのは、昔話の笑い話と同じにすぎず、子供が見て本質が分かるのに、本質の見えない芸術家の類になります。マチスの線画のように、縦横一本で作る布というのも同様のあたりでしょう。技法に凝るということは本質が見えなくなるものです。

布の本質とは何かと考えるときに、それは風合いという要素が大事ではないかと思うのです。人に心地よい風合い感というものがあってその範囲に収まっていることが良い布の目安であるというのは救いです。
2013年01月12日
今日は午前中、東京からお客様で秋冬物のお話。ふと、ある廃業された機屋さんの話になって、その機屋さんというのは若い新卒の方たちをデザイナーや企画に採用して任せて動いておられるようなところがあり活気のある会社として見えていたのですが、私は、この厳しい情勢でよく食べていけるものだなあと聞くに付け感心をしていた会社さんです。

織物というものの世界はどこまでも価値を詰め込むことのできる世界ですから、逆に、深みにはまりやすいと言うことがいえます。高い価値を詰め込んだときに、それを評価できる人がいないことには機屋の努力というのは実らないのです。でも、「林与」の場合それでもよいのじゃないかと思って割り切っているので、ものづくりが続いているだけだろうと思うこともあります。作っている自分自身が外に揺さぶられないようなものづくりでないと他と同じになって駄目だろうと思うのです。

人数が少なくなると織物というのは分業が基本ですので、仕事が回らなくなるのですが、糸から整経、縦つなぎ、織る、織機の調整、修理までの作業を一人でもできる人間を増やすことで、人数が減っても影響は少なくなります。専門の職人さんを抱えて分業体制でやっている織物工場というのは縮小して残すことは難しいもので、人を減らしたときに織物という作業を辞めて行かれることがほとんどです。

廃業されたと言うことで、作ろうとしても生み出すことすらも難しいひとつまた大事なものが織物の世界から消えていく。他の真似をせずにオリジナルなものづくりで生きていかれる力を持っておられるところというのは本当に日本の繊維業界でも希少な存在であるものです。トキが絶滅したのも分からん気もしないのです。最近はスズメすらも珍しくなってます。トンボも珍しく。こんな田舎でもそろそろ自然と呼べるものも終わりなんじゃあないかと思います。同時に昔と比べると人というのも自給自足的な人が消えつつある環境になりつつあります。
2013年01月11日
バングラディッシュという国が中国に次ぐ縫製のメッカとして注目を浴びています。織物の生産もバングラディッシュに向かう可能性は高いだろうなあと思います。かつては日本も繊維製品の輸出国だった時代は明治以降続いていたのです。

特に日本のシルク糸なんかは戦後ですら世界中から引っ張りだこだったのですが、今は実際に作られているのかどうかわからないほどになって、アイリッシュリネンと同じような流れで、人々の記憶から日本のシルク産業のイメージすらもなくなってしまっています。

蚕もそうですが、農業というのは自然の恵みで、人が争わずして恵みを受けることができるもの、手間を掛ければそれが貴重なものとなるのは、ものづくりの意味を正直に表していると言えます。

世界中のSPAがバングラディッシュに殺到することはその国の経済発展につながる部分もありますが、もののもともとその国にも服飾の文化があって、洋服の時代になっても職人気質の人が洋服つくりを分かって一着一着つくっていたのですが、そういう多能工さんの職を奪って、単能工に切り替えさせてしまい、その国の服飾文化の荒廃にもつながる一面もあります。

インドに行ったときにも何百人の縫製工場の方から、洋服を一着仕立てることのできる万能工を、どう単能工に変えるかに苦労したという話をお聞きして、インドでは万能工が自然に育つ恵まれた国なんだなあと思ったものです。それは小さなときから将来縫製の仕事に携わると言うことが見えているカースト制度の影響かもしれませんが、近代化の流れの中で、インドの縫製も海外のものを作るようになり、文化そのものも変わっていく一例ではないのかと思うのです。
2013年01月09日
今日は久々の東京です。昨日もあまり寝ずに今日も夜中までに工場のトラブルシューティング、東京出発までにしないといけない工場のフォロー以外の私自身の仕事も多すぎて、平成20年3月に私自身が動き始めてから、この4年近くオーバーローディドな状態が続きます。

自分自身が織物と言う道にいながらも、やりたいことがなかなかやれない中、思いっきりやりたいことをやらせてもらえた3、4年でした。各方面の応援というのは予想以上にいただき、小さな自分の工場の中の仕事に時間を費やすことこそを一番に思いながらも、どれだけ時間があっても麻織物らしいものを作り続けるということは麻糸のごとしなことで時間に追われ過ぎて、ご迷惑をおかけすることも多くなってしまっています。

今日も午前中の東京での百貨店の方とのアポイントも遅れる流れになってしまい、それでも親切に対応をいただけたこと感謝しております。今日も海外の方から近江上布柄に対し絶賛の言葉をいただけたこと励みになり、ビンテージアイリッシュリネンプロジェクトの次にやらねばならない自分だけが取り組める次の大きなプロジェクトも固まってまいりました。

ビンテージアイリッシュリネンのプロジェクトも3年を掛け本場のものづくりについて考える良い機会になりました。しっかりとしたものづくりをしようとすると通常の仕事でも3年というのは短すぎる気もするので、今回のアイリッシュリネンプロジェクトが3年という期間で形になったのは幸運に恵まれたまぐれ的なことだとも思えてしまいます。

北アイルランド紡績のアイリッシュリネン生地と同じような生地がつくれたら、今の世界中のリネンに対する認識と言うもの変わるものと思います。今日はアイリッシュリネン糸に関しての新しい情報も手に入れることができました。アイリッシュリネンというのは、語らずしても生地に触れただけでアイリッシュリネンというのが分かるところが、アイリッシュリネンの品質そのものなのだろうと今日も感じました。
2013年01月04日
お正月明けで雪で道路の表面が状態。自動車もノーマルのタイヤでは危ないなあと。人の予測というものは外れるわけで、私の予測というのも外れ、昔のようなリズムの一年になりました。今年の傾向は非常に10数年前の傾向と似ているのです。

クリスマスは雪は降らなかったものの非常に冷え込んで、年明けも冷え込みました。もう一度、2月3日ころに冷え込むと私が15年ほど前に経験していた冬とそっくりです。これも、水の循環が少し戻り始めているのを感じます。

糸を割っていて、カウントセンサーのついたカウンターが反応をしないので壊れたと思いました。センサーを指で触って上げるとカウントしだすのです。別の台の何十年昔のセンサーはそんなことないのに、最近のセンサーのほうが冬を想定したつくりになっていないのです。雪も降らない暖かい国で作られた部品になってしまっているのでしょう。

雪の降らない国で大量に作られるパーツというのは、日本で機械などに使うと中の小さな部品が冬場に機能停止してしまい危ないということが予想されます。コンピュータや家電製品のパーツも日本より暖かいところで世界向けに大量に作られるがために、冬にパーツが機能せずにそれが原因で電気を流してしまって壊れる家電製品というのも多くなってきているのではないでしょうか。日本のメーカーもそこまでは考えずにいるものと思います。林与は、暖房も使わないで作業することも多いのでそれに遭遇する確立は高いものです。

家電製品を使うために部屋を暖かくしないといけないというのは、ちょっと厳しい話ですが、最近の堅牢であるはずの汎用的な産業用のセンサーまでもが、暖かい環境でしか安定して動かないというような状況を考えると怖いことも起こりえる気がします。今の時代は、半導体部品もほとんどが海外から入ってくる時代で、自動車なんかも冬の最初に冷えた状態で乗ると電気回路が中のパーツひとつのせいで働かず、それが今はブレーキも電気制御の時代でブレーキ回路と関係していたりすると大きな事故につながることもありえます。