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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2014年1月
2014年1月
リネン日記:25
2014年01月31日
技術的に無理だと思うところにチャンスがあるということが多いものです。通常の作業を超えて物事を行うときに、それは無理という結論を言うことが当たり前に正しいのだといえますが、それで仕事が生み出せていれば問題なかろうかと思いますが、仕事も少なく苦しいというパターンだと、無理なところを手がけていかないとならないと思います。


無理なことをやってみて最初は駄目でも経験を積めば、無理なところでの経験が増えてそれは、普通に仕事をしている何倍もの仕事経験。技術的に無理なこともあれば、作業手順や作業密度的に無理だと思うこともあろうかと思います。仕事をする上では、後者の作業手順や作業密度を成り立つところまで上げるということが、技術以上に採算の面で大事であることが多いのを感じます。

そのときに大事なのは人という要素。厳しい話ですが、品質や生産性を上げようとするときに、それについてこられる人とこられない人の差というのは大きいものです。地場産業というのは分業体制であることが多いので、外部に仕事を頼むとしても無理をしてもらえるかどうかが鍵となろうかと思います。

また、無理をして仕事をしたからといって欲がでると駄目で、無理しても成果がないのが普通でそのときはただ働きどころか持ち出しを覚悟していないと。せっかくの無理も成り立ちません。成功したときにようやく成果があってこそ仕事として成り立つという考え方が基本だろうと思います。
2014年01月29日
もう1月も終わり、外は雨。雨の中に暖かさを感じる。桜が咲く前夜のような力づよい温もり。もう止まらない感じ。止まるとか止まらないとかどうでもよいのだけど、春になろうとするのが止まらない感じ。

工場の中では1月末の納期に向けての複数の仕事の詰め、そのうちの一つ、レピア織機がキューキューと機械が壊れる前のような異音を出す。どこがおかしいのか、数週間前に修理してもらった箇所の留め金具がなくなってしまったのか、付け忘れたのかで、留めピンについたギアがぐらぐらで、ギアの頭が鋼鉄の部品を削ってしまっている。重症。

納期が大事なのに、時間が掛かりそうな問題で、これを解決するためには、他の仕事を遅らせてこれに集中しないといけない。織機を載せ換えることも考えるが、それをやると、また調子出しからはじめないとならない。時間のことを考えると絶望感に陥る。考えた末に、その周辺の部品全体を取り替えることにする。そんなことやったことなかったが、これが案外スムーズ1時間ほどで交換できた。だが、交換後、また別の問題が発生。

レピア織機が動いていて突然13枚目のソウコウ枠が外れる。部品全体を交換したときにソウコウ枠を固定していた金具の調整を忘れ、ソウコウ枠が大暴れして外れたみたいで、ドビーの歯まで外れてどこかに行ってしまった。ドビーの歯ば、余分にあったので付け直して、結局、2時間くらいのタイムロス。でも、途中であきらめるよりは進み続けたので前には進んでいる。

今、作っているものの生産量は少ないけど、どれもがちょっと無理のある規格に自らしたものが多く、この生地はちょっと面白いなあと珍しいなあと思ってもらえるようなものをベースにしているものが多いので、量産となるとトラブルが付き物。

生地が厚いだけで、レピア織機で困るのは、捨て耳の絡む部分が後退して、糸をうまくピックできなかったりとか、カッターがうまく切れなかったりとか、こういう織物を作っていると、一日に何十回もピッカーやカッターを外して調整したり、ぎりぎりの織物というのは、とにかく織る以外の部分で時間を使う。

1反の仕事であるけれども、自分としてもレピアでできるかどうか挑戦したかった仕事。普通ならシャトル織機で高密度なのだけども、いろいろな皆さんから要望があって、シャトルの弱点も克服しつつレピアで高密度の織物に挑戦。できるかできないかわからない仕事を仕事として受けることは緊張する。それはその仕事をこなすためではなくて、これからの将来を考えると自分が持つべきな新しい能力であることも多く、そういう出来るか出来ないかわからない仕事を他人のふんどしでやらせてもらえることに感謝しないといけないと思う。そういうチャンスを与えてもらえることというのは少ないものだ。
2014年01月28日
朝から昨日のシャトル織機の準備の続き、動かすまでに、10数時間は作業が必要というのも予想はできていたことだが時間を見つけるのが難しく、詰め込んでの仕事。

午後からは彦根で、読売テレビの岩田公雄記者の講演会がありました。昭和30年代くらいからの世界的な大事件報道などの流れを聞いて、懐かしいなあと思えることも多く、時代というものは常に安定をしないものだなあと感じました。

政治の話も多かったが、私自身は政治にはほとんど興味ない。政党の争いとか、派閥の争いとか、子供の喧嘩みたいなことをいい年した年寄りがどうしようもない。そんな恥ずかしいレベルのものを日本の歴史と呼ぶには馬鹿すぎる。国家議員として国民の代表として選ばれたなら、集まって脚の引っ張り合いしていないで、自分自身で台頭に一人ひとりが言葉を発するべきだと考える。みんなで渡れば怖くない、みたいなのが多すぎる気がする、国会議員になったものですらも力に弱く、力に縋ろうとする人たちが多すぎるのだ。

その後は、懇親会で、和太鼓の演技、彦根の粋なお店のいろいろな料理で立食パーティで、朝からなんにも食べていない状態だったので、すきっ腹には豪華すぎる味でした。

会社に戻って、夜は、帯の織りの続きと輸出書類の作成など、そのほか、バッグ生地の織りや新規に受けたストライプ生地の生産の案件。あと、アパレル向けの見本の進行などの柄出など。

夜中、帯の織機を動かそうとするが、ヒガエが出来ず杼箱の辺りを根本的に調整しないといけないような状態。部品を位置を正しく取り付けなおしたりしながら1時間くらい掛けて正しく動くようにする。今まで動いていたのが不思議である。ネジも反対から差し込まれていて、しっかりと締められておらず不安定、一見して問題がいろいろなところに見える。

糸のテンションは大丈夫だが、シャトルを叩き出すタイミングも違和感を感じる。何も足りないものはないのだが最適な位置に調整を掛けてあげるだけで織機が正しく動くようになる。他の人が教えてくれるのは大きな基本のところだけで後は仕事をしていく中で見出していくもの。大事なのは手の感覚で、織物を織るときにその感覚があるのかないのかで織機の調整にも大きな差が出てくる。

私自身、織機の調整がすべてみたいなこと偉そうに書いているけど、たとえ、織機の調整ができたところで食べていけるのかという問題も常に感じてはいる。織物屋が織物を織れなければ、誰も仕事をくれないよ、という当たり前の話を働いている人にすることが多いが、仕事ができなくても当たり前に仕事があると思ってしまっているのが働く人の感覚なのかと思うところもある。仕事を探すというか生み出すところから作って納めるところまで完結しないと当たり前に駄目なのだけれども、地場産業というのは分業の中で動いているので、その当たり前のところも難しくなってしまったのだろうと思える。

近くの分野は違うけれども機屋さんが1年ほど前に廃業された。私の同級生のお父さんが社長で、話をしていていろいろと指導をくださったのだが、亡くなられて会社にその仕事を引き継げるほどの強いものがいなかったというのは気の毒な話だろうといえる。設備なども入れられてしっかりとしてみえる会社ほど長持ちしないというのは、設備依存で本来は人の力こそ大事なのだが設備投資で人の力を補ってしまっているというのが理由だろうといえる。

あれもできるこれもできるではなく、あれもできないこれもできないとなるのも、設備依存になってしまうと量産向けの飽きられやすいものしかできなくなるものである。織物でも手品みたいな技法で織ったものは目立つのだが、凝った物でも一度見れ新鮮さは消えて飽きられてしまうのは、一度手品を見た人が次に同じ手品を見るのかという問題もあろうかといえる。本質的なものこそ大事で、ものに恵まれなかった昔に作ったものほど、人の作るものを超えた世界であるというのを感じるのが織物の世界。

昨年の展示会でも、近江上布を眺められたお客様が興奮気味に、ある一番の特別向けに一点ものとして提案したいというようなお話で、展示していた林与の近江上布を初対面の方に慕っていただくが、それというのは人がすべてのことに我慢できた時代のものづくりで、自分が食べる考える前に他の人を食べさせていくことを考えた時代のものづくりだからこそできあがったようなもの。たかだか、50年昔のことだが、今の自分が最初にとることを考える人ばかりのビジネスライクな流れの中ではその何十分の一の手間でできるものづくりでありながら、さらにそれを面倒がって難しいとか手を抜こうとする。
2014年01月27日
本来、おにぎりというのは海苔をボール上のご飯に貼り付ける必要があるので、海苔はしんなりとしているべきなのだが、コンビニなどのおにぎりで直まきタイプのものというのは少ない。

その理由はというと、たぶん、味を犠牲にしてコスト面優先だからだろう。おにぎりなのに握っていないおにぎりがほとんどだと思う。コンビニという需要の大きな分野において、味を犠牲にしてもコスト優先のほうが売りやすいというあたりどうなのだろうか。

しっかりと握ったおにぎりが一個50円から100円高いとするなら買う人がいるだろうか。たぶん、いないだろう。売れ残るリスクで作ると利益どころか損だろう。他にないものをつくれというのがマーケティングでよく言われるけど、他にない理由が成り立たないから誰もしないだけということも多いものである。おにぎりの世界が、家で作るよりも手を抜いたもので商売が成り立つというのも不思議な話。あるいは、海苔はパリパリのもののほうがおいしいという一般的な判断なのだろうか。それとも、衛生面の問題か、それなら薄いビニール手袋をして作ればよいだろう。

今日は午前中、地元の方と一緒に東京からのアパレルのお客様、2015SS向けの商談。午後からは、着物の4mの帯を織るシャトル織機を動かすための準備。ドビーが入るために、ヒガエカード、ドビー、山、豆シリンダーなどをいろいろと組み合わせて織る。夜中までずーっと掛かって準備、手が痛く、疲れるが、これも昔のシャトル織機を動かすためにする普通の作業。複雑なことで時間が限られているので私が担当。
2014年01月26日
今日は日曜日、昨日上がってきた反物を検反して出荷。そろそろこの春の納品の終盤を迎えており、納期に追われての仕事がほとんどではあるものの。来春に向けては定番のシリーズというものを毎年販売していくような方式に変更するべきではなかろうかと思ったりする。

今は仕事がありすぎて出来ないほどの状態。こういうのをこなしていけるのも地元の染色工場さんや加工工場さんの急ぎのときに無理をしてもらえる協力があるからで、そういう協力に対して応えられるように、仕事の規模を大きくしていかないとならないと思う。

一ヶ月というか、いろいろなことをしすぎて、1年すらもが非常に早く過ぎてゆく、最近は、いろいろな方面から声を掛けていただくことも多くなり、陰ながら見守っているテキスタイルマルシェを企画されているグループの方から、トライアルマルシェという企画に参加のお誘いをいただいた。詳細はまだ未定のようですが、2月後半に展示会ではなく、大阪での即売会ということで参加させていただくことになりそうです。

私も十分に年配になってきて、若い皆さんが活発な動きをされているのを見て、今の時代に仕事に一生懸命取り組む、しかも、繊維という成熟してしまった分野に飛び込んで。成熟した産業にやる気のある人材が飛び込んで、実際に経験を積むというのは本当に良いこと。

実際の仕事の難しさも分かるというもので、そういうのは機屋の職人が経験することは少ないので、職人というものはいつも仕事があって目の前の仕事を時間こなしていると食べていけるように錯覚を持ってしまうものだ。若いときに厳しい経験をして現場のモノづくりに向かうことができれば、仕事のある喜びというものも分かるもの。

どこかで書いたかもしれませんが、私も若い頃に仕事にやる気を持って見本を作ろうと仕事が終わってから自分で柄組して整経をして自分で糸を繋いで布を織ったのを、先代が私のやていることをみて、糸がもったいないから止めろということを言われ、それ以来、自分自身で柄組するのを封印し、先代が亡くなったのを機に、社長となり自分自身で自分自身の作りたい生地の企画を再度スタートしました。

アイリッシュリネン、オーガニックリネン、リネン細番手、リネン高密度、シャトル織、ストール、ハンカチ、キッチンクロス、ネット販売、展示会への出展など、自分自身の考えたことを10以上もプロジェクトとして立ち上げ実践して布の形にしてみなさんに見ていただいた。市販のものよりも不出来でもよいが、自分自身が作るのだから違って見えてほしいというのが願いであった。自分で工場と布を織る力をもっているのだから、真似する必要などなく、自分自身で考えて作り上げることが一番大事であるという思い。

売れなくてもいいから、自分の作りたいものをつくり、経験したいことを経験しておこうと、普通の仕事をしながら、プラスアルファで経験できたことが大変だったけど本当によかった。ハングリーな気分でものづくりに没頭できるうちに没頭しておくのが、繊維業界に限らず大事な経験。また、へたくそなものでもお披露目して恥をかくのも大事で、そういう度胸がないと1年なんて何もしない間に終わってしまう。
2014年01月25日
滋賀県米原の伝統文化産業会館にて、2014年2月26日(水)15時から、天池合繊社長の天池源受氏と丸三ハシモト社長の橋本英宗氏の2人の講師をお迎え、ビジネスカフェが催されるそうです。天地さんの「天女の羽衣」の話はお聞きになれた方多いかと思いますが、開発に携わられた社長の話が聞ける絶好の機会です。林与も合成繊維と天然繊維で分野は違いますが、織物の開発での苦労話というのはものの売り買いの話よりも実質的には大事な部分で人のドラマだと思います。

私自身、織物の分野におるわけですが、コンピュータソフトウェアの会社やコンピュータ製造の現場なども経験をしましたが、会社運営というのは、何を作っているかというところではなく、人がどう働いてなにをつくるかで同じ仕事をしていても成り立つ成り立たないのところ決まるのだと思っております。

天池さんにしても、社長であられながらも一番の技術者であられるといえ、ものづくりの面以上に、働く人との人間関係などで苦労された結果が、天女の羽衣であろうかといえます。たぶん、社長の目には、天女の羽衣を見ると、透明感があり軽くて美しい布というものではなく、その開発での日々の思い出がいろいろと浮かんでくるものと思います。

もう一方が、滋賀県の丸三ハシモト株式会社橋本社長。琴の糸を製造されている会社で、日本の技術を海外の楽器向けに輸出することに意欲的で、海外の有名な作家さんとの契約なども結ばれています。琴糸の開発だけではなく、大手楽器メーカーが存在するなか、販路開拓という部分、非常な努力ではなかったかと思うのです。

両氏に共通するのが、従来のものづくりの行き詰まり。自分自身で販路を開拓すべく新しいモノづくりに取り組まれたところだと思うので、林与にしても、従来のものづくりの部分も守り続けてはいるものの、新しい課題を自分自身にぶつけて背伸びの毎日。いつか、背も高くなるのではという思いで、両氏の講演を今後の自身の活動にも参考にさせていただけたらと思っております。

県外の方の聴講が可能なのかは分かりませんが、ぜひ、問い合わせてみてください。(問合せ:滋賀県立文化産業交流会館 TEL 0749-52-5111) 林与は交流会も参加予定ではおりますので徹夜明けでボロボロかもしれませんが、皆さんとの交流も楽しみにしております。
2014年01月24日
今日は織機の調整。織筬の手前にあるはずのレピアバンドがスムーズに走るためのスウェードっぽい感じのもの貼り付けた2mmくらいのベニアで作ってあるライナーがどこかに行ってしまっている。長さが150cmほどあるものなんで自然になくなることはない?誰が捨てたのか。危ない問題。

これを修理するにはスウェードっぽいテープが必要なのだが、それが見当たらず断念。急ぎの分はライナー無しで織り進むことにするが、レピアが宙に浮いたような形で糸の引渡しを行う大丈夫か?レピアの左右のヘッドがぶつかる交通事故が起こらないか心配。

それ以外に、横糸をうまく持っていかない問題がある。糸ピッカーのヘッドを交換したり研磨したり、糸道油を塗ったり、糸調子を揃えるが難しい。全然関係がないのだが、もしかするとある原因だろうと思って縦糸に調整を掛ける。何時間掛けて1mを織るのが難しかったものが、やはり、急に織れるようになって調子よく動き出す。原理としては、織前が下がって強く横糸が打ち込まれすぎて、打ち込んだ瞬間に横糸の耳そばが筬で糸切れを起こしてしまうのだろう。そういうことに気がつくのと気がつかないのとでは、引き受けた仕事ができるできないの雲泥の差となる。織物の仕事というのは怖いなあと思える。

送りが正しく送ることができなくなっていることもなぜなのという問題だが、縦糸のビームローラーの径を図る送り出しレバーの取り扱いなどに問題があり、調整が大きくずれてしまうのではなかろうかと思う。
2014年01月23日
一年で一番寒い時期にさしかかろうとしていて、仕事をしていても寒さを感じる。織物の仕事の原点に帰るとすれば、冬の寒い夜にコツコツと織るのが麻織物の本来の姿。手機の時代は体を動かして仕事をすることで寒さはまぎれたのだろうと思います。暖かい環境がほしい人というのは、織物の仕事では家での内職が向いていたのだと思います。

働く環境というのは、よくすれば生産性が上がるのかというと、よくなった働く環境というのは逆戻りできないという問題があります。常にゼロからでも自分で仕事を立ち上げていく覚悟している人がいないとならず、そういう人がいる会社というのは強いなあといえます。
2014年01月22日
今日はあるブランドでお世話になった方からお電話をいただいて、この3月で会社を去られるというご報告をいただきました。アパレルの業界というのは、仕事をしているといっても舞台の出番が来たかのような状態で、私よりも弊社を担当下さった、お若いみなさんが会社を移り変わられるということを多く経験しています。アパレルに居られた方というのは、アパレルの仕事が好きな方がほとんどで次もアパレルの仕事に就きたいとおっしゃっておられる方が多い分、競争も激しく、移り変わりも激しいのだろうと思います。

ブランドさんでも時代とともにターゲットが上がっていくタイプのブランドさんというのは、中で働いている人も安定しているのでしょうが、特定の年代をターゲットとしたブランドさんだと、やはり、そのブランドで働く人の年齢というのもターゲット層と似通っている層がマジョリティでないとギャップが生じてくるのだろうなあと思えます。たとえば、低価格路線で攻める大手SPAさんは、10代、20代がターゲットなために、お店で働いている人も、20代の方が多いですが、あと10年後、そのお店で働いている人が同じお店で働き続けることが、お店のイメージと整合するのだろうかという問題があります。10年先というのは、アパレルの業界では大手さんにしても常に闇の状態だろうと思うのです。

世代交代をうまくしているところは実際に生き残っていく可能性は高く、世代交代ができないと次の世代が育たずに、主力世代が交代時期を迎えると会社の力ががくんと落ちるということになり、そこで会社は終わってしまうのです。日本的雇用形態といわれた年功序列型賃金制度や終身雇用制度というものにしても戦後の良い時代にみた夢のようなもので、実際に年金制度などと同じで問題を先送りにしているだけのことであるのだろうと思えます。

世代交代にしても、今の世代よりも次の世代のほうが強くなければ、産業も発展するはずがないのですが、今の若い世代というのは最初から失敗も許されないし、働く時間も制限されすぎているので経験を積む機会すらもなく、仕事をしていても昔の人ほども仕事のいろいろなことを知るまもなく仕事を終えるというケースが増えているのだろうと思うのです。

製造業で考えると、仕事を分業化し、マニュアル化してしまいパーツ化してしまうと誰でもができる仕事になるのでしょうが、特別、上手な人もいなくなる原因の一つに繋がり、長年でみていくと現場の人が実際になぜそのような手順が必要なのかがわからないままに仕事しているとか、自分の作っているものに何になるのかすらわからずにモノづくりしているとか素人集団がものをつくっている状態に近づいていくもので、特別なものを作るとかの力を現場の人に求めることすらできなくなってしまいます。
2014年01月21日
今は、世界規模で経済も動いているので、日本人が海外の企業で働くこともあったりで、それほど国を憂うことはなかろうかと思うのですが、日本人で日本の国の将来を心配している人というのは多いかと思います。

国家予算90兆円の半分が足りず(年金基金の計上先送りや特別会計計上で実質は66割り、7割が足りない状況)。既存企業にしても、毎年毎年、国からの徴収額は増して意気、苦しくなっていくことがほとんどで、経営努力という理想的な夢ごとを企業に求められても、温度差というものの大きさを感じることばかり。

バブルのときですらも国というものは経営が成り立たないのですから、厳しい時代には、蟻とキリギリスでいうなら、冬にキリギリスが蟻が働いた部分を横取りするような構造。国会議員にしても、キリギリスのような方が増えすぎて、蟻のような方が国会議員になってほしいと思うばかり。国会議員となっても自らの言葉を発することのできない政党政治の限界を感じます。

小泉政権のときに、赤字国債発行を30兆円に抑えるという目的で、外資優遇、金融が引き締められ、日本の代々やってきた零細企業や商店が次々と潰れていきました。また、アメリカのサブプライムローンに出資した日本の金融機関なども多く。国が国内の支援以上に海外の企業を支援してしまえば、日本国内のぎりぎりでやっている企業の資金繰りが悪化し破綻していくという当たり前のことを国を上げて実践したにすぎません。

モラル的にも、サブプライムローンなどは、低所得者騙しという結論、でそういうもの便乗してモラルハザードがないのも、バブル崩壊を経験した日本の金融機関といえども、アメリカのマネー哲学しかないというのが残念。日本の金融庁すらもがその方向に向いたら、いくら精神でなりたっている日本的な企業経営といえども成り立たなくなってしまいます。
2014年01月20日
大根が安かったので3本買って、1本1cmの厚さに切っておでんにしてみた。一回炊いて冷まして、2回目炊いて冷まして、3回目に暖かくして、ようやく柔らかくなって味が中まで浸透し非常においしい感じ。冬の終わりになると毎年農家で白菜や大根を破棄する風景が見られる。今の時代は恵まれた時代だなあと思う。ハンバーガーショップでハンバーガーを食べるよりも何倍も体によいんじゃあないかと思う。実際、おでん大根、食べた後の体の雰囲気が非常に良い。

今、日本の農業は自由化されようとしているが、決定次第で稲作農家の運命が決まるといってよい。それだけでなく、農地の維持が不要になり社会構造や風景までもが変わることになる。維持するのにも必要以上にいびつな力が掛かっていたとはいえるので、それでも限界点に達していると考えれば改革が必要だろう。でも、農家としてやっていこうという気持ちの高い人がいれば、採算性とかそんなしょぼいものに目を当てないで、もっと大きなビジョンで応援をしてもよかろうかと繊維業界の流れをみて思う。

イタリアやフランスの生地産業が華やかで世界のファッションのトレンドを形成しているのも国の大きな力が働いているから、産業がピークを超えたときにその後というものは、働いている人の能力も年毎に落ちるので、国として雇用を維持がひつようならその対策をすべきだし、産業の中での世代交代を促すような法改正も必要だったろう。今、高齢化で次の世代のないといわれる農業に関してもそのことが言われているなかでの、自由化問題。

別に新しい産業や商品なんてものはいつでも来るもの拒ます去るもの追わずでよいかもしれないけれども、定番的な、昔から続いているものが一旦途絶えるともう戻ってくるということはほとんどない、戻ってきたとしても本来の価値観が失われてしまって、損得勘定ありきのものになってしまっていたり。
2014年01月18日
今日はシャトル織機の調整。捨て耳がどうもうまく行かないので、捨て耳のローラーチューブの緩みをとるため短くしてみる。でも、まだ駄目、捨て耳のカッターが鈍くなっている感じで、研磨が必要と考え研磨してみる。捨て耳は改善したがレピアの横糸のピックアップミスが多い。この原因はピッカーのタイミングのほか、ピッカーのカッターの切れ味が落ちていることが原因だろうと、ピッカーのカッターも研磨。問題なく織れるようになる。

織物というのは織るだけが仕事ではなく、周辺作業もあれば、また、織機の調整なども織物の仕事のうちで、修理なども織物の仕事のうち。部品がなければ部品を自分で作ることも必要。織機の調整や修理のできる人というのは織機を使っても壊すことは少ないけども、織るだけの人というのは織機のバランスを崩していくことが多いので、現場では役に立たない。

昔の現場の人というのは、分業体制が整っていたので、一つの仕事をしていればそれでよかったが、今の人の少ない現場では、複雑な仕事を理解し正確に並行してこなしていく能力の高い人が必要となる。今の時代の織物の現場、つねに自分自身を研ぐことのできる人でないと仕事をこなしていくのは難しい。
2014年01月17日
三越伊勢丹新宿本店、銀座店、日本橋店のキッチンコーナーで、この2月から林与が織らせていただきましたキッチンクロスをくらしものさしプロジェクトで取り上げていただき、販売がスタートします。やや厚地のハニカムキッチンクロス。私、林与自身が一枚一枚をシャトル織機を動かしながら織るという形。

私自身が織るときも、他のことを忘れてゆっくりとシャトル織機に向かいながら、キッチンクロスが一枚一枚織りあがっていく達成感を味わいながらのまったりとした時間です。私自身は、仕事という言葉よりは作業という言葉のほうが好きで、仕事という言葉、仕事だから仕方ないみたいな味気なさ好きじゃないのです。時間という言葉のほうが素敵に思うのです。

実は私は仕事を仕事と思ったことはほとんどなく、私にとっては織物はライフワーク、ご飯を食べる以上に大事な部分で、蜂が巣を作るのと同じ本能的なものでなければならないと思うのです。私が本来、職人たちに期待するのもその域でですが、作業に無心で没頭できるようなタイプの人というのは本当に少なく、30年、40年、携わった職人ですらも通常は、その域には達することはなく、まだ、逆に学生で気持ちを持った人や、夢や情熱をもって取り組める人のほうが経験をしっかりと積めばよいものが作れるものです。

己惚れるでもなく、外から見て自分に力がなければそれまで、仕事もなく食べてもいけないので、本業が成り立たなければ、外の仕事でお金を稼いで材料や試作する費用をつくって、夢を実現するというのが、なんとしても本業を成り立たせるあり方だと思っているので、自分で覚悟がない人との取り組みはやったとしても後味の悪いだけのこと。
2014年01月16日
あるプロジェクトでアイテムを作りました。もうちょっと煮詰める必要があろうかと思うのですが、ドラフト的なサンプルは自分の中では70点くらいまで到達していていい感じです。

今日は、滋賀県の方から補助金の案件でお電話をいただきました。海外向けにリネンの細番手のプロジェクトを展開していこうと考えており、今の仕事が落ち着いた時期に、ビンテージアイリッシュリネン生地なども生産をする予定です。

昨年の原材料のフラックスの作柄は良いと聞いているので、この春からのリネンの細番手を思い切って展開できると考えております。今年は、5月のプレミアムテキスタイル、9月のヨーロッパ、10月の上海、12月のハーベスト、2月のヨーロッパの展示会に向け、この3月から自社の細番手サンプルをつくる時間を見つけて動きます。
2014年01月15日
今日は午前中、糸商さんが来られて、普段は電話で、2年ぶりくらいでしょうか。近況報告などのあと、仕事の案件で解決方法の提案と、新しいアイテムに関しても相談など。

午後から、デザインに関して滋賀県の発明協会のかたのご紹介で、デザインに関しての専門家が東京からお二人お越し下さいました。国際的に意匠を保護しようとすると、非常にコストが掛かるというお話などを聞きまして、どのように対応すべきかというアドバイスを受けました。

展開する展開の仕方で、準備しないといけないことも違ってくるし、結果も違ってくるだろうといえ、ものづくり以外の部分で準備が必要だろうといえます。海外との仕事をするときに、すべてを用意しておくということが大事だなあと思えることが多いのです。すぐに同じものが出せるような体制でないと、その仕事だけに追われるということになりかねません。

今日は、テキスタイルマルシェを運営されている方からの、2月に計画されています大阪でのトライアルマルシェのご紹介をいただきました。テキスタイルマルシェは若手の皆さんが力強く展開をされている即売会企画でなかなか布の世界で販路開拓が難しい中、非常によいイメージで展開されているので遠巻きに関与せずとも応援の気持ちで見守りたい気分でおりました活動です。参加できることになりましたら、自分でどう応援できるのかも含めて考えていければと思います。
2014年01月14日
今日は朝一番で銀行の方が新年のご挨拶に来てくださり、近況報告など。その後、東京と大阪からお客様で、2015SSに向けての企画が始まりました。1年を掛けて企画を練るというスタイルが業界の中でも珍しくなり始めている流れの中でも、やはり国内でも老舗のアパレルメーカーさんだけにしっかりとしたスタイルを保っておられます。

今日は、企画のお話の後の雑談で、ヨーロッパでアンゴラウサギの製品ボイコットの話を聞きました。毛足の長いアンゴラウサギの毛は、アパレルなどにも使われるのですが、その毛を取るときに、毛を毟り取るということが行われているそうで、その動画がインターネットでも広がりボイコットに繋がっているとか。

バリカンを使って毛を取るよりも、効率良く長い毛がとれるでしょうから、経済的にはベストな方法なのでしょうが、苦痛に悲鳴をあげるウサギの姿というのは可哀想すぎで、そこまでしてアンゴラのもので製品をつくって商売をすることがモラル的に大丈夫なのだろうかというところだろうといえます。

ウサギが可哀想という問題を超えて、自分のスタイルと他の人のスタイルとの違いのぶつかり合いなのかもしれないなあと思ったりもします。オーガニックなプロジェクトに関しても、仕事を生み出すものの農薬を使わないことで人に過酷な労働を強いる結果になります。生産現場となる途上国での残虐な行為に思われるかもしれませんが、それは違って、先進国の需要から生み出されるものなので、結局は、先進国の中でのモラル対決なのだと思います。

高校のときに、キリスト教の授業で、その先生は夏に自分の教会でのキャンプで鶏を殺して食べるという経験を子供たちに体験させることで、スーパーで買い物する文化的な生活の裏で隠されてしまっている部分を考える機会を持っているという話をしておられました。誰かが動物を殺して解体するような仕事をしないとならないのも避けられない現実です。そこに動物を苛めて喜ぶような要素が入ると別問題だろうとは思いますが、動物を殺すという残虐に思われる行為の上に、人の食生活が成り立つのも事実で、そういう部分は隠されがちでそれを知るチャンスというものは少ないものです。ものづくりの現場にしても作り手は伝えようとするものの、知ると消費される方の考え方が変わることは多いものです。
2014年01月13日
今日は成人の日の祭日。朝の7時ころまで仕事で、東京からのお客様の時間まで仮眠を取ろうとするとお客さまからの電話で目が覚め、寝過ごしました。駅に迎えにあがって普段は電話でやりとりながらもお久しぶりに対面。

東京からのお客様を駅までお送りしたあと、会社の年末調整の書類を公認会計士の先生に教えてもらいながら自分の会社で作る。今回は自分の会社の中でやってみようと指導を受ける。納税に関することは基本的で大事なことながらも、複雑化だらけのままというのも、行政と民間とのサービスの大きな違いだろうと思える。今でも源泉徴収のシステムはすでに複雑だが将来はもっとつぎはぎだらけになってしまうのだろう。

一方で、日本でもアメリカをはじめとする大手企業のタックスヘブンを利用した脱税行為が指摘されているが、そういうのは、国をしてもアンタッチャブルな世界なのだろうと思える。法の目に引っかかる企業と引っかからない企業の差は大きいといえる。引っかかるか引っかからないも力関係の匙加減で法の沙汰も力次第なことも多い。

消費税に関しても、輸出企業は法の目を逃れる恩恵を受ける。輸出に関しても販売税という名前にすれば不平等がなくなるならよいと思う。
2014年01月11日
東京ではいろいろな皆さんとお会いできて充実。東京から戻って、シャトル織機の調整。シャトルが噛んでしまうということで、シャトルのステッキの角度を調整し、バッファーの長さを長くして調整が完了。シャトルを打つスピードも片方が弱いので強くする。モーターのVベルトの3本のうち1本が緩んでいるのが原因かモーターの回転の伝わり方が不規則でシャトル織機の動きが不安定。

シャトル織機の縦糸がよく切れるので、縦糸に2つの調整を加えて縦糸切れを改善。べつのシャトル織機も、一部の箇所、糸切れを起こすというので、何が原因なのか確認してみると、4枚目のソウコウ枠から片側のロッドバーが外れているし、シャトルもキズが多く手入れが必要、これじゃあまともには織るのは難しい。開口が左右で異なるのも非常に気になる。

私自身が織機と向かえる時間はほんとうに限られていて、短時間でいろいろな問題を見つけて解決しないといけないのは、危険だったりもする。問題がある箇所を調整することができなければ、問題のない箇所を調整してしまい、織機のバランスが余計に崩れ始める。調整を掛けるときには必ず、自分が調整をかけた分を元に戻せるように、記憶しながら調整をする。それが出来ないと勘で調整するようなもので微妙な調整は難しい。

いつも織機に調整を掛ける前には自分が調整をして他の人に迷惑が掛からないよう、はじめの状態を覚えておくということが、基本中の基本。多くの人はどこをどう調整したのかということを説明できないので、織機が不調になった原因を探ることが難しい。織機を修理する仕事というのはお医者さんの仕事と似ているところがあるのかもしれない。
2014年01月10日
テキスタイルツリーの成田典子氏が編集長をつとめておられる「つなぐ通信」の第四号が年末に創刊されました。今回も興味深い、タネ屋さんの話から始まります。小さなタネ屋さんの裏にドラマがあるのが面白い。トマトの話は、最近他の寄り合いで農業に詳しい方から聞いたこともあって、みんなトマトの違いに気がついているんだなあと。

他に、東京の澤井織物さんの工場の紹介があり、東京で織物に興味のあられる皆様にも興味深い内容であろうかと思います。同じ織物の業界にいて、お若い皆さんが働いておられるのを見てうらやましいなあと思いながらも、実際には生産するのは一つ一つが大変だろうなあと。その大変なものを乗り越えておられるのがすごいのだろうと思えます。生み出すとか残していくって言うのは気持ちのある人の力そのものな気がします。

つなぐ通信は年間4回の発行で、フリーペーパーで、東京都内だとお見かけになられるケースも多いかと思います。興味のあられる方は、年間4回を送料分1000円で、購読できるシステムもあるので、ぜひ一度手にとって見てください。昭和の時が流れています。
2014年01月09日
昨日は、朝二番目に、銀座メルサ4Fにある久留米絣の藍木野さんのお店を拝見させていただきました。地下鉄の銀座の駅でどの出口からでるべきだろうかと、立ち止まって出口の案内を検討していたところ、滋賀の麻糸商会さんの中保さんが後ろから声を掛けてくださりびっくりで、出口を教えていただいて助かりありがたいこと。

また、藍木野さんにいるときにはファブリカ村の北川陽子さんからお電話いただいてお客様をご紹介くださるとかで、あいにく東京ですみませんという形になりましたが、私自身も、藍木野さんにもファブリカ村のことをご紹介するとすでにご存知で、先月お会いしましたということ。

藍木野さんの銀座のお店では、お店にある久留米絣のいろいろなものを見せていただきました。しばって防染することで糸に絣を出す手法で、四軒の機屋さんの生地をお使いということですが、久留米絣であってもそれぞれ作風が違うといえども、色柄に久留米絣としてまとまったものを感じるのは産地というものを感じます。

生地の感じとしては着物生地らしくしっかりと織り上げてあり、素朴ながらも味わいのある仕上げ、そういうものに高級感を感じることができるのが実際には日本人が布に求めてきた世界。最近では、展示会でも感じるのは、世界中が日本の着物の素朴ながらも手の込んだ布というものに布に詳しい人ほど畏敬の念を持って接して下さること。

藍木野さんのお店に並ぶのは、久留米絣を使った洋服で、着物用の小幅の生地が使われています。小幅ながらも縫製職人さんの柄合わせで、継ぎ足しているのが分かりにくく、布を大事に手仕事で仕上げておられるのを感じました。