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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年7月
リネン日記:9
2017年07月31日
今日は、山神シャツの山神さんが名古屋のイベントのあと、また東京から山神さんのお客様がお越しくださりいろいろとお話を伺う。他とは違う部分が他とは違うものづくりへのこだわりから生まれてくるようなお話でお聞きして同じなんだなあと感じられ、うなずけるお話ばかり。服飾の世界であるべき姿のような理想的な考え方を実線し成り立たせておられるような山神さんのお話をお聞きするチャンスだと思い、新しい役員の女の子も食食事にご一緒させていただく。

優雅に見える世界でも、終わることができればどれだけ楽なのかという苦労の連続で作り上げておられるような部分や、そしてそういう苦労な作業を当たり前に楽しめ、それがお客様が喜んでいただけるからというために、何度も何度もやり直したり。常に余裕のない状態で仕事を生め、迷っていられないほどに仕事をこなしていかれている部分に、大きなブレがないスタイルじゃないのかといわれるのも私の考えと似すぎていて、正しいことなのだろうと思うけども、日本の繊維業界の他の方からはあまり聞くことのないのも不思議に思う。

そういう世界を作り出せる人がいるからそういう世界が存在するのだなあと実感をし、普通を要求すれば消えてなくなるようなものだろうと思える。若かりし頃に、自分を思ってくれる親しい方からやっても駄目だと親身なアドバイスを受けたそうで、どこまで普通から外れているかというあたりがその道を作り出すときには必要なのだろうと思う。また、理想と現実という部分もしっかりと持っておられて現実的な部分押さえながら理想の部分を生み出しておられるあたり、継続するためには大事な要素なんだろうなあと。
2017年07月27日
仕事で我が出ると仕事というのは難しくなる。好きな風に仕事をやっている人のものづくりは我の塊になりやすく、完成度が低く、自分に厳しい人のものづくりのほうが完成度が高く、同じ設備で同じ材料で同じことをやっても他の人よりもよいものができるのが普通だろう。好きでやっている人が業務としてやっている人に負けてしまうことすら多いのがそのあたり、気分で仕事をする人というのは一番厄介なところがある。

今は、基礎力よりも応用力がないと駄目なところがあるので、今、目の前にあることを普通にこなせる力とプラスアルファの力が求められる。プラスアルファの力というのは自分自身で仕事を進めて結果を出せるような力だろうと思う。そういう力は教えてもらうことが基本の学校では養われにくいものである。壁にぶつかったときに教えてもらって解決するよりも自分で解決方法を求めて前に進んでゆく、先生の居ない状態で進めるかどうか。自分で一番良い答えを見つけ出す必要がある。

決まったやり方があっても、自分のやり方でやってしまう人というのは不器用なのだ。他の人が上手にやっている従来のやり方も真似できずに、自分のやり方を持ち出しそれを他の人に強いるというのは全体の完成度が落ちてしまう結果になり、その人の考え方が変わる必要があったりする。仕事で普通はいろんなやり方があるけども、作品的なものづくりと、工業的なものづくりとでは、やり方も変わってくることもありえるということも大事だろう。いずれにせよ、仕事としてやるならいざという一発勝負で正しいものをつくれ結果をのこせるのが本当の力だとは思う。
2017年07月26日
昔、大阪の捺染工場にお邪魔したときに社長がお話されていたのが、働きたいと来た人にいうのが、うちはペンキ屋だということ。プリント工場というのは、デザインの世界だと思われがちだろうけども、デザインは外部のものがして内部のものというのは自分がデザインしたいものがあっても好き勝手に自分の好きなものをつくるのが仕事ではなく、外のお客さんの要望にこたえて地道な現場作業を成し遂げることが仕事。

その社長は甲斐性のあるひとなので、仕事が終わってからやりたければ自分のやりたいことを自由にできるチャンスをあげていた。私が思うによい会社だと思うけども、それが続く若者というのはごくわずかで、若者のほとんどが自分のやりたいことだけをやる環境を求めてしかも守ってもらいたいみたいな、学生さんみたいところがあることが多い。

お金を生み出す本業というのは地道な部分で、クリエイティブな部分というのはクリエイター一人が食べてゆく程度のものでは形にもならないのだが、クリエイターというのは自分が指図して他のひとが作業してという無理があることが多い。クリエイターの中でも考えるだけでなく、自分で自分の考えたことを実践してゆける人なら食べてゆける可能性は高くなるけどという程度で、それでも通常の仕事くらいはこなせないと超えた世界なんて到底無理だろう。

大阪の社長も現場の仕事はペンキ屋だというような割りきりがあったから仕事をこなせて行けたのであろうと思う。学校とかで手品を習うように作り方を教えてもらうけども、それが出来たとしても教えてもらってできたというだけのことで、実際の仕事というのは自分が体を動かして前に進めてゆくというようなところ。
2017年07月12日
今年はアナウンスが遅れましたが、夏の2週間のインターンを各1名づつ募集いたします。7月の後半から8月15日まで2週間1名、8月16日から9月始めま2週間1名の合計2名です。書類選考などありますので興味のあられます学生の方は、メールにて詳細などお問い合わせください。締め切りは7月20日です。【締め切り終了いたしました。7月21日】
2017年07月11日
今日は午前中、関東からお客様で分野は異なるがメーカーの開発を支えておられる。会社でも年長であられながら会社は仕事をする場所だという気持ちをもって物事を進めていかれる。大きな会社さんなので道具から自分で作り上げるということで、私の悩んでいる近江上布の案件もスラスラとアドバイスだけでなく、形になるように動いてくださり、ものづくりする道具をこうも簡単につくる環境をもっておられるのがうらやましいが、そういう環境を自ら作り上げておられるのだろうと思う。

別の電気関係のメーカーの開発の方も同じようにものをつくる機械を開発するのが仕事の方というのは、スラスラと難題に思えることを解決する環境をもっておられて形にされてゆく、そういうのが特別ではなく日常のことのように前に動いてゆくというのは、仕事の無限の広がりを感じる。

毎年、夏前になると結石が腰の辺りに下りて来て今腰痛気味で、じっとしていても体が暑くて仕方のない状態。もう10年前になるだろうか、病院で1日入院して、初めて超音波で結石を砕いてもらったのは。水分は常に多い目に取る理由も結石を持ちやすい体質であるということもあって、体が水分を必要とする。面白いのが、石があると眠気を欲するので、体が横になると石がずれて水が通ってという現象。体というものはそれなりによく出来ているなあと思う。

2017年07月10日
今日は、週末用意していた書類の提出のため、必要な書類を集める。仕事のほうも雨が降って予定が来るってしまって、予定変更で、午後からのお客様の予定のために早めに昼食。昼食中に、お客さんが都合が悪くなられてこられないことになって、休む時間ができたので少し夕方に掛けて休み、夜出荷のために準備する。

今日はつなぐ通信の編集ブログの第二段をアップくださって、林与での取材の詳細を見ていただけるように。今は、さらに猫が2匹追加になっていて、スタッフの皆さんがお泊りいただいたときよりも、デザイナーのお家はにぎやかになっているのである。
2017年07月09日
ソフト仕上げの在庫がかなり少なくなってしまっていて、この夏の分がいけるかどうか微妙なところ。秋ころからまた生産には入ろうとかとは予定はある。織機がたくさんあるものの、それでも織機が足りないと思えるのは、織機だけでなく、織物規格に応じた機も必要だからというあたり。

織機を譲り受けるときには一切合切という条件だったりするとそのあともうまく回せたりするけども、シャトルがなかったり、管がなかったり、機をつくる材料やスペアのパーツがなかったりすると、最初立ち上げるだけでも、中古のジャンクのコピー機を自分で修理するみたいな苦労が伴い、2台をうまくあわせれば1台としてまともに動く1台になるとか。もう1台もいざというときの部品鳥のために捨てられないとか。中古の織機が1台とかではそれを動かしてゆくということは難しい話だったりするものである。後ろにそれを維持してゆくための相当の部品など一切合切が揃っていないと本生産を受けるのは難しい。やったとしても織り工賃も維持費や修理費がかさみ消えてゆく話だろう。

とはいうものの、今の時代の機械も、1年で何回も修理に出さないといけないようなものが多いし、自動車にしても修理というよりも交換でディーラーでも対応がほとんど。新しい設備で機場をつくっても、数年後には古くなって部品もなくなる。それならたくさん織機が動いていた頃の時代の中古のほうが織機としての寿命は長いし、自分自身で調整や修理できるという強みがあろう。

一台の織機で同じものを織り続けるという想定だと織機の調整も必要がないので、調整に追われることも少なくなり生産性が上がる。そのことがまた、1台織機を入れただけでは一つの規格の織物を織るだけしかできないということになって1台織機を入れるメリットは劣ることになる。動かない織機を動くように立ち上げるのは機械の問題ではなく、糸が乗った状態で織れるようにの話になると別の問題であったりして、織機に無理をさせないように織らないと生産性も劣るし、仕事をしてもまともなものが作れずに持ち出しのマイナスで終わろう。

林与の定番のソフト仕上げがシャトル織りにしたのも、当時、高齢にもなられ急ぐ仕事やサンプルが必要な難しいものがつくれなくなって、簡単な量のまとまる継続的な仕事があるように考え、出機さんの仕事を確保するためにも定番をシャトル織にした。本来、麻の無地をシャトルで織るのはシャトルの味以上に、リスクが高すぎてやらない話なのである。レピアだと生産性が上がるのと、糸むらの問題も少ないので、リスクは格段と落ちるが、シャトル織にしたことで、使う糸も安定性のある糸に絞り、生成などでシャトルの切り替わりのタイミング起こりやすい色むらに対しても糸の選定から始まる。

難しいものが難しいから量のまとまる簡単なものを作るだけにしてもらうがそれがものづくりの新しいレベルとなってしまうので、それでも問題が連続して生じてしまって、定番の生産も断念をせざるおえないようなことにも一時期なったりしたこともある。一方で、海外で何千メートルという広い幅で値段も10分の1という値段の生地が問題もなく生産されるようになって、日本人の経験者のものづくりと海外の経験の少ない人のつくるものづくりが逆転してしまったのを感じる。

日本の麻織物の本場でも、産業が老いて正しいものもつくることが難しくなって産地の他の会社さんが機場を閉じられてゆくのもよく分かる話なのである。そういうのに流れないように、織れないといわれていた超細番手リネンに挑戦してみようと100番手を超えるリネンを自社の織機で織るプロジェクトを立ち上げた。150番手のリネンを密度にもよるが無糊で織るということにも成功した。一方で、同じシャトル織機で超厚地リネンにも挑戦したり。先染を得意にしてきた林与が無地の平織りに戻り麻織を追い求めた青の時代だったのだろうと思う。
2017年07月07日
今日は夜出荷のときに日付を書いて、7月7日ということを思い出して、空を見ると星が綺麗な七夕。七夕伝説も徐副伝説と重なる部分があり、八丈島の歴史と重なり、織姫たちこそが日本の織物の始まりの一部を背負っているというあたり。2000年という月日が、それほど昔のことに思えないのは、私が織物をしているからだろう。織物という作業自体、一般の人からすれば昔話だろう。

土踏まずがなぜあるのかという質問をされて、「足が疲れないため」というようなつまらない答えをすると、昔同じ質問に、私が、「神様が人を作るときに肉を節約したかったから」と答えたという。昔は私の頭のなかも今よりも素敵だったんだなあとちょっと今の自分にがっかりだが、土踏まずというネーミングもおしゃれだなあと思える。

織物の世界も技術の部分とファッションセンスっぽい部分ともう一つ、コンスタントな力みたいな部分。その3つが揃ってないとなかなか成り立ちにくいもので、他にも要求されるのが今は企画する人よりも機屋が全体のものづくりを支えるケースが多く。サンプル1点分の生地を用意し、それを再度小ロット生産するということで、デザイナーさんたちのものづくりや企画が成り立つことが多い。生地をデザインするとかの部分よりもサンプル作成や小ロット生産のような成り立たないものどうやって成り立たせるのかという部分を頼まれることが多くそれがものづくりが難しい問題の大きい部分だったりする。

量産された後染生地を使っておられる方が、オリジナルで後染生地を作ろうとされるとそのコストの高さにびっくりされることがある。50m、100mの小ロットで生産すれば、50m、100mで買おうが、数メートルから市販で買える生地よりも何倍も高いというプロの世界の現実。無理はしないほうがデザイナーさんたちのためだったりするので、在庫の生地などで近いイメージのものを使ってもらうという形が増えている。
2017年07月02日
加藤一二三プロというのは、77歳で将棋人生63年を引退された。晩節というのは、プロとしてなかなか勝つことが難しい状況で、九段という段位というのは過去の記録に過ぎない厳しさがある。一方で、藤井四段は、中学2年生で、プロとなってからは公式戦無敗の29連勝を達成した。この意味は、将棋という世界がまさに実力主義の世界であるということを表している。大人が子供に負ける、アマチュアトップの東大生が中学生プロに負ける。

一方で、気になることがこれは超人的な世界であって常人の世界ではなくて、異常な世界であるということ。努力とかそんなのではなくて、見たものをすべて記憶し、想像したことをすべて頭の中で展開が進めてゆくことができる脳の異常的な部分が関係をしていて、マイナスに出なくてプラスに出たということである。普通に優秀な学生として社会にでてサラリーマンとなると逆に優秀すぎて社会に適応できなく落伍者となる可能性が高い。

オリンピック選手なんかでも、常人ではなく脳の異常が運動能力と関係していることが多く、一般的な精神力が高いというのではなく、運動に関して疲れないという特性をもっていたりするだけで、実際の1日の運送会社の責任感を伴うような仕事となると責任感なんてまったく見えず通用しない人がオリンピック選手でも多いものである。政治家なんかもそうで、普通の人のこころの優しさをもっていればできないような、違法じゃないからとモラルすらもない輩が多い。一般人は人としてのモラルややさしさがあるのに、そういうのが見えない人が国会にも集まっていて、小学校の学級会議のほうが人としてまともだったりする。アメリカの議会なんて裏ではロビー活動があったりするが、議会の議論自体はまともなところ多く、日本の議会は裁判所で犯罪者がいうような覚えていないで逃げるが多すぎて、脳の異常を感じたりもする。

富岡製糸場が、理想でありがなら現実的にはうまくいかなかったのも、官製にありがちな人としてのゆがみがあって、良家の娘さんたち限定で楽に働いて良いイメージでというのがあったからだと思う。結局、出来上がったものの品質面でも劣ったのではないかと思う。家族を支えるために必死に働く貧しい農家の娘さんたちが働くほかの工場に負けるのも当たり前で、今度は、そうやってがんばっているところを潰すことが富岡製糸場を正当化するために必要となってくる。そもそも、貧しいものを見下して面倒も見ないのに貧しいものにチャンスを与えることすらも潰してくる。国も吸い上げるばかりで飢え死にするくらいなら、野麦峠を超えるは天国だったであろう。当時の日本の農家の一部はまさに今の難民状態であったのであって、そういう人々に対して、吸い上げるばかりの国とは反対に、5年働けば家が買えるとかのチャンスを与えたのが民間であった部分も理解しないと、当時の人々の苦労の本質は分からないだろう。

農家だと野麦峠以上に働いて食べて行くのも難しい、野麦峠越えれば同じ働けば豊かな生活。国というのが良家の娘さんたちにしか良い条件の作業場を与えずにそれを世界にPRして、実際には貧しいものから吸い上げたお金でそういう贅沢な官製の工場が成果もなくなりたっている。富岡製糸場は、世界遺産にもなったが、人生の痛みを知らない人々の贅沢な理想のものづくりの象徴ではないのかと思える。富岡製糸場も払い下げられて建て直し、結局、行政が投げ出したものを、民間が責任を被って保存してきた部分がある。