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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2022年12月
2022年12月
リネン日記:9
2022年12月31日
この年末年始を使って、倉庫にしている古い家の外装を修理。今日は、帰省している弟と一緒に軽トラに道具を積んでいって、サンダーで不要な木を切ったり、壁に貼りついたツタを切ったり2時間くらいの作業。はがれてきている外壁材などをめくってみて中の構造を確認して、どうやって修理していくかを考えた。はがしてみると中の構造は意外と簡単で、家の前の部分の軒下は全部はがしてしまって、化粧板を打ち直すで大丈夫そう。

側面の壁は上の方に張っているツタを正月明けに再度行って、全部サンダーで切り落として、上部のバルコニーみたいな部分のコンクリート板を落としてしまうことが、とりあえずの目標。弟も正月休みで家に帰っては来てくれているものの、1月中に、前面の下の部分を補修するのに、林与と一緒に大工仕事を手伝ってくれる人を探している。

もう一つの倉庫も屋根の修理が必要なのでそちらも年始に一度屋根に上がって状況の確認が必要。古い建物というのはいろいろとメンテが大変で、その建物というのがメンテを考えていない建物だと、作業するための足場を組んだりするのすらも厄介な仕事で、オリジナルでつくってあるものというのはそういうのまったく考えていないので、メンテ自体も厄介なのである。

大工的な仕事というのは織物の仕事と比べるとまだ考えればできることも多いので、古いものを直すのは自分でやってしまわないと難しい当たりがある。まあ、仕事の延長みたいな部分で有ったりもする。


2022年12月17日
昨日の夜に滋賀県を出発で、盛岡の機械の引き取りの最終回。盛岡は雪が降ったり路面が凍っている場合があるということで、今回のレンタカーは、スタッドレスタイヤ仕様の2トン平ボディー。彦根の駅前のトヨタレンタカーで借りた。ルートも、前回の日本海側ルートではなく、今回は東名、東北道を使う太平洋側ルート。今回はスタッドレスタイヤなので燃費が悪く、リッター8.5kmくらい。前回は10kmを超えていたのになあ。

盛岡には朝の10時ころには到着をしてみちのくあかね会さんに到着するとちょうど手織りの織機を他の方が引き取りに来られ軽トラに積み込んでおられるところ。手織りの機なのだけどもかなりしっかりとしたものなので大きくて重かった。そのあとすぐに、林与もばらしてあった機械のパーツを積み込み始めるのだけども、2時間くらいで終わるかと思っていたけども4時間くらい掛かってしまった。トラックの荷台にどう納めるかが難しい。

雪も残っているので、トラックも建物いっぱいに付けようとするとタイヤがスリップしたりで、前回よりもやはり雪の分、苦戦した。それでも、作業中はお天気にも恵まれて晴れて居たので良かった。作業の後、近くの蕎麦屋さんで食事。盛岡でも作業がメインで時間的な余裕がなく、名物みたいなものを食べたことがなかったので、出発の最後になって、鬼そばのお店で食事した。鬼そばとうのは冷たい蕎麦だそうで、暖かいほうが良かったので、私は、地獄ラーメンを注文した。

地獄ラーメンというのは、うま辛のスープなのだけども、辛さが選べて、私は一番辛い30丁目というのを注文。昨日からサービスエリアでおにぎり2個を食べた以外は何も食べていなかったので、大にした。みるからに辛そうなラーメンがやって来て、一口食べるのも辛いけども、食べると体が温まって汗が出てきた。とりあえず、麺だけはほぼ完食できた。他のお二人はマーボー丼を食べておられた。それも辛かったそうである。岩手のイメージの一つが鬼の手形で、岩に手の模様が残ったのが岩手の名の由来な三ツ石神社があるので、鬼のイメージが名物に生きている。

午後3時くらいに盛岡を出発し始めたら、帰りは先代まではかなり強い雪見舞われて高速道路ながらも慎重な運転が必要で、時間が掛かった。今回の同行の友人にはお疲れ様で、午後5時頃の滋賀県帰宅。盛岡往復1日半の旅だった。とりあえず、無事に戻れてよかった。
2022年12月15日
林与の麻織物の仕事というのは、成り立たないことはないけども、成り立ちにくい仕事だなあと思う。普通の考えで普通にやっていてはたぶん受け入れにくい仕事であって、特別な考え方で考えて成り立たせようとして成り立つような仕事。それはたぶんエコとかエシカルに近いような考え方なのかもしれないのだけど、エコとかエシカルのように努力目標的なものではなくて、仕事というのは受けるからには義務的な責任部分も大きく発生するので、その重荷みたいなものに耐えられるのかどうかというところ。

耐えられないと思えば、難しいことは辞めて簡単なできることに絞っていこうということになって、流してやるような仕事か受け身的な仕事になるだろう。私自身のやっていることは、私がやるからできているみたいなところが大きくて、他の人がやってもできないことが多かったりする。たとえば、リネンデニムの立ち上げとか、他の人でも1週間とか立ち上げられなことはないだろうけど、それを1日で繋いで織れるところまで確実にもっていくとか、問題が深くて織れなくなったときに、そこから織れるように持って行けるかどうかとか。

林与の場合にも、もちろんできないこともあるけども。それでも、動くときには、出来るだろうと思ってとりあえず、問題を解決しようと全力で動くので、やっているうちにできることが多い。まったく織れないと思えるようなものが最後何事もなかったように織れだすことが多く、丸一日とかぶっつづけでやった結果が実るようなことは多い。

今の仕事は、普通の先染めの仕事ではないことが多く、糸加減の微妙なバランスで織れたり織れなかったりすることが多かったり、企画を2割から3割上げた織機の織れるギリギリのところで織っている織物が多いので、織れないことが多かったり、キズが多く出たりする。キズが多く出る織物をきれいに織るにはこれもまた普段の仕事の正確な処理が大事で、糸切れを毎回直しながらキズにならないように織っていくという作業が確実にできないと、ボロボロの布が織りあがるだけ。

時には、1m織るのに10回くらい止まる織物もあるけども、そういう織物でも最後商品となって流れていくように極力キズが許容範囲に収まるように織るとか。そういうのは、織っていてもすごく大変だったりするけども、そういうのを当たり前に受け止めて普通に乗り越える作業の安定性と精神の安定性みたいなものが大事だったりする。自分との戦いみたいなところがあって、毎回毎回の糸切れ処理で、正しく織機を自分が思い通りに動かせないと駄目だったり。

新しい人たちや、経験者でも慣れで考えずにやっている人たちには、毎回毎回それを理解しようとして乗り越えられるかみたいなものが問われるので、目の前に仕事があったときに、出来ないで終わるのか、やってできたで終わるのかの大きな違いがあって、最初の1回目からの話があとあともずっと続く。出来る人は最初から出来るし、出来ない人はいつまでもできないみたいな、毎回、毎回、結果を出せるか出せないかの違いみたいなものがある。結果を出せれば高度なところで仕事が続いてゆくけども、結果が出せなければ初歩的なところで仕事が続いてゆく。

高度なところで仕事が続いていると余力が生まれてくるのだけども、初歩的なところで躓いてばかりいると余力もできなく問題にぶつかってばかりになってくる。私自身が仕事をしていても、織機を使って正しく織物をつくるのには、ここまで理解していないと正しく織れないのかと思うことも多い。正しく織れなくなったときにどうやって正しく織れるように戻すのかというあたりは、ほかの誰かが解決してくれるのではなくて自分自身で解決できないとそれは自分が仕事していることにはならない。ここまで書くと厳しすぎて、たぶん普通の職人と呼ばれる人たちでも無理な世界に近いのだけども、普通に機場にいる人たちでは今の仕事がやっていても難しいのはそういう壁を乗り越えないあたりで仕事をしているのが普通だからなんだろうと思う。

普通に安全な範囲でものづくりをしていればこういう問題もないのだけども、日本がまだ発展途中だったころはそういうモノづくりでもよかったのだけども、日本の繊維業界が成熟して海外からでも普通に良いものが安く手に入る時代になってしまうと、日本でモノづくりして残っていくためには特別なものをつくれるような高いレベルでの仕事が必要で、壁を乗り越えた向こう側の世界でのものづくりが大事なんだろうと思う。普通だったら諦めるようなことを普通にこなして行くような。この仕事の成り立ちにくいのは、そういう割り切りがあるのかないのかというあたり、そういう割り切りのある人たちとなら超えられない壁も最初の1回から超えていけるだろうし、経験の積み重ねも何倍にも増えてゆく。でも、今の仕事の普通の感覚だと、本当に成り立ちにくいあたりなんだろうと思えるけど、安くて良いものがありふれている時代の中では10人がやって10人ができるようなことをやっていても駄目で、10人がやって1人か2人しかできないようなことをやっているようでないと仕事としてなりたたせてゆくのも難しいんだろうと思う。
2022年12月10日
1000円とか2000円のアイテムが主流だった、大手SPAの商品が、2000円、4000円と中流ブランド化してきて、売り上げは伸びているものの、売り上げアイテム数はかなり下がっているのではないかと思える。そうなると計画生産の場合には大量の在庫が生まれてしまうのだろうけども、売り上げを微増と読んで生産量を減らしていればそれほどの在庫はでないだろう。

低価格SPAブランドも、社内体制も非正規だったのが正規雇用形態になり、昭和の時代のアパレル企業と似たようなビジネスモデルに移り始めてきている。下方硬直性的な要素が働いて、値段を下げていくことは難しくなるだろう。実質のアイテム価格が、スーパーの服飾売り場と同じ程度の、3000円から8000円くらいで平場ブランドの価格帯に落ち着くとすれば、今の品質レベルを維持することが大事だろうと思える。

低価格SPAブランドも、品質的には悪くないあたりがあったが、価格を上げながらもだんだんと悪くなって落ちてきてしまっているあたりがある。フリースのパーカーも昔のものほど分厚くて暖かだったのに、今は薄く粗悪になってしまって、最初のころのこれがなんでセールで990円みたいな10倍の1万円でもよいんじゃないかという驚きがなくなって来ていて、値段相応なものにしか見えなくなってきている。

品質がおちることこそがものづくりの世界では一番駄目なところなのだけども、利益を上げようとすると安い素材に手を出して安く作るために規格を落としていく、より安く作れるリソーサーを探して、本物の安物づくりに落ち着いて値段だけが上昇していくというようなのは、高級ブランドでもよくある話。高級ブランドがなぜか天然繊維の高級な素材を扱えなくなっているのも、高級ブランドも高級ブランドのラベルついていれば高く売れるというような商売に下がって来て、安いものを高く化かすようなビジネスモデルに落ちつつある。

イタリアの最高級のライセンスブランドのものづくりを生地商社経由で受けて、その間にもう一つアパレル商社が入って、イタリアの高級ブランドのものづくりは成り立っても、生地商社さんが廃業されて、そのしわ寄せは、林与が被っているとか。林与の素材を使った高級ブランドの商品は成り立っていてもその裏側がなりたたないような、日本の繊維業界の構造。イタリアの名だたる高級ブランドが地道な生産者泣かせなことが普通になってしまってたりとか、いろんな展示会でお会いして、高級ブランド自体は思いを持っていてくださっても、日本の成熟しすぎた繊維業界が本当に田舎の一企業の覚悟もなくて、田舎の一企業がイタリアの高級ブランドのものづくりするお金の問題を最後解決する話。そういうのが普通だったりするのが今の日本の繊維業界で、展示会でお会いするイタリアの高級ブランドの企画の方は知られない世界。

イタリアの高級ブランドの仕事ですらも、間をいれて受けたら信用不安があるようなところが日本の昔ながらの繊維問屋構造、本当に難しくなってしまって、間の問屋の方もアイテムの作り方も分からずでは、仕事を受けたらややこしくなるから駄目ですよと厳しい話をした世界。仕事もややこしい流れになったけども被ってそれなりに問題なく成し遂げて、そして支払いもできなくなられて被った話で、その先のアパレル商社もあるのだけども、そこが被られるでもなく、商品は店頭に流れて成り立っても、小さな田舎の林与が最後、お金の面を被って、日本でのイタリアの高級ブランドの普通の世界が成り立っていたりする。日本の繊維業界ってかなり危機的な状況になりつつある。商社やコンバーターやエージェントが仕事を頼んで来られても、最初から大事なことを話しできる相手かどうかとか、約束を守る相手かどうかとか、仕事を投げ出したりしないかとか間に入った相手が自分で支払えるかどうかが大事だったりする。

繊維のものづくりというのは、とくに定番でない新規企画はリスクが高く、それをやるためにはリスクを受け入れる覚悟が必要で、その時に、本当に一番安全な方法で最初から企画できるのかどうかというのは、先染め織物の場合にはコスト面で大きく違ってきたりすることが多い。一つの無地のカウンターであっても、それを先染めにするときに、色柄を付けるだけで問題が起こってきたりする。堅牢度という問題だけでなく、収縮率やバブリングの問題など。アパレルの検査基準は合成繊維基準であることが多く、水を吸いやすい麻はそれ故に収縮率の問題などを抱えがち。
2022年12月08日
今日は、午後から急に近江八幡に引き取りに行くものがあって、軽トラに乗って飛び出したのだけど、ガソリンが無くてギリギリ行けるだろうと思って引き渡し場所に向かったのだけども、大きな勘違いで、町名を間違えてしまってたどり着いたつもりが、別の町。うろうろ回るも相手と話がかみ合わない、それで再度住所を確認すると、町名が違った。まだ、距離がある。それで、これじゃあ帰れなくなるから今日は引き取りを諦めるかとおもったけども、近江八幡には繊維関係の知り合いがあるので、そこで、帰りに1000円貸してもらうことにした。

その知り合いの方も私と同年代で、繊維関係でいろいろとやられていて、新しい試みなんかは似たようなところがあって、最近、刺しゅう機を入れられたということで、それも一度話をお聞きしたかったので、お邪魔するといろんなことも乗り越えながら前向きに動いておられて、器用で甲斐性のある方だなあと思う。裁断や縫製などもやられているので、幅広い分野を手掛けておられる。

その方は、偶然、別の関係で知り合ったのだが、私の中学の時の同級生の友達の高校のときの同級生ということで、繊維の地元の同世代、みんな苦労しとるところあるなあと思える。けども同世代と話をしていると前向きに物事を考えていて、ひと世代前のようなどうでもよいみたいな感覚じゃなかったりで、儲かるからやっているというよりも、一つ前の世代の問題を背負って片付けながら自分たちの新しい分野に挑戦みたいな。

今日も、お邪魔したときには、社長自らがミシンを踏んでおられた。だからこの会社は強いなあと思えたりもする。一つの作業というのが従業員だとなかなか難しいことが多いけども、社長というのは一つの工程の専門でなくても従業員なみくらいには会社のなかの全行程の作業ができないと新しいものも作っていくことは難しかったりもするだろう。日本企業らしいと言えば日本企業らしく、アメリカ企業でも中国企業でも経営者が作業するなんて言うのはありえないみたいなところがあって、でも日本企業というのはそれで良いと思う。それが特徴でものづくりに長けていたのだから。

技術だけでなく、ものづくりの感覚みたいなものも大事で、いろんなブランドさんの仕事を受けたりしていると、相手の作りたいものを受けるというのは自分が作りたいものを相手に頼む以上に能力が必要だったりもする場合が多い。相手は十分に考えてから話を持ち掛けてくるのだけども、受ける側というんは電話でなんの準備もなく話を聞いて理解して、どういう問題があったり、どういう工程が一番理想的なのかを答えないと行けなかったり。そして話が流れるケースも半分以上だったりして、技術的にできたとしても相手のコスト的に難しいとかが多かったりもするので、受ける側もものづくりの技術的な琴よりも相手の想定価格みたいなものを最初に教えてもらわないとそしてそれが合わないといくら話を進めても最後難しい話になる。
2022年12月07日
糸編の宮浦さんから便りが届いて、創業から10年おられた築100年の古民家から事務所を移転されたそう。セコリ荘、コロナ前の5年ほど前に行っといてよかった、ほんと。なんか、行ったときに、山形のえりさんが個展されていて、セコリ荘の名物のおでんと一緒に、えりさんの手製の味噌汁みたいなものをごちそうになった。岩手のみちのくあかね会さんもそうなのだが、たたずまいからして味のあるところでやっておられたのが移転とかいうのは、残念な話であったりもする。

林与にしても、35年ほど前に、昭和の時代の工場を建て替えたりして、それはそれで便利になったこともあるけども、案外、失ったものも多いと思う。それまでの歴史が詰まったものを生きたままにしておけるとやってること自体が歴史のさらなる積み重ねなのだけど、場所が変わるだけで、建物が変わるだけで、守るのが前に進むのかの選択みたいなあたりが... つづけて守るために前に進まないといけない選択なんだろうけど、どこもが前に進むと小ぶりになるのが日本の繊維業界の特徴だったりする。

日本中の織物工場なども広い場所を必要としているので、生産量が減少する流れの中では維持管理というのは続けていけるようなものではなかなかなくなってきている。人の考えも硬直化してしまう傾向があるので、難しいまま硬直してしまってそれを乗り越えられたら難しいから抜け出せるのだけども、どんどんと昔よりも難しくなることが増えるばかり。

田舎の鍛冶屋さんとか大工さんとか、ほとんど消えてしまったけども。織物もその流れに向かっているんだろうと思えたりもする。今、インボイス制度なんかも、下請けでやって免税業者だったところが、課税対象になってより経理も複雑化して納税も義務になり経営は難しくなる。林与は株式会社でやっているので、経理なんかは会計士さんがみてくださっているけども、一番日本らしい産業の支え役である小さくても気持ちでやっているような方々への重荷は増してしまうだろう。

日本の繊維業界にしても、思い入れのようなものがあるからこそ、海外の量産品にありがちなビジネスライクとは違う価値観でつくられたあたりも評価の部分だったんだろうけども、そういうあたりも画一化されてしまうと、結局、業務的なモノづくりになってしまって、人の心とかそういうものはなくなっていくだろう。結果、日本のものづくりも海外のものづくりも同じようなあたりに落ち着いてゆく。

月島のあたりの下町情緒というのは、すべてが画一化されていく流れのなかでは、特別に見えたりする。タイムスリップしたような感覚。そういうのって、守ってゆくのは本当に難しいことで海外だとどんどんと壊されてゆく。日本はつい最近までそういうものをたくさん残してきたけども、一気に、壊し始めたのがつい最近のこと。築100年のものに住もうとか使おうとかおもう価値観が大事だったりはするんだろうけども、そういう価値観は尊重されずに、そういう建物が消えゆく流れにあるのは残念なこと。

地元の商店街なんかもその景観だけでなく、その中でまだ商いしている人がいるというのは、昭和という時代の演劇をみているようなもの。林与の現場にしても、もう40年、50年前のことを今もやっていて、昭和の時代のドラマのなかの光景みたいなもので、そういうのがまだ生きているってのは、不思議じゃないのかと思う。昭和初期の織物工場が丹後にのこっていたけども、それには私も驚いた、文化財的な価値そのもので、作っておられたのが風呂敷だけども、それを残してこられたということ自体がほんとうにすごいことだと思う。歴史的な資料ではなく、企業活動として生きて残っているのが本当にすごいこと。
2022年12月04日
今日は、集落の空き缶拾いと川掘りの日。朝7時半くらいから缶拾いでその後に集落の中の側溝の底の土をスコップですくい上げる作業、その後9時から1時間くらい集落の外の農業用水路の底の土をすくい上げる作業。力を抜いてできる程度での作業でそれほど負荷の掛かる作業でもない。ほとんどの家の人が一人づつ出ている感じで、かなりたくさんの人。イメージひとり3平米ほどの割り当てかな?私からすると80過ぎている年配すぎる人は無理して出なくてもよいのではないかと思えるが、今年の場所はそれほど大変こともないが、そういうのが用水路の周辺の草があらかじめ刈られていたこともあったとは思う。その近くの農家の方か集落の役員の方か評議員が事前に草を刈っておいてくださったんだろう。

夜、織機のVベルトの調子が悪くなって、運転に入れてもきれいに指導しないので、じっくりと調整。慌てて織るとどうしてもキズが多くなるし結局急がばまわれのことが多い。昔、大手の家電メーカーの開発に居た人が織物の機械を器用に手直しされたりするのだけども、織機の調整というのは別の問題だったりもして、そして織ることと、織機の調整はまた別の問題だったりして、調整するときには、違和感を感じるのがすごく大事で、織機が正常に動いているときのイメージが頭の中にないと何が正しい状態なのか分からない。特に大事なのは、音だったりする。織機が動くときの音を聞いて織機のどこが悪いのかを考える。

結論として、Vベルトはこの前交換したのだけども、それほどは悪くなっていなかったのかもしれない。クラッチの噛みが浅いような感じがしたので、クラッチが深く入るように調整した。安定して10mほどは織ることができたので大丈夫だろう。

2022年12月02日
決算が終わって、金融機関への決算書の提出があるのだけども、最後の打ち合わせの後、会計士の先生のほうで仕分けなどの細かな最終チェックが入って修正などあって最終の決算データができあがっているんで、コンピュータの中にある最後の打ち合わせのデータを最終の決算書のデータに変更しないと、前期の最終の試算表などが打ち出せない。それを会計士の先生に、データをメールで送ってもらって、会計ソフトが認識できるように置き換える作業をリモートで電話で説明を受けながらコンピュータ作業する。

こういうときに、私もコンピュータが得意なのでできるけども、コンピュータが得意でないと、どこの画面に今いるのかもわからなくなって、電話でも話が通じないとかがありがち。20分ほどの作業でできることを、行き来してやってもらうよりも、電話で済むというのは私もありがたい。まあ、途中、普段使っているアウトルックが添付ファイルの大きさの都合で一つのファイルを受け取れないとかで、gmail使って回避したりはあったけども、スムーズに完了。次はそれらをプリントアウト、これも難関の一つで、会計のコンピュータは認識できるプリンターも一つだけにしてあったり、それは5年前くらいのレーザープリンターなのだけども、なんか印刷が薄く赤い線が入ってちょっと汚い。でも、読めるからとりあえず打ち出す。決算書と試算表で合計100枚近くプリントアウトするので、やっぱりレーザープリンターは良いなあと思う。たとえ古くて多少汚くても、腐っても鯛みたいな。

プリンターとかも、良い機会が1台とかよりも、その1台の調子が悪い時に他のプリンターを使えるようにとか、予備のプリンターが3台も4台もあったりするので、あと布ラベルや名刺印刷用だけはインクジェットプリンターだったり。まあ、古い機械でも業務用というのはそれなりに慣れた作業を期待通りにやってくれればそれが一番有難い。昔補助金のときに、報告書なんかは100枚とかプリントしたりとかが必要だったりで、そのころはインクジェット使ってて、ワードファイルで重い画像をたくさん貼ってあると、そこでフリーズとか、画像がうまくプリントされないとか。といっても、私もコピーを含めて1か月に平均500枚もプリントしないだろうから、リースするほどでもなく。白黒のファックスはリースしていたのだけども半年ほど前にその複合機は返却した。

もうファックスも必要ないかもしれないと考え始めている。3年前に手に入れた中古のA3のカラー複合機が活躍していて、きれいにスキャナーがPDFファイル形式で画像を取り込んでくれ、それが本当に活躍。今は、請求書なんかもデータをメールに添付して送るという形が多くなって、ファックスよりも綺麗にデータが送れるし、送信履歴なども確認できるのでありがたい。ボタン一つで安定的にデータを取り込んで、それをメールに添付してスムーズに遅れれば、郵便局に行って郵送する必要がないというのが、それなりにスマートに思える。もちろん原本が必要なところには原本もお送りはさせていただくが、仕事なんていうのは本業のほうに集中しないといけないのに、記録を取ることばかりに時間が掛かってしまうのはロスではないかと思う。

でも、郵便局も商売あがったりやろうなあ。切ってなんかも売れなくなるやろうし。記念切手も乱発しまくりで、そういう記念切手で儲けていて、乱発しすぎて記念切手ももういろいろと広がりすぎて、コレクターも集めるのも逆に難しいだろうし、将来価値が上がるのかというと、難しいんじゃないだろうか。使うための切手にもどった感である。私はテレビは見ない派なので、食事に行ったときにそこにテレビがあるとちょっと見る程度で、もう30年くらいはテレビを普通にはみたことがない。ネットのほうが自分が必要な情報にたどり着きやすいし、テレビや新聞の優位性というのはなくなりつつあると思う。テレビや新聞自体が独占的な利益構造が働いていたりしてメディアとしての中立性も昔からない。日本もなんで8つくらいしかチャンネルが見られないんだろうと思う。中国でもふつうに100チャンネルくらいあったりするのに。しかもどこの局も同じような番組内容で。情報社会の流れの中で、コンテンツ面で、ネットのほうが多様性があって、深い情報が溢れているように思う。

今、街の本屋さんが消えつつあると言われている。分かる気もする。出版も、デジタルな出版が主流になってくるだろう。必要なら各家庭でプリントアウトするとか。しかし、実物の本とデジタルデータでの本では、価値は同じとは思えないところがあったりもして、本当に大事な情報なんかは、実物の本で手に入れたと思う部分もある。チョイスとして選択できればよいのだろうけども。新聞なんかもデジタル化が進んでいるようである、地域社会の回覧板などもデジタル化が進んでいて、情報を押し売りするよりも利用者が選択して情報を活用するような形にしていくほうが、より理想的ではないかと思えたりする。次の世代は本当に前の世代の重荷を背負ってが多く、ボタンの掛け違え見たいのが直らないままに次の世代のしわ寄せになっていて、次の世代というのは本当に可哀そうだなあと思う。生まれた時からどうしようもない年金の問題をために生まれてくることを期待されてたり、次の世代は今の世代の奴隷じゃないんだからだけど、日本の国の行政が次の世代を奴隷扱い。人間としてアカンような日本の行政レベル、奴隷社会構造が当り前では本当に大人として偉そうに言えるようなレベルでもなく駄目だと思う。騙してばかりで、次の世代の将来を食いつぶす日本の政治はなくなったほうがよいだろう。ないほうがマシかも。
2022年12月01日
12月に入って年末までのカウントダウン。今日は篠山ターターンの渋谷さんとお話して、丹波篠山もコロナも落ち着いて観光客も戻って来た感じといっておられた。また、篠山タータンの布を春に向けて作りたいとのことで2月くらいに作るのを手伝いに来てくださる。篠山タータンも4つとか整経が必要となるとそれなりに月の半分以上の作業となるだろう。横糸の色数も5色とか6色とかなのでそういうのが案外大変だったりして、リネン生地の総先染め生地としてはなかなか見かけないクラスのデザイン性のある布。ほかではなかなか作れるところがみつからなくて林与がおつくりさせていただくことに。

林与は麻の先染めを得意としているものの、今は無地ライクな生地が増えてきて、私の代になってからはイッセイミヤケのイッセイミヤケブランドやプリーツプリーズのデザイナーさんの企画生地が、林与らしい先染め企画だったかなあ、色をいっぱい使って、コンピュータでシミュレされたものを、布というキャンバスで表現するみたいな。もちろん出来上がった布のほうが雰囲気もある。最近では、ミナペルホネンさんのキッチンクロスもシャトル織で耳までリネンの総先染めで作らせて頂いた。林与らしい特色のある麻の先染めの世界。

シャトルの4色使いというのは1枚1枚つくるのほんと疲れましたみたいな、一番上のシャルから1番下のシャトルへの移動のあるときは、シャトルを挟みやすくて、織る織機も選ぶんだけどもなかなかそのあたりが、しかも一つのシャトルが待機時間の長いデザインだったりして、全部のシャトルがまんべんなくいつも交換されて動いていたら良いのだけども、待機時間が長いとシャトルの位置が杼箱の中で移動して、しっかりと叩けなくなる問題が起こる。そうするとシャトルを挟んでしまう。見えないところでデザイン的に織るのが難しい問題が含まれていたりして、そういうのをクリアして、量産が成り立つ。シャトル織機で麻織物を織るのも林与の特色の一つ。

林与が今織らせて頂いているものは、普通じゃない生地が多くなりすぎて、織機を特価させていたりする。一つの会社さんのこの企画はこの織機を専用にしておくみたいな。今も耳までリネンで東屋さんのキッチンクロスも織らせて頂いているけど、そういうのもほんと地獄耳のような難しさがあって、耳さえ綿の耳ならパカパカ織れるだろうけど。耳までリネンは耳の1本2本が切れ易くて、その原因というのは織機の問題というよりも別の問題があったりもして、織物って奥が深いなあと思うどころか、そこまで注意しないと成り立たないのかと考えると、なかなか他の人に作業をやってもらうとかも難しかったり。耳までリネンも林与の挑戦の一つ。妥協が許される耳までリネンで織るみたいな麻へのこだわりを持ったお客さんのための麻100%。

織物というのは、正しく全部できると簡単な仕事だったりするのだけども、軽く考えてしまって途中問題などがあったときに正しく処理していかないと、織れなくなって最初からやり直さないといけないことになったりする。作業している人はやっぱり限界があって、私が言う正しくは面倒で繊細すぎる所があってそれは素人でも経験者でも同じで、自分が作業してどうしようもなくなったときに自分自身で解決する覚悟があるのかというと、それも素人でも経験者でも同じで時間に縛られてしまう。答えを出せるまでエンドレスな私だからそれなりに残れていたりするところがあって、今の日本では、たとえば、仕事は何時から何時までですかみたい質問から始まると、やめておいたほうが良いんじゃないのかとか、やれる気持ちを否定はしないので一度経験してみて自分が出来るかどうか試してみたらどうだろうかとか、教えてもらったらなんでもできますみたいな自信満々の方にも心配の気持ちが先だったりして。

もちろん、出来る人もいるし出来ない人もいる、それは人生観みたいなものと通じていて自分のために働くのか人のために働くのかみたいなような、ところとも関係がしてくる。私も若いころには自分のためばかりな感覚があってとくに勉強していると知識や情報だけに偏って、おいしいレストランを食べ歩いて評論家みたいになってしまう。実際の仕事というのは自分自身がおいしい料理を生み出して毎回毎回正しく料理をつくってお客さんに満足をいただくことなのだけども、そういうのは自分のためよりは人のために働ける人のほうが近い位置にいたりして、作業している意味なんかも、自分が興味あるかないかよりも、お客さんに喜んでもらおうとか、仕事だと割り切るとかそういうのがないと、理想と現実の間の迷いの世界から抜け出せないんじゃないだろうかと思う。

昭和の時代の繊維業界も理想そのもので、つくれば売れるような世界があって、つくればすべて売れるような、働いたらすべて評価されるようなら仕事は簡単。それは東日本大震災で仮設住宅が必要になってみたいな状況と似ているような、ものが足りないような状況。ものがあり溢れているような状況では、百貨店に並んでいる3000円のものでも、隙すらない完成度で見栄えするもの。それを自分が働いて1時間で作れるのかというとなかなか難しいだろうと思う。たぶん、1日掛かるだろうし、1日掛けても百貨店で並んでいる3000円のもの以上のものが、なかなか難しいようではプロとしては成り立たないというのを分かっているのがあたりまえでないと、日本での超えたようなものづくりの世界は現実的ではないだろう。

何か月も掛けて一つの物を作ってそれが百万円とかで売れるならそれはニッチェな特化した特別の世界として成り立たないこともないだろうけど、それが量産品のような需要があると考えるのは、理想が高い世界なんだろうと思う。普通に週40時間働いて特別な世界の先生や、他の人からあこがれてもらえるような立場になりたいみたいな。草間さんやバンクシーみたいな理想はおおいけども、それは世界で100人いるかいないかn世界で、繊維業界何億人の中の特別な100人のうちのピンな世界。そういう憧れだとそういう世界にはたどり着けずにそういう世界の情報を楽しむだけの憧れるお客さんの一人。

自分自身がそういう特別な世界を支えるような気持ちや感覚が無いとブランドの世界の高級なイメージというのは生み出せなかったりする。課題が与えられた時に覚悟を決めてとことんやるようなイメージがないと好き嫌いでやっているようだと、自分以外の他の人に自分のやりたいことを求めているようではそれは、他の人の求めていることも自分が解決していくことは難しいだろう。他の人の求めていることを受けて喜んでもらえるような結果も出せないようなら、業として自分が作ったものすらも世間一般の評価を受けることは難しかったりする。

子供のころに感じた、1分が過ぎるのがすごく長く感じるような寒さみたいなもの、その世界というのが一番自分との戦いのなかでの最初の戦いだったりして、そういうんを乗り越えられるか乗り越えられないか、乗り越えた人だと次のステップがあって、乗り越えられないとその辺りでの戦い。日本で使うものを作っている人たちを見下すような考え方があるけども、それは本当に間違いで、それを安く手に入れて幸せを手にしていながら働いて作っている人を見下していては、一番駄目なのはだれなのかというところ名上流階級思想。救えるのも救えないのも、階級思想てきな考え方があって、自分たちは作業をするひとじゃない指揮する側だみたいな感覚。それって奴隷社会の感覚と同じで、末端のものがすることくらい普通にできなければ、高い地位も難しい。戦争で前線に一番下っ端が放り込まれて、戦争を指揮するものは一番安全なところにいるみたいなお笑いな話。戦争を起こし指揮するものが前線に立てないようなら戦争はやめとけ。と思う。愛国煽りながら自分が一番かわいいような年寄りたちが、若者を前線に送り犠牲になるのが何百年も続いている。人類は動物としても、自分可愛さに次の世代を守る本能すらもないあたりがイースター島の部族争いみたいなもの。;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;