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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年6月
リネン日記:26
2012年06月30日
クロネコメール便の規定が変わりまして、今までメール便でB4サイズまでお送りできたのですが、7月1日からA4サイズまでしかお送りできないことになりました。商品を大洲利するのにA4サイズというのはあまりに小さすぎお送りすることが難しいので、7月1日発送分からは宅配便に統一をいたします。(メール便限定の商品を設けることはあるかと思いますので、それに関しましては別途記載をさせていただきます。)

クロネコメール便のB4サイズが取りやめになった背景というのは、B4サイズのポスト投函が難しくということがあるようです。折れ曲がったりしないようにいけないということで、再配送するなど負担が大きいということで大変だろうなあと思うことも多いのです。

物事がスムーズに行くと予定通りでよいですが、想定外のことが起こるとその対応というのはコスト的には未知数で、たぶん、歩合制で配達されている委託の方のお手間が相当、増えてしまっているのだろうなあと思うところです。

私の地域でもメール便を配達されているのは75歳を超えられた知り合いの方で、黙々と毎日自転車で動かれています。昔だとお年寄りが手間仕事や農業をされていたのが当たり前でしたが、今の時代ではそういう年配の方は非常に珍しく輝いて見えます。

その方の家が昔、お昼時に、火事に見舞われたことがあったのですが、自分が家をなくされたことに放心するよりも、火事が収まったあとに周囲の皆様にご迷惑を掛けたことを鎮火に協力くださった皆さんに、土下座してお詫びされていたことが美談のひとつとして語り継がれています。

また、配達されているときも、村の区長もされていた方なので知り合いの方は多いですが、影のように存在を消して黙々と業務をこなしておられるところが立派で、一番下の振り出しにもどっても強い方というのは強いものです。上りつめた人というのは、原点に戻ることが難しいものですが、常に原点をしっかりとわきまえて動かれているところに人格を感じます。
2012年06月29日
今日は遠方より寝装関連のお客様がお越しくださいました。今は全般的に不況といわれていますが、ベッドというのは売り上げが伸びているそうで、短い時間でより深い眠りにつきたいというニーズがあるとのことです。

お客様が何気においてあったビンテージアイリッシュリネンハンカチ素材に興味を示してくださっておられ、寝装に使える使えないは別にしまして、共通の目をもっていてくださるところがうれしいです。布ではありますが、皆さんがあこがれてくださるようなものを生み出せるような環境があることはうれしいことです。

他に、今日は、海外ブランド提案用のプリントベースにする国産の綿の生地などが届きました。エレガントな風格を感じるものですので一級なところにまで到達できる気がします。

リネンの超細番手に関しましても、ようやく紡績が完了して届くのを待つ状態で、半年以上待って糸が手に入ったというのも感無量です。林与が無理を言って今回糸を作ってもらいました。林与では、今年は、超細番手でアパレル向けの生地開発を考えています。もし、この細番手が順調に行けるなら、さらに先の世界というのを目指したいと考えています。

織りの技術といっても人がすべて、時代おくれのものづくりこそが、世界のトップに立ちうるパラドックス。結局はものづくりは人、完璧を積み重ねることで、他ではできないものが生まれてくるのです。同じ糸で同じ機械があっても同じようにものが作れないのが人という要素の面白さ。細い糸が織れるのは、最新の機械技術手カバーするのではなく、昔ながらの人の感覚を研ぎ澄ませて作り上げていきます。

完璧に近い状態で工程を進めれば、超細番手を織ることすらも、余力を2割残した状態で進められるのではないかと思っています。量産を想定すると2割程度の余裕残しの状態でないと難しいものです。普通は麻業界でも無理とされることをプロジェクトとして進めて形にしていく、昔のものづくりにはこういうのを当たり前にみんながリスクを分担しながらできていた時代があったといえます。

なんとか作ったとしてもそれを使いこなせるブランドさんにめぐり合えなければ、そう簡単に流れるものではありませんが、しかしながら、そういうエレガンスが日本という国から発信されることは、日本という国の価値観の違いを世界の皆さんに感じてもらえるきっかけになるものと思います。
2012年06月28日
今日は出機さんが糸を取りにこられました。林与オリジナルのHDタイプの素材をお寺の本台につかうとか、HDタイプの素材というのは林与がオリジナルに開発したシリーズで、長年リネンのものを見慣れている方々にとっても特別に見える少し不思議な素材で麻織にこだわる林与の織の技術が生きています。

1時間に1mほどしか織れないようなスピードでの織物が今の時代に生き残れるかはまた別問題ですが、時代を超えるような価値観を持たせたいので、ゆっくりと贅沢に織ってあげることが、自己満足かもしれませんが作り手としては愛着が沸くところです。
2012年06月27日
郵便局にエックスパックを出しにいくときに、ハテ? なにか違和感です。大きなスペースが出来上がっていて、そこに数日前まで何があったのか?全国チェーン展開していた大手のリサイクルショップがあった場所です。

日本がものを大事にしなくなった背景には日本のリサイクル制度が大きく影響しているかと思います。資源の無駄を助長する買い替え制度的なリサイクル制度に何の意味があるのかと思いますが、本質というものは見えにくいものです。

昨日、7年使ったノートパソコンの機種を買い換えました。その前に使っていたのはDELLのINSPIRON6000で使えなくなるまで使って同じ機種にハードディスクを載せ変えて使っていました。今回のレッツノートも同じように末永く使うつもりです。私が買い換えた理由がようやく満足できるような機種が出たかというような感じで、10時間以上バッテリー駆動して、液晶も画素数が多く、重さも1.3kgちょっとで、海外に持っていくのも便利そうです。

今までも出荷のときなど処理速度の遅さとバッテリー切れで泣かされることも多かったですが、使ってみると7年の壁というのは大きく、ほとんど快適に動きます。実際に、日本語変換ですらもが昔のパソコンだとついてこれていなかったので、考えるスピードで思い通りに文章をタイプできるのが心地よいです。一番心配だったのはWINDOWS7の64ビット環境に今の環境がうまく移行できるかどうかでしたが、問題なくすべてが動いています。

本来ならこういうノートパソコンが100万台規模の大ヒットするはずなのでしょうが、無料で携帯電話にネットブックと呼ばれるパソコンがついてくる時代ですので、今の時代、良いものを作っても数も流れにくいので良いものをつくるのはメーカーも意地みたいなところがあるかと思います。流れてもひとつのモデルが数万台とかの規模ではないでしょうか。

パナソニックが独自に技術を保っていられるのも、外で生産するために技術を探しに歩かなかったからではないかと思います。光って見える部分ですが、同じことをシャープもしていて最終的に亀山モデルを中国に渡したことからも、このモデルというのは理想系で脚光は浴びながらもビジネスとしてはコスト面では茨の道ではあると思います。

40過ぎたおっさんが、パソコンひとつで薀蓄をたれて馬鹿ですね。でも、欲しいものがあって、我慢して手に入れるって大事だとおもうんです。子供のころは、何十万円もするのが当たり前で、欲しくても手に入らなかった思い、なんか我慢して手に入れることも大事なことだろうなあと、手に入りにくい糸を手に入れようとするのと共通して思います。
2012年06月26日
昨日、全国展開のリサイクルショップが跡形もなく消えてしまったことを書きました。土地というのはそこで活動する人々のバイタリティではないかと思うことがあります。人がいなくなれば土地なんて価値がないのです。よく使う駅は能登川という駅なのですが、昔ながらの商店街に向いて駅の出口がありましたが、反対側にも出口を作ってショッピングセンターがいくつか出来上がったら、かつての商店街にあったコンビニすらもが撤退し人の流れは消えました。

コンビニというのはさすがだなあと思います。損益分岐点というのがはっきりしていて、人情的なものが介在する余地はありません。コンビニというのは場所がすべてなビジネスの典型的な例で、中においてある商品は売れ筋のものばかり、それで売れないなら場所が悪いということでよりよい場所を開拓します。

フランチャイズ型のコンビニビジネスというのは将棋と非常に似ているなあと思います。捨て駒の歩となれるオーナーをどうやってみつけるか、歩が金になったとしても、と金はと金、繁盛すれば繁盛したで、そのお店の手前に新たな店舗が生まれます。

私が就職活動をするときに、大手商社の人事部長が大学に説明にこられて、これからは土地というのが価値がなくなりインターネットの時代で土地が不要になるといわれていました、20年前に将来を見据えた判断をもって見切りをつけられているあたりがさすがで、でも、土地も人も消耗品と同じである怖さがあるかと思います。

人がいなくなれば土地なんて価値がないと書きましたが、その土地を大事に思う人がいればそこに土地の価値が生まれるので、これは大きな意味では、日本という国の規模にも共通するような概念だといえます。
2012年06月25日
今日は工場の中で、シャトル織機のヒガエのカードを組みました。蝶番のようなイメージの穴の開いた鉄板を組み合わせて長いカードを作るのですが、これが、柄が大きいと長すぎて上手に回らないので、正転ばかりでなく、逆転させることで、長い柄を短いカードで作り出すようなこともできます。

これって、コンピュータプログラミングとすごく似ていて、頭の中で、カードの動きをシミュレーションして結果ヒガエが正しく出るようにしないとなりません。最近はシャトル織機に難しい動きをさせることは少なかったので、逆転がうまくいくかどうか心配だったのですが、組み上げたテスト用のカードを織機にセットすると想定どおりに動いてくれて、簡単な柄が出来上がりました。後は、長さを調節するだけでOKです。

織機というのは理論的にはうまく動くはずなのですが、織機自体の調整がうまくできていないと、いくら正しくカードを作っても織物はうまく出来上がってきません。織物を織るという仕事は織る仕事よりも織機を調整するという作業のほうが時間が掛かることが多いものです。特に特殊なものを作ろうとすると織る時間よりもそれを準備する時間のほうが何倍も掛かったりすることがあります。

結局、特殊な織物を作ろうとすると織機を調節する能力がなければどうしようもない。万能織機と呼ばれるシャトル織機ですら、調節ができなければ万能でもなんでもなく、普通のものしか織れないのです。

ヒガエの鉄板を組む作業もすごく時間が掛かって何時間もの時間を要しますが、分かる人にはそのあたりの手間も通じるのではないかとレピアだと生産性がたぶん2倍以上あるかと思いますが、普段からそのくらいの大変さが当たり前でないと、楽なものづくりに流れ、本当に違うものの世界を考える実現することも面倒に思えるでしょう。

私自身が思うのは、林与にあるシャトル織機にしても非常に希少な4色のヒガエのできる織機で洋服の幅まで織れる。他から見れば宝物であること自体が幸運、それが使いこなせないようでは駄目だろうなあと思います。普通の人だとできるのはわかってもその煩雑さにあきらめる世界です。似たようなものを作るのにもっと簡単な方法がある、安くできる方法がある、わざわざ、難しい方法を選んで高くなってしまう。業者の方だと嫌うケースが多いですが、最終的な消費者の方だとそれを好んで下さるケースが多いのが、私自身が布を販売させていただいていて感じるところ。
2012年06月24日
20日にFEDEXで輸出した荷物が、途中、台風の影響もあってか、飛行機の機体検査でその日の便に乗らず、急いだことが結果として無駄となりましたが、ベストはベスト、結果よりも途中の過程が大事だと思うことが多いのです。

シッピングサンプルを送るのも納期があるので確実に明日には中国に届くDHL。封筒ひとつで9500円程度かかるので、これは、EMSの10倍の世界ですが、相手もその覚悟を持て生地の試験をされる相手なら、1日の到着を待てるか待てないかでもったいない話ではありますが、それはそれでいいんじゃあないかと。

今回の仕事も余裕を持ってやったはずが、作業の失敗で、その失敗をなんとかカバーしようとぎりぎりまで数日努力したのですがどうしても織れないという判断に至り、最初からのすべてやり直し徹夜でのフォローでカバーをしました。予定が狂ったことで加工工場にも迷惑を掛けながら急いで仕上げてもらう形になってしまいました。

よく、繊維の現場の仕事は好きでないとやっていけないといわれます。昔から人間の忍耐の限界への挑戦が布の表面に表れてくるばかり位であっても副業の領域であった仕事です。本業としてやるからには、仕事が普通にできると思われている人とですら相当の差がないと、その普通に仕事をできると思われている人を支えていくことすらできません。

この厳しさこそが専門家のよく理想とされるニッチェのものづくりです。専門家の方が学生であるかのように軽くニッチェのものづくりを生き残りの手段として推奨されますが、そのものづくりの厳しさというものは正面から向かい合うと普通の仕事のレベルだと成り立ちません。
2012年06月23日
帰国の便は真夜中の便で、早朝に関空につきました。2日間でしたが、本当に長く思える2日間でした。会社で仕事をしていると時間にいつも追われるので一日が短く感じます。ベトナムという国も熱い国ですので、麻のものは売れる気がしますが、麻のものを着ている人というのは皆無のような気がしました。

ベトナムにも富裕層はあるそうですがその割合というのは非常に小さいとのこと、海外のブランド品も出回っているそうですが、外国からコピー商品が入ってきてそれが販売されている可能性もあるので注意しているということでした。

ベトナムではアオザイを着ているひとを普通に見かけることはありませんので、かなり、西洋かは進んでいて、日本の1970年代から80年代を思わせるような状態ではないかと思います。それは決して遅れているという意味ではなく、逆に可能性を秘めた状態であるということです。
2012年06月22日
昨日はゆったりとホテルで休めてよかったです。時差は2時間、日本の8時はベトナムの6時です。朝から、FEDEXのトラッキングの調整を行って落ち着いてから朝食をとりました。今回は、ホテルのビュッフェで食べたので、日本のホテルのブッフェとさほど変わらないメニューです。

ホテルの部屋は9階で、しかも、一番よい方向を向いているエレベーターからもすぐのホテルの真ん中の部屋、個人のお客さんにも相当気を配ってくれており、部屋も広く、バスルームだけでも昨年パリでとまったホテルの部屋くらいの広々さです。

窓から眺める景色というのは、ベトナムの風情を感じます。お店などの建物はすごく古く見えるのですが、それほど古い建物ではないらしく、ほんとうかどうかわかりませんが、10年くらい前に立った建物だといいます。普通の町の建物は建てられる当初から古く見えるのかもしれません。サーカスの建物があるので、本当のサーカスをやっていると思うのですが、それは日本で言うところの昭和を思わせるレトロ感です。

街の通りの1階というのは小さなお店が並んでいて、そういうのも人々が生きる自分の力をまだ残している証拠のようにも思えます。豊かな生活を作り出す力と豊かになることはまったくの別問題で、豊かな生活を作り出す力がなければ、豊かさを求めることはたんなる贅沢かもしれないなあと思います。

ニッコーホテルにしても朝食付きで1万3千円、少しの贅沢かもしれませんが、これは、ベトナムの人の1ヶ月の給料に相当します。国際競争というのは、メンタリティの面で、本当に厳しいなあと感じるのです。
2012年06月21日
今日は、ベトナム行きの便に乗って、ベトナムの工場の見学です。午後についたのですが、曇り気味でもやはり蒸し暑いですね。今回は、林与らしからぬ、プチゴージャスなニッコーホテル。海外もぬるま湯なのは好きじゃないのですが、送迎を依頼するので名前のあるホテルのほうが相手さまに迷惑が掛からずよいだろうと。ニッコーホテルでも初日はLANがつながらないなど、連絡ごとに支障がでてしまいました。

昨日送った中国向けの荷物が航空機検査で一日発送が遅れていて問い合わせがあるなど、住所の一部記載漏れなども分かって、念のため会社から営業所にファックスを送ってもらうように指示をしたりです。

アマゾンにも出展をしているのですが、受注をいただいてIDとログインのパスワードを忘れてしまってて、海外出張で久しぶりにゆっくりと考える時間が持てるのでホテルで冷静に作業をしていると思い出せてというか何回かトライアルして、ようやくログインできました。

繊維工場などを見学して、夕食は縫製工場の社長と通訳の方を交え4人でご一緒しました。女性の社長で中国語が堪能で才覚があり繊維関連会社の社長にお若くしてなられています。中国もそうですが、社会主義の国というのは、世代交代や男女の平等など自由主義的に思える要素が進んでいるといえます。戦後の日本に似ているかもしれません。

夜はホテルの宿泊プログラムに無料の30分マッサージ(頭と肩か、足のマッサージを選択できる)がついていましたので、ホテル4階のマッサージルームで、頭と肩のマッサージを頼んだのですが靴を脱いでといわれ足をマッサージしようとしたので、再度、頭と肩をマッサージしてほしいと頼んだのですが、分かった分かったといわれて、足裏のマッサージを30分受けました。予想どおりです。
2012年06月20日
今日は、びわこ放送のスタッフが午後からお越しくださり、しが応援ファンドのPR番組のための撮影がありました。いつもながらですが、林与の事務所にしましても物で生地サンプルなどであふれてしまっています。

しが応援ファンドにおもうのは、やる気のあるものを応援するファンドだということで、林与の場合も、ビンテージアイリッシュリネンハンカチプロジェクトが、最初の昔の糸を織って織物にするというだけのことから素敵なハンカチに仕上げてまたたくさんの皆さんに実際に見ていただけているという10倍くらい大きなプロジェクトとなり、海外の皆様にも見ていただけるようなチャンスに恵まれました。

仕事人生の中で、非常に忙しかったですが充実した3年間になりました。何千社と参加する展示会でたぶん一番小さな会社で、スーツケースひとつで海外の展示会に参加する。参加した当初は、お客さんなんてあるのだろうかと思いながらも麻に興味のある熱意のあるブランドの担当者の方や、大手のブランドさんなども気がついて見に来てくださるというのは、ディスプレイなども手作りでハンドメイドなぎこちなさがありますが、ほかとは違う面白さがそこにはあるんじゃあないかと思います。

ハンカチやブラウスなどの試作品が残っただけならそれは一時の成果にすぎないと思います。売れるものでも売れる売れないの評価は時の運の要素が大きいものです。それ以上に、ファンドを通じて壁にぶつかってもその壁を越えていくとか、難しそうなことにチャレンジしていくなど積み重ねた経験のほうが何倍も重要だといえます。

今回取り組んだことは新商品の開発というよりも、今の日本の麻織物の基本的な技術基盤向上に非常に役立ったのではないかと思うところです。普段、目の前の仕事に追われていると、そういう研究的な部分で時間を割くことは難しいのですが、ファンドとして取り組まねばならない課題となったがゆえにその成果も上げることができました。

昼過ぎに中国向けの輸出の出荷確定の連絡があって、夕方にはフェデックスの営業所まで反物を持ち込みました。一日が目まぐるしく、これだけいろいろな取り組みをやっていても、実際の仕事は夜からの機械の調整からだったりして、織物というのは本当に織れて形にしてこそ価値があるものだと思います。
2012年06月19日
今日は輸出のためのパッキング作業、輸出のためにはインボイス、パッキングリストが必須。今回はフェデックスでの空輸になりそうな感じではありますが、パッキングなど重さなどが確定して輸送のキャリアなども先方が決める形です。

有名どころのドアトゥードアサービスで空輸するとどうしても、キロあたり、2000円から3000円くらいは必要になってきます。送料の面で、キロ1000円くらいで送れるEMSのサービスはコストお勧めではあるのですが、信頼性の面ではDHLやフェデックスなどの国際的な宅配業者のほうが、業務には詳しく、確実にものを届ける上ではベストなチョイスとなりがちです。受け取る側がEMSの対応うまくできればよいですが、EMSは、イタリアフランス向けならびに、中国向けで、煩雑な処理を受け取る側が要求されることが多く、届かないケースが見られます。

EMSの場合は、どうしても郵便局の流れがありますので、内部のヒューマンリソースの面で海外との交渉などは弱く、サンプルなどを送るのには最適ですが、関税などが絡んでくるとプロフェッショナルではありませんので、分からないという答えしか返ってきにくいですが、それはそれで仕方のないことで、仕事ではよくありがちなことです。

日本の場合、商社がものを動かすケースが多いのも、日本の郵政が海外に弱かったという部分と絡んでいると思います。海外から日本にものを輸入するときにはEMSが便利です。郵便局の方というのは、国内に入ると無理してでも届けてくださる感じがいたします。
2012年06月18日
加工工場さんから連絡があって、生成の仕上がりでアクが出ているとのこと、生成のものというのはナチュラルですので、本来、アクが出るくらいが本物だったりいたします。生機を水洗いされると、煮汁のような醤油っぽい黒い感じに水が染まるのが普通のことなのです。

アパレル向けなど、同じ生成りでも、糸の状態で精練をして、軽い晒しを掛けてあるとその度合いというものは非常に少ないです。資材向けなどの生成は、本当に土臭いくらいに、アクが出てしまいます。リネンもワラに過ぎないというのを感じる瞬間です。

アパレル向けの生成でアクが出ることは少ないのですが、毛焼きをするために、その毛羽の燃えた残りが、黒い粒子となって生地に付着してしまうというケースのようです。リネンのものに関しても毛焼きをしなければ、毛羽の問題が多いですので、毛焼きはしておいたほうが百貨店に置くものなどの場合はより安心かと思います。
2012年06月17日
今日は、日曜日でしたが朝9時の電車で大阪からお客様がお越しくださいました。アパレル向けに生地を企画しておられるお客様で、昔の麻のよい時代のものづくりなどに花が咲きます。いつもこういう話をしていても感じるのは、「奢れる者久しからず」というような感覚です。これは自分自身も含めてですがいろいろな時代に大きく脚光を浴びた会社やブランドであっても、大きくなりすぎたりして無駄が生まれて持ちこたえられなくなるというようなことだといえます。

良いものが常に売れるのではないというのは、商品哲学のひとつというより、自然の条理にかなっているといえます。生まれたものというのはいつか消えていくというのは当たり前のことなのです。恐竜なんかにしてもなぜ絶滅したかということが言われていますが、私からすれば普通のことです。進化の果てには終焉が待っているものです。

恐竜にしても、小さなサイズからだんだんと巨大化しているので世代進化で無限に大きくなれるのかというと、体は大きくなろうとするのですがあるところで限界があります。象なんかも、睡眠時間が2時間しかないというのは、その大きな体を支えるために食べ続けないといけないという悲しさ。

彦根に行くときにナウマン象の像があるのです。それも絶滅しているのです。今の時代なんて大きな動物なんてまれにしかみることがないのに、それがまだ野生で世代交代を続けているということすらが逆に驚きであったりいたします。

馬なんかも、今、日本ではほとんどがサラブレッドしか残っていません。これが普通のことなのかというと速く速く走らせるためだけに作り上げているものですので、究極の形ではありますが壊れてしまいやすいのです。和牛にしても同じで、日本中の牛肉の味が似通っておいしいのも、和牛といわれるものの血統というのは限られているのです。

日本人にしても数千年ほど歴史をさかのぼると、食べることすらもが難しく生きていくのも大変であって、そして今、食べていこうとすれば自分で農業をしなくても働くことでお金が稼げるようになり、自分で料理を作らなくても外で食べることができるようになり、働く仕事や食べるものを選ぶことだけが大事に思えています。

食べるものの血統的なものからピュアなものが増えて、本来だと自然界だとヘテロ的に発生したもののほうが長続きはしやすいのですが、人の手が加わるとピュアなもろいものを求め続けます。人の考える美学というものは神の領域に達するものではないかと思うのが、自然な交配を妨げ品質を求めるところです。

象が絶滅する理由が、人が求めるアイボリー(象牙)というのも本当に悲しい話です。牙を取るとるために殺されたり、また、牙をなくした象が野生で生き残っていけるのかというと肉の塊、ほかの動物やほかの象との食べ物競争にすら勝てず、単なる肉の塊でしかありません。蟹なんかも欧米では一番大事な大きな手だけをとって海に戻すのですが、生き残れるのでしょうか。

日本の捕鯨に関しても日本の捕鯨団体がエスキモーの捕鯨に禁止を唱えたことで、非常に疑問を持っています。自分自身が捕って食べるエスキモーの捕鯨を禁止する日本の商業捕鯨の方向性に危うさを感じるのです。何十という個体から狙った獲物を抽出できるような日本の調査捕鯨の技術は商業と結びつくと絶滅させてしまう恐れがあるのは事実です。
2012年06月16日
今、大阪伊勢丹さん4Fで麻のフェアーが催しされています。林与のストールやハンカチも「林与」ブランドとしていくつか並べていただいておりますので、お近くの方でお立ちよりになられました際にはごらんいただけたらと思います。リネンギンガム、リネン100番手ストールを中心に、ネットで販売していない柄のものも出させていただいております。
2012年06月15日
ふと、今日は同志社大学時代のアメリカ人の友達オリーンのことが頭によぎり、20年くらい会っていないので今はどこにいるのかとネットで調べてみると、彼らしい人物に行き当たりBBを経営しているので、予約ページから問い合わせてみるとオリーンからメールが返ってきました。彼とは大学の4回生のときに、同じ学部で休講だったときに、しゃべったことがきっかけで友達になりました。

アメリカ時代に一度サンフランシスコに旅行にいったとき、バークレイのキャンパスのコンドに泊めてもらって、それ以来だったのですが、オリーンも私のことを最近思い出してくれていたみたいで、また、どこかで会える気がします。

若かりしころの林与は京都に住んでいてもあまり建物には興味がなかったのですが、オリーンはキャンパス内にあったクラーク館が大好きで、林与を啓蒙してくれていたところがあります。今、彼が経営しているBBも、1800年代に建てられたドイツのウイスキーディーラーの所有していた家を使っているようです。自分の力で地域のヒストリカルモニュメントを守るようなことを仕事として選んだようで、大学時代には旅行関係の仕事に就きたいといっていたので、旅行客を毎日もてなすということは彼の夢が実現している形です。

毎日、追われている感じでアメリカにもなかなか行く機会がありませんので、ましてやミシシッピー川の流れるミズリーに行けるようなことはまずないでしょうが、人生というのは小さなきっかけでいろいろな方向に向きが変わるものなんだろうと思います。学生のころというのは夢だけは無機質に大きなことをと考えがちですが、現実というのは人と人との関係の中で有機質的な大事なものを守っていくことが大事なのだと思います。
2012年06月14日
昨晩は朝まで仕事して朝はアパレルさんからの企画の件で倉庫で糸の在庫を調べたりしました。午後からは、彦根でミーティングがあって出席し、夕方から仕事です。夜、工場から出るとひんやりとしていい感じです。なぜでしょうか、今年に関しては昔の夏が戻っているような気がします。最近は見かけなくなったスズメもよく見かけるようになりました。大きな野鳥が復活し始めているのも特徴かと思います。水が川に戻って水の循環がまともになり始めている成果かなあと。

川には水が流れていてしかるべきだと思います。子供のころも夏休み毎日愛知川の河口より数キロ上の川原に行くと、いつも水が流れていて、小さなウロリと呼ばれる魚が無数に見られました。当時、水が流れていないということは一度もなかったのに、今は、あんな風には水が流れておらず、生物は死に絶えてしまい、結局それが人間社会に戻ってきます。

川に水がなければ遊ぶ子供も川の思い出も生まれません。今の子供たちはエアコンの利いた部屋で過ごす。塾なんかでもエアコンを利かして勉強をするよりは、エアコンなしで暑さに我慢できる子供を育てたほうが、これからの競争の時代では生き残れるのではないでしょうか。スマートな薄っぺらさよりもしっかりとした強さがないと、チャンスをチャンスと思えて動けることはないでしょう。

先日、車で消防署の裏を通ったときに一人走りこんでいる30歳くらいの隊員の姿が見えました。一人でやっているので自主的な訓練なのかと思いますが、暑い中で走って、何が生まれるわけでもありませんが、そこに存在してもらうだけの本当の意味があるような気がします。近くのラーメン屋さんの声を張り上げての厳しい朝礼もなかなかがんばっているなあという気がしますが、それ以上に、人の目につきにくい裏のグランドで走りこんでいる姿をみ
ると、その広いグランドの存在する意義すらも生まれてくるのです。夜に仕事をしながら、合間に涼を感じることが贅沢だなあとつくづく思えてきます。
2012年06月13日
反物を輸出するための準備です。中国向けなのですが、海運だと思っていたら空輸にされる話になってきて中国アパレルメーカーの物事の考え方が日本企業の考え方と非常に近いものであるのを感じます。

林与も数ケースの特別なリネン糸などの場合には空輸で買うので、高い糸がさらに現地の値段の1.5倍くらいの値段になってしまいます。結局、そうやって手に入れた糸というのは後悔することもなく、通常の糸以上に思い入れをもってものづくりを考えることができるのです。時には、使うのがもったいなくて、数年寝かせてタイミングをみてものづくりをすることもあります。ものは作れば売れるのではなく同じものでも、売れるときと売れないときがあるので何年かごとのチャンスのときにしっかりと出せるように用意をしておかないとだめなのです。

海外の展示会でリネン紡績工場の方が、弊社が40年も昔の糸を織っていると聞いて驚かれたのですが、実際には、弊社に眠る60年ほど前の麻糸でも織れるどころか、一生ものを想定したものに使う材料ですので、今、手に入る糸よりも良くて当たり前なのです。

林与自身でも、数年前に作ったシルクラミーの生地などでもよく贅沢ができたものだなあと思うことがあります。今も、カネボウブランドのシルクの糸は大事に残してあって、細さなんかでは負けても、シルク糸としての本質では現行の糸に負けることはないだろうと思っています。

良いものを作ろうとしても昔作ったものですら今作るのが難しいことが多い時代です。それは、すべてにおいてそれに携わる人という要素が絡んでいるなあと思います。どこかで人の要素がメンタリティも含めて弱くなると同じものは作れないのです。
2012年06月11日
先週から掛かっている機が整経の失敗で、糸が中から出てきて切れて切れて、1時間に50cmも織れなくなりました。結論として、正しくやり直す。セッティングを終えたすべてを外して、再度、整経をやり直しです。

今回は、時間に追われていて同じ失敗が起こることを恐れ、林与自身が整経を行いました。今年の糸は、L25番手生成に引き続き、L40番手生成もかなり品質が悪いです。このことを糸屋さんは気がついていないと、糸を購入されたお客さんが大きなトラブルに見舞われます。

林与が整経の作業をするのは1年ぶりくらいです。整経の仕事を見るだけでなく、その仕事をするための機械の調子などが気になってたまりません。いろいろな機械のネジを締めなおしたり、機械の動いているときの音を聞いたり、自分が普通だと思う機械の調子に戻します。

同じ材料と同じ設備があっても、人が違えば出来上がってくるものというのはまったく異なる良い例です。ひとつの作業においても、100点のものをしっかりと準備できる人でなければやらないほうがマシといわれる世界です。何千本ある縦糸の内の数本の糸切れが続くだけで今回も一からやり直しです。
2012年06月10日
追われる気持ちがないと目標を達成できないことも多いもので、納期に追われて、最初は絶対無理だと思っていたことでも何度ものトライアルを続けて完成にもっていくというパターンも多いものです。織物は、縦糸が何千本もあるので、最初の織り出しなんかは手織と比べても何倍も手間がかかったりします。

今回の海外輸出向けの生地に関しても時間のない中で、なんとか量産のところまでもって行きました。機械を織れるところまで調節することが難しいので、これを専門に織るというのならそれほど難しくはないのだろうなあと思います。

麻織物の場合には、仕事というのは完璧の組み合わせでないとならないのです。綿だと麻と比べると、均一性の問題、染めの問題、糸の伸度の問題などにおいてトラブルが少なく、織機が何十分も動くということがほとんどです。特に縦糸が麻なのか綿なのかでは、生産性がかなり変わってきます。縦糸が綿だと縦糸の切れることに関しては通常ノーマークで作業を進めることができるので納期なんかも対応が容易です。

麻の織物で納期を求められると、織れない状況に直面すると時間との戦いになるので、将棋で残り時間がないような秒読みの世界で、織れるようにもって行きます。普通だと生産もしっかりと余裕をもってみたいな感じでしょうが、特殊なものや特別なものをといわれるとそれ専用の機を用意したり、織機も専用の調整を加えてあげないとならないのです。

織機を使っていても織機の調節には、手織り以上に手の感覚が一番大事だというのは不思議なことなのかもしれません。手で織らないのに手の感触というものを感じ取って機械に調節を加えないとならないので、織機の構造を理解していることは大事なところですが、それがわかっていたとしても織機の調節というのは誰にでもできるものではないのです。手の感覚と根気がないと普通に動くところまでもっていくことができません。そういうところが最終的には日本のものづくりらしさだと思うのですが、精神論になりすぎると嫌われちゃいますが、ゴミにみえるようなものから超一級のものまで、価値観というのは人それぞれで、また、時代とともに移り変わるものだなあとわかっていれば、スタイルを貫くことも意味のあることじゃあないでしょうか。