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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2020年1月
2020年1月
リネン日記:17
2020年01月27日
私もいろんな限界に挑戦をすることがあるが、この20年ほどモノづくりの限界に挑戦しているというよりも、構造的な問題の解決に悩んでいることのほうが多い。人はいろんな考え方があるので、その考え方というのが変わることはまずない。それまでの生き方があるので教育を受けたからとか人に説教されたから変わるなんてことはないのである。自分ががんばれば他の人もがんばってくれるだろうみたいなことは、家族でもないのが普通でそれを他人に期待すること自体が間違っているのであろう。

私自身は頑張ってる人は応援したいと思うが、頑張るというのも自分が頑張る環境から作っている人を応援したいのである。ある方の紹介で私に教えてほしいと助けを求められてきた方があったけども、聞くばかりで自分が動こうとされない。それはどういうことですか、自分はコンバーターで専門的なことは素人だから分からない。それだと企画を受けるコンバーターの仕事をするのも難しいだろう。まず、経験を積んでもらったほうがよいだろうと思うのである。実は私もその分野のことは素人だけども、一度、2度の取り組みでそれなりに覚悟決めてやろうと思って取り組むので、かなり深いところまでたどり着くだけのことなのである。自分がやったほうが簡単にできそうならその分野でも機械装置を入れてでも自分で抱え込んで思い通りのことを試してみたいと思うから本気なのである。

自分がやればうまくいくことでも、内部でも他の人にやってもらうとうまく行かないことは多い、外に業者に頼んでもこうやってこうやればできないことはないのにということがなかなか簡単にはやってもらえないことも多い。それも冒頭の人にはいろんな考え方があるから仕事観というのは人生観が出てしまって、ものが正しくつくれるのが当たり前とかみたいなところにたどり着ける人というのは10人に一人か二人くらいじゃないかと思う。手先が器用とか慣れの問題というよりも、人のいうことを聞きいて自分が作業したくないという性格の人は経験の幅もすごく狭くなるので難しいと思う。自分の好きなものをつくって食べてゆけるのが理想だろうけどもそれは自分自身が作業して作って売って生活を成り立たせてゆかないと、他の人に頼んだりと成れば他の人の生活の面倒まで自分の好きなものをつくることでみていかないといけないことになる。その辺りが仕事の本質的な部分だろうと思う。

経営者の方と話をしていると人が多ければ多いほど人の面倒をみる苦労のことが多くどこも一緒だなあと思う。林与は家族経営規模の小さな会社で人が少なく、実際に目の前のことをどんどんと前に進めていける人が必要。そういう人というのは織物とか繊維の世界じゃなくてもどんな業種でも活躍できるタイプの人だろうなあと思う。以前、林与で働きたいと来てくれたすごく優秀な学生さんがおられたが、その時は逆に私のほうが、こんな田舎の小さな会社で5年とかでも働いたら外の世界に取り残されてしまうのではないだろうかと心配してよく考えたらという、そういう人を求めているのに目の前にそういう人がいた時に他の大きな会社でいろんなチャンスをつかむことを薦めてしまうようなバカをやってしまった。そういう目標が高く、実際に行動して動いている人というのはどこの世界でも通用するだろう。
2020年01月26日
武漢の市場から採取した野生動物のサンプルから、新型コロナウィルスが多数検出されたという。結局、鶏、牛、豚などのように発症元そのものをすべて撲滅するような形でないとならないのなら、本当に大掛かりな問題。人の予防だけでなく、いろんな動物を予防しないとならないが野生動物が感染源となるとその地域のその種を駆除するしかないのだろう。武漢の地域全体がウィルス除去の対象となりうる。さらには、疑わしいとされるコウモリや鳥などは移動範囲が広くウィルスを広めることになる。

感染源を断つことよりもウィルスに対する治療薬や抗体を開発するほうが現実的ではあろうけども、武漢というのは1000万人都市で東京に匹敵する規模の都市、海外からの観光客なども訪れるような場所なので感染源をそのままにしておくということも結局は感染を抑えることが難しい問題につながる。新型コロナウィルスの問題は、肺が壊滅状態になって死に至るケースのようである。中国という国が、武漢の人の移動の禁止だけでなく、中国人の海外への団体旅行の禁止など、積極的な動きをみせているのが拡散を抑える方法としては役立つ。旅行のキャンセルとかは小さな問題で、感染者を増やさないほうが優先されるべきだろう。

2020年01月25日
コロナウィルスが猛威を振るっている。人を絶滅させようとする自然の力の一つだろう。ウィルスと戦うことは自然との闘いの一つだろうと思う。今の時代は医療関係者しかウィルスの研究をできない形、本来は人類の誰もがそれと戦ってこそバランスが取れるものだろうと思うので、いずれ、人類はできることもできないルールばかりになって自然の原理からすると滅んでしまうんじゃないだろうかと思う。

たとえば、みんなが家から出ないことで感染の広がりは抑えられることもあるだろう。中国の武漢の人々の移動を禁止を勧告するような判断というのは極端すぎると思えるかもしれないが、できうる一つの手段を講じたともいえる。もちろんそれによるマイナス部分もあるだろうけども、それだけで何百人、何千人人もの命が救われる可能性を考えるとそういう手段も適切ではないのかと思える。
2020年01月24日
麻布というのは非常に売りやすいテーマの一つ、というのも、自然で体に良いとかの要素があって、合成繊維に比べると、売り方ひとつで売れる可能性がある。ポリエステルは今、世界中から敵視されているけども、安価で大量に使われていて、皺になりにくく、英語でコンパクトリネンと呼ばれるものはポリエステルだろうと思う(私がコンパクトリネンという言葉の意味が分からなくて、他の人からたぶんポリエステルのことだろうと聞いた)。

自分がポリエステルの会社の社長だったら何を考えるだろうか、ニーズ的なものだろうと思う。たとえば、皺になりやすいリネンをだれもが使いたいとは思わないだろう。イージーメンテナンスな素材で安価でセールスポイントは多いのである。ファッション性などをメインに打ち出せば需要はあるだろう。スポーツ選手のユニフォームなど、転写式のインクジェットプリントで自由自在のデザインが作れるとか魅力ではある。すごくコンパクトなシステムで思い通りのものができるのは大掛かりにならない分、小ロット生産においてはエコだといえる。

今は、コットンまでもが諸悪の根源視されるようになった。枯葉剤というだけでなく、水を大量に消費するというところ。コットンはそんなに悪者か?コットンやめてリネンを着ましょうとか、私はリネン業界にいるけども、天然繊維の大きな部分はコットンが支えてきて廉価で誰でもが買えるインフラの一つなのである。コットンを着て良いと思う人がいればそれは一つの選択だろう。すべてをオーガニックにみたいなことを言っていると普通の物にオーガニックとつけただけになって、本来のオーガニックがあるべき自然農法的なものから遠い、どんどんビニールハウス栽培的なオーガニックになってしまう。まさに虫やカビなどの存在しない砂漠の中でのオーガニック。

オーガニックというのは余力でやるべきだろうなあと思うのはそこ、普通の物で利益を上げてその利益をオーガニックに注いで理想のオーガニックを一部でも続けていく。そうでないと、レギュレーションするもののさじ加減でオーガニックにポリエステルが入ったりとか、繊維の世界の人の概念からすると、天然繊維100%でもないものを平気でオーガニックと偽装する神経が怖い。まさに、商売のためのオーガニックだと思う。食品の世界でも偽装は多いけども、消費者を欺くような表記は駄目だろう。消費者というのは信じて買うのだから裏切らないようにしないと、利益を得るためにやっていても意図的に消費者を騙して金儲けするような方向になっては地道な繊維の世界の価値観を壊してしまう。

いろんな偽装が途上国からという風に思われるかもしれないが、案外、国内の業者さんが現地で1000円で仕入れたカシミヤのストールを何万円で売られていることがある。プロなら本物かどうか判断しないといけないのだが、売る人がカシミヤといってるからでは消費者レベル。そんな悪徳業者は日本の呉服の世界でも五万といて、よくいわれるのに、1のものを11にして売るのが呉服の商売であると。だから、本物の産地のものを自分の足で運んで売る行商の業者なんかが逆に成功をしたのである。もう一つ日本人の問題は、間違いはあるということをどこまでも追い詰める癖。基調が偽装ならどうしようもないが、必死に正しくやろうとしてもできないこともあるし、間違いもある。それを鬼の首を取ったかのように追い詰める癖があったりする。

日本の牛は全頭検査させて、輸入牛は目視検査とか、だらしない役人の内弁慶では、海外に日本の牛農家が市場を奪われるのは当たり前。日本のケアラベル表記にしても本来は日本人の選択方法に適したものが一番で、旧のラベルのほうが適切だったが、日本の業者が海外で生産して海外に売るようになって海外ラベルに統一する流れなんだろう。でも、繊維とはかけ離れ売るだけの人が管理しだして、日本の繊維もどんどんと薄っぺらくなってゆく気がしてならない。家庭洗濯といっても日本の洗濯機ではなく、コインランドリー洗濯みたいなものがベースのラベルなのである。日本の洗濯事情に合うはずもない。だから、シンプルなマークの下に、日本語の小さな文字でデメリット表示や注意書きがいくつも並ぶ羽目になる。

日本は四季があって服飾文化が栄えたところがある、それが海外に基準を合わせてゆくと、服飾文化というのは薄れてゆくだけのこと。それを業界自身がそっちの方向向いていたら単なる海外製品の輸入業者、すべてその感覚で縛ってしまうようなことはやめていただきたいなあと思う。日本のマークのほうが絵心があって分かりやすくてよいと思う。一番の問題は、消費者のこと考えていないのじゃないかと思う。
2020年01月23日
オリンピックの制服が決まった。白いジャケットに赤いパンツ。見るとやっぱり、逆のほうが良いと思う。赤いジャケットに白いパンツ。なぜなのか、まず、赤いパンツは厳しいわあという、ファッション感覚。赤いパンツがどれだえけ出回っているものか、考えてみると分かる。それに白いジャケットでは上半身が沈むと思う。赤いジャケットは、派手だけど、衣装系ではありだと思うし、案外、普通にあったりする。赤いジャケット白いパンツが正しい選択でかっこいいと思うが、どうして逆になった?

下半身に注目を集めるというのは、映像でも映えないと思う。日本なので赤と白のコントラストは悪くないが、赤と白の使い方が逆じゃないのかと思えて仕方ない。過去にあったからあえて逆にしたとかだとそういうセンスなしなのはやめてほしいチョイス。今からでも、赤いジャケット白いパンツにしてほしいと思う。若い選手たちには特によく合うファッションセンス。年寄りの役員には、白いジャケット、赤いパンツがが良いかもしれないが、主役は、若い選手たち。役員と選手、色を逆にしたほうが合うのかもしれない。

着る選手たちが満足ならそれでよいとは思う。ブルマもそうだが、着て恥辱感のあるものを無理やり着させるというものおっさん連中らしいが、スポーツなんだから選手が苦痛を味わうようなものを強いる連中は必要ないだろう。役員とかのおっさん連中の考えることは選手を見下したりしてることが多い。
2020年01月22日
豊作で農作物の価格が下落というニュース。豊作が農家にとって良いことなのかというと、リネンなんかもおんなじで、良いフラックスがとれた年というのは品質も良くリネン価格も下落する。一方で凶作の年には品質も低下して値段も高くなる傾向がある。農作物にしても豊作だと大根や白菜が収穫もされないままトラクターで土に戻されることも多い。消費者に食物ロスの削減を求めながらも、製造工程での莫大なロスを解決しないとどうにもならない話で、そういう製造工程のロスとなるものでも大量に市場に価値を伴って流れることが大事だろうが、欠点があると費やした費用の回収も難しい。

最近買ったものの中で、訳アリの辛子明太子があった。2kg3000円だったが、形が不揃いとか期限間近とか、夜仕事していると寒いので夜食に電子レンジで温めて食べるパターンだったが、おっさんの食べ物なんてそんなもので十分なのであるが、スーパーで形綺麗に小売りしているものよりも充実感がある。訳アリなので当たりハズレもあるのだろうが、そういうのが残っていてもよいのではないのかと思ったりする。努力をしても同じ商品が同じ品質で同じ価格ということも常に保てるとは限らないのがものだったりする。

繊維製品でもスポットで紡績工場の廃業や生産終了なんかがあってなん十トンかのあぶれた糸を買い取って作ったものというのは、原材料費も安いだろうし量産するので最終の生地も安く作れる。そういう訳あり業者さんのものづくりもあったりはする。林与の場合は、逆に定番にできるような安定的に供給される糸を探して使っているので直接輸入しようが問屋さんから買おうが値段も安定していて安定的な生産がしやすいのである。それが長期的に安定して生産をする方法の一つなのである。もう一つは自分が現在材料を何十トンも抱えて生産を安定さるかだろう。林与も小さな機屋ではあるけど、

商売を続けてゆくために国内のどの麻の糸商さん以上に染糸も含め麻糸の在庫は持っていたりする。そのあたりが普通の賃機屋さんとか、企画屋さんとは違うところで、トータルなものづくりを常に考えてものづくりを支える力となるところだったりする。普通は重荷になるところでみんなそこが経営が駄目だというところだけども、ほかがそういうことができなくなっているので、そういうのを自分がやらないとものづくり自体が難しくなる。糸なんかにしても数年で廃盤になることも多く、特殊な糸に手を出して布をつくって順調に需要を作ったとしてもその糸が廃盤になってしまうということもありがち。定番の布をつくるための糸というのは、入手経路がいろいろと確保されているものでないと成り立ちにくい話なのである。
2020年01月19日
米原文化伝統産業会館でのロビー展示が今日の夕方終了、今日は、彦根刺繍の青木社長にいろいろと彦根刺繍に関するお話などを聞いた。昔、刺繍の案件を抱えた時に彦根刺繍にもたどり着いたが、彦根刺繍というのは伝統産業系で手刺しが基本、今はお祭りの幕などを作られているとのこと。昔には17件ほど刺繍屋さんがあったそうで、京都の下請け企業的な仕事をされていたという話で、彦根刺繍が東京オリンピックの時には外国のお客さん向けにすごく人気だったそう。ほとんどが日本の絵葉書などをベースに下絵を描いてその上にアクセントとなる部分に刺繍を施してある。全面刺繍タイプもあるそうだがそういうのはむちゃくちゃ手間が掛かってて高いそうである。

彦根刺繍もかつては17件ほど彦根から愛知川地域に掛けて刺繍業者さんがあったそうだが、どこもやめられて今は青木刺繍さんが残られているだけということ。お話を聞いていても刺繍だけではやはり難しく、繊維業界を支えるためにはテナント業的な部分も持っておられて成り立っているというお話。他の繊維業者さんも堅実的な経営をされているところは案外、マンション経営などをされているところが多い。経営手腕という意味では先のことが見えている経営者かどうかで、やはりいろんなものを残せるか逆につぶれる流れのタイプの経営者なのかは分かれる。林与の先代なんかは昔にありがちな借金できるのは自分に信用があると借金自慢のタイプだったの絵にかいたようなバカ者やってて、私が本業に立ち戻る路線でやってるからなんとか残せているだけのこと。調子乗りで地道な作業のできないタイプは商売やるとこけてしまうのはいつの時代も同じこと。青木社長も先代のときには良い時代があったけど、自分が引き継いでからは良い時代なんて経験したことがないといっておられ、良い時代が終わった後の次の世代の支えていく苦労はどこも前の世代の逆の人生だなあと思う。

まだ、林与が恵まれているなあと思うのは、まともに仕事すれば麻織物の仕事というのは収益面でも悪い仕事ではないと思うこと。今の時代に生き残るためには広く深くでないと無理だなあと思う。丸三ハシモトの橋本社長とも今の時代というのはいつまでつつくかわからない流れに乗った軽い仕事が利益を上げているが、ハシモトさんも林与も、ガチな仕事で、そのような流れに乗ってしまうと逆に存在意義が薄れて、大きいところと同じになれば長続きするはずもないという話をしていたが、地場産業の経営にしても仕事内容を薄くして利益を上げろ見たいなことをいう経営指導タイプの人も多いがそういう人というのは本当に多くて疲れるくらい。途上国の高度な仕事ができないレベルに落ちればものづくり産業なんて終わりだろう。

他にも今日は、自動車メーカーの海外工場の立ち上げなどで働いておられたお客様が、女性のスタッフが縫製をするのを見ておられ、どんなものづくりにでも興味があるといっておられた、サラリーマンではあったのだろうけども見るからに成功されるのが当たり前なタイプの方。仕事が嫌とか嫌いレベルをいくら主張しても仕事で成功することはまずない話で、いやいややってないで、まず本気で取り組んではどうだろうかと最初の1日の話から。最初の1日がないと長くやってもやってることやいってることは知れていて他の人の面倒をみるところまでもいかず面倒を見られる側のままぐだぐだいうのが続く話。やる気のあるものがそのグダグダいうものに付き合わないといけないのが繊維業界では多いのも繊維業界の苦悩の一つだろうと思う。私からすると先代なんかも親であろうがグダグダ言っているだけの仕事のできないアル中だったという厳しい目線があるから、林与でも残れているというだけのこと。食べていけるレベルのその姿勢になることがどれだけ難しいことなのかは、どの業界でも共通のことだろうと思う。金儲けとか利益にうぬぼれるじゃなく、自分が業界の本堂的な仕事して成り立たせていくという基本姿勢を作っていくというあたりが大事なところ。一人でもそれをやる覚悟みたいなのが大事だったりする。

昨日、今日の出店の出店の立ち番も、林与以外は、経営者が一人でされているところが、産業の衰退の本質。自分が従業員を支えて食べていくというのを経営者は自覚し、土曜日曜も仕事とも思わずにPR活動の一環で活動のPR。利益とかそんな浅いこと考えていたら自分の会社や業界を支えていくのは無理で、自分の時間くらい持ち出しで支えていくのが業界を支えていくという当たり前のあたり。

織物業界なんて風前の灯で、一番灯なのは織物の仕事に興味のあって行動までに移せる人が少ないこと。無料体験の手機でも、小学生未満の児童が、上手に織るけど。大人でチャレンジできる人は少ない、今日も舞台に立つ古典芸能の役者さんが着物姿でチャレンジしてくれた、それは職域を超えたプロの意識が働いているからだろう。そういう気持ちでないと役者も難しいかもしれない。そういう人はやはり小学生の子供と同じくできるタイプ。これは場を作っていただいた私がいうのは恐縮だけど場をつくるもできるタイプで、お人柄も何枚も上。

高く止まって上から目線の人間ほどできないも多い、苦労がないから他の人を食べさせて行くも難しだろう。自分が食べるよりほかの人を食べさせる覚悟がないと経営者や企画者は難しいだろうし、場をつくるができないとその仕事で成功するのも難しいだろう。せっかくの機会で、リネンのキッチンクロスを販売もしていたが、別途、限定ではあったけど、1枚無料プレゼント企画で興味を持ってくれた方には先着順で1枚プレゼントコーナーも作った。朝5時に起きて26枚裁断して縫製して洗いかけて、自分の朝早く起きて作ったものに興味もってくださりほしいとおもってもらえる。両日で80枚くらい。ものというのはまずほしいとおもっていただけるようなものでないと商売として成り立たせるのも難しい。自分に料理する技もないと難しいなあと。また場所をつくるができないと難しい。場所をつくるためには自分が動ける人でないと難しい。麻早起きして数時間で25枚のキッチンクロス、数が足りなく会場でもスタッフが縫って作れるまで待ってもらって種類もタイプも限定だけど長英座に脚を運んでくださって林与のリネンキッチンクロスに興味を持ってくださった方に、林与からお一人1枚だけのプレゼント。長英座だけでなく、帰ってからも長く使っていただけるようなものなのでこういう企画もありなのかなあと。

私自身、特別なタイプでないと難しいとも思うし、こういう仕事も成り立たせていくのは難しい。普通のサラリーマンがこういう仕事をしても場をつくるもお客さんとの接点も、ただ、早く起きて、織りっぱなしの生機を縫ってキッチンクロスにして洗いかけて干して、それだけでほしいと思ってもらえるものができあがる。それが私が問屋さん以上にものを料理するのも欲しがってもらえるのも上手なところで、私自身が、この仕事で食べていくというのもそう難しいことでもないあたり。業者の人に頼んでつくってもらったものでもなく、自分が朝早く作業しておにぎり作ったので食べてみたいな感覚。もちろんいろんな方との会話も弾むし私自身の良い長英座の思い出にもなる。

今年も無料体験の手機、お子様たちには大人気で、織ってくれる人がたくさんいてくださった。誰でもが簡単に織物が織れるように、平織りで太い目の綿の糸と、横糸にはかわいいファンシーなモールヤーン。織るというのを気軽に体験してもらって、織物が身近なものだと思ってもらう機会。子供のほうが何人も来て他の子に負けないで自分もできるをやろうとするので上手だったりする。そういうのが仕事で食べていけるにつながる基本の精神。自分の技だけでなく、見て楽しんで自分もできるとか、経験してもらうのも大事。女性スタッフがミシンでキッチンクロスをその場で作るを見てもらうのも、ただ単にもらってもらうだけでなく、ものづくりの現場を見てもらう一つの場つくり。林与自身この2日間いろんな皆様とお話もでき楽しい良い思い出になりました。
2020年01月18日
今日は、お昼前から2時くらいまで米原の文化伝統産業会館でのロビー展示のあと、大阪に向かった。上田安子服飾専門学校の制作展がグランフロント大阪で開催されたのを見学。10くらいのテーマに分かれて、学生が授業で制作したものなどをお披露目。私が良いなあと思ったものは、最後の受賞に上がっていなかったりして、今っぽい感覚にはついてゆけてないのかなあとも思いつつ。それがあるから逆に林与も独自のテイストがあって生きて行けるあたりなんじゃあないのかと思えたり。

COLORS展の終了後、席を立つと、若い女性起業家のような女性が、林与さんと声を掛けてくれ、どこの展示会でお会いした方なのだろうかと思い出せない。4年前に林与が手が足らずに困っていた時にトップクリエイターコースの大槻先生に頼んでヘルプで入ってくれた上田安子服飾専門学校のSさんで、学生っぽさが抜けて、上品な大人の貫禄。今は、W社の京都本社で仕事をされているということを聞いて、いい人をW社さんも見つけられたなあと、真面目で素直で一生懸命な仕事ぶりがどんな状況でも成り立たせることのできるタイプ。同行のスタッフの子と迷子になりそうで、ゆっくりと話もできなかったがびっくりなうれしい再開で、業界トップの会社に勤められて活躍のチャンスも広がるだろう。ゆっくりと夕食でも食べながら話もしたかったけど、同行のスタッフの女の子とはぐれそうで、あんまり話もできず、また機会があればお会いできるだろう。

学生たちが、真面目に一生懸命作品作りに取り組む姿というのがすべてだろうと思う。人づくりの場として上田安子服飾専門学校は厳しさも持っておられて、私が学生だったとき以上に真面目な姿勢で3年間授業と課題に追われるような学生生活。社会にでても真面目に一生懸命取り組める大人はそう多くないので、服飾業界においても責任感持って覚悟決めてやっていけば、他の人の面倒をみるような立場に立って会社や企画なども引っ張ってゆけるだろう。今の世の中、会社で働くのは週40時間程度、自分が目指す道があるならどこまで自分で行動できるか、目の前のことをどんどんと前に進め経験を積んでいくことが大事。そうやってれば、仕事なんてどうでもよいくたびれた話の多い十年、二十年選手なんて1年2年で抜いて行けるだろう。私も軽く抜いていかれないようにしないとなあとは思う。

途上国の問題でも、子供が働いて親が仕事していないみたいなのが多く、日本の管理職不要論なんかもその類で、食べてゆけないのが外の問題じゃなく中の構造的な問題であることも多い。繊維業界は古い業界でそういう構造的な問題を全体としてもまた企業としても抱えていることが多く、そういうあたりの構造的な脱却から考えたところが既存の硬直的な構造的問題から逃れ、ものづくりの効率化や生産性の向上も含め、その余力を特別なものづくりに回せたりするものである。本来は、縦の系列で成り立つように支えあわないとならないのだろうけども、なかなかそれも成り立ちにくい社会構造的な背景もある。
2020年01月17日
明日は、米原の伝統文化産業会館でのイベントにお昼頃参加のあと、夕方4時から大阪のグランフロントでの上田安子服飾専門学校の卒業展を観に行く予定。珍しく外での一日。ものづくりの現場を持たない人からするとそういうのに参加して人脈を広げるのが仕事だったりするのだろうけども、私自身はそういうスタイルの仕事を目指してはいない部分がある。でも、そういう場では、私と同じような仕事に対する感覚を持った人と出会えることもある。商売のつながりはなくても同業の人でも同じ感覚の人にあえると、そういう高い意識レベルが行動に結びついたものづくりでないと普通に高い評価を得るようなものにはならないのだろうと思う。

あるお客さんとの話で、私自身は難しいものをやってみたい思いはあるし、それをうまく料理する人がいれば、他にないものができると思えたりもするのだが、一般的には、難しいものには問題がつきもので、問題が起こるとそこばかりに時間と労力が費やされることが多い。ときには、振出しにもどって最初からやり直しみたいな話とかもある。そういうタイプのものづくりには、無難なものづくりが適していて、あまり高度なものを目指さないほうが結果良いのである。

私自身、作っていて面白いなあとおもうレベルの物は、規格外のあたりに存在をしていて、たとえば、リネン25HDシリーズの厚織リネン。これなんかは、良い糸が手に入らないと耳までリネンでは織れない話で、2年とか3年とか織ろうとしてもうまく織れない時期があった。織機の問題ではなく糸の問題として織れなかったのである。また、ナチュラルな風合いに仕上げたかったので、糊を使わない前提で織るので糸そのものが強度がないと駄目というのも、私が求めた本質的なところ。それを継続してつくるためにリネン25番手の生成の糸の在庫だけでも数トン持っていたりする。糸を買っても織れない屈辱から、良い織れる糸はまとめて買って残しておこうという形です。

耳糸に綿の糸を入れると問題は激減するので、こだわらなければ綿の糸を入れて織るのもありだろうと思う。耳糸などは、基本的には本体ではないので使っても生地としては麻100%生地を謳うことが可能ではあるが、そういう意味ではなく、面白さを追求するために耳までリネンで織るというのをやってそれがどこまで綺麗におれるのかみたいなあたり、賛同してもらえる人というのはそれほど多い訳ではないけども、そういうのに意味を感じてもらえる人もあったりはして、耳までリネンで織っててすごいねみたいなジャンルもあってもよいのかと思っている。

林与の通常のアパレル生地などは耳は左右それぞれ14本ほど、綿の双糸を使っています。それでも耳の辺りはシャトル織機の左右に動くときに糸が張って、密度も高い部分なので切れやすいです。あとストール生地も左右に4本ないしは8本の綿の耳糸を入れてあります。これは耳が綺麗に仕上がるために入れてあります。ストールにしたときに耳がデコボコしてへこみがあったりすると、肌に響くからです。キッチンクロスなどは耳糸を入れていないことが多いです。そういうのを誰が判断するのかというと、林与の自社規格では私自身が耳糸をどうするのか判断して行っています。リネン100%で作りたいと思いながらもダメな時には、あとから綿の耳糸を追加して織りやすくして織ることもあります。
2020年01月16日
シャトル織機のいろんな消耗品的なパーツが予備としてもっておかないと織機はあってもこれが足りないあれが足りないばかりになってくる。評判が良くないといわれるものでも代用が効いて数があるならまとめて予備に購入しておくというのも一つの手段であろう。渋皮の皮のピッカーが根元から破れたり、破れることのないと思っている丈夫なものでもいつかは壊れるのである。
織機に無理をさせると織機が壊れやすくなる、無理をさせないように低速にしておることも大事だったりする。

先日は、それなりに動いている台が急に異音を発してモーターが壊れてしまったのかと心配したが、結局、Vベルトを3本新しくするだけで元に戻ってくれた。ありがたい話である。修理できるものは壊れても修理して使うようにしている。壊れた部品でもそれを取っておくことで修理のヒントになることも多いので、壊れたものも捨てないことも多い。

一方、4Kノートの1台がタッチパッドの動作が不安定、予備的に置いておいた一台だけどそっちに不具合が隠れていた。なんか、カーソルが動きにくく、押してもいないのに勝手に押されたことになって新しいウィンドウが立ち上がったりする。安いものの場合、ハズレはハズレで、良品と交換をしてもらえばよいだけみたいなことも割り切りが大事だろうと思う。連絡すると修理するというよりも交換するという話が簡単にまとまった、ある目的に使おうと2台買ったので不具合だというのも分かりやすい。

仕事の合間にろ過装置の検討、数時間回しただけだけど、水がスゴク透き通っていて本当に良い感じなのである。普通の数千円のフィルターというのは水量雄少なくやはり小さいのが問題だろう。月に1回くらいのろ過で十分な気もする。どこかの池で試してみたい気分である。どこか濁った池はないものかと探してはいるが、東円堂のこいの池も今は水がそれなりに透き通っているようで、必要がないようである。小さな黄緑の有機物に対しては非常に効果的なろ過装置ができた。ろ過装置のメンテナンスが簡単なのでそこが一番の売りかもしれない。そういうのも自分が普段機械を使っていて一番気になるところなのである。

便利なものとなるとどうしても使い捨てとなってしまうが、ごみなんかを捨てるのになんで、指定の新しいゴミ袋に入れてすてるのかみたいなのも意識改革が必要だろうと思うところ。エコというのはそういうところから。普通のプラスチックバックを使えるようにするだけでごみは大幅に減るのである。
2020年01月12日
以前、リネン日記にもゴーン氏のことは書いたことがあったと思う。日産という会社は、もともと特別悪い会社でもないのだが、日本人が経営者だと雇用を守ったりするので経営を立て直すことも難しくなる。それほど悪い経営でもなくても、今の業績主義の経営となるとどうしても経営者はつぶる方向への思い切った対策を強いられる。その一つの手が、外国に身売りすること、今の日本のメーカーのほとんどが外国に身売り。外国に身売りすることで内弁慶な行政や金融指導などを避けることができ、また、解雇やリストラなども普通に行っても誰にもとがめられることもなくなる。企業自体が日本では消耗品的なものとなってしまっててお荷物にもなり身売り対象になってしまうのだ。

織物業界においても、林与のように何十年も昔のシャトル織機を故障するのを修理しながらやっているのに、もっと新しい織機を入れて何の問題もない量産型の織物工場のほうが経営に苦労されているのを昔から見てきた。母体の大きくなった量産型の工場というのはどうしても生産が安定していないと生産が止まったときに存続の危機を迎える。今までプラスだったものが一転して人を抱えているだけでマイナスに転じるのである。大きな織機をいれておられるところは電気代の基本料金を節約するために、一か月一切使わないで基本料を半額に落とすような努力までされているみたいな話も聞いたり、減反政策と同じで仕事することが駄目なことになってしまっては後でその分を挽回するのは大変なことだろう。

外国人経営者は治外法権的な部分があるので成功しやすいということも多いだろう。日本人経営者が日本で成功するのは難しいのもそのあたり、日本人も海外に出て行っている人は成功しやすいのである。日本で成功しているIT企業も、アマゾン、グーグルなどだが、法人税払ってないとか、著作権の問題とか、日本企業だと犯罪とされることが犯罪とされないで放置されてそれが莫大な利益を生む原動力。日本人経営者にはゆるされないが、外国人経営者には日本で同じことをやっても行政は手が届かないあたり。ゴーンが成功したのも同じような理由なのである。シャープが台湾企業に買収されたらV字回復も同じような理由。ほんと日本の行政が日本企業の競争力をそいでしまっていて、外国人には太刀打ちできない日本の行政の内弁慶体質な問題。
2020年01月11日
今日は、1月の自治体の評議委員会、そのあと新年会ということで料理屋での会食。その時に車屋さんと呼ばれる方がなぜ、車屋さんと呼ばれるのかを本人に尋ねた。本人や親が自動車屋をやってられたわけでもなく、昔、アンコ川がその方の家の裏を流れる形になっていて、水車があって小麦を粉にしたりしていたということで、水車の車が車屋さんの呼び名の由来だということ。

アンコ川の話になって、70近い世代の人たちは川が遊び場だったことが話を聞いていても分かる。私の子供の頃にアンコ川は改修されてまっすぐな川になって、土手の下に、コンクリートの壁が3mほどあり下の川辺に降りることも難しくなり身近な川ではなくなった。改修工事の結果、東円堂の洪水はなくなったということである。東円堂の家がどの家も石垣に囲まれ、入り口が70cmほどはかさ上げされているのはその名残なのである。

洪水の一方で、昔だと洪水になるくらいの身近な水利がないと水田というものは維持が難しいものであって、東円堂の集落というのは水利に恵まれていたというのは事実で、琵琶湖のほうまで下ってゆくと、水が乏しく水田での稲作が難しいこともあったのも事実。コメというのは、どこで取れるコメがおいしいのかというと山が落ちたあたりの田園で取れたコメが一番稲穂が大きくてよいコメだということ。糸を巻くおじいさんの裏の田圃も、大嘗祭の田として指名されたのもその条件に当てはまる。

今日は、久しぶりに日本酒を飲んだが日本酒は抜けるまでに時間の掛かる体質で、飲まないほうがよいのか。料理は海鮮的な鍋で、料理屋の娘さんが元気に手伝いをされていた。お客さんの受け答えもその娘さん、人手不足なんだろうけども、こういう女の子は将来絶対に強いのである。大人になるまでに大人を対等に扱えるくらいになってないと仕事にもならないというあたり、子供働かせて親が遊んでいたら別の話だが、親が一生懸命働いているのを子供が助けるのは問題のないことだろうと思う。自分たちの生活を自分たちで支えるというだけのこと。親もしっかりと仕事をしている家なので大丈夫だろう。親と子の信頼関係みたいなものは大事なのである。

途上国にいくと、働けるのに親が子供に食べさせてもらいたいみたいな親がたくさんいて、それはもう本当に困った話。自分を助けるために子供を産む構造というのは、今の日本の年金問題も絡んだ少子化問題の中にもあるが、そういう考え自体が病んでいるようにしか思えない。
2020年01月10日
今日は、ストールのフリンジをつくる作業。こういうのができるのとできないのとでは大きな違いがあると思う。誰でもできることなのだが、そういうのが誰にでもできないし、また、する人によって結果が大きく異なる。以前内職の人にフリンジの作業をやってもらったことがあったが、フリンジを作る作業よりも緊張するのがストールを正しい長さにカットする作業。横糸の糸目に沿って綺麗にカットしないと綺麗なフリンジができない。今回のはそれほど柄取りが必要ないが、柄をうまく見せるためにカット位置を考えたりするとなるとやはり自分でカットしないとダメだったりする。

リネンの100番手ともなると、加工後には糸が解けるように柔らかくなっていて簡単には抜きにくい。1枚のストールの上下のフリンジの作業するのにたぶん、カットを含めると20分から30分くらいは掛かっているだろう。私は途中、染糸の件で倉庫で糸探し、そのあと染工場に3色の色を染に出して夕方に戻ってフリンジ作業に戻る。染工場さんの事務所は人が残っておられたが現場は終われていた、そうか今日も三連休の前日なんだ。

昨年のシーズンは糸染めが非常に混んでいたが、今年のシーズンは糸染めのほうが比較的落ち着いているという話をされていたので、まだ、糸も染めてもらいやすいことはありがたい。

2020年01月09日
今日は、朝、商工会の方が来て下さり、補助金の最終の提出物に印を押す作業。この商工会の持続化補助金というのは、私自身が最後の資料をつくるのではなく、商工会の方が最終の資料も作ってくださるタイプなので、驚くほどに助かり、県の補助金のまとめ作業と比べるとかなり簡単に済んだ。今回のプロジェクトで一番良かったのは、麻布を使ったろ過装置というのが、本当に優秀で、小さな水槽なら数時間回すだけで緑っぽかった水が、透明に変わる。小さな池なら大きなタイプを使えば同様の効果が数時間で得られるだろう。大きな池なら数日というところだろうか。

夕方、シャトル織機のシャトルの管がしっくりと収まらず、回ってしまって、感光フィーラーが動作しないことがあるので、その問題を解決するために、農機具屋さんに出向いて溶接を頼む。溶接といっても溶接棒を2mmくらいちょこっと肉盛りして四角に削ってほしいような細かい作業。やってもらえると本当にありがたいなあと思う作業で、やってもらえることに。これでシャトルを管に合わせて削ることなく使えるのでシャトルが長持ちする予定。正しい道具を手に入れて正しくするというのも一つの方法だが、正しい道具が手に入れるのが難しい時には手持ちにあるものを工夫して使うことで成り立たせることも大事。

工場の織機を夜中中動かすときも工場の中に張り付いていることができないときには、機械が止まったときだけ動かしに行けばよいのだがそれをどう感知するのか、ベビーモニターのようなWIFI経由で織機の画像や音声が届くようにすればよいと考えアマゾンでいろいろとそういうの探していたが、はっと気が付いて、メッセンジャーを使えばよいと。ギガホのデータプラスで2台使いなので、自分から自分2号にメッセンジャーで通話すれば機械が動いている音が聞こえ、音が止まれば動かしに行けばよい。消費されるデータ量も調べてみたが本当に少なくて済む。メッセンジャー使用しながらも、普通にカメラ以外は、ブラウザや他のアプリも使える。

ここ数日、お客さんの納品の予定に合わせて大きく生産予定を組みなおし、予定していた納品が変更になるのはマイナスだけど、急ぐものを先にやることができるので、プラスの面もある。
2020年01月08日
リネン40番手のリネンデニムインディゴが織り上がり洗いあがって本日の出荷。100m弱の出荷だが、年末年始の仕事となった。リネンデニムというのはナチュラルな洗いで仕上げるので裁断や縫製工場さん泣かせながら、凹凸感を持つ表情が布としての面白い表情。

残りの生地はネット販売に回す予定ですので、みなさま楽しみにしておいてください。
2020年01月05日
昨日今日と、篠山タータンの渋谷さんが、林与に整経に来てくれて、3本の整経を完了プラス1本の整経を建てたところまで。かなり良いペースで作業が進んでいい感じ。今年も篠山マラソンが3月に開催されるということでその時期に向かって生地の用意。割って建てる作業をしてもらっている間、林与はリネン40番手のリネンデニムの織の追い込み。お正月明けに納品予定分、打ち込みがかなりあるので、順調に動いていたとしても1時間に2mほどしか織れない。

補助金資料のまとめなども終えて、お正月明けには提出予定。最近、夜中仕事をするときに夜食に、たこ焼きの素みたいなので、お好み焼きを作って食べることが多いが、キャベツがいっぱい入っていてかなり健康的ではないだろうかと思う。キャベツと卵があれば10分で作れるのがありがたい。
2020年01月01日
皆様、明けましておめでとうございます。私の仕事の基本として、別に織物だけのことではないのですが、不労所得的なものには流されない方向で仕事に徹していきたいなあと思っております。一方で、織物という狭い範囲にとらわれずに世の中の問題全般に関しても織物が貢献できそうなことにおいては、前向きに取り組んでいきたいと考えているところではあります。

2000年以降の流れの中で国内向けはアパレル向けの素材提案というものがかなり難しくなってきたのを感じており、できるところも少なくなってきたのを感じてはおり、林与というのは積極的にアパレル向けの企画なども展開してきたほうではありますが、国内のアパレル向けの全体的な流れがどんどんと難しい流れになっているのを感じてはおります。一方で、旧来の繊維形態に引っ張られない日本の海外生産型のSPAはこの20年ほどで急成長。旧体質的な部分というのはどんどんと通用しなくなってきているのを感じます。

一つ思うのが、自分が売れると思ったものや作りたいなあと思ったものをつくっていく部分がなくなると駄目だろうなあと思うところです。日々、お客様の仕事に追われる中でも、余力を見つけてそういうのに取り組んでいく気質みたいなものがないと、その他大勢というだけだろうと思います。ワビサビ的な、微妙な色合いの売り場というのも少なくなってきてはおり、普通の売り場に味のある感じのものを置いてもなかなか見栄えがしにくいのも事実ではあると思います。売り場に置いたときにトーンが淡いと負けてしまうという問題など。

今年は何を自分で捜索していくのかはまだはっきりとはしていませんが、だれかもう一人二人、布の世界のものづくりに極めたい人が林与の中に居てくれたらなあと思うところです。ものづくりの基本は人だなあと思うことが多く、同じことでも人が異なれば、結果がプラスとマイナスに分かれます。常にプラスの結果を出そうとベストを尽くせる人でないとなかなか残ることも難しいのが今の繊維業界の厳しさでもあるものの、場所が大きな要因を占めるサービス産業とは異なり、ものづくり産業というのは新しいものをつくったとしても似たものはでてきますし、自分だけができるような領域をもっている人でないと残るのは難しいのかとも思います。が一方で、そのためには、目の前の物事に対して普通に素直に真面目に仕事に取り組むだけのことなんじゃないかなあと思うのです。日ごろの仕事の中においても、日本らしいものづくりの一端を持てればと考えております。