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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2013年10月
2013年10月
リネン日記:23
2013年10月30日
今日も納期、これもシャトルで耳のそばの問題。これも丸々3日格闘で、4色を2mほどづつ織り上げるのに費やす。糸の種類と太さがベースの部分と耳のそばの部分では違うので、ベースは平織り、耳のそばは糸密度を上げてあや織り。

耳のそばの糸が切れて切れて10cmも織れない。糸が切れる原因は普通の人は、糸を強く引っ張るからだと思うかも知れませんが、織物の場合はその反対のことも多い、糸が緩いから切れるのだ。糸が緩いと糸の上下の開きが完璧に出来ずに、糸同士がくっついて摩擦が増えて糸が弱って切れるという現象が起こる。織れない時に織機にアゼ棒を入れると織れるようになるのも、開く角度が大きくなるから糸同士がしっかりと離れやすくなるため。

織れないというのは簡単でも、一度走り出した企画というのは途中で止まることはなるべく避けたいもので、どういう形なら売れる形に収まるのか、対策を考える。綾組織を止めて全面を平織りにしてだと、糸切れの問題が収まって本生産も大丈夫そう。それを一つの解決案としてお客様に説明し了承を貰い解決。時間ぎりぎりに出荷で月末を終える。
2013年10月28日
展示会から帰って、早速、私自身、整経作業をこなし3日間、納期のぎりぎりで織り上がり、東京の加工工場に朝持ち込み。無理して東京まで行ってよかったのは、久しぶりに東京の加工工場の社長さんと話ができたこと。

小さいながらも若い人もたくさん居られる工場なので将来は明るい元気企業。全国的にもその道では有名で、リネンの加工で面白いものできないかと相談相談です。なんでもがんばってみますというのが見習わないとならない姿勢。

この工場の魅力はクイックなレスポンス。クイックにレスポンスができるような加工をメインに、今の時代のものづくりに対応をされているので生き残られているという気がします。もう一軒寄っての日帰りだったので、帰り間際にブラック缶コーヒーを3本いただいて気をつけて帰るように。

会社に戻ると夕方、今日も納期のものがあるので夜中すぎまで作業、親戚の方に頼んで千葉県への納品。麻織物の仕事というのは糸が切れて思うように織れないことが多く、キズが多ければ最初からやり直しになるので、最初に綺麗に織れるまで織機の調整を加える。耳の際の糸が切れる問題で織れずに悩んでばかり。耳の際まで使わないということで、綿の耳糸を少し入れて最後は解決。この商品は良いけど、耳の際までリネンの商品をつくるのが今の糸ではなかなか難しいことを実感。
2013年10月25日
電車の乗り継ぎの関係で京都までしか帰れず、京都で一泊。朝一番の電車で家に戻る。今日は、東京からお昼頃からお客様。もうすでに産地も生産のピークに入っているがため、糸を染めることからしても身動きがとりにくい状況になりつつあるのを想像はしていたものの再確認。今のタイミング、この仕事も出来るのかどうかは糸が染まるかどうかという話と絡んでくる。

先月の商談会に訪れたアパレルさんとの企画の話もカラーも決定し、見本を進める話になりそうですが、こちらは大きな問題もなく大丈夫そう。見本コストの負担なども可能ということでバランスの取れたものづくり。そういうのが難しいとなると、ものづくりの構造ががらりと変わり、生産工程でどれだけお金を浮かすかで利益を生み出すようなスカスカなものづくりになってしまいがち。そんなスタイルだと消耗戦、年を重ねるごとに出来るものがどんどんとありきたりになっていってしまうもの。

インテキ上海でも、各国での麻の世界で有力なものづくりをしている企業さんとも出会えて、そういうところと対等に話ができるほどのモノづくりをしようとすると、日本企業というのは歴史や経験のあることで助けられていることは多い。だが、日本も先進国になってしまって伝統の流れを汲む繊維産業はフロック的なブームはあるかもしれないが、基本は衰退傾向で継続していくことすらも難しい。モノづくりの考え方からしてよほど強くなければその他大勢。少人数であってもモノづくりの考え方が強ければ特別の世界は持てる。
2013年10月24日
今日は最終日、今回のインテキ上海を振り返ると、用意した会社案内は2日目でほとんどなくなり、アイリッシュリネンプロジェクトの冊子も2日目。英語の名刺も150枚しか用意できなく足りない。今回も準備不足を反省。英語版の会社案内がこの展示会で配れたら有意義だったろうに、それも出発前の仕事に追われてしまってその後まったく手付かず。

今回良かったのは、リネンチックゾーンに林与のアイテムを並べていただけ、よい感じにディスプレイしてもらっていてほんと良かった。自分的にはアイリッシュリネンのハンカチが特にいい感じ。ものそのもののイメージだけでなく、それぞれのアイテムには作ったときの思い出が詰まっていて蘇ってくるもの。リネンチックゾーンに出展できたのも、展示会を運営されているメサゴメッセフランクフルト香港が林与のことを覚えて下さっていてメールくださったから。晴れの大舞台に置かせていただけたことに感謝で、特に麻に興味のあられる業界の皆様向けに林与のモノづくりの強いPRさせていただけたものと思います。

また、バイヤー的なお客さんとの出会い以外に、麻関連で目立った動きをされている出展者の方も弊社ブースに多く挨拶にきてくださり、情報交換させていただけたことも良かった。上海の「集糸坊」という会社、実は3年ほど前に中国ブースを眺めて回って私自身が一番注目をしていたブースであった。リネン125番手(NM75)の双糸でニットを作られてサンプル展示されていた。スタイルが林与と非常に似ている。ものづくりに対しての意気込みをファブリックから感じることができた。その会社の社長が弊社ブースに見えられてお話しする機会を得た。

お話していると考えておられることが、ビジネスを超えて、良い布の文化を生み出していこうというような思いをもっておられる。私と同年代くらいかと思うが、中国の天然素材開発のリーダー的な存在の方だろうと感じる。方向性と考える力、つくる力が伴っていて、私の話すことも黙って吸収できる方で、それというのは相当怖いなあと思える。良い方に出会えお話できた気がした。

また、昨日は吉林省の大学生の女性の方が近江上布に興味をもたれ、英語で話しかけてこられたので近江上布について説明したところ、中国にも同じような技法があるということ。名前も教えてもらったのでネットででも調べてみよう。その方は、布に興味をもっていろいろと織物に関してのいろいろと大学で勉強をされているということで、日本の織物の歴史がどこまで中国の織物の歴史と被っているのかという辺りも、情報交換することでたどり着ける答えが見つかるかも知れないと思う。たぶん、苧績みの技法にしても弥生時代に中国から入ってきたものであると想像しているが、どうなんだろうか。まったく関係ないが、中国に行ったら桂林の景色を一度は眺めてみたいと思っていたことを思い出した。願っていればいつか実現するもの。

昨日ブースに来られたイタリアのブランドのオーナーの方に、イタリアで一番良いリネンテキスタイルの会社はと聞いたところ3つ教えてもらえた。今日は、そのうちの一番の会社が弊社のブースに来ていただけ、近江上布に興味を示していただけた。非常に礼儀正しく、ブースに入ることなく、名刺を出して自己紹介をし中を見てよいかどうか尋ねてから、まさに、生地を見ること対する考え方が一流であることを感じる。

今日は最終日でお客様は少なめだったので近江上布を非常に気に入った中国の年配の女性の方が、1時間以上眺めておられました。デザインが好きそうな方で、本当に一生懸命に見ておられ、たぶん、柄を見ると何か心地よくなる要素があるのだろうなあと思うのです。多くのデザイナーの方が、近江上布に目を留められ、たぶん、デザイン的な刺激相当あったのではなかろうかと思います。近江上布の箱には、外に出すべからずと書いてありましたが、50年たった今、おじいさんの時代の仕事が世界中のテキスタイル関係者の方に評価いただけるのは、このまま箱から出すことなく消えてしまうよりは良かろうと思うのです。
2013年10月23日
今日はインターテキスタイル3日目。午前中の最初2時間はお客さんは少なめでしたが、そのあと急にお客さんが続いて5時くらいまで。今日は、林与の近江上布の柄が人気で、私自身の感が正しいことを実感しました。欧米向けだけに受け入れられるかと思っていましたが、中国の方が非常に熱心に注目を下さって、しかも、昔の近江上布が絣であるという技法的な意味を分かって下さっている方も多い。

中国現地のブランドのデザイナーの話は言葉がよく分からないので直接コメントが聞けませんが、欧米の英語で話のできる方というのはとことん惚れ込んで、あの柄もこの柄も美しいというようなコメントをくださいます。インテキ上海では、「 I LOVE 近江上布デザイン 」な方がたくさん増えました。着物の柄ながらも草木をデフォルメした派手すぎない幾何柄が多いのが世界中に通用する要素なんだろうと思います。

正しく運用いただけることを条件に、柄に関してライセンスなどでの形での展開の話もさまざまな国の方と10数社と行いました。また、来年9月には目指したいなあと思える特別の情報もいただいて、今、動こうとしているプロジェクトを力強く前に進めるための舞台となりそうです。

昨年から日本からの織物関連の方のインテキ上海に訪れられるケースは少なめかなあという印象。同じことを新聞社の方も言っておられました。今年はジャパンブースが明るく、人がたくさん行き来しやすいように配慮もされていて、また、今日のインテキ上海エクスプレスも日本企業のコメントがトップページに並ぶなど。インテキ上海で日本企業が非常に暖かく迎えられているのを感じつつ、また、ジャパンパビリオン主催のみなさんの尽力されていることにありがたさを感じます。

林与というのは小さな会社でできることは限られているのも自分自身で承知。今日もエージェントをしたいという声を数件いただくのですが、エージェントがお客様と話されたことを、林与が対応できるのかというとストック型の商売ではないのでそこが心配。
2013年10月22日
ブースに来られるお客さんというのが中国に代理店(エージェント)はありますか?と良く聞かれる。でも、中国のお客さんで、自分が林与の代理店(エージェント)をしたいという話を持ち出されることが何件かあるが喜ぶばかりの話ではない。どこまで最終的なお客さんが本気なのかを見極めることができないと、ストック商売型ではないので難しい。

一般的に中国で流れる日本の生地といわれるものは、中国で生産されているものがほとんど。だから値段が当たり前に合う。ヨーロッパの生地にしてもその構造はよく似ている。ヨーロッパの場合は日本以上にブラックボックスだろうと思う。

ブースに展示していたリネンの細番手のワンピースを中国の女性の方がほしいといわれ、日本で販売されているのと同じ程度の一枚3万円(1800元)です。というが、その女性は大丈夫という。でも、手持ちは3600元しかないというので、とりあえず2枚買ってくださり、午後からお金をもって再度お越し下さり、展示していた3枚を全部買っていかれた。私自身も、まだ展示会2日目の朝でディスプレイしていたワンピースがなくなるのは困るが、即断されるこの方なら気に入ってもらえるなら買っていただきたいと思った。

林与自身にしてもサンプル縫製にも半分くらいのお金を費やしても良い物をつくりたいと魅せるために作ったもの。展示しているのも実はスーツケースに詰め込んでそれをディスプレイしたために、シワがあって完璧でない。そんな商品を見ても、林与の目指すリネンでの究極のコンセプトを理解いただけ、ほしいと思っていただけたことがありがたい。

その方は本当に麻が好きということをいわれ、林与のアイリッシュリネンの冊子や林与の会社案内も大事そうに貰って下さる。私が思ったのは、こういう出会いに対しては本当に嬉しいという思いと一方で怖さみたいなものもある。フラグシップ的なリネン生地などをお買い上げ下さる方がおられるけども、そういうお客様には次に何を提案するべきかと考えると、自分自身の世界を延長しないとならないと思う。

また、生地の世界では非常に有名なイタリアの生地メーカーの方がこの数年毎年見に来られるもその対応を見るとスワッチ収集屋さんに近く、集めて自分でつくるタイプで買わないでしょう、という評判が他の複数ルートからも聞こえはじめ、評判を落としてしまわれているのは非常に残念な話。
2013年10月21日
今日は、タクシーで会場に向かいました。今年は、欧米のデザイナーさんのブースへの来場は少なめで、中国本国、香港、インド、トルコの方などがリネンに対しての熱を持っておられるのを感じます。

N3のリネンチックコーナーにディスプレイしてもらっている林与のリネンアイテムを見に途中E3経由でN3まで歩いていきました。1kmくらいは歩かないと駄目なので覚悟がいります。林与のアイテム用にテーブルとラックを一つづつ用意してくださった感じで、ありがたいでした。ほんと素敵な感じのリネンアイテムのコーナーなのですが、スタッフと警備を含め3人がそのコーナーを見守っているので近寄りがたい気もするほど厳重の警備体制。

夜は、近くのケリーホテルでのインターテキスタイルナイトカクテルパーティ。通訳の中国人の女性と一緒に参加しましたが、林与はそれなりに満足、最初大きなウェルカムボードにサインをして記念撮影なのですが、林与は林与ロゴを手書きして撮影してもらいました。会場の中ではワインと小皿に盛られた上品な料理をつまみながら、音楽を聴いてリラックス。ジャパンパビリオン主催の皆さんも参加されていて、じっくりとお話しすることができ有意義でした。
2013年10月20日
上海に着いて友人と待ち合わせ、会場の近くの降りた地下鉄の駅の周辺はファーストフードのお店ばかり、しかたなく、チャイニーズファーストフード1人20元くらい。まったく、おいしくない。地下鉄の駅から会場までタクシーで行こうとするが、タクシー乗り場は悪徳タクシー業者の温床。これは日本人に対してだけでなく、中国人同士でも弱みにつけてぶっ掛けて取ろうとしている。5倍10倍当たり前。気に入らず歩いていく、15分くらいで会場に着く。

会場準備は30分ほどで済んで、JFWやJETROなどジャパンパビリオンの主催の方などとお話して、今年の展示会のムードにも馴染めた感じ、今年はリネンチックコーナーが出来たということで、提出する出展物10点を、メサゴメッセフランクフルトの方に渡し、リネンコーナーに展示してもらう。

夕方は、通訳の方と合流し、タクシー乗り場を避けて流しているタクシーを拾って、ホテルにチェックイン。夜はホテル周辺のコンビニでメモ帳を買って、にぎやかな夜のお店をぐるっと見て回ってホテルに戻って早めに寝ました。
2013年10月19日
インテキ上海出発準備。インテキの自体の準備よりも、会社を開けることのための納期のものや留守中の準備などそちらのほうに時間を費やす。ホテルは先日、昨年泊まったのと同じホテル。今は上海は観光シーズンに入りホテルの空きも非常に少ない。

昨日は名刺の印刷。時間があれば、新しいハンガーつくりをしたい。林与の会社案内の英語化は今年も断念、落ち着いてから動きたい。小さな機屋でも、売りというのは探せば見つかるもので、それをどうPRするかは次第だろうと思う。

残り時間24時間を切った、できる限り、社内の準備を進めてみよう。

2013年10月18日
今朝は、冷え込む感じ。台風の後で、愛知川の水も珍しく一面に流されている。昨日の夜、それを眺めて怖いなあと思った。普段は干しあがっている愛知川の川底しかしらないので、川に水が流れているのが怖く思える。これが川というものなのだ。

愛知川も暴れん坊川として知られていた。それを治水管理したのが依智秦氏。愛知川の由来である。天井川というのは一般に、河川は時が経つにつれ川底が高くなり、周辺で文化をそれを守るために堤防を築き上げるがために出来上がるとされるが、農業に便利なように天井川を依智秦氏がつくり上げたためではなかろうか。農業しかない昔から、愛知川は天井川として知られている。

湖東平野というのは水田化される弥生以前の昔というのは広大な森林や原と低湿地の組み合わせであったであろうと思われる。時には水害をもたらした愛知川ではあろうが、そのくらいの水量がなければ、河川の周辺で古代の農業というものは成り立たなかったのであろうといえる。一方で、大国郷が、古代から富裕な土地柄であったのも、愛知川の水量に恵まれ、水不足のための飢饉に合うことが少なかったからではなかろうか。

今はもう冬になっても雪が積もることは少なくなったが、昔は、滋賀県というのは雪深く、伊吹山の積雪記録というのは世界一というのも驚くべきことであり、鈴鹿山脈も常に雪深く、その雪解け水が愛知川の春から梅雨の時期までの水源となり、稲作に最適な風土を作り上げていたろう。

一般に、滋賀県の場合、琵琶湖があることが麻織物を栄えさせたといわれているが、私の体験や感覚からすれば、滋賀も雪深いことが麻織物を栄えさせた一番の原因ではなかろうかと思う。雪に包まれた環境というのが麻織物には最適に思う。今はもう雪が深く積もることもなくなってしまったが。
2013年10月14日
特に急いでいる休み明け出荷の仕事が2件あって、その二つの仕事に追われて、昨日は帰ってから整経作業。間に合うのか間に合わないのか、ぎりぎりの作業です。

11時に米原の伝統産業会館で、長栄座の最終日、今日は国指定重要無形文化財「組踊」があるということで、多くの方が列を成しておられました。3時過ぎには会場に皆さんが入られた頃合に、彦根のワークメッセでミシンを貸し出したのでその返却のため会社に戻りました。

工場の中では引き続き急ぎの分の作業が続きます。織物の作業というのは非常に地道な作業なのを感じます。いくら急いでも当たり前に時間掛かり、いろいろと織機を触るような作業をすると、そこにプラスアルファの問題が起きることが多いものです。
2013年10月13日
今日は、米原文化伝統産業会館での長栄座の催しでのロビー展示。今日はお客様は全体的に少なめではありました。ストールを中心にロビー展示即売、近江上布の昔の見本切なども展示させていただいていたのですが、出展に関しましては、販売が目的ではなくPRが目的でしたので、1人でも多くのお客様にでも、近江湖東に麻織りの文化があり、今も麻織物が織られているということを知ってもらえればそれが成果です。

他の出展者のみなさんの中に、トナリ木工という若いご主人、奥さん、お子さんの3人でほのぼのと出展されているお店がありました。私の中の琴線が鳴った気がして、出展されている木工製品に多くの方の琴線に触れるようなセンスを感じました。私は、ウォールナット無垢のカッティングボードを言うものを使い方も分からずにいいあなと思ったので、これは何ですか、から始まって。

木材の素材の良さを引き出したいという気持ちでつくられている作品群。シンプルながらも素材が良いのと手をかけて作られているので、手のぬくもりが感じられる気がするのです。ようやく、自社ブランドとしてのスタートを切られたとおっしゃっておられましたが、完成度が高く、値段も手ごろで、これから全国的に有名になられる素質をもっておられる気がしました。それは作品だけでなくお話したときの印象の部分が多く、ご自身で工房を立ち上げ、前向きに動いておられるのが伝わってくるのです。ものづくりというのは語りとしては歴史の部分もありますが、何十年やっているものでも気持ちが落ちれば毎日が素人未満。5年10年の熱い思いは、何十年の経験に勝るものだと思います。トナリ工房さん、http://tonarimokkou.com/profile.html 

テーブルウェア周りの木工製品を、家具をつくる傍ら手がけておられ、オリジナルかつ愛されるような形目指しておられます。分野は違っても林与と同じ匂いのするものづくりにたいする熱い思い。箸、フォーク、スプーン、カッティングボードなど、手作りの力感じます。これからスタートで、今、置いていただけるお店など捜しておられるということですので、布小物製品を扱っておられて、プラスアルファでこだわりの雑貨小物を置いておられるショップさんなどあられましたら、ぜひ、直接、トナリ木工さんにアクセスください。
2013年10月12日
徹夜モードで昨日はせんば適塾「繊維の日」のイベント。車で行く予定を電車で行くことにしたけども準備の時間が足りずに、結局、車で大阪。1時間30分で会場のりそな銀行に到着で、滋賀県から意外に近いことに驚き。でも、帰りは、睡魔に襲われ途中のPAで3時間仮眠。

会社に夜中に戻って、留守にした間の仕事の進捗状況の確認と、インテキ出発までのアポイント関係の調整。留守中に届いた荷物などの確認および、ファックス、メールなどの返答。仕事関係でも多くのお客さんから声を掛けていただくことが多く、キャパオーバーが続いていて、仕事の作業効率をあげるようにしないとならないが、納期に追われると無駄に2回、3回に仕事を分けて余計に時間がなくなってしまう。

また、今日は、アメリカの友人からメールが届いて林与の会社案内冊子の英語バージョンの校正を協力してくれることになり、このインテキ上海で、英語バージョンの冊子を配れたらなあと、あと一週間に掛けてみる。まずは、英語バージョンのドラフトをつくる作業、時間を見つけて進められればと思います。
2013年10月11日
今日は、大阪で大阪府ならびにせんば適塾が主催で、第3回繊維の日のイベント。出展参加は2回目で要領が分かっているので安心して参加です。会場に着いてイベント準備していると出展者のみなさんが挨拶にきてくださり、繊維業界で、まずは同じ気持ちをもったものが知り合いになるところから。

今回の出展者の皆さんの名簿をみていると機屋さんがめずらしく多いなあと思いました。京都、大阪、着物の流れを汲んでおられる機屋さんが多く、今も和装関連の生地や小物などを生産されているところが多いのをの感じました。

今回は、林与は、林与ロゴ、看板をテーブルの上に大きく置いてみる試み。それなりに、麻の雰囲気が漂わせることはできたかと。事前にアポイントも3件いただいていたこともあり、そのほか、麻やリネンに関心をもってくださっている方々が、次から次に来てくださり、会場閉会まで間空くことなく、皆さんとお話をさせていただきました。

お話しする中で大事に思うのは、ものづくりを伝えること、それは、材料がとか技術がとかのあたりは単なる商品説明。ものづくりしている中で自分がなぜこの仕事をしているのかということや織物とは何なのかというところを語るのが他の人にはできないことなんじゃあないだろうかなあと。
2013年10月10日
米原文化伝統産業会館で、12日、13日、14日の3日間、滋賀県主催の長栄座のイベントが行われます。今回も、ロビー展示に出展をさせていただくことになり、13日、14日の2日間参加いたします。

林与のやっている麻織物というのも、古典芸能以上に古くからのことで、今の時代には時代遅れ過ぎるもので、古典芸能に興味を持ってくださる方というのは、麻織物に関しても同様の興味を示してくださるケースが多く、お客様というよりも私の話を先生の話を聞くように丁寧に接して下さる方が多いのです。お客様に近いからか百貨店関係の方々や、織物を教えておられる学校関連の方々が同じように、学ぼうという感じで私の言葉に耳を傾けてくださるというのと似ています。

百貨店の方々や学校関連の方々が麻に関する間違った認識をもたれていることも多いですので、情報発信される方々ですので適切な知識を持ってもらうべきだろうから現場や業界の知識というものを正直に伝えることに努めます。商社やアパレルの方などは、売れればよいと間違がっているのが分かってても突っ走っておられる方も多いので、百貨店や学校の先生などが間接的に間違った情報を得ておられることも多いのです。

どこどこの織物がすごいということで拝見しても、こりゃ業界のものからするとまったく駄目ということも多く。品質基準検査度外視だと自由にものを作れます。アパレルの世界でいざものを流そうとすると自動車が車検制度で縛られているのと同様、有る程度は品質基準検査に沿うような形でないと、洗うのを想定しない衣装的なものづくりになってしまい。普通にクリーニングに出したらとか、家で洗濯して使ってもらえるというものじゃあなくなってしまいます。

テキスタイルデザインを専門にされている方でも、麻に関しては、デザイン性だけでは駄目で、地道で奥の深い物性面のこととか、生産のことを理解して、生地をデザインする能力をもっておられないと、生地を商品として手がけようとすると痛い目に合われる確立は高いだろうと思います。
2013年10月09日
10月11日に大阪のりそな銀行本店の地下で、繊維の日のイベントが行われます。第一部は記念講演としまして、午後2時から、UA重松理氏とケイオス澤田充氏の講演が行われます。第二部は、午後3時40分から、午後6時30分からの交流会も含め午後8時まで、関西繊維産地の素材企業展が行われます。

関西繊維産地の素材企業としては、泉工業㈱、㈱ヘンプヴィレッジ、㈱林与、オーヤパイル㈱、村上メリヤス、(有)昇苑くみひも、㈱織彦、笹田織物㈱、平山繊維㈱、大津毛織㈱、井嶋織物工業、(有)YS企画、近江織物㈱、かね井染織㈱、福井プレス、Zoo Project。

昨年から参加させていただいた印象が、カジュアルな展示会であるということ。関西の繊維業界のものが集う、懇談会的な場という感じで、異業種交流に近いような場です。林与自身もPRを目的として林与のリネン生地、製品、近江上布など展示を予定しております。
2013年10月07日



珍しく、リネン日記に画像、これは今回のインターテキスタイル上海でのプレス取材用に撮影した、林与の近江上布の見本切のうち20柄ほどの画像です。このような本生産の端を残したものが、一年に何百柄、戦後昭和27年から40年位までの分が、何千枚もののコレクションとして残っています。

質とボリューム的にも驚異的な織物コレクションの一つで、小さな林与でこれらの近江上布が生み出されていたのは驚くべきことで、柄に関しても、よくありがちな和柄から、林与らしい色彩に、十数年で急速に進化をしているのを見ることも出来ます。

これがプリントでなく数千のすべての柄が横絣なのは、日本の織物の力そのものだったと思います。また、50年以上過ぎたあとも、この透明感を残しているのは不思議でしかなく、林与自身にとっては、これが本麻なのだという手本です。着物用の近江上布なので細い糸を高密度に織り上げ、しっかりとしたザラザラとした風合いです。

そのほかにまたの機会にご覧いただくことになりますが、白地の襦袢地などは、紋絽や紗などあり、透明感があってしなやかでサラサラの本麻です。戦争中は麻織物が禁止され、戦後も麻織物に戻るところが少なかった産地でも、とことんなモノづくりを走りました。白絣シリーズなども綺麗です。今ではほとんど見ることのできない日本の麻織物たちです。

これらの柄を生かし近江上布プリント柄として再現、日本人の愛した色柄の世界を今、海外に向けて情報発信していきます。
2013年10月06日
麻を扱うことは、今はリネンが主流になって来ましたので、比較的簡単になってきましたが、昨日はリネンの細番手を繋いで送る作業で、まさに麻糸の如し、です。普通の人だと絶対に無理だとあきらめるようなものでも、端から一本一本直してあげるだけで、たぶん、全体で、100本も直せばよい程度です。

直すときに綺麗に治せる人と余計にぐちゃぐちゃにしてしまう人とでは、織るときの結果に雲泥の差が出るものです。すべて正しい作業を心がけないと正しい状態は続かず、いい加減な仕事だと、その人にとってはそれが意味不明の問題の原因に繋がっているものです。

職業としてする以上、織物というものは織れて当たり前でないとならないのですが、簡単な織物でも手抜きがあると問題として出てきてしまいます。機械が悪いわけでなく、人の問題だろうといえます。正しい織物を作り上げるためには自分の作業の確認だけでなく、他の人の使った織機の状態の確認作業という自分以外の人の作業までも正しくしないとならない、機械だけでなく、人の作業の改善、また、人の仕事に対する考え方の改善が必要なことが多いものです。

正しく織るのに正しい答えを教えてもそれを実行ができるか出来ないかというのは、頭で理解できても作業するのを拒否してしまうことが多いものです。自分のやり方を貫こうとする人は途中で止まってしまうもの。どのやり方でもいわれたとおり素直に対応できて実行できる人が仕事できる人だったりします。

以前、独立された方とお話をしていて、人は自分の思うようには動いてくれないものというのを割り切って居られました。経験上の結論だろうと思います。普通は良い物をつくろうとすると思い通りに動かんと駄目なのですが、できることでも人の問題でできないということも多いものです。まずは自分がやって手本として仕事として当たり前のことだというのを見せてあげる必要があります。

林与と工場でお出会いのお客様というのは、他では見かけないほど林与がボロボロな格好しているのみて、大きく二通りの反応があろうかと思います。いつでも機械の下にもぐったり油仕事できるようにしているとみるのか、もうちょっと綺麗な格好で仕事しなさい、という反応なのか。林与自身が職人に求めるのはいつでも自分が汚れる仕事を出来る人。自分の手を汚して麻埃を取ったり油をふき取ったり、綺麗な布を作るためには必要な仕事です。

麻織物の作業にとって機械化されていても、機械相手でも、目、手、耳、鼻、口など自分の体は、一番の道具。目は糸を通すのに必要、キズを発見するのに必要。手は糸を感じたり、部品のキズなどの問題を判断するのに必要。耳は、織機の問題を聞き分けたり、ブレーキの調子を音で判断したりするのに必要。口は、レピアヘッドの糸屑などを吹いて取り除くのに必要。
2013年10月05日
仕事などでもよく引退ということを聞きますが、引退なんて別にする必要もないけども、次の世代に譲ることは大事だろうと思うばかりです。40歳、50歳で若い人たちに助けてもらうようになって、60歳、70歳にもなれば、黙って助ける側に回れないと駄目だろうとどこの小さな商売を見ていても思います。

東京のデザイナーさんとお話しすると皆さんが20代、30代な感じ、分からないことも多いとは思いますが、それなりに決定権も持って仕事を進める力があるものです。だから、東京は優位性を保っていられるのだと思います。たとえば、力を出す場所もないままに40代になったときに、仕事を譲られたとしても、力のない40代が田舎者が相手にしてもらえるほど業界にしても甘くはないでしょう。田舎であっても若い頃から力を発揮できないと難しいだろうなあとほんと思います。

ヨジヨモン爺さんにしても、16歳ほどで近江上布の機元を立ち上げて、最高級の材料を使っての麻織物作り、ヨジヨモン爺さんの親父さんはお酒のみで、借金で家にはお金もなかったのに、ヨジヨモン爺さんが、若くして気を強く立ち上がったことがすべての勝因。年なんて仕事とは関係なく、昔から実力が大事ということ。また、周りもそれを支えたから当時大きな成功を収めることができたのだろうと思えます。

逆境というのは人を育てるもので、温室育ちというのは分からないまま。今の海外の若い人の能力というのは、新興諸国の人ですら日本人以上に能力が高い人が多い。戦後も、アメリカが日本を経済的脅威に思って、日本人のメンタリティを失わせるようにいろいろと法律まで欧米化して今ではほんと普通の国になってしまった。衣服というのは文化や価値観の象徴で、着物の文化を失ったときに、人々の心の中から日本らしさみたいなものは急速に薄らいでいった。

でも、面白いのは、ファッションのリネンの世界では案外日本というのがヨーロッパの人以上にその価値を評価しているということ。ヨーロッパの人が憧れるのが日本の合成繊維の世界だったりして、ヨーロッパはヨーロッパで大変だなあと思う。日本の本麻手もみをヨーロッパ人が評価できないのは、日本らしいということで、救いなのかもしれないと、そこに日本のものづくりが生きていると感じる。
2013年10月04日
いろいろな見本つくりの時期が終わり、本生産の時期に入っています。見本というのは一般に練習みたいなもので、本生産は本番。実際には練習のほうが時間と頭使っていることが多いものです。

東円堂に来られるお客様が口々に言われるのが、集落にある家々が大きいこと。どの家も平等ほどに大きく、私自身は、東円堂は、弥生時代の渡来人系の子孫の移民地だったろうと思うのです。50戸が田畑を開墾するために移民して開拓してできたような土地ではなかったろうかと思うのです。条里制ができあがった辺りの遠い昔のことです。いわゆる依智秦氏の流れの計画都市です。

大国郷といわれ、大国主命を祭る豊国神社が氏神神社で、仏教に関しては、集落の中にある4つのお寺も規模は普通の家の敷地の広さであることから、寺に関しても、家の規模から始まったと思われます。奈良の寺領であった奈良時代ころに関しては、たぶん、米などを管理するために、お寺が集落内にも必要となったものと思います。お寺の家は、字の中の神社関係の行事からは外れることが許されているのは、新しいことではないかと思っています。というのも、この地域ではお寺も神社も同じような位置づけを感じるのです。愛知川に大きなお寺がありますが宝満寺というお寺がありますが、豊満神社の別寺として奈良時代に大国郷の名前からか大国寺として始まっているようです。その後、浄土真宗に移行したと思われます。

この辺りの歴史になってくると、今以上に国境というものを超えた文化の行き来であることを感じます。仏教にしてもインドのアショカ王がお釈迦様ということで、日本の力強い人が海外まで行って学んだことが布教という形に繋がっていようかといえます。日本の場合は神社では神というのは、祖先を指すものであろうかといえますが、本来の日本の宗教というのは山の神様信仰ではなかったかと思うのです。これが、縄文人が渡来系の弥生人を鬼とみたりしたのと繋がっているかと思います。同じ神信仰でも、縄文人から見たものが山の神様、弥生人から見たものが神社信仰でなかったろうかと思われます。

私が驚いたのが集落の中で、山の神様信仰が神社とは独立して残っていることで、60年に一度くらいそれぞれの家に当番が回ってくるという話です。それほど大きな行事ではないのですが、この山の神様にも、別れみたいなものがあるそうで、豊満に本山があるということで、本山の家には、三又の木があり、それがご神木であるということ。隣村の普通の家の庭にお邪魔してその木を拝むというのも、集落では引き継がれている行事です。村人だけによって運営されるもので、神主やお坊さんがいない宗教で、新鮮でした。