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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2022年7月
2022年7月
リネン日記:22
2022年07月31日
今日は、ロビー展示の2日目最終日。今日も開場の1時間くらい前からにぎわい始めて、あと最初の休憩でもたくさんの方。手伝ってくださった刺繍作家のご家族が大阪に戻られることもあって、少し早い撤収で。やっぱり、手織りの織機に興味をもってトライくださる方が多くて、手織りの織機って存在感があるんだなあと再認識。そして織るのがすごく簡単であるというのがミソで、だれでもうまく織れる。人生で初めての手織り体験で、手織りに親しんでいただく体験。

会社に戻って、刺繍のキット用のリネンギンガムを2巻選んでいただいて、預かっていた高齢の愛犬のスペースの片付けも完了で、お別れ。米原の会館に行くときに、中学生の女の子と話していたけどもスタバが最高という今時の大阪のど真ん中の都会っ子で、お金かかるやろうとしゃべってたら1回540円だそうで1杯だけを楽しむらしい。しゃべると今時の女の子すぎるけども、家の料理や掃除の家事などは子供たちがよくするのだという。まだ小さいんで、将来、背が高くなったら林与のリネン服のモデルやってほしいと頼んでおいた。あと、テニスよりマラソンやって林与ロゴのゼッケンつけて大会で活躍してほしいとか思ったが、マラソンは一番嫌いだとか、テニスコートで林与ロゴのウェアでも構わないけど。

今日の行きも琵琶湖をみてから行こうってことになって、車で湖岸道路を走って琵琶湖眺めてから会館にとか。昔小さな時に来た時のことも二人とも覚えていてくれて、「かつや」でどんぶりを食べたとか、えっ、滋賀県名物の近江ちゃんぽんを食べた私の思い出とズレていた。ちょっとした共通の思い出だけども、同じものを食べていても認識が違うのだろうか。小学校4年生の教科書に載っていた白黒の絵の話を思い出した、子供のころ何度読んでもあの話の意味がまったく理解できなくて。

高校生の女の子は芸術系の学校で、染色などもあるという。手織り機を初めて織ってくれたのだけども、縦繋ぎなどもマスターして、手織り織機も難しい方の縦横ふと番手のリネンを集中して織るとかできるタイプなので、2日間、無料手織り体験を教える担当になってもらった。女の子が織っている実演を見てもらって、それを眺めている人たちが織りたいとなる流れで、2日間で、ほんとたくさんの方が経験くださった。最後から2番目は、5歳くらいの子供だろうかやりたいとチャレンジしてくれて上手に織ってくれた。一番最後も、撤収中に出展者の関連の方だろう片付けているのを見られてか、あわててチャレンジしに来てくださってとか。
2022年07月30日
今日は米原文化産業会館でのロビー展示初日、夜中から手織り機のリネンの整経を行って、明け方に綜絖と筬を通して織れるように準備、キッチンクロスなどもたくさん用意して、大阪の刺繍作家のお家のみなさんにも手伝ってもらう形でのロビー展示。

お昼過ぎに会場に入って、開演1時間前くらいからお客様がたくさん見えられはじめて、林与のキッチンクロスも150枚くらい用意したのだけども、1日で120枚くらい、おひとり様1枚限定プレゼント。工場で織っているリネンキッチンクロスの耳が食い込んだり糸切れでキズになったものを残しておいて、そういう問題のあるところを避けてカットして大きさがバラバラのキッチンクロス。

来場者の多くの方が30代以上で年配の方も多いイベント。そんな中で一番若い女の子がキッチンクロスの説明をしていると誰もが興味を惹かれて、1枚無料で貰えるとなると驚かれる。滋賀県で麻織物というのは鉄板やなあとおもうのは、女性の方ばかりだけでなく男性の方も滋賀県の麻織物のことをよくご存じで、今までは着物とか洋服だったのに、手ごろに日常で使えるようなキッチンクロスだと使ってみようかなあと思ってくださる。

手織り織機も2台持って行って、手織りの実演と、無料手織り体験ということで今日一日だけでも20人くらいの方には体験して頂けたろうと思う。こちらは高校生の女の子が手織りをすぐに覚えて来場者の方に簡単に織れますよと、高校生の女の子が織っているとみんなが見に来て、その隣で織ってみようとイスに座ってもらったらあとは簡単に誰でも織ってもらえる。

林与のような中年のおっさんは後ろで見守って雑用しているだけで、キッチンクロスが飛ぶように少なくなっていって、手織りの方も気軽にたくさんの方に挑戦してもらえた。昨年も若い林与の女性スタッフが活躍してくれて多くの方が手織り体験してもらえたけども、今回は今まで長栄座のロビー展示イベントの中では一番くらいに多くのお客様にPRが出来た。本当にうれしい一日であった。
2022年07月29日
大事なのは強い人とのつながりだなあと思う。自分と似たような方向性で強い行動力のある人たちと一緒に物事をしているときには同じベクトルで動けていて、テキスタイルマルシェや繊維の日のイベント企業さんなど、普通ではありえない強いベクトルを持っておられる。

そういう強いベクトルというのは高付加価値とかニッチェ的なモノづくりにおいては、消費者の方々が一番期待するようなものであったりして、普通を超えた感覚で仕事をできるかできないかが一番大事だったりもするところ。林与とお取引のある企業さんもたぶん林与というのはそのあたりが他とは違うので別枠的な目でみていてくださるところはあったりすると思う。

よく言われるのだけども私は経験があるからできるというのじゃなくて、いつも呼ばれるときには問題のあるときだったりして、普段織っている人が織れなくなったとか問題が起きたと言われて、それを解決するのが最初から私の普通の仕事。本来だと織っている人たちが自分で織機の問題を解決してゆかないと一人前でもないのだけども、最初から自分が関係ないとか自分の仕事じゃないとかあきらめて他の人の仕事だと思っているからいつまでもできないだけのことは多いと思う。何十年の経験のおっちゃんおばちゃんたちがなかなか仕事が難しいというのもそのあたりで、若い人たちが最初からできることもできないが多かったり。もちろん逆もあるけども。

普段から業務を淡々とこなせている人と、夢ばっかりを語っている人との差というのは大きい。夢を語るのはよいけども普段淡々と普通の仕事くらいはこなして普通の仕事をこなす程度が当り前でないと、他の人ができないような夢の世界をその人が実現できるのかというと、その夢の世界というのも他の人がすでに普通にやってるだけの世界かも知れなかったりする。

地道に苦労の部分こそが一番ものごとを成り立たせたり、夢を実現するのにも共通の要素ではないかと思う。自分で洋服を作って立っておられる方をたくさん知っているけども、自分で洋服をつくるから売るまでの作業の出来る方という方がやっぱり強くて、仕事というのが最後お客様に満足してもらうとか喜んでもらうことなんだという基本が常にある。

私自身は売れなくてもよいけども世界最高クラスみたいなものとかオンリーワン的な部分のものづくりも挑戦したいとは思っているので、普段の仕事も麻の世界のハイクラス的な部分を基本にはしていたいと思うけども、手ごろな麻を求められたい方とは商売的には難しいところがある。手ごろな麻織物を手に入れたいとか、手ごろな麻の洋服を手に入れたいというなら別の選択をされる。が一番ではないだろうかと思う。そういうコンセプトでやっておられる会社やブランドさんもあったりする。

私自身も夢のものづくりみたいなものはアイデアとして一杯あるけども、基本は通常の仕事というのが一番大事でそれを忘れて夢を追うというのは本質がないと思う。何か基本となる仕事をしっかりとしながら延長線上として新しいことをやってみるとか夢を考えるとかが大事だろうなあと思う。夢のアイデアを抱くことは簡単でも夢を実現することは難しいというのが普通だろうと思う。頭の中にあるうちはよいのだけども、実際にモノという形に実現してしまうと、それを売らないといけないという課題が残る。売るだけでなく、売れたらつぎは補充する課題が残る。自分でつくって自分で売るスタイルだと案外基本で回りやすいが、他の人に作ってもらって他の人に売ってもらうスタイルだと自分が在庫抱えて大変になるだろう。
2022年07月26日
近江湖東産地の麻業者というのは林与と近い遠い親戚つながりのところが多かったりもして、集落というのも一つの親戚集団だったりもしたので、外の集落にとつぐことで親戚つながりが広がったということもある。昔ながらのつり合い的な感覚で、機屋の娘が機屋にとつぐというようなことは案外想定内のことだったんだろう。小さいころから手作業や動くことに慣れていないと大人になってからその世界に入るのは難しい。

他のつながりでも保証人になったりとかもあったりで、もう廃業されたのだけども当時は理事長をやっておられた会社の保証人にもなっていたりもして最後その保証したぶんを片付けたりの仕事も保証人になった先代経由で、結局片付けが私に回ってくるような。今の時代にはそういうの少なくなってはいるけども、羽振りの良かった昔はそんなものである。

業者の会合でも初対面でなぜか同業者の一人の方が私を持ち上げてくださるのだけども、その方の保証人にも先代がなっていたりしたりで、その方も残念なことに仕事中に病気になられて入院され1年の仕事が飛んでしまい廃業された形。その1年ほど前に林与も家族経営に会社を縮小をしたので保証人もやめる形で保証人探しからも苦労をされていたろうと思う。

そういう方の家が残されたものが地域の資産として活用されていたりで、廃業された方だけども人一倍地域のころにも熱心で、外からの目で古い体質的な麻業界を見ておられるところもあって、ヨシオちゃん、思い切てどんどんやりやと常にハッパかけていてくださった。古い体質の業界で、そういう方というのは珍しいのだけども私自身も若い人たちに対してはそういう風でありたいなあと思う。会社の中も、昭和の良い時代の先代的な古い体質だったので、そういう方は若いものが覚悟決めてがんばれみたいで新鮮であり、外から機屋に入ってこられた苦労というのがあってその苦労を私に重ねて期待も掛けてくださっていたのだろう。

自分が苦労をされてきた人というのは、そういう苦労が成り立たせる元であるとよくわかっておられて、そういう苦労をする人がいないのを分かって、苦労を背負う覚悟しているものを持ち上げようとしてくださる。私も苦労をしたのが先代つながりの仕事の人脈を考えの異なる私風に残しつつ、新しい形で新しい人たちとのつながりを作っていくのかというあたりで、それは一般論でいえば世代交代の問題にも通じる。前の世代が羽振りをきかせていると終わりを迎えるだけのことだろう。

よくありがちな繊維の地道な仕事が面倒とか嫌だとかのレベルじゃなく、続けていこうとしても続けていけなく廃業された織物業界では多く見てきて、繊維業界で織物業というのは本当に厳しいなあと思う。私が仕事に入った25年でも、産地でも、いくつもの特色ある機屋が消えて行かれた。新しいものをつくられない定番型か、ボリューム生産の賃機屋さん的なところのほうが残られたような形。
2022年07月26日
林与のキッチンクロスをご愛用の皆様にはご存じの林与のネームタグ。林与のロゴがフックの部分に印刷されていて、裏側には、LINEN100%とhayashiyo.com。昨日、キッチンクロスを縫っていてタグが残り少なくなったので、今日はそれをつくる。

15年ほど前までは、林与ロゴはまだ使っていなかった。林与ロゴというのは、与一爺さんが自分のロゴとして作ったもので、林与というのを与一の一がぐるっと囲んで、上の真ん中が空いている。与一爺さんというのは、すごく厳しい人だったと聞いている、だから、織物の世界で林与の近江上布の端切れを見た人なら、その厳しさみたいなものが伝わってくるかもしれない。

日本の麻織物の頂点的な超一級へのこだわり、小さな家の中での色糊の世界なのだけども、50年、60年経ったくらいではびくともしない今つくったばかりの織物かと思えるくらいの見栄え。たぶん2000柄近い柄を残したのではないかと思われる。今のヨーロッパの高級ブランドが憧れるのもその世界だったりして、その色柄のテイストはヨーロッパのブランドにも通じる。

2万枚くらいはあるであろうハギレはあえて反末を無駄に残したもので、その当時からそれが一番大事な資料としての宝で、箱には、「外に出すべからず」と書いてあって、そういう自分のブランドを守る厳しさもあって林与の近江上布の世界は今も資料として残っているのである。

50年ほど封印しておいたのだけど、倉庫から見つけた私がそれを公開した、許せ爺さん、悪いようにはしない。与一爺さんのロゴも、15年ほど前に林与のロゴとして私が活用をし始めた。一度見た人は忘れないと思うようなロゴで、海外の展示会においても使用しており、巨大なパッチワークの林与ロゴ看板は、笑えるというか、興味をそそって、それが何なのか尋ねてくれる人は多いが、私がどこかに片付けて忘れてしまった。パッチワークじゃない切り抜き看板もどこかに片付けて忘れてしまった。出てきた時には懐かしく思うだろうからそれでよし、林与のゆるキャラ、リネンちゃん、チョマちゃん、ヘンプ君の原画も展示会に持ち出してどこかに片付けて消えてしまった。残ってるのはネームタグくらいかもしれないけども、林与の生地が林与の生地だと分かってもらえるようなためのもの。





2022年07月24日
午後の紅茶のおいしい無糖が好きなのだけども、最近買うと香りと味の濃さが変わってきた感じ。数年前までは、ダージリン比率が前は35%くらいだった記憶があるのだけども、今は20%に落ちている。正直に書いてあるので仕方ない事情があるのだろう。ペットボトル飲料の中では一番好きなのがこれ。

ダージリンティの産地はインドだから、バッタの影響が出ているのかもしれない。高地には影響がなかったかもしれないけども、インドの農作物全般に被害が出ているとすれば、間接的な影響もあり得るだろう。あとスリランカも国家破綻してしまっているので、午後の紅茶に影響がでるかもしれない。

午後の紅茶も砂糖とかミルクとか味のついたタイプが3タイプあって、おいしい無糖というのは別枠の一番マイナーなタイプ。原料不足で、午後の紅茶の全体の供給量が減ったとしても、おいしい無糖だけは常に売れ残り欠品にならず生き残るのではないだろうか。おいしいと思える人がどれだけいるのかだと思うが、多くはないと思う。

コカ・コーラも尿路結石が気になったときには、1年に1回2回まとめて飲むことがある、というのも、中国の子が教えてくれて、中国では尿路結石ができたときにはコーラをたくさん飲んで溶かすそうだ。それを聞いて、石が気になったときに一度がぶのみした翌日に石が落ちたことがあった。コーラも用途的には尿路結石の薬になりうるというのを、半分くらい私は信じている。コーラにはカフェインも含まれて利尿作用もあるから。でもコーラの糖分には注意だ。
2022年07月23日
日本の織物産業というのも過去がなければかなり楽に考えられる産業だろうとは思ったりもする。過去が無ければ海外展開して日本が培った技術を海外でアプライして、それを消費者市場で展開をすれば国内業者が国内製造にこだわって守ってきた価格を破壊して、安く大量にディスカウントショップ的な展開は可能だろう。

川上川下というような言葉は私は本来好きではないけど、日本の製造業のサステイナブルを考えるときに新たな川の流れが必要だろうとは思っていて、大手SPA型が日本の繊維産業の成功モデルのように思われているけども、それこそが、日本の繊維産業の守って来た価値観みたいなものを安売りしてしまったところがあって、日本国内の繊維の製造業に止めを刺した感じもする。

私自身、日本のSPAの動きもきれいだなあと認めるところはあって、日本の問屋システムや、年配者が仕切る地場産業的なものを切り捨てて、グローバルな視点で、若い世代の人たちが日本の繊維業界を洗い直すみたいなことからやったこと。日本国内は日本的な法律に縛られたりして10倍からの海外価格差を活かして、日本の大手SPAが、1000円、2000円、3000円のアイテムを展開。

そういう時に、国内業者は危機感をもって国内業者らしいそれ以上の世界を作り上げないといけないのだけども、それと同調するような路線のものづくりで、しかも安く追従して産地すらもがあいまいになって、繊維製品でも、産地にしても不確かなものが増えすぎた。産地の謳いよりも販売している業者を信じるというのが昔からの繊維業界の本物を手にする方法。

林与がアイリッシュリネンに警告をならしたのも、今のあさり偽装なようなものを日本の麻業界にもちこまないようなことで、問題化してしまえば熊本のあさりと同じ世界。熊本の偽装あさりが日本の8割を30年とか、日本の偽装アイリッシュリネンが何十年とかを封じて、熊本のアサリにならないように日本の麻業界を誘導。

私がビンテージアイリッシュリネンハンカチを、百貨店での販売が難しかったことがあって、北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネン糸は、世界的に残存している量というのは少なく、失われた幻の世界になってしまっている。百貨店の担当の方が私にアイリッシュリネン定義の説明を私にくださる。そのアイリッシュリネンの定義の説明が、成田さんのテキスタイル用語辞典の林与も協力させていたたいたアイリッシュリネンの説明文を読みながら北アイルランドでの紡績というのはもうないとのことですが、林与さんのアイリッシュリネンハンカチは取り扱って大丈夫ですかみたいな心配をされてたりするが、入手の経緯もはっきりしている糸で輸入した当時の箱から出して使った。(詳しくはアイリッシュリネンハンカチプロジェクトの冊子をお読みください。)当時を知っている80歳以上くらいの人に聞くしかないだろう。1995年あたりには、北アイルランドでもアイリッシュリネン紡績はもう失われた世界になってしまっていて、アイリッシュリネン紡績の語り部プロジェクトが発足されている。私自身はスペック的な話よりも、その3種類の糸に共通の特色があって、今のリネンとは違う昔のリネンらしい上品なテイストが好きだったりする。

いろんな百貨店で売られている国産リネンですら、国内で織られたリネン生地なのかという問題なんかもあったりして信用できる業者から買うしかないのである海外産が悪いわけでもないけども、国産を謳いにしながらその謳いが実際に本当なのかという問題は、あさりの偽装問題と似たような話だろうと思う。

インド行った時も、日本人の方が手織りの織物だと言われた織物が、織物を見て縦に目立つ傷があったりして、私からするとどう見ても手織りじゃないのだ、織っているインドの人に直接聞くと、ドロッパーが付いていないシャトル織機で織っているということ。インド人の方が騙すつもりもないのだけども、知識不足で手織りに化けたりする。たぶん、その日本人の方は他の日本人の方にも手織りだという説明で、その業者から買って上げてほしいという感じだろうけども、それが結局手織りの織物という謳いで日本で売られることになるだろうから、手織りというのが一番の謳いになるのだろうけども、それは事実ではないことになる。

結論としては、知識のある正しい業者さんから説明を受けて買うしかないんだろうと思う。知識がないということは悪意が無くても説明が間違っていることなども多い。そこで説明が間違うとそのまま一般消費者の方に間違った説明で伝わってしまうことも多い。百貨店の店頭などでも、どこで作っていますかという話で、自社工場で織っている話をするとそれが一番の説得力がある。別に自分で織っていなくてもしっかりとどこで作っているというようなことくらいは説明できる業者さんでないと正しい情報にたどり着くのは難しいと思う。生地そのものよりも産地など生地の背景を気にされる方が多いなあとは感じ、麻糸に関する質問などに関しても知識も持って適切に答えられるようには心がけています。
2022年07月22日
半年ほど前に生産したシャトル織のキッチンクロスの新しい企画の話をいただくも、もう同じ糸からして半年くらいは入手が難しいような状況。私自身がキッチンクロスをつくるときには、糸をテストしてキッチンクロスに適しているかとか、糸染をキッチンクロス用にどうするかとか、もうひとつやっかいなのは、耳までリネンのキッチンクロスとか。織るだけじゃなく、キッチンクロスというアイテム自体にすごくこだわる。縫製までしてみて自分で使ってみて洗ってみて気になる点がないかどうかとか。そこまでやると普通の検査機関の検査よりも問題があれば見えてくる。

ちょっと前にその糸を別のお客様のために糸商さんのその糸をすべてほしいということで押さえてしまってたので、糸背景が分かってて、つくるとしたらまた別の銘柄の糸に変更になる話。後でいろんな説明を変更するのはやっかいなので、最初にそういうことをお客様にお伝えできるというのはよかった。

林与は、同じものを作るためになるべく同じ銘柄の糸を使おうとする。強いては同じロットの糸をできるかぎり長く使おうとしてはいる。ロットが変わるときには生成りなんかは再度テストなども必要になってくることが多い。お客さんがというよりも、私自身がそういうところ慎重に後で大きな問題が出ないように注意はしている。

普通の織物だったら織れたりもするけども、ギリギリに近いところで織る織物というのは、糸のロットによっては織れないこともあったりもする。また、企画全部の話がみえると、その企画に使う糸を最初に押さえるところから始まる。そうでないとビーカーや試織など進行して、本生産のときに、糸がないとかで銘柄変更とかは、新たな問題を招く可能性もあったりで、実績のある糸で同じものを作り続けるというのが大事。

アパレル生地じゃなくて、小物系のシャトル織のキッチンクロスなんかは、織っていて楽しいところを感じたりもする。4色杼替えなんかはもううまく織れないときもあったりして、シャトルを挟んだりするといつも1枚の同じところで挟んだりするから、1枚1枚が勝負だったり。

今日は、シャトル織機の1台のシャトルを挟む問題を杼箱を取り外して調整もした。シャトルが杼箱で長い間休んでいるときに、振動で杼箱の中でシャトルが前方に移動して、叩かれたときに綺麗に叩かれないで初速が付かず挟まれてしまうという問題を招いていたので、若干、シャトルのお尻側が低くなるように杼箱の傾きを調整。調子よく織れるようになった。

これって自分で織っているから思い切ってオペができるんだけども、他の人に織ってもらっているときには、逆にオペするのが難しいことが多い。一つには、オペする時には、場所が必要で他の織機が動いていると危険だから。他の人が織ってくれているときには、私はなるべくオペはしないようにしたりしている。仕事終わってから、私が夜中に織機を一人で直したりすることは多い。夜中に直すと時間無制限で心行くまで直せるし、また、自分で織り加減を確認もできる。大事なのは、織機が動くときの音で、違和感のある音がしないかどうかが大事だから、静かな夜のほうがよい。朝、来たときにちゃんと織機が動くようになってたら織る人も喜んでくれるだろうと思うのもある。シンデレラじゃないけども、朝までに直さなければと明け方はとくに焦って直すことも多い、ドラキュラか。

私は修理する時にはかならず素手で作業する。手が油で真っ黒になるので途中何度も手を洗いながら、手の微妙な感覚を大事にしながら、ネジを絞めたりも素手でないと微妙な閉め具合は感じにくい。手袋して作業している人というのは力加減ができずにネジの頭を飛ばしたりボルトをぶちきったりと壊さなくてもよいものが壊れやすい。素手で作業するというのは普通の人が汚れるのを気にしてできないことだったりするけども、そういうの割り切ってやれるから自分自身が調整する価値もあるんだろうと思う。
2022年07月20日
今日は、午前中に軽自動車の廃車手続きのため、軽自動車を自動車屋に持って行って、書類をもらってそれに記入して、保険などの解約手続きのための準備など、昼過ぎには、リネンの糸が20ケースほど届いて、それを軽トラに積みかえて移動してとりあえず受け取り。

糸の箱は一つ30kgちょっと、普通の人だと持つのが結構無理な重さと大きさ位なのだけども、織物工場だと普通にこれを一人で運べないと仕事にならない。今は80歳の母親なんか、70歳すぎたときにでも、台風が来ると、それを片手でひょいっとPPバンドをつかんで肩の高さくらいまで積み上げるから恐るべし。私は見た。

林与にも、糸の在庫は糸商さん以上にあったりもするし、生地の在庫は生地屋さんや問屋さん以上、一つ一つがそれなりに重い。生地とか糸ってそれなりに重いから、車と同じくらいの体積なら車と同じくらいの重さにはなる。

今はリネンの糸の値上がりが激しく、この半年くらいに生産する糸などを得意先とも連絡を取りながら先に買って持っておく。値上がりというだけでなく、この秋冬には糸が手に入らなくなる可能性もある。


2022年07月19日
昭和から平成に代わったころですら、産地で麻布を織って成り立たせるというのは難しくなっていたのは事実で、一部の人を除いては、麻布を織るとか作るとかが当り前のことではなくなり面倒なことのようになって、海外の人たちが麻布を生産するようになって当たり前に追い越していった感がある。

それも悪くはないことなんだろうともうのが、先代の昭和のよい時代の経営感覚で、国内での生産が難しくなり、他の大手などが国際化の時代の流れの中で、日本の大手繊維企業がコスト10分の1の海外生産。変わることのできない先代も含む経験者たち。海外の10倍の世界を自分たちが生み出さないと通用しないのだけども、実績に驕りがあると、普通に仕事していれば、そのまま続くみたいな感覚で、自分たちが向かている方向も見えず難破船が地球の果てに向かって最後、地球の端の海の果てから落ちてしまうような状態。

それが見えていたからなんとか私も崖から落ちる寸前まで先代の面倒を見ながら日本のモノづくりが海外のものづくりの10倍凄いを取り戻したい気持ち。経験者たちが簡単な問題も超えられなくなって新しい人たちを見くびっている間に普通のものを一生懸命につくるも出来なくなってしまっては、日本の大手企業が海外生産で日本市場を独占するしかない状態で一生懸命な海外に追い抜かれていくのは当たり前のことで、日本の繊維が国際的な評価もあったのもそういう差が歴然と存在していて、そういう差が考え方の差から生まれるということ。

私も、中国のテキスタイルメーカーから見学に来てほしいという話をいただいて、数社見せてもらったけども、それはもう日本の小さな機屋を普通に超えていて、一つ二つ特別なものが作れるような話ではなく、いろんな種類のものを開発して扱っていつでもつくれるような状態。今の日本の織物企業がそういうことができるのかというと、難しいだろうなあと自分のことと重ねながらも思う。

一つ一つが仕事なのだけどもそれを乗り越える力が日本の現場にあるのかというと、日本の現場が普通の麻布もつくるのが難しいのがあったりして、織物製造の全体的な分業とも絡んだり、日本のアパレル業界の分業的な部分と絡むと、普通のものだけに絞って流すのが無難だったりもして、それは日本の昭和の時代のモノづくりで、今の海外の量産の世界と被ってしまう。

織物の真ん中にループが出来てそれが解決できないとか、途中で糸切れで端まで糸が届かないが解決できないとかが、普通の経験者のレベルだったりして、そういう現場の経験者がもつ基本的な問題をわかって解決してゆかないと仕事をすれば問題だらけで成り立たせるのも難しい話。若いものが解決すると角が立つとか、聞く耳持たないとか、人間関係で仕事やってる経験者は本質が見えずややこしかったりもする。

そういう経験者の方ほど、今の普通が難しく、そういうのを解決できないと成り立たせるのが難しいというのが何十年も前からの日本の麻織物の課題の一つ。何十年もやってきたことが海外でも普通に正しくできるようになったときに、その上のものづくりが当たり前にできるのかどうかのというところ以前に、外の世界との競争みたいなものに危機感があるのかどうかというところ。

できなくて当たり前、わからなくて当たり前、やっといて、では駄目で、できて当たり前、分かって当たり前、自分がやって仕事というような感覚が普通にないと、繊維じゃなくても普通に仕事としては成り立たない話。世界という広い目で見れば、仕事を欲していて注文をもらって仕事をこなしてだから仕事があるみたいな話は普通のことで、海外の展示会などに行くと林与はテキスタイルメーカーなのに、現地の業者の人たちが自分たちは織物がつくれるから作らせてほしいとか、自分たちの生地を買って日本で売ってくれと頼んでくる業者さんは本当に多い。最初自分たちが私の布を買う話から始まっていつの間にか自分たちの布を買ってくれみたいな、変な流れで自分は生地を売る側なので、買うことはしないけど、仕事を欲していて仕事を取って自分がすることに対しての海外の人たちの熱心さは海外に仕事が流れていく原動力だろうと思う。
2022年07月18日
海の日なのらしいけど、海にはいくような余裕もなくて、暑い中、工場の中で織ながら糸を繋ぐ。滋賀県で海といえば海には面していないので、淡海すなわち琵琶湖を指す。近江のオウミという音は、淡海アワウミから来ているのである。

琵琶湖も昔子供のころは泳いだ記憶があるけども、シジミ取りだっただろうか、新海浜で、20個くらいは取れたような気がする。新海というのも、昔はそこは海じゃなかったから新海で、戦後に琵琶湖が埋めたてられて農地が広がり海岸線に浜が作られた。そこが新海で、昔から別荘地だったのだけども、今は人気の少ない別荘地で、しずかな海水浴場ではある。

琵琶湖も昔はもっと広かったのに、戦後に戦地から帰って来る人たちのためにコメが必要ということで、農地を作る必要があり、琵琶湖周辺には田んぼが広がっているのである。滋賀県が農業県として今も存在しているのもそういう流れで、近江米という名でお米も特産品として有名である。

戦後の農業政策というのは、非常に近代的に行われ、埋め立ての他、農地改良や、圃場整備など国が国策として滋賀県の農業を推進したのである。ダムも農地用水の確保のためにつくられ、今の滋賀県の農業がある感じだろうか。

近江上布のような織物が盛んになった理由も、琵琶湖の湿気がという説があるけども、それよりも、近江上布が盛んだったのは山側だったということもあり、冬場雪に包まれるような場所が、織物には適していたのである。琵琶湖側では、アシやヨシや蚊帳などの荒い織物が多くおられていたと言われている。

琵琶湖周辺というのは、昔は、農業も本来は難しかったりもしたという問題もあって、水を琵琶湖から戻して水利の確保を行ったりもしていた。もともと、漁民的な生活が強く、本来は内湖的な地域で、水上交通が江戸時代から盛んであった。江州と書いてゴウシュウと呼ばれるのも、本来、滋賀県というのは、山か、沼地か湖かという2択のような場所だった、沼地的な場所は沼そのものだったり田んぼだったり、そういう場所が後で埋め垂れられて平野となったのである。

今は周囲が平地にしか見えない安土城も彦根城も自然の琵琶湖という堀に囲まれた山の上に立っていたお城なのである。内湖はほとんどが埋めたてられてしまっているのが今の琵琶湖周辺の状況。能登川と安土の境あたりに昔の名残がのこってはいて、家の裏が船着き場のような家がみられ、メインの交通手段として舟があった時代の名残である。

母親の親元も家の中の台所の一部に用水路が流れていてそこで鯉をなん十匹も飼っていて、正月やお盆の時には鯉汁がメインだったのが記憶にある。あと、愛知川のウロリを取って食べるとか。母親の実家は農家で、自分の家でとれる米と野菜と川魚で昭和の50年ころでも食卓が成り立っていた。

今も集落の多くの家は、兼業農家でお米は自分の田んぼ畑を持っていて野菜は自分で育てている家がほとんどだろう。魚や肉は買うのだけども、野菜はほとんどが自前。滋賀県では麻織物が成り立ちにくいのも、60年もさかのぼれば麻織物を自分で織っている家が多かったから産地にはなりえても消費地にはなり得にくい要素があるのは野菜と同じ。

林与の呉服生地のほとんどは東京とか京都筋の呉服商がお客さんだった、服地になってからも、近江にゆかりのある生地商がメインのお客さんで、この20年くらいで、それもほとんど消えた。国内というのは需要が少なくなる一方で生産コストは逆に上昇して、間に問屋さんが入れるような余地などは難しくなってしまった感がある。
2022年07月17日
独自の技術というのは狙われがちで、もうなくなられた加工工場の社長さんから聞いた話で、新しいお客さんとの仕事が始まったと思っていろいろと工程を教えたら、いきなり中国でその加工をやろうとされたみたいな話とか。気の毒な話だけども、海外で生産している日本企業というのは、普通にそれが普通の商売だったりして、日本でやっていることを海外で安くやらせて、似たようなものを安く売るのが商売だったりするから。

個人の問屋さんなども海外向けをやられているところは、安いものや複合素材は、日本に発注してくるけども高い100%物というのはサンプルを渡しても結局、似たようなものを海外で作られてしまうだけだったりする。何百も資料を渡してしまえば、それだけで、今まで長年掛けて培った技術やデザインの蓄積を無料で海外のメーカーに提供してしまうことになる。私もイタリアで一番有名な老舗のウィーバーに60点以上サンプル請求で送った後は一切連絡なし。送るまでは何度もサンプルが届かない届かない送ってくれと連絡したのに、送ったら一切連絡がなくなる。他の方に聞いてもそのイタリアの老舗ウィーバーはサンプルをたくさん請求して買わなかったという情報。

世界中のブランドが憧れるようなイタリアの老舗ウィーバーにパクられるというのも、それはそれで、林与の作っているのと似たようなものがイタリア発で世界中に広まり、世界のトレンドになる可能性なんかもあったりはするだろうけども、サンプル泥棒的な行為というのはよろしくない話である。まだ、相手が見えているから警戒が出来たりもする。次のとしもその次の年もブースには来られるのだけどもいくら有名な老舗のウィーバーであろうが相手にはできない。イタリアの名門の生地メーカーとして世界中に名の通った会社でもまったく行儀がよくない。
2022年07月16日
夜8時ころに寝て、夜中おきて仕事涼しくて非常によい。仕事というのは張り詰めたものがないとなかなか形にはなりにくいもので、今日も確認の計算ごとなどを何度も行う。まだ、金額などの計算は後でも訂正が可能だけども、仕事の糸量や糸を割るカウントなどの計算というのは計算間違いが大きな失敗につながるので、そういう計算は本当に大事。作業しながらも検算的に正しいかどうかを確認しながら仕事をする。

現場の作業というのは失敗しないように100点で仕事しないといけないのだけども100点を目指して仕事をするというのはなかなかできないことだったりで経営よりも厳しいだろう。逆に経営というのはいろんなやり方があったりもするが成り立てばそれなりに経営。

先日お会いした専門家の方が私と同じような経営観をもっておられて経営というのは続くことが大事だというような考え方。今のご時世にそういう考えを持っている人というのは本当に少ないだろうと思う。そういう考えを持っていると、過去のものづくりなんかを大事にしたりして、過去のレベルよりも上を目指すことから差別化も図れて高いレベルも維持しつつ自分のモノづくりが始まったりする。

それまでに会社で出来ることというのは自分のできることでさらに新しいことをやっていくような部分がないと。新しいことというのは何も新しい手法で新しいものをつくるとかじゃなく、織物の場合だったら、色柄の展開をいろいろと作ったりすることも含まれ、それをどれだけたくさん短時間でつくれるかとかも差別化の一つ。

日本の織物工場で、先染めで麻織物を織れる会社というのは非常に少ない。番手が細くなればなるほど麻の先染めは極端に難しくなってゆくものである。色数が増えれば増えるほどコストやリスクは上昇してゆく。今は、無地ライクな世界が広がりすぎてチェック柄が珍しくなりすぎて、なんとなくチェック柄が新鮮で人気な感じもするけども、無地の後染めと比べるとチェック柄の生地をつくるのは2倍3倍の手間がかかっていたりするのが普通。

また、チェック柄というのは、色だけでなく、柄の大きさの好き嫌いなんかもあったりして、一つの柄が万人受けするとは限らず、一人一人の好みにはまる確率が低いから流れる量もすくなくなりがちだったりする。そういうのがチェック柄を大量には作りにくいところで、小ロット生産によってチェック柄というのは余計に高コストになりがち、2000年あたりまではチェック柄をつくるなんて林与でも当たり前だったのに、もう今はチェック柄をつくることは難しくなってきてしまっている。

特に百貨店ブランド向けなどは、多色使いの柄は、セクションの色の堅牢度をそれぞれ取ったりしないといけないので、どこか一か所でも堅牢度検査に引っかかると駄目だとか、一生懸命に多色使いのモノをつくればつくるほど商品開発のリスクは高くなる。収縮率なども染めた色などによって異なったりするので濃淡差が大きかったりするとバブリングと呼ばれる現象が起こったりもしやすくなる。先染めの配色というのは、色が違うだけでは済まないが多くなりがち。先染め向けというのは染めたあとの糸の物性なども考慮が必要で、高品位な安定した糸を探して使ったりする必要も出てくる。
2022年07月15日
京都で高校生の時、下宿していて部屋に扇風機が無かったので買ったのが、17000円のナショナルの扇風機。扇風機が17000円というのは当時驚くほどの金額でもなく、バブル時代というのはそのくらいが普通だった。でも、当時の扇風機というのは国産品でそれなりに良いものだったから、バブル時代というのは安い輸入品が溢れていたというよりも国産品ばかりだった。日本が今の中国の役割を果たしていたようなところがある。風量ランダムが付いていて、風が自動で強くなったり弱くなったりとこれは自然の風のようで、体が風になれてしまわないので、涼しく感じる。今だと当たり前の機能だろうけども、当時としては画期的だった。

他の家電製品で人気だったのがソニーのカセットしきのウォークマンで3万円くらいした。ほとんどの学生が1台持っていたんじゃないだろうか、他のメーカーの1万円くらいのとかもあったし。コンビニも出来始めたころで、夜中に行くと涼しかったのを覚えている。当時はサントリーのウーロン茶が人気でたしか1Lで200円だったかなあ。ペットボトルがまだ希少だった頃。

扇風機の話に戻るけども、それをまだ使っている。見た目もまだ良い感じのままで、思35年前のものだとは思えない。家にはもっと古い扇風機があるので、そういうのは私が生まれる前の昭和30年代のとか、母親は、高校の時の扇風機を工場とかで使おうとすると、背の低い60年前の扇風機に交換する。もったいないということなのだろう。母親の使っているラジオも60年以上は前のだろう。新しいのもいらないし、まあ、最後まで使えたらと思うし、捨てることなく残しておきたいくらいである。
2022年07月14日
国内で、最近またコロナの感染者数が増えている。感染しても自然に治るようなレベルのものなら感染をそれほども恐れる必要もそれほどはないのであるのだけども、体力のないお年寄りや免疫力のない病気を患った方などは、コロナで病状が悪化する確率は高いだろう。悲劇が起こりやすいのは、入所型のケアハウスや入院型の病院であったりもして、特にセントラルヒーティング型の建物はいくら人の隔離をしても、空気の管理はしにくく、エアゾル化した空気がすべての部屋に循環してしまう可能性も否めない。看護士などがおられる家庭では、その家族の方なども他の人との接触を抑えないことには、家庭内感染が職場感染につながって、接触を避けることが難しい病院の現場でクラスターが起こる可能性があったりもする。介護士の方々も介護の際に接触などはどうしても必要なってくる職業なので、その家族の方々も行動は家庭内感染を起こさないために慎重にならざる負えないだろう。

一番コロナ感染リスクが高いのにコロナ感染対策を一番しないといけないというのは、大変なことだと思う。病院などでクラスターが起こったりすると病院が叩かれたりするけども、それは安全なところにいる人が無関係だから病院を叩いたりできることであったりもする。武漢でもコロナが悪化した背景には、隔離したのは正しかったが、体育館のような場所でベットを並べて換気もせずに集団隔離をして余計にウィルスの温床になったことが、死亡者数を増やした原因になってしまった。完全個室型でそれぞれの部屋が外気と喚起できるような形でないとコロナ患者の隔離も適切ではない。

人の命というのは案外不安定なものだなあと思うのは、私が、数か月前、群馬県に車を運転していったときに、コンビニのおにぎりがパサパサで、それほど急いで食べたわけでもないのに、のどのあたりに張り付いてしまったか、肺の方に誤飲されたかで、呼吸すらが苦しくなり、たまたまお茶も買ったのでそれを飲んで、なんとか吐き出せたからよかったけども、林与のような普段元気な52歳のおっさんでそんなものだから、高齢者とかだとおにぎり一つでも食べ方が悪ければ死んじゃうのも分からないでもない。たまたま、私ののどのあたりが長時間運転していたので普通とは異なるコンディションのところにパサパサのおにぎり、胃に流れていくことが難しいような状況がたまたま発生したのだろう。まだ、下を向いて吐くことを思いついたので吐いて回避できたけども。お行儀よく車のイスに座ったままじっとしてたら治るかもみたいなことしてたらアウトだったかもしれない。お茶がなかったら完全にやばかっただろう。

コロナでも、亡くなったり回復したりも、微妙なバランスで成り立っていたりするんだろうと思う。亡くなる人にしても、誰かから感染したのだからトランプが要求したように最初の犯人をみつけるかのようなことをやったりしているけども、アメリカでもダイアモンドプリンス号のそうとう以前からコロナが広まっていたというような血液検査だかの結果も出ていた。アメリカでも7万人が1月時点でインフルで死んでいるとか、CDCもコロナの存在を認識しているのに、たんなる風邪だといって、コロナ検査は一切していないとかおかしな事情も感じる。日本の神戸でも武漢の半年前の8月には保存された血液の分析でコロナがみつかったり、イタリアでは1年前くらいからコロナが広まっていたのではないかとする調査結果など、武漢が問題になったのは、アメリカでインフルと思われていたようなものが武漢に持ち込まれてあの隔離方法で結果濃縮されて大量の死者を生み出したのではないかと私は想像したりしている。

あとネズミに一回移ってネズミから人間がもらってみたいなので変異が起こったりしたとか。ハタン熱と似たような、2タイプの症状がみられたりと、ネズミが媒介している可能性はあるのではないだろうか、ニューヨークも地下には下水が通っていてネズミのアジトだったりする。コロナで都市部がやられやすいのは下水が発達してネズミが多いからではないのかと思えたり。都市封鎖すると地下からネズミが大量に食べ物を探しに出てくるとか。実験でラットつかってコロナ感染実験しているので、まあ、ネズミ系は人のコロナに当たり前に感染するだろうし。ニューヨークの場合なんかは、ほぼ全員が感染するまでは収まらないような状況でコロナも収束をしているような気もする。

今、上海が再度ロックダウンされる可能性もあり、上海の人たちはそのリスクに備えて2か月分くらいの水や食料などを用意する人は多いだろう。食料品などが値上がりする背景にもなっているだろう、命が一番大事なので、準備できるなら多くの人が食べ物は準備しては欲しいなあと思う。中国政府のような力は、弾圧的なようにみえるところがあるけども、そういう力が存在しないと中国でヘンプ産業なんてものは原材料の管理からして無理だったりもして、そういうのにあやかる形で、今、日本でブームになりつつある、ヘンプは糸になり洋服に使われることが出来るのである。日本で本格的な産業大麻栽培を考える時には、国営的なものでないと、認可方式ではいくらでも裏で怪しいことはできるので難しいだろう。熊本のあさりみたいな30年もほとんどが偽物状態の経営に陥るのは必至。

今、中国で河南省で銀行が引き出し不能というような事態も起こりはじめ、恒大のデフォルト問題なども含めて、今までの拡大路線も成り立ちにくくなるだろう。10年ほど昔のことだけど、びっくりしたのは中国の新しく新幹線の開通した駅のまわりは、まだそれほど建物もないのだけどもどこもかしこも銀行だらけ、言建てられている途中の建物もテナントは銀行の看板ばかり。何百もの銀行が、土地バブルの準備段階だった。田舎の駅からも遠い高層マンションの3LDKくらいだろうが9000万円とか、東京以上に中国の田舎のほうがマンションも高くなってしまっていた。日本の不動産バブルは戦後40年ほど、中国は3倍くらいのスピードで不動産バブルを経験しているような感じなんだろう。

日本の田舎の不動産バブルというのは当時は今の50倍も当り前、まだ、その感覚から抜け出せない人も多い。日本の築30年のバブル期のリゾートマンションなんかは今や50万、100万。共益費、修繕費積み立て、建て替え問題で、ババ抜きのババのひかせあいみたいな感じ。そこに本当に住むなら格安だろうけど、軽い気持ちで買うと巨大なマンションを建て壊すだけで、アスベスト問題も絡んで全体で何億円もの費用が掛かるケースもある。本来だと30年後の今頃、買ったときの2倍3倍で売れるはずだったのにみたいな投資物件の破綻を、今日本は解決してゆかないといけない。国も推奨して上場企業の儲け頭となった夢の繊維だったはずのアスベストが健康的被害だけでなく、購入した国民に対しての莫大な経済的被害となっている。そういう処理事業も、PCBやアスベスト生み出した側のビジネスモデルになってたりしていることもあるからエグイ。
2022年07月12日
昨日、専門家の方と話をしていて、林与という会社は小さな会社だけども仕事の種みたいなものというのはそれなりにこの15年ほどでも撒いてきて、仕事していて余力があると種を撒くみたいなところは、やっていきたいなあと思う。種といいながらも私にとっては自分が織物の業界にいて興味のあることを実現したいようなことを麻布という形で実現するような形だったりするので、かなり自分自身の織物に関する疑問みたいなものに答えを探し出してきたようなところがある。どんなことをやりましたか?みたいなことで、20くらいは通常の織物工場とは異なるアプローチで取り組んでそれなりに育った種も多いなあと感じた。

自分が作った織物でも、最初はあんまりかなあと思っていて、そういう試作をそれなりに洗いを掛けたりして残しておくと、しばらくすると自分自身がその布を見る目も変わってくることもあったりする。代替が、無理無理に作った織物で織るのが難しく断念したような試作とか失敗だと思っているようなものが、やっぱり後でこれは面白いみたいな部分を感じたりする。

私がやったプロジェクトでも短いものは2週間くらいで答えが出てきたり、長いものは3年とか5年とか、その時の余力のあるかないかで、プロジェクトの解決速度も変わって来る。一つのプロジェクトをつくるってすごいことのように思えたりもするけども、一つの本生産や依頼される見本とかのほうが現実的にはすべてが正しくないといけないので仕事としては高度であったりする。

だから、私自身は普通にみえるお客さんの求めるものを毎回毎回正しく作れるくらいの力があれば自分で自由にモノをつくっていくことはそう難しくないと感じていたりして、車の両輪のように今ある仕事をこなしながら、それをさらに発展させたような織物や、まったく違って見える織物など作ろうと考えたりで、売れる売れないにかかわらずに技術的な問題にぶつかってみながらそれを解決して織物の形にしていくみたいな。

出来上がったもの以外に、技術的なことへの理解の深まりや、今まで織れなかったものを織れるようにするためにはどうすればよいのかとか、なぜ織れないのかとか、織れる織れないの境界線あたりで時間と体力を使っていろんなことをやってみるというのは経験値を上げる結果になる。器用な人というのは私のやっていることを見て意味を理解して自分も出来るようになるという、ものづくりの一番普通のアプローチに近づく。そのアプローチというのは、布を見た時にどうやってつくってあるとか自分で自然と想像を広げるアプローチにも近く、そういうアプローチが出来る人というのはどんどんと前に進んで行けるタイプではないかと思う。

私自身、織機が正しく動いていたものが正しく動かないときに一番最初に原因となるのが織機自身ではなくて、作業している人が何か変わったことをしてしまった可能性がないかを尋ねる所から始める。変わったことをしていれば、それが原因である可能性が非常に高く、なければ、織機を普通に動かしてみて違和感がないのか、どうか。
2022年07月10日
今年は蚊のいない夏といわれている。このまえ岐阜に納品に行った時には、蚊が何匹か飛んでて、林与の住んでいるところのほうが田舎だけど、田舎に来たみたいな感覚になった。こんなに夏らしいのに蚊がほとんどいない、今日は一匹みただけ。たぶん、蚊にしても、暑すぎるだけでなく、血を吸う動物すらもほとんど見つけることができない状況だろう。犬も猫ももう家の中だし、野生動物もいないことはないけど、たまに、キツネと狸を見かけるくらい。

子供のころに蚊帳があって、昔の緑の蚊帳というのはもうつくれないらしい。染料の関係だろう。蚊帳というのは、本当の昔は麻で作られていた。というのは、碁盤の目に毛羽があるので、蚊が侵入しないから蚊帳には麻が使われたのである。滋賀県では湖岸で蚊帳が織られたという話を聞いたことがある、蚊帳で有名なのは奈良だけども、今は蚊帳の織物の伝統が、粗目の織物ということで、植物の栽培などに使われる合成繊維の寒冷紗を織るのにつかわれているということ。

金鳥の蚊取り線香は、蚊の嫌う菊と鶏のマークだと知ったときに、昔の人というのはセンスがあるなあと思った。それを知ったのが大人になってからで、子供のころは知らないで金の鳥なんだろうと思っていたが、鶏はやっぱり、蚊を食べるんだろうか、または、ボウフラを食べたりするんだろうか。鶏の匂いを嫌うのには遺伝子に刻まれた歴史的な理由があるはず。

最近は暑すぎて水分を良く取るようにしているけども冷蔵庫に入っているのが麦茶と十六茶で、健康志向なのは分かるのだけども、私としてはもっとパンチの効いた濃いお茶とか、午後のお茶のストレートとか渋みのあるやつのほうが、飲んだ時に水太り感を感じずに気合が入るように思う。自分で買いに行って工場の2Fの冷蔵庫で冷やしておく。
2022年07月06日
今日、京都に住んでいる方と電話で半年ぶり位にお話しして相当に暑いそうである。京都というのは古い都だけども、人は常に入れ替わっていたりして新鮮なところが維持されているようにも思う。私も学生のころに京都に7年住んでいたけども、京都は学生の街なので住みやすいと思う。

外から京都に移り住むものというのは住む場所を選べるのでもともと住んでいる人たちよりも、便利な所に住んで、より華やかな京都らしさみたいなものを味わっている人が多いと思う。私も、小さな京都の事務所は京阪三条の駅前で、部屋の狭さよりも周辺の環境が便利で駅から一番近いからという理由でそこに決めた。

昔お付き合いのあった京都の問屋さんなんかはやっぱり室町界隈が多いが、それはもう昔の話で着倒れといわれた京都でもアパレル生地問屋業というのは非常に難しくなってきている。和装関係の業者さんなどは本場のままお店を構えて残っておられたりしてそれが京都らしいところだなあと思う。近代的なビルの立ち並ぶ烏丸から室町通りに移ると雰囲気が町家っぽい老舗のお店がたくさん見えて、そういうのが変わらない京都らしいところかなあと思える。

市内の中心部にも捺染工場なんかも点在をしていたのだけども、捺染台など作業空間が必要で、やはり固定資産税など難しい問題も多いんだろうと思う。多くが京都市内の中心部から右京や南区など移動された企業さんは多い。商いというのは表は商い、その奥は家みたいなのが普通でだから京都の商売が何十代も続いていたりする。京都の人の商売観というのは家業的な感覚が非常に強いとは思う。自分が生きていくための拠点が代々住んでいる場所でありその家の前の部分が商いの場所。そういう形って昔の商店街のようで今は珍しくなってしまっているけどもそういうのが本当はサステイナブルな形なんじゃないのかとも思えたりもする。
2022年07月05日
低価格ゾーンだった大手SPAも高年齢層化してきて商品単価も上昇中で、数字だけを見ると、客単価は上がって客数が反比例して減るなど従来アパレルの成長期を終えたような路線に近づいてきている。雇用形態も、非正規雇用で若年層を有利に集めて来た形式から、正規雇用に移ったことで、売り場も1年1年高齢化していくような形。ブランド自体が若者層向けの展開が難しくなってゆくようなフェイズに入った。戦後若かった地場産業系の繊維産業が衰退していったのと同じような路線に入ったとは思える。

ディスカウントストアーがつぶれる一つの典型が、とりあえず安くて八百屋のようなものの売り方でバッタ物っぽかったから人を集めていたのに高級化したときに売り場は上品になって百貨店の高級な売り場みたいになったけど、お客さんは以前よりむちゃくちゃ減ってしまったみたいなのはよくありがちでつぶれちゃう。

どこのブランドも同じようにブランドの中で働く人が高齢化してくると、ブランドイメージの年齢層がどんどんと上がって来て、何十年も愛用者がいれば、どこもがシニア向けのブランドになってきてしまう。安いヤングカジュアルで始めたのに、半世紀経てばシニア向けのブランドになっているとか。

日本の大手SPAも2000年あたりからなので、20歳ほど時がたち10歳くらいは年齢層が上がっただろう。正規雇用始めたのでこれからは売り場のスタッフなんかも毎年1歳づつ年を取り始めることになる。無名のときに集まった人たちよりも、有名になってから待遇に憧れて集まった人たちが仕事ができるのかというとそれはまたなかなか難しい話。
2022年07月03日
私自身、チャンスがあればそれなりに動いていきたいなあと常に思っていてそういうのが大事だと思う。みんなすごいことをやりたいと思ってはいても、そのすごいことというのがなぜか目の前のことじゃなかったりして、すごいことをやるときにもやろうとすれば目の前のことだらけなんだからそれができないとすごいことも無理だろうとは思う。

目の前のことは雑用に見えるのだろうけども、全部共通していて。たとえば海外にものを売りたいと思ったときには、結局、インボイス書いたりとか送り状書いたりとかしないと話だけで終わってしまう。そういうのを他の人に頼んでいたら毎回毎回マイナスに終わって続かなくなる。DHLとかFEDEX使うにしても自分で送り状とインボイスを作らないと無理だし、もっと安い方法を考えるときにはその国に特化した安い業者を探すとか、自分が動いてみないと答えは見つからない。そして1回勝負だからリスクを覚悟で毎回毎回やっていく。

展示会のイベントなんかも私自身は続けて参加をしたいタイプなのだけども、イベント参加するときにも毎回毎回準備も必要で、イベントに立つのは簡単でも、そういう準備とあとのフォローも必要になってくる。そしてイベントを仕事につなげて実績みたいなものを作っていくときには仕事をこなして行くような力が必要で、結局一番大事なのが、一つ一つの仕事を自分が前に進めていけるような力みたいなものだったりする。

一つの企業がやるようなのと同じ力を自分が持っていないと駄目みたいなハードルなんかがあって、そういうのを自分一人でもこなせる人が結局チャンスとピンチを毎回毎回乗り越えて実績を積んでるだけだろうとは思う。他の会社さんの例でも、イベントで使う棚を自分で作られたのだけどもそれを運搬する手段が必要ということで自分で投入倉庫まで格安にレンタカーして持ち込みとかで解決されるとか、プロ顔負けのしっかりとした素敵な棚を自分で作れる力もすごいけども多分それが一番簡単な方法で現実的な方法、棚を作ったのは良いけども毎回運送会社に何万円も払って往復していたら成り立たせるのが難しいので自分で持ち込み引き取り手段の確保される。そういうのが出来るから続くっておっしゃってたけど、ほんとそうだと思う、私も自分で持ち込んだりするタイプなので同じような行動派の考えをもっておられるなあと思う。やろうと思ったことを実際に一か八かも恐れず実行され実現されるあたりが本当に力を持っておられるなあと尊敬するし、そういう力が布をつくるときにも生きていて、ジャンルは違うけども意匠性のあるレースなど素敵な布の世界につながっているんだと思う。イベントのチャンスをうまくいかされていると思う。私もイベントにハギレでつくった大小さまざまなキッチンクロスを何百枚も大量投入するなど企画してイベントのチャンスを自分で活かせるようにやってみて正解だった。

やってると本当に疲れ切って限界を超えそうになることも多いけども、成果がないともっと疲れてしまうので、成果が出そうなときには全力で成果を出しに行くことで答えが全然変わってくる。同じイベントでもやり方によって全然答えが変わってくるだろうと思う。