for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2017年5月
2017年5月
リネン日記:10
2017年05月24日
ちょっと昔のことで、小学校の頃は、授業で作品つくりなんかがあると金賞か銀賞をもらうことが多かった。才能があるんではなくって、時間の中で精一杯やってみることが多かったから他の人よりも完成度が高かったということだろうと思う。中学、高校のときも、走ったりするのも得意ではないけども、全力を出すのが強く、思いっきり走るので、脈拍が、普通のひとは150回も行かないのに、一分220回とかまで無理をする。一番で走れるけども一番疲れているとか。今も全力タイプであるけど、みんな体力が落ちるときなのに、私の場合、まだまだ無理ができそうで。

布をつくろうとするときに、機械でつくった綺麗なものが売りにくくなっている。新興国で機械依存の量産プリントなんかが綺麗にたくさん出来るようになって、綺麗なものが安く溢れるようになって、細部で違いはあるのだろうけども、日本の限られた時間の中で一回勝負でつくるようなものづくりでは海外で作ったものと変わらなくなって来てしまっている。

煮詰めて煮詰めて完成にたどりつくようなものづくりが日本でも出来なくなってきている。これはお客様から仕事を頼まれるときに、見本の予算も見ないで一回で売れるものをみたいな考えは無理だとおもうし、一方で外部に何かつくろうとして協力を求めても一回の試作が何十万円コースで掛かってしまうと、両方からの板ばさみに合う。

本生産のコスト面でもアパレルの世界では厳しい状況が続いており、プリント関係であるような版代に相当する十万程度の見本作成のコストなども先染織物に対してはプリント以上に手間が掛かるのに捻出できるところは少ない。先染織物がプリントよりも先に消えて行くのはプリントのほうが柄を生み出すのに手間が掛かりにくいからかもしれない。また、デザインも普通のPCがあればそれをプリントに落とし込める。

こういう背景だからこそ、日本らしいものづくりのところを生かして日本の力強い布の世界を復活したいと思うのだ。

2017年05月23日
今日は午後からファンドの監査で産業支援プラザの方が3人お越しで、28年度分の提出した書類などの交付申請のための原本確認。大きな問題もなく済んで、雑談として、今年の案件で技術的な壁にぶつかりかけている打開方法について尋ねる。

染色のオリジナル機材を3Dプリンタで作れないかと考えたが強度の問題とあとコストの面で高くなるということ。最初に思いついた手軽な方法を実現するためには、ステンレスを綺麗に裁断する必要がある。

夕方、インクジェットプリンタの件で東北部工業センターに連絡すると、新しい担当の方が3Dプリンタに詳しかった。3Dプリンタでの製作は断念し、ステンレスを綺麗に裁断する方法を取ることにした。
2017年05月14日
今日は48の誕生日。普段誕生日すらも気にしないが、新しく入ったデザイナーが林与のインスタグラムを私の誕生日から立ち上げるということで、今までの文字ブログのほかに、画像で林与の情報発信ができるのではないのかと期待をしている。

天才バカボンのパパでも41歳の春であのオヤジ風、48歳の林与がもっとおっさんぽくって良いのだろうと思うが、今の40代というのは子供より子供かもしれない。今は小学生の子供たちのほうがけっこう真面目に物事考えてたりするもの。

私自身は、一生現役というスタイルも一つだろうとは思うけども、地場産業的なものが戦後の復興とあいまって戦後の一代が長く続いて継承するも人が変わらなければ考え方を変えないとならない局面で変わることなく、次の世代に自分を譲れないとかは駄目だろうと思うところなのである。

なぜ、昭和の繁栄を期に何代も永続してきた商売や産業の営みが消えて行くのか。

2017年05月13日
東京の月島のセコリ壮を運営する宮浦さんが、PTJで、弊社ブースにお越しくださり、新しく立ち上げられた産地の学校のプロジェクトを林与にも伝えてほしいとおはなしくださった。

電話でお話をお聞きすると、もう25人以上も生徒さんが集まられたと言うこと。情報発信を目指しておられる方は多く、一方で、産地にはいってバリバリと自分が作っていきたい人は逆に少ないと聞く。

そういうライター志望の方々にも、職域なんて考えずに両方やってほしいがと思うのである。その辺りも産地が抱える問題と共通する要素だったりする。デザインや企画志望の方は多いけどもものをつくる部分を受けられる人が少ない。

きっと実際の作業すればものづくりの何が価値がるのかがみえてくるはず。そういうのに付いて行けない人も理想だけでなく現実というものを知ってみて、どこが大変なのか分かるだろう。センスとか技術よりも、人が真面目に打ち込んで仕事して食べて行けるレベルになるという地味な部分こそ、なかなか出来ないことで、産地が消え行くことにつながっているのだろうと思う。
2017年05月12日
最近は、体重が増えない。高校生から大学のときくらいまでは63kgという体重で、80くらいまで行って、今は、68kg程度か。

私の場合に、2日3日で、仕事し続けることで、4kg、5kgの減量をすることがある。一日食べないで仕事すると、体重が2kgとか見事に減っている。1年半前のミラノウニカの時には、仕事に追われて食べる時間もなく、イタリアに着いたときにはやせ細っていてみんなに心配してもらった。

主に水分が体から出て行くのだろうと思う。水を飲むときには、1日5Lから10L飲むこともあったり、結構、毎日体力も使っている。

昔、私が20代のときに、40代の方が天下一品のラーメンが濃くって食べられないといってられたけど、50手前でまだまだ天下一品のこってりラーメンもおいしいし、食べたら食べたでその分動くから大丈夫。ココイチのカレーは、いつも10辛だし。

10年前には、気合で130kgのビームを一人で肩に担いだこともあったが、それは今は無理だろうが、100kgくらいなら今も普通に肩に担ぎ上げてで運ぶ。

視力も、細番手の黒い麻糸の縦糸を織るのは至難の業なのだが、まだ今も普通に黒い細い麻糸をめがねも掛けずに織ることができる。林与に50で老眼の洗礼があるのかどうか。ノートパソコンなんてもっと字が小さくて情報量が多いと助かると常に思っている。

1日3時間程度の睡眠でも、疲れるまで仕事して熟睡というモードなら毎日でも大丈夫。いろいろと普通と違うところがあって、今も20代の人以上に体力もあって、この仕事だけでなく、一般的にどんな仕事にでも向いているのだろうと思う。
2017年05月10日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン2日目、最終日。今日の繊研新聞の2018PTJの注目素材の10のうちの一つに林与の近江上布絣の広幅プロジェクトの素材が取り上げてもらえた。自分たちのやっていることが日本のテキスタイル業界に向けて情報発信が出来ることはありがたく、恵まれていることの一つである。先日も業界紙に大きく取り上げたもらった。それは別のプロジェクトなのだが、できるかできないかわからないことに対して、外に出るだけでも100万円くらいの持ち出しから始まるプロジェクトで、内部でも半年掛けて3回織りなおして完成したもの。

小さなことにはこだわらず、自分の時間とお金を使い、失敗したときには大きな損だけが残る覚悟がないとできないプロジェクト。普通はそういうの一緒にできるような人などほとんどいないと思う。また、そういう特別な生地というのは、つくるのに時間が掛かるので、糸を手に入れてから何百メートルが1年掛かって織り上げるとかもありうる。出来たら教えてほしいというお客様が待ってくださっている状態で納期とかは約束もできないような仕事なのである。出来上がった生地をみて、真似して作るというようなことよりも、自分自身が試行錯誤で生み出したという辺りが作り手としては一番大事なところ。

ブースに立っているデザイナーから連絡があって、昨日もお客様が続いていたけども今日はもっと多いという話。みなさんお越しくださりありがとうございます。顔を見に来てくださった方も多いでしょうけども、会社で林与志雄は今回の展示会は留守番していますのでまた連絡くださいね。6月中ごろまでは仕事が手一杯で、落ち着くのは6月後半から。

デザイナーが学生時代にいいなあと思っていたブランドの方々が生地を探しに林与に来てくださったということで、一般のお客さんとは違った立場でそういうあこがれていたブランドの方々とも接点を持っていけるのが、林与の仕事。一つのブランドさんからは、早速、近江上布柄の広幅織物に期待するようなメールもいただいたということで、ありがたい話である。また、上海では、一番くらいに、私自身がよい素材づくりをしておられ、熱い思いももっておられると思うあるテキスタイルメーカーの社長は、林与のアーカイブをあこがれておられ、まだまだオリジナルと違うから駄目だよというコメントを斎藤が林与に伝えてといわれたそうで、伝統的なものづくりなんかも含めて業界の熱い気持ちを持つ人間が国境を越えて、世界の繊維を盛り上げていければと思う。ちなみにオリジナルの着物生地は3年目の予定である。オリンピックまでには完成したい。
2017年05月09日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン初日。本来だと林与志雄がブースに立つ予定だったのだが現場の案件でどうしても時間が足りず。デザイナーがPTJに一人で立つことに、予期せぬ展開で開場10分前なのにまだブースが空だと主催の事務局から心配の連絡をいただいて、それでもなんとか10時頃には会場に到着してブースも設営ができたようでほっとする。会社に役員として入ってくれてまだ2ヶ月未満、大役を果たしてもらうことに。

近江上布絣の広幅プロジェクトとは、林与に50年以上眠っていた近江上布のアーカイブを、現代に広い織幅で絣織で再現するプロジェクト。昔の近江上布は着尺はばなので、幅が36cm程度なのだが、それを1年目は、リネンストールの場合には幅70cm程度で10柄再現した。2年目はアパレル向けにワンピース向け素材としてリネンで5柄を再現する予定。3年目には、ラミーで着物向けにオリジナルに近い形に再現する。

JETROさんの商談会などでも、近江上布のアーカイブをご覧になられた方が、これらの布というのは今まで見た布のなかで一番すごいといってもらえるくらいの一つ一つの完成度の高さと、数千種類に及ぶ柄のすべてが絣で織られているということ。林与自身も自分の小さな家の中で世界的に見ても価値のある織物が作られていたこととまたそのアーカイブが今も良い状態で残っていることはバックグラウンドとして恵まれているなあと思う。

1年前まではそのアーカイブというのは林与が昔に作ったメモリアル的な存在で、近江上布のすごさを語る資料であったが、この1年の取り組みの中で、それらの色柄が、私一人が数日気合をいれると一柄づつ再現できるようになってきた。村規模でやっていたことや職人が何人も集まってやっていたことを、一人で背負えるような形で、しかも柔軟性と応用性をもった広い幅で再現でいる。

1970年代の初めに北アイルランドのハードマンズサイオンミルで紡績された140番手のアイリッシュリネン糸を織り上げるプロジェクトを立ち上げ、日本の麻織物の本場近江湖東産地の染色、織物加工の力を借りながら自分の考える現在作れる世界最高峰のリネン生地に取り組み、それまでは、リネン66番手くらいが林与の細番手だったのを一気に、世界最細番手の150番手までのリネンを高密度で織ることができる技術基盤も通常の技法を高めることで確立をした。

今は、デザインでも世界に日本の織物の力を感じてもらえるような布を生み出してゆきたいと考えていて、林与の場合にはおじいさんの時代につくったアーカイブが眠っているのでそれらを再現するのがストーリー性もあってよいのではないのかと思える。しかし、その実現のためには、昔の技法をアプライするのでは職人が何人も必要で、新たな技法を生み出して、私一人でもその世界を再現できるようなプロセスを生み出す必要があると、織るだけでなく、型紙、染、加工までも、小ロットで出来る体制づくりも考えた。

日本の織物が消え行くのを防ぐためには、自分自身がすごいというのではなくてが大事で、一人ですべてできることが最終目的でもなく、今の日本の現状では形にするためには、とりあえず、一人で出来る形で構築して万が一のときも一人が踏ん張ればしのげるようなものづくりにしておかないと続かないのである。最終目的とすれば、それに多くのやる気持ちのある人が携わって、その人たちの織物を柱としたライフスタイルを支えていくような流れを生み出してゆかないとならないと思える。

仕事という感覚では、こういう織物を生み出すことはできないだろうと思える。
2017年05月08日
この2ヶ月ほど毎日、リネンの60番手が織れない問題と取り組む。取り組むといっても3台の織機の調整をしながら織り続けるしかない状態で、織れないからその分長時間織機を動かせるだけ動かす。夏も近づいてこの夏のものを作られるための生地なので機屋ができないという結論では企画されたすべても転んでしまう。

もう、一年半ほど前になるが、リネン100番手を染めて一本のりをつけた濃色が織れないという問題で2ヶ月。そのあと、ラミー100番手の糸が縦糸が切れて切れて織れない問題があった。そのときは、シャトル織機だったが、糸に伸度がなく、切れた糸を直そうと縦糸を開くだけで隣の糸まで何本か切れてしまうような話とか。その後も横糸がうち切れするとか。その次には200mほどの仕事だったが、織れないということで4回織機を載せ変えた案件があった。

林与は、リネンの100番手とか150番手とかも無糊ででも織ったりすることもあるので、今回の糊をつけた普通の密度の60番手が織れないということはまずなく、3台掛けて3台とも織れないという状況は織機の問題でなく、糸の問題であるという結論。3台とも調子よく動くタイミングもあれば、調子よく動いていたのが急にどの台も動かなくなるとか。そのことが断定的になったのは、夜中どうしても織れなくなったので、万策尽きた感じで、久しぶりに5時間ほど寝た。そして起きて織ってみたらどの台も調子よく動く。織機の調整の問題ではないのだ。もちろんどの台も噴霧以上のこともしてみて湿度対策なども徹底的にやった上でも織れないのだから、外部的な湿度も、今の時期は田植えの時期で周辺の水田も水で潤い湿度も適度なはずなのだが…。

麻織物の会社というのはリスクが高いなあと思えるのはこのあたりで、一つ大きな問題に直面してすべての時間がそれに費やされることになり、なだれ式にすべての仕事での納期の遅れが出ることになったりする。請けた仕事を織れないから断わるができれば簡単な話なのだが、それは一番最悪の結果だろうと思うから問題に直面したときには普通以上のことをやってみようと万策を尽くす。
2017年05月06日
今日は、大阪からハツトキの女性の方が東京の友人と滋賀県に来て、林与の見学というより林与の手伝い。遅れている整経作業などを立替してくれて助かる。ハツトキの女性の方は、社会学を専攻されたあと、川島テキスタイルスクールで織物の勉強をされたということで織物に興味があるだけに、整経の作業も初めてで説明をさせてもらう時間もなかったけど理解されてやってくださった。お友達の香港のジョイスさんも、日本語ペラペラで織物とは関係のない建築のイベントのお仕事なのに、現場作業手伝ってもらって、時間に追われすぎて十分にお話しする時間も取れでしたが来て下さって、林与の仕事の現場の雰囲気というのもダイレクトに分かってもらえたかもと思えたり。お手伝いくださり助かりました、ありがとう。

相変わらず、私のほうは織機を止められない状態が続いている。デザイナーも織機を動かした経験がほとんどないが、才能があるので、シャトル織機もレピア織機もジャガード織機までもぶっつけ本番でミスも少なく織っていてくれる。よくありがちな新しいことでもやってみるといっていきなり本番体当たりタイプ、検反機にしても、2回ほど教えただけで、使いこなしているような感じで。何十年の経験をもつ人が何十年たってもやらないままのことを、デザイナーはいきなりやってのけるので新卒で若いのに立派、今の若い人というのはすごいなあと思う。
2017年05月05日
今日はデザイナーの妹が滋賀県に遊びに来てくれる、が、林与が納期に詰まっているので工場の中でいろいろと手伝い。法律系の大学院生でてきぱきと仕事をこなしてくれるものの、私自身は織れない織機3台を動かし続けなければならず止めることが出来ない状態でテンションは高いがヘトヘトの状態。せっかく来てくれたのにもてなす時間もなくって申し訳ない。今度はゆっくりと滋賀県のおいしいものを食べてもらったり観光もしてもらえるように。