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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2015年8月
リネン日記:11
2015年08月25日
台風が近づいてきているので、外は風があって工場の外に出るとすごく気持ちよい。オーガニックの糸が届いたが雨が降ってきて急いで中に運び込んだ。リネンの細番手の糸も届いて来年ものの準備が始まる。

輸出向けの生地もようやく織ることの終わりが見えてきた。一時間に2メートルとかしか織れないものを1000m以上この1ヶ月で織った。その間にストールの見本の納期が絡んで後回しになった分、最後の追い込みが残っている。

シャトル織機もよくがんばってくれた。毎日油を注して、どうか今日も無事に動き続けてほしいと願う。大きな故障があれば、輸出物の納期が大きくずれてしまうというだけでなく、特別の厚織ができる織機は限られていて大きく壊れると厚織りの布は今後織れなくなってしまうのだ。厚織すると織機に大きな負荷がかかるのが本当は好きではないのだが、そういう無理をすることで特別のものが出来上がる。
2015年08月24日
私が仕事に使っている携帯の通信データ容量をタブレットと分けて使っていて、そのタブレットをほかの人に貸したら映画をみたようで、上限を超えてしまったようで強烈な速度制限で、ネットでのほとんどのことが非常に時間がかかる状態。

かろうじてネットショップは軽めなのでよいけど、アマゾンやクリーマのお店の管理をしようとすると難しい。ヤフーのトップページをみるのも忍耐。月末までの辛抱か。困るのは、メールに添付いただいたり、メールにリンクを貼っていただいてそこを見ようとして難しいケース。ダウンロードとかほぼ不可能。

そろそろ3年愛用したレッツノートも、USBなどが甘くなり始めて寿命か。携帯電話も充電が難しくなってきた。急いでいるときに、簡単なこともできないでパニックになる。しかし、いろんなことで制約があるというのは悪いことではないと思う。制約のない状態になれてしまうと、後戻りができないものだ。
2015年08月22日
隣の豊満は今日が地蔵盆。東円堂は6箇所、豊満もお地蔵さんは4箇所以上はある。小さな集落になぜお地蔵さんがたくさんあるのか、不思議といえば不思議。集落の家のほとんどがどこか一つのお地蔵さんに奉じているのだ。

これは、お寺の門戸の枠や組、区とは別で、どういった類なのだろうか。だれに聞いてももうわからないことがあったりするものだが、それが続いている。林与の家のお地蔵さんも、昔はもっと南にあったけど泥棒が今の場所に運んできたという。子供のころに聞いても不思議な話だが、今も不思議なまま。

こういうローカル行事は、ローカルなままに残ってほしいと思う。商業くさくなったオリンピックよりも、こういう行事のほうが行事としては意味があろうかと思えるのだ。
2015年08月21日
糊のタイプが変わって最初の30kgはうまく織れて喜んでいて、次の60kg、もう少し糊を強めに付けてみたということで、チーズアップがうまくいけば問題ないだろうと話をしていて、今日、チーズ巻き工場に行くと、おじいさんが苦戦中。糊がきつ過ぎてへばり付いていてカセから糸が出てこないということで、行ったときに半分くらいが糸切れを起こしている。

糊のタイプの変更があったばかりなので、いたしかたないこと。今度は最初の糊付けの具合に戻して糊付けしてもらうことになる。チーズ巻き工場のおじいさんには気の毒だけど、今回はゆっくりとでも巻き上げてもらうことで対応。80歳手前くらいになられているのだろうけども、仕事をしてこられた方だけに大事に仕事をして下さる。

糸を巻き上げるワインダーをみていると、かなり高速に回っている。たぶん、林与のチーズアップ用のワインダーの2倍以上のスピード。それでも、それ専門にやっておられるのでカセの糸口の見つけ方など慣れたもの。

一年ほど前に、リネン100番手をお願いしたときには、「にいちゃん、こんな難しいのはもうもってこんといて」と言われたけども、まあ、暇なときにはややこしい仕事でも受けてもらえるので、昔ながらの繊維の世界の構造が生きているのだろうと思え、こういうチーズ巻き工場は、海外にももう少ないだろう。100番手を織りこなせるのもおじいさんの存在があって成り立つ。

少量なら会社の中でも巻き上げるが、産地にはこういうコンスタントな地力のようなものが流れていないと、本物じゃない。そもそも、ほかが巻き上げるのを嫌がるラミーのこんにゃく糊加工糸などを巻き上げるのも得意とされていて、産地の特色というか、林与の特色を作り上げる一端を担っていて下さった。上手に巻けなければ、巻き方一つで高価な糸がゴミに変わる。
2015年08月19日
先日あるかたが弊社に来られて、最近は本麻が売り難いと仰っておられた。本麻の手もみの100番手を守りたい林与としては非常に残念なことなのではあるが、このことも数年前から予期ができていて、市場に本麻というものが出にくい流れになっているのだ。

着物の世界をご存知の皆さんにとっては、手もみで仕上げた本麻は麻のよい風合いを感じさせるのだが、着物を召される方は少なくなっていて、アパレル用途でもそういう着物の世界の方が少なくなると流れる量は少なくなってくる。

流れる量が少なくなると生産量も少なくなるので、織る工程が無理をしても、加工工程などが小ロット対応ができないとか多くなって、サンプルから流れていきにくく、売り場で本麻の凝ったものを見かけることは少なくなると、目立たなくなるので、存在そのものが稀になってしまうものだ。ニッチェな存在。
2015年08月16日
あるものを生産しておられるが売れないので辞めようかと思っているということをいわれ。私自身は、それを続けるためにはもちろん自分が生活していく、お金が必要だろうし、必要だったら別のところで作ってくればよいのじゃないかと思ったりもする。夜中バイトして昼間その仕事すればよいのではないだろうか。

売れないものというのは誰が売っても同じように飛ぶようには売れないと思う。というよりも繊維関連なんて売り場に溢れているし売れるものはすぐに安いものが出回り、よくて数年よいときが続くかどうか。結局は、誰がそれを続けていくかというだけのことだろうと思うのだ。

昔、アメリカにいたときに、ホストファーザーが、売れないもの、すなわち需要のないものは一生懸命になっても売れる確立は低いので、商売で成功したければ売れるものを扱うべきだという商売の基本的なところをアドバイスいただいたことがある。親身かつ率直なアドバイス。反対はしないが、それでいてあえて需要の少ないものを残していこうとすれば、それは別腹てきな気持ちで続けていくしかないだろうと思うのだ。
2015年08月14日
今日は、仕事の段取りなどがようやくちょっと落ち着いたので何ヶ月振りかに京都。2時間ほど四条界隈の夏の店頭の様子を眺める。先日、ネットのお客様からリネン生地に関してのお問い合わせがあって、弊社の生地では幅が足りないということで、京都の大きな手芸屋さんなら生地をお持ちでなかろうかと思って、一度ご覧になられてはとご紹介をしたのですが、該当するような生地なかったということで、ご紹介をした私としては、一度、店頭の生地なども知っておかないとと思って京都に行ったついでに店頭を眺める。

手芸店の店員さんたちの対応がほんとすばらしいなあと感じる。リネンに関しては後染めの生地が主体で、店頭の前のディスプレイのジャケット生地がよさげで気になったが、その生地は置いてなかったように思えた。プリントで有名な海外のメーカーの綿の生地も置いてあったが、同じお店で、似たようなほかのメーカーのものが10分の一の値段というのも両極の世界が一つのお店にあって、広い層のお客さんを捕らえることができないとお店の来客も保てないのだろうと感じる。

次に、大手SPAさんの店頭を眺める。秋冬に移行しているが、大変だろうなあと思うのが新しい企画をヒットさせ続けないといけないこと。奇抜な企画が増えていて、ベーシックな良質感が以前よりも落ちてしまっている。鹿の子のベーシックな紺のニットポロのような一番買いたいものが1280円だったりする。

テイストがよければ値段は通るだろうが、新しい企画とはいえ、奇抜なテイストにはなかなかついていけないだろう。そういうもの、しばらくすれば1着500円ワゴン、数ヶ月すれば500円でも買うのを迷うというものをつくってしまうというのは、客観的にみてよい商品企画とはいえないのではないだろうか。奇抜な企画でもブームにまですれば勝ちで、それがヒットヒットメーカーの生業なのかもしれないが、値段は上がれど素材は落ちてきているという、一般のブランドの衰退と流れと同じ流れが見え始めたときに、SPAが成り立ってきた本質が消え始めてきたのではなかろうかと思う。優良企業となると、初心に帰れない事情もほかのブランドと同様にあろうかとは思う。これはまた日本という国規模や地場産業などにも共通する衰退の要因なのであり、大きいから安心ということもなく、大きいと逆に立て直すことは難しいのが常。
2015年08月13日
そろそろ外の世界はお盆休み。時間がとれず、無理いって、お客様にお盆休み中に来てほしいということで、午後からお客様。

朝5時から、リネンキッチンクロスと格闘。夕方にも織ろうとするが、どうも耳がうまく織れない。出来る限り綿の糸を入れたくないのだが、4本だけ耳に入れて、テンションが揺らぐと、一番最後から2番目のリネンの縦糸が切れる。夜8時頃には、体力は消耗し、半ズボンが腰から抜け落ちるくらいお腹が空いたあたりで、今日のタイムリミット出荷。

車に乗るとエアコンが快適。どうでもよい程度のことだが、そういうのが嬉しいのは健全なところからそう離れていない気がする。

夜中、シャトルの一号台の立ち上げ、横糸のヒガエカードや、縦糸切れ、横糸切れの調整をして、最初の一枚を正しく織れるかどうかの検討。横糸切れ、縦糸切れも、本気で調整をすれば30分ほどのことで正しく動くようになるものだが、現場というのは騙し騙しでその場を凌いでしまうもので、そういうのが技術が落ち、大きな問題が起こる原因だったりもする。

何の問題もなく、1枚が自分の頭でプログラムしたとおりに織れると、春の訪れを感じるような今までの注文を受けたときからできるかどうかという苦悩からの開放。こういうプレッシャーを乗り越えることができないと仕事は無理で、自分の力が足りないときには、なんどもやり直して時間を使うしかない。外が止まるお盆休み、思い切って時間を使うことが出来る。
2015年08月12日
親戚の方で印刷業界の方が久しぶりに会社に来てくださりお話。新聞に折込で、一ヶ月に一回、滋賀圏内の伝統産業系の企業紹介をしていて、林与も9月1日の企画でどうだろうかというお話。集落から引っ越されて久しぶりにお会いしたので懐かしい気分。先代かおばあさんの葬儀でお会いした以来くらいで、その方も私がどうしているのかというのもあまりご存知かなろうかと思えるし、私自身もその方がどうしておられるのかという辺りから。

その方もいっておられたが先代というのは、お客さんがお越し下さるとビールを出すというのがありがちな話。それで仕事も人付き合いも大体がうまくいっていた時代というのが過ぎてしまうと、商売としては通用しなくなるものだ。大手SPAのような動きが起こるのも当たり前で、すべてを越されていく、そういうのに早く気が付かないと傾く一方なのだが、悲しい話、先代がなくなるまでは変わることは少ない。

お前は信用がないから商売は無理だみたいなことばかり口走って、地場産業系にありがちな、誰もが見捨てていくだろう驕りだけが残る世界。朝からでもビールを差し出す度合いなども、アル中の典型ではあるが、そういうのをたしなめる人が回りにいなかったことも、先代の不幸だった。無くなる半年ほど前にある金融機関の新年の場で、地元の繊維関係の顔でもあった方に、お前は昔からどうしようもないアル中だったと、その人の本音をはじめて聞いて悔しそうにしていたのが思い出される。

そういう武器が通用しなくなった時代には、先代の力というのは消え果た感があり、何十年仕事していようが仕事一つがまともに出来ないジジくさいだけの世界。勢いのあるうちはよいが、落ちたときにはただのアル中。周りがそういう先代をよいしょしてきた一方で、戦い続けてきた自分であるから先代が亡くなった後でも仕事から逃げ出さない。先代が亡くなって初めて自分の場所がもてるというのも皮肉な話だが、自分の経験からすると地場産業や田舎商売というものに共通しがちな要素であろうと思えたりするのだ。

私自身が織機を動かすことを大事にするのも、そういう経験から。仕事の本質を失っては商売は語れないだろう。仕事の本質が何かというと、ほかの人がするのを嫌がることをするのが仕事で、だからお金がもらえる仕事になるというところ。その前に、お金を貰わなくても、ほかの人の嫌がることを進んでできる人というのは本当に強く、そういう人が仕事の素質があるのを感じ、仕事を生み出す、すなわち、お金を生み出す能力を持っているのだと思う。自分は才能があるとか特別な意識など持たないほうが目の前のものごとを正しく捕らえ形に出来ると思うのだ。国際的な競争も見えてくる。
2015年08月07日
地の利のない田舎では商売というのは本来成り立たないもので、人の利がなければならないと思う。今はそれがなかなか難しく、全国画一化の流れで、田舎の人だから特別の考えを持っているみたいな人も少なくなっている。これだと田舎が都会に負けてしまうのは当たり前のような気もする。

こういうのを考えると似ているのが、コーディネイターにアドバイスを受けてのものづくりとかで、売れればいいみたいな発想で好きじゃない。それと同じ効果は売れ筋を真似してつくるみたいなところで得られるだけのことじゃないのかと思えたり。田舎に乱立するコンビニやチェーンレストランを思わせる。
2015年08月06日
色味というのは不思議で、原色を使ってのものづくりというのは、白と黒以外はなかなか難しい、白といっても、黒といっても、白にも色味があるし、黒にも色味がある。一番売り難い色の一つが肌色ベージュ、これはそのままでは安っぽく見えてというか、きても裸であるいているように見えて、アパレルのシャツやジャケット向けでは売り難い。

色味で感心するのが、大手SPAの原色使い、ヒーローカラーで勝負しているなあと思えるが、私もカリフォルニアのディスカウントストアー「ターゲット」に始めていったときに、普段でも子供用のパーティカラーっぽくて、お店が華やかに見えたのを覚えている。たとえば、日本で通用していたのは昔のイタリアンカラーのベネトンだろうか。

着物の世界でも、シルクの世界は色華やかだったりする。麻の世界はワビサビの世界。しかしながら、林与も、昭和40年代にアパレルの世界に移行したときに、染からして、麻を綺麗に染めることを求めた。麻というと生成りを染めてボケた色味に染め堅牢度も悪く色落ちしても当たり前なのが、アジアや旧共産系のヨーロッパ地域の麻やリネンだったりする。麻を染めるのが難しいといわれるのは綺麗に染めるのが難しい部分で、日本の麻の世界の染色の技術というのはそれとは違うレベルを求めた。

それでいて、色使いがワビサビの色とすると、アジアや旧共産国にありがちなものとは別格の光沢のある麻に仕上がる。麻を追求した日本の染めの技術が生きる領域であろうといえる。