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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年3月
リネン日記:16
2020年03月28日
今日は、区の評議員一般の引継ぎ。区といっても、東京の区とは規模がまったく違う話で、20軒ほどの区。70歳以下のものが当たるので、一番最初は27の時だったかに当たって、今、51で2回目。2区は高齢化が集落の中でも一番進んでいる。

20年ほど前まではどこの家も軽トラを持っているような感じだったが、今は、田舎でも軽トラを持っている家が少なくなった。軽トラというのは農業に必要だったのだが、どこの家も稲刈りなども専業農家にやってもらうなどして、軽トラが必要なくなってきたのである。

軽トラを愛用してきた年配世代も80を過ぎるなどして、軽トラを文化を次の世代が背負うのかというと、それもまた難しい話で、軽トラが必要とか乗ろうという発想すら異次元に思えるだろう。私も、仕事で最初軽トラに乗ったときには、ミッションで厄介なところあるなあと違和感があった。

軽トラの事件といえば、東京に蒸し器の中古の出物があって、それを軽トラで東京の八王子まで取りに行こうとしたら、高速載ってすぐにオーバーヒートして、なんとか、岐阜羽島でおりて、軽トラをレンタカーして、八王子にたどり着いて、奥田染工の奥田さんとスタッフの人に手伝ってもらって、積み込み持ち帰って、次の日にまた、岐阜羽島まで、レンタカーを返却しに行って、オーバーヒートを心配しながら下道を走って帰ったことがあった。

軽トラというのはどうしてもたまにちょっとしか乗らないので、劣化していることに気が付かない。今の軽トラはスバル、スバルはやっぱり基本強いのかなあと思うが、これもリコール案件にもろ引っ掛かって、バッテリーが充電しないトラブル。オルタネーターの問題でタイミングベルトが切れてしまうというリコール。

手に入れてからすぐに八日市まで行ったときに、帰り、バッテリーが落ちて、エンジンも掛からなくなる。家まで2kmか3kmを歩いて帰って、別の車でバッテリーをコメリに買いに行って、軽トラに新しいバッテリーをつけて、100mづつ2台の車を乗っては取りに行って家まで帰ったことがある。リコール案件を修理してからは調子よく動いているが、自動車の構造に問題があるものを利用者が解決するということは不可能だなあと思う。どうして10数年物の中古の軽トラが今頃リコールなのか? 不思議だが、走っている車が少なくなってからリコールされるみたいな話である。

国の肝炎問題と同じで、何十年もしてから失態を認めて対応する、そのときにはもう多くの人は無くなって問題対象が少なくなって対応ができるという、駄目な話なんだろうと思う。

アメリカにいるときに、ジャガーのV12エンジンを積んだ中古のジャガーXJSというのに乗ったが、ジャンクな宝石で、車に乗っている時間よりも修理工場に入っている時間のほうが長い車であった。ボンネットを開けるとV12エンジンが、かに道楽のカニのように、でっかく存在する。が、他のオルタネーターとか、いろんなものが、エンジンの下にあって、修理がとことん難しい車で、ラジエーター液のキャップのパッキンが古くなると、ラジエーター液が、車の横から漏れ出しオーバーヒートも経験した。イギリス車というのは電気関係が弱く、電気回路系統が劣化して、安定しないという問題も経験し、日本車は電機メーカーが強かったから、信頼性が高いんだと確信した。今や日本でも電機メーカーが基盤部品を国産でつくることも少なくなって、日本車の性能も落ちてくる話になるだろう。自動車に使われているボルトなんかも、日本の大手の偽装問題で、JIS規格の何倍もの耐久性がないといけないものがJIS規格レベルのボルトであったり、鋼材であったり、そんな自動車が日本中に走っている。海外の新興国の自動車と紙一重に近くなってきているのである。

技術を苦労して生み出した人というのは、その価値を知っているから自分の食べていける範囲でものごとをするが、そういう技術をパクろうとする人も多いのである。手品の種を教えてもらって、種明かしで儲けるようなタイプが、日本でも多くなって繊維業界なんかでも、日本中を見て回っているタイプの人というのはそういう人が多い。いろんなことを知っているような勘違いがあるけども、繊維の価値が生まれる本質みたいなものを自分自身は経験することもない。頭じゃなく、日ごろの地道な作業の部分に基本があるのである。

会議してものを生み出す考え方を捨てて、現場からものを生み出す手法に変わらないと、本質的にどうしてもパクる体質になりがちなもの。納期とか価格とか品質とか、自分が仕事しない人ほどそういう一般的なところしかみてないもので、プロセスから変えていかないと特別なものはできなかったりする。
2020年03月25日
ミナミヌマエビの中に、川で捕まえたのではなく、ネットで購入した赤いミナミヌマエビが5匹ほど冬を越すことができて、そのうち2匹が抱卵したので、孵化のための隔離で屋外の水槽から屋内の恒温装置の中に設置したベットボトル水槽に入れた。ソイルとマツモと小ぶりのアナカリス1本を入れて、24度程度に保つ。多分あと2週間くらいで孵化が始まるだろう。外の水槽には、たくさんのミナミヌマエビがいるので、孵化した稚エビが親エビ以外の他のエビに食べられてしまう可能性が高く、少し大きくなるまでは隔離して育ててあげるほうが安全なのである。

赤いミナミヌマエビは、飼ってから半年以上経ってようやく3CMを超えるくらいの大型になって、初めての抱卵でうまく孵化して稚エビが繁殖してくれると、赤いのが増えて水槽が華やかになる。外の水槽はヒーターで15度から18度くらいに保たれているが、だいぶ暖かくなったので4月になったらヒーターの電源を切っても大丈夫だろう。
2020年03月21日
リネンのマスクを作ってみた、表は清潔感あふれるホワイトリネン、中はアイリッシュリネンのハンカチ生地を使用し肌触あたりの良さを実感。林与なスタイルのリネンマスク。付け心地も非常によく違和感があまりない。

2020年03月20日
安倍さんが株式に目を付けて株高値を上げるために年金マネーを注ぎ込んで国内だけでなく海外の株価も底上げしてきた調子のよい時代、それがはじけてしまったのが今の状態だけども、損切すらもできないようなどうしようもない状態。なんだか先代の時代を思い出してしまうのである。

本業でもない部分で金満に潤ってしまって、才覚があるかのように振舞ってしまう人は多い。そのしわ寄せ的なものは、繊維業界だと次の世代に圧し掛かって羽振りの良かった人たちが一番仕事のできない人に変わっていってしまい、新しい人たちが小降りに地道に支えるような再生。

金満な考え方を捨てれば立ち直りもはやいのだけども抜け出せなければそういう人々が完全に抜けてしまうまでは立ち直りというものは難しい。大きく国の財政をこかしてしまってそれを立ち直らせるのはこれから生まれてくる世代の仕事では、安倍首相を筆頭とする年寄りたちがあつまって何をやっているのかという話。ボタンの掛け違えが直せなければ再生というものは何倍も時間が掛かり難しくなる。あぶく銭で国を成り立たせるような考えは必要ないのである。

実体経済が良くない状態で好景気を創出してきたこの10年以上だが、そんな良くない状態の需要がさらに半減するとかの可能性も高いのである。繊維関連というのは国の保護を受けない業種なので特に露骨なバロメーターで、景気変動とは無縁に近く本来地道に働くものが支えてゆかないと成り立ちもしないのである。

繊維業界の者がキャピタルゲイン的なものに手を出して他の産業の好景気と連動したところで、不景気に転落すればすべてを失うというケースも多いものである。昔、繊維業界の景気が良かったひと昔前のオリンピック景気のころ、どこの産地でも交遊に励みスナックやバーにお金を落としたのが繊維だけでなく地盤産業的な業界。

それで今も回っている人たちもいるけど、回らなくなったときに抜け出すことができるのかというと、そういう体質になってしまうと、ゼロから物事を考えるとかすらもできなくなる。そこで日本的な固定観念から抜け出しゼロからものごとを考えたところが繊維業界を掌握してしまったのが国際的に動いた大手SPAの台頭なのであろう。経験が長くなるとゼロから物事を考えるような素直さがなくなり、人間の変われないが影響して大きな軌道修正なども行いにくいものである。

大きなものとか長いものにまかれよとかではなくて、ものづくりしていてつくりたいものもつくれなくなればお手上げだろうという問題があったりするものである。そのものづくりの基本が自分が作業して自分が生み出せるような人の存在だろうと思う。覚悟を決めて自分で時間使って自分でこんなものだと売れると信じてつくって売ってゆけるような人や考え方が必要なのである。ババ抜きのババをあえて引くような覚悟しているものが場を作れるものだったりするものである。

先進国で繊維の仕事は難しいなあと思えるのが、一つの作業、経糸を一本一本繋ぐ仕事。途上国の人ならできて先進国の人ができないのが作業なのである。耐性もなく高度なものづくりを目指しても仕事するたびに問題が付きまとう。高度なものを作ろうとするときには、その問題を解決する能力が必要なのだが、そういうのを面倒がって問題があっても問題ありませんが今の先進国のものづくりで、同じお客さんの同じ仕事すらも同じにできないが多く。2000年頃の海外の不安定な笑っていたモノづくりに近いところにある。骨を抜かれたようなものづくりでは骨のあるところのものづくりには敵わないだろう。私自身、骨を持っていたいと思う。
2020年03月19日
急ぎの件でのサンプルの制作、在庫の糸を使ったのがちょっと失敗だったか、一つの配色を織るのに苦戦、織機に問題はなく、糸の問題で、染屋さんに問題があるというよりも、糸の糊付けの問題があるのをあえてサンプルで数十センチ必要なだけだから、横糸用を縦糸に使って強行したのが、予想できた問題の発生。2m織るのに数時間使って予定分織り終えたが、本生産は新たに糸を染めて使おうと思う次第である。

レピア織機の消耗していたナイロン樹脂のコロも予備用も含めて10個つくることにした、何十年も交換をしていないコロだけど、4台ともコロを交換してあげようと思う。1mmすり減っただけでうまくうごかないなんて不条理にしか思えないが、織機というのは正直だなあと思うのである。

織機がうまく動かないときに私自身の中にはたぶん原因はなになにだろうと思うのが一つ浮かんで、だいたいがそれで解決、解決しないときに他に思い当たる件を2件3件あたってみて、それで解決しないとすごく自分の中に直せないのではないかと思うプレッシャー、最大10か所くらいの調整を加えてみたりする。それでも直らないとその織機が使えない状態が続くので落ち込んでたりもする。

そこまでやれる人ならこの仕事は成り立つだろうと思うけど、そこまでやれないと成り立たないのがこの仕事だろう。普通なら7年とか10年で償却して新しい織機に入れ替えて対応するというのが、正しい?考え方だろうけども、そういうモノづくりをしていると逆に機械メーカー依存の物づくりになってしまって、機械メーカーがないと織物がつくれない体質に陥ってしまう。問題が起こったときに正しい原因にたどり着くことが大事で、その原因を解決できる力が必要なのである。
2020年03月18日
織機は正直なので、何か問題があるとうまく動いてくれない。今日は、シャトル織機の杼替えがうまく行かない問題。この問題には今までも何度も遭遇はしているので、思い当たる原因を順番に当たって織機に調整を加えてゆく、8番目くらいに想定していた原因が問題だったようで、それを直して以降はシャトルが噛むことがない。その時間5時間くらいか、苦痛モードで動き回って20cmも正しく織ることができず、調整、調整。

予定していた仕事が全部遅れが生じてしまって、しかしながら問題が解決できてよかった。時には数か月問題が解決できないときもある、それが織機の問題だけでなく糸の問題であることも。一生懸命やってても結果に繋がらないこともあるけども、一生懸命やらないと今日の原因でもたどり着けなかっただろう。

原因にたどり着けないときには数か月そのままのこともある。シャトル織機も杼替えがあるだけでどうしてこれほどまでに複雑になってしまうのかと思うが、時間に追われているときにトラブルの発生は精神的にも疲れる話。絶対に直ると信じていろいろと調整してみるしかないのである。
2020年03月17日
私自身、年金をもらえることなど期待をしてもいないけども、納めたお金がまだほかの人の老後の役に立っているなら我慢もできる話なのだが、これが、株式なんかに投資して消えてしまうとなると。同志社大学時代の公友会が寄付で集めたお金を株で溶かしてしまったのを思い出す。株式が上がっているうちは勢いづいていた公友会の会長も下がって溶かしてしまった後は辞任するだけで責任を持てないような状態。せめて、私財をなげうってでも弁済すればよいだろうと思うが、学生なら何か失敗すれば弁済させられるが、大の年取った大人は引退するだけで終わり、大阪証券取引所の不正取引にも絡んでおられたようなニュースも目に入った。

力があるとそういう適正でないことが行われてしまうわけで、年金を株式で運用していたGPIFの人間がそれを溶かしてしまってもそんなことは自分の責任でもないとあたりが、素人が自分のカネで博打するよりも質が悪いあたり、賭場のコーチ屋そのもの。この3月には全員入れ替えだそうだ。3月末の資産運用の結果は5月頃に発表されるのだろうけど、政治と絡んで、株価を上げるような政策というのは一番やっては駄目な部類でしかも年金のカネを投入するなんてことは、同志社大学の公友会の寄付金が株で溶けてしまったのを思い出すような浅はかな事件。

寄付金が株式運用されるなんてのは、寄付金の意味すらない話なのである。同志社大学の設立に関する話で、亟禁を犯してアメリカのアーモスト大学で学んだ創設者の新島譲が、帰国前に、大学設立の寄付金を募った、すると貧しい人も自分のバス代も寄付して歩いて帰るという。寄付したお金が株に使われるなんて知ったら寄付する人はほとんどいなくなるだろう、寄付したものを裏切るような行為なのである。株で儲かるならそういう考えの人が自分の全財産を担保に株に投資して儲かった分を寄付すればよい話なのである。それをしないことを考えると、儲け話を持ち込んでくる投資セールス電話の人と同じレベルの話で、大体がお金が溶けてしまう話なのである。

個人相手に10憶の損失だと普通かもしれんが、学校に寄せられた寄付金を株で10憶の損失というのは、教育機関としていかがなものかというレベルの話で、もっとみんな地道に働いているぞというのを分からないとだめなのである。年金の場合には、株価が下がり始めた時には撤退すらもが難しい話で、下がる株を買い支える目的で、株式投資の損切りできない負け組そのものの投資スタイル、機関投資家の肥やしになってしまうだけのことである。資金を注入して吸い取られまた下がり、資金を注入してもまた吸い取られ、国レベルがカモになったら国民にとっては厳しい話過ぎるのである。
2020年03月17日
マスクというのが大事な要素になってきているが、マスク不足。マスクというものが当たり前に手に入らないという問題があるが、そのほとんどが海外で生産されているという問題がある。びっくりすることだけども、有事に備えて国が備蓄したとしてもそれを国が国民に配るなんてことは考えていない想定から始まるから、日本の国というのもおかしなものが取り仕切っている話なのである。批判が高まってようやく少し備蓄分を崩したあたりだが、政治や行政は本当に誠意のない人間の集まりになってしまって、自分たちのことばかりしか考えられないものが国のことを考えることができるのだろうかと思う。

マスク業界もフルに生産をしていても、このピークが過ぎればマスクはあまり一番の不況業種になることが見えている。今いる人員で対応するのが一番良い方法で、人を雇ってまで対応するとあとあといろんな労働関係の雇用問題につながり、それを避けるために無理をすると倒産ということもありえるので、いくら政府がいまマスクが必要といっても普通に生産している2倍とか3倍くらいが限度だろうと思える。どう考えても無理だろうことを、ボンクラなのか、国内で月産1億枚つくるとか、マスク業界だけでなく、マスクの材料の業界も人は切り詰めて対応しているし、人員を増やさない限りは、今まで鬼のように叩いてきた過労死問題につながる。国内で生産して何億枚というのはどう考えても難しい話なのである。

麻業界も、1970年代に空前の麻ブームがあったけども、当時でも生産のキャパというものは限られていて原材料にしても手に入らなくなった。その時代というのは忙しかったとは思うけども、今のような厳しさは全くなく作れば売れる時代。その時代を経験した人というのは逆にものづくりの仕事感覚がずれてしまって、仕事があるのが当たり前のような錯覚をもっておられるケースが多いのだが、つくれば売れる時代が過ぎるとやらないといけないことは逆に増えるのだがそれはなかなか難しい話で、勘違いしてしまうと本業までもが傾くことは多いのである。一人が100枚も備蓄するようになれば、マスク業界も安定するだろうとは思う。

日本でそれほど流行らないのは、政府がマスクは不要とか流しても、人々はマスクをつけることが正しいと思うような正しい意識があるからだと思う。どうしてもマスクをつけさせたくない医者もいるようだが、その医者たちが感染者を目の前にして自分もマスクを一切付けないなら良いけども自分たちは完全防御で感染から身を守るタイプの人だよ。原発が爆発したときにも一般市民は、メルトダウンも隠されて無防備状態で、自衛隊員はフルアーマーで一般市民の被ばくに対応。似たようなもんだよ。
2020年03月13日
地場産業系の繊維業界というのは昔ほどの規模でも派手さもないのだけども、良い時代を過ごしたひと世代昔の人たちというのは昔の感覚が残っていて、すごく真面目に仕事してくれる糸を巻くおじいさんでも、20年前の値段でやっていますということを言ってくれるのだが、卸においては20年前の生地の値段のほうが余裕があって、一般に流れる生地というのはほとんどが海外製になってしまったのが日本の繊維業界。そういう生の感覚を持って仕事の厳しさを切り替えられる人というのは少ないものである。

今日の朝までの1日に仮想通貨の価値の3分の1が吹き飛んでいる。この1週間で、全世界の株の価値の3分の1が吹き飛んでいる。しかも、まだ下落は始まったばかりのような状況。こういうときに、早めに感覚を切り替えて、株をやっている人も見切りをつけられる人というのは強かったりするけども、見切れずに深みにはまって抜け出せないタイプの人というのは、大きな痛手を背負うものである。

私自身、地道な仕事を目指すのもそのあたり、良い時代の人が厳しい時代になると仕事で食べてゆけないあたりをいろいろと見てきただけに、とことん仕事を地道にしてみようと思って、いろんなことを逃げずにやる方向性でやってみているが、繊維の仕事もそんなに悪い仕事じゃないなあと私は思うのである。しかし、力を上げないと仕事があっても仕事を受けるとマイナスになることも多いものである。

景気が良いと仕事すれば当たり前にプラスだったものが仕事してもマイナスという状況に陥る。そこらあたりが当たり前の感覚になって、マイナスをプラスに変えていくような考え方に変わらないと同じままだとどうしようもない。繊維業界にいても、地道に働いておられる人というのは一つ一つの仕事が深いが、横に広げて商売をされている方というのは浅く、普通の大手企業の感覚に近くなってしまう。

地道に仕事すれば、生地の世界でも、品質、納期、価格以外のものが見えてくると思うのだ。仕事の本質みたいなものが別格にならないとそのためには考え方から別格にならないと超えた世界というのは難しいのではないだろうかと、私も他の人が失敗したのでも自分が代わりにやり直すというのが仕事のような部分だけに、常に思うのは、地道な正しい仕事の考え方。それを持っている人が価値のあるものを生み出せるし、ぶれがないからそういうスタイルが好きで、自分も実践していこうと決めたのが早く、過去の良い時代の流れに流されてたのも止めたのが、私が仕事をしていて私が仕事している意味のある部分じゃないのかとも思う。

私がものづくりにしても突き詰めてゆくと哲学にたどり着くというのは、仕事だけでおわらず、人の生き方の考え方が仕事でつくるものに影響を与えるのである。欲を捨てて自分ができることが何なのかを模索するあたりから入っていかないとと思う。素敵な仕事にあこがれる人たちが引いてしまうような厳しい大人の覚悟のある世界があっても良いだろうと思う。そういう覚悟ができていると同じ時間の中でもできることは何倍も高度になってくるし生産性も何倍もあっていろんな余裕ができてくるものだと思う。
2020年03月11日
チェルノブイリ原発が爆発したときに、被害を食い止めるために石棺化のために多くの人が死んだ。投入された消防、軍人、のほかリクビタートルと呼ばれる人々である。日本の福島原発では、そういう被害者を出さずに済んだ、人の原子炉の強度ミス設計ミスが地下水からの放射能漏れで放射能が海洋に流れ出ることで石棺化を免れただけなのである。

今回の新型コロナウィルスも大きく分けて、二つの捉え方がありそれぞれに解決方法があるだろう。封じ込めようとする方法、蔓延するのを放置し治療方法を待つ方法。封じ込めというのは、中国やイタリアのような人々の移動すらを制限して感染者を隔離する方法である。これはチェルノブイリのような目に見える犠牲者を伴う形になる、日本の医療行政ではこの方法は取りにくいだろう。福島原発のメルトダウンを隠しながらと同じように、検査をしないことで実際の感染者数を少なく見せ、蔓延させて放置するのは、実際にコロナウィルスの重症者や死者がカウントされないだけのことで、福島原発のように人の愚かさが神の救いの手のように働かなければ、より多くの人々が亡くなる可能性が高い。

他人事のように軽く見る政治家などがいるが、これこそまさに政治家が解決のために動かないといけない問題で、何もしないならそういう政治家は最初から必要がないのである。日本政府も大したことないと大きな初動ミス、まだそういっていたものたちがそのまま、8割は軽症とか吹いて回る、2割は重症化または死亡なのである。ほおっておけば何千万人もが感染して、その2割が重症化する可能性も高いのに、8割は大したことないといえる政治家や厚生労働省の役人たち、医師たちというのは、早めに職業から降りてほしい。自分たちは感染しないように安全なところにいながら、国民にマスクをつけさせない動きをするものまでもがいる。

アメリカの医療を参考にするべきでないのは、アメリカは医療もビジネスだから、感染したら自己責任というのが原則。政治家にしても個人の健康問題は、自己責任、他人事でよいのである。日本の場合は、医療制度自体が異なり、国も医療関係者も他人事ではいけないのである。国や医療関係者が解決する責任があるのである。強制的に保険加入させながらアメリカのような自己責任論は駄目なのである。

この新型コロナウィルスだが、治療薬としてあがっているものもあるが、これを処方するとウィルスが薬に耐性ができてしまってよりやっかいなものに進化する可能性すらも指摘されている、一人が感染するだけで、累乗的に広がり免疫不全をもたらす、病状を持っているものがより悪化するという問題のほか、院内感染を引き起こす問題も伴う、たかが風邪ではないのである。オリンピックにしてももはや日本の国内の感染者数がというよりも、世界的な感染の広がりの問題があり、延期や中止も柔軟に対応が必要な問題であろう。日本国内は責任逃れや隠匿で済んでも、対外的には通用しない話である。通用させるなら通用させるで、参加国には感染リスクに対しての共通の意識が必要である。日本で感染するというよりも、各国から人々が集まるということで感染リスクは非常に高いという認識、それは参加国各国が責任をもって対応するという前提で参加するということを共通認識としないとクルーズ船問題と同じで難しいだろう。
2020年03月10日
ものというのは作れるときに作れるだけ作っておけばよいのにと思うかもしれない。林与の生地でもあの時には普通につくれたのにもう今は作れないなんてものがいろいろとあったりする。糸の要因や、染の要因、織機の要因、撚糸の要因、加工の要因など、技術はあってもロットが必要とかで現実無理な話も多く、なにか一つの工程がボトルネックになると、今までできていたことができなくなるものである。できていたときには普通にあったものだけども、できなくなったときには、もう今はもうできないという結論。

大まかには、普段の仕事はお客様の注文された量だけをきっちりと作って在庫ゼロで行くのか、生産工程に合わせて適切なロットで生産するのかに分かれるだろう。林与自身をみていると、お客様に作ってと注文をもらって、生産計画を練ってそのタイミングにまとめてつくるというのがよくある流れ。どうしても必要なサンプルで、機から、糸から染からが絡むと、コスト度外視の何十万円コースもあるが、それをやってもそれ自体で林与にしても利益があるわけでもない。お客さまにしても少しのサンプルをみるだけに何十万円では成り立ちにくいだろう。

一回で思い切って何百メートルか作れるなら、やれないこともないだろうけど、少しだけ見たい、その次に展示会サンプル分、そして発注は必要量だけという話になると、単純計算、3倍の時間と労力とコストが掛かる話になるのである。こうなってくると、仕事を受けて成り立つか成り立たないかというのは機屋の力というよりも仕事をもってこられるお客さんの力次第だったりして、ものづくりの方向性みたいなものが同じでないと難しいところもあったりする。
2020年03月09日
今日は朝から出荷作業、結局昼過ぎまで掛かってしまった。糸が太すぎてドロッパーが落ちない問題があって、ドロッパーを重くすればよいのだろうけども、あいにく重いドロッパーを持っておらずなのである。多分普通よりも4倍くらい思いドロッパーが必要だろう。結局、経糸が切れて走ってしまう部分は、手で縫う作業、これがやっぱり時間が掛かる、修理作業というのは織るのよりも時間が掛かることが多い。

布の修理ができる人というのは織るのも上手だったりする。織るときにキズを作らないように注意して織るから、また、織キズの処理のしかたも修理しやすいように処理するから。麻糸の修理というのは必ずしも連続している必要はない、経糸が切れた場合に一目くらいならそのまま経糸を切れた状態で織っても加工で目が詰まるのでキズは目立たないから。横糸は目立ちやすいので、連続している必要がある。

経糸が切れた場合でも結んで処理をすることもあるが、今度は結び目が目立ったりするので、修理の際には、結ばないで針で縫いこんでカット処理したりもする。
2020年03月08日
林与のレピア織機は昭和51年頃の織機で、産地というか日本でもレピア織機で麻を一番初めに織った織機であるが、それが今も現役で動いているのだが、どこも機械的には正しく動いていてもうまく織れないということがある。すべて正しく動いているのにヤーンピッカーがうまく糸をつかんでくれない。つかんだ糸をカットしなければならないのだけども、そのカットがうまく行っていないので、カッターを他の織機と交換してみたりもするけどもうまく行かない。

レピア織機の構造は基本的には理解をしているので、カッターカムのローラーの消耗だろうと想像はしているのだが、取り外して確認しても直径20mmが19mmに減っているだけで大した消耗でもなく、それが本当の原因なのかどうかを確認するために他の織機のローラーを取り外してつけてみるも、どの織機のローラーも同じく1mmくらい直径が小さくなってしまっている。そこで、直径を大きくして改善するのか、ローラーにビニールテープをぐるぐる巻いて直径を1mmだけ大きくして動かしてみると、今までの苦労はなんだったんだろうというくらいにうまく動くようになった。そして、その部品を取り寄せた。

織っている時間よりも問題を解決する時間のほうが長いことも多く、先日は、厚織生地の耳との格闘を3日4日、3日目くらいからようやく綺麗に耳まで織れるようになって、織物というのは単に1mいくらの世界ではないところ。織機が調子よく織れるうちにたくさん織っておこうと思う。そうしているうちに、25番の織機も調子が悪くなってそれも思い切って調整を加えて、綺麗に動くようになったと思ったら、すごく調子のよかった60番の織機が急に調子悪くなってなぜ、原因が不明で織機の調子が崩れるのが一番困る話。

まあ、織機も調子を崩そうとして崩れているわけでもなく、まあ、調子が悪いというのは病気になったようなもの。上手に見てあげれば調子がよくなって元気に動いてくれる。織機というのは案外正直なものである。
2020年03月07日
インタビューでモサントのラウンドアップを2L飲んでも大丈夫という科学者が、じゃあ、用意してますので飲んでくださいといわれて飲むのかというと、わたしは馬鹿じゃないという答え。安全を謳われるものでも自分が飲めないものを他の馬鹿が信じて飲んでも大丈夫だという始末。それで食べてる専門家も多いのである。

これと同じ話が、新型インフルでのマスクの議論、マスクが完全にウィルスを防げるわけでないからマスクは意味がないという。まだ、そんなことをいっている日本の専門家たち。中国の武漢の医者は、2か月も前に目から感染したと正しい推測。N95マスクでも無理なんだけど、マスクするだけでダイレクトに飛沫を浴びない程度問題なのである。オールオアナッシングじゃないのである。

ラウンドアップを飲んでも直ちには健康に被害がないというのと同じことで、オールオアナッシングで、安全性を議論すること自体が、間違いという当たり前の視点がなく、広告塔となって食べていくためだけにそんなことを発してしまう専門家たち。自分たちが患者を目の前にしてマスクしないのかというと、それどころか完全防御なのである。それでも感染するから、完全防御でも意味がないというのかという問題になってくる。今は、マスクをつけると余計に顔をさわるから感染のリスクが増えるなんて言い出して、ボタンの掛け違えをまだ続けるつもりなのか。

日本の保健所でも、当たり前に、インフルエンザの流行の時期には保育園の児童にでもマスクの着用を指導してきたのに、今の新型コロナになってからは手のひら返したようにマスク不要論。子供たちは感染して死んでもよい実験台じゃないんだから、いい加減にしろと言いたい。手洗いしろというけど、マスクもしていなければ子供たちだったら手が口に行くのは普通のことなのに、専門家というのはそんなことも考えないで素人の父母未満なのである。安全だと専門家の言葉を信じてラウンドアップを飲んでしまう人は、専門家からすれば馬鹿というだけのこと。

私も仕事で、織物の専門家みたいな人と接してきたけども、物書きタイプの人が多く、自分が自分で織物を作っていない作れない人が専門家だったりすることが多い。指導を専門にしている人で、実際の織物をつくるという経験が少なすぎるのである。実際に織物を作っていると見えてくることも多いもので、理論的なことと現実的なことはまったく異なることも多い。理論で正しくても現実的には難しいという問題も多いのである、逆に、現実的には大丈夫ということも多い。理論を超えた現実に基づく理論があったりもする。大事なのは理論よりも結果なのであって、理論の正当性をいくらいっても意味が分からないと実際の話をすると一撃のことも多い。これは、自分が安全といっているものを実際に飲めと言われて飲めないのと同じ。

ファーストフードなんかでも、社長は自分の店の食べ物を食べない人がいたりするけど、一番社長が食べて大丈夫なのかどうかをよく知っているんだろうと思う話なのである。そういうファーストフードチェーンが食育とかやってたりするけど、社長が毎食食べても大丈夫なようなものを、まずは、お店では提供するべきじゃないのかといえる。中国に行ったときに鳥インフルで中国のお店から鶏肉が一切消えるような状況で、日本では空前のナゲットフェア、当時スマフォで確認したが中国産だったのである。その後に問題が指摘されて1か月ほどでタイ産に変わったけど、ナゲットフェアは終わってたあとの話。安いのには理由があるのである。食の安全を謳う大手のファーストフード店での話である。
2020年03月06日
滋賀県の彦根という場所では、マラリアが戦後GHQが撲滅するまで土着病としてあった。今回の日本政府の新型コロナウィルスへの対応というのは諦め的な対応で封じ込めようとはせずに受け入れるような形での対応を当初から狙っていた感がある。日本的といえば日本的で、死んだとしても何パーセントの国民だという日本の政治的な判断があったといえる。アメリカはそうとはとらえずに政治主導で厳しい封じ込めを行った。外堀などが埋められ彦根の景観が変わったのもそのあたり、また今は禁止されているDDTなども大量に使われた。仕方ないとあきらめていた悲劇をなくすためには一つの方法だったのである。力関係もあっただろうけども彦根の人も協力してマラリア撲滅に努めた。

私自身は、新型コロナウィルスは封じ込め自体は難しいと考えるけども、封じ込めの努力をすれば多少なりとも蔓延の時期を遅らせることはでき、その間にワクチンの開発や治療薬の開発ができる可能性があるのにと思う。医療関係が受け入れることもできない状態なので学校閉鎖やイベントの中止にしても仕方のないことだろうと思える。一つの場所から全国なん十か所にも広がってしまうウィルス。そのなん十か所からさらになん十か所に広がる。封じ込めをしなければ蔓延は確実なのである。

日本中に蔓延したときになにが起こるかというとオリンピックも駄目になるだろうし、日本から海外への渡航や日本への渡航が禁止されることになる。そういう単純な話なのであるけども、それは一番に避けるべき視点ではないのかと思う。国内は検査結果をうやむやにできても海外での検査の結果は隠しきれないので、それは日本の問題として世界中に広まることになる。ワクチンや治療薬が開発できていない以上は、最悪の事態を避けるためには封じ込めに全力を尽くすしかないのである。

国内だと仕方ないと国民に犠牲を覚悟させることは毎度のことだろうけど、外に目を向けた時に日本の政治や行政の感覚は国際的な感覚としては通用するものではないのである。ダイヤモンドプリンセス号の件で日本は世界から叩かれたけども、本来は自国に自国民の感染者の受け入れを求めるというのが筋だっただろう。世界中が自国民の感染者の受け入れも拒むような状態でそれを日本が受け入れるということのアンバランスからしても、人道的というよりも政治家や行政が逆に考え方が軽すぎて他人事のような気がしてならないのである。人道的な善意だとしたらそれを仇で返されたならしっかりと表明すべきなのである。世界の共通認識をつくらないといけないところでそういうところも政治家の無責任さなので、喧嘩になろうが、責任逃れで文句言ったもん勝ちをつくってはならない。

発症者の面倒を自国が面倒をみるという前例をつくっておけば、各国の対応にしてもより緊張が高まっていたと思う。人道的になるならなるで、世界からの孤立の覚悟を決める必要があっただろうとは思う。蔓延がどんどんと広がる、イタリア、韓国、イランなんかみていて気の毒に思えるが、国が蔓延を封じ込めようと努力している様がまともに思えて、新型コロナウィルス対策にしても一貫性があるように思えて仕方ない。

他のことは政治家や行政も、国民に隠して犠牲を被らせる法律作って終わりだろうけども、日本の政治家や行政であっても、新型コロナウィルスに関しては世界中の人々を相手にしているということを忘れてはならない。武漢の街の家の前に死体袋がならび、病院で子供たちまでも死んで死体袋に3人詰められている動画など、蔓延してしまうと最悪そういう結果になってしまうのである。あれを見た後での各国の初動の失敗は許されないのであるが、専門家たちまでもがあれは武漢だけのことみたいな楽観視、そういう専門家がその問題を解決できるのかというとだれも解決できないのである。それほど危険で楽観視は禁物。危険なものは危険であるとアナウンスするだけで緊張をもってすべての政策も対応もできるが、安心安全みたいなところから入ると保身が働いてしまうから後の祭りなんだと思う。

WHOにしても各国のことなんてのは他人事なんだから、それを分かって忠告なんかも聞いておかないと駄目。日本の行政的に、上下関係で済む話でもないのに、上からの指導みたいに受けて、それに従ったから問題はないでは、それに従って津波に飲まれる小学生たち。高台に逃げたものが生き延びる。行政の人間なんてだれも責任を取ろうとも最初から想定がないのだから、緊急時に自分の命は自分たちで守るということは一番大事なこと、マスクも不要論があるけど、マスクで防げるリスクも多いことを専門家たちが隠してマスク不要論を広めているのが本当に病んでいるところ。自分たちは感染しないためにマスクをつけるのは当然で、一般の者がマスクをつけないように仕向ける。これが本当に正しいことなのか?もちろん完ぺきではないけども程度問題なのであるが、そういうのが安全なところにいて頭が良いと分からなくなるのである。議員会館では早速サーモグラフィーで入場者の体温を測っていたりで、マスクつけていない人の危険性までも認識しているのに、一般の者はマスクもさせないほうに誘導。

織物をつくっていても、大丈夫大丈夫でやっていると、それの結果がどうでもよいなら別だけど。普通、大丈夫大丈夫でやってると、まず、出来上がるものの品質のコントロールが難しくなる。それだけでなく、それをつくる人のコントロールも難しくなって、続けても行くことは難しくなるというか、一つの仕事を受けてもその仕事で正しいものをつくることができなくなるような集団となってしまう。一番簡単なものも正しく作れなくなるのも大丈夫大丈夫みたいなあたりからで海外のほうが織物でも厳しくつくっていることが多くなっているようなところがある。日本の政治や行政の無責任な感覚が、結果を考えない法令などを通じて、ものづくりにも影響を及ぼしてしまい消えてゆくことは多いのである。
2020年03月05日
普通にある日常というのはそれが普通に見えるように作り上げられたものだったりする。トイレットペーパーなんかでも、普通にだれにでもいきわたるような企業の苦労みたいなものがあってどこでも買えるものだったというのに気が付くのである。トイレットペーパーなんかにしても、どの家も1年分くらい備蓄していれば焦ることもないんだろうけども、常にほしい時に買えるものだと思っているので使う分しか買わないものなのである。ある時には買わずに無いと欲しいという単純なことだけど、それを自分が用意するでなく誰かがそれを用意してくれているようなあたりに気が付いたりもする。

子供の頃に、寒かった冬を思いだす。窓の外は雪景色で、出居のなかで、暖といえば火鉢のぬくもり。時間が長く長く思えたのを思い出す。それが小学生のころにコタツになってありがたいなあと思ったものである。今はストーブやエアコン、コタツも家では使うことも少なくなった。人々の生活の向上とともに、電気消費やエネルギー消費は増えてしまい、今の地球温暖化問題的なことになってくる。火鉢のぬくもりが唯一の救いを経験したものだとそれも最悪ありかなあとおもったりもするけど、最初からエアコンが当たり前になっているとそういう想定というのはありえないものだったりするだろう。それでも、子供たちというのは冬の雪の道でも朝早くに歩いて登校して小学校1年の子供のほうが大人よりも過酷な毎日を送っていたりもする。

いろんなイベントが中止となり、人々の活動がなくなると物を販売する商売だと、お客さんの数が減れば生活を脅かす問題ではあるだろう。落ち着けば戻ってくるので目先にとらわれずにいることが大事じゃないのかとも思う。落ち着くまでは日常を捨てて我慢する局面ではないのかと思う。林与は工場の中にこもって仕事をするのであまり影響がないということ、その分、日ごろから日常がない厳しさにも直面している感はある。他の人の普通の生活を守ろうとすると誰かが普通を犠牲にして動いていないといけない部分もあるだろうとは思う。