for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2013年11月
2013年11月
リネン日記:29
2013年11月30日
レピア織機の捨て耳は、絡みソウコウで絡ませなければならない。これがうまく絡まないと横糸のループの出来たりする。今までも、職人さんたちがループが直らないと嘆くときに、捨て耳がうまく絡んでいないことが原因であったことが多い。

捨て耳は、絡みソウコウという特殊なソウコウで、2本の糸の片方を前に落とすときは左側に、後ろに落とすときには右側にという感じで変えながら、そこに横糸を走らせることで絡ませる。

ここ数日、一台の織機の絡みソウコウがうまく絡まない問題で難儀していた。一昨日も調節し、昨日も調節したが、今日もうまくいかない。今日は、調節で対応は諦めて新しいソウコウに交換するかと、何が問題なのかも分からずに、交換しないといけないことに不本意ながら歩きかけた途端。ふと、原因にたどり着いた。

絡みソウコウに問題がないなら正しく動くはずというところが盲点で、絡みソウコウが正しくても動かないことはあるというところ。それで、その原因に対する対応をしてあげると今まで絡まなかったものが簡単に絡むようになって問題解決。

この問題で潰れた機屋というものも多いのではなかろうか。普通は、新しい絡みソウコウに交換して対応するのだろうが、なにが悪いのか分からないまま。正しい絡みソウコウのあり方というものが分からない歯がゆさがある。

諦めかけたときに、なぜ、ふと思いついたかこそが不思議、考えて思いついたというよりも、夢の中のように自分の意思とは別個に頭のなかに原因のイメージが浮かんだ。夢から覚めるように今の頭の中のイメージは何だと考えると、絡みソウコウの問題の原因のイメージだった。それでそれに対する対応をしてあげると。今まで絡まなかったものが簡単に絡むようになった。
2013年11月29日
今日は、レピア織機の修理、午後は縫製を行いました。縫製も私しか出来ない長さ調整が必要な部分が含まれるので、他のものに頼むことが出来ません。普段、縫製を担当している70歳を超える母親も、私の頼まれて仕方なく、この数日は4本4本のストライプ柄を手で繋ぐ作業。間違わないように確認しながら繋がないとならず、4日掛かって縦糸繋ぎを終えました。週明けに加工出しです。

レピア織機も、もともとは年配の職人さんが40年ほどみてやってもらっていたのですが、年を取られて織機の問題を直すことが出来なくなり、織るのも細い糸なので難しくなってきました。年を取るとできる仕事が少なくなっていくもので、する仕事もなくなって行きます。昔できたことが出来なくなっていくというのは個々の職人にも言えることで、それを引き継ぐものがいなければ、会社としても昔できたことが出来なくなって行きます。

林与にしても、私が経営者に徹して現場の作業をできなければ、織物を織るのもそこで終わっていただろうといえます。現場の作業ができるできないというのは、知識や経験の部分以上に気持ちの問題だろうと思います。新しい人が来ても、その仕事が上手にならないのは、それを自分の仕事だと思えないことが多く、教えてもらってやっているのが精一杯でいつまでも吸収できないのです。

私の場合は職人というよりも経営者なので、職人であって満足というのでは駄目で職人に仕事を与えできないときにはやり方を教えるのも仕事です。経営者というのは、会社全体を支えていくという気持ちがあるものですが、職人というのは会社の中で守られているので、仕事ができなくても危機感というものはないことが多いものです。これは中だけのことだけでなく、外部の協力工場の社長さんや技術の人と話していても感じます。

社長さんと話しするとできるだけのことをしようとされますが、現場の技術の人と話すると面倒そうに言われることが多いのです。仕事があるないというのは、できないできないと言って仕事をしないのか、できるできると考えて、できることは実際にやっていくのかの違いだけだろうなあと思うのです。

オンリーワンとか、差別化とか言いますが、麻のような天然繊維の世界においては、単にそれは面倒なことを乗り越えてやっていくだけのことなのかもしれないと思ったりもするのです。技術でやることは真似されてしまえばそれで終わりです。
2013年11月28日
今日は、弊社のあるプロジェクトを展開することに関しての専門家のアドバイスを受けました。一人で前に進まないまま考えているよりも、専門家の無料アドバイスなどを受けて自分に適した方法で進めていけるように考えていくことが大事だろうと思います。

専門家の方は専門家の方なりに正しいと思われる手段を教えて下さるし、その教えてもらった知識を応用して自分の方法を見つけていけばよいわけで、世の中というのは、売り手と買い手の間で決めればよいだけことも多いものです。

恐れてしないよりは、失敗しても良いつもりでやったほうが、やらずに後悔するということは避けられます。失敗しても、また他のことを考えればよいわけで。とりあえず、スタートを切って、一つ失敗、二つ失敗の経験を積んで、自分が実経験を積んだ人間になることが大事。
2013年11月27日
人に教えられたことは一度飲み込んでやるやらないは別にしても出来る力はもっておくべきだろうと思います。教えた人のできること以上のことが出来るようにならないと、それは違うとか言っていても単に苦手なだけです。

新しいことを飲み込むのが早い人というのは、今までも、多くの壁を乗り越えてきた人だろうと思います。自分は新しいことが飲み込めないひとというのは、能力の差ではなく、経験の差であろうかと思うのです。経験が豊富なのをうらやましいと思うかもしれませんが苦労が多いものです。仕事の出来ない人ほどやらずに文句が多いというのもよくありがちなパターンです。
2013年11月26日
今日は、朝から加工出しの準備です。林与の中も作業が一杯の状況ではありますが、加工工場さんも、これから加工される反物で一杯になっておられ、ピークの時期に近づいているということです。

どこの仕事も、台車一杯の量で仕事が流れているのをみて、林与からするとすごいなあと思え、仕事を受けてもらう加工工場さんも弊社の仕事を受けると大きな魚を逃してしまうのではないかと思う気もするのですが、そうしてでも産地にいて昔からのお付き合いの流れの中で仕事を受けてもらえるのはありがたいこと。自分自身が見本などにたくさんお金を使うだけでなく、加工工場さんが小ロットの手間暇な仕事をうけてくださるので、特別のことが出来たりする幸運を感じます。

今は、林与も年内から年明くらいまで埋まってしまって身動きがほとんど取れない状態。12月10日というのが一つの修羅場になりそうで、12月4、5日の東京での展示会は車を予定していましたが新幹線でのトンボ帰りになりそう。
2013年11月25日
今日は午後に、大阪のお客様、お話を聞いていてやろうとされていることのゆかりというものが、昔、子供の頃に京都でおじさんがされていたご商売があって、それを今の時代にご自身で創業し立ち上げようとされているようなお話。裏にはストーリーがあって、いい感じの話やなあと思いながら。林与の近江上布プリント柄と似てるかもな世界。

夜はリネンの織りにくい台を調整、調整を掛けるが織れない。耳糸を入れても耳そばが切れて織れず、昨年のロットは非常に繊維長が短く織ると毛羽立ちやすいという特性があるが、できる限り織機を完璧に持っていこうと他の原因がないのか考え、ある要因を修正しようとやり直し。糸のコンディションが変わると織機の調節もシビアになってしまう。

マニュアルがどこにあるでもなく、織れないときに自然と原因が分かって調節を加える力というのは、経験の積み重ねでしかないと思う。頭で原因が分かっても実際に調節する力がなければ駄目で、現場で手と体の動く人が職人としては適している。現場で手と体が動かない人というのはどうしようもない。

教えてもらっていないから出来ないという人もいるかもしれないが、問題が起きたときに解決するのがケーススタディで、実践的な勉強方法で、実際に意味のあること。ケーススタディの積み重ねこそが大事で、立ち会ったときに自分のものにしようとするかどうかが大事だと思う。

京都のある織物工場の若い社長が、業者さんに任せないで、業者さんと一緒に、機械の部品を廃業した織物工場に取りに行った。自分で分解して持って帰れば、自分が組み立てればよいだけ。すごく疲れるだろうけど、その経験があるかないかで、あとの仕事人生のスタイルも決まってくると思う。
2013年11月24日
だいぶ冷え込んできて、もうそろそろ、柿も終わり。今日は2重織のストールが織り出しでき、規格どおりに織れたのですが、開いてみると接結が弱いなあという印象。目立たないように接結ということでしたので最小限、強度の面で弱すぎる。大丈夫かどうか迷う。他にL25HD用の生地が織り出し、こちらは耳が綺麗に織れないトラブル、対策をしました。

人の気持ちというものは、気持ちがあるのとないのとでは、出来上がる成果そのものが違ってくるもので、どうでもいいかの固まりの人が作業すると、出来上がるものは水準が落ちるので、他の人が手直しする作業が増えたりで、他の人が仕事できなくなってしまいます。気持ちのある人だけが仕事に携わるような形が理想的だろうといえます。

いろいろな講演会があっても、大きな肩書きのある人が講演すると、個人レベルの損得だけの世界に近いなあと感じることが多いもの。またそういう話は美しく魅力的に思え、才能でお金儲けができるような、ネットビジネスに近い話。講演会でも繊維業界の現状をしっかりと伝えられる人がいないと若い人が勘違いから始まって駄目だろうなあと思えたりもする。
2013年11月23日
カネボウという会社は紡績で有名で、弊社にもカネボウブランドのシルク糸が残っています。日本での産業用の絹糸は国産がなくなって久しいですが、カネボウも最終は、中国とブラジルでの紡績となり、粉飾決済事件とともに原糸部門からの撤退。

私自身がたまに使った印象では、カネボウのシルクはシルクとしては色艶など綺麗ですが、半製品みたいなもので問題を取り除いて完璧な形になるという印象です。カネボウの海外でやっていた紡績部門が成り立つのは難しいなあと糸を使った印象で感じました。問題も程度問題ではなく、致命的な問題なので、原糸を見ても分からないですが、染めると露呈して作った生地が全滅する可能性が高いもので、それを防ぐために途中で問題を取り除く工程を必要とします。

リネン紡績に関しても糸の品質が落ち、問題が起こるとそのうわさがすぐに飛び、噂というのは正しいことも多く使わないほうが大きなリスクを被らずに安全なのです。これは糸の品質だけでなく、糸の産地なども同じでこと。正しい情報を得ようとすれば、欲する側も過度の期待をしないことで、現状と受け入れることも大事だろうと思います。

繊維とは関係ありませんが、あるところで地場産品のお土産を買おうとして、値段も付いていてディスプレイしてある商品を欲しいといってもそれそのものは絶対に売ってくれないことがありました。それはそのディスプレイしてある商品は本物で、通常に売るものは他から仕入れたものであるのを察しました。その業界の頂点に立たれている職人さんでも食べていくのがそういう形であるというのが気の毒に思える。

自分でつくったものは、結果、不細工でもいいじゃないかと思うことが多い、小綺麗にしようとすると薄まってしまうもの。絞りたての牛乳のようなものづくり、長年寝かせた蔵からの蔵出し、作りたての感触。
2013年11月22日
今日は、朝、運送会社から電話があってリネン糸が到着。リニフィチオのオーガニックリネン40番手の糸も含まれていて、箱にはメイドインチュニジアの印。リニフィチオのオーガニックリネンも当初のイタリア紡績からチュニジア紡績に移行してしまっているのは、時代の流れなのだろうと思う。

10年くらい前になるでしょうか、私が最初に使ったリニフィチオのオーガニックリネンは、イタリア紡績で、糸はグリンの色味でした。リネンの糸としては珍しい色味で、あんまり好まれないかもしれない色味の気がしたものですがオーガニックらしいものかと不思議な気分がしたものでした。自分で加工まで仕上げてみると、しばらくのうちにベージュに変わっていきました。生きているなあと思えたものです。

今のオーガニックリネンは、通常のリニフィチオのチュニジアものと同じようなベージュ色、糸がしっかりとしまっている感じがして、見た目は60番手クラスではないのかと思うほど細く見えます。ロットによってばらつきなどあろうかと思いますが、仕上がってくるとどうなるのか。

名門といわれるハードマンズとリニフィチオ。ハードマンズも南アフリカでの生産に移行して、リニフィチオもチュニジア。今はアフリカがヨーロッパブランド糸の生産地になりつつあり、世界の繊維産業も、最終的にはアフリカが紡績、製織、加工、縫製の拠点となるという予測も多いものです。
2013年11月21日
今日は2重織ストール。はじめの準備を私がしてつなぐなどの作業を職人さんにしてもらって、最後の織るための設定などが職人さんでは難しいということで、再度私が織り出しを行うという形で、2重織のストールの織り出し。

規格があってもなかなか形にするまでというのは、何十年の職人さんでも難しいことが多いのも事実。複雑な織物を作るというのはコンピュータプログラミングに似ているところがあり、ヒガエやドビーのメカニズムなどは織機がコンピュータの始まりといわれるほどに似ています。

ストールとして織り上げるためには細部の調整なども必要。耳を問題ない程度に仕上げるためにリネンのままだと難しいので綿の糸を数本入れたり、通し方の違うところを手直ししたり。見た目、90%程度織れるなあの状態まで見えてくると安心は出来ますが、これで最終というところまでの残り10%が、神経をたくさん必要とするところで実際には50%くらいの力を最後の10%の詰めに使うことになります。
2013年11月20日
今日は東京、朝早くおきて、留守にする分の職人さんなどの段取りを準備。朝、会社を出ようとすると、銀行の担当の方がきてくださり大まかに計画を説明。急いで新幹線に乗るため米原の駅に着くと、東口が出来て駅が活性化したためか、駐車場も増えたはずなのに駐車場がどこも満杯で、駐車場を探すのに30分。結局、東京には1時間半ほど遅れての到着。

途中、新幹線に乗っても、整経をビームに巻き取るときに、シャトル織機の2重織りに適した位置と一致しないといけないので、ビームの端から何センチのところから巻取りをしたらよいのかを、携帯電話で説明し現場の状況を聞きながら計算。経験というのは、単に時間や回数ではなく、仕事を自分自身で乗り越える経験が必要なのだが最初の一回を乗り越えられないと次も無理だったりするので、電話で出来る限り丁寧に何度も説明をする。帰って自分でやったほうが早いのだが、時間を掛けてでもできないをできるにし、自分で仕事を進める能力を養うことは必要と考える。

アパレルさんの展示会は、昨年もそうだったが活気付いていた。ものだけではなく、人が時間を過ごすこととに対するトータルな提案を考えておられることが人が集まる要素となるのだろうと思う。高級ホテルが単に寝るだけの場所でないのと似ている。その後、JCとPTJの会場もかなりぐるぐると回らせていただき、その後、海外展示会の説明会があった。

その説明会のときに、ある方が意見を言われて日中韓のアジアグループを組んで、日韓が企画、ものをつくるのは中国というような構想をいわれ割り切っておられ。日本だけが抜け駆けすると、中国、韓国からクレームがくるといわれる。ものづくりの現場じゃない、夢のない話に思えた。日本の織物企画にしても、自分たちで作るという現場がなくなり、展示会を回ってスワッチを貰ってそれを安いところで真似して作ってみたいな織物企画屋さんが多いのも現実。自分が作業する現場がなくなると自分で生み出すことができなくなるということ。逆に自分ですることを増やしていくのが生き残りの道の一つに思う。それは失敗も多く茨の道かもしれないが、他人に仕事してもらうでなく、自分が仕事して食べる力をつけていくとかの基本的な部分に繋がる。

説明会の前に、休憩スペースでイスに座って作業していると、メサゴフランクメッセの柏木さんが私を覚えていて下さり声を掛けて下さいました。現在はテキスタイル展からは離れられて折られますが、展示会に出始めた頃は、日本事務所の代表をされていて、大変お世話になったりで、お会いできて懐かしく、まあ、なんとか元気に仕事をしていますというご報告。裏で支えて動いて下さる方の努力で、出展者が出展した成果というものが左右されることも多いもの。インテキ北京も思い出すとなつかしいなあ。もう、5年前になるでしょうか。リネンの本場であるヨーロッパに日本製リネン生地を提案するという話をメサゴフランクメッセのドイツ人の代表の方に語ると笑われましたが、その思いにしてもパリの展示会も経験し、今現在も進行形で気持ちを持って実際動いていれば叶う話だろうと。
2013年11月19日
今日は、委託で織っているストールを出荷。今年はあらかじめ染まった糸を使っているので、染めの時間の分が織る時間に貰えスムーズ。夜には、2重織のストールを久々に試作、これも切れやすいリネン糸でシャトル織だから難しい。

2重織というのは単純に2倍時間がかかるそれだけでも、リスクは2倍以上。織物がいろいろな可能性があるというのも、普通の織物ですら手間がかかるために、あまり複雑なことをする人はあまりいないからだろうといえる。

複雑にしたからといって売れるものじゃあないというのも面白いところ。白黒とカラーだと、表現力は大きく違うが、自然の色というのは案外人の眼にはハッキリしているもの。それでいて美しいと感じる。虹の色が7色に見えるのも、実は無限なのだが人の眼がそれを見分けられないだけ。日本人にとっては7色、外国人にとっては6色。
2013年11月18日
今日は、東京に2件持ち込み。東京に行く途中、高速道路で、秦野という場所を通る。徐福の子孫たちの秦氏が住み着いたといわれる場所である。富士山というのも、不老長寿の薬草を求めて最後に徐福がたどり着いたといわれる。高速道路から雲の上に雪で真っ白の富士山頂が見える。

富士山は有史以来、日本で一番高い山であり続けたのかというと、戦時中は、日本が台湾を植民地化したので、台湾の最高峰の山が、日本の歴史上では日本最高峰ということになっている。多くの人が知らないトリビアである。

織物では富士吉田のスフ織物などが有名だ。もともとは絹織物であったそうだが、今は産地はレーヨンの織物を主体とされている。富士吉田の産地は、産地に機業が残っておられ、若い世代が活躍されていて活気を感じる。他産地のことながらも、織物の技術のあるところの技術が消えないように残ってほしいと思う。
2013年11月17日
筬通しが終わり早朝から織り出し開始、ペックで2X2のバスケット。ヒガエのカードも完了。テスト的に織り出すと、やはり、シャトルでは耳が綺麗に絡まない。2枚ドビーを追加して耳の組織を取る。

横糸を巻くシュワイターも糸が太すぎて綺麗に巻けない。大きく巻けすぎるので綺麗に管が入るシャトルを捜そうとするが、新しいよいシャトルはどれも駄目。糸を巻くのも今までの経験でそんなことがあって、太い糸用に調整をした錘を使うとうまくいく。機械というのはバラバラであってもこういうときにほんと便利。

シャトルにしても、内を削って大きく巻いても大丈夫なように改良したり可能だけど、あんまりやりすぎると、薄くなって、シャトルを挟んだときにシャトルが壊れやすくなる。新しいシャトルがすべてよいとは限らず、シャトルも人の手で改良を加えて使い込んでいく。

織る準備を整えていると昼前からの織り出しになって焦り、織り出すとテンションの問題が発生、経糸が緩んだりきつくなったりでテンション調整を終えて、ようやく織機が調子よく動き出したと思ったら、フォークが正常に動いておらず横糸が切れても検知せず。フォークを付け替えて調整し、ようやく動き出しました。午後1時半にようやく1枚が織りあがり、縫製と加工を済ませ、最後にタグをつけて1枚のラグが出来上がる。
2013年11月16日
今日は、ラグ生地製作の続き、思ってもいない落とし穴があって、相手の糸が細くて、ラグの糸は太くて、細いほうの糸が糊がついて滑るタイプで、普通に手でしっかりとたて繋ぎしても、滑ってほどけてしまう。2回結びでも駄目で、結局、堅結びという原始的な方法で結んで対応。

織前まで送る途中で、ドロッパーを結び目を超えることができない。結ぶのも一本一本だが、送るのも一本一本、引っかかる結び目を手で裁きながら。かざりを通すところで、また、難関、こここ一本一本飾りを通して。こういう作業くらい笑って淡々と進めることができないとこの仕事には向いてない。

これから筬を通しなおして織始めることになるが、今日も一日あっという間に過ぎてしまう。いろいろたくさんやっているといつやったことなのか忘れることが多い、今日が何日なのかとか、何曜日なのかとか忘れて作業していることが多いもの。織機も林与に付き合わされて大変だなあ。
2013年11月15日
昨日の夜、ラグの糸が巻き上がった。これは外のチーズ屋さんでは、大変だろうと思う作業、自分で巻き返したのでなんとかチーズの形にできた。できるとできないでは大違い、できないとあきらめたら次もできない。外に頼んだら、うまく巻くことができないという、大きな問題に遭遇でそこで時間が費やされてしまう。

今日は早朝から整経作業、糸も少なく、一回勝負なので失敗は許されない。私自身が、荒巻も巻取も行う。いくつか難しい点を綺麗にクリアして、問題のない巻き上がり。整経で難しいのは巻き取り作業。太い糸の場合、均等に強く巻いてあげることが大事で、巻きが緩いと織るときに糸が食い込んでいく。
2013年11月14日
近くを通ったので、昔世話になった生地問屋さんに立ち寄ると、同年代の息子さんが会社を一人守っておられる。今は生地問屋さんとしての仕事はされていないが、昔のまま社屋を保たれていて、10数年前と変わらない気がする。

興味深いのが、その会社の先代が亡くなられるときに、遺言として「繊維はするな」、ということをいわれていたそうで、息子さんはそれを守っておられる。仕事の一切を辞めることで会社を守るようなスタイルというのも現実的に成り立つもの。下手に仕事するとすべて失うというのも、繊維の仕事の現場を見ていて、何十年の年配の職人や経験者が仕事しておられても何が正しいのか分かっておられないことも多いもので、気の緩みのある人の仕事は織物に正直に表れる。社内社外関わらず、そういう人がものづくりの流れの中のどこかにいるとすべてやった仕事を台無しにするもの。ある仕事さえも消えてゆくことは多い。

また、3年ほどしたら立ち寄りますね、と言って私は帰路に着いたが、たぶん、その会社は3年後もそのまま、動き回っている林与のほうがそのときにどんな風なのかは分からない。自分がスタイルを貫いたとしても、それぞれの時代がそのスタイルを良いとするのか悪いとするのかで、自分のスタイルに対する外からの評価は変わる。一人の人間のモラル以上に、世の中のモラルというのは現金に移り変わるもので、政治なんかを見ていても、数年後には、正反対のことですらも正しいとしてしまうのが世の中というもの。

小さく守ろうとするものですらも、そういうものに便乗して横取りしてしまおうとする力が常に働くもので、小さく守ろうとしているものは外気に触れないようにして小さく守っていないとどんどんと薄まって行ったりもする。外に出すなら出すで、薄まらないように気をつけていくことが大事だろう。
2013年11月13日
オーガニックはエコ、原発もエコみたいな相反する概念がエコで結びついているようで、炭素社会の問題をクローズアップして、原発の根本的な問題を無視してエコというような解釈。地球全体のエコを考えるときに、まったくエコじゃないものをエコとしても持ち上げる。リサイクルシステムにしてもそうですが、裏では損得勘定ばかりなエコ。

私自身、缶コーヒーを良く飲むのですが、これ一つにしてももったいない話だなあと思えるのが、中身以上に外の缶のことです。中身を作るよりも外の缶のほうが工業製品として立派なもので、織機でいうと部品クラスの材料を使って、飲んだらゴミ箱に行ってリサイクルされてしまいます。

ペットボトルなんかにしても、昔だと、水筒に相当するようなものが、リサイクルされてしまっているのです。昔はビールにしてもコーラにしても瓶を主体とした流通システムで、瓶すらも何度も洗って使われる仕組みがあった。ものが希少で大事に扱った時代。

ペットボトルやアルミ缶というのも技術革新的な要素で、すごいのは、世界中が右へ倣えであること。繊維の世界も同じなのかもしれない、天然繊維が合成繊維に置き換えられて、材料コストが抑えられる量産型の合成繊維というのは世界中に広がった。何十年前は誰もが着ていた天然繊維が高級品となってしまった。

瓶ビールの世界というのは伝統工芸と似ている。それを支えるためには瓶を循環させるようなシステムが必要で、瓶の面倒をみられる昔ながらの酒屋さんが最適。酒屋の前掛けも瓶のケースを運ばなくなればそれほど大事でなくなる。コーラを飲むのにも栓抜きという道具が必要。これまた、消え去り行く道具の一つ。

今の時代の産業で思うのが、一人の職人が消耗品というより、お店や工場自体が消耗品。20年前は、高嶺の花であったノートパソコンや携帯電話なんかも、この20年でありふれてしまって、販売しても利益が上がるようなものではなくなっている。

よく、コピー機の業者さんからリースの電話を貰うけど、「無料でも要らないのです」がと本音をいうとビックリされます。今のコピー機で満足していて十分なんです。たくさん印刷する必要もない林与の場合、会社のコピー機なんて立ち上がりが早く堅牢なことが一番で、新しいものを欲しいという感覚ではなくなるものです。

織物にも同じことが言えるかもしれません。ベーシックでよいものを求めて下さる方というのは多いものですが、売り場の方はどうしても新しいものを欲しがっておられます。新しいものに飽きておられる方も多いはずで、特に高いものを買ったお客様というのは、自分の買った高いものが売り場で高い値段のままいつも売られていることが意味のあることだったりするものです。憧れる世界を自分が手にしている満足感とでもいいましょうか、子供っぽいかも知れませんが、欲しいと思う憧れのアイテムがあってそれをずーっと欲しいと思えるような夢、そしてそれを手に入れたときの満足感。
2013年11月12日
今日は出機さんが来られたので、立て続けに4回、オフ白の生地が横糸の汚れで全滅状態だったことや、縦糸が2本いりになってしまって全滅するなど、出機さんでの仕事が全滅状態が続いていることを話しました。これはこの出機さんの話だけではなく、職人は歳を取るにつれて織の現場では、目が見えなくなってくると、細かい作業が面倒になり、根気もなくなり、まともなものが作れなくなってくることが多いというのが現実です。

私が仕事に入ったときから、私の下で働いたのが当時73歳の勘一じいさんでしたが、伝統工芸師ながらも、年相応に自分自身の力が足りなくなっていることを十分に理解が出来ていた方でしたので、私のいうことをしっかりと聞いて仕事してくれました。勘一じいさんは、常に愚直に仕事をこなしてくれていました。厳しい親方である与一じいさんや同じく伝統工芸師だった厳しかった勘平じいさんと一緒に仕事をこなしてきただけの人ではあるといえ、高齢で能力は足りなくても人間性としては職人そのものの姿勢を貫いておられました。

私が目を離した隙に、私のやっていた仕事を自分がやってみようと、整経の筬通しをされたことがあったのです。遅くて間違いがあって私がやり直しましたが、私を助けようとされたのだと思い、職人としての姿勢が正しいのを感じました。

その背景には、早くに親を亡くされて、ヨジヨモン爺さんの家で与一爺さんと兄弟同様に面倒を見てもらったということがあり、林与の会社を守るというよりも、林与の跡継ぎである私が立派に家を守っていくことを望まれていたことがあろうかと思います。与一爺さんの妹に当たるおばあさんにしても、私のことを親戚のなかでも特別に見ておられたのを覚えています。私の父親世代や母親世代になるとそれがうすれるものですが、戦前のおじいさん世代の人というのは母屋を守るという気持ちは非常に強いものだなあ感じたものです。

私が3歳4歳のころまでは家では法事も含めて月に1回はおよばれみたいなものがあって、働いているものが家で食事をするのですが、父親や母親をたしなめてでも、おじいさんおばあさん世代が、子供の私を持ち上げるような雰囲気があったのも覚えています。戦前的な日本の家というものの考え方というのは、親戚一同が次の世代の一人に力を集中させるようなメカニズムをもって一族の繁栄を成り立たせていたのかもしれないと思います。
2013年11月11日
今朝は朝早く起きて糸探し、目当ての20色くらいの糸を倉庫から引っ張り出して、伊勢丹新宿本店様向けのキッチンクロスの試作の続き、土曜日に織ったものとは違う色糸使いでの検討。さまざまな色使いを見てもらって、どのあたりの配色に落とし込むのかのたたき台つくりです。

今朝出荷依頼が来て、検反すると、定番のものの仕上げにおいて通常とは違う、縦に折ジワが付いてしまっているような問題で、これは出荷できないと判断して、加工工場に報告し、再加工を進めてもらうことに。繊維の業界では、問題が起こると責任を逃げてしまわれるケースが多いのですが、安心できる対応をしてくださるので安心です。

夜、米原の駅で、キッチンクロスの試作生地の引渡しを行い、この2日間ほどの張り詰めた状況から開放、次の目標に進みます。今の状況は、年内は仕事が一杯過ぎるような状況。