for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2018年9月
2018年9月
リネン日記:9
2018年09月23日
仕事というのは慣れるとあまり疲れない。織機を5台6台動かしていても順調に動けば、糸の交換くらいが仕事になるので、暇なタイミングができる。そのときに暇にしていると待ち時間が生まれるので仕事が苦痛になる。止まったらすぐに動かし、手が開いたら糸を巻くとか、シャトルの管の整理とか、反物の検反とか、動くことで時間が経つのが速く感じるようになる。仕事に慣れるまでいかないと一つの雑用も退屈で苦痛だろうと思う。慣れて正しく動き回れるひとというのは仕事も沢山しているので上手である。

それくらいが普通でないと現場では食べて行けない。何か問題があるときに感覚的におかしいと感じられるくらいになっていないと仕事も苦痛だろう。日本の売り場には当たり前に良い物がならんでいる。それくらいのものが普通につくれないと仕事をもらえるチャンスも無く作っても売ることは難しい。私自身、仕事の現場で整経をしたときに、最初の印象が時間がもったいない気がした。まあ、珍しいタイプで自分で織物を作ろうとした。すると、糸がもったいないからと先代に言われて、自分の織物を作ることを封印。

そうしているうちに、先代が作っていた先染めの世界が売るのが難しくなって、私が麻織物の原点に戻る無地の平織プロジェクトを立ち上げた。よくある平織りではなく、超細番手の薄い生地や高密度生地、超太番手の厚い生地など、いろんな番手の限界に挑戦をした。それらがすぐに売れるということはなかったが、世界中探してもそういう経験を積むことができるケースは稀である。頭じゃなくて、体を動かして織ることを可能にしてゆく。外に出して織れない物でも自分の中だとうまく組み合わせることで織れる事が案外あった。

織物が織れないときに、何百本と切れた糸を何十回と直しながら、1ヶ月織機とにらめっことかも普通に思えるくらいでないと、なぜ織れないのかの問題がみえてこないこともある。前の工場で入れてから動かなかった織機が林与に来て動かなかったが、動くと信じて自分で見てみると15分で原因が見つかって問題は解決。解決できなければこの織機は動かないねえ、ワッハハで済めばよいが、動かない織機を抱え込んでしまっては織物工場は潰れて当たり前。もちろん他の人に任せて解決できる問題もあるけども、他の人に任せていては解決できない問題が多く、そのときに自分が解決しないといけないシチュエーションというのはこの仕事をやっていると多い。
2018年09月22日
自動運転車の安全性を語る上で、人間が運転した場合の事故率と自動運転車の事故率の比較があるが、事故が起こって明らかになったことだが、自動運転車はセンサーが危険だと察知しがちなので、センサーを切って走らせているというようなむちゃくちゃなテスト走行をやっている。自動運転の車はハイウェーを走っているとかでなければ、市街では危険を察知するから止まってばかりでまともに走らないケースが多いのである。テスト走行自体が、クリーンディーゼルの偽装と同じで、偽装モードでの安全テストでの走行距離。一番危険な市街だと実際にまともに走れもしないのに安全に走れたかのように偽装。事故があって露呈する、自動運転児童メーカーのモラルの崩壊である。

人間が運転するよりも事故は少ないということを偽装データを使ったまでやってしまう神経がわからない。テスト走行で人を殺してしまっても、安全センサーが働くので実際に走れないから、安全センサーを切って走らせたから自動運転が安全でないことにはならないとかのメーカーの説明だけど、テストドライバーが携帯をさわっていたとか触っていなかったとかでその事故に関しても泥沼。まさに自動運転自動車の問題そのもの。自動運転で起こった事故では自動車メーカーも運転しているものも、事故の責任逃ればかり。自分が雇ったドライバーが自分がやってるテストで嘘をついているからドライバーの問題という話になっているほどで、自動運転での一番の問題を露呈してしまっている。自動運転のテクノロジーの問題ではなくて、人の責任感の問題なのである。

携帯電話やリチウムイオンバッテリーが爆発する事故が、発生したときに、バッテリーが爆発する問題をメーカーが責任を取るのか逃げるのかの問題。自動運転まで行かなくても自動ブレーキシステムでも、ディーラーでの試乗で危ないと思ってもブレーキを踏まないでとお客さんがブレーキを踏まないで前の車に衝突してしまった事件など、欠陥システムの問題があって、一般人がやってしまったら個人の責任を追及されてしまうようなレベルの技術で安全が謳われてしまって、そういう自動車がその技術を謳いに市販までされてしまっているのである。一般に事故が起こって大破した車を調べるのも作ったメーカーで事故時に安全センサーが正しく働いていなかったなど自動車の欠陥を運転しているものが証明するのは難しい話であろう。

どこの国でも自動車行政は自動車メーカーに天下った連中がたくさんいるから臭く成り立っている状態。あたら自動車を買わせるように行政も自動車メーカーと一緒になって誘導する。大きな事件を起こしても自動車メーカーは潰れないカラクリは行政を含めた問題である。自動運転で、変な事故が起こるべくして起こっているのに自動運転を行政が規制するでなく、叩きもせずに行政が天下り寄生するような状態は気持ちが悪い。
2018年09月21日
糸を巻いてくれるおじいさんが腰痛で糸を巻く作業ができない状態。年末年始に相当痛そうで仕事がもう無理かもというくらいから春過ぎには回復された感じで頼んでいたのだが、ここ最近また腰痛が酷いらしい。それでも先日、そんな状況を知らずに糸を持っていくと2日で巻いてくださって持ってまできてもらって、そのあと病院にリハビリに行くといわれていた。そうやってまで動いてくださって有難いというしかない。糸を巻いてくださるおじいさんでも割り切りをもって仕事を喜んで受けてくださっていて、そこが本当にありがたいところである。今回は知らなかったのでもっていって巻いてもらったけども、次は様子を伺ってから無理のない範囲で巻いてもらおう。

糸を巻く仕事もそれを若い人が一日中できるのかというと、なかなかそうは行かない。難しいからとかではなくて、仕事を仕事として割り切れるようなところがないと憧れで続くような仕事ではなかったりする。体を使い、時間を使う仕事というものは慣れていないとなかなか難しい。机に座って勉強や仕事していた人が一日中立って仕事することは難しいものである。愚直に仕事をできる人でないとこういう繊維の地道な仕事は難しいのである。まあ、おじいさんも自営的な仕事としてずーっとやってこられたので出来る話なのである。

切れない糸だと機械化された工場がつよいだろうけども、切れて糸口をさがすことも難しい麻糸の場合には、人の力は常に必要で、熟練した技を機械で置き換えることは不可能なのである。年末にインバーターを取り付けしたので、それで仕事がやりやすくなったと喜んでいた下さった。機械によって仕事が格段としやすくなるケースもないわけではなく、目の前の仕事が一番上手にできるように工夫は必要であろう。熟練した技プラス便利な道具で、普通だと難しいことがやりやすくなり、不可能を可能にすることが出来る。

インバーターを取り付けたことで素人でも仕事はしやすくなるが、熟練の技と仕事への姿勢がなくしてインバーターをつけてしまったとしたら普通のレベルを知らないので熟練のレベルの技が身に付くことはないのかもしれない。関東の織機を関西に持ち込んだとしたら何が起こるか、関東と関西では周波数が異なる。関東が50、関西は60.関東と関西の境目がどこにあるのかというと、関が原?か。滋賀県は関西なので関東の織機を持ち込んだ場合には、周波数の関係で、速度を落とさないと基本織るのが難しい話になる。逆に関西の織機を関東に持ち込んだ場合には速度を上げてあげる必要がある。

モーターについているプーリーというものの直径を2割大きくすれば2割速くなるのであるが、プーリーを交換すればVベルトがしっかりと張るようにモーターの位置をモーターベース上で調整してあげないとならないが、駄目なときには、
Vベルトの長さの違うものに交換したりしてあげないとならなかったりして、プーリーの交換は厄介なのである。あと、織物が織りにくいときにはスピードを落として織り易くしてあげるとか、織りやすいときにはスピードを上げて生産性を高めるとか、織る織物によってスピードは変えたいと思うことがあるときに、プーリーの交換では大変でインバーターがあると便利。シャトル織機の場合にはクラッチ式なのでインバーターの取り付けは容易である。

インバーターの取り付けの問題としては、取り付けてモーターの速度を上げてスピードを上げるとシャトルを叩く速度が上がってしまうのでシャトルを叩く強さを弱めてあげる場合があたり、シビアな織物の場合には、シャトルのテンサーを調節して糸の調子を緩くしてあげる必要があるが、20%程度までとか大きな速度変更でなければ必要だろう。インバーターによって速度を落とした状態と速度を上げた状態では2倍くらいの自由な速度調整が可能になる。インバーターも、昔は10万円コースだったが、今は1万円ほどで手に入り、クラッチ式のシャトル織機には取り付け取り外ししやすいから取り付けて損はないだろう。
2018年09月18日
宇宙に向かう旅客機が計画されているけども何分の1かの確立で死ぬ危険を背負う話。人工衛星打ち上げでも何回かに1回失敗するのが普通。無人で100回くらいトライアルして帰還させてそれで大丈夫なら人を乗せればよいと思うが、いきなり人を乗せてやっちゃうんだろうなあ。ロマンでそういうのに命を掛けてみるのもよいのかもしれないが、スペースシャトルもそういう構想でできたものだったけど、コロンビア号の悲劇は何回かに一回は起こりえるものとして考えないといけない。金や名声目当てのプロジェクトはそういう部分が隠されて一人歩きしがちである。一番最初の旅行にプロジェクトの推進者自身が乗ればそれはそれでよいのだろうと思うけど。なかなかそうは行かないものである。

日本でも民間が小型ジェット開発を進めたがうまく行かずに頓挫してしまっているくらいが今の世界でも最先端の飛行技術、日本のものづくりも1980年台の昔と比べて上がっているのかというと下がっているのかもしれない。縦割りでやってそんなものを組み上げたところでまともに飛ぶということは奇跡なのである。コロンビアの事故にしても事故原因が断熱材がはがれることだとされたが、事故が起こらないとそういう安全性の問題は究明されないままに安全だとすすめられる。また、事故が起きても体制が出来上がるとその人たちが食べて行くことが目的となる。

日本でも、自動車やバイク、原付は安全性なども確立されたものだが、もういろんな権益が絡み合いすぎて身動きが取れなくなって、ザルなミニカーのような危険なものが認可されるような自体。自動車ほどの安全性もパワーもなく、人が事故しやすいものを手軽にして新たな権益探しなんであろう。あれを認めるくらいなら、中国で走っている電動スクーターのほうが安全であろう。50ccとかの枠で縛って、人の命が危うくなるようなことをなんでしてしまうのだろう。税制の問題とか権益の問題とかが人の命や起こる悲劇を想定もしないのか。片方は締め付けすぎて締め付けすぎたがゆえにこれ以上食いつぶせなくなり、あたらな食い扶持を探すために緩い新しいものを作ろうとする。アンバランスなのである。既存の規制を緩めて相当な安全性が立証されているものを普及するほうがよいのだろうと思う。

日本ではアメリカのような開発は難しく、自動運転にしてもアメリカの基準を日本が追従する形。でも、日本と米では交通ルールや命に対する考え方がまったくことなるので、日本だと自動運転なんて本来ならご法度であろうと思うが、これが許されるのも日本とアメリカの力関係なのであろう。アメリカ基準でつくられた自動運転車が日本でまともに走るのかというと、交通事情も違うので無理だろうが受け入れざる終えないだろう。それでアメリカの自動車メーカーを叩くようなことをしたら、制裁がまっていたりする。自動運転車も何十万キロの実績をもっていようが、それが嘘なのであったりする。センサーが働いて止まってしまうので、センサーを切って走らせていたから安全装置が働かない事故がおこったりして、まともに走らないテスト自動車を走らせて、何十万キロの実績を偽装しているのである。巨額な投資をして回収が必要で、とりあえず認可させるために必死なのである。そんな状態でよいんだろうかと思う。

宇宙旅行を否定はしないし夢を追うにはよいだろうが、ビジネスとしてやっている人々は夢でやっているのではなくそこが安全性の面でも一番怖いところ。事故が起こるまでエスカレートする。夢でものごとをやるときにも、ビジネスでものごとをするときにも、自分は安全なところにいて他の人にリスクをではなく、自らが一番の危険と立ち向かうことが身の丈を越えすぎないためにも大事だろうと思える。
2018年09月17日
青唐辛子が道の駅で一袋500g130円で売っていた。これを出汁醤油で煮込む。それと白いご飯で食べた後、体の中が綺麗になった感じがする。若いころはこういうものがおいしくは無かったが、おっさんになると十分においしく感じる。もう普通のおっさんはこういう苦いものが苦手かもしれない。こういう風な食べ物が一番贅沢に思えるのは幸せなことだろうと思える。

織物の仕事が簡単ながら贅沢な仕事に思えるのも同じように幸せなことだろう。
2018年09月13日
先日、大阪の手作りフェアで西脇の大城戸さんとお隣させていただいた。基本的には、捨て耳を販売されていたのだが、捨て耳も販売用に片側だけ限定とか綿100%とか、ウォッシュ掛けたり、染めておられたりとかで完成度の高い捨て耳なのである。そうそうそういう発想が湧いていると布もいろんな布ができるわけで、角っこに30枚くらいだろうかいろんなハギレをおいておられた。大きな機屋では逆にできないことを小さな機屋だからできるというところを実践されている。日本でも自分で生地を作れる機屋というのは数少ないものである。

機屋というのは結構力が必要なので、社長と若手の社員の男性スタッフの方は筋肉バリバリタイプでこれは繊維業界筋肉番付では史上最強だと思う。それだけでも今までの体力の域を超えたものづくりができそうな気がする。そこに捨て耳などの繊細さは女性スタッフの活躍だろう。対面での販売を心がけておられ生地売りイベントなどされているので、実際の機屋さんでこれほどユニークなところはないと思う。つくられている生地も一貫生産されたものが多くオリジナリティあふれている。たぶん、3人全員が生地を自分で企画して形にできる理想系ではないだろうか。

地場産業といいながらもやるものがやることで残るだけのこと。基本の形はあったとしても、日々仕事を前に進めてやっていく力が無ければ残ることもできないだろう。林与の先代にしても母親にしてもなかなか実際の仕事をするのは難しい。産業が衰退するのはそういう基本的なところができなくなるところから。実際のものづくりが海外に移って行くのも何十年の経験者よりも毎日やってる素人のほうがものづくりでは上だったりするから、経験者の意見を聞いているよりは自分で何でも実践して経験をつんで行くのが一番であろうと思う。
2018年09月09日
昨日まで大阪でのイベント。イベントのあと、グランフロント大阪で晩御飯。朝から食べてなかったので一杯食べた。本当一杯食べた。そのお店は女性のお客さんが多い、おしゃれなスタイル。他のお客さんは飲み物だけで話して時間を過ごすのが目的のようだ。

何を楽しむのかというと食べ物でなく、雰囲気のあるなかで時間が流れるのを楽しむ。ウィンドショッピングと似ているところがある。一番お金を使っているのはお店で、お店がその場所のお客さんなんだろうとおもえる。グランフロント大阪の私の感じたイメージが空港の建物。内装なんかも高級に見せるためか石を鏡面仕上げに使っていて、息苦しさを感じるところもあって、その重苦しさを、お店の内装や料理が緩和してくつろげる場所と変えている。

少し、ウィンドショッピングで服を眺めるとチェックが目立つ。あと千鳥なんかも。ファッションは繰り返される。30年で一巡するような流れがある。一度その世代で流行ったものは流行がすぎるとその世代にとっては受け入れがたいもので、自分が着るのではなく、自分の子供に自分が若い頃に流行ったものを着せようとしたりとか。流行は30年ごとに繰り返されるのだ。

今、1990年頃に終わったバブルを経て、30年。バブルもまた流行の一つかと思う。
2018年09月02日
織機のメカニズムを応用して初期のコンピュータが作られた。ジャガード織機は初期のコンピュータの構造とよく似ている。プログラムは紋紙で出力データは織物みたいなイメージ。

織機の動きや耐久性なんかは、自動車そのものに思えたりもする。自動車は織機が走っているようなものである。自動車メーカーやオートバイメーカーの前身が織機メーカーだったというのもよくわかる話で、自動車よりも織機の方が複雑で、振動も大きく耐久性が要求される。

今の織物の現場は織機メーカー不在の状態で、織機が不調なときにはメーカーに頼ることもできない。林与がシャトル織機の方が残っていけると思うのも、シャトル織機は部品がアバウトなので代用が可能だから。レピアは部品が精密なのと電機部品や半導体部品が入っているので、純正部品でないと難しい。

日本で織物産業が衰退したから織機産業も衰退したのだろうけど、織機産業の衰退で日本の織物産業の衰退は確実なものとなった。日本の麻糸の紡績産業も織物産業の衰退で、今はわずかな国内生産が残るだけで、麻糸も海外の方がバリエーションが豊富。海外の麻織物メーカーの方が情報もチョイスも豊富。

2000年頃は、中国では麻の先染めは少なかったが、10年後の2008年頃には麻の先染めが増えた。日本の企業が中国企業に先染めを依頼し始めたことが要因の一つだろう。日本でやっていたことが中国でできるようになっただけでなく、価格も5分の1とか10分の1。

そして今、中国企業はプリントへと移行。日本ではインクジェットは高価なプリント方法だが、中国ではまさに紙に印刷する気分で格安に作る。麻はインクジェットプリントはむつかしいので少ないが、品質を少し甘くすれば、麻のインクジェットプリントもインクジェットの機械やインクを生産できる中国が強い。

日本は一流なインクジェットなので高価ながらも、インクジェットの機械メーカー依存なので色ぶれなど起きてもなかなか調整は難しい。麻の場合、圧の掛かる捺染方式が毛羽の問題などもクリアしやすく、コストも抑えやすいので、日本では麻のプリントでインクジェットが主流となることはないだろう。中国では麻でもインクジェットが主流である。

織物産業が
2018年09月01日
昨日コンビニに行って205円分の切手を買おうとしたら、レジの若い男性が収入印紙と間違えて途中で気がついて、200円切手がないので、120円切手2枚でいいですかという話になった。100円切手はないのですかと聞くとあるというので、100円切手2枚と、1円1枚と2円2枚でできませんかとたずねるとできるという。

多分、彼には私が205円分の切手を貼るという想定がなく、個々の切手の使い道を考えてくれて躊躇したのかもしれない。切手を買うという行為の場合、何円切手がコンビニにあるのか分からないので、金額と枚数を指定して注文するのも正しくない気がする。

使う場合に、組み合わせが大事でどう使うかが分からないと売る方も迷うので、205円貼るなんて想定がなければ、120円2枚でという提案もあり得る。郵便料金のようなものはデジタルだが。ちょうどの金額の切手がてに入らないときには多い目に切手を貼ることもあるだろう。足りないとややこしい話だから。

ちょうどの金額分の切手がないときに、正確な金額を貼るために郵便局に行って切手を購入するよりも、余分に貼ったほうがトータルで安く上がるケースもあるだろうけど、そういう考えは基本商売ではご法度な考え方ではあるのは分かるが、2円分の切手が無いから、10円切手を貼ってというのも、織物をつくるときに、注文は100mでも、ロスなど考え120m織るつもりで、140m分の糸を用意するとかは普通のことで、100mの注文だから、100m分を織るだけの糸を用意することが正しいのかというと私からすると正しくない話になる。

100mなんだから100m織れる分の糸でやるのが賢いと思うだろうけど、ロスを考えない計算ほど素人計算そのものでしかない。何回かはうまく行っても、10回に1回、2回足りなくなるだけで、糸量の計算としては失敗で、基本、糸の余分をみるのは仕方ないと考えるべきである。糸は基本使う前に長さをカウントしながら分割するので、何m整経できるのか把握しながら整経する。整経する前に糸が足りるかどうか分かる。足りなければ整経回数を減らす。

切手の話に戻ると、切手は1円、2円を組み合わせれば基本正しく金額ができあがるデジタルな世界。同じ仕事でも織物はロスをみないといけない世界。これも、イタリアや中国は、リネンなんてちゃんと重さが入っていたためしがない。常に4パーセントほど少ない。例外としてはイタリア銘柄のチュニジア産のオーガニックリネンのとき、オーガニックリネンだけは、建前が厳しいので、ちゃんと表示重量分入ってて正しくて驚く。が、請求されるときには4パーセント増やしたどこにも表記もない重量で割り増し請求され、もう一度驚く話。しかたないことらしい。日本のメーカーのラミーは20kgだったらほぼ20kgあるから、そこはやはり国民性的なものが出てくるだろう。脂身を中に隠して売る肉屋の話を思い出した。