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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2022年9月
リネン日記:5
2022年09月26日
10月25日、26日には大阪の綿業会館でのビジネスマッチングイベント、そこで手織り織機の無調体験を林与が行う予定で、織機の重さをはかる必要があって、体重計を久しぶりに家から倉庫に持って行ったついでに、自分の体重も3年ぶり以上ぶりくらいに計ってみた。なんと服と履物を履いた状態で64kgで、正味63kgではないか。これは私のイメージしている高校生時代からの永遠の63kgそのもの。もっと痩せているかとおもったけども、これがベスト体重の63kgで、悪くないやん。

この4日間、動き続けていて本当に疲れたら少し寝る。そして起きたらまた仕事。外は涼しくなったので、工場の中も環境は悪くない、暑くもなく寒くもなく、今が一番動きやすい時で、戦う相手は睡魔と疲れとの戦い。本当に疲れ切って血の巡りなども悪くなっているから横になって眠ると全身に血が通う。タイイングマシーンで繋ぎながら織機を3台動かしているけど、織機が止まるたびに動かしに行くので、動く量が多い。

普通織機を動かしている人だったら、面倒に思うだろうが、私の場合には織機を動くように調整するほうが何倍も大変なので、調子よく動く織機を動かすことは一番簡単な仕事の一つ。普通の人の2倍、3倍のスピードで、止まった織機をまた動かす。ときどきトラブルがあって、その時にはその織機を修理するので手が油に汚れたりするので、他の織機を動かすことができない、それがすごく残念なこと。調子よく動いていても1時間にそれぞれの織機で2mくらいしか織れない織物なので、動かし続けることは本当に大事なこと。

また、織ったものになるべく問題が無いようにおらないと仕事を一生懸命にしてもそれはゼロでなく、マイナスなので、織るときには絶対に正しく使えるものを織ることが大事。働いた時間よりも働いた中身が大事というのは製造業ではよくある話なのだけども、それを理解することは難しい概念だったりもする。一生懸命に正しくたくさん仕事しようとしているとそれほど悪い結果にはならないので、その姿勢が大事でなるべくきれいに織りあげてゆくことが大事。


2022年09月17日
リネンデニムを織り続けているシャトル織機から異音がする、ガタガタと。リネンデニム用に特化して、調子よく2年ほど織り続けている織機なので心配ではある。この織機もたぶんVベルトの裏側がそろそろはがれ始めているとかだろうか。Vベルトというのは消耗品なので、長い間使っているとだんだんと伸びてくるのが普通だし、裏側が捲れてきてしまうことが多く、最後には切れてしまう。通常はうちのシャトル織機の場合には3本かけなので、1本切れても2本でもなんとか動かせたりはする。

この月末にも納期が迫っていて新しい縦を繋がないといけないので、ちゃんと動かないと困った話になる。あと、別の立ち上げ中のヘンプデニムの台も1週間たってようやく、ボンドが固まって設置ができた、12枚のドビーにするのだけども、ロッドが通常よりも長く足りなくて苦戦中。機を作ったのに乗せる織機によってロッドの長さが変わってくる。12枚で駄目ならタペットに移して織ってみることを考える。

いろいろとやらないといけないことは多いけども奥が深いなあと思う。これだけ奥が深いと新しい人ができるようなことでもないし、たぶん、昔の人たちでもこういう奥の深さというのは経験をしていないだろう。昔は、リネンでデニムが織れるなんてことは考えられなかったことだけども、やればできたりする世界があったりして、そういうのをできないと今の時代の織物業界では特色の一つとして歌えなかったりする。

林与の特色としては、100番手以上のリネン織物を織れたりすることや、耳までリネンや、また、高密度織物、オーガニックリネンなど。そういう特色というのは、昔は安定して織れなかったことばかり。奥の深さを乗り越えないと生み出すことが難しく、作ればうれるような時代でもなくなって、特色ある麻織物がつくれないと魅せることはできない。今年は原料の高騰やさらに糸が弱いなどもあって麻織物で織っておられるところというのは大変だろうと思う。本麻のほうも糸質の問題もあって、縦に細番手の本麻を織ることがかなり難しくなっては来ている。

世界的には来年からリセッションに入る、実は世界の好景気を支えてきたのが日本の年金マネーで有ったりもして、他国が景気後退でも自国株に資金投入することもないのに、日本は海外の株式にも投資して世界の好景気を支えてきた。リセッションに入るとなるとさらに日本マネーで買い支えるのかということになるだろうけど、たぶん引き下がれずにやるんだろうなあと思う。本来は日本の資金は日本国内で運用すべきなのにもう国政が国政ではなくなってきて、小さな島国日本の年金マネーで支えられるようなものでもないものを支えようとしてしまった感がある。

国内株式に投入されたお金を引き上げることすらも難しいのに、海外株式が下がったときに日本マネーが引き上げると世界経済が大変なことになる。格好よく日本が世界経済を支えるといっても、さらなる後退を日本が支える必要が出てくる。いくら株でGPIF資産が増えているからといっても、実際には引き出せない規模のことやっているので、将来の年金の重荷はますます増してきてしまっている。だれもその危うさに気が付かない国の役人やお抱えの学者たち。円安の正体が一部は、GPIFにあるんじゃないかと思う。ドル建てになってしまっている100兆円もの規模のカネを引き戻そうとすれば円高要因となるだろう。人々が働いて稼いだものからなりたつ年金マネーを国が不労所得目指して膨れ上がっているものにぬか喜びしていても仕方あるまいが、それこそがバブルのころの日本と同じ。円高を喜ぶは分かるけど、円安を喜ぶというのはあまりにも輸出企業の消費税還付目線過ぎないか。円を海外にただで配れば円安になるから簡単なこと、それを政治がやっている。海外がざるな日本に喜ぶのは当たり前。バカ殿さまに近い役割だか、国がそういう役割をしないと日本の大手輸出企業すらも利益を上げられなくなっているような構造問題が日本にはある。

お金をばらまいて国際貢献だけど、できなくなった時にはやってくれないのはおかしいとなって来て、援助してくれる他国に乗り換えられ、もう援助してくれない悪い国のように思われたりもする。節度をもった援助が必要でそ、援助にしても実質中抜きで消えて行ってしまっている部分が多かったりもする。自立できるための援助が必要で、そのためには相手国の富を持つ者たちが貧しいものを救うような構造が必要なのだが、それが同じく日本にもなかったりするので難しいあたりだろう。援助したお金のほとんどがその国の富ものに配られるというような形。お金を払わないと友好関係が築けないというような賄賂政治は日本の政治力のなさそのものであろうと思え、銭の切れ目が縁の切れ目的な外交とはならぬよう、カネを見せびらかした外交はやめておくべきだろう。
2022年09月06日
今日は加工工場に反物を取りに行くと現場の人が林与の上がってくる反物のことを覚えていてくれてまだ時間がかかりそうということを教えてくれる。一日中反物が上がってくるのを次から次に出荷の用意、現場というのはどこも同じだなあと思え、まさに仕事の世界である。そういうところにファンシーな理想はないし責任感とかそういうのが大事で仕事の覚悟のようなものがないと務まらない。そういう人たちが現場にいてくれるから仕事が普通に回っていくのであって、そういう支えている人たちが仕事に何か別のものを求めてしまってはもううまく回らなくなるだろう。

そういう人たちと会うと別の会社の方々でも安心感があって仕事での関係ながらも仕事を頼んだ一生懸命に正しくやろうとしてくれてありがたいなあと思う。一方で、山師みたいな人もいたりして儲け話ばかりしているような人もいて、自分がリスクをせずにリスクを背負うカモ探しみたいなところがあってそういう人には関わるとややこしい。具体的な現実的な話ができて実際にそれを形にしていける人というのは時間の無駄もないし、形にしてゆくことができるので失敗してもやり直しなどもきくが、大きなこんなことをしたいという話だけがグルグル回っている人というのはややこしいし、自分自身が形にして行かないと駄目でそれは現場の作業と同じですごく地道なことで、たぶんそれはその人の理想とは異なるだろう。

素材を探しておられる方で私からするとそんなにも特別でもないので、林与ではなく他のやっておられる方が持っておられるものを探された方が値段も合うんじゃないかと思うケースも多かったりするけども、そういうところとも条件が合わないのだろうと思う。少量で特別につくるとどうしても高くついてしまうし、林与がつくるときにはそれなりのものを目指すので市販で数メートル買う時よりも100mとか生産していると高くなる場合が当り前に多い。高級なプロ向けの素材というのは安定性みたいなものが第一に求められて、市販の生地とは別のグレードであるのが普通のこと。

フランスで手に入れたビンテージリネンということで、一見、500番手クラスのモノを見せていただいたけどもそれは、綿をリネンとよぶ実際は綿の世界。イタリアンの展示会などでもフランスのアンティークアパレル業者が綿のビンテージ物と麻のビンテージ物を品質表示も付けて出されていたけど、100番手を超えるリネンは本当に珍しいくらいで、フランスの場合80番手くらいまでが普通。まあ、レッティングの違いや紡績方法、加工方法の違いがあるので今にないふっくらとしたリネンではある。フランスのアンティークリネンといっても基本40番手くらいのものが普通ではある。フランスじゃあ綿のことをリネンと呼んでもそれは普通で、ホテルのリネンにしても本当のリネンの場合もあるけども、普通は安価でよりしなやかな綿に置き換えられたが、それをもともとはリネンだったからリネンと呼んでいるだけのこと。
2022年09月05日
繊維の世界というのは間口が広い業界だなあと思う。昔から現場は女性がメインの職場だったりもして、林与の場合も親戚の人たちが働いていたような現場で、学校をでるとかも必要なく、時代によっては最初の日に覚えた単純作業だけを一生するようなこともある。大きなボリュームでものが動いていた時代には、近年の中国の繊維業界と同じで、一つの作業さえできれば一人前。伝統工芸の世界というのもそういう分業の世界が当り前で、仏壇なんかも七人衆というような概念で多くの人の手作業で成り立つようなものづくり。繊維の世界も伝統工芸的な流れを組むのと、なぜか、海外の大量生産のライン仕事が同じような製造工程の世界。

今では希少になった伝統工芸品でもそれは昔は大量生産の流れ作業でのハイクラスなモノづくり。ものさしなんかは使わない、計算なんかはしない、目分量で、料理人が感覚で料理を作るのと同じくらいに手間を慣れで省いて最大限に正しいモノづくりで、大量に高度な品質のものを生むことができて広まった。

よくいわれるのが手作りじゃなくても大量生産でも同じ品質だと同じ価値だからという概念。でもそれは、熊本のアサリの世界で昔ながらの本場の産地でものづくりをしていると海外で作る何倍もの費用も掛かるが当たり前で、それを例えば産地偽装してしまえば前億のシェアの何割も取れる。それが林与が2000年以降にアイリッシュリネン糸がまったく手に入らないのに、巷では北アイルランドで紡績されたとされる糸を使ったものが流れていて、まさに熊本のアサリの産地偽装そのもので、結局は高品質な中国紡績の糸だったという話で、林与というのはそういう裏の世界を知っている立場だし、大事なのは消費者をだまして儲けるではなく、業界のプロとして正しい情報を消費者に伝えること。努力目標としては一つの偽装もないように動いて、誠意をもって対応をしていても謳いに関することに判別などが難しいこともあるので、その時には間違いがあったときには認めて返品などにも対応すること。

今の大手の日本の繊維業界がブラックボックスなのは昔から、大手ほど偽装に走りやすく謳いはすごいのだけど実態がないことが多く、5000エーカーの自社畑の話が最後は仕入れ先にまかせていただけで、詳細は分からないが繊維業界の大手の普通。本物か偽物か分からないような世界を自分が全部責任もってやってきたみたいな話で国内の消費者を説得して買わせても最後は、実態がないとかが日本の大手の繊維業界の普通。熊本のアサリの産地偽装そのもので儲けていて最後は逃げてしまうだけ。

海外が悪いのではなくて日本の国内の繊維業界というのは厳しい基準でやっているのに、大手はブラックボックスで出し抜いて実際が本当か嘘なのかを分からない話を安く仕入れて最高級。それはいくら海外でもカシミヤ偽装と同じ話で、大手にありがちな素人チックなサラリーマンの世界。車掌すらもがサラリーマンなのが大手の繊維業界で、不祥事で次から次へと社長が変わるような、もうどうしようもない日本の大手の繊維業界。

世界中の消費者を20年騙したVWのクリーンでぃぜる問題と同じことがGOTSでは駄目だろうと思う世界、GOTSの日本の認定委員が、私が天然繊維でもないものがオーガニックコットン認定されてますよねえというと、それは企業が勝手にやってるだけだから私の関係ないし責任じゃないと言う。正しい努力すらもないのが日本のGOTSの認定委員レベル。それで食べててプロ意識もなく何十万人、何百万人の日本の消費者騙すのはまさに熊本のアサリの産地偽装イカかもしれないよう日本の大手の繊維のブラックボックスな繊維の世界。消費者騙してなんぼで生きているのがオーガニックの理事長10年をあやむやに日本のGOTSの認定委員では困る。やめたくてもやめさせてもらえないんですよとか、エシカルなことが面倒なんですよとか、地道に働く気もないGOTSの日本の認定委委員。ドイツのクリーンディーゼル偽装そのものがGOTSじゃ、現場で働いているものはまともにまじめでもトップを自負するものがそのレベルじゃあ偽装物が流れまくり、消費者偽装そのもの。日本のオーガニックの認定委員でもサラリーマンとしてのプロ意識もない、やってる企業の責任ですよでラベルばら撒いているのが、エシカルを謳う世界。そういうのしっているから本当に日本の繊維業界というのは地道に屋てるんものよりもだまくらかしばかりを認定して儲け主義で末期だとは思う。

アサリでも別に中国産でも北朝鮮産でも韓国産でも正直に伝えればよいだけだけど、日本人が儲からないから偽装しているだけのことで、それがオーガニックを謳う団体が儲け主義でそのレベルだと終わる話。まさに熊本の漁協レベルで、淘汰されるのも当たり前。熊本のアサリと日本のオーガニックの世界というのは紙一重、その紙一重で安く大量に最高のモノを流して市場を何十年も奪うのが日本の大手の繊維の世界。大手の人と話すると安く買うことばかり自分が儲けることばかりで損得ばかりの話だから難しいとは思う。

吉野家が狂牛病のときに専用牧場のポスターを店頭に張り出したのもさすが吉野家と思ったが、あれも嘘だったのはすごかった。普通に大量にながれているショートプレートを使っていたというだけのこと。
2022年09月01日
目の前の作業をどんどんとこなしていくということに疲れて嫌でという人というのは多いと思う。林与の仕事もそういう仕事で、織機が止まったら動かさないといけない、一台10秒から15秒で横糸切れや糸がなくなったりに対応して、経糸切れも30秒ほどで解決して、4台5台を動かしながら、空いた時間に新しい織機の立ち上げで、経糸を結んだり、横糸の準備をしたり、追われて追われての仕事のペースを自分で作れる人でないと難しい。大きな工場でつぎからつぎへとものが流れてくるラインで働いているのと変わらない忙しさがある。動く分体力も使うし行動力が必要となって来る。

多くの人が学生時代に繊維やデザインのことを勉強してその憧れをもったまま、別の仕事に居て憧れの世界で仕事をしたいなあと思うかもしれないけども、その憧れている世界のほうが他の産業界の仕事よりもより仕事量が多くて器用でないとできない複雑な仕事だったりもする。繊維関係の会社の人にいうのが、現場の仕事が自分ができないと会社経営というのは難しいんじゃないかと思うあたり、それは私自身が若いころに年配者の人たちの中で、年配者の人たちの仕事感覚や仕事が通用しなくなっているのを感じながらも、手立てがないような状況。それを乗り越えるのは経験者たち以上の力で、小さな世界にとらわれずに国際的な競争なども見据えながら何ができるのか考えて実行してゆくしかないのである。

たとえば、先日も母親に、赤の管、青の管、黄色の管、赤の管の順番で機械にセットして横糸を管に巻いて、その順番で何回もやっていってほしいとたのんだけども、管の色を無視しながら巻いて順番通りだとはねのけてくる。なにが悪いのよとやってくる。言われたとおりにしていないのが悪くて、作業手順を正しく説明も受けているのに面倒だから守らないでやってしまって、説明したものを攻撃してくる。こういう人というのは、複雑なことが絶対に無理で、その順番に管を機械に立てて自動的に巻いていけば、その機械から目を話しても大丈夫だということで、管の色を見れば作業結果も確実で、他のことも出来たりする。母親の場合にはその一番簡単な仕事も張り付いていないとできなかったり、それでいて人一倍仕事している感覚。私がいろんな作業をしながら隙間にやっている作業一つにしても頼んでも頼まれたとおりにはやらないから口論になる。そんなのが田舎の年配者の驕った感覚では高度な仕事はなかなか難しい、そういう能力の低さがあふれていて、若いものに反抗してくる正しいことが難しい年配者であふれていたりする。

言われたことの意味を分かってやれば言われたとおりに問題がないのに、言われたとおりにやるのを嫌がって、管の順番は違うけども正しいから問題がないで口論になる。そういう人というのはその仕事で精一杯になってしまっていて、他のより高度な仕事も難しい。順番通りに機械にセットしておけば、自動的に巻いてくれて、正しく順番に並べることができるのに、見ていたから大丈夫では、そんな簡単な仕事で一人の時間を使ってしまうしまた後で正しいかどうかの検証もできない。あいまいさみたいなものが生まれる仕事の手順で、それがその一つの作業だけでなく、すべての作業に置いておなじような時間の無駄と確証のある仕事に結びつかない。

簡単な仕事でいわれたとおりにやればよいのに言われたとおりにやらないで正しいと突っぱねたりしてくる。その人にはその一つの仕事しか仕事として見えていないけども、その一つの仕事が正しくできなければ他の仕事はもっと複雑でより高度だから難しいのである。田舎の年配者にはそういう人が多いのは事実で、失敗しても仕事、正しくできなくても仕事みたいな人では駄目なのである。母親みたいな人がいると会社なんてものは絶対に無理。そういう人というのはもうやったけないわよ、みたいな世界で、仕事ってそんなのとは違う厳しさがあって、一つの失敗ですべてが駄目になってしまうから。やればできるのに言われたとおりにやろうとしない人というのはやっかいで、言われたとおりに言われたことを正しくできる人というんは仕事が出来る人なのだけども、そういう人というのは本当に少ないから繊維の仕事というのは難しいのだろうとは思う。すごく基本のことなのだけども、それができる人というのは本当に少なくて、自分のやり方と違うやり方にいわれて対応できる器用さみたいなものや素直さみたいなものが大事で、それがあるといろんな経験を積むことができて、作業に慣れることで2倍3倍のスピードで仕事ができるようになる。