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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年8月
リネン日記:6
2023年08月27日
今日は隣組の集まりで、隣組の集まり自体を続けていくということを念頭に当番で当たる家の負担を軽くして行くという流れ、小さな組と呼ばれる組織の運営だけでも組長、会計、宿と呼ばれる当番の家がコロナ前はすきやきか幕の内を準備するなど、昔のにぎやかにするのが良かった時代のことが今の時代には負担として残ってしまって、それをどうしてゆくか。続けていくためには思い切ってそういう本質的ではない部分を削り取っていくみたいな形。

自治会なども続けていくためには、本質的な部分ではない行事などを思い切って割愛してゆくことが大事で、時代の流れに適応してゆくということをあるタイミングでしてゆかないといけないということだろう。どの家も一人か二人しか人がいないという状態が普通になって、都会以上に核家族化で高齢化で無理無理に昔のまま続けて来てたというようなあたりもある。

今年は思い切った舵取り的なことがいろいろと行われて、防災訓練的な避難訓練もマニュアルや形式にとらわれない実践的な防災訓練で、避難所に集まった後も全体の整列とか挨拶などもなしに、人数を報告して解散という流れ。もう実際に人も少なくなって本質的な部分により力を使うような形。にぎやかになんでもやっていくのが昭和のスタイルだったのが、今は自治会の存続自体を考えていかないといけないのが次の世代。

会社にしてもそうだし、いろんな他の会にしてもそうだし、昔と違って本質的なところに絞ってものごとを成り立たせてゆかないといけないことが多くなった。20年後には人もまた何分の1となっていくだろうことも考えて考えをもって行動してゆくというのは大事なことだろう。また次の世代に重荷を残さないということも大事なことだろうと思う。
2023年08月26日
新しいことをやろうとするときには、全部が揃わないとできないことが多い、今も織物のラチェットギアをつくろうとするのだけども、素材から吟味、スズだと鋳造がやりやすいが耐久性に問題がある。アルミだとどうだろうか、鋳造もしやすいがやはり硬度の問題が、そこで真鍮がやはりよいのかとおもうが、それなら鋳造よりも削り出しで作ったほうがよいだろうと。

素材が真鍮で、大きさがφ50、厚みが5mm、ギア数18程度のもの。近いものを探してもみつからないので、自分で作ることになって、まずは、真鍮のφ50の丸棒を5mmにカットしたものを手に入れようと探す。それがうまく手に入れることができ、それをどうやってギアに加工するのか。バンドソーが直線的にカットできるので一番理想的だけども、バンドソーの厚みが3.5mmとか5mm、それならグラインダーでカットするほうが裁断砥石の厚みは1mm以下なので良いのではないだろうかと。

そのギアをセットする丸棒の直径とさらにそこにさす紙管の内径と外径と、その紙管に付けるフリンジの内径など、ミリ単位で大丈夫なのかと心配しながらもそういうパーツを集めて、最終的に自分が作りたいものに仕上げる。手織り用の経糸のビームセット。仕事の合間に、こういうのは考えて、集めるだけ物を集めて、試しに1時間2時間使って作ってみるとうまくいったり行かなかったりで、また、仕事しながらより完成度の高いものにするためにどうすれば良いのか考える。

一からすべてつくっているとすごくお金が掛かるので、既存の物を使いながらそれをうまく組み合わせながら使えるように持って行く。同じ手織りをするにしても整経とか経糸の準備という部分が本当に一番くらいに大変な部分で、そこをどううまく解決できるのかというあたり。木工の本職でもなく、手織りの本職でもない林与が、今の手織りの問題を解決しようと考えている。

15年ほどまえに手織り機をつくろうと考えたときもあったけども、その時に悩みだったのが、ラチェットギア。通常手織り機には、前と後ろの巻き取り棒にそれぞれ1個づつラチェットホイールギアと爪がついていて、空回りを防いでいる。それが一般的には金属製で、それを一から作るとなると大げさすぎるから自作の織機は難しいだろうなあと。

そのあとに広幅絣プロジェクトをやったときにも、広幅の手織り機で織るほうがシャトル織機で織るよりも簡単だろうなあと思ってたが、同じく、ラチェットギアをどうするかというところであきらめてしまっていた。今、ラチェットギアの問題が自作することで解決できそうになり、自分自身で手織り織機を自作することが可能になりつつある。

ソウコウ枠なんかもシャトル織機のものを使うことも可能だし、より軽量化のためには自作するのがよいのかもと思い始めたりもしていて、綜絖は糸綜絖か、シャトル織機のワイヤーヘルドを流用すればすべてのパーツが揃うことになる。自分の思うサイズの手織り機が自分でつくれるということは、自分のすきな幅の織物を織るというためには理想的なこと。

今、現場が手が足りていないので、手織り機を自作するほうは材料やパーツを集めるというのをやっておいて、時間が出来た時に作業して、シャトル織機の綜絖や綜絖枠などのパーツが流用できるような手織り機を作ってみようと思っている。一つの手織り機をつくるのも、一つの織物をつくるのと似たような作業に思えたりもする。
2023年08月12日
2007年ころに中国の展示会を見に行ったときには、後染めの生地ばかりが並んでいて、林与の作っているような先染め生地というのはほとんど見かけることがなかった。また、天然繊維に関しては、色合いにしてもなんとなくくすんでいるような浅い色のものがほとんどで、展示会の何千もの生地出展者の無数に思えるほどの生地を見て回っても麻に関しては日本との品質の違いというのは明らかに思えた。それから15年。中国が日本の繊維業界を吸収してしまったかのように思えるほどに、今、中国の展示会に行くと先染め生地はもちろんインクジェットで自由に生地をデザインするのが当り前で、日本企業がそういうことをやろうとしても中国のように簡単にものがつくれるような状態ではなくなった。中国にしても日本の5倍くらいのスピードで進化して中国の繊維業界もベトナムでの生産に移行するような流れ。

デフレの流れの中で、日本での生産がどんどんと海外に移る流れになって、日本企業も海外で生産をするようになり、日本の品質が中国にも移転され、一方で国内では量産の仕事が少なくなり、ニッチェ的な小ロット生産の流れ、製造業を知らない人というのはそれが日本のものづくりだというけども、日本のように終身雇用的な雇用形態で、高齢化した現場においては、なかなか普通のものをつくるも難しくなるのである。ましてや高度なものなどというのは、ほんの一部の人しか携わることが出来ず、あいまいな人が関わるだけですべてが失敗に終わる可能性が高くなり慣れた以外の仕事は頼めないことになる。

国内の繊維業界でも新興企業が海外生産で、国内販売には若い人たちを非正規雇用して伸びていく一方で、伝統産業系の繊維の現場では高齢化で生産性も低くなり、まさに明と暗みたいな対照的な世界が、日本の繊維業界の中にある。これは一企業の問題ではなくて、日本の終身雇用年功序列的な雇用ルールを守って長くやっているとどんどんと難しくなっていくという時が経つごとにどんどんと難しくなる構造的な問題で、社会構造的な破綻。

構造的に難しいような土壌を取り除かない限りは、人を多く抱えた企業というのは成り立たせるのは難しい問題がある。手間を売りにしているはずのものづくりが、働く時間もどんどんと短くなれば働いている人も経験も少なくなり器用でもなくなり手抜きになるばかり。そういうの極端になってくると、謳いは美しいが、産地偽装やビッグモーターのようなことをやれば、メガバンクなどもお墨付きの飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業として成長できるみたいな。偽装の大元はビッグモーターでも経営陣は自分たちは指図していないというがいうこときかなければ切り捨てるみたいなのと同じで偽装に手を染めさせる。結局はいろんな企業の偽装にしても、経営的に無理な数字を求め企業に強いる国レベルなのかもしれないなあと思えたりもする。

優良企業とされている大手ほど経営の数字は良いのだけどもいろんな構造的な偽装が問題になって、そういうところが優良企業とされて金融資本が流れてきたのだけども、数字しか見ていないとそんなふうな根本のところで構造的に問題を抱えた企業系になりがち。カネがらみで捕まる政治家たちが主導する国ながらも、もうちょっと行政レベルもモラルみたいなものを持たないと、法律すらもがボタンの掛け違えを生んでしまう。今も、大阪でカジノ構想とかあるけども、安直で他力本願的なところがあって、そういうの喜ぶのは利権がらみな政治家とかのレベルだろう。あんまり後のこと考えていないだろうが、利権ほしさに将来にマイナスが残るようなこととかはやめてほしい。日本の将来は、次の世代に白いままで残してあげたい。目先の利益を追い求め、問題を将来に先送りする出なく、今の世代が今の問題を解決してゆくべきだろう。

今の若い人たちの憧れがYOUTUBERだったりで、そのどこに憧れるかというと金満なところやお金儲けの部分。私自身が手織り体験とかして思うのが、自分で作ったり自分のつくったものを大事に思うような気持ちが子供たちには本能的にあるのだなあと感じる。子供たちが織っているときに上手とか下手はない、簡単な説明をして後は自分なりに織ってもらって、分からなくなったら少し手助けするだけ、自分自身が前に進めていくという部分一番大事だと思うし、とことんやってほしいし挫折してほしくないから、親御さんは、サポートしている私のことを気にしてもう迷惑だから終わろう見たいにいわれるけども、私自身はとことんやってほしいので、夕方まではやってるから織りたいだけ織ってという。単に手織り体験というだけでなく、織った布を記念に持ち帰ってもらうのもすごく喜んでもらえ、小さな宝物。自分で織った布ということがすごく大事な部分で、私の自分がつくった布への思い入れと似てるんじゃないだろうか。米原のイベントでは、織物体験用に広いスペースをいただいたけども、多くのお子さんたちに体験してもらえてフルに活用をさせていただけてほっとしてる部分もある。盛り上がって林与自身本当に楽しかった。次は9月8日9日のマイドーム大阪での大阪てづくりフェア2023で、「超かんたん無料手織り体験」やります。
2023年08月11日
阪急百貨店のテキスタイルマルシェでも、小さなお子さんが来てくださって楽しかったのでその次の日にも弟さんをつれて織に来てくださったと聞いて、すごくうれしかった。米原のイベントでも、初日に楽しかったので次の日にも体験しに来てくださったお子さんが6人くらいはいてくださった。子供たちにとって手織りというのは仕事や作業というよりも楽しめることなのである。

林与自身が手織りをほとんどしていない人なのだけども、レピア織機やシャトル織機とかになると何十年やっている現場の人たちでもなかなか難しい問題があったりして、仕事で織物をする人たちも手で織るという基本作業からやると、職業的なプロとして電気で自動に動く織機を使うという意味も理解できるのではないだろうかと思える。

林与が世界でも本当の本物だと思うのがイギリスのステラマッカートニーというブランドさん。林与との実際の取引はないのだけども、すごい思いのある方たちの集まりなんだと感じるばかりで、本物のエシカルな世界を探してられる。ステラマッカートニーというブランドは、本当に心優しい人たちの集大成だと思う。これは実際の取引説かなく損得関係なく私が思うところ。世界的にみてエシカルなコンセプトは本当の本物。私が肉をたくさん食べてしまう人間なのそのブランドのコンセプトにも林与はまったく見合わない。それが本当に残念だけも、林与が世界のトップレベルのエシカルには見合わないと思うのもそのあたり。

日本でもオーガニックの会社があって、その代表の方がお肉は食べないと言っておられたのが、本物なんだなあと感じたことがあった。私が一番嫌いな飛ぶ鳥を落とす勢いに感じてしまっていたのだけどその肉は食べないという一言で、本物だと感じた。私自身も繊維関係のエシカルとかエコとかには厳しい視点を持つけども、そこまでは個人レベルとして難しい。パタゴニアの地球環境保護も分かるけども、それ以上に林与の接点として世界のトップレベルの繊維業界のエシカルを自分の人生を照らし合わせて考えないといけないあたりもある。結論として消費者の人は自分の作ったもので裏切りたくない。肉もたくさん食べる林与が関わることでさらなる上の世界レベルのエシカルを濁したくない思いはある。林与もまったくの除外だけど、そういうコンセプトの世界って世界的にも格別にみられてもよいと思う。哲学、アート、人生観、それを謳いだけでなく実際に守れる人たちというのは本当の世界的にも特別。
2023年08月06日
米原伝統産業会館で、昨日と今日の2日間、ロビー展示で、林与は手織り織機を2台持ち込みして、超かんたん無料手織り体験を行った。今回も2日間、子供たちを中心に、ほとんど途切れることなく初めての手織り体験を行ってもらえた。手織り体験をしてもらうときに、最初に、1分から2分ほど簡単な説明をしてあとは自分で織ってもらうというスタイル。

初めてのお子供さんたちでも、手織りすることが簡単で楽しいという経験で、私自身は織りたいだけ好きなだけ織ってもらうと思っている。お子さんの場合、お母さんやお父さんが後ろにいてくださることが多いのだけども、子供たちが手織りに夢中になっているときに、お父さんやお母さんは周りにも気を配ってもう終わりにしとき、とまだ織りたいお子さんたちが夢中なのを止めようとされるけども、私としたらとことん好きなだけやってもらいたいなあと思っていて、子供たちはだいたいもう終わろうといわれてももっと織りたいという返事がほとんど。思う存分体験をしてもらおうと思って手織り織機を持って行ったので、お子さんたちのもっと織りたいというのは、林与としても本当にうれしい。手織りの織機に触れるなんていうのはなかなかない経験で、見た目に興味を惹かれて、体験してもらえて、自分で織るというのができて夢中になれる。それって、単に手織りを体験するだけでなく、織るのがたのしいとか、おもしろいとか、ワクワクするものまで感じてもらえる。

難しいなあと思っていた麻の縦の織機のほうでも、一人のお子さんが初めて織って幅16cm、長さ90cmほどのマフラーを織り切った。初めて織ったときにストールを織りあげるという目標を自分の中でもって、それを成し遂げるというレベルの高さ。経験の長さじゃなくて夢中になったことをとことん満足するまでやり遂げたい、やり遂げるということ。その弟さんも同じようにマフラーを織りあげられた。それには私がびっくりした、手織り体験で初めて織ってマフラーを作ろうなんて思いになるのは。特別な二人なのだなあと思ったら、今回はそういうマフラーまで織りあげられるお子さんが8人くらいいてくれて、だれもマフラーを織りなさいといわないのに自分で織っているうちにマフラーを織りたいと思って80cmとか90cm織られる。本能みたいなものが働くのだろうか。20cmくらいのコースターくらいで終られる方ももちろんおられた。

織った分を持って帰りますかと尋ねると、ほんともらえるの?と喜んでくださった。単に織るだけだと、織物を体験したというだけで終わるのだけども、織ったものをお土産に持って帰れることで、思い出が手元に残る。自分が織ったものを見て楽しめる。縦を切って渡すたびに再び織れるようにもとに戻すのだけどもそういうのは林与はプロ中のプロなので1分2分もあれば、織れるように元に戻せるので大変でもない。2日間、お昼から夕方6時まで2台がフル稼働して多くの方に手織りの体験をしていただけ、喜んでいただけたと思う。

もう一つのテーブルでは、おひとり様1枚限定リネンキッチンクロス無料プレゼント企画。日ごろの量産の工程のなかで、キズなどで途中中断してできたハギレなどを取っておいてそれをキッチンクロスに縫い上げたもので、大きさはまちまちだけども正規の商品と変わらないよいもの。滋賀県では、リネンのキッチンクロスをまだ使われたことのないお客様というのは多いので、初めてのリネンキッチンクロス体験みたいな企画。

林与のリネンキッチンクロスをお使いいただくことで、リネンのキッチンクロスの違いみたいなものを体験いただいて、リネンに興味をもっていただくとか、また麻の水をよく吸う良さみたいなものを感じてもらえるだろうと思う。林与にとっても、織物に夢中になってがんばる子供たちにたくさん出あえて、本当に楽しい2日間でした。子供たちが織物に興味をもってやってくれることが本当にうれしく、織りたいならどこまでも織ってほしい。お母さんたちがもう終わりにといっても子供たちが、もっと織りたいと言ってくれると、そうそうとことんやらないとと思うのが私。
2023年08月03日
脱貧困みたいな経済成長モデルがあるけども、農村地に観光資源を作って観光などで活性化しようというもので、大きなお金を田舎に注いで新しい建造物を作ってそれまでの地道な営みを破壊してしまうようなところがある。一時的には、建築などでお金が動いて活性化するもののその事業が成功しなければ、今度はその何千億規模を使った事業ですらもどう維持するのか片付けてゆくのか、次の世代への赤字要因になる。

これが、新興国で起こりがちなことで、でもそれは、日本の万博なども同じような傾向があって、計画では問題なくてもいざ実施しようとしても何倍もの費用が掛かってしまって当初の予定の何倍もの負担になる。今までのことにお金をつぎ込んだ方がよいのだけども、お金を握った人たちというのはどうしても新しいことに費やしたいようなところがあって、地域の人の人生観すらも変えてしまうところがある。

脱貧困社会で問題になるのが、脱貧困のために教育を受けさせるのだけども、結局、高学歴をもってしても結局は誰かが末端の仕事をしないといけないわけで、今まではそれが普通の仕事という概念だったのになぜかそんなことはできませんみたいな人ばかりが増えて、新興国に置いてもさらなる新興国での生産に移行するような話になる。

私自身が、普通と違うなあと思うところは、一番底辺の仕事を当たり前に思っているあたりで、そういう誰もしたくない仕事の部分に価値があったりする。そういう誰もやりたくない部分を自分がこなすことで全体が回ることも多いし、そういう人がいないと企画一つも回らなかったりもする。今の海外生産というのは日本の昔の高度成長型モデルそのもので、海外のほうが低コストで生産性も高く、日本の5分1、10分の1でつくれるだろう。

昔、半年ほど世界最先端の半導体工場の現場で働いたことがあるけども、その仕事というのは織物の仕事よりも標準化されていて単純だったりする。でも、結論から言うと日本でやらなくても、言われたとおりに正しくさえ作業できれば途上国でもできる仕事だったりもする。途上国の人々の生きる力というのは先進国の何倍もあって、先進国の人以上に途上国の人のほうが器用だったりもする。

インドで経験したのが、量産型の縫製工場で、縫製工場の作業員というのはみんな一着の洋服を自分で作れる人たち。そういう人たちを現代の量産の現場で働かせようとすると単能工化する必要が出てきてしまう。それが苦労したところだと工場の方がいっておられ、技術とすれば、安く大量につくれるような素人に近い水準に落とし込んでゆくようなところ。それが世界の洋服の生産を支えたりするのだけども、そういうのが本当によいことなのだろうかと思えたりもする。

日本の昭和のころのものづくりをみるような感じだけどもそういうのが成り立たなくなったときに、今の日本の繊維業界と同じ様に新興国での繊維産業というのも生き残ることは難しいだろうなあと思える。繊維産業は、どんどんと実際に働く人を求めて途上国へ向かうという流れなのだけども、それが本当に良いことなのだろうかと思う部分。先進国は一方で働かないことを理想とする社会に傾いて来ていて、そういうのが、途上国に労働をもたらす一方で、先進国の働かないモデルというのは、結果として、さらなる階級構造そのものを目指しているのではないのかと思えたりする。