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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2014年12月
リネン日記:15
2014年12月30日
しばらく休んでいたレピアの7号台の機を乗せ換え。2640本の6枚の機があったのでそれを乗せて、120本増やして、幅が広いのでレピアオープナーを使わないようにして代わりにガイド式のオープナーを取り付けて、外してあったレピアを付けた。

織れるかと思ったら、捨て耳の枠が広い幅に対応しておらず、マグネットの絡みソウコウに交換するも、やはり、レピアが糸をリリースする際に、糸が緩んでループが出来る問題。それに対応するために、また、捨て耳の絡みソウコウを付け直した。

なぜか、縦糸のテンションが極端に強く。調べてみると送りが一番下の一番送る状態にあるも送りが少なく、縦糸が強く張りすぎる。送りを大きくするために、調整を繰り返し、なんとか送れるようになった。この織機では以前からリネンデニムを織っていたので、厚い織物用に織機の送りなどが調整したので、薄い織物は織りにくい状態。

織れるようになったものの、なぜか、織機の音が高い位置で織っているような感じの音。また、何か織るたびに当たるような音。その原因はずらしたレピアオープナーが織機に毎回ぶつかっている。テープをそのあたる場所に張ると音が軽減。年末で近所は帰省されてお休みの中、仕事なのでなるべく静かに織りたい気持ち。
2014年12月28日
織機には、黒の逆寸、緑の寸動、赤の停止、青の運転のボタンがついている。一番磨り減るのが、寸動のボタンだろう。今日は、寸動のボタンが微妙に調子よくないというので、交換をしてみた。

別に全部を交換する必要もなく、一番使わないだろう逆寸のボタンの中身と寸動の中身を交換すればよいだけと考え、それを行って調子よくなったのだが、すごいなあと思えたのは、昭和51年の機械の部品が今まで元気に動いていて、ようやく微妙に調子が悪くなったということ。40年前のスイッチボタンというのは堅牢なつくりをしていて、さすがであると思った。

タイヤローテンションに似た、修理の方法だが、こういう柔軟な方法をよしとするかよしとしないかでは、問題の大げささが大きく違う。
2014年12月27日
ものづくりの商売というのは、自分の頭だけじゃなくて体が動かないと駄目だなあとつくづく思う。自分が手本を見せられなければ、職人なんてそれ以上に動くことなんてないもので、職人の3倍くらいのスピードで動いて正しく仕事をこなしていくのをみれば、早く動かないと駄目だということに気がつくこともあろうかといえる。

これは正しい努力の一つ。技術ではなく基本的な部分で、方法を覚えても成り立たないスピードで仕事していれば技術がないのと同じ。地場産業が衰退するのも変なおごりだけがあって、実際に仕事が目の前にあっても正しく利益のある形で進んでいかないということがよくあろうかと思う。

また、経営で面白いのは、布なんて野菜なども同じで、たくさんあふれてしまうと商売が成り立たなくなるもの。ちょっと珍しいものをできなければ駄目で、そのためにはほかの人と同じ事をしていればほかの人と同じ結果。それでよければよいが、繊維産業の全体が傾く流れの中で、無理と思われる逆に張ることが案外必要だったりする。

林与の得意とする超細番手リネンにしても、織れないといわれて普通は手を出さなかった領域。惑星直列のような奇跡も伴ってくるもので、普通は織れないといわれるものが、今は一般に生産ができるようになった。近江湖等の産地に、超細番手リネンの最先端があるというだけでも意味があろうかと思う。

よい糸が消えてしまった2000年あたりから100番手を超える糸がほしいと糸商さんに相談したが、ないといわれ続けて、結局、自分で探して持ってきた。持ってきただけでなく、それを織れる形にした。織れるだけでなく、素敵に見える先染めのストールに仕上げた。リネンを柔らかく加工したかったが、当時はまだ柔らかいリネンの加工がなく、自分で、リネンを柔らかく加工した。出来上がったリネンストールが宝石のように思えたのは懐かしい、今もその頃につくったものは輝いている。

実際に、素敵なものを作り上げても売り上げをつくるのは難しいのを感じたのもそのころ。新しいものを売ろうとすると自分での販路開拓の大事さ。ほとんどの人は逆に張ることはできない。自分の給料の何倍もが飛んでしまうようなリスクもあるけど、ものづくりの裏にはそういう逆に張って売れなくても我慢して続けることでオンリーワンになれるところもある。

そういうのが実際には越えられない壁の存在でそれを超えていくところだろうといえる。壁に直面して、ふつうはその壁があるので無理という決断、普通を基準にしていると無理で終わることがほとんど。実は、私もほかの人にやめたほうがよいという親身なアドバイスをすることが多い、普通を超えたことを我慢する覚悟がないと、商売なんて波があるのである程度うまくいくことがあっても続くことは少ないものだから。そのときにどうするかも大事。うまくいかない一つの要素があっても、ほかの要素で補うというほうほう。ふつうの3倍、4倍仕事していれば一つの失敗を補うことは可能だろう。
2014年12月26日
レピアの出る周辺での横糸の打切れの問題。この問題にしても以前から起こっているが、なかなか職人さんでは解決が難しい問題ではある。結局は、部品の消耗と絡んでいて、打ち切れが起こるのだ。

糸が緩んでループが起こる問題にしても、職人さんではなかなか解決できない問題で、昔、うちが織機を入れていた出機さんで、その問題が発生し、それは捨て耳のカラミソウコウが糸をホールドした状態で、レピアが糸をリリースしていないからだと説明するけど、それは違うと否定してしまう。同じ問題は自社工場でもあって、ループの問題直らないと工場長がいう。経験のある職人というのは、経験が邪魔して、私が説明してもなかなか理解ができないのだ。

織機をほとんど触らない私が織機の動きの正しい説明を理解してしまうということが、年配の人たちにとっては、一番、シャクに障ってしまうのだろうから、丁寧に判らない真似をしながら正しい答えに誘導をするが、やはり、相手にしようとはされないものだ。

こういう経験をしているので、私自身は同じ織物の世界にいてもひと世代前の人たちとは違う目で織物を見つめることができる。解決のチャンスがあるのに、面倒だからそれをしようともしないということから始まることも多い。この面倒だからという部分は、経験の浅い初心者が初めてのことをするのを億劫がるのと似ている。初心者はほかの人にしてもらおうとするが、経験者であってできても面倒がることが多く、自分がやらないという結果に繋がる。

私は、解決のチャンスがあるなら試すことが多いので、案外、正しい答えを早く知ることができる。それはすなわち、解決までに失敗を多くしているということなのだが、失敗せずに成功しようとするから、正しい答えにたどり着くのに時間が掛かるのと、経験値が結局少ない状態が続くのだ。

こんなことを偉そうに書いていても、たかだか機屋の小さな世界。そんな小さな世界の一つの問題を解決するのにも、人の面子のほうが大事だったりと、仕事と関係のないところが大事だったりして、守られた田舎の社会というのはややこしくて大変なもの。そういうややこしさが地場産業衰退の大きな原因であったりもするのだろうと思うことが多い。
2014年12月25日
織機のギアというのは、35のギアなら35個ギザギザがある。80のギアなら80個ギザギザがある。ギアというのは2つを使う、基底のギアは、林与にある織機の場合には37で、基底のギアに37を使うと、ほかのギアの数値がインチ当たりの本数となる。

打ち込み本数というのは2つのギアの組み合わせで決まるのだが、普通職人たちは、ギアの組み合わせの表を使う。私自身は、ギアの比率を計算して割り出すので表を使う必要はない。

まあ、ギアにしても理論知的なものなので、あまり小さいギアを使うと回らなかったりすることもある。そういうのは経験的に学ぶことだが大事で、そういうのが判っていないと、頭で何でもできるような勘違いに繋がる。

織機には、いろいろなところにギアが使われている。ギアは通常、削り出しでなく、鋳物である。鋳物の世界というのは非常に強く、案外角が丸くなっても正確に動き続けるものだ。削り出しのギアだと精密すぎて逆にギクシャクする。
2014年12月24日
今は、クリスマスだけでなく、ハロウィーンパーティも日本に進出してきていて、バレンタインズディもそうだが、なにかと昔は目くじらを立てていたものでも商業的なビジネスパワーが働いていつのまにか受け入れられるようになってしまうのが日本の傾向だろうか。

どこかほかではやっているものを持ち込んでお金を儲けようと考えることは多いと思う。セレクトショップなんかも海外に行って売れてそうなものを日本に持ち込んで売ろうとする。

しかしまて、自分自身で作り出すということも大事じゃないのか。クリスマスに似たものを自分たちで作り出すというのも大事。宗教というものにしてもセレクトするのではなく、自分自身で生み出してもよいと思える。
2014年12月23日
織物は冷え込めば冷え込むほどに織りやすい。氷点下であるほど織り易い事はない。糸のなかの水分すらもが凍ろうとして糸が強くなるのだろうか。温度の下降途中は非常に織り易く、上昇局面は織りにくい。湿度の上昇と低下と絡んでいるとは思う。

滋賀県で織物が盛んになった理由に琵琶湖が挙げられるが、私自身は琵琶湖はそれほど大きな理由ではないと思える。一番には人の要素で、2番目には農業が盛んで雪深かったこと。夏の蒸し暑さよりも、冬の厳しい寒さこそが、麻織物のイメージである。昔から、湖岸で織られるものは安価なものが多く、陸地で織られるものは上等だったとされる。

湖岸では太い繊維のものが織られ、山側では細い番手のものが織られていたということが言われる。琵琶湖が麻織物の要因なら、湖岸で細い番手のものが織られていてよいはずだが、豊国地区のような琵琶湖と山の境の農業が盛んだった地域で繊細な麻織物が織られていたということは、農作物に非常に恵まれていたことが、閑散期の麻織物の生産を支えたといえる。

琵琶湖に近いところにある母親の実家には、子供の頃よく滞在した。生活は農家ながらも、川からの恵みと琵琶湖からの恵みで食生活の半分が成り立っていた。漁民的な水の文化を子供ながらに感じたものだ。
2014年12月22日
町の広報が回ってきて、目を通すと、地域資源に関する町内の小中学生1500人のアンケートでは、近江でつくられる麻織物を1番とあげた子供はゼロ。毎回、町の広報にも麻織物関連のことが掲載されていながらも、それは分かる気がするのです。私自身、小学校、中学校のときに家の仕事が滋賀県にとっては当時でもすでに希少な存在になっていることを認識していませんでしたし、ましてや、大人でも麻織物の認識がある方というのは少ないものです。

そこには、先生方の認識も少ないと思えますが、でも、そういうのを強要することはまったくよくないことだと思え、仕事をしている本人たち自身が自然な形で続させていくしかないのだろうと思えます。地元で織られた麻織物製品を使っている子供たちというのも非常に少ないのではなかろうかと思います。

今の認識率なんてものを上げるために力を注ぐのは馬鹿げていて、そんなことよりも、元気に仕事が続けられるように自分自身が実際の仕事をこなしていないと駄目だろうと思えます。麻織物に携わっていて自分自身に創造する能力がなければそれまでのことで、そこで、誰かに守ってもらおうみたいな考えに陥ることこそが衰退的な考え方だろうと思えます。

実際に難しいものをつくれる人が残っているのかというと、どこもが同じだろうといえます。この数年でまた、産地でも実際に織っておられたところが数件機場を閉じられて、その理由にしてもよく分かりすぎるくらいに分かるのです。一回一回が乗り越えていけないと続かない仕事だから。特殊な
2014年12月20日
車のタイヤがパンクした。タイヤなんてパンクしないようにつくれるだろうにと思うが、パンクしないタイヤはそれほど良いものではないということだろう。蛍光灯や電球なんかも切れないものをつくる技術はあるというが、それだと駄目。パソコンなんかも保障期間を過ぎれば壊れるようにつくる程度がコストパフォーマンスもよくなる。

織機にしても織機メーカーが日本から消えたのは、耐久性がよすぎたためではないかとも思えたりする。でも、そういう何十年も使える織機を作る技術がかつての日本にはあったということはすごいこと。
2014年12月19日
すでに年の瀬を感じるのは、仕事に追われていてどうしようもない状態。一つの問題を解決するために何十分か使って、次の問題、そして次の問題。電話が鳴ると新たな案件が、でも、今日も一つ仕事の案件で自社以外の製造工程での数値的な問題でクリアできるか心配していた案件が早速に解決してもらえて、全体がどうなるか心配していた問題だけに悩みが解けた。

仕事を頼んで頼んだ先が仕事でベストを尽くしてくれる状態でないと、問題解決がこちらに回ってくる。たとえば、染のサンプルをつくってもらって注文が入って、本生産で連絡が取れなくなったところがあってそれを自分で解決したことがあって、仕事に対する責任感というものがないと、逃げてしまわれるということはよくある。サンプルはつくれても本生産が作れないものなど提案してしまうと自分自身で地獄にはまる。

ものづくりの仕事は紙一重の世界。売れないとすべてが費やしただけに終わる。生地の開発などでも問題を解決できなければ、やればやっただけ損が募ることになる。その紙一重のところが、技術のあるなしで明暗が分かれるようなところ。一つの壁をクリアするために、一から材料を投入して物を作ってテストする。見た目や風合いだけでよいのかというと、物性の問題をクリアできないと成り立たない。
2014年12月17日
テキスタイルマルシェが終わっての感想。会社の本生産の時期と重なってしまって、外部との連絡がスムーズに取れないことがあって、仕事関係の皆さんにはご迷惑おかけしました。

会期中は帰宅してもまったく時間がなく、リネン日記も更新できませんでしたが思い出して書かせていただこうと思っております。

今日も午前中は彦根、帰って、溜まってしまっていた書類関係を手がけました。
2014年12月15日
今日はテキスタイルマルシェ5日目。終わってから打ち上げが近くの居酒屋でありました。それぞれが自己紹介を兼ねて順番に感想などを述べ、わきあいあいとしたムードながらも自分たちがやっているということで思っていることを一人ひとりが述べる。本当にまともな姿勢で、可能性を感じる。

物事というのはビジネスライクになりすぎると、陳腐化してしまう。手作り感覚であるほうが逆に新鮮にみえることも多く、店頭のブランドショップと同じようなセレクトするよりも、機屋が機屋らしい売り方をするというのが、一番の強みになるだろうと思える。

楽しく飲み過ぎて、米原行きの終電に乗ったものの安心して寝て、途中、乗り過ごしたと思って飛び降りたら長岡京、次の電車で野洲まで帰ってタクシーかと失敗したと思って、次の電車に乗ってまた眠ったら終電で、野洲かと思いきや大阪に戻ってしまい。午後1時。

急遽、大阪に泊まることになってしまった。
2014年12月08日
今日はテキスタイルマルシェの準備。昨日荷物を出荷出来ず、今日大阪の物流倉庫に搬入。スムーズに対応してもらって佐川持ち込みよりも簡単かも。昔は佐川さんも馬力があったが今はいつ届くかが読めないことが多いのと締め切り時間が早すぎてそれに会わせようとすると追われ過ぎる。

なんか準備ができ帰ってからパンフレットなどの準備。テキスタイルマルシェにもお世話になって一年。物事というのは、最初は迷うことも多いが何事も経験で、結局継続できるということが成功の一番のバロメーターなんじゃ、ないだろうか。

自分が継続したくても継続できないこともあるだろうし、継続するためには、それを支えるために別に働く必要がでてくることもある。商品開発とかもかっこよい響きだけども商品を開発することよりも商品開発する環境を維持することのほうが大変だろうといえる。

自分の中で新しいアイデアがあってもそれを形にするのは別問題。自分は働いているつもりでもそれが形にして、お客様にかってもらって使ってもらって初めて仕事としてはひとつ正しく出来たといえる。フロックではだめで、継続してそれが続いて出来ないと駄目。継続していることが実力のひとつで、結局、自分に仕事する力があるのかどうかというあたりになろうかと思う。
2014年12月06日
今日は、青森の小銀刺作家角舘徳子氏が会社に新規の企画のためにお越し下さいました。横浜で展示会を開催されその脚で滋賀県に来て下さり、来春夏に向けて小銀刺の麻の基布の打ち合わせです。

手が足りなくて工場の中で、リネンの100番手をチーズアップする作業を手伝ってもらったり、織物工場の現場の雰囲気も味わってもらって、せっかくの滋賀県なので夕暮れの琵琶湖をちょこっとご覧頂きました。初雪が舞い、寒い一日だったので、青森の方でも寒い、近江湖東地域を味わっていただけました。

今日は加工出しで加工工場にも行き、リネンウールの加工出し、テキスタイルマルシェに間に合うのか?途中からでも出せればと思っております。ちょっと厚地の綾織なのでアウター向けですね。
2014年12月05日
ようやく、細番手の縦糸に糊がつき上がってきた。仕事は手一杯になって、それは林与だけのことではなく、どこもが手一杯。仕事があって仕事ができない。これは日本の構造的な問題であろう。

今日もある工場さんと電話で話をしたが、町工場というのは一つの専門的な部分しか知らないという限界を強調された。でも、最終的な生地という話になると、生地をつくるものが自分がつくりたい生地がつくれる環境にないとなると難しい。間に人がはいるといろんな制約が増えるのは今までも経験済みで、注文を下さるお客さんにしてもそうだし、逆に、弊社が仕事をしてもらう場合も同じ。値段のことが大事な方が多いと思うが、それも話できずに商売の話をするというのもナンセンスでしかない。

他人の力の下で加減しながらのものづくりが続くと、それがいつのまにか自分のものづくりのスタイルになり、ほかの人のものづくりに追い越されてしまうのは必然であろう。今、世界を見渡せば繊維の世界で日本のプロは出来ないが増えすぎてきている。とくに、新しいものをつくるとかが減って、真似して似たようなものをつくるばかりに。

産業の高度化というが高度化しすぎると、「寸借詐欺」「振込詐欺」「泥棒」とかにたどり着くだろう。自分で育てるということが大事で、生産するということもお金ではなく本質的な冨と幸せを人類にもたらすものだと思える。繊維というのは非常にまともで悪い仕事ではないと常々思うのだ。儲け主義に偏ると働かないで稼ごうとするから、そんなんを理想にしていたら末期は近くなると思う。