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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年11月
リネン日記:13
2018年11月27日
アメリカの宣教師がインドのセネガルの原住民に布教に行って弓矢で殺されてしまった。アメリカの宣教師がよいことをしたのかというと、なにか独善的で仕方のない結果ではないのかと思う。宣教師を受け入れてキリスト教が入れば原住民たちの宗教は揺らぎ、原住民の生活は近いうちに崩壊するだろう。

日本で言うと2200年前の縄文時代に、渡来人が入って、弥生時代を築いた時に新しい宗教が入ったのとにているだろう。基本的には力が強いほうが残る世界、現代社会が原住民が人を殺してけしからんと、原住民たちを正そうとすることが正しいこととは思えない。現代人は力ではないモラルで行動をするように定義されていて、力で制するなら原住民たちを力で制圧できるだろうが、それをやってしまうと現代人らしからぬ。現代人らしく、宣教師が心を開けば受け入れてもらえるものという感覚で進んでいったが受け入れられなかったというほぼ当たり前の結果。

原住民たちの生活のなかに病気などの不幸もあるだろう、現代的な感覚だと教育も受けられず人権侵害だとんるかもしれないが、原住民たちが現代社会に取り込まれたときに一番底辺であるような扱いを受けることになり、それはよいことではないのかもしれないと思える。逆に軍隊のサバイバルでは原住民を理想とするような食糧確保などが訓練としてされていて、生死を掛けて自分で生きるということは忘れ去られた基本なんだろうと思う。

与えられた環境が自然なら、自然に適した生き方が必要で、人類が文明が発達しすぎて滅んでも原住民たちは生き残れる可能性は逆にあるだろう。古代文明と言われるものはすべて滅んで、文明と言うものには終わりがあるのである。現代文明も地球温暖化などで存続が危ぶまれている。

ミランコビッチサイクルのような、2万年とか、10万年とかのサイクルの方が、人類の文明の長さを越え、人類をリセットする力を持っている。地球の傾きの微妙な加減に支えられて人類が地球に存在できているだけ、ガラスの表面の水滴のような存在の中に人類が存在しているだけのことだろう。
2018年11月26日
今日は、中古のものを譲ってもらってそれが問題もなく使えそうでよかった買い物だったのではと思う。取りに行って買ったときに、少し調子が悪いなあと思う感じがしたのでそれをその場で治してもらってから譲ってもらった。この調子の悪さは、古いものには、よくある問題なのである。もし、それを治してもらっていなければあまりよい買い物をしたことにはならなかっただろう。今日1日使ってみたが問題もなくいい感じ。

中古で買ったものが近いうちに寿命となることもあるけども、それはそれで使えるだけ使ったということなので、私の哲学からすれば悪いことではないと思う。新しいものを買って治せるのに治さないで買い換えるというのが私はあまり好きじゃない。今は、修理が高いとかが多いので。

糸を繋ぐ、タイイングマシーンという機械があるけども、40年前でも、1台が200万円とか300万円。メーカーで修理すると、今でも1回10万円コース。タイイングマシーンは、切れない糸を繋ぐのにはよいのだが、切れやすい麻糸を繋ぐのには、そこまでの調整をできる人はメーカーにもいないのである。時間があれば、自分で一回分解してみようと思う。全部綺麗に掃除して組み立てれば、きっと、織機と同じで、メーカーの人以上に調整に詳しくなれるだろう。
2018年11月17日
物販の商売で一番大事なのは場所だろうなあと思う。コンビニが廃業したあとの建物に新たに別のコンビニが入っても成り立たせることは難しい。コンビニが廃業するような場所で、物販や集客の仕事はほぼ成り立たないの法則が私の中にはある。

今、ファストフード店が、営業時間を24時間から午後10時までとか午後12時までとかに切り替えている。本来、24時間で回すほうが、原材料費が非常に低いメニューなので、固定費用として掛かる場所代を浮かせるためには、よいのである。でも、次なる固定費用というのは人件費、夜中一人でワンオペできるとよいのだろうけど、ワンオペというのは基本禁止されているというか、間に1時間の休憩を挟むと、一人で朝までとかは無理で、2人必要となるから、お客さんが少なくても最低2人体制が必要。

田舎だとお客さんが1時間に数人ということもありうるから2人体制は成り立たず、10時までの営業とか12時までの営業に切り替えるところが多いのだろう。でもフランチャイズというのは酷で田舎であっても今まで24時間営業を課して来た。何時でも食インフラがあるという意味では田舎が便利になり人が増えるという要素にもなりうるが、マイナス経営だとそれを続けていること事態が将来を暗くする。

丸亀うどんが朝うどんをはじめたことがあって朝8時から、私は大喜びだったけど、1ヶ月で断念。私みたいに徹夜で働く人というのは田舎では少ない。朝8時にうどん屋が開いたところでうどんを食べに行くシチュエーションに無い人が多すぎるのである。固定費用を薄めようとして長時間営業にしてもメリットがない例で、断念したのは正しい判断だと思える。お客さんは1時間に2組くらいで、そこに2人から3人が店頭に立つメリットはなく、11時開店のほうが成り立ち安いだろう。

人を雇って経営をする場合には場所だけでなく時間も大事なのである。人を雇わずに経営の場合には、規模も小さくなるだろうから場所もそれほど大事ではなくなる。また時間も自由に設定しやすいから、深夜のみの営業でもよいだろうし、ピーク時だけの営業でもよいだろう。大企業経営のような普通を目指して小さいところが残れるはずもなく、大企業経営にできないことや逆をやらないと残れない。
2018年11月16日
林与が麻を染めるときに、特別な事情が無い限りはほとんどの場合、より均一に綺麗に染めたいのでカセで染める。かせ上げ、チーズアップが必要になってくるのだが、こういう仕事はどんどんと消えて行くばかり。今もシーズンに入って、チーズアップのおじいさんが入院で、林与も自分でチーズアップの作業を行う。自分で作業を行うので作業する人の立場というものも良く分かり、普通に自分から仕事ができないとこの仕事というのは難しいなあと思う。

ある工場の社長が、自分が作業しているんですよみたいな話をすごいことみたいに言われたりもするけど、それって普通だよ、と思ったりするのは私だけだろうか、そうでないと工場のものづくりなんて成り立たなくなる一方。仕事してもそれなりに出来ない人が社長するなんて考えられない。

同級生の漬物屋さんの亡くなられた先代が、80過ぎて、醤油の御用聞きに来られた。醤油なんてスーパーで200円ほどで買える感覚が普通にあるのだが、こうやって、初心忘れるべからずで80過ぎて若い頃にやっていた御用聞きを再びされている小さい頃からしっている同級生の立派なお父さん。経営者としても評価の高い方だったが、商売の基本を死ぬまで貫いておられたのは立派としか思えなかった。

それが成り立つ成り立たないは別として自分自身が仕事していて最初の基本を失いそうになることも多い、私自身、御用聞きのようなことができるだろうかと自問する。
2018年11月15日
今日は韓国向けのサンプル出荷。16枚ドビーの組織を、8枚ドビーで再現するため、ソウコウを入れ替える。縦糸を繋いで、白糸を黒い糸に200本ほど差し替えして平で織るまで平丸々2日、そこからソウコウを入れ替えしてカードを作って織る。ドビーは基本順通しになっているけど、それを入れ替えすることで、複雑な柄を織ることができるようになる。

平の組織だと問題なかったけど、ドビー組織の甘い部分がドローパー落ちが起こり、織れない判断。やってみるとうまく行くこともあるし、やってみないと分からないこともある。15cmx30cmほどのサンプルをつくるだけに、詰めて3日、普通だと一人の作業で1週間ほどの時間が掛かる。頭で考えたことをそのまま織物に再現する作業。頭で考えるは簡単でも実際に作業するとなると一仕事なのである。

夕方に草津のFEDEXに持ち込んで無事出荷。明日にはソウルに届く予定。第三ラウンドの終了。
2018年11月14日
升田幸三という棋士がいた、晩期はまさにおっさん。この爺さんとくらべると、目立ちたがりの一二三さんがいくつになっても子供にみえるほど、だけど、将棋に人生を掛けていた。そういう人がもういないのが今。なんで、あんなボロボロの爺さんが強いのか、いわゆるくすぶりなのだろうけども将棋というものが玉を取り合う世界であるという本質を持っていた。お行儀のよい世界に落ち着こうとするけども、そこではない実力の世界。

そういう人生観が好きである。将棋界で天空人が恐れるようないつでも下から這い上がる力。タイトルとか安定とかそんなものは意味はない。名人をなんら価値のないものとして取りに行く。道を極めている人の世界な気がする。盤上の勝負の世界だけのことで、それが将棋の本質だろう。タイトルなんかは勝負の世界とは別の無意味な世界。将棋の世界は本来そういう世界だろう。

升田幸三が名人になろうが、升田はじじいでよいのだ。そういう強いじじいがよいのである。藤井聡太氏は同じ臭いがする。負けて悔しくて泣くとか。一つ一つの勝負を大事にしているところが本物。

2018年11月13日
今日は朝からキッチンクロスの納品に向かう。手ごろな箱がなく、箱を探していて今日の自社便での納品になった。納品先が近くの県で車で1時間くらい。時々、草津のクロネコのセンターとかまでいくと同じくらい時間が掛かるので、送料を考えると自社便のほうが簡単だったりすることもある。

今日は疲れていたので、帰りに、焼肉の食べ放題を食べた。一人3000円くらいの食べ放題で、沢山食べて体力回復。食べ物というのは、ほんと薬と同じに思う。すごくお腹が空いていて体力も落ちていたのに、お腹が一杯になるともう食べられなくなる。健康な証拠であろうと思う。

久しぶりに帰ってゆっくりと休息をとった、今年の第二ラウンドが終了した感じ。
2018年11月07日
日本で神というと、人の力を超えた力を持つ存在を神と呼ぶところがあるけども、そのあたりが凄くインドのヒンズー教と似ている。ヒンズー教の祭りでは、石像が隠れているのでそれを鬼たちがなだめて(その鬼たちもまた神様だということだけど)、石像が出てきて人々が幸せになるようなことが行われていたりして、日本の神話と類似している。大麻にしてもヒンズーでは、シヴァ神の好物として、神の草として、貢物として供えられる。日本の鳥居がヒンズーの門と非常に似ていて、現地では日本の鳥居の起源であると説明されているという。

ヒンズーの影響があるのかという点、私は徐福の存在を信じているので、徐福がインド留学でヒンズーの儀式や仏教を学んで持ち帰ったと思う。徐福が童男童女3000人職工500人とともに、五穀を日本に持ち込み、階級社会を作り上げる基礎となったのが、日本の神道の儀式の起源ではないのかと考えるところ。日本の神道で苧麻ではなく、麻が大事にされるのも徐福が留学したインドの影響ではないかと思うのである。

大麻というのは日本の天皇が大嘗祭でお召しになられるアラタエと呼ばれるものが有名だが、天皇がお召しになられるアラタエは、本来は、鹿の皮でそれが織物に置き換わったとされている説があるが、それは微妙。粗妙とか荒妙で、シルクと区別して荒い妙であるというのが、本当だろと思う。鹿が3匹で、麤と書くアライは麁と同じ文字とされるが、シカが集まるときに離れている様だという。アラタエはニギタエの対語とされ、アラは素材を指すのではなく、状態を指すと考えるべきだろう。タエが共通ではなく、栲(カジノキ)と妙(シルク)なのだろう。タエというのは基本、布ではなく、綿を集積した物。多重ねるの意味だろう。

大麻も、織物として使われる以外に、繊維を綿状にしてタエとして使われていたこともあるようである。アラタエ、ワタタエが原料そのものを指すのではなく、実際は、見た目であるというのがポイントではないのだろうか。木を編んだようなものはアラタエ、真綿はコットンではなくシルクというのも不思議なことだが、シルクの一本の糸を引くのではなく、繭を打綿して伸ばして布状にしたものが本来のタエだったのであろう。綿は、本来は木綿と書いてモメン、コットンは棉と書くべきが妥当かとも思う。木から取れるワタなのである。布は、ヌウオが語源で、織物の原型の縫われた苧を指す。オを縫ったような状態が織物で、織るは折るがもととされるが、苧(オ)、麻(オ)と呼ぶところから、オを作業した物であるということだろう。

大麻がカラムシでないといわれるけど、カラムシしたら大麻もカラムシ。そのまま使えば太布であるという、本来の太布というのは苧にせずにそのまま編んだものだろう。つる草を編んだものとか、太布らしい感じを受ける。厳密に云々じゃなく、感覚的なもので、資材系に編まれたようなものが太布で、大麻は本来、カラムシされなかったのであろう。だからカラムシとは呼ばれない。でも、専門家もしらない部分かもしれないが、大麻も蒸して緒を取り出せば、カラムシなのである。緒にしても苧も同じ、紐というのがオなのである。苧麻にしてもカラムシして引き裂かなければ、見た目、太布になりうる。

頭でっかちに成分や原料分析の専門家になるよりも、織物の現実や一般的名客観的視点が古代の麻だけでなく、布を見る観点だろうと思う。シルクですらもまったく、織物じゃなく、真綿といわれる妙としてつかわれていた、妙というのが多重だと思うのも私だけのことだろうか。タエと聞いて、多く重ねるを想像するの日本人的な表現なのdが、それを失ってしまっては駄目、成分分析よりも、原始的な感覚こそが大事。
2018年11月05日
織機に掛かっていた縦が順番に終わって、織機が空いてくる。機を乗せ換えするなど織機の立ち上げや新たなビームを繋ぐなど。一本のビームが織りおわると長い旅が終わったような錯覚に陥るが、織り終わってからもシャトル織機の場合には糸切作業が必要で、加工出し前の検反作業が必要である。織のプロであるかないかは検反作業でも分かる。上手な人が織ると1反に5箇所以内のキズに収まっているが、下手な人が織ると修正作業が織るよりも何倍も時間が掛かることがある。

織り手さんというのは、何台も織機を動かしながらキズを出さないようにどれだけ良い生地を多く織ることができるかが技である。沢山織れても問題ばかりだと織らないほうがまし。麻糸の場合にはキズは付き物なのだけど、許容範囲に収められるかどうかがポイント。自分が失敗しなくても糸が切れて汚く織れてしまうこともあるが、そういうのが1反50mで5箇所以内に収まっていないと駄目。上手な人は織り段ができないが、下手な人は織り段だらけになる。同じ織機を使っても人が違うと、結果として生まれる反物の良し悪しは分かれる。

一番駄目なのが、糸をまっすぐ繋いでいないこと。なぜ糸を順番にまっすぐでないと駄目なのか理屈は分からなくても、全部順番に正しくといわれてそれを軽く考えてしまう、素直さの無い人は、織ることに問題を多く抱えてしまう。理屈としては糸がまっすぐ走っていないと、ドロッパーのところで交差してドロッパーが落ち難くなりやすいから、糸切れしやすくなるだけでなく、糸切れしても縦糸切れを感知し難くなり、縦糸切れのままキズで織れてしまう。

細い繊細な糸だと交差してしまうだけで糸に抵抗が掛かり、糸が弛んできたりすることがある。それが分からず糸に錘を掛けたりして行き当たりばったりで織っているとどんどんと錘の数が増えてくる。糸切れなどしたときに、糸をまっすぐに繋がないといけないのだけどもそのコツをおしえてもなかなか実践せず、手元で見つけた糸を適当にそのまま繋いでとか。経験の長さの問題ではなくて、ちゃんとできる人は最初から教えてもらったらちゃんとするけど、ちゃんとできない人は毎回ちゃんとしないまま駄目な作業が続くことが多い。

日本の製造業は高度なものをつくって生き残るという話になるけども、それが本当に難しい話。一つの織物に経4色、横4色とか使う織物だと、3配色あると24色の糸を使うことになる。横糸だけで、12色。普通の平織だけど色数が多いので高度なデザイン性の高い織物の一つであるが、その糸の管理にしても現場の年配の方が理解できるのかというとそれは難しい話。全部、どの品番の何番目の糸が書いた新しいビニールに糸を分けて入れてわたしても、ビニールを別の用途に使いたいのだろう、つぎに行ったときにはビニール袋は消えて糸はまとめて箱に入れられてしまっていてとか、できないとか分からないのを心配して完璧に用意してもどうしようもない話。

高度な織物をつくることよりも現場の人が失敗しないように仕事をしてもらうのにすごい力が必要になってしまって、普通の白い無地の織物の仕事も危ないということも多いので仕事があっても仕事をしてもらえなくなる。私自身、仕事というのはあってもタダでお金がもらえるわけではなく、貰うお金以上の苦労があってお客様には喜んでもらえるものと考えている。なんで仕事を出さないんだみないたことを言われる下請け業者さんもおられるけども、なかなか今のリズムについていくのは難しいだろうと思うことが多い。サンプルが1ヶ月以内に出来て、本生産も2ヶ月でできるような体制だといろんな仕事が受けられるだろうけども。そういうのを先染の世界やプリントの世界でやろうとしても納期的に無理で、コスト的にも難しいという話以前に、失敗すると作り直すにしても時間もないし現場にそれだけの覚悟があるのかというと仕事は欲しいがというところで終わってしまうと思う。

堅牢度などを上げる方法でも確実な方法があるけどもそれをやってもらえるかどうかという問題もあるが難しいという結論。なぜ、今のものは昔のものよりも堅牢度が悪いのかという問題にもつながる話ではあるが、全体のレベルが下がったときに高度なものを流すことは納期の面も含めてなかなか難しいのである。染色工場やプリント工場なんかでもなぜ、1ヶ月ほど時間が掛かるのかというと、仕事が一杯ということもあるだろうけども、染色を伴う工程では洗浄という作業が伴い薄い色から順番に染めていって濃い色を染めて、黒や濃色が終わった後、強烈な清掃洗浄を行い、薄い色に戻るというような釜の使い方がされているところもある。ものづくりを安全にするためには良い方法ではあるのだ。実際に洗浄というのは水や洗剤を大量に使うので、毎回強烈な洗浄が理想かもしれないがエコな側面も考慮は必要だろう。そういうサイクルを合わせるために1ヶ月くらいの時間が必要となる事情もある。これは加工工場さんでも同じで、濃い色のもののあとに薄い色のものをいくといくら洗浄をしていても色移りなど危ないことはある。麻の産地では、秋から春先までの生産時期には、先染だと、染で1ヶ月、巻き返し1週間、整経経てつなぎ1週間、織り1週間から1ヶ月、加工2週間から1ヶ月くらいのような合計3ヶ月から4ヶ月の納期計算になる。12月初めに本生産の注文が入っても納期は3月末とか。見本から考えると半年から1年、一つの仕事に携わることになり、そういう仕事を並行してこなしてゆくことで仕事が全体として流れて行く。
2018年11月04日
今日は午前中織っていて、午後から整経の作業、整経機は2台あるので、2台同時に整経。結局6時間くらい掛かって2本の整経が終了。40番と25番だったのでそれほど難しくはなかった。整経という作業は、教えてもらったのは最初の半日で、巻取りは難しく1週間ほど助けてもらいながら巻き取りは覚えた。そこからは自分自身でコツを掴んで行く。整経だけやっていると自分の整経したビームが織の工程でどのように扱われるのかが分からず、アゼを取る意味なども不明なのだが、経て繋ぎを覚えたり、織りを覚えてコマを入れるのに慣れたりすると、整経の重要性が分かってくる。

織は、素人の人でも体力があって、意欲的な人なら、レピアなら1日、シャトルで1週間で基本動作をマスターしてもらうことは可能だと思うけど、整経は素人がやると非常にまずいので、糸を立てるだけとか、最初のドラムに巻く荒巻と呼ばれる工程をサポートしながらやってもらう。本麻だと、一回で、携帯電話どころじゃなく、軽自動車1台買えるくらいの100万円コースの失敗もありえるから。まさに、運転手が左右確認安全運転していないと物損の交通事故を起こすのと同じくらいのダメージが普通の仕事である。自動車の運転だけでなく、整経の作業は、迂闊だと物損事故が起こりやすい。縦が綿だと部分整経も糸切れも少なくテンションがシビアじゃないので非常に簡単になる。アイリッシュリネン140番手の整経は半年掛けてコツコツ糸のフシを取りながら200mの整経とか。

整経屋さんという概念が私の中にはほとんどないけども、一般的な機屋さんというのは整経作業は整経屋さんが行い、整経されたビームを経繋ぎして織るのが織の工程。整経の作業は、中国やベトナムでも見学したことがあるけども、整経の基本を教えられる人は少ないのではないかと思う。私は、整経がほんとうに上手な方から教えてもらったので、ほとんどすべてを吸収し、プラス、高度な計算や自分の工夫を取り入れたので理論的な失敗が少ないのと、実際に糸を扱うときの作業スピードと感覚が身に付いているので糊の加減とかの問題も回避できることが多い。

整経でも織でも何か問題があったら報告しなさいというのは、正しく報告さえあれば、問題も最小限にとどめることが出来る。織物というのはアセンブル作業じゃないから、後戻りが難しいのである。問題をそのまま次の工程に送るでなく、問題をどう取り除くかがポイント。整経というのも整経という作業だけで食べておられるプロもある仕事、たぶん、麻糸の部分整軽では日本では一番くらいの自信があったりするが、そのくらいでないと残れない小さな世界だと思う。

整経も、技術だけじゃなく、計算が出来ないと難しい。糸量の計算や、糸を実際に分割したり、とらぷったときにそれを助けてリカバーする力。糸の濃さが一巻きのなかで3倍くらい異なる糸を色の濃さごとに分割してまぶして綺麗に使うとかも、整経の技術のうち。糊が甘い糸を整形と織りのテンション管理で問題なく織るとか。糊がキツく伸度のない糸というのは整経で糸が張ったり、ぽろぽろと壊れるので予見ができる。データだとそういう糸でも許容範囲なのだろうが、普通、そういう糸をつかんでしまうと織れないで済めばいいが、織れないと駄目な条件では会社が潰れる話でそういう一つの仕事で大きくトラぶって次も同じことがありうると考えると機屋が廃業を決断されるケースも多い。

糊付けにしてもどうしても織れないときがあって、聞くとサンプルのときと糊剤が違うとか、これだけで糸と染で30万円コースの損害の話で糊付け屋さんが被れない金額の問題。新しい薬剤を使われるときに人柱が必要で、私が的確な駄目という判断をしてあげて、のり付け屋さんもその薬剤が駄目だということが分かるというメカニズム。麻の糊付けでは有名な会社でもそういうことがあり技術面と費用面で助けてあげないといけないことがある。林与が麻の糸を織れないと判断するときに、調子よく織れている台に、3台、4台乗せ換えして、どの台で織っても無理だからこの糸は駄目とか、糊付けは駄目とか結論付ける。作業の途中でもいつもと違う違和感がぷんぷんして心配しながら様子をみるのである。

今日は雨が降っていて、肌寒い感じが少しして、風邪を引いたか。
2018年11月03日
今日、染屋さんに糸を持ってゆこうとすると、なぜか、変な予感。文化の日に気がつく。最近は祭日が移動するようになったので、今日が祭日なのかどうか確かめてやっぱり祭日だった。運送会社からも電話があって祭日なので荷物が今日は出ないという話。今日は工場の中での作業なので大きな影響というのはないのだが、仕事でやっていることも仕事というよりも文化的な要素が強い気もする。製造する環境が時代遅れだというのも文化的には珍しいことなので価値があるだろう。仕事に対する考え方も特殊だとなるとそこに価値があるだろう。

今日も、個人で商売されている糸商さんに電話しても快く仕事の話を引き受けてくれて個人で商売されている方からも電話があって、平日よりも落ち着いて仕事ができるので休日はありがたい。仕事というのは予定を立てるけども予定が予定通りに行かないことのほうが多く、予定通りに行くためには一つ一つの仕事を正しくこなして行く必要があるのだが、一つ深みに嵌ると、1週間くらいの時間がただ過ぎてゆくことも多い。そういうのを越えていくから仕事が成り立つのだろうと思う。

一つの深みに嵌って普通にしていれば、そこで出来ないで終わってしまう。次もやる前から出来ないという判断になるだろう。絶対に織れないような状況からでも試行錯誤すれば、問題なく織れる様になったりすることが多いのである。織機が動かないときに病気を治すようなものだと思うが、お医者さんだと患者さんが治らなくても仕事は成り立つけど、織物の仕事は治して初めて仕事として成り立つ。
2018年11月02日
人が出来ているなあと思えたのが、数年前に廃業された機屋さん。一人で最後仕事をやっておられて自分の葬式の準備までノートにまとめて、それを見れば自分の葬式が形になるように。奥さんも高齢で動けなくなっておられて、仕事できる時間も限られておられ奥さんの面倒をみるためにまだまだ動けるのに廃業に到られたのだと思った。お客さんが困るので、織機を私に譲りたいというお話があって、私も自分自身の仕事で手一杯な状況ではあったけども、たぶん、その織機を動かせるのは私以外にはいないだろうと思ったから引き受けさせていただこうと思った。

その方は私がお客さんの面倒をみられるように願っておられたが、途中、他の人が何人も入ってくると話がややこしくなって、その工場の織機を受け入れることは断念し、もうひとつ工場が廃業されるのでそちらの織機を入れることにした。私自身、林与が50年前にやっていた織物の世界だったので、私自身は経験はなかったが、残したいなあと思った。また、そういう半世紀も昔の技術を残しておられることも、技術我というよりも、その方の考え方が凄いのである。考え方に行動が伴って技術が生きる。

そういう方というのは本当に稀であって、仕事に対して正しくて前向きだったのである。足元をみてぶっかけるようなこともしないし、また、誠意がある。いわゆる自分の甲斐性をわきまえた方であると思えた。みんな、自分の甲斐性を考えずに、人の甲斐性に甘えようとするのが一般的な商売になりつつある。一般的には、繊維の現場の世界では、仕事を嫌がったり面倒がったりする人が多い中で、そういう人に出会えたのは新鮮であった。最後の最後まで、地道な仕事で会社を健全に経営されて自分でその会社を閉じられた。立派だなあと、尊敬するのである。技術面に特化されていて毒されていなかったからなのかとも思えるのだが、そういう仕事でも継承しようとすると壁は大きいのを感じる。

取り巻く環境がそういうのを継承できるような状況ではないのである。非常に特殊な和装用の織物で、良質の糸を使って1時間に1mほど高度な織物。卸値段を聞くとびっくりするくらいに安くて1mが600円とか、ふた幅取りするので2倍の1200円としても、その方だから成り立ったような商売なのである。触るとマイナスに終わる世界。私も覚悟決めていたので商売としてはまったく考えていなかったが、あの織機は普通だと譲り受けたとしてまともに動かないだろうと思う。動かしたとしてもキズだらけでマイナスで終わる可能性も高い。綿なら織れるだろうけど。麻で織るには相当な調整が必要。林与の今のレピアジャガード織機でも手を加えれば同じことができないことはないのであるが、レピアの場合開口の問題などで麻では難しいだろうと思った。
2018年11月01日
技術の継承というものは、原料や麻糸などをみていると他国に移りグローバル化が進んでいる。グローバル化というけども、日本ではほとんど行われなくなったという状態。織物というのはどこでも出来そうなもので成り立ちそうではあるが、たとえば、一世代前の織物の技術を継承しようとしても、生産性の高い大型織機のメーカーは残っていても、日本にはシャトル織機のメーカーが残っていない。シャトル織機の動きというのはそれほどブラックボックスではないので、電気系統が多いレピア織機に比べれば、理解がしやすいものではある。

今と昔が違うのは、為替の関係もあって、日本の繊維市場は日本の市場であったこと。今は、繊維製品の95%が海外から入ってきているくらいだろう。今の時代に、価格競争力のない織物を生産することは基本難しいことなのである。ベースとなる大量に流れる無地などの織物が海外生地で占められてしまっては、人でも減った状態で手の掛かる仕事をするときに、普通の仕事だけでなく、織機メーカーの力も必要となる。

織物というのは自分が織機を持っていればいろいろとつくれるだろうと思うけど、これは逆で、自分でつくるとできることは限られているし、高くつくことも多い。とことんなものや、特別なものが作れるというのが利点じゃないだろうかと思う。織るという要素だけではなかなか難しいだろうなあと思うのも、自分で特別なものを作ろうとしたときに糸を手に入れる力が必要となってくる。国内だけでなく、海外から引っ張ってくる力が必要となる。こうなると、糸商的な仕事も機屋ができないと特別なものを自分で生み出すことが難しい。

また、つくる技術や力があっても、自分で売る力がなければ成り立たせるのは難しいだろうと思う。販売能力もないと、田舎の商店街のお店と同じ道のりを辿ることになる。技術を継承したら食べて行けるのかというと、織物の世界で、目の前の問題を解決して行くだけのことで、仕事は基本、誰かにいつも教えてもらうようなものではないという現実。

ここ数日も、織りの密度が上がらない問題で、問題をかかえていたがそこで終わるとその企画が倒れるだけでなく、私自身が「この問題は解決出来ない」という結論に達してしまう。それで、この5日の最初3日ほど密度を上げるために織機の調整を繰り返し織機の調整では無理だと悟って原因にたどり着いた。原因にたどり着いただけでなくそこから2日ほとんどぶっ続けの作業で、織ってみてうまく織れたからそれが本当に原因だと分かった。まったく織れないが、問題なく織れる瞬間で特別の織物が出来上がる。こういう作業でも何人かでやれば普通の作業で終わるだろうけどなかなかこういう作業を坦々とこなせる人は少ないのである。こういう作業に意味を感じられるのかどうかが、大きな結果の違いにつながってくる。