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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2025年6月
リネン日記:1
2025年06月10日
若いころから繊維の専門家のような方ともお会いしてきたけども、実際にやっていると、そのやっていることに関しては専門家以上に知識だけでなくアプライできるということでプロの世界というのは一つの分野というか一つのものづくりに関してはすぐに専門家を越えてしまう。一般的なノウハウだけじゃなくて独自のノウハウまで生み出すので、そういうのはあまり外には知られていないことも多い。

専門家の人というのは、二つの技術があったとしたときに、その両方の価値の違いというのはあまり理解されていないことも多く、例えば、絡み綜絖とギシャの価値の違い。細番手の糸を密度込めて織ったものと太い糸を荒く織ったものの価値の違い。

京都のお公家さんの最高級の麻布というすごい細い糸というのが麻の60番手くらいの糸の話だったりもして、すごく驚いたことがある。しかもプリントだったので。専門家の人の価値観というのは、ものづくりしている人の価値観とは全く違って、そういう家から見つければその布は凄いみたいな感覚なのかなあと思ったりする。

世界観がせますぎるのも専門家の特徴で、業界で仕事していれば一般的な知識というのは普通に養われて行くのだけども、知識や特殊なことだけを求めていると、なぜそういうのが現実味がないかとか、それをやれば食べていけるみたいな妄想に陥ってしまうこともある。知識なんて言うのは普通でそれをどうやって環境を整えて設備、人、材料、人間関係、市場、作ったものをぐるっと回してやっと仕事になるという感覚は、専門家の人にはなかったりすることも多い。

全員が全員じゃないけども、サラリーマン専門家みたいな人も多く、食べさせてくれるスポンサーを探していたりとか、その人一人が食べていくために知識からして歪んでしまうこともあったりして、林与にしても、自分が作った麻布には特別の思いがあったりするというよりも作ったときの思い出があるから特別なのだけども。他の人が作った布にも作り手の感性みたいなものも、自分の力と比較して考えることができるから、すごいものはすごいと感じることができるし、普通のものは普通だと思えたりもする。

ある会合で、研究者の方が5億の設備で最新の染色法法があって今の繊維業界はそういうのも理解もなく何十年も成長していないみたいなことを言われた方があるけども、それって、設備コストだけでなく、使用する染料やその廃棄処理、堅牢度などの検査、染色コストとか、天然繊維の世界の人がなるべく天然繊維的なことを守ろうとしているのに化学で天然繊維の新しいものをみたいなのがその方の研究で、それも一つの方向性だとは思うが、その方向性で全部を産業として回せるのかという問題もあるし、技術と現実とは相反することも多く、昔からの技術というのは安定していて、一方で新しい技術というのは不安定で竹の子のように消えゆくことが多い。

産業として人々を支えていくためには、新しい技術の競争だと、業界でも1社2社しか残れないみたいな競争をやってるだけのことで、それよりは、多くの人々を養えるような既存の現在回っている技術水準の中で高品位なものを目指すとかが現実的ではなかろうか、人の力の差みたいなものが同じ作業をしてもでてくるし、頑張った人がよいものをつくって評価されれば、林与じゃなくても繊維産業としたらよいと思う。そういうのが手間が掛かって量産は難しいから逆に価値を生むのも自然なことだし地球にも優しいとは思える。