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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2023年7月
2023年7月
リネン日記:10
2023年07月25日
石川県の繊維工場で68歳の女性が整経の巻き取り作業中に巻き込まれる事故があってそれをインターネットのニュースで見かけた。巻かれるスピードがそれほど高速でもないので安心していると大変なことになる。特に、年配の女性の方だと大丈夫かもしれないが、髪の毛の長い若い女性などは整経作業一つにしても巻き取っているところに一部が巻き込まれ始めるとパニックになって危険である。

また、手首にアンクレットや、指輪なども糸が絡んだりしたりすることもあるので、作業する時というのはなるべく引っかかりにくいことが大事。もう一つ年配の方にありがちなのが、織物工場ではエプロンを付けたりするようなケース。エプロンは巻き込まれやすいので付けないほうが良い。整経を最初に教えてもらったときに、昔の座布団工場の整経の現場ではエプロンを付けた女性が巻き込まれる事故が起こりやすかった話を教えてもらっているので、私自身は巻き込まれたことはなくても、注意が必要であることは最初の時から気にしている。

整経の巻き取りも、電源の接続の仕方で逆回転にもできるけども、巻き込まれにくい回転方向に巻き取るようにすることが一つの安全策で、座布団工場の場合には、巻き取り巾の関係でか逆回りでとくにエプロンの裾が巻き込まれやすかったらしい。整経機の巻き取りの危険に関してもこういう話をするのだけども、普通の人はそれほど危険には思えないので適当に聞いておられることが多く、いくら教えても巻き取りの作業を一人で作業をしてもらえないのはそのあたり。本来はこういう危険性までも他の人に説明が出来るくらいでないとその人にその機械を使ってもらうことは良くない。

シャトル織機にしても、経糸が麻だったりすると、経糸が切れるとそこからシャトルが飛び出すことがあるので、織機が動いているときには注意をしていないといけない。今まで一度も飛び出したシャトルが当たってけがをしたというケースは自分を含めてないのだけども、軽く考えている人がいて、そういう人ほど注意されるとなにを大げさにとなっちゃうのだけども、そういう人は織物の現場にはいないほうがよい。その人が大丈夫でも他の新しい人が来たときにそういうことに対しての緊張感がないと、軽く考えているタイプの人だとケガもしやすいし、教えたことも教えたとおりにやろうとはしないので、新しい人がけがをすることもある。

織機で、一人で作業をしている時よりも二人で作業しているときのほうが危険で、必要なければ織機は一人で作業をした方がよい。遊び気分で二人で作業していると、一人の人が確認もせずに動かしたりしてしまうともう一人の人が作業中だと大きな事故につながりかねない。織機を扱う作業に置いては、基本、一人でする作業というのをもう一人が手伝おうとするのはあまりよいことではないのである。機械というものも基本一人で動かすようにできていることが多い。

また、冬場とかストールをしながら織機を扱う作業をするなんて言うのは本当に危険で、注意するまではその危険性というものも分からないだろうとは思うけども、注意されたときに素直に聞いてくれる人でないと、それ以上機械を扱うことをし内容が良い。他にも、くびに紐でハサミを胸元にぶら下げているようなスタイルは、本当に危険で絶対に駄目だというのだけども、素人の人はみんなそれをやってしまって、いうことを聞けない人も多かったりして、そこで、作業は辞めてもらうことになる。私の母親も最近作業を手伝ってもらっているときにそれをやったので、それは危険だから絶対に駄目だからというけども、こんなの大丈夫よとクビから紐で胸元にハサミをぶら下げたスタイルで作業するのを辞めない。糸を巻く高速で管などが回っていて、ハサミがそこに持っていかれると一瞬ですごく危険な状況が簡単に想像できるのだけども、その一つのことを辞めてもらうだけでも、大喧嘩になる。ほんと、織物の仕事を手伝ってもらう時も素直な人でないと本当に危険だったりする。

正しくモノをつくるとかいうのも、いわれたことを言われたとおりにしないと安定して正しいものは作りにくいのだが、ちがうやりかたでも同じでしょとおもって、教えられたやり方でやってくれないタイプの人もいる、また見ていないと違うやり方でやっていたりとか、そうすると出来上がってくる答えが違って着たりして正しく作業ができていないのがわかってしまうのだけども、ものづくりというのはなかなか正しく作業をするところまでいける人というのは少なく、いくつもやり方はあるけども一番良い方法でやろうとしていて、最初は慣れて無くてできなくても、そのやり方に慣れれば最終的に一番簡単に速くできるというのが苦も無く仕事をするのにもつながるのだけども、そこまで深く物事を考えて作業する人も少なく、できれば一緒でしょみたいに思っていると、いつまでも安定して正しい作業にはならず。また、他の人に正しいやり方を教えることも出来ない。

普通の現場の職人さんよりも私が難でも器用にこなせるのは、いろんなやり方があるとは思うけども一番正確に速くできるほうほうを常に考えていて、失敗も少なく、途中で確認作業を入れながら作業を進めるやり方を選んで行う。昔の職人さんのほとんどがいきあたりばったりで、最後までやってから途中でまちがっててやり直しみたいなのがほとんどで、そのやり方から抜けられないからいつまでも一回で正しいものができるということが少なかったり。本数が多くなったりすると余計に、正しいやり方が大事で毎回毎回くらいに確認も必要で、それも含めて一番確認もしやすい安定して早くできる手や体の動きを常に目指してるところがある。そういうのが結局、作業の高度化にもつながるし、より高度なものづくりにもつながるのだろうと思うし、安全な作業を考える時にも、確認を含む安定した作業手順みたいなものは必要で、厳しく危ないことをやめさせるも大事。私は経営者だからそのあたりうるさくいうけど、もめたくないとかなるともういえなくなって、普通の働いている人同士がそういうのにピリピリしていることはなかったりするのが普通。
2023年07月24日
昭和のものづくりというのは、無駄にみえる部品でもそれが機能していることが多いなあと思う。たとえば、木管にのこった残糸を片付ける綛くり機の機械でも、精密にギアでできているんじゃなくてプーリーで回すようにしてある。何か無理をしたときに、プーリーが空回りすることが大事で、鉄と鉄が無利子合わないことが大事。そういうものは何十時間回っても熱をもたず大丈夫なようにつくってある。モーターにしても何十年選手で小ぶり。

この前にちょっと私の大失敗があって、整経機にビームを取り付ける作業をしていたときに、整経機の一番大事な大きなギアの2つが噛むところにレンチの持つところをを挟んでしまって、床を探しても落としたレンチが見つからず、運転入れたらレンチがギアに巻き込まれそうになって慌てて止めたのだけど、ギアの間隔が5mm以上以前より開いてしまった。ギアの噛みが浅くなり回るたびにギアの頭付近がぶつかり合って開いていくような気がして、そのあと整経機をあまりつかっていなかったのだけども。それもなんとか、無駄についていたようなブラケットが移動して、今日、数年前にかっておいたレバーホイストを見つけ出して、それを使ってギアの間の距離を狭くして、固定するブラケットを閉めたら、ギアの隙間が良い感じになくなった感じ。

整経機自体が、ギアの部分と、クラッチの部分で変に当たって異音を立てていたが、それも多分、なくなるだろう。今は、レバーホイストを強く閉めたまま歪を元に戻すために矯正中。この1か月ほど心配していたことの一つがようやく頭から消えそうで、でもこういのって、一か八かでやってみないといけないし、一か八かも失敗するようなやり方だと余計にやったことが悪い結果になってしまうから、慎重にやることが大事。

昔も、業者さんが来て機械の移動などをしたときに、シャッターは壊れるは、織機も慎重に運んでいるのにそれを手本をみせようとして、運んでいる織機を落として織機の脚の鋳物が織れてしまったりとか、業者の人というのは壊れた時にも責任を持つ器などないから、案外、大事な鋳物の部分が壊れていることが普通で、もうちょっとちゃんと仕事するだけで、壊さずに運べるのにと思うけど、そういうのもそれが普通の業者さんだと難しい。

自分たちで織機を移動するときにはそういう大きな問題は発生しないけども、力づくでやってしまうと当たり前に壊れたりするし、作業している人が大けがをすることも考えられる。ゆっくりと慎重に一発勝負でしないといけないことは、その場の即断でやらないほうがよく、慎重にやるのを面倒がる人がいたりすると、ややこしくなる元。何通りもやり方は考えられるけども一番確実で安全な方法を取るべきで、そのためには適切な道具が必要だったりすることもある。今日の場合はレバーホイスト。それなしにいくら修理しようとしても難しかっただろう。

仕事をするときに、本業の織物の仕事以外に仕事の機械をメンテするために必要な道具というものが必要で、あと自分自身で作業する力も必要。他の人に頼るときには、頼った人の力の限界が自分の限界になってしまうから、自分自身の限界を高めておくことが織物の仕事でも続けていく上では大事な要素になって来る。織物を企画して作るだけでなく、織物をつくる機械や環境を維持してゆくとか、さらには、自分で作ったものを売っていくことも必要で、そのためには、イベントに参加したり売るために必要な什器なども用意する必要がある。

ものを作ったときにできるハギレなども、基本的には使える布がほとんどで、数メートル間隔のキズをうまく使えば何の問題もない布が多い。そういうのを活かせるかどうかも、最終的にプロパーに売る部分を成り立たせてゆくためにも大事な要素。高度なものづくりというのはロスが生じるのが普通で、キズなどを避けようと思えば安全に手に入るようなものしかできなくなる。

織機のことに関しても織物の現場の人よりも、大手メーカーで機械を開発しておられる人のほうが、自分で家に作業場をもっておられたりして、他の場所の織機を引退後にメンテされたりと、仕事経験の長さではなくて、作業に対する興味深さとかとことんさの違いみたいなものが本質的な違いなんだろうと思う。その方には到底及ばないけども私も少しはそういうところを持っているので、ひと昔前の人たちが解決できなかった部分にしても解決して乗り越えていけてるとこも多い。小さな織物工場の中の世界に縛られているよりも広い世界を見ておくほうが良いと思う。私も織機を最初から直そうと思ったのはアメリカでの自分で自分の自動車のトラブルをいろいろと部品を買ったりさがしたりして直そうとしたりしてたことがあって、自分で直せなかったら修理に出すみたいな経験が今も生きている。また、若いころに自分でPCをパーツを買って自作したりとかも同じく生きていると思う。今も、ノートパソコンのSDDや、液晶や、キーボードを交換したりとか、直せるものは自分で直したリが普通。形あるものはいつか壊れるけども、多少壊れても直すこともできたりもする。布のキズ一つ直すのも電子顕微鏡で液晶モニタに拡大しながら医者が手術をするように徹底的に直したいと思うのは、子供のころのガムの型抜きに嵌ったあたりが生きているのかもしれない。

さっき、整経機の大きなギア2つが1mmくらいのいい感じの隙間でかみ合ってるのを確認して、レバーホイストを外して、ネジをしっかり締めて、若干の調整をして試運転。異音もなく調子よく以前のように回り始め、これで安心して巻き取りが行える。整経機を修理もせずに下手に動かさなくてよかった話になった。この1か月ほど、頭の中では、巻き取り部分、中古を探して入れ替えしないと駄目だろうかということまでよぎってた。そんなにうまく、昭和の時代の同じタイプの調子のよい巻き取り部分の中古の出物がみつかることもない。新しいものを手に入れても修理が必要になることがあるけども、それが簡単かどうかが大事で、昔から長く使えているものというのは修理をほとんどすることもなく自分が調整する程度の範囲で一生ものみたいなところがある。また、新しいものよりも、今度も同じ機械がほしいなあと思うのはそのあたり。なるべく長く使えるものがいいなあと思う。私自身が手に入れる材料にしてもその感覚で手に入れまた作るものもそのつもりで作っている。使っていて愛着のわくようなものが良いと思う。ボロボロになっても、また、今度も買いたいなあみたいな。
2023年07月22日
今日は、9月の大阪てづくりフェアの件で、コマのなかの配置をどのようにするかを決定しておかないといけないようなタイミングになってきたので、細部を詰めた。特に、背面が他の出展企業さんと壁もなく接しているので、そのあたり、フリーマーケットみたいな状態にするのかどうか、仕切りみたいなものを自分で手配するのかというあたり。

なにか会場に来られた方が、楽しめることがあると良いという思いで、今回もだれでも超かんたん無料手織り体験を行う。手織り織機というのは見ているとなかなか難しそうに見えるのだけども、やってみたら、すごく簡単でだれにでもできて楽しいというのを知ってもらえれば良いなあと思う。編み物とか、縫製とか、あるんだし、織物の体験もあってもよいんだろうと思う。

参加しておられる出展者の方々にとっては、お祭りみたいなイベントだと思う。参加される方にとってもお祭りみたいなものだろうと思う。出展者がどういうことをするかとか、どういうものを用意して売るかとか、また、人と人のつながりや新しい出会いなどもあるだろう。出展者の方の多くも企業のサラリー0万の方も居られたりするかもしれないけども、そういう方でもこのイベントに関しては仕事のような感覚というよりも、大阪のてづくりや繊維業界を盛り上げようという気持ちが強いと思う。

いろいろな方と出会いのあるような場に、自分の作ったものを置いてみたりしてみていただいて、それが発表にもなるし、また気に入ってもらえればほしいと言って買ってもらうことが出来る。なんとなく今は失われた仕事の基本みたいなところがあって、仕事というのは時間から時間というのではなくて、こういうものをつくったらみんなが欲しがってもらえるだろうなあと思うようなものを実際に形にしてお客様にみてもらって成果を上げ、自分が作ったものに対してお客さんの率直な反応を感じることが出来る。

林与にしても会社として仕事をしているけども、仕事の基本はほんとうにその部分で、一般の作家さん以上にそういうのに長けていないと、織物の仕事も続けていけなかったりする。こういうイベントに関しても自分自身で準備して参加するような気持がないとものをつくって売る仕事には向いていないだろうとも思うし、そう、当たり前に行動できる人というのはやっぱり場を作って成り立たせて行けるんだろうと思う。イベントにお客さんとして参加する側よりも、イベントに出展者として参加するのも楽しいんじゃないのかとも思えたりする。他の多くの出展者の方とも親しくなれるし、また、いろんな情報も手に入れることが出来る。

林与にしてももう50過ぎているので、もっと若い機屋さんなんかがこういうイベントに参加されるといろんなきっかけになるんだろうなあと思えたりする。私もテキスタイルマルシェにグループに参加させてもらって、JFW、HARVEST展、TN展の展示会に参加させてもらって、いろんなつながりをいただいて、自分が業界にいるときに何ができるのかということがはっきりとわかって自分にしかできない提案の仕方などもあるんじゃないのかと思い始めた。

あんまり外に出ない林与だけども、全国の産地で活躍されている方とのつながりを通じて全国の繊維の産地の知識も身につき、原材料のことや麻織物以外のなんとか織りとかの繊維の知識も身に着いた。積極性や行動力というのは、経験を積むうえで一番大事なことだろうと思う。そして積んだ経験が毎回毎回のものづくりには生きてくるし、ものづくりでなくても、普通の人が難しいとか大変だとか思うことでも自然に思えたりするようにするようになる。

だれかお若い人でも林与がやっているような手織り体験をやってみられたら、そこから人とのつながりも増え知識も増し、皆にも楽しんでいただけると思うので、ぜひ、他の方で繊維業界を目指そうとされる方があったらやってみてください。繊維業界のエシカルなことを考える時にも、繊維業界のエシカルに潜むパラドックスみたいなところに気が付かないといけないなあと思ったり。貧しく可哀そうに思っている途上国の人のほうが、先進国の人よりも器用で生きる力ももっていて、ただそういう運命的な位置関係の違いなだけで、自分たちの働かなくても生きてゆけるような価値観を基準に、その中の序列に位置づけようとして、そういう人を教育するとか考えるのは勘違いそのものなんじゃないのかと。たとえば、教育で、今の世界の一番安く普及しているような繊維の品質にたどり着けるのかというとそれは全く無理な話。一番安く、日本や世界の優良な利益繊維モデルは、単能工としても高度レベルにいかない標準化レベルそのもので、それがいつのまに日本の繊維業界の理想的なモノづくりになってしまったのだろう。

日本を代表するような繊維業界の方でも金儲け主義の人ばかりじゃないのも分かってる。でも、私と接するときにその正体が見えることも多かったりして、私自身はある日本の著名な織物の先生は本当に気持ちを持っておられると思うのを感じた。それが機結びとか縦繋ぎ、織物をつくるときの基本作業を自分がするという覚悟があるのかないのか、それを面倒がっておられる先生たちというのだと、よほど他に献身的にサポートされているとかでなければ、日本の高度に発達しすぎて高度なことが当り前な繊維業界は、海外の安い大量生産に流されて持って行かないだろうと思う。

世界的にもモラル崩壊で、国連すらもがモラル崩壊そのものの私利私欲主義で、弱いものは叩くけど強いものは叩かないという、ポリシーすらもがというか、国連の本質があまりにも、虐げられた人たちを救うのが国連が募金集める意義じゃなかったのか。戦う勇気もないのが国連レベルでカネだけ集めるような、人々の期待を権威主義で欺いているようなだけなら国連をうごかすような立ち上がる人も必要になって来るというか、国連にあきれて、国連が駄目じゃないのかと思う人も増えるのは当たり前。
2023年07月20日
私自身が、常に仕事に追われているのを知っている方々からはアドバイスをいただくことが多いのだけども、地元の業界のある方からは、看板があるんだからその看板を使ってどこか安いところでつくってうらはったらよいだけやんとアドバイスされることも多い。でもなあ、結局、他につくってもらうとその作ってる人が本物になるわけで、お金を儲けるという目的ならそれでよいのだろうけども、それが目的じゃないところが大事で、産地で織られる麻織物というのが途切れそうなのを仕事に入った25年前から感じていて、当時から、林与の産地での特色というのが麻を織っていることだった。

それから25年ほどたっても、まだしぶとく織っているんだから、それなりにそこに一番の意味を感じてたりする。産地でも一番の問題は織物の作業できる人がいないこと。産地の特色的な麻織物の先染めの細番手が一番得意なのも林与の特色でそれが他の産地とは異なる近江湖東産地の特色とも被る。先染めの細番手織物だと、林与個人が、世界でも無二レベルで挑戦する人もほとんどない。手織りですらも少ないだろうけど、それを超えてシャトル織機やレピア織機で量産してみようとするから、そういうのに挑戦できるのが、自分個人の力だけでなく、産地の強みだったりするところ。

世界に誇れるような日本の麻織物の世界というのは、海外で安くつくる麻織物とはアプローチがまったく逆で、自分自身がどこまでやるかがポイント。他の人がやってもできないことを自分だったらやれると、自分なりのベストを尽くそうとする。それがもちろん空回りして深みにはまってしまうことも多い、特に、他の人との感覚の違いとか、安全に守られたいような感覚とは異なり、そのあたりが今の楽に働いてを美しいお金儲けを目指すみたいなSDGs思考とはぶつかるところ。外に見える謳いばかりで、業界ではありえないすごいことをやっているを謳うばかりで消費者を煽りながら、そのための地獄を見る覚悟や結果や本質がなければ駄目じゃないのかと思う。

世界最高レベルの世界というのは、墓穴を掘るような世界で、儲けるとか考えたら絶対無理、同じくエシカルな世界も、気軽なエシカルだと、逆に地道な人をつぶしていくだけのことで、今の国連レベルのSDGs。お金が儲からんと意味ないやんを国連レベルで推進は本当に残念そのものというか、日本の国連レベルのSDGsの受け止め方が、地道な日本企業に目もむけずに金儲け的な大手繊維企業にありがちなSDGs。SDGsにしても、国内で利害が対立しすぎているのが現状で、働くことを重視する地道な昔ながらの世界が一番駄目だと評価されるのが、今の日本のSDGsの世界で大丈夫なの?
2023年07月19日
自衛隊の隊員10名が亡くなった事故でエンジン出欲が低下したというのは、ローターが外れたとかで、エンジン制御が働いたからだろう。回収されたプロペラにはぶつかったような切断キズがあるし、ヘリがひっくり返って着水したような形跡もある。でもなぜ、煙を上げて着水したヘリを近辺を飛びながら捜索していたのに無視したのかが諦めたのだろうか、その部分は不思議な話。ひっくり返っているからヘリに見えなかったのか?海岸から爆発したのを目撃してたサーファーは、その上空を飛んでいたヘリなどはその後消えて行ったという。

エンジン出力の低下も、エンジン自体の不具合ではなく、ローターの取り付けの不具合の可能性は高い。エンジンの回転数が20%以上上がりすぎるとエンジン制御が働くメカニズムがあるだろうから。整備が行われたばかりというのもそれを疑うべき要因にはなるところ。ローターの取り付けが再度行われた可能性もあるし、取付ボルトの強度の問題もあるかもしれない。もう産業界でも、ボルトの鋼材ですらも強度偽装がこの何十年も普通に行われてきたのが日本の鋼材業界。整備の際に新しいボルトに付け替えられたりしたなら逆に余計に心配するところ。

三菱自動車のトレーラーのハブ破損も、取り付けが原因だと言われているがボルト自体に強度が無ければ・・・、そのあとに問題になったのが日本の鋼材業界の何十年に渡る鋼材の強度偽装問題。JISレベルは満たしているというような逃げるような表現すらも出てくるけども、汎用的なJISレベルの鋼材が、その何倍もの強度を求めて設計されるべき自動車やヘリに使われてしまっていたとなると、数千メートルも使えば負荷に耐えられず摩耗してブチ切れたりとか、外れたりも想定はしないといけない。

昔の強度を持つ鋼材が今作れるのかというと、それは本当に難しい話で、今のネジというのは数回使うと駄目になるし、最初の1回のインパクトドライバーの締め付けで駄目になることも多い。そういうところまで自動車の事故やヘリの事故のような時には想定をして原因究明しないと、不良整備とかユーザーの問題で片付けていては本質的な事故原因の究明には至らないだろう。このヘリにしても三菱製で、トレーラーのタイヤが外れる問題が多発した事故と同じ様な原因すらもが疑われる。

素材というのはすごく大事で、ネジ一つ昔の強度を保っていないような今のネジで代用をしてしまったら、負荷に耐えることは難しいだろう。日本の鋼材業界の強度偽装問題というのは致命的ながらも、今はボルト一つでも昔の強度のものを手に入れることは難しいような状況。昔の機械などは何十年も使えても今の機械は素材自体がちゃちいので耐久性がない、製品を使う人たちに責任を投げかけていてもしかたないところがあって、ベストなチョイスをしながらも、昔のような良い原材料すらもが手に入らないのが今の繊維業界でも実情であるのと被る。機械のネジすらも40年前、50年前のもののような強度のあるものは手に入らない。

他の原因やローターが外れたとしたらヘリ墜落事故にありがちな整備不良も疑われるが、正しく取り付けられていたとしても鋼材の強度偽装が背景にあったとしたらトラックのような負荷の掛かりやすい場合にはタイヤが外れるような事故にしても避けられない問題だろうとおもう。このような憶測が本当の事故原因だとすれば、メンテナンスにおいても新しく今つくったボルトなどを使用すること自体が問題になって来る。50年前の金属素材の強度を今再現するということすらもが難しいことで、中古部品を使いまわすしかないのだろう。50年前のボルトとなるとやはり経年劣化による金属疲労も伴ってきてしまう。そうなるとそういうことを結論としてしまうと50年選手のヘリの保守自体に問題が及ぶことになるのでそういうふうには結論付け出来ない様なことにもつながるだろう。(事故直後は、パイロットの空間感覚の喪失というパニック状態が憶測的に疑われたが、ボイスレコーダーでそれが原因ではなくエンジン出力の低下が原因だという結論に達している。エンジンは二つ搭載しているし、エンジンが止まったとしてもローターは突然止まることはなく、しばらくは飛行できるというような説がいわれていた。ローターが外れたとしたら確実にエンジンの出力制御が働いて出力が上がらなくなるだろう。)アメリカでのUH-60の事故に関しては、https://aviation-assets.info/flightfax/uh-60-test-flight/ が詳しい。今回の自衛隊の当該ヘリにおいてはボルトの回り止め防止はなされていただろうと想像はするが、ボルトの回り止め防止がなされていなければ同様の事故は必然的に起こりやすく、同様の原因の墜落事故だった可能性もある。ライセンス提供されて三菱によってつくられたヘリだけに、このような米軍内での緊急メンテ情報などが日本には届いておらず対策がなされていなかった可能性もある。
2023年07月17日
たとえば中国では昔は60番手くらいまでの糸しか引けない綿花がほとんどだたのが、今では新疆綿といえば超長綿の代名詞。その背景としては中国が何十年の歴史を持ち、今では世界トップレベルになった遺伝子組み換えの技術が生きていてる。普通の話なのである。インドも同じく、BTコットン栽培のメッカ的な存在であったし、もう今では遺伝子組み換えでない種を手に入れることは難しくなって、努力目標的なものになっている。

オーガニック規定というのは、世界基準みたいなものは実際には存在せず、各国のオーガニック規定に沿った形で認可が下される。日本では、遺伝子組み換え種子を使わないと言われて謳われていても、それぞれの国で使うことが許可されていればオーガニックコットンと認定される。各国でのオーガニック認定が大事でそれが下りることで、認定機関がオーガニックであると認定しているようなところがあり、実際には各国ごとにばらばらな認定基準なのである。

たとえばCPKという肥料の3大要素に関してはインドでは土壌的に自然配合を超えない範囲では制限されていない、すなわち、たとえば日本でいうところの農協の合成肥料がインドではルール上規制されていないのである。また、種に関しても先ほど書いた通り、もう遺伝子組み換えでない種子を準備することは難しくなっているのが実情。国レベルで、何十年も遺伝子組み換えをやってしまっているともはや混入どころか、種すらも入手が難しいという話になる。それが遺伝子組み換えの怖さなのである。

今は、遺伝子組み換えの種を使っても、有機栽培3年で有機栽培された種ということで、オーガニックな種となるみたいだが、本質の遺伝子組み換えの問題は3年育てたところでそのままどころか、それが普通になると本当に遺伝子組み換え汚染が広がる結果につながり、遺伝子組み換え不使用を謳いながらも、ミイラ取りがミイラになるような。遺伝子組み換え不使用を謳いながらも、遺伝子組み換えまではチェックしていないのが実情で、努力目標的なだけなのである。

消費者としては、オーガニック幻想にとらわれずに現実を知ることが大事で、謳い通りのものを手に入れることがどんどんと難しくなっている現実で、これは熊本のあさりの問題とおなじようなところがあって、熊本のあさりの業者に聞くと、有明で国産のあさりを取るなんてもう無理だよとかが当り前の話、また海外からの輸入アサリの畜養にしても1年もやったら全部死んじゃうとか、現場のものは現実的には無理なことを分かっていたりする。そういうものが国産あさりとして、日本で30年も8割のシェアを占めて来た。値段は海外アサリの2倍で売れるので他のまともにやっている国産あさり業者を余計に苦しくしてしまうような結果。利益に目がくらむと偽装につながりやすくなるのでオーガニックも気を付けないといけない話なのである。

今の国際的なSDGsの流れは、利益主義的すぎて下手すれば新しいものに買い替えろみたいなところまである。従来続いてきた地道な世界というのが大事なのにそれを悪いことのようにまた金儲け主義の人がその場しのぎに仕切ろうとすると、従来以上の地球環境破壊を及ぼす。ヨーロッパでも一番環境意識の高いドイツのフォルクスワーゲン社が、クリーンディーゼル偽装をやって、有りもしない技術を謳って、世界シェアを奪いつつけて排ガスを垂れ流し続けた20年余りとか。消費者は地球環境に良いということで買い替えて結局排ガスを垂れ流して法律違反レベルの地球環境破壊させられていたということで、そこが一番消費者からすると騙された思いだろう。くしくもヨーロッパで一番環境意識が高いだろうドイツの企業がやってしまったというのも、地球環境を謳うものが偽装してしまうような、今の環境ビジネスが行き過ぎてしまっているところだろう。

オーガニックにしても、現実問題として、たとえば私がオーガニックリネンの糸を使ったと謳ったとして、普通のリネン糸を使っていても、それは消費者の人にはわからない話で、どんな国際認証機関においても検証すらもが難しい話なのである。結局は、ラベルが貼ってあろうが携わっている人のモラル次第なところによるだけの話ということに終始してしまう。

今、ハイブリッドカーが登場してしばらくあとにはリッター40km走るというのが謳いだったけども、それがリッター25kmとかに落ちてきている。それとは別の話だけど国内でも燃費偽装問題も明るみになってきた。25年前に乗ってたホンダの中古の軽自動車で、高速道路を使わない実走行で、リッター25kmは走っていたことを考えるとあんまり進歩していないのかもと思える。
2023年07月11日
先月の百貨店イベントで、初日に一番最初に来てくださったお客さまがキッチンクロスをお買い上げいただき、その数日あとにもう一度お越しくださって、使ってみて、本当に良かったので友達にもプレゼントしたいといって追加で買ってくださった。今日も、百貨店イベントでお会いしたお客様が、キッチンクロスが良かったのでどこかで手に入らないのかというようなお話。

布というのはすごいなあと思う。人々を惹きつけるような要素を持っているのを感じる。コロナ前には海外の展示会に行っても、言葉が通じなくても布が言葉みたいなもので、多くの海外のデザイナーさんたちとの出会いが生まれる。パリの展示会に行ったときにも、最初のお客様というのが、ベルギーの天然繊維にこだわるデザイナーの方で、ベルギーのリネンのことも聞きたかったので1時間くらいは雑談させていただいたのだけども、ベルギーではアパレル用の良いリネンがみつけられないといっておられた。えっつ、って感じ。林与の生地をみて、良い布をみることができて今日は一日幸せだと何度も何度も言ってくださってた。

林与がちょうどアイリッシュリネンプロジェクトをやっていた時だったので、お出会いの記念に1枚、アイリッシュリネンハンカチをプレゼントさせていただいた。林与自身がすごく思い入れをもって織ってハンカチに仕上げたもので、1枚の小さな布をハンカチにしたものでしかないけども、その布というのは布に思いをもった人からするとずーっと探し求めていたような布との特別な出会いになるのかもしれないと。

リネンのストールプロジェクトなども、海外の展示会では発表をさせていただいて、細番手リネンの織り成す柔らかリネンストールを世界に提案した。また、リネンデニムプロジェクトも林与がこだわる世界の一つで、リネンでは不可能だと思われていた綿のようなデニムをリネン生地で織りあげ国内や海外の展示会で発表した。

一つの布を開発する時には3年くらいは時間を使うことが多く、一番最初に絶対に織るのが難しいような規格から入って、それをどこまで織れるように持っていくのかという試行錯誤、織ると並行しながら生地を加工して製品化までしてみて、面白いか面白くないか、一見してその製品にときめきがあるのかないのかを検証する。開発中の商品は事務所に転がっていることが多く、なんどもなんども見る、その時に良い感じなのかどうか。

リネンキッチンクロス、アイリッシュリネン、リネンデニム、リネンストール、それらの生地は、自分が、いつ見てもそれなりにいい感じで、それぞれがそれぞれに特徴もあって、布が私に語り掛けるようなところがある。林与の布ロゴ看板も展示会の荷物に紛れてどっかいっちゃったけども、あれも、ほんと語り掛ける創作物で、あれは初めての展示会の前日に、生地ハンガーはあるけども、ブースどうしようかというのを思って、半日掛かりでつくりあげた。そのブースに看板を飾ったのだけども、ほかのスタイリッシュなブーストは違って、手づくりっぽいインパクトが強すぎてなんか笑えて。あのロゴは与一爺さんがつくって近江上布の着物の箱に印刷してたもので、それを私がまた使い始めたこともストーリー的には面白いんではないだろうか。ある海外の大きな展示会でも林与のブースにこられた方が、展示会で一番いいものを見つけたといわれて他の人にも見にくるように電話されてたが、それが林与のロゴ看板だったりもあった。林与の名刺とか会社案内とかも15年ほど前に自作したものを今も使い続けていて、手づくり精神はそういうところにもある。

林与のものづくりが、その道のプロの人も感動を与えることがあって、ある展示会では藍染の工房さんが出展されていたのだけども、ちょうどその時に林与が麻の藍染プロジェクトをやっていたので、本藍で完璧なまでに濃紺に染められたリネンがその工房の方には刺激的すぎたみたいで、感動を受けたということでほんの少しで良いからサンプル生地を分けてほしいと真似ができるようなものでもないのでお分けしたことがあった。海外の展示会で藍染の展示をみられたオーストラリアのデザイナーの方が、仕事の話じゃなくて自分のものとして本当にほしいと思われて展示会で一番気に入ったものだったのだろう。林与が作った布を、布のプロたちが自分用の私物として買いたいと思っていただけるというのはありがたいことである。展示会に来た記念のお土産に林与のストールを買ってくださる世界各国の出展者や来場者の方も多い。
2023年07月11日
8月5日6日に米原の伝統産業会館で開催されます長栄座のイベントのロビー展示に関する準備の詳細とチラシが届きました。友人がビームを下すのを手伝いに来てくれたので、チラシを見てもらう。私自身、イベントの準備というのは前日位からが多く、今回もキッチンクロスの縫製と洗い掛けを前日に行って朝に出来上がったものを会場に持ち込む予定。あと手織りの織機の整経もしないといけない。

友人は、他の出展者の方の情報もいろいろと知っておられ、私以上に地元のことはよく知っているタイプ。今回は、滋賀県の地元の方向けのイベントなので、来場者の方にキッチンクロス1枚プレゼント企画を行うのと、超簡単無料手織り体験を行う。来場される方の多くが、滋賀県では麻織物が特産品であるということはご存じなのだけども、普段、滋賀県で織られた麻をお使いの方というのは少ないと思う。手織り織機の画像イメージはあっても、実際におられたことのあるかたも案外少ないと思う。

キッチンクロスは、生産の途中でいろいろと問題があったりしてハギレができたりするのだけども、そういうのを残しておいてよいところどりして、正規の商品ではないプレゼント企画用のキッチンクロスを作る。キッチンクロスに向いたナチュラルな加工で仕上げてある。サイズもバラバラだけども、好きな大きさのを選んでもらえばよいだろうし、大きいのが欲しい方もあれば小さいのが欲しい方もあられる。またハンカチに使えるような小さなタイプのものが欲しい方もおられる。

時間があれば、ストールやカバンなども販売を兼ねたディスプレイ用に展示などしたいのだけども、たぶん、キッチンクロスを2日で150枚くらい縫製して準備していると時間はすぐに足りなくなるだろう。他の方々というのは、会社や地場産業のイメージを展示されるのだけども、林与は、ブースをいろんな商品で飾ることはできないが、家に帰られてからキッチンクロスをお使いいただくことで日本の麻織物の本場の麻織物を身近に感じてもらいたい。

また、超簡単手織り体験も整経などの準備が間に合うかどうかだけどもできるところまで準備して、あとは会場で織機の立ち上げなどはできるので、なんとかなるだろうという感じ。2台持って行きたい。長栄座の公演というのは、出演者に子供さんがおられたり、また、親御さんについてきて子供さんが来られることも多い。手織り体験ももう5年目くらいにはなるだろう。子供さんにもキッチンクロスは1枚プレゼントさせていただくので、そういうのも、滋賀県に麻織物があってそれを使ってもらえるというのは、織物を身近に感じてもらえるひとつのきっかけになるだろう。

私自身が手織り体験の凄いなあと思うところは、子供たちが織ることに夢中になってくれるところで、自分の作業で目の前で織物が織れていく楽しみみたいなあたり。もちろん子供さんだけでなく、お若い方から年配の方まであらゆる方が経験頂くと、やってみると分かることもあるで、目からうろこみたいなところがあります。日曜日に米原の伝統産業会館に来て公演や他の出展でも楽しを見つけられるとは思うけども、手織りを体験していただいて織物を織ったことも1日の思い出になれば。手織り織機で織物を織ることは難しそうにみえてもすごく簡単で楽しいということを知っていただけたらうれしいです。
2023年07月07日
先代を持ち上げていた母親もようやく今まで自分がやってこなかったという状況が分かり始めたようで、80過ぎて気の毒だけども、実際に初めて位に仕事をしてみて仕事の普通の厳しさみたいのを知る話。仕事というのは外の世界とのつながりなのだけども、内輪のなかで偉そうにしていてもそれはまったく成り立たない世間知らずで本当に無意味な話。

母親には寝る時間やテレビを見る時間、自由に動き回れる時間をあげたけども、それが普通になってしまって自分が自分で食べていくというのが理解できずに、なんで私が働かないといけないのよ、若いころに働かされたわよ、というような、今の若い人の働く覚悟もない、自分のメンツが勝ってしまって、自分がすべきことをやらずに、自分が下と思っているものに当たり前にそれがあなたの仕事でしょうというような、いわば、日本の階級社会の末期状態。

自分が働く覚悟もない人というのは本当に厄介で他の人を仕切ろうとするからややこしくなる、それが林与の先代夫婦。6億もの借金を自分が信用あると自慢して、お前には無理だとか言っていても、でも、実際に返すのは次の世代。くしくも先代は先々代から借金してまで仕事するなと言われていたのがあって、私が3歳くらいで亡くなっているので記憶はあまりないが、おじいさんというのはしっかりとした人だったなあと思える。過疎化や少子化なんて当たり前で、年寄り連中が好き放題に。実は林与というのは、親に育ててもらったというよりは、本当に正しいことは旧の愛知川町の剣道の先生方に教え育ててもらって、先代なんかは、一番に小学生からやり直さないと駄目のも当たり前。日本の繊維業界の落ちるに落ちるを見る話で、それで成り立っているのが今なお令和の日本経済だったりもする。

何も残していらないから借金を片付けて綺麗にしておいてほしいというのに、驕りすぎてお前は将来ワシに感謝すると田舎の旦那さんというのが、私が高校生17歳の時の真面目な話の結論。そういう先代に頼ってしまっていては結局何倍もの問題を解決するのが私が働き始めた時からの仕事。でも、先代夫婦というのは今時の感覚で、こかしてなんぼの世界、そして先代と懇意にしていた金融機関もそれが理想だと思っているから、何億円もの問題が次の世代にのしかかってくる。

カネや数字に浮かれた人たちが、人々が守ろうとする物事の大切さや気持ちも見失って、綺麗ごとで利用して責任感もなく食い物にするのは解せないところ。先代はあまりにも人が良すぎて、田舎の世間知らずの旦那さんそのもの。その世間知らずの旦那が、人間関係に奢って、他の人に頼り始めた時に、それは相手の苦しみも理解せずにやったら駄目だと警告を鳴らすのが私で、人々が働くをあまりにいい加減に考えすぎているのが覚悟すらもないというか、覚悟すらもない人が集まりすぎて覚悟している人を食いつぶすようなのが当り前な今のながれ。誰が面倒を見るんですかという話で、自分が面倒も見ようともしない人たちが偉そうに面倒見ろとか、それは野麦脳外の世界に通じる話で、日本の階級社会の闇そのもの。生きてゆくのも難しい困った貧農を救うのが国からすると一番駄目なようなように持って行く、3年で家が建てられるとかのチャンスが日本苧行政的な階級社会では一番駄目なことになる。

江戸時代の身分制顔がそのままなのが今の日本の法の下の平等で、法律で江戸時代の身分制度や階級社会を守っているだけのことで、それが、本当に残念、そのもの。自分が支える覚悟のあるものが日本の繊維業界を支えてゆかないと思うだけで、その気持ちを増やして行かないと、日本の繊維業界もどんどんと楽にうすっぺらく、ラベル商売が横行して、逆に実際に作業する気持ちすらも食いつぶして行く、それがこの15年くらいの流れ。

専門家の人が林与にアウトソーシングしなさいとか、損得じゃない日本の産業としての問題で、それは、日本の大手企業すらもが海外のお客さんになるだけの話で、自分たちが働くことすらも面倒になって、そういう考えに陥ると成り立たないようになるだけのこと。大きな企業に憧れが無くて、一般的には特に大きな企業の中の人には魅力をあまり感じない。大きな会社の中でも、私と同じように仕事している人がいたりもして、そういう人はなんでも自分でやっていて解決方法も持っていたりする。実質的な仕事のところがあって本当の仕事力みたいなものを持っておられ、その会社では一番年配の開発者の方らしいのだけども大企業を支えられているなあと思えた。

補助金の審査会でも審査委員のいわれることがずごく浅すぎてそれが一番駄目だったりとかも多く、わたしは、現実も分かっておられずに「そうですか」というだけ。別の審査会では審査員の方が事業計画でなぜ販売をしないのですかという質問をされたりもして、補助金の事業期間中は販売してはならないルールがあることが私の返答だったりとか。自分が開発した商品などにしてもなぜか販売は他の人に任せなさい見たいなことを言われたりするけども、それももちろん今までの仕事で経験はもっているけども、繊維業界全般で販売が難しくなっているから、作っているもの自身が販売を手掛けていくという必要性が出てきているのである。

一流企業で働いてとか公務員になるも難しい人たちが田舎の繊維企業に集まったときに、そういう人たちの生活をどうやって支えてゆくのか。できなくても精一杯やってみるというところから始めないと。何億問題を当たり前に背負いながら、まだ、働いている人を先代のように大事にしなさいよみたいな感覚では、今の時代の普通に働くも難しい話で、そこまで要求されるのが駄目な田舎社会。持ち出してその人々の人生が支えられているのがわからないと年配者や経験者がどこまでも覚悟すらもなく支えている喪に要求では難しい。みんなが頼っていた先代や、ちゃんとしているという母親に、1日のアルバイトの覚悟もなく、次の世代に面倒見てもらうのを求めてしまっている日本社会と被って、残念に思うところ。

田舎の商売感覚ではどうしようもないところがあって、外の人たちというのはピュアな気持ちで応援もしてくださる方が多く、普通に一生懸命にやっていれば評価してもらえるというまともさがあって、そういうのは一般の最終消費者のお客さんが評価される気持ちみたいなところからきている部分もあるのだろう。一般の消費者というのはSDGs的なものごとやエシカル、エコを大事に思ってくださる方が多く温かいなあと思う。そういう気持ちに応えられるような感覚で仕事はしたいし、意味のあることを続けていることがやっぱり大事じゃないのかなあと思える。儲けるとか儲かるとかに支配されてしまうと、大事な物事を見失ってしまって、毎回毎回の判断が誤りの積み重ねになってしまうだろう。それだけは避けないと一生懸命にやっている意味すらもなくなってしまう。
2023年07月01日
遺伝子組み換えのBTコットンではないかとオーガニックコットンが疑われている事例への、国際的認証機関の返答が、綿花レベルで遺伝子組み換えか否かを見分ける技術は現在のところないので問題ないという返答。それって国際的な認証機関が、オーガニックで遺伝子組み換えを禁止していると消費者には謳いながら、実際には、インドなどでは遺伝子組み換えでないコットンの種子は入手が難しくなって努力目標でしかなくなっているのが実情。

何がいいたいのかというと国際的な認証機関自体が、消費者に謳っていること自体がもはや現実味すらなっているということ。今に始まった話ではなく、2008年のピークから次の年に半減したのは、認証機関が適正な検査をしていなかったということで、2009年2010年にはインドの綿花の栽培量が半減した。オーガニックコットンの意味を否定するわけではないけども、国際的な認証機関の認証もうのみにせずに、消費者目線で警笛をならさないといけないというのが実情なのである。

特に、日本で一番大きなオーガニックコットン系の組織で、数年前まで、理事長やってた人は本当に無茶苦茶なことを電話で言っててびっくりした。私がコットンじゃない合成繊維交じりのものにもオーガニックコットンのラベルがついていますよね(当時はオーガニックコットン100%でないと駄目なとき)、というと、その理事長は、それは企業が勝手にやってるだけだから私の責任ではないと。それが国際認証機関の日本の認定委員も兼ねているから、結局、その程度の認証なのである。ほかにも、エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語を聞いていると眠くなってくるんですとか、私があなたが一番オーガニックのなかでやばいですよ、早く理事長を止めた方がよいですよ、というと、辞めたいけど他にやる人がいないからやっているだけだという答え。そういう方が日本のオーガニックを謳って、セミナーとかで講演をしていたというだけのこと。一番感じたのは権威主義的で階級思想的な考えをもっておられ、そんなボロボロなことを言いながら、オーガニックの代表では駄目だろうと思うが、それが一つの日本のオーガニックのお粗末すぎる実情。その当時の副理事長だったかたにこういう話をするとびっくりされていたが、副理事長の方ですらも、理事長がそんな人だとは思ってもおられず、一緒にオーガニックの啓蒙活動をされてたみたい。その方を取り巻いておられた他の方ともお話するとびっくりされているけど、取り巻いておられる方々にしても、そういう本質も見抜けずに一緒によくやっておられたなあと思う。

オーガニックコットンに憧れる業者の方というのは、それまで普通のコットンを扱ったことのない方が多かったりする。同じように普通のリネンを扱ったことのない方々が、オーガニックリネンを求められて商売にしようとされていたりも多い。そういうのって繊維の世界からするとアプローチが違って、繊維の基本知識もない方がイメージから入ってこられるみたいなあたりで、消費者に正しい知識が伝わるのかとかも心配だったりするところ。

国産と謳われると安心するというイメージがあって、それが海外でつくられたものであっても、国産しか謳わないからどこがどう国産なのかというあたり、百貨店レベルでも危ない橋を渡っておられる業者さんがあったりもして、販売店員の女の子と話しているとすべて国産ですと言われるが、その裏の話をしっているから、販売店員さんにその会社は海外本社の業界では有名な輸入生地業者さんだということを教えてあげる。熊本のアサリのようなことは繊維業界でも普通にあって安い生地にはやっぱり訳がある。別に安くて悪いわけじゃないけども、高く売りたいからすべて国産とか謳ってしまう。

生地の産地にはいろいろな産地が絡んでいる、原料の産地、紡績の産地、染の産地、織の産地、加工の産地などなど、生地の産地要件としては、基本織の産地が、生地の産地となる原則があって、後染めやプリントの場合には、織の産地+プリントの産地とか、林与の場合は、織の産地主義に基づいているから、産地主義を貫いている。林与のように自分自身で仕事を受けて織っている会社からすると、今すでに麻を他の会社に頼まれて作っておられるなら、その織物工場とのお付き合いを大事にされるのがよいのではないかと思ったりする。

機屋というのは日本では絶滅危惧産業で、林与のようによいお客様やチャンスにも恵まれながら、いろいろとものを作って動き回っていても、実際の作業量が多すぎてなかなか成り立たせるは難しい。でも、普通に憧れて本質を見失なってしまえば私が織物をやっている意味も無くなるだろうと思う。ある方が、林与に尋ねられたことに林与さんの特徴はなんですか?と、自分で織物を織っていることかなあとお答え、尋ねられたかたはその当たり前に思われる答えにポカーンとされたのだけども。たぶん、どこどこの糸を使っていますとか、すべて何とかリネンですとかのようなところを求めておられたのかなあと。麻の知識に関する認識が違いすぎる時には、整合することはないだろうから言わないほうがよいのか迷うことも多い。言わないときには林与との仕事としての接点は生まれないほうがよく、接点が生まれると生地に対する情報がその方に正しく伝わるか、また、その方から消費者に正しく伝わるかどうかが重要なポイントとなる。