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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2025年1月
2025年1月
リネン日記:9
2025年01月23日
たとえばコロナ、林与はたまたまアパレル比率をすごく落としていたので良かったのだけども、また、海外輸出案件にしてもコロナ前の年から出展を控えていたので、コロナでもデリバリーすることすらもまったく難しい、代金の回収なんてもっと難しいような話には巻き込まれることはなかった。

国内は、昔からお付き合いの問屋さんの30万円くらいが引っかかって、もう一軒の廃業も3万円くらいですんだ。あと、生地の出荷が出来なくなった分が100万円くらいだったか。普通に問屋さんなどと付き合いをしていれば、何百万円と引っかかってしまっていただろうし、アパレル案件を極力控えていたのが幸いで、マスクやキッチンクロス、資材系の仕事で動けたのも幸いした。

契約に縛られて作ったは良いけども買取しないとか、送っても代金が支払われないとか、コロナにおいてはそういうのも当たり前のことで、コロナに関しては2019年12月の段階から世界を巻きこむ非常に危険なものと認識をしていた。大丈夫と思っていたら、全部、アパレル関係はストップになってしまっていた可能性もある。

ブランドの方にしてもアパレルメーカーにしても、コロナで一番人が集まるようなビジネスモデルで展開しておられたものが、営業自粛や店舗閉鎖などで本当に気の毒だし、その時に日本の繊維業界では多くの方が仕事を失われている。特に高級なものを扱っておられたブランドほど、よいロケーションでの対面商売が基本だっただけに、やってきたことが全部否定され、廃業されたところも多い。従業員を抱えておられた生地問屋さんもコロナを境に廃業されたところは多い。人をたくさん抱えていてその面倒を見ないといけないというのは苦悩な状況で、経営者の方々も借り入れや持続化給付金などでコロナ禍は乗り越えられたとしても、コロナ後に、借り入れや、3年間生産を半減してきたものがコロナ後に戻ることもないし、コロナ中よりも今の繊維業界というのは厳しくなっているのではないだろうか。

コロナ中も返済は行ってきて、コロナ融資などは受けなかったが、それでも、売り上げが落ちたということで、地元の金融機関からは、全部経営が駄目ですみたいなこといわれたから、こんな奇跡で残れているし、売り上げ伸ばして引っかかっても連鎖倒産でよかったんですかというような、当たり前のことなのだが、コロナ融資で金融機関は過去最高利益らしい。人々が苦しめば苦しむほど、コロナでかつてないほどの金儲けができる状態というのも、日本の金融行政の裏側だったりもする。金融機関が社会情勢をしらないと、会社は無理やり売り上げを伸ばして逆につぶれてしまうのが普通で、情勢をわきまえて適切な判断が必要で、地元金融機関はコロナで儲かったのだろうけども、コロナで自粛している状況で売り上げ伸ばせとかすごい感覚の金融機関もある。経営はそんな甘くない。林与ですらも、コロナ禍においては特別な事情だったので注文されたものでも得意先のおかれた事情も理解しながら自分が追い込めば、得意先が資金ショートして追い込んでいるだけ、コロナ禍でも大きな売り上げを目指していたら何千万は引っかかっていただろう。

人や店舗を抱えておられるアパレル企業というのはコロナ禍においては本当に大変だったろうと思う。店舗数を半減近くにまでされたところも多いと思うし、今、国内の大手アパレル5社で、3100店舗が閉鎖されたという記事があるけど、撤去費用だけでなく、撤去した在庫もあるし、従業員へのリストラへの費用も当然発生しそれも重荷になっているだろう。事業を広げるのは簡単だが縮小しながら存続するのは本当に難しいことだと思う。
2025年01月20日
これからの分か世代の人には週に40時間働いて成り立つような仕事のほうが良いだろうと、織物の仕事というのはその程度の仕事時間では食べていくのも難しい話が普通。まあ、無理をして織物の仕事もしないほうが、やったとしても問題ばっかりになるだろうし、一つの生地を織り上げるのにも1時間に1mほどしか織れないものも多いし、キズが近い感覚で2か所はいるだけでそれまで何時間かけて織ったものも駄目になってしまう。

織るだけでもそのような手間だけども、織る前の準備工程といわれる整経作業も一回勝負の仕事で、ちょっと失敗しましたが許されない。あと加工出し前の検反さぎょうも、糸を縫ったりも必要で細かい作業。でもそういうハードルの高さがあるから、織っている林与でも自分のつくった1枚のキッチンクロスにでも価値を感じる。

今の時代のアパレルでの展示会ベースでの生地開発というのは時間的にも受けることは難しいような状況で、織れるか織れないかが本当に微妙だったりすることも多い。オーガニック系の糸などは特に回を重ねるごとに糸質が弱くなりがちで、正直なオーガニックなんだろうとは思う。でも、そういう糸って、織ることも本当に難しい糸で横糸に使うくらいしか使えないとかで、高い糸なのに非常に残念。

白無地で織るというような想定の糸が多くて、先染めで経糸に織るという織物となると難度が極端に上がってしまう。10年ほど前には、中国でも大手が70番手くらいまで先染めで織れるようになって、林与は150番手の先染めを特別なモノづくりとして織ることができていた。今は、糸自体も150番手は入手も難しくなっているけども、入手できたとしても織るのは相当難しくなっているだろう。100番手も先染めでは今は無理になってしまっている。

経験が出来るときにそういう経験もしておけて良かったなあと思うし、そういう経験は自分との戦いのような世界。どこまで追い求めるかをとことん追い求めて、まったく織れなかったものが、突然何事もなかったかのように普通に織れ出す。春の雪解けのように思える瞬間。今の時代には、そういう経験を積むなんてことも織物業界にいても難しい。糸を機結びで結んだり縦繋ぎで繋ぐことも難しいくらいの糸や糸を触るだけで壊れてしまうような糸も案外多いから織れる方が不思議だけども。そういう経験というのは今経験しようとしてもチャンスもあまりないだろう。

切れにくい糸ならシャトル織機もそれほど難しくはないかもしれないが切れる糸で柄が入ると、横糸切れすらも、柄ズレの起こりやすくなり、シャトル織機のドビーの構造というか、横糸切れの時のドビーカードを戻すことやギアをもどすこと、慣れでできるようになるとかでもなく、最初から正しくできることが当たり前とおもって、最初から毎回正しくやる人だけが織れる織物だったりもする。柄モノを織ることは麻糸は切れやすいゆえに非常に難しい。

林与は、考え方も特殊なタイプだからなんとか答えが見つけ出せたようなことも多い、無制限に答えを求めづ付けなければいけない状況というのも一般的な生き方では無理だろうと思う。織機の部品の摩耗による問題などは見つけにくいことが多く、代替部品があればよいだろうけども、代替部品が見つからないときには織機をずーっととめておくことも致し方ないし、代替部品を取り寄せても同じ問題がでるようならそれはまた別の原因だから、せっかく取り寄せたのにそれが原因でなければ、必要ない部品を購入したことになる。

また、部品が壊れて、新しい部品を取り寄せても取り付けて、また一瞬で壊れてしまうことがある。そういう時にはすごい脱力感に襲われて、合成樹脂のレピアオープナーなんかが昔そうだったので、レピアオープナーをやめて、ベイクライトのタイプに交換した。あと、ややこしかったのが耳の絡み綜絖、いろんな織機のを交換するが消耗品のようにすり減ってしまったので、マグネットタイプの絡み綜絖に交換した。純正の織り方を諦めて、邪道な織り方で正しく織れるようにする。林与のシャトル織機は、初期のころのレピア織機なので設計が甘かったのだろう。使いにくい織機を買ってしまうと一生の後悔となる。シャトルが壊れるような調子の悪い織機を修理というのは、次にまた動かすと新しいシャトルが壊れたりする。直し始めて最初のころや、初めての修理の時にはよくそういうことが起る。

今、ステッキの根元のコイルも予備をつくっておかないといけないなあと思っている。シャトル織機というのは織機だけではやっていけないというのがシャトル織機で、保守部品を後ろにいくつも自分で用意しておかないと、本生産を受けているときに問題が起こって部品がないと仕事に大きく影響する。同じ織機を何台もうごかしていれば、外してとりあえずは取り換えることはできる。。
2025年01月20日
織っているものが経糸切れがひどすぎて、織っても織ってもキズになって試行錯誤しているが、今日、おもりを3個手に入れたので、おもりを増やす作業。3個手に入れたおもりが、思っていたのよりも小さくて、いつも使っている錘は30kgあるものなのか、まあ、3個手に入れたので、3個余分にかければ、30kgの錘2個に相当するので、同じくらいの負荷は掛かるだろうし、小さい方が調節もしやすいが、小さいと跳ねやすいので、駄目なら30kgのをまた探そうと思う。

昔は錘も1個送料別で3000円から6000円くらいが相場だったが、30kgの錘となると送料込みで20000円くらいになってしまっている。一つの織機に6個も30kg級のが必要とかで、180kgもの負荷を掛けて消極送りにしないといけないというのは初めての経験で、今までは120kgくらいが最高だったと思う。30kg級のおもりをいくつか思い切って昔に安く手に入れて置けて良かった。錘もぶら下げれ安定するためには形がすごく大事で、短冊状にならないようなまっすぐ下に落ちるような形が大事。片手で持ち上げようとしてもなかなか上がりにくいくらいのイメージ。

昼過ぎに3個届いて、1個プーリーを増やして、そこ増やしたプーリーに20kgのおもり3個を掛けるのだが、ステンレスのS字フックが足りないので、S字フックをステンレスのロッドを万力でまげて作る。経糸が強く張られ過ぎているように思ってはいたので、増やすことは考えていなかったが織前の布が緩むようなタイミングがあって、それを見るとおもりが足りないのではないかと思っていたが、とにかくやってみる必要があるので、とりあえず3時間くらい様子をみているが、今までよりは一番安定して経糸切れも少なくなったような気がする。夜に10mくらい織ってみようと思う。とりあえず、一休みしてから。

錘も全部で20個くらいはもっているけども、13kgから15kgのものは役に立たないことが多い。この前も機料やさんが3.5kgくらいのおもりを持ってきてくださったけどもそういうのは、レバーが長く伸びててこの原理で3.5kgでも10倍くらいの力が掛かるようなタイプで、そういう錘は会社のなかに何個もあって、その倍の7kgのもあるけども、寄せ集めても、一つが30kgのタイプにはまったく敵わない。持ち上げるのが難しいような主背が必要で、S字フックに掛けた時に左右に広がらずなるべく床の数センチ上までまっすぐに落ちるような形。長さというのも安定させるためには大事で、なるべく重心は下の方が錘としては安定もするので、重い30kg、20kgのおもりを一つの織物に全部使ってしまうような1台限りしか動かせない状態で、他の幅の狭い織物も動かそうとすると30kgクラスのおもりが4個は必要となって来る。高密度もおもりが30kgが数個必要で、しっかりと詰まった片手でギリギリ持てるくらいの30kgの錘がいっぱい必要だったりする。
2025年01月10日
仕事で道具が大事な時もあるけども、道具も手軽にどう用意できるかということも大事で、パソコンなんかも、10年以上前に発売されたノートパソコンのシリーズを壊れては中古で手に入れて使い続けている。前の5月に思い切ってスマートフォンは新しい5Gのタイプにすることにしたけども、失わないように600gもある普通の3倍の大きさのスマートフォンで、失いにくいのがよいのと、バッテリーが普通のスマートフォンの5倍くらい長持ちすることで、ノートパソコンでデザリングしても数日使えたりする。

今の新しく買えば業務用のノートパソコンとして30万くらいはするものとスピードやできることというのはほとんど変わらないように、SSD化してメモリも増設してはある。どんな高いノートパソコンを買っても、不具合みたいなことはあるので、その時に自分で高価な30万するものを分解できるかというとリスクは高いが、中古で1万円で手に入るものなら、自分で改造して自由に修理も可能で、データなども修理に出して消えてしまうこともない。コパイロットも、ウェブ版がすごく便利なのでコパイロットPCは必要ないという結論に達した。どう考えてもノートパソコンだと学習能力に差がありすぎて、外の世界の情報を瞬時にウェブから取り込んで学習して答えを答えるというのは難しいだろう。

AIの自動画像生成や動画生成などに興味があるけども、それも、最新の機材を手に入れてというよりも、3年くらい前に10年前のワークステーションを買ったので、それを活用することにしたい。10年前のデスクトップパソコンでも、当時のワークステーションの最高峰レベルだから信頼性も高いし36コア72スレッドなので、今の最新の高性能なCPUとそれほど変わらない処理スピードを持っている。単なるスペックの凄さだけでなく、信頼性というのはすごく大事で、普通の個人用のパソコンというのは1年電源入れなかったら立ち上がらないことが多いけど、さすがに、信頼性の高いパーツを組み合わせてあるので20年とかは使えると思う。使いたいソフトを走らせるためには、グラフィックボードも16G以上のものが必要ということらしいので、それはまた買わないといけないかもしれないが、それも3090あたりが中古で手に入ればよいのかなあと思う。

思うのが、田舎でくらしていて、また繊維業界にいて、今の時代の最先端みたいなものとの接点みたいなものは持ってることは大事だろうと思う。昔子供のころにパソコンでBASICという小学生にでもわかるプログラミング言語があったけども、今は、初心者向けのプログラミング言語がpythonみたいになっていて、基本はBasicににていて簡単だけどもライブラリーみたいなものが多種多様にウェブで公開されているので、それをインストールして、自分のやりたいことをどうプログラミングするか、活用例やプログラミング例を見ながら、実践しながらそれぞれの機能を覚えていく形。小学生や中学生には、コマンドプロンプトとか関数の定義とかモジュールの概念は難しいと思うので、昔の子供以上に今の子供たちというのはプログラミングを勉強するのも大変だと思える。コンピュータは進化しても道具的なままで、人がどうやってそれを活用するかで、活用する人の能力がよりも求められるだろうと思う。今の時代の小学生や中学生は大人がまったく理解できないようなこともこなして行かないといけない恐るべし存在。

今のような、世界共通で無料でいろんなことが誰でもできるようなコンピュータの世界というのは、恵まれない国の人々にもチャンスを与えるだろうし、逆に先進国が働き過ぎは駄目だとかいっていると、海外の人々にどんどんと追い越されてゆくだろうと思う。日本の大手企業が結論として海外企業に買ってもらって倒産を避けるというのも、もう日本の優位性というものはなくなって、30年前でいうイギリスのような国に落ち着き始めているのだろう。

高校で配る性能も高くないタブレットが20万とか笑えるほど、2万円のタブレットでも同じようなことはできるじゃないかと思うし、原価も2万くらいのものなのだろうが、アベノマスクみたいな感じなのだろうか。そういう狭い世界に閉じ込められて子供たちの家庭を苦しめてどうするんだろう。環境をつくること自体が日本の昔の行政的なやり方で遅れすぎている。2万の市販のタブレットでも十分だろうと思うし、それが実践的なパソコン学習。市販だと2万で手に入るものを20万払わせて逆にチャンスを奪ってしまってるあたりが流石、日本の政治家やお役所。
2025年01月10日
オーガニック偽装も品質偽装も産地偽装もそうだけども、それが謳いなのにそれが偽装というのも、日本では現実を超えた厳しい基準のものが流れて売れていて人気でシェアをしめるけども、実際にはそういう謳いが偽装であることが何十年でNO1シェアとかで、偽装の元になっている、厳しい基準こそが偽装しないとクリアできない根源になってしまっていて、日本の大手自動車メーカーもどこも偽装ばかりだし、日本の大手鉄鋼メーカーにしても偽装が何十年で日本でNO1で実はJIS基準はクリアしてるから大丈夫だという。JIS基準のネジやボルト的な鋼材なんてほんと、数回使うと笑って遊びがでるようなもので電動の工具で強く閉めることもできない。

日本は基準が厳しすぎて偽装が横行する、偽装してありえない基準や認証を得ているみたいにみせないと生き残っていけないみたいな、偽装がより高い基準を生んで、より高い基準を求め、偽装が加速するというような、ほんと消費者騙し的な一番駄目なことは行政も主導しているようなところがある。素人な人たちが偽装をしたものがクリアしているからこれが当り前みたいに、それを基準にするとまともに正直にやっているものが、基準もクリアできない駄目なレベルで粗悪品業者になる。でも、産地偽装して安く売る業者や、ブラックボックスな大手のビッグモーター的な消費者に安心を謳って犠牲にするビジネスモデルばかりでは駄目だろうと思う。

基準をクリアしながらも修理ばっかりで消費者は買い替えや費用負担ばかりをメーカーに、買い替えたほうが安いですよみたいな話ばかりの長持ちもしないものが、厳しい基準では溢れまくる。厳しい基準を信じたのに消耗品的に買い替えを促されるような維持ね酢モデルそのものが、実態という情けなさで、まともなものはホワイトな働かない世界では当たり前に難しいという実情もある。ホワイト社会を目指すと自分が働かず、一番ブラックな体質になりがちなのが今の世界的な、ジェノサイドを引き起こさせるような先進国の働かないことをホワイトとして貧しい国の責任に投げやって、何千億もの利益をすごいことみていにホワイトみたいに、世界的には人々を犠牲にして、何千億の利益がなりたつ先進国型のホワイト、それが、世界で働いている人々のブラックな環境との表裏というだけ、これは本当な話で、分かち合う気持ちもない人がホワイト気取りでやるから、何千億もの利益が生まれ、繊維業界でも、たとえばアベノマスクが典型だったこと。

アベノマスクにしても、外国の人た作ったものだけども、残ったとしてもゴミじゃないのにそれがゴミみたいに、ほんとそういうのが、日本のアンエシカルな感覚そのもので、自分さえよければ他を利用して儲けたりできればよいだけのビジネスモデル。アベノマスク配りながら布マスクを否定したりとかほんと、それは人の命を救うことすらも考えていない人が金儲けのために、N95でないとむりだとか、N95マスクは逆に1枚5円で作れ1時間も付けたら呼吸もできないといわれ健康を害するといわれるもの。布マスクの方が昔から人々の命を守ってきたが、医療関係者がそれを否定してどうするの、医療関係者もコロナを抑えるよりも、マスク不要や害悪論を垂れ流して蔓延させるようなことやって、蔓延させてしまったらどうしようもなく、人の命がカネもうけの材料になっては駄目だけども、そういうのも日本の現実だと思う。

人の命を救おうという人ほど金儲け主義に走りすぎて、当たり前のことをご用学者を利用して駄目だと否定する。ほんと人間の命って考えてない人たちが、人々を救うとか言って、金儲けばかりなのが今の先進国日本の実情で、コロナなんて結核と同じで、空気感染もするし、ますくとか、隔離で防ぐしかない当たり前のことなのに、なぜか、医療関係者がそういう当たり前のことも否定して、金儲け的な合成繊維のものだけが人々の命を救うみたいな話。実際には合成繊維のマスクというのも息が据えればコロナは布マスクよりも防げていない可能性も高い。

布マスクは布表面に水分があってコロナウイルスが呼吸もできながらとどまる可能性もある。いくら合成繊維と言えどもコロナにしても人間の自然免疫との兼ね合いて程度問題。布マスクだと救えるけどもフェイスシールドでは救えないことのほうが多いのに、マスクは有害でフェイスシールドは有効みたいな政府見解とか、コロナを逆に広めてしまったどうしようもない話。普通考えたら分かるだろうに、変な糸を持ってフェイスシールドビジネスで一儲けしたいと思うとそういうのやってしまう。
2025年01月09日
田舎にいると外の世界との接点があったとしても特定の人だけでしかなく、やはり不特定多数の人と出会うことも大事で、実際の仕事の中身などは自分自身での情報発信ということが非常に大事だなあと思う。今は工場見学なども行っていないし、展示会なども出ることも少なくなったけども、いろんな方と出会うことで、繊維全般に関しての知識も高まるし、それがあって世間話というのではなく、技術的な話など本当に疑問に思っていたことなどを麻業界とは誓う方から他の繊維について教えてもらうのが役立つことも多い。

そして、自分自身もたとえばプリントをやったり、自分で生地染をしてみたりとか、それの自分の経験も応用して、本職の方に染めてもらうとかすると、本職の方がやるありがたさみたいなものも分かるし、本職の方の説明を聞いても自分の経験と川根合わせることができる。自分で布を縫ったりすることもあるので、ミシンとかに関しても扱えることがものづくりには役立って、なんでも一番器用にできるみたいなのを無理でも目指そうととことんやってみるのは良いことで、最初から自分には無理と諦めるよりも。やるだけやってみて諦めるほうが良いだろう。

一つのものを作るときの試作などでも、自分で縫ってみて強度などを試すことも可能だし、よりよいイメージのものに作り上げることも可能だし、量産する時のたたき台を自分自身が、それなりに形にまでできるというのはすごく良いことで、どうやれば無理そうに思えることでも可能になるかとかも考えることができる。

いろいろと広い分野の知識というのは問題解決にも役立つことが多くて、何か商品の企画をしようとするときに、本当にいろんな角度から商品というものを想定しておかないと、一つの弱点みたいなところが、商品そのものを駄目にしてしまうことがよくありがちなこと。ブランドとかを立ち上げたい人にもいうのが、アイデアだけあっても、つくったら怖いことになるから、自分自身で試作までする力があって試して大丈夫なら、企画一つもなんとか成り立つかもしれない。それでも知識もなくものをつくると大きな問題につながることは多いから、布というのは後から解決するというのは本当に難しいことで、それなりに問題点も理解しながら、触って観た感じだけが良い悪いの話じゃないという大事な部分。慎重にやってても見落としがあるかもしれないのに、簡単に思って大丈夫だとやってしまうと大きな問題につながる。

あるアイテムを企画された会社も、生地自体は問題がなかったのだけども他の生地と合わせて使ったりすることで大きな問題になってしまわれて、それぞれの素材の問題点などもよく知っていないと、後から解決しようとしても大きな問題になりすぎる。新しい所品を気軽に企画みたいなのは、問題を拾いやすく、新しい素材を求めるばかりの業社さんも織られたりするけども、一つ一つの素材を製品に仕上げるときに見えてくる問題が当たり前にあったりする。

麻で怖いのはもっと薄く柔らかくとかで、縫い目滑脱とかスリップの問題といわれるもの、収縮率の問題。堅牢度の問題にしても濃色を本当に濃色にすればするほど問題は大きくなる。林与の場合、濃色は濃色にしていることも多く、林与の麻生地が他の会社の麻生地よりもぼやっとしていない、スカッとしていると言われるのもその辺り。微妙なことだけど、そういうのが野暮さにつながってしまうので、安全を求めれば、本当の濃色は避けたほうが良かったりする。タオルカラーとか言われるものがあって、淡い黄色やブルーやピンク、若い系の感じの色だとそういう問題は起こりにくい。色の濃淡の差によって、糸の収縮率の差が生まれ、バブリングする減少なども最近はよく見受けられる。

麻のチェック柄らしい先染めがだんだんと難しくなってしまってきているのもその辺りの問題もあるし、怖いのは織っているときにシャトル織機とかだと、色によってすでに、幅が狭くなったり広くなったりするから。幅がせまく織れたり広く織れたりしててしまう。生地企画というのはたとえば、インチ縦横何本と決めても、それ通りに居りあがるかというと、経糸のテンションが強ければ引っ張れて織れるので、幅が狭く織れ、横糸密度は高く織れる、経糸のテンションが低ければ横糸密度は同じギアでも低く織れる。

普通現場の織っている人がこういうことを考えることは少なくて、織れるか織れないかだけだけども、問題が糸にあったりすることもあって、特に支給の糸の時には、別の対策を講じるということも難しく、苦労することが多い。支給の糸というのは織れればよいけども、色によって糊付けなども差が出て来て濃色は糸も弱いし織れないことが多かったりする。織機の綜絖に糸を通そうとすると隣の糸がぽろぽろときれるとか手で触るだけで伸度がなく切れてしまうケースも多い。
2025年01月09日
昔先代なんかは、会社の車を5台買うにしても、それぞれ別の自動車屋さんに頼んで、付き合いを広めるようなところがあって、今の林与というのはそういうのを整理していかないといけない側で、先代は良いひとみたいに言われるけども、当たり前に思っておられる関係を断って一つにまとめていかないと自動車数台にしても、車検も順番に回って来るし保険もいろいろと回って来る。

広めるのは簡単でも、そういうのを整理してゆくのは本当に難しく、広めた先代が自分で片付けてゆけるかというとやはりそういうのは難しく、亡くなってからしか、いろいろな関係にしても迷惑が掛からないためにも手狭にしていかないといけない。そうでないと、自分自身が動く時間もいろんな関係の人とあって、書類を確認したり判をおしたりだけで取られてしまう。先代のころはそういう業者さんと話をしているのも仕事の付き合いの内だったけども、今、実際に働いて仕事をしないといけない状態では世間話をしているような状況でもない。

やっかいなのは飛び込みの誰かも分からない人が営業で人がきても、使えている電話機の買い替えに150万の話とかもう、そんな16台も電話必要ないだろうし、先代が、毎朝、証券会社の人や、ゴルフ会員権のセールスの人や、土地の人とだらだら話ばかりで、仕事をしている人間からすればそういう電話に作業を中断して出ても、忙しいから掛けてこなくてよいというのも面倒なこと。

時代が変われば変わらないといけないのだけども、そういうの全く無理で、林与が若いころからコンピュータとかに将来性を感じているのに、女々しいとかオタクだとかいってて馬鹿にしてて、今の時代の仕事の連絡すらも難しいし、文章や会計書類なども結局、私のほうが打つだけでなく検算までしないといけない。商売も問屋さんに任せていたから、問屋以外には売ルナみたいなことをいっていたけども、亡くなるまではそれを守っては上げたが、そういう自分自身でいろんなこと動かないと人に任せてばかりいては自分の判断で仕事も難しい。
2025年01月07日
ようやく、3月ころからは新しい原料での糸の紡績が始まることになるのだけども、高値のピークは越えた感じで、1から2割割くらいは糸値も下がり始めるだろうと糸関係の方たちはおっしゃっておられる。糸が高いだけでなく、高値ゆえに輸入自体が止まってしまって、今までやってきた双糸ものや、太番手のものなどが、生産できなくなったりと、コロナ空けてからのリネンの高騰は値段が高いというだけでなく、糸の欠品も多くなった。また、いろんな糸が手に入るようになれば良いなあと思う。

それでも、糸値にしても、まだ昔の値段の2倍を超えてはいる状態が続くのだろう。糸値が高いことは、難度の高いものを織るときにはロス率も高いので、その分がすごくもったいない話で、織ることもより慎重にならざる負えず、去年最後に使ったリネン25番手はいい感じの糸だったので、高いは高いなりに原料も良い原料を使わざる負えなくなったからなのかなあと思える。高いと言われているリネンが、3倍とかになってしまって多くのブランドさんは使うことができない生地値になってしまう。

この1年はアパレル受注をほぼ見送って、もし、9月とかに受注していたとしたら、展示会とかで説明する値段からさらに生地値を上げないといけなく、そういうのって、アパレルさんにしても企画自体が成り立たなくなる要因にもなりかねない。このリネンの高騰というのは、林与自身としては、初めて位の経験で、リネンに対する世界需要も根強いものがあるし、でも、小麦の生産のためにフラックス畑が小麦畑に変わってしまったなど、戦争の影響が大きい。まあ、戦争のことを考えると、リネンの高騰くらいはがまんしないといけないが、トランプが就任する1月20日に戦争や戦闘も終わると良いなあと思う。

一方で、アメリカ経済もハイパーインフレ状態でもうそろそろ限界に来ている感があるが、トランプでまたアメリカイズNO1で、アメリカだけは儲けるだろう。中国経済がかなり減速しているそうで、日本のバブル崩壊と同じような流れになるのだろうか。繊維業界でそれほど明るい話はないけども、世界は今、生成AIブームで、このままAIが進化すると、プログラマーも必要なくなるかのせいも高いし、アニメーターなどの職業も自分で絵を描くことは少なくなるだろう。繊維の世界でもAIがどう影響してくるのかと考えると、まったくわからん。テキスタイルの柄を取り込めば、AIで着せ替えみたいなことができるようになるのだろう。もうひとつ量子コンピュータの件もきになるところで、プロセッサー型のGPUには限界があるので、量子コンピュータがAIの能力も数100倍とかになるだろう。

人間は考えることなく、覚えることなく、AIに答えを聞くのが仕事になってくる時代がくる。実際に仕事でもプログラミングに関してはAIに聞けばプログラムコードを教えてくれ、そのコードをコピペすれば問題なく走る。簡単なプログラムならそこまでは来ていて、30年前にこうういうのあったら、もっとプログラミングも上達できたのにと思う。しかし、AIには問題があって、それは電気の使用量が膨大なことで、電力需要は高まることになる。なんかすごくもったいない話ではある。絵を生成するのに電気を使うくらいならお湯や料理に電力を使ったほうが良いだろう。いま、パソコンにおいても、GPUは電気を使いまくりで、電気ヒーター並みに高性能なGPUだと500Wとか使うこともある。ノートパソコンが30W程度でモニターも含めて動くのに、それは本当いもったいない話。太陽光発電した電力を使う形が良いんだろう、電気自動車にしても。

今はクラウド型のAIが主流で、インターネットを通じてサーバーのすごい処理能力を活用して答えを求められる。そういうのが案外気軽に活用できたりするので良い時代ではある。

2025年01月05日
コロナ前は東京も年に何度かは訪れていたけども、今は年に1度くらいしか行けなくなってしまった。展示会東京の展示会も今は年に一度だけヘルプの人に手伝ってもらってなんとか行けるかどうかで、展示会も一人で2ケース、スーツケースを両手で引っ張って持ち込んだりしていたことが多かったけども、今はその馬力がなくなってしまった。

車で展示会に荷物を持ち込む方が楽なのだけども、車を止める所を探したり、また、会場まで荷物を持ち込むためには車の担当と、会場の担当の二人がどうしても必要になり、一人ではなかなか難しいなあという感じ、東京だと会場に安い駐車場があればよいけども、なければ、ホテル代よりも駐車料金のほうが高いことが多く、空いていない可能性もあったりで、一人で対応というのはいろんな方に迷惑をかける可能性もあり、また、会場の撤収と同時に車に積み込む手配も必要だったりで、一人で会場を片付けるのもそれなりに時間が掛かるし、積み込むとなるとさらに台車の手配など含め不透明なことが多い。

海外の展示会も2つスーツケースを持ちながら背中にリュックを背負って行ってたりしたけども、そういうのはコロナ前だからできたのだろう、今は空港でのチェックなども厳しくなって、また、中国やイタリアとかでも地下鉄に乗るときやお店に入るときに手荷物検査があったり手荷物をもってお店に入れないことも多いので、トイレなど行くときにも3つの手荷物を引いては気軽に行くことも難しい。

10年くらい前だからできたのだろうと思うし、まだ40代のころにそういうのをやっておけていろんなことを経験もできて、いろんな方と出会えて、日本の繊維全般的なこともやっておられる当人の方々から直接いろいろと聞かせて頂くこともできて知識も増えた。林与は海外にいっても、高級ホテルにはとまらないいことが多いので、ローカルな雰囲気の庶民的なホテルを探すことが多く、展示会場から1時間かかることもあったりするけども、そういうのも特別な経験で、その道中でいろんなハプニングなどもあったりして、また、ローカルなおいしい食べ物に出会うこともできたりと、そういうのが楽しみだった。

中国でももう今は珍しくなった注文すると店の入り口で麺を小麦粉からこねて手で伸ばして細い麺の束にしてそれがラーメンになるみたいなのも、たまたまだけども、ホテルの前にあったラーメン屋で、ラーメン大で6元(100円)くらいのラーメンを注文したときにみることができた、15年くらい前のことだろうと思うが、それ以降、そういう光景には出会うこともなく、同じお店に行ったらラーメン屋だったけど、違うラーメン屋に変わってしまっていた。

人間がラーメンの麺をその場で、手で打って伸ばしてそれを使って1杯のラーメンを食べることができるみたいなことが、普通のお店で行われているというのが奇跡的なことで、すごすぎるなあと思った。ラーメン1杯が出てくるのに10分くらいは掛かったと思うけど、なんか、ありがたかったなあ。そういうのに、日本ではありえない中国の力を感じた。商業化して贅沢になった日本とか中国の都市にしても、結局はそれが続かなくなったときには衰退するしかなく、豊かになると何十年で失ってしまう、それまで何世代、何十世代にも人が持って高めてきた能力みたいなものが失われてしまうのは残念に思える部分はある。

しかたないのだろうしそういうのを大事だと求めても、安くて気軽な、すぐに出てくるラーメンのほうが、それに見慣れた人からすれば、ありがたいということにもなるだろう。昔の光景というだけでそれほど評価が高くはないのである。神戸元町でも、牛刀麺はたべたことがあって、それは手で打って、包丁で麺に切るタイプで、今も店頭でやっているだろうとは思う。